捜神三国志・燭龍本紀

第七話 第三の門

たしかこのへんだったがなあ、と言いながら、蝋燭の明かりを頼りに、男は岩場をうろうろする。
「それにしても、さっきの化け物の絵は、なんであったのでしょうね」
と、胡偉度が言った。
それは董和も気になっていた。
ともかく互いの疲労もあるし、赤頭巾を信じてよいものなのかどうかすら、判じかねているので、ここはまず、第三の門を探そう、ということになったのだ。

「おや、あそこで、なにか光っておる」
張嶷がいい、胡偉度に蝋燭をかかげさせた。
すると…
董和たちは息を呑んだ。
頭上を見上げると、巨大なキノコを、そのまま岩にして並べたような奇岩がある。
そのキノコ状の柱の間には…
「宝だ!」
胡偉度が叫んだ。
まさにそのとおり。
巨大なキノコ状の石柱のあいだに、きらきらと光る宝剣が突き刺さっている。
石柱は、まるで宝剣をまもるようにして並んでいる。
「なんとすばらしい」

その宝剣は、ハンパは欲などを、あっさりとなぎ払ってしまうほどに、清冽な美しさを放っていた。
董和たちは引き寄せられるように、宝剣の突き刺さっている場所まで、岩を登った。
明かりを近づけなければわからないのだが、この宝剣の刺さった根元には、すでに幾星霜を経て、岩が固まり始めていた。
つまり、この宝剣がここに刺さったのは、とんでもなく昔の話、ということになる。
しかし、そうとは思われないほどに、宝剣は見事な輝きを放っていた。
みずみずしい青地を基調にして、鍔は雲霞をかたどった模様になっており、左右に龍がいて、向き合っている。
柄を握ると、不思議な気力が得られそうな錯覚さえおぼえる。
思わず董和が手を伸ばし、束に手を触れた。

その途端、ぶわっ、と大きな風が吹き付けてきた。

王の名は……といい、その身に携えた剣を、湧天剣、といった。
恃みにする兄弟の数は「八十一」。
鉄の頭と、鋼の額、腕は六つで、眼は四つ。
豊かな長江の王国の王にして、敵知らずの武神。
その王国は、中華に花開くすべての文明の、なつかしき故郷。
王は雨を呼び出し、風を操る、巨大な力を持っていた。
敵うものなどだれもいなかった。
あの炎の野で倒れるまでは…

「幼宰どの! 大事ないか!」
気が付くと、真っ青な顔をした張嶷と、泣きそうな顔をした胡偉度の顔が、真上にあった。
真上? 
体を動かそうとすると、首から下が痛んだ。
どうやら、岩壁に叩きつけられたらしい。
「やはり、ここは呪われた地なのですよ。触れただけで、体が吹き飛ばされてしまうとは」
と、胡偉度は、董和が起き上がるのを手伝いながら、震えた声で言う。
そうして、重そうに担いでいる袋から水を取り出し、董和の口に含ませた。
ただの水なのであるが、それは甘露のように、うまく感じられた。

「わしもこの年になるまで、いろいろ見聞してきたが、あんなおそろしい仕掛けは初めてだ」
蝋燭を持つ係を、偉度の代わりに受け持った赤頭巾が、低くうめいた。
「大事がないようで良かった。立てるか? もしムリなら俺が担いでいくが」
張嶷の申し出を、まだどこかぼんやりした頭で聞きながら、董和は首を振った。
「いや、大丈夫だ。わたしは、湧天剣の怒りに触れたか」
「湧天剣?」
と、張嶷・胡偉度が、怪訝そうに顔を見合わせる。
「なぜ剣の名がわかるのです。あれは湧天剣、という名前のものなのですか」
「どこにも銘がないがねぇ」
赤頭巾は、三人からわずかに離れ、石柱に囲まれた青い剣をしげしげと眺める。蝋燭の明かりをうけて、その白刃は、錆もせず、青白い光を放っていた。
「夢を見たのだよ。一瞬であったが。
なんとも説明のつかぬ夢であったな。奇怪な牛の仮面をつけた武人がいた。
いや、王、と呼ばれていた。まるで、さきほどの壁画にそっくりであったぞ」

