捜神三国志・燭龍本紀

五話 塞北の羌胡 未だ兵を罷めず

「ほほう、これは、なかなか勇壮な出で立ちではありませんか」
と、張大人は両手を広げて、董和、張嶷、胡偉度の鎧姿を見て言った。
董和は、成都の令であったとき、盗賊一味を一網打尽にするべく、武将らと共に、その隠れ家に襲撃をかけたことがある。
それ以来の鎧姿だ。
張嶷などは、着慣れているからよしとして、問題は胡偉度。
鎧を着ているというよりも、鎧に着られている、というふうだ。
そのうえ、しこたま蝋燭と燭台を抱えているのだから、一歩すすむたびに、老亀のように体が揺れる。

三人の装束は、どれも長星橋の鍛冶屋が、丹精をこめて整えてくれたものだ。
長星橋商店街には、董和たちが、自分たちのためにおそろしい地下古城へ潜るのだと知っていたので、力になりたいと、いろんなものを作っては屋敷にとどけてくれた。
ただし困ったことに、その大半は、とてもではないがお荷物になるので、持っていくことはできない。
董家のじいやは、この突然の贈り物の嵐に、目を白黒させながらも、目録を作っては、丁寧に礼状をしたためていた。
礼状を受け取った者が、それを読めるかどうかは不明だが。

「おれは思うのだが」
と、張嶷は、胡偉度に言った。
「今日は、はじめて古城に潜行する日だ。おれたちも知り合って間もない。
今日はせいぜい、半里も進めればよいほうだろう。だから、そんなに大量の蝋燭は必要ないと思うのだ」
「しかし、なかが思った以上に真っ暗だったらどうするのです!」
胡偉度はおびえた顔で言う。
もしかしたら、この若者を伴にするのはまちがっているかもな、と思いつつ、董和も口をはさんだ。
「近頃は蝋燭も高い。これは腐るものではないのだし、次回、使うことにしよう。
心細いのはわたしも一緒だ。せめて、半分は置いていくことにせぬか」
胡偉度は、まだなにか言いたそうにしていたが、しぶしぶ董和の説得に従った。

残りの蝋燭を受け取ったのは、見送りのために栄耀飯店にやってきた、晴嬰だった。
「張大人が古城のために蝋燭を買い占めているから、市場の値段がとんでもなく釣り上がっているのですよ。
まったく、こんなことは早く終わればいいのに」
晴嬰は丁寧に蝋燭を布に包んだ。
その目の下には、似合わないクマが浮いている。
本人は、ちょっと働きすぎたためだと言っていたが、ほかのものに聞いたところ、昨夜、董和たちと別れた後、晴嬰は眠らずに、結局、ぎりぎりまで董和たちが出てくるのを表で待っていたらしい。
法正の私兵や、警邏兵たちに見つからなかったのは、さいわいだった。

「晴嬰」
「なんですか、旦那。お気をつけていってらっしゃいましね」
晴嬰の調子に、普段と変わったところはない。
にっこりと、幼さの残る顔に、花のような笑みを浮かべる。
「今宵は、わたしたちを待たなくてよいぞ。店を畳んだら、しっかり戸締りをして、ゆっくり休むのだ」
晴嬰は、わかっていますよ、ともごもごと言った。
根っからの正直者なので、うまい嘘が出てこないのだ。
嘘をついたとしても、すぐばれるような、小さなものしかつけない。
「約束だぞ」
と、董和は念を押す。
董和自身、末っ子であったから、妹がいたなら、このようにこまかく注意をしたのだろうな、と思う。
晴嬰は、うつむき加減に、こくり、と頷いた。
「でも、旦那、約束を守る代わりに、ひとつ旦那にも守ってほしいことがあるんです」
「なんだ」
「無事、戻られたら、あたしに教えてくださいませんか。伝令だってかまやしません。
そうでなきゃ、あたし、心配でいてもたってもいられませんから」
「そのようなことか。うむ、ではそうしよう。そなたも気をつけるのだぞ」
言いつつ、董和はちらりと張大人のほうを見た。

