孤月的陣
第五章 タイヨウ  太陽

「おまえとこうして、二人で対峙するのは何年ぶりであろうかな」
趙雲は答えず、ただ播天流をきびしく睨みつけた。
孔明の言ったとおり、視力は、時間がたてばたつほどに回復した。
しかしその代わり、体を鉄の鎖でぐるぐるに縛られ、まったく身動きのできない状態とされている。
そんななか、見上げる播天流の顔は、薄気味わるくすらおぼえるほど、優しい顔をしていた。

この男は、袁紹の軍に最初に入って、兵卒というものの厳しさ、古参兵の与える凄惨なしごきを知って、心身ともに磨耗していた俺のところへ、同じ顔をしてやってきた。
俺だけではない、ほかの子供たちも、みんなみんな、この笑顔に光明を見て、その背後に崇高なあるものがあると信じ、ついていったのだ。その果てに、奈落があると知ったなら、だれも足を前へ進めなかっただろう。

「いくつになった、子龍。おまえと初めて会ったときは、まだ十五か、そこいらであったな」
沈黙をつづけていると、播天流の片腕が伸びてきて、無理に顎を掴み上げられた。そうして、息もかかるほど間近にある顔を見て、腹の底から怖気がこみあげてきた。

孔明は、これを狂人といったが、まさにそうとしか表現のしようのない、理解を超えた顔をしていた。陽気と陰気、独りよがりな前向きさと、ありとあらゆるものに対する悪意が内側に凝縮されて、爆発するのを待っているかのような顔。
こいつは、以前からこんなに狂った顔をしていただろうか。それに気づかなかったのは、本当に若さゆえだったのか?

