7777HITキリ番小説
しゃれこうべの辻
前編
その少年が槍をふるって、たったひとりで練習を重ねているのは、もはや村の風景のひとつであったので、いまさらめずらしがって声をかけるものはない。
通りすがりの村人たちは、汗をかきつつ、倦むこともなく槍をふるう少年を見て、あきれたような、感心したような目をむけてくる。
さっきまで、同じ年頃の少年たちも、一緒に稽古にはげんでいたのだが、彼らにとっては槍の稽古もお遊びの域をでず、時間になれば、家の手伝いをしなければならないので、片付けもそこそこに帰ってしまう。
寒風に乗って、村人たちのささやきが聞こえてくる。
趙家の末の子は、父親に似ずまじめで熱心だ、とか、だんだん、父親の若いころに似てきた、あれも長じれば自分の力にうぬぼれて、つまらない人間に成り下がってしまうだろう、と意地悪くいったり、いや、趙家の主とて、若い頃は、それはたいしたものだった、今はあんなふうに、ぼけてしまったが、などなど。
少年に聞こえるのもかまわず、無神経に口にする。
そうしてさらに小声になり、気の毒に、知らぬは本人ばかりなり、というわけか…などと意味ありげなささやきがつづく。
ありがたいことに、耳をふさぐまでもなく、ぴゅう、とつよい風が吹いて、村人たちの無遠慮なことばを攫って行ってくれた。
少年の槍の稽古を見てくれるのは、柵のところにぽつんと置かれた髑髏(しゃれこうべ)だけである。
重く垂れ込めた空の下、雪が降りてくるのを、息を殺して待っているような、寒い寒い初冬の日のことであった。
「ぼうず、なかなか筋がよさそうじゃないか」
不意に声をかけられて、少年は槍を止めた。そうして、怪訝そうに声をかけてきた男を見る。
見たことのない男であった。
小洒落た格好をしており、垢抜けない陰鬱とした田舎村には、まったくなじまない雰囲気の男である。
波飛沫と二匹の魚が向かい合う意匠の、派手な帯飾りをぶらさげて、青白い顔に、丁寧に手入れされた髯がある。二十代半ばくらいだろうか。
少年が迷惑そうにしているのを、むしろおもしろそうに見ながら、男は言った。
「さてはて、しかし寂しいぞ、観客がこいつだけとはな。ぼうず、こいつはどうした」
と、男はふざけた調子で、柵にかけてあった髑髏の頭をぺちぺちと叩いた。
ますます少年は秀麗な眉をひそめる。
男はそれを見ると、してやったり、というふうに、またも声をたてて笑った。
「すまぬ、そう怒るな。変わった友達がいる奴だと思ったのだ。ぼうず、名前は?」
「趙だ」
「そうではない。名だ。それを言うならば、俺も趙だぞ」
少年は、はじめて、しかめた眉を解いて、真正面から男を見た。
いや、観察した。そういえば、この男の顔、眉のあたりが父に似ている。
男は、村の少年たちが踏み荒らした地面を見て、
「ふん、人望がないわけではないのだな」
とつぶやいて、柵をくぐって、さらに近づいてきた。
身構える少年に、男は人懐こい笑みを見せる。
「わたしは、おまえの二番目の兄だよ。名は敬という。さて、初対面だな、末っ子。名乗れ」
「雲」
それを聞くと、二番目の兄、敬は鼻で笑った。
雲はむっとして敬をにらみつける。
しかし敬はすぐさま手をひらひらと蝶の羽根のように動かして、言った。
「すまぬ、おまえを笑ったのではない。そんな名前をつけた父を笑ったのさ。
あの色ボケじいさん、いまだに家門を盛り立てようという妄想から、逃れられぬらしいな。
ところで、雲よ、おまえが末っ子だろうな。まだほかに下がいる、というのなら、わたしはこのまま回れ右をして、洛陽へ帰るが」
洛陽に遊学している兄がいる、という話は、だれかが話していた。
この人は、長兄と母親をおなじくする、次兄、というわけだ。
雲は理解し、同時に、長兄に次いで、家の事情にくわしい『大人』がやってきたことに安堵した。
初対面の次兄(おそらく雲が生まれる前に、家を出たのだろう)が、話のわかりそうな大人だ、ということもありがたかった。
表情には出なかったけれど。
「字はもう貰ったか? なに、ない? ふむ、兄上め、家事にかまけて怠慢だぞ。
ちなみにわたしの字は叔斉。名といい字といい、いかにもとってつけたような名前だろう。
ほんとうはわたしは三男なのだが、期待されていた次男が幼くして死んでしまい、そのまま繰上げで次男になった。つまり、まるで期待をされなかった次男なのさ、わたしは。おかげで期待されないどおりの男になってしまった」
と、趙家の人間にしては、よくしゃべる次兄は、青白い顔を上気させて笑い、無口な末っ子の肩を親しげに叩いた。
