捜神三国志・燭龍本紀

第三十三話 真実の道(四)

夜の商売をやっていると、いろんな連中があつまってくる。
たいがいは、昼間の憂さを、酒でちょっぴり楽にして、明日に備えようという、まじめで働き者な親父さんたち。けれど、中にはとんでもない輩もたまに混じっている。
酒を売る店の女は、すなわちこれ娼妓であると勘違いした輩。これは言語道断。
やたらと卑猥な言葉を浴びせてくる者は要注意だし、逆に、妙に親切すぎるのも要注意。そろそろ店じまいだというのに、しぶとく席に居座って、こちらがこれみよがしにがたがたと掃除を始めても、動こうとしない。
あ、これはいけないな、と心構えが必要。
さいわい、店のある辺りは知り合いばかりだし、世の中捨てたもんじゃなく、ちょっと声を立てたら、だれかが聞きつけて飛んできてくれる。これも常日頃からの近所づきあいが、ものをいうのだけれど。
立ち上がって、なんだか卑下た笑みを浮かべて寄ってくる。脂ぎっているように見えるのは気のせいじゃない。
しばらくは、そ知らぬふりをしてやる。
こちらにまったく気がないということに、途中で気づいたら、恥をあんまりかかせるのも可哀相だから。
肩を掴んできたら、これはもう、無視してはおられない。厄介だけれど、ぶん殴るしかなさそうだ。
ぶん殴って、金切り声をあげて、近所中の親父さんたちを呼び集める。
で、恥をかいて、男は二度とあらわれない。
けれど、この男、ちょいと度が過ぎる。
ずいぶんと図々しいことに、男は肩を掴むと、自分の方を向かせて、なんと、唇を寄せてきたではないか。
いやらしいこと。何を考えているのだろう。
まあ、夜の女だと侮っているわりに、唇を与えようというのだから、まだマトモなほうかしらん。
とはいえ、あたしは、こいつの思っているような娼妓ではないのだ。
彫の深い顔だこと。これは漢族以外の血が混じっているわね。
目鼻立ちが、石を割ったように鋭角的に整っていて、悪くはないけれど、好みではない。
だいたい莫迦にしているじゃないか、こちらの了解もとらずに、いきなり唇を重ねようっていうんだから。
そういう独りよがりな男は大嫌い。
なにさ、こうしてやる!


晴嬰は、ぐっと握りしめた拳を、力いっぱい突き出して、一番目立つ、男の高い鼻梁を、ぽきりと折る具合に、ぶん殴った。
とたん、男は『ぐほぁ!』と奇妙な悲鳴をあげて、晴嬰の視界から消え去る。
おぼろな視界のどこかから、「あーあ」と嘆息する男の声が聞こえてきた。
雫の垂れる音がする。
暗くて、寒くて、体中が濡れて気持ちが悪い。
あたし、こんな夜中に、なんで水浴びなんてしたんだろう。
ほどなく、記憶が戻ってきて、晴嬰はあわてて起き上がった。
九門古城。
果てなくつづく階段の道の果てにあった、奈落の穴。
仕掛けを起動させてしまい、穴のなかにまっさかさまに落ちるはめになったこと。
闇の中、もう死ぬのだと覚悟して、最後に覚えているのは、自分をとりまく大量の水の感覚であった。
水がこんなに痛いものだとは、晴嬰はそれまで知らなかった。

「気づいてよかったぜ。あんたがもし目覚めなかったら、儂らみんな、幼宰さんに殺されちまうからなぁ」
と、見上げれば、赤頭巾こと劉備が、目抜きの穴から、優しげな双眸だけを見せて、こちらを見下ろしている。
晴嬰は、だるくてたまらなかったが、なんとか起き上がった。
「あたしたち、どうなっているのです?」
くらくらする頭を抑えつつ、周囲を見れば、赤頭巾と、鼻を押さえて呻いている馬超のうしろ姿がある。
赤頭巾の手元には、水に流れてしまうことを免れた蝋燭がちょこんとあり、そのか細い火が、なんとか視界を保たせているのだった。
遠くから、大量に水が流れ落ちている音が聞こえてくる。
晴嬰は、水に落ちた時の、なんともいえない恐ろしさと孤独感を思い出し、ぞっと身を震わせた。
とりあえず、命はあるようだけれど、あれが『死ぬ』ということなのだと思った。
「寒いかい。すまねぇな。いま、子龍が、焚き火をするのによさそうな、燃やすものが落ちていないか、調べにいっている。もうしばらく待っていておくれな」
「それでは、皆様ご無事なのですね」
「無事も無事。儂らはもとより鍛えているから、すぐに泳いでここまで来たのだが、あんたは気絶していたからな。真っ暗な中、あんたを探し出して、引き上げてここまで連れてきたのは、そこにいる、西涼の大将だよ」
「そうだったのですか」
そうとは知らず、鼻をぶん殴ってしまった。
唇を寄せていたのも、水を飲んだかもしれないということでの、処置のためだったのだろう。
申し訳ないと思いつつ、晴嬰は、鼻を押さえて蹲る背中に、声をかける。
「申し訳ございません、馬将軍さま。命を助けていただいたとはしらず、とんだ無礼を」
「よい、気にすりゅな」
気にするな、と言ったらしい。
ちらりと振り返った馬超の鼻からは、鮮血が流れているようであった。
あたし、そんなに強く殴ったかしらん。