「怯えているのか、子龍? まさか、おまえがそんな可愛らしいことを思うはずがない」
と、播天流は、にやりと笑った。
「なぜ沈黙をしている。自分がこれからどうなるのか、不安ではないのか」
「聞いても答えまい」
すると、播天流は顎から手を離し、声をたてて笑った。
船の揺れる振動が、体に思いのほかこたえる。胸はむかつくし、殴られたあとは痛いし、両手は縛られて思うようにならないし、下手に動けば、鉄の鎖に肉がはさまってしまうしで、趙雲は最悪な気分のなか、播天流の嘲弄を聞いた。
水の湿った匂いが流れ込んでいる。
船倉にはほかに、さまざまな品物が積まれているようだが、中身まではわからない。自分の見張りをするために、あどけない面差しをした壷中の子供たちが数名、配置されており、さきほどから、播天流と趙雲のやりとりを、表情ひとつ変えずに、じっと見守っている。
「子龍、いま天下は存亡に瀕している。まさに世の終りがきているのだよ。このままでは、不埒な漢賊・曹操が、血に穢れた手で天下をその手に治めてしまうであろう。そうなる前に、おのれを犠牲にし、世を救う者が必要なのだ」
「たわ言を。守っているのは、荊州だけであろう」
播天流は、また声をたてて笑った。
「いままでは、そうであった。われらの力はあまりに微弱で、劉表の庇護がなければ存在できないほどちっぽけであった。だが、いまはちがう。劉表は死に、われらは自由となった。おまえたちがうまく劉表を始末してくれたおかげだ。感謝せねばなるまい」
「俺たちが劉表を殺したわけではないとわかっているくせに、なにゆえそのような決め付けを言う」
「おまえと、諸葛孔明がさんざん樊城を荒らしまわってくれたおかげで、あれの寿命はおおいに縮まったのだ。だからやはり『殺した』のだよ。ふん、劉備に名誉が傷つくことを恐れているのか。あの鉄面皮なぞ、おまえが劉表を殺したという風聞が世にひろく伝われば、儂は関係ないと言い放ち、おまえとの関係を絶とうとするであろうよ。お前には、もう帰るところがなくなる、ということだ。残念だったな子龍。せっかく助けてやったというのに、もう、あの軍師とも会うことは叶わぬ。あきらめろ」
得意そうに言い放つ播天流の姿に、趙雲は思わず笑みをこぼす。子供が思いこみを得意そうに語っているのを、憐憫から静かに聞いているのと同じ気持ちであった。
趙雲の笑みを見咎め、播天流は声を荒げた。
「なにを笑う」
「七年も俺を見ていた割には、まわりはなにも見ていなかったようだな。主公も軍師も、俺を見捨てたりはしない。絶対にだ。もし、すぐさま俺を見捨てるような男たちならば、そもそも樊城には、おまえののぞみどおり、縄につながれた状態の俺が届けられていたはずだぞ」
「しかし、此度の相手は劉州牧だ。いかに劉備とて、平然と構えていられるはずがない」
ムキになり、鼻息を荒くする播天流に対し、趙雲は静かに首を横に振った。
「いいや。裏切らない。たとえ、俺が帝を殺したとしてもな」
播天流は、しばらく苛立ちを鎮めるためか、狭い船倉を行ったり来たりしていたが、やがてぽつりとつぶやいた。
「帝か」
神妙な表情をして、目に暗いものを宿らせる播天流に、趙雲は、直感的に、なにか隠し事があることを感じた。
だが、播天流のひねくれた性質から見て、こちらに関心があるように見せると、かえって黙ってしまう傾向がある。
播天流は、誇大な夢を語るばかりの、具体策をひとつも持たない男だ。劉表と手を結び、そのあとに壷中を組織として練成しただけで、天下のために、などと真剣に行動したとは思えない。もし、真剣に活動した結果が、子供たちを狩り出して、生きながら切り刻むような酷い目にあわせることであったというのなら、お粗末すぎて、笑うことすらできない。
「子龍よ、帝に会ったことはあるか」
唐突な質問に、趙雲は内心はうろたえつつも、播天流から目を逸らさないように気をつけて、首を振った。
「いいや、ない」
「そうか。陛下はおまえの軍師と同年であらせられる」
だから、なんだ、と思いつつ趙雲は聞いていたが、播天流は、そこで口をぴたりととざしてしまい、それから思いついたように、いきなり拳を振り上げると、縛られた趙雲の横面を、思い切り殴りとばした。
ごき、と鈍い音が、船倉に響く。
「忘れていたぞ、城門で、わしに向けて矢を放ったのはおまえだろう。いまのはその分だ」
口の中に、血の味が広がる。どこかを切ったらしい。
額に床をつけて、起点にして起き上がろうとする趙雲の腹を、播天流は容赦なく蹴りつけた。
「そうして、これは、樊城の我が部下たちを殺めた礼ぞ。裏切り者めが!」
腹の痛みをこらえつつ、うめき声をあげないように注意しながら、趙雲は、裏切り者、のことばに、思わず笑ってしまう。
何に対しての裏切りというのだろう。もし、いま裏切って、良心の呵責をおぼえるものがいるとしたら、それは新野にいる仲間たちであり、そして孔明だ。
「あとの分は、義陽についたなら、返してくれよう。楽しみにしているがいい」
冗談ではない、と思いつつ、ふと、体を両脇から押さえられ、起き上がらせる。見ると、壷中の子供たちが、趙雲が起きる手助けをしているのだ。殺すな、とでも命令されているのだろうか。
家庭を持ったことがないし、また興味もなかったので、子供の年齢を言い当てることができない。
さすがに十は越えているだろう。十五より下か。俺が故郷の村を出たのと、あまり変わらない年頃だな、と趙雲は、ぼんやり思った。

