孤月的陣
第五章 タイヨウ  太陽

やはり初夏であった。
春や秋のように、あいまいな季節は好きではない。
どんどんときつくなる陽射しを避けるため、木立の影から影へ、飛び移るようにして走りこむ。
かえって熱くなるわけだが、あらたな木立へ入り込んだときに感じる、一瞬の涼しい風が心地よいのだ。
こうしたひとり遊びは、まだ少年だった頃、村にいたときに身につけた、おのれの境遇をいくらかでも慰めるために、開発したものである。
ただし、あたりに人がいないときに限る。
いつもはおっとりした、どこか鈍い青年を演じている彼が、案外、機敏なのだということを知られてしまうからだ。
何本目かの木陰にたどりついたとき、まるで歓迎するかのように吹き抜けた、そのさわやかな風に、彼はおもわず歓声をあげた。
汗が流れ落ちる不快感も、風が行きすぎるまでは、忘れさせてくれる。

さあ、あとどれくらいで、目的地に着くだろうか。

そうして、ゆるやかな坂になっている道を見下ろすと、目的の、司馬徳操の私塾の屋根が見えた。
ほんとうのところ、司馬徳操の塾へ行くのは気乗りしない。
水鏡先生と号を持つだけあり、司馬徳操というのは、気の置けない人物だ。
まさかとは思うが、自分の過去すら知っているような、そんな錯覚を抱かせる、不思議な人物である。
潔癖に過ぎず、かといって怠惰に流れることなく、中庸に、中庸にと日々を生きる姿勢は、尊敬に値する。
どちらかに極端に流れないからこそ、その視線は純粋にするどいのかもしれない。
司馬徳操の塾へ通うのは、このあたりの、学問を志す青年のあいだでは、当然のことであったから、かえって行かないとなると、目立ってしまう。
だから仕方なく、彼は私塾へと通う。
もしも、もう行かなくてよい、家業だけ手伝えばよい、と言われたなら、喜んでそうしただろう。
だいたい、あそこへ行ったところで、顔見知りと、簡単な世間話をして、それから天下について、当たり障りのないところを論ずるだけなのだ。
荊州とその近辺しか知らず、ほんものの修羅を目の当たりにしたことのない、そして身分や名に恵まれ、飢える心配のない連中の語る天下など、耳を傾けるだけの価値はまるでない、とさえ彼は思っていた。
それなのに、感心した素振りをみせて、ときに的確な…的確すぎても目立つので、そのあたりの匙加減は微妙なのだが…批判を加えなければならない。苦痛である。

回れ右をして帰りたくなる気持ちをおさえ、彼はつぎの木立をさがす。
ふたたび風がつよく吹いて、彼のいる木を大きく揺らした。

おや。

彼は耳をすませた。
だれか、人の声がしたような。

ふたたび、耳をすます。
たしかに、だれかのうめき声が聞こえた。

「そこに誰かいるのなら、驚かせてすまない。だが、放っておいてくれ」

妙な言葉が風の行過ぎたあとにひびいた。
澄んだ、よくとおる声である。少年のものだ。
彼が周囲を見回すと、青草の上に、ほっそりとした体型に、いささか大きめの衣をまとった少年が伸びていた。
よく見ると、喧嘩をしたあとらしく、ところどころ衣は裂け、目を閉じた顔も、腫れあがり、あるいは泥と血で汚れている。
面倒ならば、係わり合いになりたくないな、とは思ったが、顔をコテンパンに殴られてもなお目立つ、少年の顔立ちの美しさに、彼は惹かれた。
そうして、十代のはじめから、後半に至るまでの間の成長しきっていない少年の体は、少女のそれとちがって、格別なものがある、などと薀蓄を垂れていた男の言葉を不意に思い出し、彼は眉をつよくしかめる。
遠く村からはなれても、そこで経験したこと、耳にしたこと、目にしたもの、すべてを忘れることは一日たりとてない。きっと、一生、こうなのだ。
すでに変色をみせている痣が気の毒なほど、白い肌に点在している。
透き通るような肌、という形容がぴったりだ。
労働を知らない階級のものだろう。それは、水仕事や野良作業でまるで痛めつけられていない、ほっそりとした指からもわかる。
閉じた目を縁どる睫毛は長く、眉から鼻梁、唇にいたる線が完璧なまでに均整がとれている。
しばらくながめていても、飽きないくらいだ。
見たことのない顔だな、と思うと同時に、塾の門弟たちが噂していた、生意気な新入りの話を思い出す。
徐州から避難してきたという琅邪の一族があり、そこの若き家長は、まだ十六歳で、いったい、なにを根拠にしているのか、と首をひねりたくなるくらい、威張った嫌なやつだという。
そのため、毎日、喧嘩に来ているようなものだとか。
噂は本当なのだな、とあきれつつ、殴り倒された体の痛みに耐えるでもなく、ただすやすやと昼寝を楽しんでいるようなその姿を、彼は見下ろした。