張嶷に教えてもらうまで気づかなかったが、張大人の晴嬰を見る目つきは、たしかにいやらしさが含まれている。
晴嬰は、酒家の女主人を張っているが、董和が目を光らせていたので、一度も悪い虫にたかられたことがない。
董和の目を盗んで晴嬰に近づく者が稀にあったが、お節介というのはどこにでもいて、そういう輩が近づくと、益州太守の董和の名を出して、すぐに追っ払ってくれていた。
風紀の乱れていた成都の中にあり、晴嬰のような愛らしい女が、いまだに貞節を守っていられるというのは、ほとんど奇跡であった。
張大人がおかしな真似をしないように、だれか人を雇って、晴嬰の守りにつけるべきかもしれないと、董和は真剣に思った。

「幼宰さま、そろそろ参りましょう。日の入りから夜半までの時間が、盗賊たちもすくないと聞いております。」
胡偉度にうながされ、董和は後ろ髪を引かれる思いで晴嬰に別れを告げた。
晴嬰は、両手に蝋燭の入った包みを持って、まばたきもせずに、じっと董和を見送っていた。



「幼宰さまは、道に疎い」
「それはそなたたちも同様ではないか。お互い、はじめて古城に潜入するのだ、そう冷たいことを言わないでくれ」
「その道ではございませぬよ」
と、胡偉度はあきれたように首を振った。
「晴嬰さんのことですよ。無事なのを報せてください、といわれたら、ああいうときは、それでは帰ったら、いの一番にそなたの元へ参ろう、とか言ってやるものですよ。
伯岐さんもそう思われるでしょう?」
話を振られた張嶷は、男らしい面差しに、わずかに笑みを浮かべるだけだ。
「われらの中では、唯一、妻帯経験もあるあなたさまが、いちばんの朴念仁とは思いませんでした。
お気の毒な晴嬰さん。娘盛りを鈍感中年にささげておしまいになるとは」

胡偉度は、ずっとこの調子でしゃべりまくっている。
緊張と恐怖をまぎらせるために、なにか喋っていないと、不安でたまらなくなるのだろう。
その気持ちは董和も同じだ。
黙ってあれこれ想像してしまうよりは、たわいないおしゃべりの相手をしていたほうがいい。

「言ってくれるではないか。晴嬰は、あれは妹のように思っている娘なのだ。そなたが勘繰るような仲ではない。
そういうそなたは、どうなのだ。実はひそかに、だれか待ってくれている女がいるのではないか」
それは…と、薄暗がりのなかで、胡偉度がうろたえるのがわかった。
いるのだ。
「どんな女だ。ほかには漏らさぬ。教えてくれ」
「女、といいますか…」
「まだ、想い合う仲ではない、ということか。栄耀飯店の女か?」
「いいえ、良家の方です。荊州からいらした方で、わたくしなどより年上なのですが」
「ほう、まさか、人妻か」
「まさか、滅相もない。独り身の方ですよ。それはそれは美しい方でして、王昭君をはるかにしのぐ傾国の美人、といいましょうか」
「ほほう、そんな美人は見たことがない。首尾よく口説き落とすことができたなら、ぜひにその美顔を拝ませてもらいたいものだ」
「いやでございますよ。きっとあの方も、わたしなぞより、あなたさまを気に入ってしまいます」
「安心せい、この老いぼれが、早々、若い女に好かれるわけがない」
と、おのれの身を笑い飛ばしつつ、董和は階段を下りる。

晴嬰。もし自分が死んだら、晴嬰はどうなるだろう。
死ぬのでは、と思うのも恐ろしいので、遺書をじいやに託してこなかった。
休昭ならば、晴嬰のことも面倒を見てくれるだろう。
そもそも晴嬰は、休昭とのほうが、年が近いのだ。

そこまで考えて、董和は苦笑した。
なんなのだ、晴嬰のことばかり考えているぞ。
いまは、九門古城のことに集中しなければ。

「さあ、入り口だ」
と、張嶷が言った。



階段を降りきると、昨夜もやってきた、大広間にたどり着いた。
人はだれもおらず、ともされた明かりが、床に点々と落ちた、黒ずんだ染み、つまりは血痕を照らし出している。
開いた扉からは、風の唸り声が聞こえる。
その奥からさらに届いてくるあの音は、大理石を蹴る軍靴の音か、それとも剣戟か。

