捜神三国志・燭龍本紀

第十六話 龍の系譜

助ける、の言葉をきいても、董和はそれに飛びつかなかった。
闇におぼろげに浮かび上がる、晴れやかな男の顔を、じっと見据える。
やはり、その心中は読めない。
 
「タダではあるまい」
董和が言うと、孔明は、にやりと笑った。
「わかってらっしゃる。ならば、話が早い」
「わたしに、貴殿の味方になれ、とでもいうのか?」
「それは望んでおりません」
意外なことばに、ますますその思惑をはかりかね、董和が沈黙すると、孔明は、顔に浮かべた笑みを崩さぬまま、きっぱりと言ってのけた。
「この成都にわたくしがいるかぎり、だれもわたくしに敵対することなどできない。この地で生きるかぎり、やがてあなたも、わたしの側につかねばならなくなる。
それが判っておりますので、いま強要するつもりは、毛頭ございません」
 
その言葉に、董和は唖然とした。
なんという傲岸不遜さえであろう。
いまのがハッタリではない証拠に、孔明のまなざしは、すこしも揺らぐことなく、まっすぐに董和を見ていた。
昼間、目があったときも粟肌が立ったが、夜の闇のなかで見れば、いっそう、その澄明さがきわだつ。
孔明は、自分の予想する未来が、けして自分を裏切らない、ということを信じていた。
それがもしかしたら崩れるかも知れない、などとは、露ほどにも疑っていない。
 
「敵対するかもしれぬぞ」
「無理です。主公からあたえられた地位だけで人を見ているのなら、改めていただきましょう。
主公のお考えはわたくしの考えであり、わたくしの望みは主公の望みでもある。わたしが法正の下に甘んじているのは、単に益州人士の不満をあおらずに、法孝直という、あの男の性質を最大限利用するためだけに過ぎません」
 
「いつかは、取って代わると?」
「無論。わたくしはまだ若い。可能性は法尚書令より十分ある。
わたしが法尚書令に劣っている点があるとすれば、あのお方ほどの行政経験を持っていない、という、その一点のみ。
いまは未来のために、力を蓄えているのです」
「そうして法正を追放する、というのか。だが、なぜそれをわたしに喋る?」
「わたしのいまの話を、尚書令に密告するというのですか? 信じると思いますか、軍師将軍が、深夜に単身、牢屋をおとずれて、法尚書令への害意をあきらかにした、などと。
まして、あなたは免官になった身であり、しかもわたしとは、いままで面識すらなかった人物。子供でも信用しないでしょう」
と、孔明は、後れ毛をかきあげる。
その指には、灯火にかがやく黄色の輝石の指輪がはまっている。
それをじっと見つめながら、董和はたずねた。
「それで、貴殿の条件は?」
「昼間とおなじですよ。お屋敷を売っていただきたい」
 
董和の困惑は深まった。
この男、わざわざ家を売ってもらうために、この深夜に人目を忍んで、牢を訪れた、とでもいうのか。
なにか目的があるはずである。
九門古城の噂を市井にひろめているなぞの一派の象徴である指輪を、この男も嵌めているのであるから、古城に関する、なにかしらの思惑があるはずなのだ。
だが、それはなんだ? 

第一の門を張大人が管理しているように、この男も、人々を騙し、招き入れている、第四の門というべきものを管理している、とでもいうのか。

「なぜ、わたしの屋敷にこだわるのだ」
「それがわたしの宿願であるからです」
董和は、人を食ったような孔明の答えに、あきれた。
孔明の生まれは成都ではなく、何千里と彼方の徐州である。
宿願にするほどに、とくにめずらしいものもない董和の屋敷にこだわる理由など、本来はないはずなのだ。
「お疑いのご様子ですな」
と、孔明は、また髪をかきあげる。どうやら、まとめきれなかった自分の髪の束をいじるのは、癖のようであった。
そうして髪をかきあげるたびに、きらきらと黄色い輝石が輝く。
その美しさに目を奪われていると、孔明がそれに気がついて、ああ、とだけ言うと、いきなり無造作に指輪を外した。
「忘れていたな。死んだ男の指輪なんぞ、そういつまでも嵌めているものではない」
「それは、貴殿のものではないのか」
答えの代わりに、孔明は指輪をそのまま、ゴミでも投げ捨てるように、あっさりと指輪を床に放り投げた。
からころと、静寂につつまれた牢に、ちいさな指輪の転がる音だけがひびく。

孔明の行動の意図がわからず、ただただ唖然とする董和に、孔明は、それまで浮かべていた不遜な笑みをひっこめて、真摯なまなざしをむけてきた。
「わたしは徐州の出であるというのに、なぜ成都のあなたの屋敷にこだわるのか、ふしぎに思っておられるでしょう」
「思う。理由はなんだ。いや、そのまえに、貴殿は九門古城を知っているのだな」
「知っております。いま兵を差し向けて、中を探らせておりますよ」
あっさりと答えた孔明に、董和はおどろいてまえに進もうとするのであるが、背中の鞭の傷が、ずきりと痛んだ。