晴嬰は、あらためて周囲を見回す。
相変わらず見事な石組みをもつ壁が、四方八方に広がっている。
一階層目の石組みは、ただ横に並んでいるばかりであったが、この何階層目だかの石組みは、円状に組まれていて、等間隔に柱が並んでいる。
柱は、ひとつの梁によってつなげられており、梁は、これまた等間隔に並んでいる。
闇が濃いために全体を見渡せないが、おそらく、広間に、柱がずらりと整列しているような風景を想像すればよいのではないか。
「通路や部屋はないのでしょうか」
「それも子龍が探りに行ってら。そろそろ戻ってくるのじゃねぇかな」
晴嬰は、ふと気づいて、おそるおそる赤頭巾に問う。
「あたしは、どれくらい気絶していたんでしょう」
「うん、結構、眠っていたようだな。そこにいる大将が、やきもきするくらいたっぷりと。なあ、大将、あんたは女には優しいのだな。儂は、あんたを誤解していたようだ。実を言うと、あんたの女の扱いは、あまりよくないという噂を聞いていたのでね、ちょいと心配だったのだよ」
赤頭巾の言葉に、血が止まりかけている馬超は、精悍な眉をぎゅっとしかめて、振り返った。
「わたしの女の噂だと? たとえばどんな」
「んー? あんたは女に手は早いが、その後がどうもよろしくない。契りを交わした相手を一度きりで捨てちまうとか、子を身ごもった女も、正室にはせずに、ほったらかしにしているとか、面と向かって、平気でおまえ以外でも誰でもよい、みたいなことを口にだすとか」
「まあ、それは最低でございますわね」
やはりぶん殴って、正解だったらしい。
赤頭巾の言葉と、晴嬰の剣呑な眼差しの両方にうんざりしたのか、馬超はため息をついて、答えた。
「だれがそんな噂を立てたのかはしらぬが」
「でまかせだろ?」
「いいや、事実だな」
「なに、事実か。だったらよくねぇな。世界の半分は女だぞ。しかも女ってのは、命を運んでくれる大事な体を持っている。これを大切にしないと、とてもじゃないが、まともな人の営みなんてできやしねぇ。基本だ、基本」
馬超はそれを聞いて、鼻で笑ったようだが、血で鼻が詰まっているために、フゴ、というぶざまな音にしかならなかった。
「そのようなこと、いまさら説教を受けずとも理解しておるわ。女は大事なものだ」
「わかっていて、なぜに粗略になさるのです」
抗議をふくめて晴嬰が問うと、馬超は、相手が女だというので、ためらいがあるのか、言葉をにごして言った。
「粗略にしてなどない。だが、わたしは常に命を狙われる身なのだ。わたしのそばに置く女は、みんな不幸になってしまう。だから、正室は置かぬし、よほど度胸が据わっていると判断した女でない限り、そばに留まらせることもせぬ」
「度胸が据わった方ならば、だれでもよろしいとおっしゃるのですか。それじゃあ、女の体ばっかり欲しい、中身はだれでも構わぬとおっしゃっているように聞こえますけれど」
「極論だな。だれでもいいというのは誤解だ。言葉が足りなかったのは、わたしが悪いのだが、要するに、男と女は縁であるとわたしは思っている。その言葉が出たのは、女が、子も為したのに、どうして正室に迎えてくれないのかと喧嘩になったときであった。
わたしは、いま述べたような言葉をちゃんと説明したのだが、わが妻は、産後ということもあって気が立っていてな、まるで耳を貸さぬ。
そこで、男と女は縁あって繋がるもの。縁さえあれば、だれであれ、わたしは拒まぬ。おまえがそのように針ねずみのように怒り続けているのなら、わたしにも考えがある、とそう言ったのだ」
「はあ、はあ。それが人の口に渡る過程で、女ならだれでもよい、になっちまったわけか」
「そうだ。とはいえ、言い訳をしたところで、客将たるわたしの言葉に耳を貸すものは少ない。またぞろ、余計な憶測を呼ぶだけなのであれば、言葉を発するだけ、無駄というものだ」
馬超の言葉に、劉備は腕を組み、うーむと考え込む。
「たしかにあんたの発言は不用意だが、不用意以前に、やっぱり問題があるような」
「お子がいらしたんですね。存じませんでした」
晴嬰が言うと、馬超は、短く、ああ、とだけ答えた。
「男のお子さまなのですか、それとも女の子?」
「女だな。男でなくて幸いだった」
「なぜです」
「男ならば、敵に捕まれば殺される。女ならば、あるいは生き延びることができるやもしれぬ」
「嫌な話ですね」
「だが、事実だぞ。現に、わたしの子の秋は死んだ」
「張魯に殺されたんだっけな。悲惨な話だ」
「そうだったのですか」
つらい過去を思い出させてしまうような話をしてしまったことに、晴嬰がすまないと思っている横で、劉備は、やはりまだ考え込んでいる。
「なんでか、儂の周りには、いろいろ問題を抱えたヤツが集まるなぁ。やはりこれは一気の中心たる者が、きちんと手本を示していないからか? 
とはいえ、いまさら再婚するぞなんて言ったら、あいつのことだ、ほら御覧なさいと得意そうにするだろうし、それはなんだか面白くねぇ」
「まあ、ご再婚話があるのでございますか?」
悲しい話より明るい話のほうが大好きな晴嬰は、きらりと目を輝かせた。
身体はまだ乾ききっていなかったが、寒さはすっかり忘れている。
「あるのだけれど、儂もこの年だし、いまさら子供が出来るとも思われねぇしなぁ。だいたいよ、儂にこの話を進めてくるやつ、そいつなんざ、一度結婚したはいいが、最初の数年、一緒に暮らしたきりで、女房と顔を合わせるのは数年に一度という、ほうき星みたいな家庭しか持っていねぇんだぜ。それなのに、人のことは、あれやこれやと言ってくる。これっておかしいと思わねぇか」
「どなたのことが存じませんけれど、それはそれですごい話ですわね。よく奥方は我慢してらっしゃいますこと」
「女房のほうが、旦那とあんまり会いたくないらしい。儂も知っているが、これがまたすごい女でねぇ、綺麗な顔をしているのだが、きついきつい。おまけに頭もたいへんによろしいと来ている。単に知識がある、ってだけの女じゃねぇんだ。
この女、お伴がたくさんいて、そいつらと一緒に、諸国を回っているのだが、いまじゃまあ、いっぱしの義侠集団並みの統率力を誇ってら。ヘタに喧嘩を売ったら、死ぬね」
「なんだか、山賊の女首領みたいな方しか、頭に思い浮かばないのですが」
「ノリはそれに近いかもしれねぇ。おかげで、天下の軍師将軍もびくびくと…ごほごほ」
ここにいるのが、自分の正体を知る身内だけではないと思い出した赤頭巾は、あわてて咳で誤魔化すが、馬超は耳ざとく、振り返った。
「いま、軍師将軍がどうとか言わなかったか」
「ええ? 言ったかな? あんた、耳に水が入ったのじゃねぇか」