張嶷と胡偉度が、ごくりとつばを飲む音が聞こえた。
董和も同じだ。
昨夜よりは重装備とはいえ、古城の状況が変わっている、というのではない。

『得れば必ず天下を取れる宝』。
おそらく、九門古城の最下層に眠るだろうそれを見つけることができたなら、すべてはきっといい方向にむかう。

董和は、らしくないことに、根拠なく自分に言い聞かせた。
そうでなければ、足がすくんで動かなくなってしまう。

「おまえたち、いつまでそこに突っ立っているのだい? 中に入らないのなら、わたくしたちに道をお開け!」

高飛車な、凛とした、よく響く女の声がした。
董和たちは、仰天して振り向いた。
いつの間にいたのだろう。
広間には、背の高い、派手な赤い鎧姿の女武者が立っていた。
そのすらりと伸びた肢体を、赤い炎のような鎧が守り、使い込まれたものとひと目でわかる、鞭や刀を装備している。
赤い鎧は、雪のように白い女の肌に、痛々しいほどよく映えた。
董和たちにつよい印象を与えたのは、その目。
細面の美貌に、猛禽を思わせる目がある。
そこには、燃え盛る火を思わせる、強烈な闘志が見てとれた。

「聞こえなかったのかい?」
ぼう然として身動きできない董和たちに、女は苛立ちまじりの声をかけた。
「それとも、わたくしの言葉がわからないのかい? 
せっかく、おまえたち漢族にわかる言葉をしゃべってやっている、というのに!」
「これは失礼した」
と、董和が答え、それを合図に、ほかの二人も扉から身をずらした。
「まったく、漢族の男は愚図が多いね。あの張大人ってやつもそうだ。
『あなたさまのような美女が、危険な九門古城に潜ったら、どんな恐ろしい目に遭うかわかりませぬ。ここは、地上にてよき知らせをわたしとともに待ちませぬか』
だって! 
冗談じゃない。この祝融の実力を知らないから、あんな馬鹿げたことを言うのだよ。あれはわたくしに気があったのだね。
でも、あんなくだらない男の物になんかならない。祝融の血を引くわたくしだもの。わたくしには、世界でいちばん強い男でなければつりあわない。
ゾトアオ、おまえもそう思うだろう?」
ゾトアオ、と呼ばれた男は、祝融と、みずから神の名を名乗る女のうしろで、おとなしくしていたが、体格は、熊のように大きな男であった。
顔の作りも大柄で、鎧も、腰にさした剣もりっぱなものである。
勇猛さと品格が、奇妙に同居している顔立ちで、くわえて愛嬌も垣間見える。

ふたりとも、漢族の鎧を纏ってはいるが、イ族であろう。
鎧の上に、民族の誇りをあらわす、黒いマントを羽織っていた。
腰には長剣がある。

「黒イだな」
と、張嶷が胡偉度に耳打ちした。
黒イ、というのは、かつて巴蜀に暮らしていた民族で、漢族に追われて、南に住むようになったイ族のことである。
勇猛果敢で、馬術に長け、大柄な人間が多い。

ゾトアオは、祝融にすまなさそうに言う。
「祝融よ、おまえの心意気はよくわかったが、やっぱり引き返さないか。
張大人というのは信用できない男だが、さっき言っていたことは、本当だと思うぜ」
しかし祝融は、ゾトアオを一顧だにせず、ぴしゃりという。
「おだまり! そんな弱気でどうするのさ。
いいかい、『得れば天下を取れる宝』が、この中にあるのだよ。
もしそれを持ち帰ることができたなら、わたくしたちは、祖先が失った土地を、ふたたび取り戻すことができるかもしれない。
それなのに、おまえはお宝を目の前にして、逃げ帰る、というのかい?」
「逃げるのではない。ただ、危険すぎる、というのだ。
だれか人をやって、宝を探させたほうがいいじゃないか」
「ふん、あたしに敵う男が世の中にいるはずないだろう? もしあたしを負かすことのできる男がいるとしたら、そいつはあたしの夫となる男だね」
「おまえ、おれの求婚に、うん、って言ってくれなかったか?」
「言ってない! まさか、あれっぽっちのお宝で、わたくしを手に入れられるとでも思ったのかい?」
「そんな! あの宝を集めるために、おれは三つの集落を落としたのだぞ」
「たった三つ! どうりでしょぼいと思った。
はん、威張るのなら、天下を手に治めてから威張るがいい。
臆病者。おまえはここでわたくしの留守を待っていな」

