捜神三国志・燭龍本紀
第二十三話 ゾトアオ、第五階層にたどり着く
ゾトアオは非常に不愉快な状況に置かれていた。
ざぶざぶと水をかきわけつつ、暗闇のなかを進んでいく。
馬超と彭恙に襲われて、その弾みで九門古城の仕掛けにはまり、闇の中に放り出されたのであるが、そうして落ちた先は、水の中であった。
かなり落ちたはずである。
落ちた先が水溜りであったのは、ゾトアオにとっては幸運であった。
ゾトアオの落ちた先は深い井戸のようになっていた。
暗闇のなか、けんめいにもがきつづけるなかで、その手が石畳らしい突起に、なんども触れたのに気づき、ゾトアオは、むき出しの岩肌の、天然の洞窟に落ちたわけではなく、自分はまだ、巨大な九門古城の腹のなかにいるのだと知った。
浮き上がると、やはりそのとおりで、第一階層と同様に、どこもかしこも丁寧に積まれた石づくりの建造物である。
そして、どうやら自分は、そのなかでも水道のひとつに落ちたのだとわかった。
水は地下水を集めたものらしく、これまた幸いなことに清かったので、臭いの点でも、ゾトアオはいやな思いをしなくてすんだ。
「祝融!」
と、ゾトアオは黒イの姫の名前を呼んだが、深い闇の向こうからは、なんの返答も聞こえてこない。
祝融が一緒に落ちたというわけではないのなら、すると、あの不気味な彭恙とかいう男と、祝融は二人でいるのか?
想像して、ぞっとするゾトアオであるが、自分の落ちてきた天井を見上げてみるが、天井の一部が大きな水路の吐き出し口で、滝のようになっており、どうやらそこから落ちてきたものらしい。
困ったことに、水路の高さは、村でいちばん高い杉の木のてっぺんほどもあり、縄も何もない状態で、そこによじ登るのは不可能に見えた。
とりあえず、なんとかして第一階層に戻らねばならない。
焦りながら、ふたたび周囲をみまわすと、水路に沿って、きちんと歩道が作られていることに気がついた。
ゾトアオは巨体に似合わず、優雅に水をかきわけ、水路に沿ってつづく通路にまで泳ぎ着いた。
通路の壁には、定間隔に怪物の顔をかたどった排水溝があり、そこから絶え間なく水が水路に流れ込んでいる。
怪物の顔の彫像にしても、石畳にしても、積み重ねた石と石のあいだに、すき間らしいものがほとんどないことに、ゾトアオは感心する。
太陽の光が見えないせいか、ゾトアオは、次第に弱気になっていくおのれを感じていた。
もしかして俺は、とんでもない場所へ足を踏み入れてしまったのではないか。
いやいや、弱気になっていてどうする。
己を叱りながら、ゾトアオは、ぶんぶん、と頭を振ると、祝融のことを思った。
気の強い女だが、優しいところもある。
優しくなかったら、どうして人のために戦うことができるだろう。
あの女が勇ましくあろうとするばかり、ツンケンした態度になるのは、
『おのれの弱さを隠すためだ』
と、ゾトアオは思ったが、すぐに、また首を振って、頭のなかで文言を別なことばに置き換えた。
『漢族が許せないからだ』
すべての悪の発端は、漢族にある。
正しいか、正しくないかは置いておき、とりあえず、そういうことにしておけば、揉め事はすくない。
壁伝いにつづいていると思われた石畳の通路であったが、歩いていくと、ところどころ崩落しているのに、何度も突き当たった。
それを避けるために目を凝らしたり、あるいは落ちたら落ちたで昇ったり降りたりが面倒くさくなったので、とうとうゾトアオは、水の中を行くことにした。
腹がすいて、しかたがない。
いったい、どれだけ気絶していたのだろう。
携帯していた乾飯を取り出してみるが、すっかり水分をすいこんで、とてもではないが食えたものではない。
それでも、まさに背に腹は変えられぬと、ゾトアオはそれを口にいれた。
ちくしょう、と悪態をつきながら、ゾトアオは、口の中で嫌な感触をかもしだす米に顔をしかめつつ、それを腹におさめた。
栄耀飯店にてあつめた情報によれば、九門古城は何層にも連なっており、深く潜れば潜るほど、その階層自体の広さは狭くなっているとのことだった。
いちばん広く迷いやすいのが第一階層で、次が第二階層。
ここは、どのあたりになるのだろうか。
盗賊たちの話によれば、いちばん深く潜った人間は、第四階層まで行ったらしい。
だが、かれらは、水が費えそうになったので戻ってきた、と言っていた。
そのことから考えると、水のたっぷりあるこの階層は、第四階層より下、ということか?
