捜神三国志・燭龍本紀
第三十五話 第二階層の赤頭巾
寧寧が背中の衣をぎゅっとつかんできた。
背筋がすこし突っ張った、その感覚で、ゾトアオは我に返る。
それまで、靄のなかにいる何者かと、ずっと目線を戦わせていたのだ。
背丈は子どもほどしかない相手だが、ゾトアオは直感で、これは子どもではなかろうなと判断した。
絶えず漂う靄のせいで、はっきりとその双眸を見据えることはできなかったが、こちらを観察して沈黙する相手の、そのかもしだす雰囲気は重々しく、とても子どもとは思われない。
「だれだ、おまえは」
誰何すると、影がゆらりと動いた。
靄のせいか、動きがずいぶん緩慢に見える。
「そういうおまえは、その黒い外套や長剣からして、黒イだね」
しわがれた老婆の声が、靄の向こうから聞こえてきた。
声の調子だけから判断するかぎりは、相手に敵意は感じられない。
「どうも黒イとは縁がつづくようだね。おまえは、もしや、黒イの長の、ゾトアオではないかい」
老婆のことばに、ゾトアオは、はっとして、身を乗り出した。
「そうだ、俺がゾトアオだ。なぜ知っている」
「上でおまえを探しているという、黒イの姫と会ったからね」
祝融のことだ。
こちらを探している、ということは、無事なのだ。
ゾトアオは、からだの力が抜けるのを感じていた。
祝融は雌鹿のように俊敏でしなやかな女だ。あのいまいましい漢族と羌族の男からも、簡単に逃げ出せたのだろう。
よかった、ほんとうによかった。
「そうか、無事なのか、地上に戻れたのだな。ほんとうに、よかった。教えてくれ、元気そうであったか」
「腹の減った子犬のようにきゃんきゃん喚いていたから、元気といっていいのじゃないかね。
やれやれ、あの姫には、協力しないと言ったのだが、こうも縁がつづくということは、これも古城の意志か」
老婆は、意味のわからぬことを、ぶつぶつとつぶやく。
靄が徐々に晴れてきて、老婆の姿を間近で見られるようになったのだが、奇妙なことに、体はゾトアオの腰ほどまでの背丈しかなく、からだの天辺からつま先まで、ぐるぐると、色とりどりの古布で巻いて隠していた。
巻かれた古布には、まるで規則性というものがなく、色も質もばらばらで、人に見られることを意識していないことがわかる。
この老婆は正気なのだろうかと、見る者を不安にさせるような出で立ちであった。
「第五階層までやってきて、そのうえ、あたしと会うとは、黒イの若長は、相当に運にも恵まれているようだね。
女を連れて宝探し、というわけではなさそうだが」
「ちがう。俺たちは古城で迷っているうちに、ここにたどり着いたのだ。俺の素性を知っているあんたは何者だ。漢族ではなさそうだが」
「漢族ではない。羌族の、そうさね、縁者のようなもの、と言っておこうか」
やはり意味のわからぬ曖昧なことばに、ゾトアオは首をひねる。
たしかに、敵の敵は味方、というわけで、漢族と諍いをつづけている羌族に対して、イ族のゾトアオには、敵という認識はない。
故郷では、羌族とは、交易も盛んに行っている。
馬超が蜂起したときは、イ族は表立って動きはしなかったが、資金や物資を援助したこともあるのだ。
それはともかく、目の前の、奇妙な出で立ちの老婆に、ゾトアオはたずねた。
「あんたのいまのことばから察するに、どうやら俺を助けてくれるようだが、あんたはいったい、こんな地下でなにをしているのだ?
