捜神三国志・燭龍本紀

第三十三話 真実の道(五)

趙雲が見つけてきた筏は、たしかに、水の中で、乗り手を待って、ぷかりと浮いていた。
筏の横には漕ぎ手を模した人形が、なにが面白いのやら、満面の笑みを浮かべて立っている。
「なんというか、あれだ」
と、赤頭巾が口を開いた。
「あからさまに怪しい雰囲気をたたえた筏だな。木でこさえられたものだというのなら、この水でとっくの昔に腐ってなくちゃおかしい。なのに、見たところ、こいつは、ついさっきまで、だれかがこれを使っていたみたいに新しいじゃねぇか」
赤頭巾の言葉に、見えない古城の住人がどこかにいるような気がして、晴嬰はぞっとして、闇を見回した。
ひっきりなしに水の流れる音が聞こえてくる。
それは激しくはないものの、どこか見知らぬ世界へ連れて行かれてしまうような幻想をかきたてて、気味が悪かった。
「とりあえず、二手に分かれて、安全を確かめる、というのはどうだろう」
と言ったのは馬超である。
馬超の顔は、筏を見るなり、渋いものに変わっていた。
趙雲は、馬超の言葉に、これまた渋い顔を振り向かせて、たずねた。
「分かれてどうする」
「分かれて、水路の安全をな、確かめねばならぬ。たとえば、この水路の果てが、またも行く手の知れぬ滝つぼであったなら、なんとする」
馬超のことばに、趙雲はめずらしくなっとくし、なるほどとうなずいた。
「うむ、道理だな。では二手に分かれるとしよう。まず、我らが筏に乗って、水路の安全を確かめる」
我ら、とはこの場合、趙雲と馬超である。
それを聞いて、馬超はいやいや、と首を振った。
「すまぬ、わたしの言い方が悪かったようだな。二手ではなく、三組に分かれようぞ。では、翊軍将軍、偵察を頼む」
「おいおい、子龍ばっかりでは気の毒だろうに。こいつ、ほとんど休んでねぇぞ」
と、言ったのは赤頭巾であるが、馬超は、顔をしかめて、
「わたしとて、休みがたらぬ。殴られたしな」
と、すねた。
「しかたねぇな。それじゃあ、儂と子龍とで偵察に行くか」
「なりませぬ。偵察でございますぞ。馬将軍のいうとおり、この水が、階下に流れ落ちるものであったら、なんとします」
「そうしたら、そのときじゃねぇのかな。今度は一気に最下層までたどり着けるかもしれねぇ。そうしたら、本当は帰るつもりだったけれど、なんだか目的を果たせたみたいだ、得したな、と喜べばいいのだよ」
「そんな単純なものではありませぬ。今回は、たまたま運が良かっただけのことでございます。また階下に落ちる仕掛けになっていたとして、その先に、今回のように十分な水があるとは限らないのでございますぞ」
「では、あたしが参りましょうか。お三方は、ここで待っていてくださいまし」
晴嬰が申し出ると、三人の男たちは、驚いたように顔を向けてきた。
「なにを言われるか」
「まったくだぜ、女一人を偵察に向かわせて、大の男が、つくねんと待っているばかりだった、なんてことが世間に知れたら、恥ずかしくって、表を歩けなくなっちまう。そうだろう、若大将」
赤頭巾は馬超に声をかけるが、馬超は、あいまいに、うむ、と頷いた。
その元気のない様子に、趙雲は顔をしかめて、尋ねた。
「どうした、もしや、落ちたときに怪我でもしたのか」
「いや、そうではない。気にするな」
「あら、顔色も悪いようですよ。我慢なさらず、おっしゃってくださいな。水で湿ってしまったかもしれないけれど、店から、ありったけの薬草を持ってきているんです」
「いやいや、気を遣ってくれるな。怪我ではない」
怪訝そうにしながらも、そうですか、と晴嬰が引っ込むと同時に、なにやら目を細めた趙雲の言葉が飛んだ。
「馬将軍、もしや、貴殿は水が苦手なのでは?」
神威将軍とおそれられ、一世を風靡した感のある、泣く子も黙る錦馬超である。
まさか、そんなと顔を見れば、馬超は、顔を真っ赤にして、小刻みに震えている。
趙雲は、なにをどう判断したのか、大きく頷いた。
「左様か。たしか貴殿は、曹操の大群と、河を挟んで対決したのであったな。もしや、そのときに敗戦したことを気に病んで、水を忌んでいるのではないのか」