くそっ、上にもどる手段が、すぐに見つかればよいのだが。
ゾトアオは、必死にはやる気持ちを抑えていた。
あのふたりの男に、祝融がひどい目に合わされていないか、そればかりが頭にあった。
祝融は、そこいらの男が敵わないほど腕が立つ女だが、それでも女は女である。まして相手は錦馬超、そして彭恙だ。
焦るな。焦って行動して、良い結果を出せたためしがない。
ゾトアオは自分に言い聞かせる。
ともかく、いまは上につながる階段を探さねばならないのだ。
しばらく行くと、ゾトアオは、奇妙なものを見つけた。
闇に沈む水路の上に、人が立っているのである。
人、といっても子どもほどの背丈しかない。最初、柱かなにかと思ったが、そうではなく、やはり人なのだ。
それは、さわさわと排水溝から流れ落ちる水音の満ちる闇のなかに、まんじりともせずに立っていた。
「だれだ?」
ゾトアオは、慎重に声をかけた。
彭恙と対峙して闇に吸い込まれたとき、武器を手放していなかった。
だから剣を手に、そおっと近づくが、そいつはなにも答えない。
「おい、だれだ、と聞いているのだ」
ゾトアオは、漢語をふたたびゆっくりくりかえした。
ゾトアオの漢語はとてもなめらかで流暢である。めったに聞き返されることがない。
だが、そいつはやはり答えるどころか、身体を動かしもしないのだ。
ままよ!
ゾトアオは、そいつめがけて、刃を振り下ろした。
がつん、とにぶい金属音がした。
と、同時に、そいつが、かたり、と奇妙な音をたてて、首を向けたのがわかった。
側に寄ってみて、ゾトアオは、はじめてそいつが、青銅の人形だと知った。
いや、ほんとうに青銅なのだろうか。
水の中にあって、そいつはすこしも錆びていなかった。
人形の目は大きく、その顔には、やってきた人間を歓迎するような、妙に温かい微笑が刻まれている。
それが、ゾトアオの一撃で、首を動かしたのである。
よくできたからくり人形であるが、ゾトアオは、いままでこんなふうに仕掛けのある人形を見たことがなかった。
不気味な思いで、そいつを覗き込んでいると、いきなり、人形の口がぱっくり開いた。
「出発」
「あん?」
たしかに人形の口は出発、と告げた。
わけがわからず顔をしかめると、とたんに人形の腕がじーじーと音を立てて上がり、手にしていた櫂らしきもので、宙を漕ぎはじめた。
それだけでも充分、ゾトアオにはおどろきであったが、さらに驚いたことに、人形が宙を漕ぐ仕草をはじめた途端、ゾトアオと人形の周囲が振動をはじめたのである。
ぶるんぶるんと水をふるわせる振動音は、ゾトアオが聞いたことのない種類のそれであった。
同時に、足元が激しく揺れる。
そうして、急に水が大きく跳ねた。
風が向かってくる。
ゾトアオは、自分がなにか、巨大な魚の背中に乗ってしまったのかと勘違いをした。
しかしよく見ると、自分が乗っているのは、筏であり、目の前で船頭をしているのは青銅(?)の人形である。
この筏の下に、でっかい魚が何匹もいるのか?