羌族も宝探しに噛んでいるのか」
「宝探し、というよりも、宝を守っているのだよ、あたしたちは」
「守る? ということは、もしや、宝の在り処を知っているのか?」
「知ってどうする、黒イの長。宝は、おまえたち常人にあつかえるような代物じゃない」
ゾトアオが九門古城へやって来たのは、そもそも祝融の誘いがあったからだ。
ゾトアオは、宝などという存在の不確かなもののために危険をおかすよりは、確実に目の前にいる敵を、一人でも多く倒したほうが、自分たちの未来のためになると考えている。
もし宝が、すこしの苦労で手に入るものならば、努力する価値もあるだろうが、それこそ人生をかけなくちゃいけないほどの苦労なら、なにもしないほうがいい、と思う。
そんな危険な賭けには出られない。
自分たちを待っている者たちが、故郷にはまだたくさんいるのだ。
「ぜひに欲しいというものではないが、俺が天下人の器ではないから、宝をあつかうのは無理だと言うのなら、癪な話だな」
「いいや、あれは人間には手に負えないものだよ。教えてやろう。この古城の第九階層に眠る宝は、武器だ」
「武器?」
やはり図讖ではなかったのかと、ゾトアオと寧寧は、無言のまま顔を見合わせた。
そも、伝説と反して第四階層に『宝』だという図讖があることがおかしかったのだが、そのあたりのことは、張大人の口車にうまくのせられて、ごまかされていた感がある。
「武器というと、どんなものだ。剣か、矛か、それとも槍か」
急きこんで言うゾトアオに、老婆は首を横に振る。
「一度は使われたが、二度目は、もうあってはいけない。
黒イの長、おまえのなかに、あたしと連なる血が流れているから、ここまで教えたのだ。
あたしはおまえが望むなら、地上に連れて行ってやらんでもないけれど、助けるのは一度だけだ。
なるべくなら宝のことは忘れて、南へ帰れと言いたいのだけれどね、いままでいろんなやつが来て、この城に潜って行ったが、どいつもこいつもまともに言うことを聞かない。だから、あたしも言い飽きてしまったよ」
「なんだかわからないけれど、宝は、羌族が隠したものなの? お婆さんは、その宝を守っている番人というわけ?」
ゾトアオの背中に隠れながらも、寧寧が好奇心をつよくのぞかせてたずねると、老婆は顔をあげて、はじめて寧寧に気づいた、というふうに、じっとその顔を見つめた。
答えがないため、寧寧は気まずそうに言う。
「名乗るのが遅くなって、悪かったわよ。あたしは寧寧。僚人の女よ」
「栄耀飯店の張大人が連れてきたという巫女か」
「巫女じゃないわよ」
口をとがらせて寧寧がいうと、老婆はそうだろう、というふうにうなずいた。
「手違いがあったようだね。でも、おまえが偽者だということは、あたしはわかっていたよ。おまえがやってきたときも、古城はなにも言わなかったもの」
「言う? 婆さん、そいつはまるで、古城が生きているみたいじゃないか」
ゾトアオがいうと、老婆は、すこしだけ肩を揺らして、答えた。
「生きているのだよ。あんたたちには、古城は、巨大な地下要塞にしか見えていないかもしれない。
ここはね、もともと大勢の人間が暮らすための街だった。けれど、時間が経って放棄され、いまは巨大な棺となっている。生きながら葬られた者たちのためのね」
老婆のことばに刺激されて、ゾトアオは、ついさきほどまで目の前を移動していた、何者かわからない影の群れを思い出していた。
そして想像する。
この不気味な地下空間に、自分たちの想像が追いつかないような生活をしている人々が実際にいて、さきほど、靄のなかを移動していたのは、その住人なのではないか。
怪しげな胞子をまき散らす巨大植物は、なんとか食べられそうだし、水もたっぷりある。太陽の光がないのが寂しいが、生きていけないことはない。
「さっき見た、どこかへ歩いて行った連中が、婆さんのいう『生きながら葬られた』とかいうやつらか?」
あまりにいろいろと奇妙で不気味なものを立てつづけに見ていたために、感覚が麻痺していたことに、ゾトアオは気がついた。
目の前にいる老婆は、たしかに敵意がないようであるが、冷静に考えれば、これほど怪しい存在もない。
古城について詳しく知っているような素振りといい、靄の中の行列といい、この古城は、おぞましい闇を、まだまだ抱えているのではないだろうか。
「あいつらは、なんなのだ? 婆さんの身内か?」
老婆は古城のことについては、聞いてもいないことまで、じつによくしゃべった。
だが、靄の中を移動していった影の群れについては、まったく触れようとしていない。
こちらがかれらを見ていたことには、気づいているはずである。
それでもなお、なかったこととして振る舞おうというのは、なにかそこに秘密があるからではないのか。
婆さんの出方によっちゃ、戦いになるかもな、とゾトアオが、いつでも剣を抜ける体勢をととのえていると、老婆はそれを見越したのか、古布の隙間から、ゾトアオをまっすぐ見つめて、答えた。
「身内だったもの、とでも言えばいいかね」
「人間か?」
「知ってどうする」
問われて、ゾトアオは答えに窮した。
たしかに、知ってどうすることもない。
かれらが何者かは気になるところだが、いま、ゾトアオたちに必要なのは、地上への出口を知ることなのである。
「たしかに、知っても、どうにもならんな」
「黒イの長、おまえが利巧だったらよいなと思っていたけれど、どうやら大丈夫なようだ。
おまえたちは地上に出たいのだろう。だったら、あたしが使っている階段を教えてやろう。
ただし、階段のことは、外に出ても、だれにも言わないと約束してくれるなら、だがね」
「あたしは、約束するわ。これでも約束は守るのよ!」
と、寧寧がゾトアオのまえに躍り出るようにして、老婆のまえに進み出た。
「地上に出たいのよ! 約束もするし、ほかに守らなくちゃいけないことがあるなら、なんだってするわ!