「ご無理をなさらず」
「大きなお世話だ」
背中を気にしながらも、董和は意地だけで顔をあげて、孔明をまっすぐと見つめた。
「兵を古城に入れたというのか。貴殿も栄耀飯店とつながりがあるのか?」
すると、孔明は、くだらぬことを言うな、というふうに鼻を鳴らした。
「あのような汚らわしい者に、なぜわたしが近づかねばならぬ」
「では?」
孔明は、不敵に、にやっと笑ってみせる。
「別の門から。おどろかれましたかな?」
孔明のふざけた問いに、董和は絶句した。

木箱のうえで足をくみ、ひざにおのれの肘をあずけて、頬杖をつき、動物をながめるかのように、孔明は董和を見つめている。
法正の倣岸さにも腹が立ったが、この若者の態度も、なかなかのものであった。
「戦乱というものは厄介だ。ありとあらゆる『秘密』を炎で追い立てて暴いてしまう。
九門古城のことも、わが一族と、ほかの蛮族どものあいだでひそやかに伝えられる伝説だけでよかったものを、まさか、地図の写しが成都にも残されていたとは」
「成都、にも?」
「左様」
言いつつ、孔明は、みずからの懐をさぐる。
そうして取り出してみせたのは、一巻の書であった。
唖然としている董和に、孔明は、その細長い指先でもって、器用に書物をひろげて、か細い明かりのまえにさらしてみせる。
地図であった。

「九門古城の地図? まさか。焼けてしまったはずでは!」
「わが家に代々伝えられていた地図ですよ。これも写しに写しを重ねたものなので、一部に間違いがあるようですが、いま、兵たちに、これの精査を実地でさせているところです」
「もしや、馬将軍とつながっているのは、貴殿か?」
董和がたずねると、孔明は、声をあげないように、その唇を手のひらで隠して、肩を揺らせて笑った。
「おもしろいことをおっしゃる。あの気高くも愚鈍な駿馬は、もはや御しても意味がない。成都が陥落した時点で、用は済んでおります。
あとはせいぜい、魏や呉にむけて睨みをきかせてくれればよい。なにを思ったか、古城にもぐりこんでいるようですが、じきに飽きることでしょう。
手当たり次第に進んで、なんとか最下層にたどり着けるほど、古城の構造は単純ではない。あれには決して『得れば天下をとれる宝』は、得られますまい。
いや、だれの手にも、あれを渡すつもりはございませぬ」
「宝の正体を知っているのか」
董和の問いに、しかし孔明は、奇妙に華やかな笑みだけを浮かべるばかりだ。
答えるつもりはないらしい。

董和は、質問を変えることにした。
「貴殿の一族とはどういう意味だ。たしか、貴殿は徐州の琅邪のご出自」
「左様。泰山の麓にて命脈を保ってまいりました一族の末裔。そして、わが祖神の守り手でもある」
「祖神とは」
すると、孔明は笑ったのであるが、しかしその笑みは、さきほどの意図の読めない笑みとはちがい、あきらかに優越感からくる笑みであった。
「その名を語ることはできませぬ。しかしこの大地に、もっとも古く栄えた国を治めた王。
国は、卑怯な策によってほろび、王の五体は切り刻まれ、各地にばらまかれてしまいましたが、その一族は四方に散らばって、王の血を伝えつづけた。
最後まで残ったのが、わが一族。風と霧をあやつる冥府の武神をまつる一族にございます」
「風と、霧」
「その名は隠され、葬られた。けれど泰山に祭られし王は、いまも人々の心に君臨をつづけている。
冥府の王の怒りをおそれ、いまも地上の王は、王朝がかわるたびにあいさつに行かねばならぬほどに」
「貴殿の言う神の名がわかってきたぞ」
董和のことばに、孔明は芝居がかったしぐさで、おのれの唇に、人差し指をたてた。
「口に出してはなりませぬ。名には力がある。封印された名を口にすれば、名は力をえて、わざわいをもたらす。
なにせ、この地は、王にとっては敵地にも等しいところ」
「九門古城とは、貴殿にとって、なんだ」
「墓場」
と、端的に孔明は答えた。
「あれが墓か? 墓にしては、規模が大きすぎる」
「もちろん、建てられた当初は、墓のつもりで建てられたのではなかった。人が住むための、街です、あれは」
「街?」
「地上に住めなくなったので、地下に潜った。そして、地上が住めるようになってから、地下に潜らねばならなかった理由を葬るための墓にした。そして、秘中の秘として永遠に封印したはずだった」
「けれど地図が残っている」
「左様。葬ったはずのものを、あえてその痕跡を残しておいたのは、子孫のためであったのです。漢族に追い立てられたおのが子孫のため、いつか『それ』を取り出して、ふたたび天下を取り戻すようにと」
「それが宝というわけか」