どちらにしろ、恐ろしいことであった。
風をすべるようにして、筏は進む。
闇を裂くように、水の上をどんどん進む。
あまりのわけのわからなさ、そして恐ろしさに、もう立っていられない。
水に飛び込もう、とゾトアオが観念したとき、筏はぴたりと止まった。
「到着」
と、人形は筏の上にへたりこんだゾトアオに再び告げると、そのまま沈黙した。
筏の起こした振動の余韻で、水がまだざわざわと騒いでいる。
しかし、しばらくすると、あっというまに、水路には、排水溝から落ちる水のさやかな音だけがするだけとなった。
「なんなのだ、こりゃあ」
ゾトアオは、おのれの正気を確かめる意味もこめて、声に出してつぶやいた。
また動き出すのがおそろしかったので、人形に触れる気にはなれなかった。
立ち上がると、石畳の通路のほうに移動する。
そうして、周囲を見回し、思わず、あっ、と小さく叫んだ。
火が灯されている。石畳の通路がえんえんと続いているかと思われた空間に、べつの通路へ至る道があり、そこにぽつりと火が灯されていたのだ。
火がある。
つまりは人がいる、ということだ。
ゾトアオは、これほど火をありがたく思ったことはない。
だれでもいい、人間に会いたかった。
そうして、火の側に寄ると、しゃらり、と耳に心地よい金属音がした。
ゾトアオは目を見張った。
火の灯された一角は、鉄格子のはめられた牢であった。
覗き込むと、その中に、人がいた。
人がいる、ということがわかった、というのが正しい。
というのも、ゾトアオが中を覗き込んだとたんに、中にいた者は、勢いよく、手足に嵌められた枷の音をさせて、格子にすがりついてきたからだ。
その猛獣のような勢いに気圧されたゾトアオであるが、一歩しりぞいて、あらためて牢の中のものを見て、それも仕方ない、とすぐに思った。
「あんた! あんたは漢族じゃない!」
と、牢の中の女は言った。
いったいいくつなのか、年齢の読めない女である。
目がほそくて下膨れの顔をした、つやつやとした黒髪の女だ。
若いようにも見えるが、暗いうえに、女の姿が、あまりに汚れて乱れているので、さらに正しく観察できない。
女の手足には痛々しい枷の痕がくっきりと刻まれており、その無惨な傷からして、牢に閉じ込められてから長いのだと知れた。
「どこから来たの? ねえ、漢族の連中は死んだの?
あたしは僚の女よ、敵じゃない、助けて!」
「僚だと?」
僚人…甘、とも言うが、漢族は、『洞蛮』などと呼んでいる、成都からすれば東南に位置する地域に棲息する民族だ。
独自の文化をもっているが、とくに、かれらの建造する木造の橋の、その洗練された美しさは、瞠目にあたいするものだ。
ゾトアオの居住する雲南からは、東に位置する地域に居住する民族である。
「僚の女がどうした。漢族に捕まっちまったのか」
奴隷を閉じ込めているのだろうか、とゾトアオは考えたが、それにしては、この女一人だけ、というのがふしぎである。
待遇はひどいもので、女自身も垢ですっかり汚れていたが、牢の中も掃除がされておらず、異臭がむわっと漂ってくる。
もしや、漢族め、女をここに閉じ込めて、娼妓のような扱いをしているのではあるまいなと、嫌な想像をはたらかせたゾトアオであるが、ゾトアオの出現に興奮し、なにも説明しないうちから泣き出している女は、しきりに周囲に目を走らせながら、言った。
「助けて、漢族に閉じ込められているの! このままじゃ、あたし、狂ってしまう!
やつらに言ったのは、ぜんぶ嘘なの! あたしはなにもわからない!」
「やつらってのは、漢族か」
うんうん、と女は大きくうなずいた。
「金をくれるっていうから、ちょっと思いつきだったのよ。むかし隣に住んでいた幼なじみの言っていたことを、そのまま口にしただけなの!