戦場にて、命のやり取りをする武将たちは、非常に呪術的なものに敏感である。
ほんのすこしの気の弛みが命取りにつながる。
それゆえ、つねに良い運に恵まれるようにと、験かつぎをおこたらない。
化粧などをして、相手を威嚇する武将もいるが、それは、身体に入れ墨を彫って、その身に神の力を宿そうと考えた古代の風習の名残で、入墨が化粧に転じたのである。
見栄えのよさを追及しての化粧もあったかもしれないが、基本的には、呪術的な意味を籠めたものであった。

「そういうわけではない」
「では、なぜだ」
趙雲が重ねて問うと、馬超は言葉を濁しながらも、いいづらそうに無数の石の積み上げられた、不気味なほどに均整のとれた美しい空間を、その大きな目できょろりと見回してから、やっと答えた。
「闇の中で泳ぐのは苦手なのだ」
「でも、あたしを助けてくださったのでしょう?」
晴嬰が尋ねると、馬超は、それは当然だというふうに、驚いた。
「当たり前ではないか。わたしは、少しでも知っている女が困っているのを見るのが、好きではないのだ。ましてや、溺れかけているのを見れば、助けるのは当然であろう」
「なら、平気なのじゃありませんか」
「だから、大きな問題が目の前にあれば、そちらに集中して、苦手だということも忘れていられる。しかしだ、こうして平常心が戻ってきてみると、ああ、わたしは闇の中で泳ぐことが苦手だったのだということが思い出されて、なんとも気分が、こう、落ち着かなくなってくるのだ」
「錦馬超の意外な弱点だな」
赤頭巾が呆れたようにいうと、趙雲も、それに賛同したのか、大いに頷いた。
「そもそも、闇夜に泳ぐということからして、そうない話だぞ。俺の故郷では、夜に泳ぐと、妖鬼があらわれて、水中に引きずり込まれるから、泳いではならぬと言われていたが」
「あたしの村でも、似たような話がありましたよ。馬将軍、なんだって夜に泳ごうだなんてしたのですか」
趙雲と晴嬰の二人に問われ、馬超は、口をヘの字にして、答えた。
「おまえたちに話すことは、なにもない」
とたん、趙雲は、鼻で笑って、いう。
「夜闇に乗じて女のところに忍んで行った途中で溺れたとか、そういった話だろう。くだらぬ」
「下世話な想像しか浮かばぬ、その頭がくだらぬわ。わたしが溺れたのは、幼少の頃、水面に浮かぶ月を取ってやろうとしたからぞ」
「月? 月って、あの月でございますか?」
晴嬰が驚くと、馬超はすこし気をよくしたのか、喋りだした。
「月はあまたの星より大きく、恐ろしい夜も照らしてくれるありがたいものだ。そこで、わたしは夜中にこっそりと脱け出して、あの美しいものを手に入れてやろうと考えた。どうしてだれも、そんなことを思いつかないのか、不思議でならないほどであったな。
で、従弟の岱をたたき起こして、網を手に、一緒に川へ向かったのだ」
「なるほど、水辺で足を滑らせて、溺れた、と」
趙雲が呆れて言うと、馬超は、顔をゆがめた。
「ヒトの話の最後を取って行くな! まあ、結果としてそうなったわけであるが」
「へえ、あんた、結構かわいい子供だったのだな」
と、感心したのは赤頭巾である。
「たわいのない昔話だ。そういうわけで」
妙にさっぱりとした顔で、馬超は咳払いひとつすると、胸をそらせて言った。
「わたしは、筏に乗りたくない。転覆したら恐ろしいからな。翊軍将軍がひとりで偵察に行け。われらはここで待つ」
「おいおい、そいつは、ちょいと薄情っていうものだろうぜ」
赤頭巾が言うのに賛同し、晴嬰も言葉を述べた。
「命の恩人にこんなこと言いたくありませんが、趙将軍だって、お疲れなのですよ。あたしだって、闇の中でまた溺れたらと思うとぞっといたします。
筏があるということは、古城にだれかが住んでいるわけじゃなし、水路の先に滝があるわけない、っていうことじゃありませんか? ですから、あたしは、ここに筏が置いてあるということは、昔のだれかが、この筏に乗って、どこかへ行っていたと考えてよいと思うのです。
ですから、偵察なんぞいりやしません。あたしが先に参りますので、馬将軍さまは、あとからついて来なさればいい。そういうの、なんというのでしたっけ? しんがり? そう、しんがりをお願いいたします」
「ならぬ。そも、つい馬将軍につられて、この先に滝つぼがあるかもしれぬ、などと考えた俺が浅はかであった。貴女が行くというのであれば、俺も行こう」
趙雲が言うと、赤頭巾も、闇になお派手な赤を頷かせて言った。
「そうだぜ。儂とて、遅れをとるものか。考えてみれば、この水路の先に滝つぼがあるっていうのなら、もっと流れが速くなってなくちゃおかしいし、この筏は艀に繋がれていねぇのに、流れていかないところが、なんとも怪しいぜ。
筏があるということは、水路をつたって向かう、ちゃんとした行く先がある、ということだ」