義勇軍に参加をして、袁紹のもとへ行き、半死半生の目に遭ったことが原因で、播天流に会う前から、どこか心の凍った、つめたい子供となっていた。冷静といえば聞こえがよいが、要するに、無感動であったのだ。
物の価値がわからない。誰しも持っているはずの、喜怒哀楽というものが、わからない。
故郷の常山真定で培った教養だけが頼りで、自分が正しいと思うことだけをこなした。それが人の道であると信じていた。まわりがどう言おうと関係ない。だれを傷つけようと、正しい結果がでれば、それでよかった。
劉備を主公として仰いだのも、趙雲が正しいと思うことを、同じように正しいと言ってくれる、数少ない男だったからだ。
劉備は優しい男だった。優柔不断で動きが鈍いと言う者もいるが、そうではない。
目先の、だれでも手伝えるようなことは、それこそだれでも出来るのだ。
一見すると、日々の雑事をこころよく手伝ってくれる人間のほうが善人に見えるものだが、ほんとうは、そうではない。自分でもどうしようもなくなったときに、泥をかぶるのも恐れずに、手を差し伸べてくれる人間が、いちばんの善人なのだ。
劉備はそうであったし、かぶる泥がひどくなっても、ひとことも文句を言わなかった。
新野にいた七年間、まったくの平和だったわけではない。
劉表の部下たちからは、一寸の領土も守りきれなかった居候と蔑まれ、劉備の、なんでも人の言葉に耳を傾ける態度は、軽すぎる、帝王の気風ではない、とさえ言われた。
それでも劉備は、縮こまって沈黙することなく、いつも堂々としていた。
趙雲は、劉備を見て、はじめて、憧れというものを持った。
それまでは、他者とおのれを比べることすら、しなかったのである。
劉備を見て、趙雲は自分という人間と、はじめて向き合った。
だが、それは喜びよりもずっと大きく、孤独と惨めさを連れてくる作業であった。おのれを見つめれば見つめるほどに、利己的で未成熟な、心のつめたい傲慢な自分があらわれてくる。
同年の武将たちが、妻を娶り、子を養い、家門を守っていくなかで、趙雲だけは、ひとり、ちいさな幸せからはずれ、おのれを見つめ続けた。
おのれのことすら理解できず、責任が取れない者が、家族など、もてようはずがない、そう思ったのだ。生真面目な性分であるがゆえに、おのれを修正する作業だけで、手一杯であった。
そうして、七年の孤絶の果て、出会ったものがある。

ふと、頬につめたい感触をおぼえ、見ると、壷中の子供のひとりが、趙雲の頬に、濡れた布巾をあてがっていた。
無表情ながらも、あどけない面差しに、澄明な双眸をした、可憐な少女であった。
まだ十歳にもなっていないのではないか。親からはぐれたのか、それとも攫われたのかわからない。
ほっとしたことには、その表情には媚びがない。無垢な純粋さがまだ残っているのがわかる。
少女は、ちいさな手で、無言のまま、血のこびりついた趙雲の顔をぬぐっていく。

