捜神三国志・燭龍本紀

第二十五話 凸凹主従、古城へ

三人の男たちは、無愛想に、
「酒とつまみ」
とだけ晴嬰にいって、互いににらみ合ったまま、席に着いて、そのまま沈黙をつづけている。
正直なところ鬱陶しい。
しかも戸口のところでは、この珍妙な客と晴嬰のやりとりを見てやろうと、商店街の呼び込みや、人のわるい客などが詰め掛けている。
扉を閉めると、連中は、すかさず花窓のところへ、押し寄せる。
まずは酒をと卓に運ぶと、趙子龍がちいさく、
「すまぬ」
と、本当に申し訳なさそうな顔をして言った。
強面の武人で、端正すぎてとっつきにくいところがあるが、人は良い。
よろしいんですよ、という言葉のかわりに軽く笑みを浮かべると、すかさずそれを見咎めた馬超が声を荒げた。
「おまえ一人が格好付けるな。姑娘、むさくるしい男三人で押しかけて申し訳ない。ただ、我らが貴女の姿を楽しみにやってきたことだけは汲んでほしい」
「白々しい嘘はよせ。聞いているほうが恥ずかしいぞ」
趙雲の声に、馬超は鼻で笑う。
「ふん、嘘も方便というだろうが」
優しくされて、悪い気はしなかった晴嬰であるが、そのやり取りを聞いてがっかりした。
この余計なところでひと言多い、西涼の若大将のつまみだけは、少なめに出そう。

「ところで、せっかくの宵に、男二人の面を眺めて酒を呑む、というのもぞっとせぬ。とっとと用件を言うがよい。でなければ、俺を待つ女に刺されるぞ」
と、馬超は呵呵大笑する。
しかし趙雲はそれをまったく無視して、酒をちびりと呑む。
馬超は黙っていられない性格らしく、間髪いれず、言った。
「陰気な酒だな。俺がせっかく同席してやっているのだぞ。もっと嬉しそうな顔をするがいい」
「あいにくと、どこに喜びを見つけてよいのか、とんとわからぬ」
「物の価値の分からぬ男め。だから翊軍将軍なのだ」
「それは関係ない」
馬超はすでにどこかで酒を入れてきたのだろうか。
それとも、この異様な陽気さが、馬超の性格なのか。
趙雲は無表情ながらも、はやくも、同席を後悔しているふうである。
そもそも、趙雲と馬超は、それぞれ属するところのちがう武将だ。趙雲は孔明の腹心であり、馬超は法正と組んでいる。

ああそうだ、この濃い顔の若大将は、幼宰さまを成都中に引き回したお方だったっけ。
そのことを思い出し、晴嬰は馬超のつまみに、さらに大きなとんがらしを加えた。これが蜀の味なのだ。
「孟起、無駄口はよせ。それより、翊軍将軍、俺も貴様と同席するのが耐えられぬ。とっと用件をいえ」
と、それまで黙っていた、異形の男がうめいた。
まるで自分の素顔を覆い尽くそうとでも考えているのか、彭恙の体中には、なにかしらの装飾品がごてごてと飾られている。
首環もそうだし、耳輪もそうだし、腕輪もそうだ。その趣味もばらばらで、統一性がなく、服の色合いもちぐはぐで、異様このうえない。
この男の内面の混沌が、はっきりと表にあらわれているのだ。
さらにその目。理性をすでに失っている、狂人のものだ。いまは大人しくしているが、どんなはずみで、たかが外れるかわからない恐ろしさがある。
「この面子で話し合うことといえば、ひとつ。九門古城のことだ」
とたん、三人の目線は、傍らにいた晴嬰に向かう。
彭恙が狂った雄牛のようないきおいで、にらみつけてくるのにたじろいでいると、趙雲が助け舟をだしてくれた。
「その女人ならば心配はない。古城のことは知っている」
その言葉に、なにを邪推したか、彭恙はいやらしい目つきで、趙雲と晴嬰を交互に見、それから、小莫迦にしたように笑った。
「あたしは奥におりますから、御用があればお呼びくださいまし」
わざと気取って言うと、晴嬰は奥に引っ込んで、店が混んでいるときに使う、ちいさな椅子に座り込んだ。
今日はあの三人が客避けになって、もうだれも来てはくれないだろう。

店では、馬超がつまみを食べて、
「うむ、珍味だな。とうがらしの味しかせぬ」
などと、とぼけたことを言っている。
彭恙は、ちびちびと杯を舐めながら、趙雲の動向を見守っている。
彭恙という男を、晴嬰は知らなかったが、あきらかに趙雲に対し、敵意を抱いているようだ。処刑場から逃げるさい、白頭巾こと趙雲に助けられた経緯があるので、自然と晴嬰は趙雲の味方である。

