捜神三国志・燭龍本紀

第十八話 波紋

祝融は、夜になると、漢族の服を脱ぎ捨てて、第三の門があるとおぼしき土地へと戻ってきた。
あきれるほどに、怪しげな列柱である。古びたもので、どれくらい古いのかはわからないが、神秘的な古城の入り口とするには、たしかにうってつけである。
昼間はずっと、羌族らしい男女が、時間をおいて小屋に出入りをくりかえしてきたが、日没になると、人は減るどころか、さらに増えてきた。
かれらは、周囲に人がいないかを慎重にたしかめながら、手に手に大荷物を持って、小屋に入ってくる。
炊き出しでもするのだろうかと想像していた祝融であるが、しかし、しばらく待っても、小屋に入った人間が、外に出てくることはなかった。
それどころか、すっかり周囲が闇につつまれてもなお、小屋のなかに明かりが灯されることがない。

『あの石はたしかに怪しげだけれど、あれは単に古いってだけのものなのかもしれない。あたしの部族だって、むかしから大きな石を神だと崇めているし、ほかの部族だって、同じように神様が石に宿っているといって祀っているところもある。それと同じだけで、あの石は、入り口じゃないのではなかろうか。
もしかして、門の入り口は、あの小屋のなかか。あの漢族の男を、董幼宰の話を持ち出して追い払ったのは早計だったかな』
けれど、漢族の張嶷や董和よりも、小屋に出入りしている羌族たちのほうに、祝融としては親近感を持っている。

かつて中原は漢族のものではなく、イ族や羌族のものであった。
それを、奸智に長けて残虐な漢族がうばったのだ。
かれらは肥沃な大地を奪っておきながら、それだけでは飽き足らず、まだまだ土地が欲しい、奴婢がほしいといって、こちらの国に攻めてくる。
漢王朝とやらが、うれしくも衰退しているこのときにこそ、うばわれたものを取り戻すのだ。

漢族はけっして信用してはならないという思いが、祝融のなかには強くある。
かれらの笑顔にだまされるな、甘言にだまされるな。
巧みなことばと演技によって、いままでどれだけのものが奪われてきただろう。
その思いは、きっと羌族も同じはずだ。
羌族も、もしかしたら古城の宝を狙っているのかもしれないが、しかしおなじ漢族憎しの心はおなじであれば、あたしたちは兄弟のようなものじゃないか。
もし、あの小屋のなかに、じつは古城への入り口があるのだとしたら、うまく協力を申し出れば、なんとかなるんじゃなかろうか。

心を決めたらはやい。
物陰から出ると、物怖じすることもなく、黒イの衣裳を誇らかに闇に浮かばせて、堂々と、山野を闊歩する雌虎のような足取りで、祝融は膝まで伸びている雑草をふみわける。
そうして、小屋の扉を叩くのであるが、中からは応答がない。

しばらく待って、もういちど叩いてみるが、はやり応答はない。
扉には鍵がかかっているようだ。
小屋の周囲をまわって、中の様子を探ろうとするのだが、みな早々に、なかで眠ってしまった様子でもない。
まったくの無人なのだ。
『やはり、この中に入り口があるのだ』
確信し、扉を打ち壊そうと、表にまわった祝融であるが、ぎょっとしたことに、いつのまにそこにいたのか、色とりどりの布を、人の目を気にすることもなく無造作に全身に巻きつけた、祝融の腰までしか背丈のないものが立っていた。
全身のありとあらゆる部分を、指先にいたるまで隠しているため、ぱっと見ただけでは、男なのか女なのか、子供か年寄りなのか、わからない。

だが、祝融は無言で剣を抜いた。
まったく気配を感じさせなかった。
目のまえに姿をあらわしたということは、まったく敵意の塊というわけではないようだが、不気味な風体は、人を警戒させるには十分だ。
それに、こちらの動きはすべて読まれていたのかという、腹立ちもあった。
誇り高い祝融には、だれかに先を越されるといったことは、許せないことなのである。