悪気はなかった、こんなことになるなら、お金なんていらない! こんな恐ろしいところに連れてこられるなんて、あいつらひと言も言わなかった!
都会に行ってみたかった、お金が欲しかっただけなの!
ねえ、反省しているわ、どんなことでもする。だからここから出して!
あいつらは何も聞いちゃくれない。食事だって腐っているような残飯ばっかりで、それに、いったい、ここに来てから、何日経ったの?
あいつら、なにも教えてくれないのよ。問われたことに答えればいいって。
適当にあいつらが喜びそうなことを言ったの。そうしたら、出してもらえると思ったのよ。
でも、ダメだって。あたしはずっとここにいるのだって!」
ゾトアオは、口角に泡を浮かべて、必死に訴える女を、手で制した。
女の目の色は、狂気に蝕まれつつある者のそれだ。
女のことばの断片から想像するに、ここに閉じ込められて、ひどい扱いを受けているようなので、それも仕方ないかとゾトアオは思う。
弱い女の身で、湿気の多い空間のなか、陽も射さない場所である。
ゾトアオは、もともと医者の息子だ。イ族のために立ち上がる前までは、父にしたがって、部族のみなの医者として働いていた。
そのときの顔を取り戻し、ゾトアオは、興奮して格子を何度も何度も揺さぶる女に、呼びかけた。
「落ち着け。俺の名はゾトアオ。イ族だ。あんたの名前は」
「寧寧よ。あいつらは、礼姫と呼んでいるけれど」
「名前にずいぶん落差があるな」
ゾトアオが笑うと、女も苦笑いを唇に浮かべた。
皮肉を言うだけの余裕がある。完全に狂ってはいない。
それに、素朴な見た目とちがって、適度に頭のよい女でもあるらしい。
「あんたの名前は聞いたことがある。雲南に、若いけれど仁徳の相を持っている長が出たって。
なんでそんなヒトが、ここにいるの? 囚われたの?」
「いいや、俺は迷い込んだのだ。俺にとっても漢族は敵だ。あんたの話がほんとうなら、あんたをここから助けてやりたい」
すると、寧寧はさらに滂沱と涙をながし、ゾトアオに訴えた。
「ええ、ほんとうよ、ほんとうなの!」
「わかった。落ち着いてくれ。聞きたいのだが、あんたは漢族に捕らわれているというが、そいつらはどこにいる」
「いまはいないわ。時間になるとくるの。あいつらがくると、一日が終わったんだ、って思うの」
「なるほど、一日に一回だけここに来るのか。で、どんな連中だ。兵卒か?」
ゾトアオの脳裏には、彭恙と馬超のことがあったので、そんな質問になったのだが、寧寧は首を振った。
「黒社会のやつらよ。張大人の手下」
たしかに、そうだろうな、とゾトアオは納得する。
錦馬超と彭恙たち以外に、この古城に入っているのは、張大人と、その許可を得た連中だけのはずだ。
「あいつら、宝を見つけたって、大喜びしているから、あたしはすぐに殺されない」
「なんだって、宝?」
寧寧の言葉に、ゾトアオは、その黒々と太い眉をおおきくしかめる。
「宝は、この階層にあるのか?」
しかし寧寧は、ぶるり、と大きく震えて、怯えたまなざしで首を振った。
「知らない、あれがそうなのか、なにもわからない。だから、適当なことを言ったの。
そしたら、張大人とかいう男が、とても喜んで、そして言ったの。おまえは一生、ここで暮らすのだって」
「あれってのは」
「わからない。ただの壁。変な模様がいっぱい刻んである壁」
おかしな壁なら、ほかにもいっぱいあった。
が、張大人が喜ぶ壁なら、それが宝ということか?