だれしもひと目見たならば、あこがれるに相違ない豊かで穏やかな王国。
それを統べる王の、異形でありながらも凛々しい姿。
風雨すら操り、だれからも慕われる。
恐ろしさはあったが、ふしぎと嫌悪は沸かなかった。
その面貌や眼差しに触れたわけではないのだが、董和には、仮面の下の王の姿が、悪いものではないと直感した。
もちろん、夢の話であるが。

それに、しても突拍子のない夢であった。
蜀はむかしから神秘の地として、さまざまな奇怪な伝説、民話の残る地であるが、董和は、いままで、異形の王の伝説など、聞いたことがなかった。

いや、待て。
本当に知らないか? 
なにか思い出せそうだが…

董和が意識をはっきりさせるために頭を強くふると、張嶷が、赤頭巾に聞こえないように、素早く言った。
「しかし怪我の功名だ。第三の門がわかったぞ」
「まことか」
「ああ。まだ赤頭巾は気づいておらぬが、どこからか風と、虫の声がする」
言いつつ、張嶷は天井を見上げる。
董和もつられて見上げると、天井に、人ひとりが落ちてくるにちょうどいい、わずかな隙間があり、月光であろうか。地上の明かりが射しこんでいる。
張嶷は、眼差しを強くして、付け加えた。
「外に出たら、赤頭巾の正体をみなで暴こう。
おれがヤツを抑えるので、幼宰どのは、赤頭巾を取ってくれ」
「しかし、害を為すつもりはなさそうだぞ」
「甘い! ヤツがそのつもりでなくても、九門古城のことを知った以上、また潜りにやってくるか、だれかに話をしてしまうかに違いない。
ここが危険な場所だというのは、貴殿も身に染みてわかっただろう。
ヤツの話に踊らされた人間が、うかつに潜りに入れば、奇態な仕掛けや、盗賊どもの餌食になり、また人死が増えるのだぞ!」
「う、うむ、まったくおまえの言うとおりであるな。
わかった。まず天井の穴を開く仕掛けを探し、地上に出たら、ヤツを取り押さえよう」
「胡偉度にも、それとなく報せてくれ。仕掛けを探す振りをしながら、だ」

董和は、赤頭巾に気づかれないよう、うなずくと、赤頭巾と一緒になって、おっかなびっくりと宝剣を覗き込んでいる胡偉度の肩を叩いた。
赤頭巾は、無邪気に、まるで鏡のようだ、などといって、剣に映る自分の姿であそんでいる。
「もう起き上がってよろしいのですか」
「軽く頭を打っただけだ。それより、第三の門が見つかりそうだ」
董和はおどろく胡偉度に、眼で合図して、赤頭巾に報せるな、と告げた。
つづけて、早口で、さきほど張嶷に言われたことと、おなじことを説明する。
胡偉度は、顔を曇らせつつも、賛同した。
「お気の毒ではありますな」
「命を取ろうというのではない。むしろ、ヤツの命を守るためだ。
それより仕掛けを探すぞ。ヤツの話だと、天井から落ちて、どこかに触れたら作動した、ということだから、どこかの岩肌にまぎれている可能性がある。
わたしがヤツの気をそらす。そなたたちは仕掛けを探れ」

董和は、胡偉度に張嶷とともに仕掛け探すよういうと、自分は赤頭巾に近づいた。
赤頭巾は飽きずに、しげしげと宝剣をながめている。
「董和さん、三番目の門とやらは見つかったかね」
ぎょっとして、董和は、思わず張嶷らを振り返る。
会話が聞こえていたのか?
しかし、赤頭巾は、宝剣を眺めたままの姿勢を崩さず、言う。
「おそろしく綺麗な剣だなあ。相当な力を持ったヤツがもっていたのだろうけれど、あんたはどう思う? 
わしは、これを持っていたヤツは、悪いヤツじゃなかったような気がするのだが」