筏が艀に繋がれていない、と聞いて、晴嬰は、なにやら怪談話を聞いてしまったように、気味悪く思った。
ならば、この筏は、どこからか流れてきたものなのか。
それとも、何百年というあいだ、ずっと乗り手を待って、ここにぷかりと浮いていたのか。
なんのために? まるで物に心があるような。

「そうしましたら、三人で参りましょうか。馬将軍は、ここで待っていてくださいな。安全かどうか確かめたなら、また戻ってまいります」
「なに、わたし一人でここに残れと」
不満顔の馬超に、趙雲は筏のほうに足を向けながら、突き放すように言った。
「仕方あるまい。溺れても、俺では御身を保障しかねるゆえ。よろしく殿(しんがり)を頼む、平西将軍殿。守る者など、だれもいないが」
「なんとも嫌味な男だな。待て、三人で行くというのであれば、わたしも行かねば、二度手間であろう。第一、このやたらと柱ばかりの部屋だか通路だかは、どこにも繋がっていないのではなかったか」
「いいや、俺は水路を辿って歩いていただけだから、もしかしたら、どこかに別の通路があるかもしれぬ」
「だが、その通路は、おまえたちが向かおうとしている先と、繋がっているかどうかわからぬ、ということだな」
そうだ、と趙雲は頷くと、馬超はしばらく考え込み、それから、顔を上げて、清清しいほどあっさりと言った。
「さっきの滝つぼの話は冗談だ。わたしも一緒に行く」
「筏が転覆するかもしれぬぞ。三人までならまだしも、四人ではな」
「意地悪を言うな、翊軍将軍。行くと決めたら即実行。さあ、筏に乗り込め」
と、馬超は威勢良く言って、か細い燭に黒光りする筏に乗り込む。

とたん、それまでゆらゆらと、水の流れに身を任せているだけの状態であった筏が、まるで何頭もの牛に押されているような、不気味な振動音を立て始めた。
「なんだ、これは。仕掛けか?」
うろたえる馬超をよそに、燭台を手にした趙雲が、筏の端にちょこんと立っている青銅の人形を照らすと、ちょうど馬超の腰のあたりまでしかない人形は、手にしている棹を、ゆっくりと水に下ろそうとしている。
「ありゃ、ほんとうに子龍の言うとおり、動いているぞ!」
「やはり仕掛けか! この筏は魔法がかけられていて、乗り込む人間を騙して、水路の真ん中でわざと引っくり返って溺死させるおそるべき罠にちがいない! しかしわたしは引っかからぬぞ!」
と、馬超は、ひらりと華麗な跳躍を見せて、ふたたび晴嬰たちの元へと戻ってきた。
とたん、ぴたりと人形の手は止まり、筏全体から聞こえてきた、どっ、どっ、どっ、という振動音も、ぴたりと止んでしまった。
水際に打ち寄せる水の音を聞きながら、四人は、しばし沈黙して、不気味な筏を見つめていた。
「たとえ罠だとしても、たいした仕掛けだぜ。さっきの音はなんだったのだろうな」
「人形の動きも気になります。まさか、あの人形が船頭ということなのでしょうか」
趙雲は燭台をかかげて、人形の手にしている棹を照らすが、それは趙雲たちが持っている槍よりも細い、笹ほどしかないちいさな杖である。一方の筏は、大人四人が乗り込んでも、なお余るほどの大きさだ。無理がある。
「魔法がかけられていて、乗った人間を罠にはめるものだったとしても、あの人形が、まるで錆びてないのは、おかしいと思われませんか」
晴嬰は、満面の笑みを浮かべる人形が、趙雲が言ったとおり、一階層目の仕掛け扉の横に立っていたそれと、まったく同じ顔をしているのに気づいた。
「お三方、あたしも栄耀飯店に出入りしている連中から、古城のことはいろいろ耳にしておりましたが、だれもこの人形のことは口にしておりませんでした。あたしたちが落ちる前に歩いていた、あの階段だらけの通路に、埃がたくさん積もっていて、だれも先に歩いた痕跡がなかったことも思い出してくださいな。
つまり、ここにたどり着けたのも、あたしたちだけ、ということです。なんだって途中で水に落ちなくちゃいけなかったのかは判りませんけれど、昔、この古城を使っていたひとたちにとって、人形は、なにかの目印だったのじゃないでしょうか。
すくなくとも、いま、あたしたちは五体満足にいられるわけですし、おかしな表現ですけれど、この人形を信じてよいと思うのです」
「五体満足にいられるのは、たまたま幸運だっただけだ。しかし、人形が道標ではないかというのは、俺も正しいと思う。魔法かどうかは別にして、筏に仕掛けがあるにしても、いざとなれば、水路に飛び込んで、またここに泳ぎ戻ればよい話。
まさか、敵が待ち受けているという話でもありますまい。いや、むしろ敵がそこにいるならば、我らの目的は達せることになります。赤頭巾さまは如何思われますか」