「張大人ってのは、なんだか蛇みたいな、いやらしい面をした漢族だろう? そいつ、ほかになにか言ってなかったか」
「これを尚書令に売れば、すっかりだまされて大金が手に入るだろう、って」
「だまされて、だ?」
ということは、伝説の『得れば必ず天下を取れる宝』ではないのか。
「寧寧、あんたは、いま自分がいる場所が、どこだかわっているか」
問うと、寧寧は、うんうんと、必死に、なんどもうなずいた。
「知ってる。九門古城。あたしがいまいるのは、五階層目だって。
九門古城は、漢族が作ったものでもなければ、イ族がつくったものでものない。古い東の王国の末裔が、ここに最後に立て籠もった」
寧寧がとうとつに、囁くように早口で、ふしぎなことを言い始めたので、ゾトアオは、ますます顔をしかめた。
「九門古城の成り立ちを知っているのか?」
「やつらがそう言っていた。末裔は滅ぼされたが、今度は滅ぼした連中が、自分たちの逃げ場所としてここを作り直した。そして最後に封印した。
封印した一族の末裔が生き残っている。生き残りには報酬をやるって。
だからあたしは名乗り出た。やつらの言っている御伽噺と、同じおとぎ話を、あの子がしていたから。けれど、ちがう、こんなことは望んでなかった!」
と、寧寧は、鬼のような形相になって、ふたたび格子にかじりつくと、猛獣が吠え立てるような勢いで、ゾトアオに訴えた。
「助けて! 鍵はあいつらが持っている! あいつらを殺して、あたしを助けて!」
「あいつらは、いつ」
と、ゾトアオが質問したそのとたんに、がしゃり、と寧寧の、手足についている鉄の枷の音が響いた。
ゾトアオには聞こえなかったのだが、寧寧には、なにかが聞こえたらしい。
格子からはなれて、周囲にたかる見えない虫を追い払うようなしぐさをしてみせる。
「やつらがやってきた! 逃げなくちゃ、逃げなくちゃ!」
「落ち着け!」
叱りつつ、ゾトアオは、篝火に浮かび上がる、寧寧を閉じ込めている牢の、特大の海老錠を見た。
簡単に突破されないように、海老錠は、さらに鎖でぐるぐる巻きにされている。
ゾトアオは、渾身の力をこめて、錠に剣を叩きつけたが、傷がついたのは剣のほうで、錠前はびくともしなかった。
「鍵を奪わなくちゃだめか」
がしゃがしゃ、と鉄格子を揺らしてみるが、ゾトアオの怪力をもってしても、鉄格子はうんでもなければ、すんでもなかった。
「やつらがくる」
寧寧は、すっかり怯えて、牢のすみにうずくまった。
ちいさくなれば、だれからも見えなくなると信じているかのようだった。
漢族、イ族、僚族といったくくりで見て、怒りがあるのではない。
医者の子として、人の子として、ゾトアオは、寧寧に深く同情し、そして、一人の女を、ここまで追いつめている『やつら』……張大人に怒りをおぼえた。
「やつらは、あんたを殴ったりするかい」
だったら、殺すのに躊躇はない。
そう思ったのであるが、寧寧は、首をあいまいに振った。
「あたしが死んだら、宝の意味がなくなると思っているから、ひどく打ったりしない。
嘘をついたの。あたしを汚したら、宝を読めなくなるって。母さんはあたしが嘘つきだから、ろくな死に方をしないとよく言うけれど、正直にしてたら、きっとあたしはいまごろ死んでる」
独り言のような寧寧のことばに、ゾトアオは大きくうなずいた。
「ああ、あんたのついたのは、嘘とは言わん。そいつは知恵ってやつだ。
それを聞いて、すこし安心したぜ。あんたはかならず、このゾトアオさまが助けてやるが」
今度はゾトアオの耳にも、少女の言う『彼ら』の足音がハッキリと聞こえてきた。
見れば、闇の向こうから、篝火を手にした一行が近づいてくる。