もう一度、太陽を見たい、月を見たい、星を見たいのよ! こんな石っころばっかりの陰気な場所なんて、もうたくさん!」
「まあ、こんなところに長くいたら、あんたみたいに思うのが、ふつうだろうね。黒イの長、あんたは」
うながされて、ゾトアオは、早くうんと言ってくれというふうに自分を見つめている寧寧と、そして答えを静かに待っている老婆を交互に見比べた。
祝融が地上で自分を探しているという。
ならば、早く無事であることを知らせるためにも、地上に出ることが先決だ。
地上に出て、それからどうするか、ということは、あとで祝融とじっくり話し合えばいい。
ゾトアオは、もう宝のことなど放っておいて、早いところ故郷へ帰りたいと思っていた。
この古城の謎の深さは、手に負えない。
あまり深くかかわりあいになると、正気を失ってしまうのではないかと思わせる、なにかひどく狂っている部分がある。
そしてそれは、古城のあちこちに潜んでいるような気配がある。
もうまっぴらだ。寧寧ではないが、早く地上に出て、太陽の光を浴びて、身にまといついた闇を払いたい。
「わかった、約束する」
「よろしい。それじゃあ、案内しよう。付いておいで」
そう言って、老婆はくるりとゾトアオと寧寧に背中をむけて、とことこと歩きはじめた。
靄につつまれた中で移動するのも慣れているらしく、意外に足取りは早い。
「婆さん、余計なお世話かもしれないが、さっきの連中を俺たちがみたことを、口止めしなくていいのかい」
「なんのために」
「なんのためにって、あんた、あいつらのことはあまり教えたくないみたいじゃないか。あとでいろいろ不都合があるんじゃないのかい」
「べつに構わないさ。もしあんたが言うとして、一体、どこのだれに言うつもりだい。あんたの話を聞いたやつが、あんたの話を信じると思うかい」
たしかにそうだ。
九門古城という存在自体が、まるでおとぎ話だ。
そのなかで見た、数々の奇妙な仕掛け、不気味な光景、壮麗ともいうべき建築物の数々を必死に説明したとしても、まともな人間は、信じたりしないだろう。
「これまで長いあいだ、九門古城のことが噂にもならなかったのは、ここにあるものがみんな、想像を超える突拍子もないものばかりだったからさ。
たまになにかの拍子に地上から、うっかり古城に入ってくるやつは、たまにいたのだ。それでも、見たことを信じる者はいなかった」
「なるほどな」
「ついでに教えてやるけれど、古城はいつでも空腹で、人間がくると喜んで丸呑みしてしまう。
地上に戻れるやつは運のいいやつで、帰れない者のほうが多いのだ」
「なぜ」
「寂しいからだろう。ずっと何百年と、ここに留まらなくちゃいけないのだから」
老婆の先導にしたがって歩いていくうちに、徐々に靄が晴れてきた。
次第にくっきりと輪郭をあらわにしてきた、ちいさな老婆の背中を追いながら、ゾトアオはたずねる。
「あんたは、さっきも古城を人間みたいに言ったな」
「ここは生きていると言っただろう。厄介なことに、いま、古城は完全に目を覚ましてしまっている。真の主が帰ってきたのがわかったからさ。
長いあいだ置き去りにされていた亡霊たちが、主恋しさに暴れているのだよ。
その闇に取り込まれたら最後、もう地上に戻ることはできない。
だから、あたしに会えたあんたたちは、運がいいと言ったのさ」
「真の主?」
「絶えていたはずの王族の末裔だ。互いに呼び合って、闇が、これまでにないくらい騒ぎ合っている。
これを鎮めるためには、どちらかを消してしまうしかない」
「真の主ってのは、何者なんだ」
「知ってどうする」
何度目かの老婆のことばに、ゾトアオは、今度は答えず、そのまま沈黙した。
知れば知るほどに、古城の奥深くに取り込まれてしまうような気がする。
地上に帰りたいのならば、知らないほうがいい。
ゾトアオはもうなにも問うことをせず、ひたすら老婆に従って、歩みをつづけた。
最初に気づいたのは、意外にも、物音に敏い休昭であった。