馬超が最初に口を開いた。
「九門古城が如何した」
「単刀直入に聞く。貴殿らが使用している入り口は、だれから教えられたものなのか」
馬超は、彫の深い相貌をあきれさせ、それから笑った。
「なにを言い出すかと思えば。我らが、それに答えるとでも思うたか?」
その返答を予想していたのだろう。
趙雲は、軽く息をつくと、つづけた。
「ならば、俺から話そう。俺が主騎をつとめる諸葛孔明は、古城に所縁のある一族の出だ。そのために、先祖伝来の古城の地図を持っている。
おまえたちが使用している入り口も、軍師将軍はすでに把握している」
「ふむ、それで?」
馬超はさほど驚くふうでもなく、酒をすすめる。
「だが、問題はおまえたちに古城の情報を与えたのが何物か、ということだ。
おまえたちが、最初から張大人や法正とつながっていたわけではないことは、軍師将軍の草の報告でわかっているのだ。
おまえたちは、最初は、黄色い輝石の指輪を象徴とする連中と組んでいた。ちがうか」
馬超と彭恙は、ちらりと目線を交わした。
肯定した、と取ってもよいだろう。
「古城には、大きく分けて三つの勢力が入り込んでいる。
ひとつは、張大人を通して古城へ潜る連中、ひとつは、軍師将軍の配下、ひとつは黄色い輝石の指輪を持つ連中だ。
張大人の目的は、古城に眠る宝を裏で売り飛ばし、儲けること。そして入り口を管理し、内部の照明係りを請け負うことで得る利益。そう、小銭を稼ぐことが目的といってよい。
軍師将軍の目的は、先祖の作ったという古城を探索し、現状を把握することだ。『得れば天下を取れる宝』は、軍師は薬草だと思っておられる。軍師の目的は、古城に生える薬草を得ること。それだけだ」
それを聞くや、馬超と彭恙は笑い出した。
「人が良いな、翊軍将軍。軍師将軍に野心がないと、どうして言い切れる」
「軍師を、おまえたちのように、害毒ばかりをまきちらし、他の迷惑を顧みない連中と同じにするな。
軍師将軍は、古城のことが外部に漏れぬよう、細心の注意を払っておる。それに軍師には、天下を得るより大切なことがあるのだ」
趙雲のことばに、さらに馬超と彭恙の哄笑は大きくなった。

おとんなしく奥で、呼びつけられるのを待ちながら、晴嬰は、馬超と彭恙の態度に腹をたてていた。
人が真面目に話をしているのに、あんなふうに茶化すなんて、なんて連中だろう。
どうせなら、酒のほうにも、とんがらしを入れてやるのだった。
つぎの酒を持っていくときにはそうしよう、と待っていると、とんとんと、裏の木戸を叩く者がある。
もしかして、晴嬰を心配して、様子を見に来てくれた董和か、と晴嬰は都合よく期待した。
しかし木戸を開けるとそこには、派手な赤い頭巾をかぶった、例の中年男が立っていた。
「お殿様!」
しいっ、と劉備は晴嬰に口止めをして、目をにっ、と笑わせる。
「ちょいとそばまで寄ったのでね。どうだい、店のほうは、繁盛しているかい?」
「あたしのような者にまで、お気遣いくださるなんて、感激でございます」
「うん? 盛り上がっているようじゃねぇか」
と、劉備は奥から店を覗き、そしてちいさく、
「ありゃ」
と言った。

「何が可笑しい」
殺気すらみなぎらせ、趙雲は腹をかかえて笑いあう、馬超と彭恙を睨みつける。おのれの体に巻きつけるようにして、腕を組んでいる趙雲は、馬超と彭恙の無遠慮な嘲弄に、必死で耐えているようであった。
「これが笑わずにいられるか。いやしかし、男に惚れるその心情は理解できようが、貴殿は思い入れが過剰にすぎる」

「ま、その傾向は、ちょっぴりあるわな」
と、馬超の言葉に、赤頭巾の下から、劉備はつぶやいた。
自分とて、あんまり人に言えないところがあるのだが、そこは棚に上げている。

