捜神三国志・燭龍本紀
第二十四話 牢の中の赤頭巾、書生、そして盗賊
爆笑につつまれた牢内のなか、文偉はうろたえ、周囲を見回す。
笑っていないのは、この場では文偉と赤頭巾だけである。
おのれ、罪人どもめ、なにがおかしい、と、気を強くして周囲をねめつける文偉であるが、その姿に、ふたたびなつかしい友の声が聞こえてきた。
「もしかして、文偉? 文偉なのか?」
「そうだ、費文偉だ。休昭、無事か!」
ほどなく、牢の奥のほうに隠れていた(というより、隠されていたような格好となっていた)休昭が、座り込んで、まだ文偉のほうをせせら笑っている罪人たちをかきわけて、格子まで飛び出してきた。
文偉もまた、牢番にまだ紐でつながれている状態であったが、これを振り切るようにして、牢に近づく。
格子越しに見えた顔は、まちがいない、休昭の顔であった。
ろくに日の射さない、不衛生な牢のなかである。
しかも凶悪犯とおなじく大部屋に入れられて、休昭はすっかりやつれていたが、傷つけられている様子はなかった。
最悪の状況すら覚悟していた文偉は、休昭の様子に、心から安堵した。
安堵しすぎて、自然と涙がこぼれてくる。
格子の向こうの休昭も、文偉の顔を見て、なにかを口にしようとしたのだが、まず嗚咽がこみあげてきたらしく、口をぱくぱくと開いて、掠れた声をあげるだけで、そのまま泣き出してしまった。
「おお、その坊主が董休昭さんかい。十七だと聞いていたが、見た感じじゃ、まだまだ子供じゃねぇか」
と、ほかの牢をさぐっていた赤頭巾が、戻ってきて言う。
そして、大部屋のつらなる牢内を見まわして、怪訝そうに首をひねると、牢番のほうに顔を向ける。
「なあ、たしか決まりじゃあ、牢ってのは身分別にわけて入れられるのがふつうだろう。
董家は平民に落とされたわけでも、奴婢に落とされたわけでもないだろう。ってことは、まだ士大夫の家柄のはずだぜ。
なのに、なんだってその息子が、兇悪な連中ばっかりが放り込まれている大部屋に閉じ込められているのだよ」
牢番は、仲間同士で、きまり悪そうに顔をあわせるのであるが、なかなか答えようとしない。
それでも赤頭巾が食い下がろうとすると、休昭のいる大部屋の奥のほうより、いちばん最初に赤頭巾に返事をした、凄みのある声の男が、また返事をしてきた。
「それについちゃあ、あんたらが何者かがわからん限りは答えられねぇな。そのふざけた頭巾をとりな、おっさん」
が、赤頭巾のほうは、すごまれても、すこしも怯える様子もなく、頭巾のうえから頭をぽりぽりと、のん気に掻きつつ、答えた。
「んー、それについてはちょいと事情があってな」
「てめぇ、この三下め! 事情ってのはなんだい、ふざけた野郎だぜ。
てめぇにいま口をきいてくださったこちらの方が、大盗賊高勝さまの名を引き継いだ、陳勝さまと知っての無礼かよ!」
と、どうやら手下がいるらしく、最初の男とは別の男が、するどい声を赤頭巾にあびせる。
すると、それに同調するようにして、あちこちの牢内から、そうだそうだ、陳勝の名を知らないなんてのはモグリだ、ふざけてやがる、仁義がなってねぇ、牢に引きずり込んでやれ、礼儀を教えてやれ、と物騒にさわぎはじめた。
これに牢番たちが動き、手にした棒で、格子にとりついて、わあわあ喚いている興奮しやすい囚人をつついて奥に引っ込ませたり、あるいは、別の牢番が汲み置きした桶の水をかけたりして、囚人たちを落ち着かせようとする。
「お待ちください、この方々は、わたしの友です!」
騒ぎをぴたりと止めたのは、それまで涙にくれていて、言葉もろくに発することのできないでいた、休昭であった。
あまりにぴたりときれいに静まり返ったので、ひっくひっくとしゃくりあげながらも、休昭は、いつものおどおどした様子を見せながら、言った。
「ええと、あのう、そちらの赤頭巾さんは知らないのですけれど、この者は、わたしの友で、費文偉と申す者。みなさんもご存知の、費家の跡継ぎです」
すると、牢のあちこちから、ああ、聞いたことある、知っているぞ、という声が聞こえてきた。
「坊ちゃん、そいつがひそかにあんたを裏切って、尚書令のキツネに金を掴まされて、あんたを殺しにやってきた、という可能性はないんですかい」
言いながら、奥のほうから、のっそりと立ち上がった男がいる。