似たようなことがあったな、と趙雲は思い出していた。
いつぞやの模擬戦で、うっかり馬が足を取られ、落馬寸前にまで体勢がくずれた。なんとかこらえたものの、そこへ容赦なく、敵兵の攻撃が襲ってきた。
馬から落ちたほうが危ない、と判断した趙雲は、一撃目は敢えて受け、そうして体勢をととのえたうえで、すぐさま反撃をし、相手を蹴散らした。
一撃目は、首を狙おうとしたのだろう。しかしうまく避けたために、頬を殴りつけられただけで済んだ。
模擬戦とはいえ、相手はかなり本気であったらしく、唇は切れるし、顔の片側が大きく膨れ上がるしで、ひどいありさまになってしまった。
勲章といえば勲章ではある。結局、勝ったのだが。
おなじく負傷した武将たちは、妻女の手厚い看護を受けるわけであるが、独り身で、決まった相手もいない趙雲は、自分で手当てをするか、器用な兵卒に手伝いを頼むしかない。
ぜひにお手伝いを、と言ってくる娘もあったが、趙雲は、そういった申し出はすべて断っていた。
べつに背負っていたわけではなく、自分を好いてくれる娘たちがいることは知っていた。
同時に、そのなかのだれか一人でも贔屓にすれば、そのつもりではなくても噂が先行し、その娘が、ほかの娘たちから仲間外れにされ、あるいは変に噂になって、ほかのよい縁談にさしさわりが出たりすることも知っていたからだ。
つめたい、とよく恨み言を聞かされたが、そういうことでの反発を食らうのは、相手を傷つけ、深く関わってしまうことの重さを思えば、痛くも痒くもなかった。逆に、自分が妙な騒ぎを起こし、劉備の迷惑になることをおそれた。
兵舎の一角にある自室にて、自分で手当てをしようとしていると、声をかけてきた者がある。
孔明であった。
孔明は、趙雲の姿を見るなり、ひどい顔だ、といって笑って、それからなにも頼んでいないうちから、てきぱきと袖をまくって、手当てをはじめた。
なにも言わずに、清水でしぼった清潔な布巾で顔を冷し、そして、切り傷になっているところに軟膏を塗る。手際がよいな、と誉めると、これでもよく喧嘩ばかりしていたから、といって、また笑った。
その孔明の笑顔を見て、趙雲は、素直に美しいと思った。
着飾った女人を見て美しいと思うのとは、またちがう、たとえば、鮮やかな落日が、地平の向こうに熔けていくのを見るのと同じように、身近にあるものの中に意外な美しさを見つけたときに抱く情感に似ている。
それは、公の場で見せる、周囲を安堵させるための、道具としての笑顔ではなく、素のままの、まだどこか少年の純粋さが残っているような、なぜか懐かしさを思わせる笑みであった。
趙雲はそれまで、機会さえあれば、よろこんで他者に、孔明の主騎という立場をゆずるつもりであったが、その笑顔に触れたとたん、なにがあっても譲らないようにしようと、心を変えた。
なぜそんなに急に自分の心が、真逆に動いたのか、よくわからない。
ただわかっていることは、自分が、ほかのだれよりも、なぜかこの軍師には関心を持って見ていられる、ということであった。
人に対するとき、どこかで相手の姿や心の動きに、自分を重ねて見てしまう。そうして、自分の悪いところをあぶりだそうと、懸命になってしまうのだが、孔明を見ている分には、まったく別の存在として、その挙動一つ一つを、新鮮なものとして見ていることができた。
ちいさなことでも、まるで違う反応を見せる者に対し、同じように喜び、同じように怒り、あるいは悲しむことができた。
同じ心を持つ者と語り合うことのできる喜びを、趙雲は初めて知ったのである。
おのれを満足させてくれる目の前の者が、おのれの庇護を必要としている者で、そして、天下に名を轟かすだけの資格を持っているという、この陶酔感。
孔明の名が、新野の者たちに馴染みあるものとして定着し、やがてその輪がどんどん広がっていくのを感じるにつれ、趙雲もまた、おのれという者の形が、はっきりつかめてきたような感覚をおぼえていた。

「名前は?」
尋ねると、少女はぴくりと手を震わせたが、目線を合わせることもなく、ふたたび顔をぬぐう作業をつづけた。
趙雲は、根気強く、少女にむけて、恐れさせないよう、なるべく優しく聞こえるように気をつけながら、尋ねた。
「壷中にきてから、どれくらいになる」
少女は、今度は趙雲の顔から布を離すと、困ったように、ほかの少年たちのほうを振り向いた。子供たちは四人いて、うち、少女がもっとも年少のようだ。
「答えることは出来ませぬ」
と、少年のひとりが答えるが、それは懸命に、外界からの声を突き放そうとしている者のそれであった。
彼らはどう見ても、まだ無垢である。つまり、これほどいとけない子供たちを動員しなければ手が回らないほど、壷中は人が少なくなっているのだ。だから、樊城を捨て、義陽に集結しようとしているのだろう。
樊城の壷中の子らは、すでに壷中という物のおそろしさ、おぞましさを、身を持って経験し、目の当たりにしていたから、壷中を裏切ることに抵抗がなかった。
しかし、彼らはまだなにも知らないがゆえに、周囲の動きにうろたえるばかりで、強い命令を与えてくるものに従うしかないのだろう。
板張りからうっすらと陽光が差し込む船倉のなかに浮かぶ、よっつの子供たちの顔には、どれもはっきりとおびえと不安が宿っていた。
もしかしたら、自分でもそうと気付かなかっただけで、俺もこんな顔をしていたのかもしれないな、と趙雲は思った。
「なぜ出来ない。そう言われたからか」
子供たちは、なんと答えたものか、というふうに顔を見合わせる。
かつてのおのれと似ていたかもしれない、と思った時点で、趙雲には、いままで抱いたことのない、優しい甘い気持ちを子供達に持った。それほど、彼らは寄る辺なく戸惑っているように見えた。