「軍師がどうしたというのです」
言いながら、かつかつと足音を響かせ、松明を片手に、闇の中より趙雲が戻ってきた。
その姿に、赤頭巾が言う。
「おまえの耳も、いったいどうなっているのだよ」
趙雲は訝しげに首をかしげ、それから赤頭巾の前に跪き、どこぞより集めてきた品々を、蝋燭の明かりの前に並べてみせる。
「周囲を回って参りましたが、外敵がいる気配はございませぬ。ただ、人が入り込んだ形跡がございまして、途中に倉庫がございました」
「倉庫? なんの?」
「それが、奇妙なやわらかい箱にさまざまなものが詰められているようでしたが、あまりに年数が経っておりまして、ほとんど朽ちておりました。ですが、某の前にも、何者かがここに足を踏み入れたのはまちがいなく、甲冑らしきものの破片がございます」
と、趙雲が蝋燭の明かりに浮かび上がらせたのは、すっかり錆び付いた甲冑の留め金の一部であった。
「こりゃあ、ここ百年、ってものでもなさそうな。薪の代わりになりそうなものは、あったかい」
「燃えるかどうかはわかりませぬが、箱の中身を、いくらか持ってまいりました」
趙雲のいう箱の中身とは、手のひらくらいの大きさの、すっかりぼろぼろになった布の箱であった。
かつては、美しい装飾がほどこされていただろうことがわかる。
「これ、好事家に売ったら、結構な金になりそうだな」
「織り目の細やかさは、地上にございます、どの織り機でも為しえないものでございます。これを地上に持ち帰り、研究させましたら、ますます錦の質が向上するかと」
「翊軍将軍のくせに、なんだって織り機のことまでくわしいのだ」
馬超が茶々を入れるのを、趙雲は忍耐づよく言い返す。
「俺は、貴殿とちがって、旗頭としてだけ必要な男ではないのでな。輸出の主力たる、錦の品質の詳細をおさえておくのは、当然だろう」
「なんだかいろいろ含みがあるようだな。だからといって、詳しすぎるぞ。もしかして、織物が趣味か? 男の癖に」
「男が織物をたしなむことは、おかしなことか? 田舎者の、あきれた偏狭さを示すよい例だ」
「なーかーよーく! なかよく! こんな暗いところで喧嘩なんかしてくれるなよ。今度喧嘩をしたら、鼻をつまんで、真横にひねるからな!」
赤頭巾の言葉に、趙雲と馬超は、とりあえず沈黙するも、その視線は闇の中ではげしくぶつかり合っている。どうにも気が合わないらしい。
「さてと、箱の中身はまだ同じのがいくつもあるのだろう?」
「まだ何箱がございました。この中身はすっかり炭化しておりますが、食糧であったようです」
と、趙雲は、器用なところを見せて、上手に布をはがしながら、中身を取り出してみせる。
たしかに、中からは、ごろりと白く灰になった塊が出てきた。
「これを燃やしてみるか。へんな煙が出ないことを祈るばかりだ」
赤頭巾はそういって、炭化した謎の食糧の欠片をあつめて、千切った布を触媒に、蝋燭の火を移してみた。
うまい具合に火はついて、あやしげな煙が発生することもない。
「よしよし、これですこしは温まる。晴嬰さん、火のそばに来な。そこのいじけた若大将、あんたもこっちへ来なよ。寒くて凍えていちゃ、いざというとき、体が動かねぇだろう」
しかし、馬超はぐずぐずと、趙雲のほうを気にして、近づいてこない。
「羌族は、寒さに強いそうでございます」
趙雲が辛辣に言うのを、馬超が振り返って言い返す。
「やかましい! どうも黙っておられぬ性質のようだな」
「事実を端的に述べたまで。どうだ、火に当たるのか、当たらぬのか」
「当たってくれよう。ありがたく思え!」
「別に」
「なーかーよく! ったく、子供の相手をしているみてぇだな。さあて、ようやく四人揃ったところで、これからについて話し合おうじゃねぇか」

