捜神三国志・燭龍本紀

第三十話 董和、虎と語り合う

董和がひそんでいる廃屋には、これを守るために、長星橋の有志が、交代で見張りをつとめていた。
この見張り役をするのは一家の主、つまりは父親であるから、父親が不在の場合は、店の当番は、妻が、あるいは子供たちがおこなう。
長星橋の者たちは、一家総出で董和を助けているのである。

董和はそれを知っていたから、なんとしても、早く自分の怪我を治したいと思っていた。
鞭で受けた傷は、晴嬰やじいやの看護の甲斐があり、しだいに熱も取れ、じくじくと身を削るような痛みもうすれてきた。
おかげで、一人で起き上がるのも苦ではなくなったし、歩くこともできるようになった。
だが、走ることはもちろんのこと、身を屈ませたり、ひねったりといった、簡単な動作ができない。
すこしでも背中を曲げようとすると、鞭の傷がはげしく痛むのである。

これでは、とてもではないが、鎧を纏って、九門古城へ潜る、などということは不可能だ。
心ばかりがはやり、体がついてこない。

そして、なにより董和の心にかかっているのは、息子の休昭のことである。
宮城で職務中にとらわれたあと、休昭が牢に連れて行かれたことはわかっている。
しかし、そのあとにどうなったのか、まるで消息が知れないのだ。
あいにくと、長星橋のような下町においては、宮城に出入りをゆるされている商人はすくない。
商人をつてにして、奥向きに出入りしている者たちから、なんとか情報を得ようと董和は考えたのだが、なかなかうまくゆかなかった。
というのも、商人たちがいうに、ここ二日ほどの宮城の警備は異常にきびしくなっており、いつもは容易に出入りできる場所も、衛士たちが立つようになっていて、どこもかしこも、ものものしい空気につつまれているという。
『宮城で、なにかあった』
それはわかるのだが、具体的になにが、ということがわからない。

昔の同僚たちをつてにこれを探る、ということも検討したのだが、孔明を中心とした荊州兵の追っ手が、自分にかかっている状態では、巻き添えをくわせてしまうともかぎらない。
いや、逆に、信頼していた者から、こちらの隠れ家のことが漏れる可能性とてある。
罪に問われるのが董和だけというのならば、董和もすこしは危険も冒しただろうが、長星橋の者たちまで連座の罪に問われることを考えると、なかなか大胆に動くことができなかった。

ろくに動くこともままならない身体を持て余しながら、ひしひしと、自分の追い込まれている立場を自覚する。
成都中を支配する、裏と表、両方の権力が、いま、自分の敵なのだ。
そして、裏と表とが入り混じって、欲望をぶつけあっている場所。
それが九門古城なのである。
張大人は、九門古城は、『得れば必ず天下が取れる宝』が眠る場所だといい、孔明は、九門古城を『巨大な墓』だと言った。
どちらが正しいのかはわからない。
わかっているのは、この古城の存在ゆえに、みなが運命を狂わせている、ということだけだ。

董和の心に残っているのは、法正に捕らわれた夜に聞いた、孔明の奇妙な話であった。
泰山に祀られている、風と霧を司る、古い神。
戦に破れて、その五体は引き裂かれ、各地にばらまかれた。
神を殺した者たちは、それでもなお、その復活を恐れ、その名を変えて、泰山に祀ることにした。
その神に向けて、いまでも、王朝が変わるたびに、歴代の王は、挨拶に行かねばならない。それが禅譲の儀である。

孔明は、その神が、自分の祖神であると言った。
とかく人は、おのれの出自を富貴に満ちたものにしたがる傾向がある。
漢の高祖が龍の子だという伝説にしても、その典型だ。
孔明の話もそのたぐいで、すべて信用していいものなのかどうか、そこは疑わねばならない。
泰山の神などという、大きなものに自分を結びつけて、おのれを飾ろうとしているだけなのかもしれない。
だが、董和には気にかかることがあった。
孔明の言う祖神にそっくりな運命をたどった神は、子どもですら知っている神話のなかに登場する。
風と霧を司る神。
そして、董和が古城に潜った時に見た、あの蒼く美しい龍の姿が象嵌された剣に触れたとき、一瞬だけ垣間見えた奇妙な姿。
そして、赤頭巾が倒れていた塩の柱に囲まれた第二の門のそばにあった、六本の腕をもつ化け物の絵。
すべては一致する。偶然か。