かなりの数だ。絶えず聞こえる金属音からして、武装しているらしい。
舌打ちをしつつ、ゾトアオは寧寧に言った。
「俺はすこし身を隠す。大丈夫、あんたを見捨てるんじゃなくて、やつらの様子を見るためだ。
あんたは、俺のことを、やつらに言ってはだめだぜ。ゾトアオの名にかけて、きっと助けてやるからな。待っていろよ」
寧寧は、近づく足音への恐怖ゆえか、なにも耳に届いていない様子だ。
この女をひとりにして大丈夫だろうか、と不安になったが、自分まで見つかっては、もともこもない。
明かりに照らされないように気をつけながら、ゾトアオは闇に隠れた。
一方、牢は牢でも、宮城の牢に連れてこられた赤頭巾と費文偉は、様子がまるでちがっていた。
なにせ、迎える役人のほうが、あきらかに戸惑っている。
もちろん、費家の跡継ぎをどう扱えばよいのか、という困惑もあるだろうが、もっとかれらを困らせているのが、赤頭巾なのである。
文偉がおどろいたことに、赤頭巾は、牢に連れてこられてもなお、赤頭巾のままであった。
さすがに牢についたら、赤頭巾は取るか、あるいは役人にとりあげられるだろうと思っていたのだが、まったくそんな気配はなく、ほったらかし、いや、無視、である。
そして、赤頭巾本人も、その特別待遇を当然と思っているフシがあり、あいかわらず無邪気に鼻歌なんぞを歌いながら、ずらりと並ぶ牢をゆっくりとまわって、
「董休昭さん、董幼宰さんの息子の休昭さん、いらっしゃいますかー」
などと呼びかけている。
牢の中の男たちは、当然ながら、胡散臭そうに、そしてうるさそうに、赤頭巾のほうにするどい目線を送ってくるが、赤頭巾、かなりの強心臓らしく、まるでへこたれない。
「あー、すみません、寝てたところをお邪魔しちゃったようでして、人を探しているんですがね、董休昭っていう、十七の書生なんですけど、兄さん、ご存じないですかい。
あ、そう、ご存じない。さてはて、どこへ消えたか董休昭。
赤頭巾のおじさんが、お友だちを連れてましたよー。ついでに、儂も一緒の牢に入れてくれるとうれしいなー」
ふざけたことを、唄うようにして口にする赤頭巾。
牢の監視をする役人は、衛士などよりも、はるかに荒っぽいと聞いていたので、文偉は、さきほどから、はらはらとしっぱなしである。
なにせ、役人は、赤頭巾をなんども睨みつけて、ぶるぶると震えているからだ。
しかし、怒鳴ることも殴ることもせず、大人しくあとからついてくる。
赤頭巾が、相当な身分の者だということが、このことから知れるが、しかし、もとより咎人ばかりがあつめられたこの牢で、特別扱いが、いつまでつづくことやら。
「おう、だれだ、さっきから、董休昭、董休昭と連呼しやがっているのは。お探しの董休昭なら、俺のところにいるぜ。
けれど、てめぇがもし、尚書令に雇われた三下で、坊ちゃんを殺しに来たんなら、あきらめて帰りな。
ここは明日、首を刎ねられてもおかしくねぇ連中の集っている場所だ。てめぇも道連れにあの世に連れて行くことだって厭わねぇのさ」
文偉がいままで聞いたことのない、どすの利いた、野太い男の声である。
なんだ、なんだ、と戸惑っていると、そのうしろから、懐かしい、弱弱しい声が聞こえてきた。
「あのう、あのう、陳勝さん、荒っぽいことは避けましょう。穏便に、穏便に」
「そんなことを言ってちゃ、死んじまいますぜ、坊ちゃん!」
「す、すみません」
怯えた友の声に、文偉は、頭に、カッと血をのぼらせ、叫んだ。
「だれだ、貴様は! 休昭に乱暴をすると許さぬぞ!」
そのするどい声に、場は一瞬、静まり返るが、しかし、ほどなく、牢内は爆笑につつまれた。