それは、例の凄みのある声のもち主で、姿をあらわしてみれば、拍子抜けすることに、小柄な丸っこい、じつに特徴のない姿の中年男であった。
しかし、声色に含まれている凄みは、ちょっとやそっとのものではない。
男が、見た目どおりの人間ではないことを語っている。
「費家は誇り高い名家です。尚書令に金で義を汚すような真似はいたしませぬ」
休昭が答えると、どうやら、ほかの囚人たちから奪ったらしい衣を何枚か重ね着して肩にかけている男は、休昭の横に座ると、ともに文偉のほうを見た。
「費家といったら、たしか殿様が代わったせいで、ずいぶん落ちぶれたと聞いたが、あんたがその跡継ぎか」
文偉はというと、震えもしなければ怯えもせず、しっかりとまっすぐ男のほうを見て、きちんと姿勢を正すと、礼儀正しく、拱手した。
「お初にお目にかかります。わたくしは費伯仁の甥にて費文偉と申す者。ここな董休昭は、弟のようなものでございます。
ご存知のとおり、いわれない罪をかぶせられ、休昭が牢に閉じ込められてしまいましたのを、ずっとお世話してくださいまして、ありがとうございます。
董家は、わが費家にとっては、同族に等しい付き合い。本来、貴殿に礼を述べるべき董幼宰がここにおりませんので、若輩でありますが、わたくしが代わりにお礼を申し上げます」
すると、休昭のとなりの、丸い特徴のない顔をした男は、ふうん、と感心した声をあげた。
「若いのに、なかなか堂々としているじゃねぇか。なるほど、先代の費家の当主も、気前のいい、話のわかる豪気な御仁だった。
しかし、俺にあっさり礼を口にしてみせるが、なにを根拠に頭を下げるんだい。俺が、もしかしたら、坊ちゃんをひどい目に合わせているかもしれねぇじゃねぇか」
しかし、文偉は、やはり堂々とした態度を崩さず、答えた。
「休昭の性格は知り尽くしております。柔弱なのは玉に瑕ですが、人を見る目は親譲り、それに、案外頑固で、不正を行うものに、たやすく阿るような者ではございません。
もし貴殿が休昭に乱暴をはたらくようでありましたら、休昭の態度は、もっと固いものになっていたでしょう」
「なるほど、頭も回るようだ」
カカカ、と小柄なわりには豪快に笑って、男は、文偉のうしろの、手持ち無沙汰にしている牢番のほうに声をかけた。
「お役人さん、このお方は、いったいなにをやらかして、ここまで連れてこられたのです」
「書生部屋で錯乱して暴れたのだ。頭が冷えるまで牢に閉じ込めておけというご沙汰があった」
「錯乱してこれなら、大したものだ。ええ、いい度胸しているぜ、気に入った。
どうです、お役人さん、大部屋に、もうひとりくらい増えてもかまわないでしょう。俺が責任をもってお預かりしますんで、一緒の部屋にいれてくれませんかね」
「それなら儂も」
と、話に割り込んできたのは赤頭巾である。
赤頭巾はというと、文偉の横にちょこりと座ると、同じように丁寧に男に頭をさげた。
「ご挨拶が遅れまして申し訳ない。まさか大親分さんがいらっしゃるとは存じませんで、とんだ失礼をいたしました。
儂はこちらの坊ちゃん方の家来でございまして、訳あって名乗ることができませんが、親分さんのご厚情で、ここはひとつ、儂も同じ牢に入れてもらえるように、口を利いてもらえませんかね」
図々しい赤頭巾の申し出であるが、その図々しい態度が妙にこなれていて、なにかひとつの芸を見ているような安心感があるのもふしぎである。
それは男のほうも感じているらしく、腕を組んだまま、眉をしかめた。
「訳ってのを聞くのは野暮なんだろうが、せめてその頭巾をとるわけにもいかねぇのかい」
赤頭巾はというと、頭巾を両手で押さえて、そしてうつむいた。
「取りたいのはやまやまなんですがね、なにせひどく病み崩れてしまっておりまして、お見せしたら、きっと、親分さんの気分を悪くしちまうだろうと思うんですよ」
その言葉に、男はひるんで、唇をゆがめた。
「そういうことかい。だったら、こんなむさくるしいところで、さらにむさくるしい物を見たかねぇ。
牢番さん、俺の部屋に二人追加だ。いいだろ」
男は、牢番に対しても大きな力を持っているらしい。
というよりも、男が大部屋の囚人たちを統率しているので、それをまとめるために、牢番が男に譲ってやっている、というのが実情のようだ。