祝融は言うと、黒いマントをひるがえし、つかつかと足音を響かせて、扉の向こうに消えていった。
そのあとを、ためらいつつも、ゾトアオがつづく。

さすがに董和も、ゾトアオに同情した。
「すごい女がいるものだな…おそろしい」
「待つ美女もいれば、行く美女もいる。世の中広いですな」
と、ぼう然としている董和と胡偉度のとなりで、ふと、張嶷が言った。
「思い出したぞ、祝融、といえば、黒イの姫だ。
美女なのだが、たいそうなお転婆で、あまたの求婚者に無理難題をふっかけて、つぎつぎと袖にしているそうだ。
唯一残ったのが、おなじ黒イの医者の息子のゾトアオで、黒イのなかでは、ゾトアオが祝融を射止めることができるかどうかが、最大の関心事になっているという」
「そなた、口は重いが、しゃべると長いな。そのうえ、耳も早い」
「それは、誉めてくださっているのか、幼宰どの」
「もちろんだとも。しかし、彼らのおかげで緊張が解けたな。
さあ、われらもあとに続こうではないか」
董和はいよいよ、九門古城に、一歩、足を踏み入れた。



扉をくぐると、あちこちに蝋燭の明かりがともっている。
九つあるという門のうち、どこからか風が入ってきているのか、古城内は、予想以上に空気が新鮮であった。
蝋燭の明かりが、けして消えないことからも、そのことがうかがえる。
張嶷は警戒して先頭をすすみ、胡偉度は、足元の暗いところを、蝋燭で照らした。
董和は、というと、胡偉度からもらった地図をたよりに、地下二階への道を進んでいく。

広間と同様に、回廊にも凝った装飾がなされている。
天上には、神樹を模した柱から飛び立つ鳥のレリーフが刻まれており、床には大理石。
しかし崩落している箇所もあり、掌に収まるくらいの石をみつけると、董和はそれを、肉屋がつくってくれた、山羊の胃袋でつくった小袋に入れた。

とんでもない長さの回廊であるが、天井は高い。
おそらく、楼閣の二階までの高さはあるだろう。
年代を重ねたために、崩落が進んでいる箇所はともかく、たいがいの古城の壁は、どれも丹念に均等な大きさのレンガが積まれていて、レンガとレンガのあいだには、小指がはいるほどの隙間もなかった。
いったい、いかなる者が、なんのために地下に、このような空間を作ったのか。

「この地図でいくと、あちこちに部屋があるのだな。まるで宮城のようだ。」
「だれかが住んでいたのかもしれませぬなあ。部屋の中には、寝台のようなものや、文机のようなものもあるとか」
「文書はないのか」
「見つかったという話は聞きませぬ。昨今の盗賊どもは、好事家の趣味をよくわかっておりまして、古文書の類は高く売れると知っておりますから、見つかれば見つかった、と張大人に報告するでしょう」
「もしみつかれば、九門古城の謎も、すこし明らかになるな」
胡偉度と董和が話している前を、張嶷は、槍をかまえて、周囲をうかがう。
その背中は頼もしく、息子ほどに年の離れた張嶷に、董和はすべての信頼を託していた。
「しかし、まだ八つの門が見つかっていない、ということは、その近辺にある、部屋なり回廊なりは、探索されていない、ということだな」
「さようで。もしかしたら、初日から、お宝を見つけることができるかもしれませぬな」
「おい、今日は、あくまで練習だからな。二階層目へ行く階段を見つけたら、すぐに引き返す。忘れるな」
ぴしゃり、と張嶷が言う。
董和には遠慮のある張嶷だが、年の近い胡偉度には、遠慮がない。
「わかっておりますよ。冗談です。張嶷どのは、お若いのに固すぎる」
と、胡偉度が不平を鳴らしていると、前方より、盗賊らしい四人組みがやってきた。
もう地上に戻るところらしい。
董和たちを見つけると、軽く手を挙げて挨拶をした。