名前は、たしか、諸葛孔明。

こいつの叔父は…そうだ。壷中に殺された男だ。
とたん、はげしい嫌悪感がこみ上げてきて、彼は立ち上がると、ふたたび道を下ろうとした。もう、ひとり遊びのつづきをする気は失せていた。ふつうに道を下る。
と、少年が目をつむったまま、声をかけてきた。
「もし水鏡先生のところへいくのなら、孔明は午睡のためサボっているのではなく、やむを得ない諸事情により、起き上がることができない、と伝えてくれないか」

思わず足を止めて振り返る。

「なんだって?」
「孔明はサボらない。だが、今日はさすがにダメだ。目を開けられないからな」
どうやら眠っているのではなく、単に目が腫れあがってしまっているために、周囲がなにも見えず、動けないでいるらしい
。ひっくり返った亀を思い出し、思わず彼は苦笑する。
そうして、道を引き返し、ふたたび孔明少年のもとへ戻ってきた。
十六というのなら、三つ年下、というわけか。
「水はいるかい?」
水筒に半分ほど、汲んできた水がある。
少年は、是非、と端的に返事をかえしてきた。
そうして頭を抱き起こして、切れた唇に触らないように、水を飲ませてやると、咽喉仏や髯の目立たない顎から首がうごき、それから、苦労してうっすらと目を開く。
なんでもない仕草が、妙に色っぽいヤツだな、と思いつつ、彼は尋ねた。
「家の者を呼んでやろうか。このままこうしていると、日が暮れて風邪を引くぞ」
「どこの誰だかわからぬが、ありがとう。しかし、水鏡先生のところへ行かなくてよいのかね」
「べつに…いいさ」
かえって、自分がサボれるよい口実ができた、というものだ。
「立ち上がれるか?」
彼の問いに、孔明は膝をつかって上半身を起こしたが、腰を浮かせる段になり、痛みに顔をしかめた。
「折れたかもしれない」
「そうか、腕のほうは無事なようだな。下まで負ぶってやるから、腕を貸せ」
ありがとう、といって、彼は素直に腕を伸ばしてきた。

十六という年齢に見合わず、徐州の出だけあって、孔明は上背がある。
しかし、肉付きが薄いためか、負ぶった孔明は、意外に軽かった。
あちこちの木々から、わんわんと聞こえてくる蝉の声を聞きながら、彼は道を降りていく。
背中の孔明が、言った。
「君は…崔州平、だよな? 知らなかったが、いいヤツなのだな」
手を貸してやるからだろうか。埒もない。親切心でそうしているのではない。
無視することで、かえって揉め事になることが嫌だからだ。
単純なヤツ、と内心で嘲ってみる。しかし心はまるで晴れなかった。
「なぜそう思うんだ?」
「喧嘩の理由を聞かないからだ。ああ、また姉上に怒鳴られるな」