これで他人ならば、図々しい奴と思って、雲は近づくことをやめただろう。
しかし不思議に、兄と思うと、苛立ちも軽く、むしろ慕わしささえおぼえた。
一見すると、あたまに馬鹿がつくほどに陽気な青年は、顔立ちだけをじっくり見れば、たしかに自分に顔立ちがよく似ている。
雲は十四であったから、あと十数年たてば、似たような風貌になるかもしれない。
とはいえ、少年が大口を開けて笑うところを見たものはいないし、本人も見せた覚えがない。
「さて、父上と母上、それと墓場の番人たる兄上と、わが弟たちは元気かな? そうか、元気か、よろしい、おまえたちの兄弟が、はるか洛陽より戻ってきたと伝えてくれ。
父上の心の臓がそのまま止まってしまっても、延命などしてくれるなよ」
きわどい軽口を叩く次兄に見送られ、雲は、屋敷のなかの長兄に、次兄が戻ってきたことをつたえるために、入っていった。
長兄という人は、母親に似た。
いちばん父親に似たのは、雲だという。
それゆえ、父親は、雲に格別な思いを持っているらしい。
らしい、というのは、ほかの兄弟たちは、雲ばかりが贔屓されている、といってねたむのであるが、雲からすれば、父親に、なにか特別なことをしてもらった記憶がないからだ。
物心ついたときから、父親は屋敷の奥で、若い妾に面倒をみてもらっている半病人で、雲から見れば、父というよりは、陰気でしわがれた老人にしか見えなかった。
雲にとっての父親がわりは、長兄であり、この長兄は、あまり愛想がない人であったが、生まれた子どもが、どれも女の子ばかり、というので、末っ子の雲を自分の子の代わりに面倒を見ている。
とはいえ、雲にはちゃんと母親がいるので、あくまで教育面では、ということである。
情操面においては、これほど期待できない人物はいない。
それほどに、長兄という人は、生真面目で、おもしろみのない男であった。
表で寒風にさらされながら、家人の出迎えを待っている次兄と、墓場という形容がぴったりの、淀んだ空気のただよう屋敷を取り仕切る長兄とで、似ている部分があるだろうか、と雲は観察してみたが、共通点は、せいぜい眉が太い、というくらいであった。
長兄という人は、まとっている空気からして陰気なのであるが、それは屋敷の内情のゆえでもある。
長兄と次兄の母、つまり第一夫人はきつい女人で、女の子しか産まない嫁をいびって日々をすごしている。
夫、つまりは雲や長兄の父には、若い妾がいるので、夫の面倒を見る必要がなく、暇つぶしに嫁いびりをしつつ、ほかの夫人たちをとりしきって、思うまま、毎日を過ごす。
長兄は、自分の産みの母、という手前、ちゃんと孝をつくしているものの、内面では、母親をうとましく思っているのは、あきらかだった。
「雲、また槍の稽古か」
あらわれた雲を見るなり、長兄は言った。
長兄は、第一夫人によって、真綿で包まれるような育てられかたをした。
そのためなのか体が弱く、雲が知る限り、いつも家に閉じこもり、帳簿とにらめっこをしている。
とはいえ、長兄の性格からすれば、たとえ健康だったとしても、外に出ることはすくなかっただろう。
長兄が大声をたてたり、ほがらかに笑ったりしたところをみたことがない。
陰気なのは、長兄の妻、つまりは雲の義姉も同様で、雲は、二人の仲むつまじい姿を見たことがなかった。
そのため、雲は、父のことも合わせて、夫婦というのは、つまらぬものだな、と思っていた。
「おまえは本当に槍が好きだな。よい先生がいたら、つけてやってもよいのだが」
一瞬、期待した雲だが、兄の『だが』に、はやる気持ちを抑えた。
長兄は、思わせぶりに期待をさせておいて、あとで無邪気に裏切る、という隠し技をもっている。
「おまえは今年で十四になるのだったな。ふむ、顔立ちもだいぶ大人びてきた。ところで、ちゃんと読めと命じていた本は読んでおいただろうね」
いい話にはなるまいな、と予想しつつ、読んだ、と答えると、兄は、やれやれ、というふうに、太いため息をついた。
長兄は、どんなことを答えても、落ち込む人だ。
「おまえは、たぶん近在の子供のなかでも、いちばん賢い子だろうな。それなのに、賊を相手に暴れるのが好きときている。ほれ、なんだっていつまでも、そんな髑髏を持ち歩いているのだ。気味が悪いとは思わないのか」
雲が持っている髑髏は、ひとりで村はずれを探索していたときに見つけたものだ。裏街道からちょっとそれた小道の茂みに落ちていたのである。
おそらく行き倒れの物だろう。そのもの言いたげな髑髏の様子が気に入って、雲は、きれいに洗って、家にもって帰って、そばに置いている。