そうだ、不安だったのだ。あのときの俺もそうだった。
袁紹のもとへ、義勇軍として参加したはよいものの、そこにあったのは正義でもなんでもなく、規律を振りかざして、新米をいびり、日々の恐怖を紛らわせようとする、唾棄すべき男たちの巣であった。
不安だと知覚してしまったら、そこで押しつぶされてしまうと、少年ながら自覚していた。
だから、不安を閉じ込めて、なにも感じていないのだと自分に言い聞かせていた。故郷はもはや、帰れる場所ではなかったからだ。
そんななか、手を差し伸べてきた男が播天流だった。
このうえなく強く、明るく、正しく見えた。厚く垂れ込めた雲の下に見つけた太陽のようにさえ思えた。この男に連れられて、真の英雄だという公孫瓚のところへいける自分は、なんて幸運なのだろうと喜んだ。
この子供たちも、どういう経路を辿ったかは知らないが、やはり同じように、播天流のような男にしか頼れない境遇であることにはちがいない。
目の前に、同じあやまちを…いや、もっとひどい運命に堕ちていく子供がいる。

「播天流は、おまえたちには優しいか」
意外な問いに、ますます困惑し、子供たちは、そわそわと、互いの袖を引いて、なんて答えたらよいのだろうと相談をはじめた。

それでいい。自分の頭で考えるのだ。
播天流は、趙雲や仲間たちを公孫瓚のもとへ連れてくるなり、すぐさま立て続けに調練をはじめた。
袁紹のもとで行われた陰惨なものとはちがったから、さほど苦ではなかったが、いま思えば、播天流の厳しさは、優秀な軍をつくるという目的以外に、なにも考えさせまいという、暗い意図があった。
おのれの我を強く持たない兵士を作ることが、播天流の目的だった。
我のない兵は使えるが、我のない将は使えない。
よい軍師、よい君主が頭にいないかぎり、臨機応変に戦うことができないからだ。
将の数のすくなかった公孫瓚のなかで、将を作ろうとせず、むしろ逆の方法をとっていた播天流は、やはり全体の世の流れが見えていなかったのだろう。