しばらく行くと、私塾の手前で、たすき掛けをして袖をまとめ、腕には箒、という格好の、徐元直が立っていた。
掃除をしながら、ついでに待っていた、というふうである。
黒い禁欲的な衣をつねに身にまとい、いかにも隠者、といったふうの男だ。
かつては任侠の道をまっしぐらに歩いていたというその双眸が、むかしは凶悪な力を放っていただろうことは、想像に難くない。
私塾の門弟たちとは、あきらかに体つきがちがう。鍛えられた男のそれだ。
いままで親しく話したことはない。
これまた、徐元直という男自体が目立つ男で、親しくすれば、自分が目立ってしまうからだ。
「裏を回っていけ。こっちには、今日こそ、そいつをバラバラにしてやるのだと息巻いている連中が待ち伏せをしているからな」
「いったい、何をしたのだ」
思わず背中の少年に尋ねる。もはや青年同士の不器用な感情の行き違い、などというものではない。憎み合っている、というふうだ。
「こいつを毎日殴るのを楽しみにしている連中がいるのだ。こいつも気が強いから、律儀にいちいち喧嘩を買っていた。しかし、連中も相手がつっかかってくるので、いい気になってきてな、最近は、あまりに容赦がない。
複数で、たった一人に、こうもしつこく嫌がらせを繰り返すことができる根性は理解できぬ。そうは思わぬか」
いやな質問だ。
「そうだな」
「傍で見ていても愉快なものではない。そこで、俺はそいつに智恵を使え、といった。そいつ、生意気だが妙に素直なんだ。たしかに智恵を使った。なにをしたと思う?」
「さあ?」
「連中には、みな借金があった。こいつ、結構な財産家でな。連中の債権を、金貸しから全部買い取ったのだ。
で、もしこれ以上、自分を痛めつけることをやめないのであれば、借金の期日を縮める、と宣告した」
「なるほど、で、自分の命も縮めている、というわけか」
そのとおり、と徐元直は深く肯いた。
「おい、聞こえているのだろう、少年。たしかに人を支配するためには、個々人を凌駕する力を身に付ければよい。
だが、行過ぎると、それは大きな憎悪を招くのだ。おまえは方法をまちがえた。
もう二度と、金で人を征服しよう、などと考えるな」
「少年じゃない、孔明だ」
背中の孔明は、悔しそうにつぶやいた。徐元直にしかられるまでもなく、自分のしたことが、愚かだったと反省しているのだろう。
もっとも、事情を聞けば、そこまで追いつめられていた、と同情できなくもない。
「おまえの姉さんには、俺が使いを出しておいた。回り道をして帰れ。捕まるなよ」
孔明は、背中で身じろぎをしつつ、うめくようにして、徐元直に尋ねる。
「君はどうするのだ。わたしを逃がしたと知られたら、面倒だぞ」
「面倒だな。だが、なんとかなるさ」
その答えには、徐元直の余裕がたっぷり含まれていた。
おそらく、修羅場を何度もくぐりぬけてきた彼にとって、私塾とその周辺の狭い社会で、威張り散らしているだけの若造など、おそろしくともなんともないにちがいない。

「一人で大丈夫か」
思わず、口からこんな言葉が出ていた。
まるで助太刀ができるような口ぶりだ。
まずったな、と思ったが、後悔の念は少なかった。
すると、徐元直は、快活に笑った。
「いいヤツだな、おまえさんは。俺なら大丈夫だ、それより、そいつをちゃんと家に帰してやってくれ。そいつ、水鏡先生から言わせると、龍なのだそうだよ」
「龍?」
「伏した龍だと。龍など、どんな生き物かはわからぬが、こいつに似ているらしい」
龍なんて見たこともない。それは同じであった。思わず、背中の少年を振り返る。
「頼んだぞ」
徐元直に言われ、彼は思わず、わかった、と肯いていた。
そうして、立ち去り際、徐元直がたずねてきた。
「そうだ、俺は物覚えがわるいので、おまえの名前をまちがって覚えているかもしれぬ。たしか、崔州平でよかったよな?」
「ああ、そうだ。そうだよ」
つづけて別な人間にいいヤツだ、と言われ、そして名前を覚えてもらった。
ささいなことであるが、それだけで、胸が温かくなる。
人は、他者から認められ、肯定されて、はじめて生きる喜びを知るものなのだ。
「また会おう」
そういって、徐元直が言った。
それが、崔州平にとっての、再生の第一日目となった。


                             ※            ※

蟻の巣穴、と呼ばれる樊城の地下に張り巡らされた道は、敵の襲撃に備えて、道がこまかく分岐している。
しかも、天井が低く、幅も狭いため、戦うのも容易ではない。
壷中の子供たちには、ちょうどよい高さである。
樊城へ呼び出されるたびに、下される命令、というのは、いつも下劣なものであったから、この道を通る、ということは、同時に命を削ることも意味したけれど、いまは、ちがう。
この道をくぐって、外に出て、自由になるのだ。

「早く、早く!」
足がもつれがちになる子供たちを励ましつつ、年長者は年少の子の手を引き、彼らの長たる白の者は、輩に助けられながら、子供たちの殿をつとめ、背後から追いかけてくるものがないか、その気配をさぐる。

白の者が知る限り、樊城にいた壷中は、総数三百人。
うち、播天流の直属としてうごいていたのが三十名ほどで、残りは風狗や花安英に従って動いていた。
いま、白の者と行動を共にしている子供たちは五十名ほど。残りは、城に留まって戦っているか、あるいは風狗や播天流の部下たちに殺されてしまったかだ。
目が見えないぶん、白の者は、気配に敏感だ。些細な風のうごき、わずかな気配、物音、すべてが健常者よりも早く、そしてはっきりと感知することができる。
背後からは、いまのところ、なにも感じることはない。
粘度の濃い、淫蕩な闇が背後に蠢いている。
ひとたび与えられた希望に、具体的な現実を見い出せたあとでは、いまさら闇に戻る気は起こらなかった。
またあそこでひどい目に遭わされるくらいならば、いっそ死んでしまったほうがいい。