しかし、その神話と古城を結びつけるには、無理がある。
舞台が遠いのだ。
ここが徐州だというのならわかる。
が、益州だ。
伝説の地は、はるか北東。ここではない。

孔明は九門古城の成り立ちについて、『街として作られたが、のちに墓となった』と意味ありげなことも言っていた。
伝説のあらすじを思い出せば、なるほどと納得できるが、まさか、伝説が事実で、そっくりそのままの秘められた歴史が、この成都に眠っているというのか。
まだまだ謎は多い。

孔明が消そうとしている九門古城。
孔明だけは、宝の真の正体を知っている。
孔明とて、天下を狙う人物に仕えているのだ。
宝がもし有用なものであれば、これを消そうなどとは考えまい。利用しようとするはずである。
それを独占するため、口封じをしようとしている様子でもない。

孔明の第一の目的は、ともかく、宝を得るのではなく、消すこと。
そこからいけば、孔明が消そうとしている宝というものは、有用なものではないのだ。
『だが、まったくのガラクタではなかろう。そうであれば、だれが得ようと構わない。放置しておくはず。
おそらく宝というものは、使えるものなのだが、使い方を間違えると危険なもの、ということなのではあるまいか。だからこそ、消そうとしている。
それほどに恐ろしいものだというのか。だが、天下万民のために宝を消そうとしているのならば、軍師将軍が、やはり正しいということにならないか』

考え込む董和に、背中の傷に塗り薬をほどこしにやってきた晴嬰が、気遣わしげにたずねてきた。
「むずかしい顔をしてらっしゃいますね。坊ちゃんのことですか」
「いや」
短く董和は答えて、それから黙り込んだ。
休昭のことを忘れるはずがない。
しかし、ことばに出してしまうと、心配なあまりに取り乱してしまいそうだった。
だから、董和はけんめいに、休昭のことを、ことばに出すのを抑えていた。
「それよりも、晴嬰、おまえは、店のほうはよいのかね」
「あたしの店なんかより、幼宰さまのほうが心配です」
言いながら、晴嬰は、てきぱきと、床に横たわっていた董和を起こすと、その背中をはだけさせて、傷に当てていた布を、ていねいにはがしていく。
塗り薬の、目に沁みるようなにおいにも、董和はすっかり慣れていた。
傷の手当てをしてくれる晴嬰に、董和はからかうようにして、言う。
「こうしていると、おまえに薬のにおいが移ってしまうな。店の客が辛気臭いと嫌がってしまうかもしれぬ」
「まあ、そんなお客、追い出してやりますとも」
と、晴嬰は、つんとすまして答える。

董和が匿われている屋敷は、晴嬰とじいやが、まるで競うようにせっせと片付けていたから、当初よりもずっと居心地のよい場所に変わっていた。
ふと見れば、部屋の片隅で、じいやがじっとりとした目で、晴嬰を観察している。
じいやとしては、董和の世話の全部は、自分が仕切らないと気が済まないのである。
だから、晴嬰の動きに、自分とちがうところはなかろうかと、舅根性丸出しにして、観察しているというわけであった。

これでここに休昭がいたなら、傷のことを除けば、心配事もだいぶ減る。
そんなことを悲しく考えていると、表のほうから、転げるようにして、見張りに立っていた商店街の親父が飛び込んできた。
もしや、荊州兵か。
身構え、そして人馬の声が聞こえぬかと耳を澄ます董和であるが、表の様子はなにも変わったところはない。
董和の流した噂によって騒いでいるはずの街の喧騒は、廃屋のなかまでは届かない。
長いあいだ人がいなかったことで、荒れ果てた庭のほうから、りんりんと、虫の鳴く声が、そしてぴろぴろと、鳥の長閑な歌声が聞こえてくる。
もし、屋敷を兵卒たちで包囲されていたなら、虫の声は絶え、鳥も逃げる。

「お逃げください、来ましたぜ!」
と、恐怖でまん丸に目を見開いて、唇をわななかせながら、親父は言った。
「荊州兵か」
「そうです。いや、ちがう、のかな? でも、荊州のやつです!」
曖昧なことを言いながらも、親父は、晴嬰を急きたてて、董和の身づくろいを急がせようとする。
そうして、自分がやってきた廊下のほうを、何度も何度も振り返る。
いまにも敵がやってくるのではないかというのだ。
親父は、手に武器の変わりに棹を持っており、いざとなったら、それで、ばしばしと、鞭の要領で敵を叩きのめしてやるつもりなのだろう。