話は、文偉があきれるほどにあっさりと決まり、本来ならば士大夫の入れられる部屋に行くべきところ、文偉と赤頭巾は、市井の凶悪犯が収容されている大部屋へと移された。
「まずは挨拶しておくぜ。俺は先代高勝の名を継いだ陳勝だ。
董幼宰殿には恩義があるので、ご子息をお守りする役目を、自発的に買って出た。男ばかりで酒もない、しけた場所だが、とりあえずは歓迎するぜ」
陳勝は知らなかったが、先代だという高勝の名に、文偉は記憶があった。
成都を長くさわがせてきた盗賊の頭で、流民が群盗となったような、荒っぽい追いはぎ、掠奪を主とする者たちとはちがって、成都などの大都市を中心に、大商家や豪族の屋敷をねらって稼ぐ盗賊であった。
そういえば、劉備の入蜀のごたごた以降、まるで名前を聞いていなかったが、代替わりしていたのか、と文偉は思う。
高勝は、貧乏人は襲わず、さらには、むやみやたらに殺生をしない仁義ある盗賊だというので、盗賊ではあるが、なかなか民の評判もよかったのだ。
同じ名を『勝』と名乗っているということだが、血縁ではないらしい。
改名したのだ。
「しかし妙なものだな、うちの親父は、いつか費家の蔵を破ってやるのだと、ずっと虎視眈々と狙っていたのだが、時機を得られず、結局、あんたの家の蔵は劉備の軍に奪われちまった。
軍ってのは、規律正しい盗賊だからな。気が付けば、費家は没落。もうその名を聞くこともなかろうと思っていたが、こんなかたちで、跡継ぎだというあんたと顔をあわせることになるとはね」
文偉は苦笑しながらも答えた。
「いまうちの蔵にいらしても、目ぼしいものはなにひとつございますまい。多くのものは掠奪され、残っていたもので、まだマシなものも、前主劉璋とともに分家が持ち去ってしまいました」
「ああ、そうだったってな。ほかにも似たような話をたくさん聞いた。
劉備の軍が落ち着いたと思ったら、今度は尚書令のキツネ野郎が、汚ねぇ真似をして、豪族どもの宝を掠め取って、私腹をこやしてやがる。
これだから成り上がり者ってのは駄目よ。やることが無粋でいけねぇや」
世知辛いねぇ、などとつぶやく陳勝に、文偉はふしぎに思ってたずねた。
「不躾ながらお伺いしてよろしいでしょうか。『大盗賊の高勝』といえば、その名を知らぬ者は、巴蜀にはおらぬだろうというほどに、有名な方ではありませんか。
その名を継いだという方がもし捕らえられたなら、大騒ぎになっていたでしょうに、ここでお会いするまで、捕らえられたという話は知りませんでした。いつ、こちらにいらしたのです」
すると、陳勝は、ふん、と鼻で笑って、答えた。
「いらしたのか、か。まさにそこなんだがな、ちょいと詳しくは言えないのだが、先代の仇を討とうとしたら、栄耀飯店の張大人に見事に邪魔をされちまってな、さらには罠をかけられて、一党もろとも入牢ってわけよ。
本来なら、すぐさま打ち首ってところだったろうが、運がいいのか悪いのか、こちらの坊ちゃんの父君、董幼宰さまのことで、なにもかもが吹っ飛んじまったらしくって、俺たちのことは、それっきり忘れられちまったのさ」
「張大人?」
文偉は、栄耀飯店の名は知っていたが、そこの主や、成都の黒社会の構図などにはくわしくない。
首をひねっていると、横にいた休昭が、そっとことばを添えた。
「栄耀飯店の張大人は、うちの父上が、ずっと追っていた、黒社会の主だよ」
休昭の言葉に同意するように、陳勝はうなずいて、言った。
「そう、忌々しいことに、あの得体の知れない大悪党が、成都を牛耳ってやがるのさ。
先代は、だれもがびっくりするほどの大仕事をしようと、こつこつ準備をなさっていた。なるべく人を傷つけず、欲しいものだけをしっかりいただくという、昔堅気の仁義ある親父だった。
だが、そこが裏目に出たのだ。
親父に言葉巧みに近づいてきた張大人は、あるとき、親父がしようとしていた大仕事のことを知った。親父は人を見る目があったから、張の奴はちっとも信用していなかったのよ。
親父がのらりくらりとかわしてばかりいるので、張の奴は、親父を騙してつかまえて、ありとあらゆるひでえ拷問を尽くした。
だが親父は頑として口を開かなかったので、親父の息子の高普さんが張に目をつけられた。親父がひそかに宝物倉から盗み出した、宝の地図を出せ、とな。