ふと、董和の脳裏に、さきほどの夢が過った。
この剣は、もしあの夢が董和の作り上げた幻想ではなく、剣が見せた残像なのであれば、湧天剣といい、牛の仮面をつけた王が携えていたものだ。
しかし赤頭巾は、董和とおなじ幻影を見たわけではない。

この男、どこか人の心を見透かすようなことを言うのだな、と少々気味悪くおもいながら、董和はたずねた。
「なぜだ?」
「見とれるほどに綺麗だからだよ。悪いヤツっていうのは、どういうわけだが総じて趣味が悪い。
たぶん、自分がきらわれているのがわかっていて、持ち物だけでも立派に見えるように、ゴテゴテ飾り立てるのだろうなあ。
こいつは装飾が凝っているが、見せびらかすためのものじゃない。
きっとこれを使う人間のために、職人が丹精こめて作り上げたものだと思うね」
と、赤頭巾は、眼だし窓から、つぶらな眼をにっこり笑わせて言った。
「まあ、勘だがね」

そのときである。
ごおん、という轟音とともに、空間全体が地響きに包まれた。
「何事だ!」
もともと、地下、という特殊な空間にあり、しかもかぼそい蝋燭だけが頼り、といった状況であるために、つねに不吉な予感と恐怖が消えない。
このときも、董和は崩落の恐怖を錯覚した。
天井が、落ちる?

揺れはどんどん烈しくなり、董和は振動で立っていることすら出来なくなった。
壁のあちこちが徐々に崩れはじめ、ぱらぱらと小石が落ちていく。
砂が雨の雫のように、天井から落ちていく。
五臓六腑が跳ねるような心地をあじわいつつ、董和は目の前の光景を疑った。
宝剣と、宝剣をながめていた赤頭巾が、徐々に、陥没しているのだ。

いや、そうではなかった。
空っぽの桶に一気に水を入れたように、頭上から新鮮な空気が入り込んでくる。
包まれるような光におどろいて見上げると、天井がいつの間にかなくなっており、大きく開いた穴の上から、満月が見下ろしていた。
見ると、胡偉度は四つんばいになって団子虫のように丸まって怯えており、張嶷は手にした槍を杖のようにして、こわばった顔であたりを睥睨している。

そして赤頭巾は、というと…

「いかん! はやくこっちへ!」
董和は、宝剣のそばで、置いてきぼりをくらって、ぽかんと董和たちを見上げている赤頭巾に、手をさしのべた。
わずか一歩の差で、赤頭巾と董和の距離は、あっというまに崖の上と下。
董和の声に、ようやく動き出した赤頭巾は、あわてて崖の表面によじのぼって、さしのべられた董和の手をつかもうとする。
董和もけんめいに身を伸ばすが、振動が邪魔をする。
あまり乗り出すと、せりあがった地面から転げ落ちそうになるのだ。
赤頭巾は、けんめいに斜面を登り、董和の手をつかもうとする。
やっと、指先と指先が触れ合う距離にまで近づいたが、今度は地上が近づいてきた。
このままでは董和の方が、地面と天井の間に挟まれてしまう。

不意に腰のあたりに違和感を覚えた。
見ると、張嶷が帯のあたりをぎゅっとつかみ、董和が落ちないように固定し、あとすこしの距離まで登って来た赤頭巾に、槍の柄を下ろしている。
赤頭巾は飛びつくようにしてそれに捕まった。
それを機に、今度は董和が張嶷に手を貸して、二人して槍にしがみつく赤頭巾を、ようやくひっぱりあげた。