趙雲に水を向けられて、赤頭巾は、腕を組んで、じっと考えていたが、やがて口を開いた。
「二つ方法がある。ひとつは、この通路だか、馬鹿でかい部屋だかに、ほかの道があるかどうかを探すこと。もうひとつは、人形が道しるべだと信じて、筏に乗ってみる、ということだ。
この筏が、敵の本拠に向かっているとしたら、たしかに厄介だが、孔明の養い子や、幼宰さんの一人息子たちを攫ったやつは、こんな筏を作れるほどに賢いやつなのか」
「そんなやつがいたら、神仙の類いだろうよ」
と、馬超が口を挟むが、趙雲は、慎重にじっと考えて、それから口を開いた。
「軍師の従弟とはいえ、さすがにそこまでの技術はありますまい」
「ふむ、じゃあ、明るい方向に考えられるな。儂たちは、古城の不思議な仕掛けや、地上でも目にすることが出来ねぇような、不思議な建造物を目にしてきた。これを作った人間は、儂たちが知らない、遠い昔の人間にちがいない。
だとすると、この筏も、古城を作った人間たちが作ったものだと考えたほうが自然だろう。まあ、そんな昔のものが、いまだに現役だというところが、ちょいとばかり気味が悪いが、そこはさておき、罠ではないような気がするぜ。
どうだろう、ここに留まって、べつの通路を探るより、この筏に乗ってみるというのが、なんだかいい選択に思えるのだが」
「それは、赤頭巾さまの、いつもの勘でございますか」
趙雲が尋ねると、赤頭巾は、こくりと頷いた。
「うむ。なんだかよい予感がするのだ」
趙雲は、その言葉に、強面を、すこしだけほころばせた。
つまり、赤頭巾こと劉備の勘は、それほどに信頼できる、ということである。