ところが高普さんとて、あの高勝の血を引いていなさる。おまえなんぞに与してたまるかと、目のまえで宝の地図を焼き払っちまった。
それを怒った張の奴は、親父も高普さんも、もろとも八つ裂きにしちまったのよ。
張に追われた俺たちは、散り散りになって、一旦は逃げたのだが、もちろん、そのまま大人しくはしてられねぇ。
お二人の仇を討つため、親父の一番弟子だったこの俺が、親父の名をいただいて、みなをまとめて復讐しようとしたのだが、張の金に釣られて裏切った野郎がいやがって、そいつのせいで、張にひと太刀も浴びせられずに、ここにいるというわけさ」
淡々と語られる黒社会の抗争のすさまじさに、文偉はぶるりと身をふるわせた。
「しかしねぇ、聞けば聞くほど、つま先から頭のてっぺんまで、どっぷりと黒社会に浸かっている親分さんが、どうして、むしろ黒社会を取り締まる側だった董幼宰さんに、恩義を感じているなんてことがあるんです」
と、するどいところを突いたのは、赤頭巾であった。
赤頭巾は、やはりどこか抜けているのか、それとも、もしかしたら黒社会の一員なのか、さきほどから、けんめいに虚勢を張って、堂々としようとつとめている文偉とはちがって、じつに自然に、牢内に溶け込んでいる。
「それにも、いろいろ訳があるのさ。以前に董幼宰どのが成都の令であったころ、俺はまだまだ駆け出しのこそ泥だった。
あの頃の成都というのは、金のあるやつは、冠婚葬祭だなんだと理由をつけちゃ、派手に豪華にするのが流行っていてね、おかげで俺もいろいろ稼がせてもらったのだが、とはいえ、一人でやるのも限度がある。どこかの親分さんに頭をさげて、仲間に加えてもらおうかと悩んでいた。
だが、当時の親分連中は、どいつもこいつもやることが荒っぽいうえに、中には、豪族連中から金をもらって、そいつの政敵の荘園なんかを襲ったりする仕事を請け負うような、腐った奴もいやがったのよ。
たしかにどこかの党に入れば食いっぱぐれはなくなるが、そうなると、どうしたって人を殺さなくちゃならなくなるだろう。
そんなときだった、董幼宰が、俺を捕まえたのは。
俺がそもそも盗人になったのも、黄巾賊だかなんだかしらねぇが、よくわからない神さんにかぶれた連中によって、家族もろとも住んでいた村を焼かれちまって、食べることすらままならなかったからなんだ。
さいわい、身体は丈夫だったので、すぐに荘園で奴婢として働いたが、ここがひでぇところでな。牛のほうが、まだ幸せそうに見えたぜ。
で、逃げ出して、成都で盗人になっていたのだが、董幼宰という人はふしぎな人で、俺のような人間の身の上話を、びっくりするほど時間をかけて、ひとつひとつ、しっかり聞いてくださるのさ。
俺もなんだかうれしくなっちまってね、ついつい、これからどうしたらよいのか困っていることまで話しちまった。
そうしたら、董幼宰さまは、俺にこう言った。
『もしもいま、成都に跋扈する盗賊どもの仲間になるというのなら、わたしはおまえを斬らねばならない。
おまえが人を殺めて金品を奪うようになるということは、おまえの家族を殺し、村を焼いた憎い黄巾賊と同じに成り果ててしまうということ。
おまえはおのれの家族のみならず、未来までも黄巾賊に奪われてしまうことになるぞ』
とね。
それで俺も目が醒めた」
「ほう、で、真人間に」
なったのかい、といいかけて、赤頭巾は口をつぐんだ。
そうではないから、この牢にいるのである。
「人を殺さない立派な盗賊になるのだと、心に決めたのさ。
で、その道でも、すでに大家と呼ばれていた高勝の親分に弟子入りして、ついに一人前の盗賊となったってわけよ」
「はあ。つまり、親分さんを大きくしてくださったのは、董幼宰さまだ、と」
呆れている赤頭巾のことばに、しかし陳勝は、おおいに真面目に、大きくうなずいた。
「そのとおり。そうでなければ、俺はいまごろ、張大人の手下みたいにつまらねぇ三下に成り下がって、だれからも唾棄されるような人生を歩んでいたことだろうさ」
「いや、盗賊から足を洗うというわけには、いかなかったんですかい」
「ばかやろう!」
赤頭巾のことばに、陳勝は、目を向いて、ぴしゃりと怒鳴った。
その声の鋭さに、周囲の手下たちをはじめ、文偉や休昭まで姿勢を正す。
「俺から盗みをとったら、人生になんの意味もなくなっちまうだろうが!