低くうめくようにつぶやく董和に、しかし、孔明はおのれの後れ毛を指でもてあそびながら、唄うように言った。
「あんなものは、宝などではございませぬ。葬るべき忌まわしきもの。
わたしが古城に潜るのは、宝を今度こそ永遠に葬るため、そして、古城のひみつを知るものすべてを葬るため」
「なんだと!」
「あなたは聞けばたいそう有能なお方だ。殺してしまうのは惜しい。ですから、助けてさしあげると申し上げております。
ただし、屋敷をわたしに売ることが条件でございます。
さあ、ご返答は。董幼宰どの」




劉備は、目が覚めると、欄干に寄って、そのまま街をながめようとしたのであるが、街をつつむ気配の、いつもとちがう空気に、すばやく気がついた。
空に敵意があふれている。
抽象的ではあるが、大気のそこかしこに、ぴりぴりと肌に刺すような、いやなものを感じるのだ。
劉備はふりかえって、控えていた孔明を見る。
孔明は、いつものように、相も変わらず、一点の曇りもない晴れやかな笑みを浮かべ、劉備に拱手してみせた。
「よき朝にございますな」
「そうかね」
あえてすべては述べず、劉備は孔明の脇をとおりすぎる。
半歩ほどすすんだところで、頭を下げたままの孔明のほうを、ちらりと見た。
「おまえは機嫌が悪そうだな」
「なぜにそう思われますか」
と、さきほどと変わらない笑みを浮かべたまま、孔明は顔を上げる。

たしかに、孔明の表情だけを見れば、機嫌が悪いとは思えない。
むしろ逆に見えるのであるが、しかし劉備の目はごまかされなかった。
「理由は聞かぬよ。おまえとて人間だ。機嫌が悪いときとてあるだろうよ」
「恐れ入ります」
「ところで、なにか街で事件でもあったか」
「事件と言うほどのものはなにも。尚書令どのが、あいかわらず暴れておりますが、その程度でございます」

法正の話を聞くと、劉備とて、いい気持ちはしない。
法正が劉璋の下で、どれほど辛い目にあっていたかは、本人のことばや、亡き龐統、そしてほかの者たちの証言から聞いているから、その怒りが、いま爆発しているのも仕方ないと思う。
ただ、早く腹をおさめてくれと思う。
さすがにそろそろ、口を出さねばならなくなってきたようだ。
けれど、その報告を、『その程度』と切り捨てる孔明の態度にも、劉備は引っかかるものをおぼえていた。
こいつ、こんなふうに割り切りのよいやつだったろうか。

「で、尚書令どのは、昨日は、だれを捕まえたのだい」
「主公はご存知ございますまい」
「いいから、教えてくれ」

名前をおぼえておいて、あとで情勢が安定したときに、遺族になんらかのことをしてやるつもりだった。
半端な善意だとわかっているが、いまはどうしようもない。
法正が狙う相手には、たしかに過去に非があった。
それに、冷酷なことをいえば、法正がかわりに劉璋にちかしい者を消してくれているので、思った以上にはやく、蜀の地は安定してきている。
夢中でとった土地だが、いやなことだと劉備は思う。
そして、陣中ですっかりのぼせ上がり、勝利を喜んでいた自分に対し、それが仁君の態度かと叱ってくれた龐統をなつかしく思った。
人間臭さでいったなら、孔明よりも龐統のほうが、らしかった。
辛辣きわまりない言葉で讒言してくるやつだったが、その根底には高い理想があったように思える。
孔明がそうではないとは言わないが、蜀に入ってから、どうも様子がおかしいのも事実なのだ。

「免官となっておりました者でございまして」
「うむ」
「前益州太守の董幼宰と申す男です。いま市場にて、蝋燭の値が高騰しているのですが、この男が黒社会の者とつながって、蝋燭を買い占めていたのが原因だったということにございます。
本人にまったく悔悛の態度が見られないことから、尚書令どのは、明日、董幼宰を斬首に処することを決定いたしました」

劉備は息を呑み、しばし唖然と孔明をみつめた。
「蝋燭だ?」
「はい」
「蝋燭をたくさん買っていたからって、首を斬っちまうのか。やりすぎだろう」
しかし、孔明は、口許では笑みを浮かべながらも、目は冷たく細めて、言った。
「いいえ、蝋燭は高級品とはいえ、市井の暮らしを支える必需品。これを独占するということは許されませぬ」
「油があるだろ。紙燭にしとけ」
「恩赦を与えるおつもりですか」
「そうしたほうがいいような気がする。いや、そうすべきだろ」
「尚書令どののなさることに口を出すなとおっしゃったのは、主公でございます。主公からそうおっしゃってください。
わたくしがでしゃばると、また揉め事になりますゆえ」
「困ったな」
劉備のつぶやきは、本音である。
卓につき、その表面に映っているおのれの顔を見る。
「いや、ほんとうに困った」
だれに言うとはなしに言って、劉備は頭を掻いた。

十七話へつづく…
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