「黒イの姫だね。名前はなんという」
剣を見ても、その者は怖じるようすをまったく見せることなく誰何してきた。
そのどっしりした落ち着きと、目に見えないながらも醸し出される威圧感に、祝融は剣を抜いたまま、しかし切っ先をその者に向けることはしなかった。
一族のピモ(神主)に似ている。
しわがれているものの、どこか温かみのある声を聞いて、祝融は、その『女』が、かなりの老齢であることを知った。
「祝融だ。そういうあんたは何者だい。羌族の巫女か」
「わたしのことは玄女と呼んでおくれ。巫女として暮らしているが、古の神の名をもつおまえは、もちろんここにたまたまやってきた、というのではないだろう。
古城は、千里の彼方にいる者であろうと、その血を欲してつねに呼びかける。誇り高き女神の血を、おまえはこの城のなかに流しにやってきたのかい」
「すまないけれど、あたしは短気でね、あんたとなぞかけをして遊んでいる場合ではないのさ。仲間が古城に取り残されてしまったので、これを助けたい」
「栄耀飯店の入り口は、まだ開かないのかい」
「ずっと閉じたままさ。漢族のたぬきをいつまでも頼っていられない。古城をただで通せないというのなら、用意できるものなら用意する。
成都には、あたしの部族のものが、漢族になりすまして何人も潜んでいる。そいつらに命令すれば、たいがいのものは手に入るだろう」
「そのようだね」
言いつつ、巫女は、祝融の背後を指差した。
巫女の動きをきにしながら、祝融がふりかえると、草叢のなかに、見知った顔が、気まずそうにいくつか見える。
奴婢としてではなく、漢族に巧みに変装させて、成都の有力者の屋敷に潜入させている者たちであった。

「なにを用意するつもりか知らないが、なにもいらないよ」
と、巫女が言い、祝融はふたたび顔をもどした。
「仲間を助けたいというが、おまえがそもそも古城に入り込んだ理由はなんだい。『得れば天下をとれる宝』だろう。そいつを奪って、天下を取り戻したいとねがっているのではないかい」
「羌族だって、そう願っているからこそ、古城に潜っているのだろう。なんだい、あたしがその邪魔をしそうだから、古城に入るなというのかい」
しかし巫女は、意外にも首を振った。
「いいや、わたしがいくらおまえを止めようとしたところで、古城が呼んでいるのであれば、それは止められないだろう。だが、このままあんたをはいどうぞと通したら、あんたはきっとすぐに死ぬ」
「盗賊たちが中で暴れているからかい。馬孟起にも会ったよ。あんたらの盟主じゃないのか」
「馬孟起はすでに鞍から降りた男だ。あの男は単に人がよいから、そうしているだけだよ。わたしたちとは関係ない」

それを聞いて、祝融はおおいに眉をひそめた。
ということは、馬孟起たちは、栄耀飯店とも、この小屋ともちがう、別の入り口から古城に入り込んでいることになる。
べつの門があるのだ。

「じゃあ、どうしてあたしを追い返そうとするんだい」
祝融の問いに、巫女は率直に答えた。
「あんたが死ぬのは惜しいからさ。イ族は、昔は小競り合いも起こした間柄だけけれど、おなじく漢族にしいたげられているというところからすれば、兄弟のようなものだ。
だからこそ言うのだよ。仲間を大切にする気もちは尊いが、しかし、いまおまえがそのまま古城にもぐったら、おまえは古城の餌になるだけだ。
古城には悪霊が棲んでいる。こいつに魅入られたら、もうおしまいだ。おまえの心をおさめてから、もういちど、わたしのところへくるといい」
そのことばに、祝融はどう反応したらよいかわからずに、首をかしげてみせた。
「おかしなことをいうね。それじゃあ、日を改めてきたら、あんたはあたしを歓迎するっていうのかい」
「歓迎はしないけれど、門を通してやらないこともない」
「親切だね」
「親切心でそう言っているのではないよ。どうせ結果はわかっているのだ。おまえが死んだとき、せめて花でも手向けてやりたいからね」
「死ぬと決めつけることはない。もしかしたら、宝をもって戻ってくるかもしれない。いや、きっとそうなる」
祝融の力強いことばにも、しかし巫女は首を振った。
「いいや、無駄だ。それよりも、ずっと待っているあの者たちのもとへ行ってやるといい。どちらにしろ、ここは通れないよ」
言われて、ふたたび仲間たちの待っているほうを見る。
祝融は、かれらにあつまるようにと支持はしていなかった。
いったい、なんの用事だろうと思いつつ、ふたたび巫女のほうに顔を戻すと、巫女はもうどこにもいなかった。