だれもが寝静まった豪邸のなかにこっそり忍び込んで、いつだれに見咎められるかと、ひやひやしながら手に取るお目当てのお宝。
手のひらにそいつがおさまったときの、あのぞくぞくする感じ!
てめぇにわかるか? 最高だぞ! そしてお宝がどこにあって、屋敷の構造がどんなふうで、だれとだれが住んでいるか、いろいろ調べるときの、わくわくする感じ!
この楽しさがわからないやつなんざ、人間じゃねぇ!」
「そいつは、すみません」
素直に首をすくめる赤頭巾。ほかの牢内の人間はというと、どうも似たりよったりなのが集っているらしく、赤頭巾に向かって、これだから素人は、というふうに、冷ややかな目を向けている。
場がすこしとげとげしくなってきたので、こういうときに陽気さを発揮して場をやわらげるのが得意な文偉が、実力をみせた。
「それはそうと、さきほど赤頭巾どのがおっしゃっていたように、ふつう、われら士大夫は、大部屋ではなく、別の小部屋に移されるものです。
休昭を守るためとおっしゃっておりましたが、小部屋では駄目なのですか」
すると、陳勝は、すこし姿勢を崩して、機嫌よく答えた。
「それはそうだ。だが費文偉どの、あんた方はまだ若いし、見たところ、お二人そろって人好きなようだから想像もつかねぇだろうが、牢の中ってのはけっこうなんでもありなところなのさ。
俺みたいに罪人が牢番に威張ってみせることもできれば、もともと囚人の数がすくない小部屋で、なぜだか柵にかけられるはずもねぇ男が、昨日までぴんぴんしてたってのに、体中傷だらけの『急病』で死んだりする」
「柵にかけられる?」
「ああ、牢にも秩序があってな、あんまり人数が増えたり、でなくちゃ、ちょいと、みんなでやっていくにも我慢ならねぇやつが入ってきたりすると、口減らしをするんだよ」
「それはつまり、私刑にかけると」
背筋にぞっと悪寒が走ったが、文偉は身体を震わせるのをがまんした。
自分がいま座っているのは、そうした惨劇が日常的におこなわれている場所であり、それを悲劇とも思わない者たちに、いまは囲まれているのである。
弱いところを見せてはいけないのだ。
「話を戻すが、なんでそうなるかというと、理由はふたつ。
いま、小部屋のほうも、大部屋並みに人であふれかえっているんだ。
なぜかというと、これは尚書令だな。あのキツネが、気に入らねぇやつをほいほいと牢にぶちこむもんだから、小部屋が不足している。
で、士大夫なんてのも、ひと皮むけば俺たちと性根はそうかわらねぇ。で、似たようなことになる場合がひとつ。
もうひとつは、こいつもやっぱり尚書令だ。董幼宰さまを捕まえたはいいが、キツネの野郎、これだけの人気者を、おいそれと手をだせなくて困っている。で、さっさと殺そうとしたのだが、勇気のある連中に奪い返されちまった。
で、もっと困るのは、まったく罪のない坊ちゃんの処遇だ。董幼宰さまの人質にするのもいいが、今度もまた民に騒がれると厄介だから、思い切ったことはできない。
けれど、奪い返されたままというのも悔しい。で、どうするかというと報復を考えるわけだが、表立って処罰するということは、さっき言ったとおりなかなかむつかしいので、こっそり殺すことを考える。
で、方法としちゃあ、だれでもいい、わざと坊ちゃんのいる小部屋に人をやって、毒殺なりなんなりするのだ。