董和が晴嬰とじいやの両方に手伝ってもらって、新しい衣に着替えて、床から出ようとしていると、玄関のほうから、もう一人の親父の声が聞こえてきた。
見張りは二人で、片方が董和に危険を知らせ、もう片方が、身を張って、敵が踏み込んでくるのを抑えているのである。
なにを言い争っているのか、はっきりとは聞こえないが、なにか喚いている声がしばらくつづき、やがて、聞きなれた親父の、くぐもった声を最後に、言い争いは、絶えた。

とたん、董和のいる居室は、沈黙につつまれる。
敵が、こちらに次第に近づいてくる、その気配が、近づいてくる足音によって、わかったからである。
これは、逃げるのは間に合わない。
董和は、枕もとに隠してあった剣を手に、寝台のうえに、あらためて座りなおす。
いくらこちらが怪我を負っていようと、不様なさまは見せたくなかった。
そして、晴嬰とじいやに、商店街の親父とともに逃げるようにと、手ぶりで示すのであるが、二人とも、董和の衣にそれぞれひっし、と掴まって、動こうとしなかった。

敢然と、足音が近づいてくる方を見る。
もともと陽光が入りづらい構造の、薄暗い廊下を通って、背の高い男が入ってくる。
鎧姿ではないが、武人であることは、そのしゃんとした、背筋のよさから知れた。
剣は腰に帯びておらず、手に持っている。
それを見て、晴嬰は、部屋の隅に置いてあった、壷のふたを取ると、盾のつもりか、董和をかばうようにして、構えた。

男が部屋に入ってきたとたん、董和は、安堵してよいものか、それとも身構えるべきか、迷うこととなった。
あらわれたのは、翊軍将軍の趙子龍であった。
いかにも武人らしい、凛々しい風貌をした男だ。
ほぼ同年輩のはずだが、家庭をもっていないためか、趙雲のほうが、十は若く見える。
その趙雲が、決然とした表情で、董和たちのまえにあらわれたのである。

これがほかの武人で、しかも供を連れているというのであれば、董和は背中の傷など無視して、晴嬰やじいや、そして商店街の親父たちを守るために、すぐさま剣を抜いて戦っただろう。
供を連れてきたのなら、孔明の命を帯びて、殺しにきたのだとわかるからだ。
が、趙雲は一人であった。
官位を得ている証である冠をかぶることもなく、帯にも、その階級と地位を示す佩玉を下げていない。
服も絹ではなく、綿の、地味な色合いの平服である。
私人としてやってきたのだと、そう言いたいのか。

そして董和がほっとしたことには、趙雲は血で汚れていなかった。
表で、趙雲を通すまいと頑張っていた親父は、どうやら当て身を喰らっただけで済んだらしい。
趙雲は、部屋に董和の姿をみとめると、ぶるぶる震えながら、棹をおのれに向けてくる親父をまったく無視し、ぴたりと足を止めて、董和に向かって、見事な挙搓で拱手をしてみせた。
董和は、まずは安堵した。
趙雲は、敵としてやってきたのではない。
油断した相手を斬り殺すような、卑怯者ではない、ということも、評判で聞いていたし、その澄んだ表情からも、敵意がないことは見てとれた。

「お久しゅうござる。このような有様ゆえ、礼を取れぬことをお許しねがいたい」
董和が言うと、顔を上げた趙雲は、ちいさく首を振って見せた。
「傷が深くないようでなによりですな。顔色もよい様子。ご回復も近かろう」
「お陰さまでな」
当たり障りのない会話をしたあと、趙雲は、おのれに棹を向け続けて、果敢ににらみつけている親父に、声をかけた。
「安心しろ、俺は、幼宰どのを捕らえに来たのではない」
親父はしかし、棹を向けることをやめない。
それを見て、董和は、心を鎮めるために、一度、息を吸うと、つとめて柔らかな声色で、自分にぴったりとくっついている二人に言った。
「じいや、晴嬰でもよい。すまぬが、この客人のために、冷たい水でも用意してくれぬか」
仰天して、二人は董和のほうに、顔を向ける。
しかし、董和は、あえてそれを無視するような形で、趙雲のほうに向きなおった。
「このようなあばら家ゆえ、茶も酒も用意しておらぬ。冷たい水しかお出しできぬが、よろしいか」
「水でよい。茶などという高級品は俺の口に合わぬし、酒でいまさらまろやかになる舌ではない。俺は貴殿に、折り入って相談があってやってまいったのだ」
相談、ときいて、董和は、おのれの流した噂が、時間稼ぎに役立ってくれたばかりか、思いもかけず、大物を釣り上げてくれたことを予感した。