祝融は、念のため、小屋の扉を叩いてみたが、やはり応答はなにもなく、人の気配はどこからもしない。
「気味の悪いばあさんだったな」
つぶやいて、仲間たちのところへと向かう。
どちらにしろ、門は通れないということはわかった。
ここがだめならば、馬孟起たちのつかっている門を調べるしかない。
「どうしたのだい、なにかあったのか」
単刀直入に祝融がたずねると、それぞれに漢族になりきっているイ族の仲間たちは、言いづらそうに、たがいに顔をあわせながらも、答えた。
「じつは、姫にお願いがあってまいりました」
「なんだい。古城のことではないのかい」
とたん、あきらかに不機嫌そうに顔をゆがめる祝融に、仲間たちはたがいにどうしたものか、というふうに顔を見合わせる。
短気な祝融は、地面を一度、どん、と大きく足で鳴らすと、言った。
「言いたいことがあるのなら、はっきりお言い。なんなのだい」
祝融を怒らせても、いいことがないと知っている仲間たちは、たがいに覚悟を決めると、言った。
「董幼宰が法尚書令によって捕らえられたのは、ご存知でございますか」
「ああ。聞いた話じゃあ、明朝には処刑されるそうだね。町のあちこちじゃあ、その話でもちきりだったよ。それがどうしたのだ」
「はい。董幼宰を助けていただきたいのです」
祝融は、あいまいな相槌すら打てずに、ぽかんとした。
それを怒りにとらわれているのだと判断したのか、仲間たちは、祝融の足元に身を投げ出さんばかりに平伏して、言った。

「姫もご存知のとおり、漢族は奴婢をえるために、われらの里を襲います。捕らえられた仲間は奴婢として、家畜同然のむごいあつかいを受けるのです。
どんなに鬼畜の所業をつくされても、奴婢は黙ってたえるしかない、人としてはあつかわれないのだと、あきらめるしかありませぬ。いや、漢族はわれらを人としてあつかわないのでございます。
ところが董幼宰は、こうした気風をあらためるように官吏に指示をだし、われらの怨嗟の声にも耳をかたむけ、理不尽な虐待から、何度も仲間を救い出してくださいました。
つまり、われらは、董幼宰に恩義があるのでございます。これを果たさぬうちに、みすみす処刑されたとあっては、われらイ族の面子にかかわりましょう。ほかの民から、なんたる恩知らずよと笑われてしまいます。ですから、なんとしても助けなければなりませぬ」
「奴婢として狩られているのは、イ族だけではないだろう」
憮然と祝融がいうと、仲間たちは、さらに恐縮して、答えた。
「はい、ですから、ほかに成都におります者たちも、常日頃の部族間の恨みつらみはわすれて、一致団結してこれを救おうと決めたのでございます。
姫が成都に滞在していることは、ほかの部族のものたちも知っております。なのに、姫はまったくなにもしなかったといわれましたら、恐れながら、父君アジョリトさまの面子も立たなくなってしまいます」
筋がしっかり通った話に、祝融は抗弁することもできない。
イ族のことだけならまだしも、ほかの部族らが絡んでくるとなると、もはや祝融の気持ちだけで判断できることではなくなってしまうのだ。

祝融は、しんと静まり返った小屋をふりかえった。
あの小屋のなかに門への入り口がある。
その入り口の地下にひろがる古城のどこかに、ゾトアオはいるのだ。
『すまない、ゾトアオ。いまは、おまえをすぐに助けることはできそうにない。あたしが門を見つけるまで、それまでどうか生きていておくれ』
そう心で呼びかけると、祝融は、仲間たちとともに、董和を助ける作戦をねるため、林をはなれた。



夜が明けた。
手の届かない高さにある窓から、すがすがしい白光が下りてきた。
血と汗と体臭と、汚物の匂いの充満する牢にあって、朝陽のありがたさを董和は噛みしめていた。
格子のはめられたちいさな窓から、神々しいまでにうつくしい、錦のような彩雲が、朝陽の明け染める空に輝いているのが見える。
ああ、こんな朝に、私は死ぬのだな、と董和は思った。
おのれの処刑を知らされたのは、つい先ほどのことである。
刑吏がやってきて、貴方は蝋燭の買い占めの罪で、朝日が完全にのぼったら、刑場にて首を刎ねられるのだ、と告げた。
それを告げた刑吏のほうが泣きそうな顔をしていた。
お力になれず、と最後まで言えず、袖で顔を隠してしまったので、董和は、自分のために泣いているところをだれかに見られたら、お前まで罪に問われるから、といってたしなめ、去らせた。
ふしぎと驚きはなかった。

牢の前に積まれている箱のうえに、目を向ける。
真夜中、軍師将軍があらわれて取引をもちかけてきたのであるが、それすらも、おのれの期待が生み出した夢であったのでは、と思う。
いまは、そこに軍師将軍がいたという痕跡は、なにもなく、会見のときに無造作に床に投げられた黄色い輝石の指輪さえ、そこにはもう落ちていない。