ぎりぎりであった。
地面と天井の間に挟まれた赤頭巾の沓が、轟音の中、ぺしゃりとつぶれて、やがて呑まれて見えなくなった。



成都は夜になっても晴れていた。
胡偉度は、だれに感謝しているのか、ありがたい、ありがたいと拝み、張嶷と董和ははげしく息をついている。
そうして二人は、大きく深呼吸をした。
空気の籠もった九門古城にくらべ、やはり地上は空気が新鮮でおいしい。
冴え冴えと、魔性の美しさを讃えた月が、覗き込むようにして天に輝いていた。月を飾るようきらめく、満点の星々。
曇天の多い成都にあって、それは壮大な眺めであった。
いまだ振動で耳がおかしくなっている一行の耳朶を、虫の声がなぐさめている。

地上なのだ。地上に戻ってきた。
そこは、人気のまるでない、鬱蒼とした不気味な森であった。
董和たちの出てきた第三の門の周囲には、奇妙な形をした岩があちこちに並んでおり、それぞれが祭祀の対象になっているらしく、夜目にはよくわからないが、神の名前が書き付けられているようだ。
ちょうど、石はぐるりと董和たちの居場所を取り囲むように、環状に並んでいる。

一行は、ようやくほっとした。
…ほっとして、油断した。

ぴいっ、と甲高い口笛が夜闇を裂くようにして響いた。
ぎょっとして見ると、赤頭巾である。
そこで、董和はようやく、第三の門のからくりから受けた衝撃から立ち直り、張嶷との取り決めを思い出した。
赤頭巾の正体を暴き、二度と九門古城に近づかないようにする、という…
張嶷も、我にかえって赤頭巾を取り押さえようとする。

「あ、あれを!」
と、叫んだのは胡偉度である。
董和はつられて胡偉度の指し示す方向をむいた。
闇の中で、月光の塊が、こちらに向って走ってくる。
一瞬、そう錯覚させるほどに、見事な馬身に月光を一身にあつめたような白馬が、こちらにむかって駆けてきた。
その様は神秘的ですらあった。
思わず見とれて、動けないでいる一同の中を、白馬は怖じずにまっすぐ駆けてくる。
そうして、わずかも足を緩めないまま、白馬は、すべてを見通しているかのように、その首を赤頭巾に向けた。
赤頭巾は、馬の首に取りすがると、早業で馬に乗った。
すると白馬は、すばらしい跳躍力を見せ、一同を飛び越した。
反動で胡偉度はひっくり返り、董和はあやうく、そのひずめに頭を蹴られそうになり、あわてて身をかがませた。

「待たれよ! 赤頭巾!」
張嶷が叫んだ。
董和も思わず一緒に口にしていた。
しかし、赤頭巾は、月光に照らされた林の中で手を振りながら、
「捕まらないよ! 再見(じゃあな)!」
と、ふざけたことを言って、そのまま消えてしまった。


「信じられん! 礼も言わずに逃げて言ったぞ! 礼節を知らぬヤツめ!」
張嶷は怒りに前身を震わせ、吠えた。
「やはり、われらの話を察していたのだな…」
あの派手で、むしろ哀れさをもよおす出で立ちに、だまされた。
董和たちは、赤頭巾の言ったとおり、追いかけることもできず、ぼう然と、どんどんと遠くなる、ひずめの音を見送った。
その一方で、ふたたび門は、轟音を立てて地中に戻っていく。
あまりの轟音のすさまじさに、だれかが聞きつけてやってくるのでは、と董和ははらはらしたが、深夜で人里離れている、というのもあり、だれもやってくることはなく、門は閉じられた。

あとには、兎の巣穴ほどの、ちいさなくぼみが残された。
これにはまって落ちたという赤頭巾は、よほど迂闊な男だったとしか思えない。

姿を見せない梟の鳴き声が、森の中にこだまする。
何事もなかったような、静寂が訪れた。

董和は思わずため息をついた。
重ねて、信じられない仕掛けである。
この壮大な建築物を、いったい、だれが、なんのために作らねばならなかったのだろうか。

八話へつづく…
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