九門古城に潜る者の暗黙の法則のひとつで、敵意がないことをあらわすために、行き合ったとき、互いに利き腕を上げて合図をするのである。
これで何組めかの盗賊とすれ違った。
みな敵意はなく、どころか、気安く話しかけてくる者もいた。
「ここは、ただの穴ぼこかもしれんぞ」
と、盗賊が、あきらかに初心者の集まりとわかる董和たちをからかって、わざとしょんぼりして言う。
その背後では、盗賊仲間たちが、なにやらひそひそと卑猥な冗談を言い合っている。
「二階層目に潜るのは、これで三度目になるかなあ。しかし行き会うのは見知った顔ばかりでのう。
どこへ行っても行き止まり。じつは、宝というのは、とっくの昔に運び出されているのではないかと、いま、みなと噂し合っていたところよ」
「そうそう。思い切り暴れてやろうと意気込んでおった者などは、血が足りぬと、まだあちらをうろうろしておったぞ」
そんなことを言って、盗賊たちは地上へと帰っていった。
おそらく、栄耀飯店で、張大人の用意した、地価の数倍はする値段の食事を食べに行くのだろう。

彼らが去ると、さすがに董和も、ほっとため息をつく。
「やはり、そなたが張大人の一族、というのが利いているのかな。それに、胡偉度も張大人に雇われているのだし」
「甘いですよ、幼宰さま」
と、胡偉度は言う。
「やつらに、そんな理屈は利きません。やつらは、わたくしたちが探索の初心者で、まだお宝の影も形も拝んでいない、と知っているからこそ、無視しているだけの話なのです。
あと何回か潜行するようになったら、やつらの態度も変わってきましょう」
「胡偉度の言うとおりだ。連中を甘く見てはならん。平和なのはいまだけだ」
「それにしても、ずいぶん静かですねぇ。みんな、夕飯を食べに地上へ戻ったのでしょうか」
「いや、そうではないな。だとしたら、蝋燭を回収していくはずだ。
晴嬰どのも言っていたとおり、蝋燭の値があがっている。実入りのすくない地下探索で、盗賊たちも節約をしているはずだ」
「世知辛い話だな」

ぴたり、と張嶷の足が止まった。
その様子に、董和と胡偉度も笑みをひっこめる。
足音が止むと、前方のほうから、剣戟が聞こえてくるのがわかった。
壁に、争う人影が映し出されている。
まるで、幻燈を見ているようだ。
二人の大男が、槍と鉞を互いに振り回し、群がる男たちを、つぎつぎとなぎ払っている。
実際にその場面が見えている、というわけではないから、恐怖が湧かない。
二人組みの男。董和の脳裏に、昨夜の盗賊の話がよみがえった。
「いかん、伯岐、戻るぞ」
が、遅かった。
後退しようとした三人の前に、片腕を切り取られた盗賊が、這うようにしてあらわれた。
男は、必死の表情で、三人に手を差し伸べる。
「た、たす…」
たすけて、とすべてを言い終わらないうちに、ぐしゃり、と嫌な音がして、男の脳天は、鉞の一撃で潰された。
「…!」
胡偉度が、ちいさく悲鳴をあげた。
鉞の切っ先が、血をしたたらせながら、ゆっくりと男の脳天から離れる。