壷中の子供たちにとって、なれたはずの地下道が、今日はひどく長いものに感じられる。
そうして、明るい未来を約束してくれた人たちは、無事にあそこから帰ってこられるだろうか、と不安をおぼえる。
たった二人で、樊城にいる人間すべてを敵に回そうとしている。
彼らがいなくなってしまったら、ふたたび自分たちは闇に放り出されてしまうだろう。

ともに戦ったほうが、よかったのではないか…

むき出しの土壁をなぞりつつ前にすすむと、不意に、前方の子供たちの足が止まった。
白の者は、己の体の毛穴が、大きく開くのをかんじた。空間に、恐怖とおどろきが充満する。

「主の危機に、城を捨てるつもりか、弟たちよ」
壷中の子供たちは成長すると、そのまま刺客になるが、特に見目良い者、劉表に気に入られた者は、去勢され、宦官となる。
世間的には、なにより屈辱的な行為であるが、壷中では価値観が逆転し、宦官となった者の方が、より腕が立ち、格が上なのである。
宦官服を脱ぎ捨て、鎖帷子を身につけた、軽装の青年ふたりが、子供たちの前に立ちふさがる。
一方の青年は、手に鎖鎌、もう一方の青年は、弓を持っている。
子供たちが怖じて、後退し、いちばん背後にいる白の者へ押し寄せてくる。
年長者が、年少の者たちをかばうようにして、みずから武器をとり、青年たちの前へ立った。
青年たちは、かつて自分がそうであったから、子供たちに実戦の経験がほとんどないことを知っている。
壷中では、十四を過ぎた子供でなければ、各地へ派遣されることはない。
十四以下の子供は素直すぎて、かえって懐柔される恐れがある。
だから、もし移動するとなれば、かならず壷中の二十を越した年長者が行動を共にする。
そうして互いを監視しあうわけであるが、そうして行動を共にする場合、より深い関係をむすぶことを、壷中は奨励する。
そうすれば、外地へ行っても、誘惑に負けることもすくなくなるし、年少者は年長者のために尽くすし、年長者は年少者によいところを見せようと、より奮闘するからだ。
そうして人間関係でもがんじがらめにして、脱け出せないようにするのが壷中のやり方であった。

「お通しください、あなた方にもわかっているはずだ。壷中はもう、滅びるのです!」
「新野の青書生に唆されたか。居候のムシロ売りの軍師に、おまえたちを救う力なぞない。いますぐ城へもどれ。なれば、許してやろう」
「あなた方のお許しはいりませぬ!」
決然とそう言い放つと、白の者は子供たちをかきわけ、心配そうに手を添える傍らの友から武器を受け取った。
率いてきた子供たちのなかで、実戦をいちばんよく知っているのは、彼であった。
仲間たちが、ほかならぬ仲間に殺められ、死んでいくのを目の当たりにして、怯えた子供たちを説得し、ここまで連れてきたのも彼だ。
だから、責任がある。
視界はほとんどない。
あるのは気配のみ。
足音、息遣い、それだけで、相手との距離を測らねばならない。
この身になってから、戦ったことなどなかった。
でも、なにもできないと嘆いて、ふたたび闇に蹲るより、ここで人を守るために死んだほうが、よほど気が晴れる、というものだ。
「愚かな」
青年のうちのひとりが言った。
その甲高い声に、白の者は同情をおぼえる。
自分と同じ者。
むりやり身体を変えられてしまった者。
そしてもっと酷いことに、それがひどいことだと気づけないでいる者。
ひどいことに、城外へ出ることができる道は、一本しかない。ここを突破せねば、だれひとり、地上を見ることはかなわぬ、ということだ。

じゃり、と鎖鎌の動く音がした。
闇を切りつける。加減がわからないために、ためらいが出てしまったが、それでも手ごたえはあった。
白の者は、自分の腕に自信があった。あったからこそ、単身で許都の奥深くにまで入り込み、そして捕らえられてしまった。
口を割らない彼は、残酷に痛めつけ、連日連夜、なぶられつづけた。
身体が毎日のように切り刻まれ、悲鳴をあげない時がなかった。
意外にも、そんな彼を救ったのは、ほかでもない曹操直属の暗士たちであったのだが。