董和は、趙雲を警戒して動かないでいる晴嬰やじいやをなだめ、趙雲のために冷えた水を用意するように命じた。
最初は、頑としてうごかなかった二人であるが、やがて晴嬰のほうが折れると、じいやも、まるで張り合っているように、率先して厨のほうにむかった。
商店街の親父のほうは、ここが男の見せ所とばかりに、ぶるぶると震えながらも、趙雲に棹の先を向けている。
玄関口で気絶させられていた親父のほうも、やがて目を覚まして、これに合流して、二人して趙雲を見張ることになった。

董和は、趙雲をまえにして、寝台の上でだまってその様子を見ていた。
趙雲のほうも、やがてあらわれた晴嬰とじいやが用意した茣蓙の上に座り、そして、手にしていた剣をそのかたわらに置くと、差し出された水を、疑うことなく、すぐに飲んでみせた。
敵意のないことを示すためだろう。
趙雲が水を飲んで、器を床に置くまでのあいだ、だれもひと言も口を利こうとはしなかった。

「率直におうかがいしたい。貴殿はこの先、どうなさるおつもりか」
と、趙雲は、前置きもなく、切り出してきた。
飾り気のないことばに、董和は、趙雲が、ことばどおり、率直に話しをしに来たのだと確信した。
「いまさら確認するまでもないが、貴殿は脱獄した囚人。いまや国中の役人が、貴殿を追っていると考えてよい。
失礼だが、いろいろと経歴を調べさせてもらった。貴殿はとくに巴地方において、おおく民草の支持をあつめておられる。もし身を隠すならば、そちらへ逃げられればよかろう。
貴殿がそうしたいと望めば、お上にさえ、堂々とはむかって貴殿を助け上げた民は、よろこんでその手助けをするはず。
しかし、貴殿はそうはせず、成都からはなれようとしない。それは、ご子息の身を案じておられるから、というだけではなかろう」
そのとおりである。
肯定の意味で董和が黙っていると、趙雲は、まっすぐと董和を見据えたまま、つづけた。
「じつのところ、それがしが貴殿を探して、ほとんど日数をかけずに、この場所を探し当てることができた。
おそらく、軍師将軍や尚書令が本気になって貴殿を追えば、この場所はすぐに割り出せよう」
言葉だけを聞くと、恫喝のように聞こえるが、そうではあるまい。
董和を守ろうとする親父たちは、ますます身構えたが、趙雲は、動じる様子をまるで見せずに、しっかりと目線を向けてくる。

「軍師将軍と尚書令は、なぜ動かぬのか」
董和がたずねると、趙雲は、すこしだけ、表情をやわらげて、答えた。
「それは貴殿がよくわかっておられるはず。巷に流れているあの噂の勢いに押され、両者とも、対応に追われておるのだ。
それで後手になっているということもあるが、いま、民に人気のある貴殿に手を出すことは、両者とも、おそれてできないでいる。
成都の民は、あたらしい主君に対して、完全に服従したわけでもなければ、信望を寄せているわけでもない。
ふとしたきっかけで、不満は爆発する。それが暴動というかたちになるか、それとも、内乱にまで発展するか、どちらにしろ、不用意に動くことは、命取りになるだろう」
なるほど、と董和は趙雲のことばに耳を傾けて、納得する。

長阪の戦いにおいて、樊城を飲み込んだあと、追撃をかけてきた曹操の虎の子部隊である青州兵を向こうにまわし、敗走する味方をよくまとめ、主君の妻子を助け出したことで知られる男である。
その話から、勇猛さばかりが印象として先行するが、退却する兵が投降しないように励まし、さらには、敵の動きを読みきって、これを振り切るには、相当の勘のよさと、経験、度胸のよさ、そして冷静な観察眼がなければならない。
切れる男だ、と董和は思う。
聞いた話によれば、その後は、孫夫人を呉に奪い返されてしまうなどの失態があったため、軍の主要から外されていたようだが、それでも、高い能力を買って、軍師将軍は手元に置いているのかもしれない。

そうだ。
董和は、目の前にいる男の好印象に押されて、ついつい甘い判断をしかけていたおのれをいさめた。
ここで慎重にならねばならぬ。
趙子龍は、いわば軍師将軍に拾われた男、つまりは軍師将軍に恩を感じている男なのである。
その男が、なんのためにあらわれたのか。
最後まで話を聞いてから、しっかり判断をしなくてはならぬ。