家を売って、不都合になることはなにもない。
しかし、董和の長年の勘が、それを諾と応じてはならないと告げた。
だからこそ、孔明の屋敷を売れ、という話を蹴ったのであるが、朝になって、無慈悲なまでにうつくしい空を見上げていると、ふつふつと、死にたくないという気持ちがこみ上げてきた。
だれのためでもなく、おのれを明らかにしたいという願望でもなく、ただ、生きたいとしみじみ思った。
そして、すでに下された理不尽な処罰は、もはや覆せないのだと思うと、悲しくて涙が出た。
情けないと思ったが、一方で、すでに自暴自棄になりはじめた心が、いまさら外面を取り繕ってどうすると哂う。
孔明の申し出を蹴るべきではなかったかもしれない。
どうしてそこまで孔明がおのれの屋敷にこだわるのかわからないが、自分の死後、屋敷は孔明によってなんやかやと接収されるのだろうと想像した。

待て。
床に落ちた、いくつもの涙の雫を見つめながら、董和は気づいた。
なぜ、軍師将軍は、さして人の気をひくこともない、わが屋敷にそこまで執心しているのか。
なにがあっても九門古城を封じるのだと語った、あのことばには偽りはないように思える。
孔明は、九門古城のために動いているのだ。
とすれば、わが屋敷にこだわる理由にしても、古城に関するなにかがあるからではないのか。
とすれば、なんだ。
わが家は、もともと巴蜀を祖先にもつが、祖先が古城にかかわっていたという伝承もないし、それらしい謎めいた品が伝わっているということもない。
だいたい、もし伝わっているにしても、董家の五男坊たる董和のもとにそれがあるはずがない。
あるとしたら、長兄の家にあるだろう。
しかし、長兄のことに関しては、孔明はなにひとつ触れていなかった。ただ、いまの屋敷を売れ、とだけ言ったのだ。

壁にもたれて錦に染まる空をながめていた董和は、起き上がった。
すると、鞭打ちで受けた傷が、ほとんど熱を持っていないことに気づく。
そして思い出した。
去り際、孔明は、これはわが家に伝わる薬です、毒ではないからお飲みなさい、と言って、丸薬をくれたのだった。
孔明がおのれに毒を盛る理由もなかろう、というわけで、董和はそれを口にした。
なるほどたしかに、ちゃんとした薬であったようである。
ありがたいことにはちがいないが、一方で残酷な気遣いだなとも思う。
そういったちぐはぐさのある、ふしぎな印象を残す青年であった。

死ぬのか。

やがて刑吏たちがやってきて、董和を牢屋から引き出した。
いまだ意識のもどらない胡偉度も同じであった。
獄吏が荒っぽく、胡偉度に水をかけたが、反応はない。
まさか、死んでしまったのではないか。
董和は、腕をくくられながらも、ぐったりとして、ぴくりとも動かない胡偉度に、何度も呼びかけた。
すると、偉度の裂けた唇から、うめき声らしきものが聞こて、、董和は、ほっとしたのであるが、意識を取り戻したときが死ぬときだということが、あまりに残酷に思えた。
父親の借金をかえすために古城の話に巻き込まれた。
つまり、偉度にこそ、殺される明確な理由がない。
ただ、そこにいた、というだけなのだ。
「その男は、なぜわたしと一緒に処刑されるのだね」
と、董和のために泣いてくれた刑吏に、ひそかに尋ねると、こんな答が返ってきた。
「私どもにもわかりません、尚書令さまが、そうせよ、とお命じになられましたので」
栄耀飯店の張の、蛇のような顔が脳裏に浮かんだ。
偉度が意識をうしなっているために、古城へ潜入したあと、偉度と張大人のあいだでどのようなやりとりがあったかはわからない。
だが、張は、偉度が地図を董和に託したことに気がついたのではないか。
それを裏切りと思い、偉度を殺してしまうことに決めたのかもしれない。
偉度がつくった地図は、いま、屋敷のなかにある。
じいやに、だれにも渡してはならないと言い含めておいたから、いまは無事なはずだ。

そして、栄耀飯店に苦しめられている、長星橋のひとびと、晴嬰のことを思い出し、董和はさらに、死にたくないという心を強めた。
いまここで死んでしまったら、いったい、だれがかれらを守るのか。
一歩一歩が、鉛の足枷をはめられているかのように重い。
着実に死に向かって歩いているのだと暗然としながらも、董和は、最後の最後まで、どんなにぶざまであろうと、生き残る手段を見つけようと決めていた。

十九話へつづく…
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