鉞をもつ大きな手。
着古された鎧には、盗賊たちを切り伏せて浴びた、返り血が流れ落ちている。
男はゆっくりと、その大きな眼を董和たちに向けた。
そのすさまじい形相。
鬼界の幽鬼も、おそれて逃げ出すだろう。
すべての憎悪に彩られた、激情の刻まれた顔だ。
肝を震わせる不気味な目は、男の精神が、常人とは違うものだということをあらわしている。
冷酷で利己的で、情愛や憐憫のかけらもない目。
そして、頭には、兜ではなく、頭巾があった。
そこだけが、無防備で、妙にちぐはぐであった。

「盗賊どもめ、てこずらせおって」
と、容貌魁偉の男の背後で、涼やかな男の声がする。
たったいま、多くの者の命を奪ったというのに、その声の平静なさまは、かえって不気味であった。
容貌魁偉の男は、振り返らずに、董和たち、とくに張嶷から目を離さず、口を開く。
「この近辺を徘徊している賊は小物だ。宝も持ってはおらんぞ」
「そのようだな」
もう一人の男が、屍を踏みわけて近づいてくる。
「孟起、もうひと働き必要だ」
容貌魁偉の男が言うのと、張嶷が、先手の一撃を繰り出すのとは、ほぼ同時であった。
ミツバチのような速さで穂先を繰り出す張嶷に、董和は声をかける。
「広い場所に出るな!」
張嶷は、董和の声に、さっと足を引っ込める。
同時に、鉞が、ぎりぎり足元をかすめて床に落ちた。

九門古城へ潜行する準備をすすめながら、董和は張嶷たちと策を練った。
問題は、張嶷はともかくとして、董和も胡偉度も、実戦経験においては、盗賊にすら敵わない、という点であった。
しかし、頭脳がある。
董和は、自分たちの経験不足を補うべく、いくつかの方策をたてた。
敵に遭遇したら、かならず一人ずつを相手にできるような、狭い場所に誘い込むこと。
敵の一人に対し、全員で当たること。
卑怯者の策、といわれても構わない。
彼らには、それぞれ生きて戻らなければならない理由と、果たさねばならない志があった。
張嶷はさすがに渋ったが、董和が勝てば官軍の喩えを出して説得して、ようやく承諾した。

「これでもくらえ!」
と、胡偉度が、背負っていた袋から、酒瓶を取り出す。
そして、先端にはみ出した布に、蝋燭で火をつけると、それを男にぶん投げた。酒瓶が割れると、ぼっ、と音が弾けて、とたん、炎が生じた。
酒家で、端が欠けて使えなくなった酒瓶をもらってきて、それに油を入れて、油をしみこませた布で蓋をする、つまりは火炎瓶である。
男は、炎にうろたえ、後退をする。
もうひとりの男が背後にいるのだが、男が邪魔をして、前方に出られないでいるのだ。
つづいて、董和が、手にした皮の紐に、拾った石を置いて、思い切り振りかぶり、投石をした。
がつり、と音がして、いい具合に、男の額を石が打った。
たまらず、男がうめく。
そこへ、張嶷の槍がわき腹を打ち、男はぶざまに床に転がった。
しかも床には、まだ火炎瓶の炎が残っている。
火に焼かれ、男は、鉄板の上の海老のようにのたうちまわる。

皮の紐の投石器は、董和が成都の令であったころ、羌胡よりも、さらに西からやってきたという商人から教えてもらった武器だ。
携帯によく、武器もそのあたりに落ちているものを応用できる。方向性を定めるのがむずかしいが、慣れれば弓よりも便利なのだ。

「く、くそお!」
と、男が額を抑えながら、ようやく火を消して、起き上がる。
頭に巻いた頭巾が取れて、はらり、と耳のあたりまでしか伸びていない髪が落ちかかった。
この当時、短髪の男といえば、すなわち罪人をあらわした。
しかも髪を切り落とす刑、というのは、重罪人に下される。
逃げた罪人か、と思った董和であるが、もうひとりの男のことばで、はっ、と気がついた。
「大事無いか、永年」
もうひとりの男が、姿を現した。
相方が倒れているにもかかわらず、怖じず、怒らず、涼しい顔である。
「永年? まさか、彭永年? 治中従事の?」