「もう朝になってしまっているでしょうね」
晴嬰が言うと、三人の大男たちは、しょんぼりとうなだれる。
「地上は大騒ぎだろうな。なにせ儂と、翊軍将軍と、若大将の三人が揃っていないのだ。この面子じゃあ、勘のいいやつあたりは、儂らがどこに行ったか、見当をつけるだろうが」
「勘のいいやつと言うと、法尚書令か」
「それと軍師将軍だ」
「あの二人、仲良くしているかなぁ。おまえらみたいに喧嘩しているのじゃねぇかな、心配だなぁ。どうするよ、地上に戻ったら血の海だった、なんてことになっていたら」
赤頭巾のぼやきに、趙雲が答える。
「尚書令が仕掛ければ、軍師も応戦することでしょう。ただし、尚書令が仕掛けるべき理由がないかと。たとえ周囲に、いまのうちに巴蜀の覇権を握れとけしかけられたとしても、いまの巴蜀は、荊州人士がいればこそ治まっているのです。そこが見抜けぬほど、尚書令は愚か者ではない」
「だといいがなぁ」
「なんだ、赤頭巾殿は、尚書令とも知り合いなのか」
「いやだって、ほら、伝令だから」
「ああ、左様か。わたしとしては、部下たちが、わたしが不在なことに動揺せぬか心配だ」
「一晩のことだ。どこぞで寝過ごしているのだと思わぬだろうか」
趙雲の言葉には、今度は棘が含まれていなかったので、馬超も素直に答える。
「わたしは、たとえ一晩であろうと、どこで夜を過ごすか、かならずだれかに申し伝えておくのだ。そうしなければ、わが将たちにとっても、ここは異邦の地。おまえたちには想像も付かぬであろうが、ちょっとしたことが動揺に繋がってしまうのだ」
「ほう、おのれの配下には気を配るのだな」
「当たり前だ。わたしが一族をすべて失ったように、わたしに付いてきた者たちも、それぞれに家族を失ったり、あるいは引き離されたりと、みなつらい目に遭っている。これを気遣うのは当然だろう。原因は、わたしにあるのだからな」
馬超の言葉に、思わずほかの三人は言葉をなくし、しんみりしてしまった。