休昭は、おとなしい性質の、とくに目立った特徴のない少年であるが、たったひとつの取柄ともいうべきところがある。
それが、耳がよい、ということであった。
彭恙を先頭にして、ぞろぞろとつづく脱獄集団の、ちょうどその真ん中に休昭と文偉は並んでいたのであるが、休昭は、最初は、歩きながら、おや、というふうに首をひねり、つづいて、周囲をきょろきょろと見回し、最後には、足をとめて、最後列の、そのまた奥にある、自分たちが超えてきた闇を、じっと見つめた。
それに合わせて文偉も足をとめ、さらに、それに気づいた赤頭巾も、同じように足を止めた。
「どうしたんだい、休昭さん」
赤頭巾に問われると、休昭は、闇のほうにじっと目を凝らしながら、ふしぎそうに、なんども首をひねる。
「さきほどから、足音が増えているような気がしてならないのです。
足音が反響しているのとも、ちがうようなので、もしかして、だれか、わたしたちのほかにいるのではと思ったのですが」
「おいおい、こんなところにいる『他のやつ』ってことは、ほぼまちがいなく敵ってことじゃねぇかよ」
赤頭巾が言いながら、休昭の見つめる方角に、耳をすませる。が、耳のうえも赤頭巾で隠しているので、あまり聞こえない様子だ。
「うーん、なんとも言えねぇな」
「いい加減、その頭巾を取ったらいかがです」
文偉がいうと、赤頭巾は、ぶんぶん、と大きく首を振った。
「だめだめ。この頭巾は、儂の命綱のようなものだと思ってくれ。
そういう文偉さん、あんたには聞こえるのかい」
「言われてみれば、なにか聞こえるような気もしますが、ここは第二階層だ、ということでしたね」
文偉が念を押すと、盗賊たちをまとめていた殿(しんがり)の陳勝が、首を伸ばして答えた。
「そうだ、俺たちも、このあたりまでは潜ったことがある」
「古城には、栄耀飯店の張大人の門から、盗賊たちがたくさん下りてきている、ということでしたね。
第二階層に、そういう連中が降りてきているのかもしれない。で、その足音が、反響して聞こえてきているのだとしたら、どうだろう」
「なるほど、あり得るな。さすが、あんたは頭がいいや。
まあ、盗賊仲間だったら、張のやつとつるんでいる連中じゃなけりゃあ、たいがいは味方だ。安心してくれていいぜ。
さあ、坊ちゃん、足を止めてないで、先に進んでもらえるとありがたいんですがね」
陳勝に言われて、休昭は、自分のうしろにつづいている盗賊たちが、迷惑そうに見ていることに気づいて、あわてて歩き出した。
「ごめん、気が利かなかったね。文偉の言うとおりかもしれない」
休昭があやまると、陳勝は、小柄な身なりに似合わぬ、豪快な笑い声をたてて、言った。
「なあに、謝ることはありませんよ。こんなところにいるのじゃ、怯えなさるのも無理はない。息が詰まりそうなところですからね」
息が詰まる、とはいうものの、古城の第二階層は、なかなかに余裕のある空間がつづいていた。
成都の大路に屋根をつけたくらいの大きさの通路もあれば、両向かいに店のような空間がつづいている広間もある。
おどろくべきは、その空間の壁のそれぞれに、見事に掘り込まれた壁画の数々である。
それは、文偉がこれまで見たことのある、どんな壁画よりも、表現が巧みで、写実的なものであった。
壁画は、ほとんどが木や花などといった自然の風物と、そのなかで暮らす人々の様子を描いたものである。
空間の全体を眺めると、市場のように見えるが、実際にそうだったのではないかと想像をふくらませてくれるものばかりだ。
時間と余裕があれば、じっくりながめたいところであるが、逃亡中の身ゆえ、そうはいかない。
息が詰まる、と陳勝が言ったのは、においのことであった。
多くの盗賊たちが宝をもとめて入ってきたことを証明するように、真新しい蝋燭や、水筒などが、ところどころに、そのまま打ち捨てられていた。
捨てられた食糧が腐っていたり、あるいはどこからか強烈な異臭が漂ってきたりするのであるが、それの正体を考えることは、あえて文偉は止めていた。