彭恙(ほうよう)、字を永年。
劉璋の治世のとき、素行がわるく、劉璋の悪口を周囲に吹聴したため、怒りを買って、労役囚に落とされた男だ。
しかし、劉備がやってくると、こっそり脱け出して、法正とともに、蜀を劉備に売った男。
冶中従事といえば、劉備のそばに仕えて、警護をしていなければならない武将のはず。
それが、なぜに九門古城にいるのか。

「ほう、おまえも有名なのだな。知っている賊がいるようだぞ」
と、もうひとりの男が、乾いた笑いを漏らす。
こちらも大男であったが、対照的に、品格のある面差しをした美丈夫であった。
目は切れ長で輝いており、色は白く、鼻筋は高く通っている。
彭恙とちがい、髪の色が日に晒したように淡い。
一方で、口元には、不敵な笑みが浮かび続けている。
まるで普通に町のなかで、知り合いに話しかけているようなのに、その全身は返り血をあびえていた。
手にした槍は相当な重さであるようなのに、箸を持っているかのように、軽々と扱う。

男はまだ何もしていない。
どころか、まだ三人に言葉すらかけていないというのに、すでに三人は、男の気に呑まれていた。張嶷が、
じっとりとこめかみから汗を流しつつ、槍を構えなおす。

「いままでの輩とは、毛色がちがうようだが」
と、男が、ようやくこちらに言葉を向けた。
「この馬孟起に槍を向けたことを、後悔するがいい!」
「馬孟起! 錦馬超か!」
いいざま、重く鋭い穂先が、空気を裂く。
がっ、と鈍い音がして、張嶷の槍と、馬超の槍が組み合った。
「ほう、この俺の槍を受け止めるか。この片田舎にも、小気味よい使い手がいるではないか!」
ふたたび大きく音がして、馬超は、張嶷の槍を跳ねのけた。
その不敵な笑みは、いささかも途切れない。

「お待ちを! わたしは益州の前太守、董幼宰と申す者。
平西将軍・馬孟起どのとお見受けいたしましたが、いかに?」
「ふん? 董幼宰? すまぬが耳慣れぬ名だな。
その前太守とやらが、なぜにここにいる。ここは盗賊の巣ぞ」
董和に目を向ける馬超であるが、その全身には、どこにも隙がない。
「わたくしは、故あって、ここに眠るという『得れば必ず天下を取れる宝』を探しております。長星橋の住人のためなのです。
将軍は、なぜにこの九門古城におられますのか?」
「ふむ、正直な問いに感謝する。俺は騙りの類が大きらいでな。正直にお答えしよう、董幼宰どの。
俺もまた、貴殿とおなじ、『得れば必ず天下を取れる宝』を探しているのだよ」
「まさか…!」
「そうだ。玄徳から自由になるために、そして、憎き曹操の一族を滅ぼすためにな!」

ふたたび、槍がはげしく突き出される。
すさまじい早さのために、ほとんど肉眼で、その穂先を捕らえるのはむずかしい。
張嶷も、それをなんとか交わすだけに終始している。
格がちがう、と董和は思った。
張嶷はよくやっている。
しかし、技術云々の話以前に、気迫から背負っているものから、経験まで、なにもかも違いすぎる。
馬超の流浪の人生と、それに伴う武勇譚は、成都の民であれば、恐怖と伴に耳にしている。
あの曹操を敗走させ、遷都すら検討させたという鬼神・馬超。
このままでは殺される。
三人ともここで死ぬ。

「偉度!」
董和は、固まっている胡偉度に、鋭い声をかけた。
金縛りにあっていた胡偉度は、びくりと身をふるわせる。
董和は、馬超に聞かれないよう、小声で言った。
「あれを出せ! 隙をついたら、一気に逃げるぞ!」
張嶷は、すでにぎりぎりの状態だ。
休む間もなく繰り出される穂先を、ひたすら苦悶の表情で交わしている。
たまに交わすことのできなかった切っ先が、張嶷の体をかすめていく。
それは、ただかすっただけのものに見えるのに、切っ先が過ぎたあとは、張嶷の急所の近くが、切り傷をつくる。
しかし、馬超のほうにも、さきほどまでの不敵の笑みが消えていた。
張嶷の素早さに、思うように攻撃が命中せず、焦れているのだ。