「そこまで時勢を読みきっておられる貴殿が、なにゆえ、逃亡者であるわたしのまえにあらわれたのか。わたしを刑吏に突き出すためであろうか。
もしそうであれば、この董幼宰、やすやすと捕まるわけにはいかぬ」
挑発するように言うと、しかし、趙雲は動じる様子を見せずに、すぐさま答えた。
「それがしは武将だ。腕に自信がある。だが、この場にて貴殿を捕らえることができたとしても、貴殿を抱えて、この土地を無事に出ることは、むずかしいだろうと思う。
おそらく、住人たちに取り囲まれ、よってたかって殴られて、一里先を進むこともできずに、果ててしまうかもしれぬ」
趙雲のことばに、親父たちや晴嬰が、大きく、うんうん、とうなずいた。
処刑場から董和を助け出せたかれらには、自信がついていた。たとえ相手が武将だろうとなんだろうと、みんなで力を合わせれば、敵ではないと思っている。
団結した民ほど恐ろしいものはない。
それは、趙雲もよくわかっているらしい。

趙雲は、董和、そしてその周囲にぴったりとついている晴嬰やじいや、そして親父たちを見回して、それから言った。
「あらためて問わせていただく。董幼宰どの、九門古城について、貴殿なりの考えがあって、成都を離れぬと見たが、如何であろうか」
「左様、そのとおりだ」
短く答えると、趙雲は、得心したようにうなずいて、それからふたたび口をひらく。
「いま、みなが九門古城の宝をめぐり、それぞれ思惑をもって動いている。これを得ようとするもの、葬ろうとするもの、漁夫の利を得ようとするもの、さまざまだ。貴殿は、九門古城の宝について、どう考えておられるか」
「葬らねばならぬと思っておる」
董和は、きっぱりと口にした。

巴蜀の平和をかき乱している諸悪の根源。
それが九門古城なるものだ。
宝というものがどんなものであろうと、これがあるかぎりは、成都に平和はおとずれない。
ならば、九門古城そのものを封じ込めてしまうほかはない。
二度と、宝を得ようなどという者が出ないよう、古城の九つの入り口、すべてを塞ぐ。
九門古城を、永遠に、幻として、人々の記憶の彼方に、ふたたび追いやるのだ。

「だが、軍師将軍のように、『これを知る者はすべて抹殺する』などという、性急にすぎる考えには、わたしは同意せぬ。
そのように荒っぽい手段をとれば、必ず人の心に遺恨をのこす。
地上から、その存在すべてを抹殺するなどということはできるはずもない。そうするには、あまりに多くの者が、古城にかかわりすぎてしまった」
「では、どうされる」
「人が、なぜあの地下の巨大な穴倉に入ろうとするかといえば、やはり宝のせいなのだ。九門古城そのものを、意味のない場所にするのがいちばんだ」
すると、それまで真摯に話を聞いていた趙雲の面差しに、笑みにも似た、あかるいものが兆してきた。
董和の答えを聞かないうちから、その先の見当をつけたらしい。
董和にしても、趙雲が自分に何を期待していたのかがわかり、緊張がほどけていくのをおぼえていた。
趙雲と董和は、すでにこの時点で、すっかり打ち解けていた。

趙雲が言う。
「やはり貴殿は、そう考えるお方であったか。九門古城をこのうえなく危険にしている、その原因は、『得れば必ず天下をとれる』といわれる、怪しげな宝の存在にある」
趙雲のことばに、今度は董和がうなずいて、つづける。
「左様。されば、この宝を九門古城から見つけ出し、地上に持ち出す。そして、宝は使用せずに封印してしまうのだ。もし、『得れば必ず天下をとれる』という宝が、まちがいなく、民を安寧に導けるものだというのなら、話はべつだが、そのように人々に幸いをもたらすものが、なにゆえ、地下の奥深くに隠される必要があるのか。
思うに、古人は、宝を禍々しいものと見做していたからこそ、これを隠したにちがいない。そして軍師将軍があれほどに宝にこだわる理由も、そのあたりにあるのだろう。
なれば、宝を古城から見つけ出し、これを封印、いや、もっと言うならば、破壊するしかないと、わたしは考えている」
とたん、趙雲は、晴れ晴れとした顔になって、それから、あらためて表情を引締めると、言った。
「じつは、それがしも同じことを考えておった。董幼宰どの、宝を探し、破壊するという、その役目に、それがしも加えていただけないだろうか」

三十一話へつづく…
燭龍本紀のもくじへ
MAPへもどる
更新履歴へ戻る