「第二階層ということは、この上が第一階層、で、さらにその上が、地上ということだよね。早く地上に出られるといいね」
と、休昭は、あいかわらずソワソワとしながら、文偉に言う。
普段は落ち着いたやつなのだが、やはり怖いのだな、と思いながら、文偉はうなずいた。
「九門古城という名のとおり、九つの門があるとして、そのなかで一番、逃げるのにぴったりな場所に出られるといいな」
「そうか、わたしたちは、脱獄したのだものね。地上に出ても、まだ逃げなくちゃいけないわけだ」
文偉は、じつは、脱獄して、そのあとのことは考えていない。
まずは成都を逃げ出して、従弟のいる広漢に逃げるか、さもなくば縁故を頼って、荊州で隠居している劉璋のところへ行こうか、などと思っている。
劉璋の母親は、文偉の族姑である。
その関係で、劉璋が荊州に追い出されるさいにも分家がいくつか一緒に付いて行っている。
厄介ごとをかかえた本家の跡取りがひょっこり顔をだしたなら、冗談じゃないと追い返されるかもしれないが、劉璋は絵に描いたようなお人よしで、身内にはたいそう甘いから、もしかして同情して、うまく匿ってくれるかもしれない。
さすがの法正も、劉璋にまでは手を出せないだろう。
「まあ、なんとかするから、あとのことは心配するな。いつだって、なんとかなってきたのだから、これからだってそうだろう」
「文偉のそういういい加減なところ、ときどきうんざりするけれど、いまは尊敬するよ」
「おおいに尊敬してくれ。それにしても休昭、こんなすごい空間が、わたしたちがふつうに生活していた街の下にあったなんて、おどろきだな」
「そうだねぇ、このあたりは、地上だと、いったいどのあたりなのだろう。意外と、自分の家の真下かもしれないよ」
そう言って、薄暗い天井を見上げながら、父上はお元気だろうか、と休昭はぽつりとつぶやいてみせる。
そうか、幼宰さまも一緒に、となると、ただ逃げるだけというわけにはいかないな、などと文偉が考えていると、彭恙のうしろにぴったりくっついていた赤頭巾が、いつのまにか横に並んで、顔を寄せてきた。
「なにかありましたか」
「ああ。どうも大将の様子が変だ。独り言が増えた。だいぶ苛苛しているらしい」
「なぜです」
「奴さん、言っていただろう。この古城に潜るのは、宝のためではなくて、敵をひとりでも多く倒して、おのれの武勇を世間に知らしめるためだと」
ああ、そうだったな、と文偉は思い出しながら、自分たちのほかは、だれもいない空間を見回した。
こんなところで戦ったとしても、だれも見てはくれないし、誉めてもくれないだろう。
やはり、彭恙の考えていることが、さっぱり理解できない。
「あれは、思っていた以上に、獲物が見つからないので、苛苛しているのだ。こうなると、やっぱり儂たちがヤバイ」
「われわれを襲ってくる、ということですか。こちらは丸腰ですぞ」
「そんな道理の通用する相手じゃない。いいかい、坊ちゃん方、もし大将が暴れだしたら、儂がなんとかやつを引きつけるから、そのあいだに逃げるのだ」
「けれど、貴方はどうするのです。せめて、そうなった場合に、落ち合う場所を決めておく、というのは如何ですか」
「儂のことは心配しなくていい。あんたたちは、自分のことだけ考えて逃げろ。なあに、逃げることにかけちゃ、儂のほうが、はるかに玄人だからな。それに、あの大将についちゃあ、儂もいくらか責任があるのだ」
「どういう意味ですか」
首をひねる文偉であるが、そのとき、となりにいた休昭が、びくりと身をふるわせて、振りかえった。
「やはり、だれかいるよ。足音が聞こえる!」
休昭の鋭い声に、彭恙を先頭にした一行は、ぎくりと足を止めて、薄闇の空間で、それぞれ耳をすませた。
最初は、なにも聞こえなかった。
だが、しばらくして、たしかに、こちらに向かってくる足音が聞こえてきた。
ひたひたと、石の上を裸足で駆けてくる、何者かの足音である。
敵か、と身構えた盗賊たちであるが、篝火をかかげて闇を照らしだしたとき、追っ手の姿を見て、恐怖の悲鳴を古城に轟かせた。