「いまだ!」
はいっ! と大きな返事をして、胡偉度が小さな袋を馬超めがけて投げつける。
同時に、周囲を、あやしげな赤い煙が包んだ。
「…これは! 卑怯者め!」
と、馬超は言葉を発するが、余計に、赤い煙を吸って、咳き込む。
背後にいた彭恙も同様だ。
唐辛子の粉末である。
董和は、煙を吸わないようにしながら、あおりを食らって咳き込んでいる張嶷の手を引き、回廊を逆方向に走り出した。
地上に出るのだ。ともかく、地上に出れば、彼らは官吏。
めったなことはできなくなる。

後ろを気にしつつ、走る董和たちであったが、途中で、胡偉度が悲鳴をあげた。
「大変です、幼宰さま!」
「どうした?」
と、胡偉度の指す方向を見て、董和は愕然とした。
ついいましがた、普通に通ってきた道なのに、壁がふさがっている。
隠し扉の類ではない。
押しても引いてもびくともせず、周囲の壁にも仕掛けが見つからない。

「くそっ、だれかが、どこかの仕掛けを動かしたのだ」
涙の止まらない目をこすりつつ、張嶷が言う。
「落ち着け。やつらはまだ追ってはこないはず。
ここが塞がった、となれば、別の通路が開いたかもしれぬ。胡偉度、明かりを!」
董和は、胡偉度の地図を広げた。
一本道であった通路に、不意に壁があらわれた。
通路には、通路を中心に、葡萄の房のように、部屋がしつらえられている。
「む?ここの空間は、おかしくないか?」
と、董和は偉度に言った。
そこは、ちょうど道が右に曲がり、二階層目の階段につづく方角へ伸びた回廊と、平行してつづく部屋であった。
ほかの部屋がみな均等な大きさになっているのに対し、その部屋だけが、妙に細長い。
「すぐそこの部屋ですな。地図で行けば、罠は仕掛けられていない、となっております。参りましょう」

三人が、細長い部屋に入ると、がっかりしたことに、あたらしい通路や扉の類はどこにも見当たらなかった。
が、回廊の向こうから、どたん、ばたんと、扉を開け閉めする音が聞こえてきた。
馬超らが追いかけてきたのだ。
「いかん、袋のネズミになってしまったぞ!」
「なんていうことでしょう、まさか、反逆者に殺されることになるとは」
「殺されるとは限っておらん! 幼宰どの、この壁、おかしいぞ」
張嶷は、あちこちの壁を、槍の柄でもってこつこつと叩いていたが、おかしいと指摘する部分は、たしかに音が軽かった。
偉度は、とびつくようにして、その部分を押したり引いたりしたが、びくともしない。
「いや、待て」
董和は、その壁の床に注目した。
床と壁の境目は、朱色の塗料が塗ってあるのだが、その部分だけ、色がおかしい。
まさか、と手で探ってみると、なんと扉は、御簾のようにあっさりと天井に向って巻き上げられた。
しかも軽い。

目の前に、新しい空間が広がった。

「明かりを消せ。ここを見つけられぬようにするのだ。やつらが来る! 早くそちらへ!」
三人は、扉をくぐると、急いで、巻き上がる床を元に戻した。
「なんという技術。これは太古のものなのか?」
董和は、明かりを寄せなければ、ほかの壁とほとんど見た目の区別のつかない扉を、ぼう然とながめた。
行商人に聞いたことがあるのだが、はるか西域をさらに超えたところにある国は、太秦国といって、漢すらはるかにしのぐ建造物を有する、それは大きな国であるという。
あなたがたは、自分たちの国が世界の中心だと嘯いてらっしゃいますが、あちらの国も、自分たちが世界の中心だと言っておりますよ、とその商人は笑っていたが…
「世は広い。想像もつかぬほどに広すぎる」
「感心している場合ではありませんよ。どうやら、地図にない領域のようです」
と、偉度が緊張した声をたてた。
「つまり、地図が役に立ちませぬ」

六話へつづく…
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