けれど、大部屋にいる分には安心だ。俺が目を開けているあいだはずっと見張っているし、俺が寝ているあいだは、部下が見張っている。食事だって、毒見役までこさえてるんだ。
それに、この部屋は、むかしっからの俺の手下ばかりで、張大人の誘いも突っぱねたやつらだ。さすがに尚書令も手出しができねぇだろうよ」
そう言って、陳勝は得意そうに笑うのであるが、文偉はそれを聞いて、なるほど、なかなか考えているし、徹底している。
さすが、大親分と呼ばれて慕われるだけあるなと感心した。
黙って座っていれば、ほんとうにただの小男にしか見えないだけに、人は見た目だけでは判断してはならないと、あらためて反省する。
休昭は、さっき自分でも口にしたとおり、人見知りではあるが、人を見る目はしっかりしているし、おっかなびっくりではあるものの、陳勝らに対して、心を開いているようである。
盗賊であるから、悪人にはちがいないが、かれらなりの仁義をしっかり守っており、根っからの悪人とは、すこし種類がちがうらしい。
さて、牢内での休昭の様子がわかったし、陳勝の話からして、法正の手は伸びていないようだから、いまのうちに脱出したいのだが、さて、どうするか。
思った以上に状況はよい。
これを利用できないか。
と、いろいろ考えていると、牢番がまわってきて、陳勝に向かって言った。
「おい、そろそろ時間だ。あの方が来る。みなを寝かせてくれ」
牢番のことばに、陳勝の顔に、はじめて緊張が浮かんだ。
「そいつはすいやせん、うっかり話に夢中になっちまっていた。
さあ、野郎ども、聞こえていただろう、時間が来るぜ、横になれ、横に。でもって消灯だ。だれも目を開けているんじゃねぇぞ。眠たくなくても、寝たふりしておけ、いいな?」
陳勝の命令に、大部屋の囚人たちは、それぞれで協力し、てきぱきと寝る準備をはじめた。
なんだか牢に来たというよりも、熟練の兵卒のあつまる兵舎に来たようだ。
こんな感じじゃないだろうか、と思っている文偉であるが、ちらりと見れば、赤頭巾も似たように思っているらしく、ふんふんと、感心したようにうなずいている。
文偉の袖を、ぐいっと休昭が掴んだ。
「文偉、君も眠らなくちゃいけないよ。時間がないから、くわしいことは説明できないけれど、早く寝なくちゃ」
「なんなのだ、急に。もしや、督軍従事の見回りでもあるのか。
何君粛の親父さんなら、顔見知りだ。みんなにそうひどいことはしないだろう。
というより、あのひとが夜回りをするはずがないぞ。きっといまごろ飲んだくれている」
「何君粛どのじゃない! いいから、早く横になって!
藁だけど、床に直に横になるよりはいいよね? ほら、上着を肌掛けにするのだよ」
「さすが、手慣れているな」
「感心している場合じゃない、ほら、早く!」
休昭は、自分の床を用意し、と、同時に、いつもおっとりしているのに、今日ばかりは、はちどりのようにせわしなく動いて、文偉の床まで用意し、なかば押し込めるように、寝るようにとうながした。
気づけば、文偉以外の大部屋の者たちは、陳勝もすべて、すっかり横になってしまっている。
おそらく、たいはんは眠っていないだろうに、燭の光を落としたなか、ぐうぐうと、タヌキ寝入りをしているのであった。
「急にどうしたのだ」
文偉が言うと、休昭がすばやく身を起こして、文偉の口を手で塞いだ。
「静かに! 聞きとがめられたら、大変なことになるよ!