「乗るのか」
と、不安と不満が入り混じった声を挙げたのは馬超である。
「さっきの繰り返しはしねえ。若大将。あんたも儂たちと一緒に来るのだ。大丈夫、溺れたら、儂が介抱してやるから」
「介抱が欲しいわけではない。まったく、なにゆえ、わたしの言葉は、ことごとに否定される運命にあるのだろうか」
嘆く馬超をなだめるように、劉備はその肩を親しげに、ぽんぽんと叩いて、それから、一番に筏に乗り込んだ。
とたん、馬超が乗り込んだときと同様に、水底から不気味な振動音が聞こえてくる。趙雲があとにつづき、そして晴嬰が三番手。馬超は最後までためらっていた。
やがて人形が、ぐぐっとその手にした棹を水に漬けると、ひときわ振動音が大きくなり、筏が大きく揺れ始めた。
「罠だ! 戻れ!」
「いいえ、違います、この筏、一人でに動いているのですよ! お早くこちらへ!」
それでもなお、馬超がためらって、たたらを踏んでいると、趙雲が叫んだ。
「愚図愚図するな! 早くしろ!」
とたん、馬超は、背中を押されたようにして、筏に乗り込んできた。
同時に、青銅の人形が、くるりと顔を向けて、はっきりとこう言った。
「出発イタシマス」
「あんた、生き物なのか?」
赤頭巾は問いかけるが、しかし、どん、と大きい揺れのあとに、それこそ筏の下に、何匹ものよく訓練された水牛が隠れていて、水路を走っているのではないかという勢いで、筏はすいすいと滑るように動き出した。
目の前を、すばらしい勢いで流れて行く、石壁を呆然と見る晴嬰であるが、赤頭巾は、果敢にも、人形に、あれこれと話しかけつづけているようだ。
趙雲は、槍を起点にして、筏の勢いで身体を崩さないよう注意しながら、周囲に目を配るのを忘れず、馬超はといえば、趙雲に、
「貴様、わたしを愚図と罵倒したな! 神威将軍とまで謳われたこのわたしを捕まえて! 聞いておるのか、この翊軍将軍め!」
と、叫んでいる。

筏の跳ね上げる水しぶきを全身に、小雨のように受けながら、動いてしまえば、あとは穏やかな筏の上で、これからどこへ向かっているのだろうと、心躍らせる晴嬰であるが、なにやら、筏の振動音とは別に、ざあざあと、水を掻き分けるような音がしているのに気が付いた。
何事であろうかと思うが、ほとんどが闇であるうえ、この速さである。
水の中になにかがいても、それを認めるのは難しかった。
やがて、そのかすかな独特の揺れに、だんだん具合がわるくなってきた頃、筏は、ぴたりと静かに止まった。
「到着イタシマシタ」
人形はそう言うと、ふたたび、ぐっと腕をあげて、棹を水から揚げる。
赤頭巾は、人形に話しかけたり、あるいはその頭をぺちぺちと叩いたり、揺すったりしたが、人形が文句を言ったり、別の言葉を述べることはなく、それきり沈黙したままである。
「生き物じゃねぇみたいだな。とすると、やはり魔法なのか」
「こんなことであれば、西涼から連れてきた巫師を伴うのであった。魔物避けの呪具が足りぬ!」
と呻く馬超をよそに、趙雲は、筏の到着した岸辺を見て、低く呻いた。
「篝火が灯されているぞ」

筏の到着したのは、まさにどこかの宮殿の入り口のような、壮麗な円形の石組みの門の入り口で、そこに至る道は、海辺のように、自然の岩が転がされているのである。
そうして、筏から降りた趙雲は、手にしていた燭台を節約のために吹き消すと、煌々と灯る篝火でもって、水路の波打ち際に、貝殻が落ちているのを見つけた。
「たしかにお宝かもしれぬな」
つぶやく趙雲の脇から、赤頭巾が、ひょいと顔を覗かせ、貝を見る。
「海貝じゃねぇか。こんな山奥に、さすがにこれはおかしいな。だれかが、ここが海だと見立てて、貝を置いて言ったにちがいねぇ。
しかし、これを売ったら、結構な金になるぜ。とくにこの種類は、裏側の光沢が黄金のようだからな」
趙雲は、貝を裏返しにして、たしかに赤頭巾のいうとおりであることを確認すると、まったく執着する素振りもみせず、周りの光景に呆気にとられていた晴嬰に渡した。
「これを借財の返済に充てるといい」
晴嬰とて、海貝の美しいものが、玉並に高いことを知っていたから、あわてて付き返そうとしたが、趙雲は、たまたま先に拾っただけだといって、受け取ろうとしなかった。

「どこまで行っても凝った作りだな。孔明を連れてこなくてよかったぜ。あいつのことだから、これを見たら、仕掛けの謎をすべて追及するまで、ここに住む、とか言い出しかねないからな」
「たしかに」
と、趙雲は、赤頭巾の言葉に神妙にうなずいた。
赤頭巾は、おまえもそう思うかと、からから笑いながら、前方にある円形の石造りの門の、ちょうど両脇に掲げられている篝火を見て、笑みを引っ込めた。
「さて、この先にはどうやら、どちらさまかがお住まいになっているらしいぜ。戦いになるか、あるいは友好的に入り口を教えてもらえるかだ。気を引締めていこうじゃねぇか」

つづく…
インデックスへ戻る 
更新履歴へ戻る