自分の呼吸が邪魔だ。
白の者は息をととのえ、相手の気配を闇にさぐる。
ぎゅっと、弓を掴む手のひらの音が聞こえる。近い。
今度は手加減をせず、思うさま闇を切った。
鈍い手ごたえ。そして悲鳴が届く。
悪態が聞こえた。自分の背後。ふたたび、じゃり、と鎖鎌の音が聞こえる。
自分に対し、そんな武器を用意したのが間違いだったのだ。
白の者は、ためらわず、刃を音の方向へつきつけた。
重く固い衝撃が走り、手にした刃が衝撃に負けて、割れるのを感じた。
しまった。岩盤に叩きつけてしまったか。
そして、足元に、ふたたび、じゃり、と音がする。しまった。
「崔兄!」
子供たちが、白の者の足首にかけられた、鎖鎌の罠を見て、叫ぶ。
足を引くよりも早く、鎖鎌は蛇のように巻きつき、白の者の片足の自由を奪った。
がくり、と均整をくずし、白の者はつよく前へと引っ張られる。
「やめろ、この!」
ただの子供たちではない。成人した兵士たちすら耐えられないであろうという、苛烈な訓練を日々重ねてきた、立派な戦士である。
仲間の苦境を黙ってみているはずがなく、足元にある石をつぎつぎと、鎖鎌を持つ青年にぶつけていく。
それは仲間を護ろうとするための行為だけではなく、単純に、自分たちの行く手をふさぐものに対する怒りのためでもある。
「よせ、おまえたち!」
鎖鎌の男は、さらに力を込めると、引きずりこんで、おのれの腕の中にがっちりとおさえた、白の者の咽喉元に、刃をつきたてた。
「やめねば、この者はここで殺す!」
ぴたり、と子供たちの手が止まる。
白の者と、もっとも仲のよい少年が、尋ねた。
「我らが城に戻れば、彼は助けてくれるのか?」
「もちろんだ。約束しよう。全員、城へ戻れ。賊から劉州牧をお守りするのだ!」
子供たちは、うろたえつつも、白の者につきつけられた刃におびえつつ、一人、また一人、と踵を返して、城の方向へ戻っていく。
白の者は、顎を掴まれた姿勢で身動きがとれないでいたが、それでもまだ、もがき続けていた。
だが、その耳朶に、無情な声がひびく。
「おまえは、ここで死ね、裏切り者!」

「子供との約束くらい守れ」

とぼけた声がして、ふっと身体を拘束していた力が弛む。
と同時に、血の生臭い匂いが、白の者の鼻腔を塞いだ。
ゆらめく身体を、支えてくれる者がある。
力強い手。
許都で捕らわれ、もはや自害を夢見るようさえなっていたときに、救ってくれた、あのときの手だ。
「兄上?」
見えない向こう側にいる、なつかしい、血のかよった兄の名を呼ぶ。
すると、ふわりと、温かい感触が、肩を包みこんだ。
「無事であったか、心配したぞ。これから先には、もう賊はおらぬ。はやく地上へ行くがよい」
兄の崔州平の背後には、まだ複数の男たちの気配がある。
劉表を暗殺するべく放たれた、曹操の部隊にちがいない。彼らに聞こえないよう、兄に抱きしめられたまま、白の者はささやいた。
「諸葛孔明さまにお会いしました」
「左様か。で、どうした」
「花安英と風狗を止める、とおっしゃって、趙子龍さまとともに、樊城へ戻られました」
すると、崔州平はちいさく呻いた。
「逃げなかったのか。あいかわらず、腹が立つほど律儀なヤツだ」
「兄上、曹公にとっては、孔明さまも敵のはず。如何為されるおつもりか」
「…おまえの案ずることではない。さあ、早くみなを連れて地上へゆくのだ。私の部下が、おまえたちを護ってくれよう」
でも、と白の者は言葉を継ごうとするが、崔州平はそれを許さなかった。
そうして素早く言う。
「おまえがどちらにつくか、それは私の決めることではない。
もしもヤツに付いていくのであれば、朝日が昇る前に、新野へ向かえ。曹公はすでに進軍のてはずを整えた」
天下が動く。
兄の言葉に、白の者はぞくりと戦慄した。
と、同時に、闇の向こうにある、温かい気配を悲しく見遣る。
もしかしたら、これが今生の別れになるのではないか。
「行け。わたしのことは、考えるな」
そう言うと、兄は、子供たちをかき分けるようにして、樊城へ向かって行った。

次回、『太陽』 2につづきますm(__)m


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