いいかい、寝言だって言っちゃいけない。死にたくなかったらね!」
おいおい、と文偉は思ったが、ふと、その耳に、かたん、ことんと、足音が聞こえてきた。
牢番のものではない。
大きな、そしてものものしい感じのする足音である。
休昭のいうとおり、寝たふりをした文偉であるが、うっすらと目を開いていると、足音が近づくと同時に、牢の表のほうからゆっくりと、日輪のような蝋燭の明かりが近づいてくるのが見えた。
やっぱり見回りじゃないか、と思った文偉であるが、蝋燭を手にした男が格子越しに見えたとたん、なるほど、これはみなが怖じるはずだと納得し、自分もまた、ぎゅっと目を閉じることにした。
さて、ゾトアオのほうはといえば、しばらく物陰に隠れて、寧寧の様子をうかがっていた。
ふとしたことで、本物の狂気に陥りそうな異邦の娘を、放っておけなかったのだ。
じっと息をころしていると、松明を片手に、漢族の男たちが連れ立ってやってくるのが見えた。
兵士たち数人を筆頭に、仰々しくやってくる一行の中心には、栄耀飯店の、にくたらしい張大人と、立派ではあろうが、趣味はよくない衣裳を身にまとってはいる痩せぎすの、キツネそっくりな目の細い男がいた。
あのヤロウ、とゾトアオは、躍り出て張大人をぶん殴ってやりたい衝動に駆られたが、寧寧のことを思い、我慢をした。
かれらは、寧寧の牢の前にやってくると、がしゃがしゃと鎖を解き、海老錠をはずす。
そのあいだ、目の細い、キツネのような顔をした男は、落ち着きなく、そわそわとあたりを見回していた。
「なんとまあ、陰気な場所ではないかね。古人は、かくも不気味な古城を作ったものよ。この石垣は、崩れたりせぬだろうな」
「ご安心を、表のあばら家なんぞより、よほどしっかり建てられておりますぞ。
それにこの場所は、あまり世間には知られたくない物を隠すには、もってこいの場所でございます。
劉左将軍も、まさか己が支配する土地の真下に、こんな古城が隠れているとは、夢にも思っておりますまい」
「あの方は、鷹揚な方であるからな。あの方の側にはべる、軍師将軍の奴めは、目ざといばかりの青書生であるが」
「荊州方には知られないようにしておりましたのに、どうして知ったものやら」
「裏切ったのでは」
キツネ顔の男のことばを遮るように、袖を振って、張大人は答えた。
「そうではありませぬ。やれやれ、どうしたらわかっていただけますかな」
「そなたのいう『得れば必ず天下を取れる宝』を目にすれば信用しよう」
「慎重なお方だ。これ、おまえたち、あまり尚書令さまをお待たせするでない」
それを聞いたゾトアオは、闇のなか、そおっと顔をもたげて、まじまじとキツネ顔を見た。
あれが、尚書令。
劉備の元で、成都を取り仕切っている男。
こいつを倒せば、黒イの故地奪還も近いのではないか…?
「董幼宰がなにを口にしたのかはわかりませぬが、軍師将軍が、宝を手に入れられたはずがないのです。ここにあるのですから。
しかし、尚書令さまのお力をもってしても、軍師将軍ひとりを抑えきれぬとは」
「ふん、そういうそなたとて、軍師将軍を籠絡できなかったというではないか」
「さあて、荊州人士は変わり者ばかり。いままでのやり方は通じぬようでございます。
連中は絹や馬や茶なぞには、目もくれませぬ。まったく、人とは思えませぬなあ」
張大人のことばに、法正も深くうなずいた。
「なにを考えているのか、さっぱりわからぬ。
だのに、あのわけのわからぬ青書生のほうが、劉左将軍の信頼を得ているのだ」
「おや、尚書令さまのほうが、位は上ではございませぬか」
「いつまで続くのか、わからぬ。
いまは、わたしも厚遇され、諸葛亮より重い地位につけているが、これはわたしのほうを信頼しているからではない。
諸葛亮よりわたしを上に置かねば、益州人士が黙っておらぬということを読んでの人事ぞ。それに」
法正は、ふう、と暗いため息をついた。
「諸葛亮に経験を積ませるために、雑事の集中しやすい役職にわざとつけているのだ、あれは。
たとえ地位や禄が上だとしても、劉左将軍の寵は、すべて軍師将軍が占めておる。
われらのようなよそ者が、いまさら入り込む余地がない」
「よそ者は、連中のほうではありませぬか」
法正は、どこか悲しげな笑みを浮かべる。
「心のあり方の話だ。官に仕えぬそなたにはわかるまい。
もし諸葛亮が十分に経験を積んだと、劉左将軍が判断すれば、わたしはいまの地位を追われることになるであろう。