しばらくつづいた沈黙のうち、口を開いたのは赤頭巾である。
「えーと、なんだ、これからのことだが、どうだ、趙雲、ここがどれくらいの深さで、階段があるかないかは判ったか」
「あいにくと、階段の類いはございませんでした。ただ、この水路を辿って道を進んでおりましたら、奇妙な筏を見つけました」
「筏?」
「はい。この筏に、我らが一階層目で見た、仕掛け扉の横に立っていた人形にそっくりな人形が船頭のように立っておりました。それに、この筏、木製ではなく、金属で出来ております。
思いますに、仕掛け扉の人形といい、筏の人形といい、あの人形、もしや道を先に進むための、道標の役目を与えられているのではないでしょうか」
「なるほどな。どうだ、四人も乗れそうか」
「大きさは十分だと思うのですが、ひとつ、奇妙なことが」
「なんだ」
「松明の灯りが揺れた所為だとは思うのですが、筏の強度を調べようと、足をかけたとたん、筏の人形が、動いたように見えたのです」
そのとき、どこからか入り込んでいる冷たい風が、ぴゅうと四人の中を駆けて行った。
「おいおい、気味の悪い話をしてくれるな。人形が動くはずなどないだろうが」
「気の所為だと思うのですが」
言葉を濁す趙雲に、赤頭巾は、ううむと唸って、それから小さく嘆息した。
「こりゃいけねぇや、おまえみたいに冷静なヤツが、おかしなことを言い出したってことは、引き際だな。
方針を言う。儂らは、まずここから脱出することを優先に動くぞ。先に進もうなどと、もう考えるな。いいな、子龍」
趙雲は、あきらかに不服そうであるが、赤頭巾の言うことに理があるため、黙って頷く。

馬超が口を挟んだ。
「ここが、何階層目かはわかったのか?」
「わからぬ。逆に聞きたい。貴殿は、尚書令や彭恙から、古城の様子を聞いていないのか。俺が軍師から聞いた話だと、古城には、それぞれの階層別に、はっきりと特徴があるのだという。見たところ、ここは水路が多い」
「うむ、水路が多いのは、たしか四階層目だと聞いた。盗賊どもは、運良く潜っても四階層目までで、たいがいが力尽きるのだとか」
「なぜだ。やはり敵が?」
「いや、敵ではなく、ここも一階層目と同じく迷路になっているのだそうだ。ただし、古城の構造は、下に潜れば潜るほどに、広さが狭くなる。
だから、一階層目より広くはないはずなのだが、迷路の複雑さにかけては一階層の比ではなく、ここに来る途上でみな、すでに疲弊しているので、さらに迷路を抜け出す判断力がつかず、あきらめて地上に戻るのだとか」
「四階層目か。ずいぶんと一気に降りてきたものだな。筏の話は聞いたことは?」
趙雲の問いに、馬超は、じっと考え込んでいたが、やがて首を振った。
「いいや、古城の話に関しては、戦場の地理を知るのと同じだと思って、ずいぶん注意して聞いていたのだが、筏や、人形の話は聞いていない。もしそんな話が出ていたら、奇妙な話だから、覚えていたと思う」
「ということは、やはり儂らは、盗賊たちが知らない道に来ているのだ。ここは勇気を奮って、筏に乗ってみるのがいいかもしれねぇな」
劉備がいい、三人は、その提案に頷いた。

つづく…
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