古来、髑髏は力の象徴でもある。
頭骨は人間の英気の中心と信じられていたので、そこに故人の力が残っていると思われていた。
それを信じたわけではないが、雲は、なんとなく自分を、この見知らぬ人の髑髏が理解してくれているような、ふしぎな幻想をおぼえたのである。
長兄が、髑髏を回収しようと手を伸ばしたので、雲は髑髏を背中に隠した。
それを見て、長兄はため息をつく。
「おまえは、顔は父上に似たが、意固地なところはおまえの母親に似たな。取り上げられるのがいやならば、せめて屋敷に持ち込まないか、でなければ、わたしの前に出すな」
しぶしぶだが、雲は、はい、と返事をした。
そうしなければ、はい、というまで、長兄の小言は果てなく続いただろうから。
長兄が、自分を嫌っていることはないと思うが、好いている、ということもないだろう。
雲の母親は若くて美しいが、なかなか気が強く、気が強い者同士、第一夫人と気が合って、趙家の諍いを増やすことに専念していた。
長兄が、その後始末にうんざりしているのは、やつれた様子からよくわかる。
「ああ、失礼いたしました。雲さんがいらしたのね」
甘く優しい声がして、見ると、父のいちばんあたらしい若い妾が部屋にやってきた。
まだ十六だというその妾は、貧しい漁村の末娘だったのだが、美貌をみとめられて父に引き取られた。
妓楼ではたらくよりはましだろう、というのが父の言葉である。
とはいえ、父はこの妾をかまってやる体力にとぼしく、妾とはいっても、実際は、ていのよい、父の介護係となっているようだ。
「亥さん、薬を買うお金がなくなったので、すこし分けてくださらないかしら」
「左様でしたか、気づかず失礼を。あとで用意してお持ちしましょう」
「いかほどお持ちくださるの?」
「十ほど」
「わかりました。それではお待ちしております」
それだけ会話すると、互いに目をあわすこともなく、若い妾は父の元へ戻り、長兄はふたたび帳簿へと顔を戻す。
趙家の財務はすべて長兄がおこなっている。
これは、増えすぎた父の『夫人』たちが財産を食いつぶすことをふせぐためだ。
そうして、いまさらというように、長兄はふたたび、帳簿から顔をあげた。
「おまえはなにをしに来たのだね。馬の鞍を新調してほしい、という話ならば、この間、もうすこし我慢をする、ということで終わったはずだがね」
雲は、そこでようやく、長兄に、次兄の帰還を告げた。
長く家を空けていた次兄が戻ってきた、というので、いつもは時が止まったような趙家に、めずらしく動きがあった。
雲から見れば、どいつもこいつも、蜘蛛の巣がかかっていてもおかしくない、というくらいに生気がなく、どんよりした影のように見えていたのだが、次兄が戻った、という知らせのおかげで、動きがもたらされた。
「今夜は宴だって。親父から聞いたよ。上等の豚を屠るそうじゃないか」
と、槍の練習にやってきた少年のひとりが、雲に言った。
上等の豚、という言葉が出たとたん、少年たちは槍をふるう手を止め、雲のほうを見た。
少年たちはみな、あまり裕福でない農家の息子たちだ。
熱いまなざしを向けてくる彼らに、そうらしい、と答えると、少年たちはみな、羨望とあきらめのため息をついた。
むかしは身分や家柄の隔てもなく、たがいに仲良くしていたものだが、最近は、お互いに成長し、世の中というものが徐々にわかってきて、変にたがいの環境を意識するようになってきた。
無邪気に、ともに肩を並べる時代は去り、容赦ない現実を理解しなければならない年頃になったのだ。
「ごちそうが出るんだろうな、いいなあ」
雲としては、顔を合わせれば争うことしかしない、腹違いの兄たちと贅沢な食卓を共にするよりは、村の幼なじみたちと一緒に、粗末な食事をつつくほうが、よほど楽しいのだが。
豚の話が出たとたん、それまで楽しくしていたのだが、だんだん白けてしまい、村の少年たちは、槍代わりの棒を打ち捨てて、ひとり、またひとり、と帰ってしまった。
ひとり残された雲は、もくもくと少年たちの片づけをした。
こうして、一緒にいる時間が徐々に減っていき、やがて、すっかり疎遠になってしまうのだろう。
仕方がないのだ、と諦める気持ちもあるなかで、家路を戻っていたかれらの後を追って、むかしのように、どこまでも駆けていられたら、どれだけよいだろう、と夢想する。
八方塞がりの村から、雲は外に出たかった。
厚い雲を突き破って、光のあるところへ行ってみたい。どこか遠くへ。誰も知らないところへ行ってみたい。
無理だろう、とは思ったが。