だが、黙って追われてなるものか。諸葛亮より先に、『得れば必ず天下を取れる宝』を手にするのだ。
そうすれば、左将軍もわれらを軽んじることはできまい」
すると、張大人は、卑屈な笑みを浮かべて肩を揺する。
「宝ならば、すでに手に入ったも同然でございますぞ。この娘がいるかぎり、われらは『宝』の言葉に従って動けばよいだけの話なのですからな」
張大人の兵卒は、興奮し、狂乱している寧寧を、牢から出すのに苦労しているようだ。
恐怖におびえる寧寧の声が、冷たい闇に悲しげに響く。
もちろん、寧寧は乱暴を働かれているわけではなかったが、長い監禁生活を思えば、泣きわめくさまは、哀れのひと言につきた。
引き出された寧寧の姿を見て、尚書令は、まずその臭いにおどろいたのか、口と鼻を袖でおおったが、つづいて、意外にも、娘に対して同情するようなことを言った。
「なんと、若い娘を、このような暗がりに一人で閉じ込めているとは、正気か、張」
しかし、張大人は、しれっとして答える。
「宝には、この娘が不可欠なのですから、仕方ありますまい」
それに、と張大人は声を落として、ささやくように言う。
「『宝』さえあれば、もはや左将軍なぞ気にせずに、あなた様が天下を制することができますぞ」
「なにを言うか」
と、法正は張大人をたしなめるも、その顔は、まんざらでもなさそうである。
海老錠が開かれ、兵士たちによって、寧寧が連れ出される。
張大人と法正、そして寧寧の一行は、どこぞへと向かいだした。
そのあとを、ゾトアオも慎重に付けていく。
石畳の、蛇のようなうねりを持つ回廊がつづいていた。
絶えず聞こえてくる水音が、むしろ心細さを煽ってくる。
先方を行く張大人が、法正に言う。
「ここは古城の中でも、まだ誰にもしられていない第五階層でございます。
この階層は三つの道がございまして、あとの二つは互いに交わりあいながら、いつまでも同じところをぐるぐると回るように仕掛けの施された迷路になっております。
わたくしの部下が、その仕掛けにはまりまして、何日もそんな様子なので気狂いになり、自棄になって命を絶とうと水路に飛び込んだところ、水に流されて、この三本目の道を見つけたのです」
それを聞いて、ゾトアオは、自分が運ばれてきた、あの不気味な青銅の人形は、張大人すら知らないのだ、ということを知った。
「だれがこんな凝った古城を作ったのであろうな」
と、一度は誰もが口にする疑問を、やはり法正も口にした。
「さあて。いにしえに滅んだ蛮族ではないかという噂ですが、くわしいところは何も」
寧寧は、牢から引き出されたあとは、わめくのをやめて、すっかり怯えて、啜り泣きをつづけている。
しばらく行くと、また水路に行き当たった。
ゾトアオが驚いたことには、水路には円い橋がかけられており、橋の向こうに、上層へ向かう階段があったのだ。
いまあれを昇れば、連中に気付かれることもなく、上に戻って、祝融のところへいける。
ゾトアオは逡巡したが、しかし、いまは階段を上ることをあきらめ、張大人のあとをつけることにした。
彼らの行く手にもし『宝』があれば、ひと暴れして、それを奪ってやろうと考えたのだ。
そうすれば、祝融を二度と危険な目にあわせなくてすむ。
そうして、階段から離れて、さらについていくと、一行は、とある壁画の前に止まった。
『あれは、俺が落っこちた仕掛けのあった壁画と、そっくりな壁画だな。寧寧がいっていた壁とは、あれのことなのか?』
事実、壁画には、雲にかこまれた大樹と、それに群がる九匹の龍が描かれていた。
壁画の左右には、筏にぽつんと乗っていた、あの気味の悪い、しゃべる青銅の人形がはべっており、一行が近づくと、またも勝手に首を動かして、口を開いた。
「照会をドウゾ」
「しゃべったぞ!」
うろたえる法正に、張大人は愉快そうに笑った。
「大丈夫でございます。こいつらは、われわれには危害をくわえません。
さあ、尚書令さまのために、扉を開くのだ」
張大人にうながされ、寧寧は一歩、壁画の前に進み出ると、壁をなぞるようにして探り、そうして、龍の一つに手を触れた。
すると、いかなる仕掛けか、壁画はがたがたと揺れ始め、そうして、だれの手も借りずに、徐々に動き出した。
扉が動ききると、目の前に、ぽっかりと空間があらわれた。
張大人は、それがさも、おのが手柄のようにして、意気揚々と法正に言う。
「さあ、尚書令さま、ご覧下さいませ。これが『得れば天下を取れる宝』でございます!」