「おまえたちは、壷中で、どんなことをしている?」
これなら答えられる、と判断したのだろう。仲間たちと相談していた一人が、趙雲のほうを向いて、答えた。
「剣術を習っております」
「そうか。楽しいか」
「厳しいので、あまり好きではありません」
「なんのために剣を習う」
「荊州を守るため、天下を安寧に導くためのお手伝いをするためです」
拙いながらも、むずかしい言葉を懸命に述べる姿に、趙雲は笑みをこぼした。
「そうか。だが、おまえは、本当は、なぜ剣を習うのだ?」
それは、と子供は一瞬口ごもる。
質問が難しすぎたかな、と思い、問い直そうとすると、やがて、真剣な面持ちで、子供は答えた。
「故郷のみなを守るためです」
「おい、家族のことは、喋ったらだめなのだぞ。壷中の者だけが、われらの家族なのだ」
と、子供の返答を、するどく別の少年がたしなめる。
すると子供は、しまった、というふうに顔をしかめるのであるが、どこか理解を求めるような、つい同情したくなるような眼差しで、趙雲を見るのであった。
おそらく、程子聞の手紙にもあったように、壷中の村でうっかり故郷のことに触れると、年長者に折檻をされるのだろう。
不安そうな子供に、安心させるように笑みを見せて、趙雲は、だめだとたしなめた少年のほうを見て、尋ねた。
「なぜ駄目なのだ? 故郷を大切にすることは、よいことだ。おまえたちは、郷里をなつかしく思うことはないのか? なぜ駄目だと言われる」
「故郷を思い出すような者は、臆病者だからでございます」
「なぜ。俺は故郷をたまに思い出すが、やはり懐かしいと思う。だが、自分が臆病者だとは思わない。俺は一人で樊城の、大勢いるおまえたちの仲間と戦ったが、臆病者に、そんな真似が出来ると思うか?」
子供たちは、またまた顔をしかめて、互いに顔を見合わせた。
そうして、最初に問いに答えた少年は、理解を得られたのがうれしいのか、顔を明るくして、すこしだけ趙雲のそばに寄ってきた。
「強くなるのは、自分を守るためでよい。大仰な大義名分などなしに、自分を守り、そして余裕があったら、他者を守れ。俺は新野の兵卒たちにそう教えている。戦って生き残り、そして家族のもとに帰ってくることが出来る者が、いちばん立派な兵士なのだ。己の強さを誇るために蛮勇をくりかえしたり、何も考えずに言われるがまま、命令のためだといって自ら命を捧げたりするような兵卒になってはならぬし、そのような命令を容易く下す者についていってはならない。俺の言うことはわかるだろうか?」
子供たちは、困惑した顔をくずさないが、それでも懸命に、趙雲の言葉を追っているようである。
「人を生かすための技術と、なにより高い志を持ち、理念に違わぬ実行力をもつ者についていくがいい。そう頭を捻らずとも、そういった者は、まるで太陽のようにはっきりと、そこにいるとわかる。その者は、おまえたちを本当に救い出してくれる者だ」
子供たちは、期待をこめて視線を送ってくるが、やんわりとそれを笑みで否定し、趙雲はつづけた。
「その者は諸葛孔明という。おまえたちも、あの播天流から、名前くらいは聞いたことがあるだろう。諸葛孔明は壷中のことをよく知っているし、なにより強運と真の知恵に恵まれている。おまえたちが親を恋しがれば、ちゃんと故郷へ帰してくれるし、ひもじい思いをしたなら、食事を与えてくれるし、やりたくない人の道に外れたようなことをさせることも、決してない」
「どうしてその諸葛孔明という方は、我らを助けて下さるのですか?」
いちばん年長の少年が、まっすぐと趙雲を見て、問いかけてくる。
その眼差しは懐疑的で、真剣に趙雲の言葉に聞き入っている、ほかの三人より大人びた印象がある。
「おまえたちが、壷中に攫われた子供たちだからだ」
「攫われたのではありませぬ。俺は、自分で播天流さまに付いて行きました」
「播天流は、おまえに何と言った。荊州を守る手伝いをしろ、と? 荊州、つまりおまえたちの故郷を守るためという意味ではないか。それなのに、なぜ故郷を思い出してはならぬと言う?」
「それは、故郷を恋しがって、心が弱くなるからです」
「いいや。故郷を守ろうと懸命になるのが普通だ。壷中、そして播天流は、おまえたちから故郷を奪おうとしているのだ。樊城を守っていたおまえたちの先輩のうち、何名かは諸葛孔明を頼って壷中を裏切った。それに、荊州は、じきに南下してくる曹操によって制圧されるのはまちがいない。百万ともいわれる曹操の軍を、おまえたちだけで守れるとでも?」
「百万?」
想像すら拒む、大きな数字に、少年は絶句した。
残酷なことをしているのだろうな、と思いつつも、ここで真実を教えてやらなければ、彼らの行く末は暗いものとなると、趙雲は言葉をつづけた。
「そうだ。おまえたちが思うより、世は途方もなく大きい。そして激しく動いている。播天流は、それを知り、荊州を捨て、どこか別天地へ移動しようとしているのだ。おまえたちは、故郷から遠く離れたところに連れて行かれてしまうのだぞ」
「そんなことはありません」
「なぜわかる。義陽に集って、そこで曹操軍と対峙するつもりだとでもいうのか。おまえたちは騙されているのだ。あの男は、おのれの狂った理想を果たすためならば、平気で人を殺める男だ。おまえたちも、いままで犠牲になってきた子供と同じ運命を辿るのだぞ」
「貴方様が、嘘をついているのかもしれない」
「たしかに、鎖でつながれた状態の俺の言葉は、なかなか信じがたいものがあるかもしれぬな。だが、俺は、おそらくこの船のだれより、播天流という男を知っている。俺の話をしてやろう。義陽まで、まだ道は遠いのだ」
そうして、趙雲は、四人の子供たちに、なるべく平易な言葉をえらびながら、自分がなぜ義勇軍に入って故郷を離れたか、袁紹軍に参加したあと、どんな目に遭ったか、播天流に会って公孫瓚に仕えるようになったこと、やがて心が離れていき、播天流とどのような形で道が分かれたのかということを、嘘偽りなく、すべてを語った。
それは、心のうちのすべてをほぐして分析し、あきらかにする作業でもあった。

次回、『太陽』 10につづきますm(__)m
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