馬超は涙を拭いて、肩をふるわせつつ、言った。
「まあ、おまえのその、年に見合わぬ健気な思いに免じ、そういうこととして、認めてやろう。さて、続きを言え」
趙雲は、辛抱強く大きく息を吐くと、つづけた。
「古城に入り込んでいる、三つ目の勢力、黄色い輝石の指輪を特徴とする連中。こいつらの動向がわからぬ。
古城の宝は無限にあるわけではない。なのになぜ、市井に古城の噂をひろめ、言葉巧みに古城へ潜らせているのか。
そして、古城へ潜って、まともに戻ってきた者は、ひとりとしていない」
「まともに戻ってきた者?」
馬超の顔から笑みが消える。
「俺は軍師の命令で、古城から戻ってきた人間を追っていた。そいつらはこぞって、どういうわけか、無差別に人を襲い、消えていく。その大半は、かつて羌族だった者たちだ」
「どういうことだ」
「古城から戻ってきた人間を辿って、見つけ出すと、そいつらはみんな、もう死んでいた。それも尋常ではない死に方でな。
昨日まで生きていたはずなのに、すでに肉は腐り果て、二目とみられぬ姿になっていた」
「不死者になっていたと?」
「完全に死んでいたのだから、不死者というわけでもあるまい。
それに、軍師の草が調べたところによれば、不死者は連携する、ということを知らず、互いに顔をあわせれば、とたんに殺し合いをはじめるのだという」
「しかし、おまえが対峙した不死者は、二人がかりで襲ってきたではないか」
「俺も持っていたからだ」
と、趙雲は、懐から、黄色い輝石の指輪を取り出した。

そういえば、と晴嬰も、懐にしまっていた、黄色い輝石の指輪を取りだす。
それは、以前、死人の指とともに、店に投げ入れられたものだ。
「奴らは、この指輪の所有者を優先して襲ってくるのだ。
指輪の主が倒れれば、つぎに、ほかの不死者へ攻撃をはじめる。
どのようなからくりになっているかはわからぬ。しかし、騙されて古城に入った人間のうち、羌族は屈強なので、あのような無残な姿になっても、漢族よりも多く生き延びたのだ」
「翊軍将軍、なにが言いたい?」
「羌族といえば、おまえだ。おまえが仲間を唆し、古城へ潜らせたのではないのか。その水先案内人として」
「俺を愚弄するか!」
どん、と卓を叩き、馬超が立ち上がった。
その大作りの顔は、はげしく歪んでいる。

晴嬰は、ほんの一瞬、趙雲の顔が、してやったり、というふうに微笑んだのを見逃さなかった。
かたわらの劉備がつぶやく。
「なんだかしらねぇが、子龍のヤツ、本気で怒ってやがる。なにがあったのだ?」
「本気で怒っている?」
「ああ。子龍は、ちょいと他の武将とちがうところがあって、激昂すると、かえって冷めるのだよ。
異常に冷静になって、ちゃんと頭をつかって、行動して、コトをきっちり進めていく。
敵に回したら、たぶんいちばん怖い男だろうな。そういうところが、孔明が頼りにしてるところなのだろうが」
「策略家になる、ってことでございますか?」
「策略家っていうのは、自分を失わずに、とんとんと物事を進めようと考えるから、激昂することを想定しないで動くだろう。
子龍の場合、智恵を働かせるのは、激昂したあとのほうなのだ。まあ、根っこの部分が冷静にできているのだろうなぁ」
悪いことじゃねぇけどよ、と劉備は付け足しつつ、趙雲と馬超のやりとりに目を戻す。

「この俺が、同族を売ったと申すか!」
驚いたことに、馬超は涙声になっていた。悪酔いするほどに酒は入っていない。卓を掴む両手はわなわなと震え、屈辱に耐え切れない、というふうに、じっと趙雲を睨みつけている。
さすがの趙雲も、己の言葉の効果の、あまりの強さにおどろいたようである。
「俺は、絶対にそんなことをしない!」
「ではこの状況をどう説明するのだ。俺のような、頭の悪い漢族でも、わかるように説明してくれ」
「永年! この話を俺に持ってきたのはおまえだろう! この男に説明してやれ!」
馬超に話を振られた彭恙は、杯を口に運ぶ手をとめて、面倒そうな顔をした。
そして、そのまま口を開こうとしない。
「どうした、おまえは俺の友ではないのか! 俺は薄汚い漢族とちがって、同族を売ったりせぬ! さあ、早く!」
馬超につよくうながされ、彭恙はしぶしぶ、というふうに口を開こうとするのだが、その整えられていない小汚い顎髯が、わずかに動いただけで、言葉が出てくることはない。
「永年!」
するどく決め付けられても、彭恙は平然と無視をしている。

その図々しさに、さすがに晴嬰も、馬超に同情した。
趙雲は、あきらかに侮蔑の表情を浮かべ、彭恙に言った。
「おまえは当初、黄色い輝石の指輪を配っているやつに、大金で雇われて、部下をつかって、古城の噂をひろめた。
さらに、馬孟起の名を使い、漢族よりも屈強な者の多い羌族に、噂をつよくひろめ、古城へ潜らせた。
羌族の者たちは、馬孟起の名を信用し、すすめられるまま、古城へ潜る。もちろん、財産を築きたいという欲もあっただろうが、それを責めることはできぬ。
とはいえ、故郷から離れて暮らす彼らには、密接な連絡網がある。
そのうち、古城に近づいたものは、みな戻ってこないという話の方が広まってしまった。
そこでおまえは、ほかならぬ、馬孟起を担ぎ出し、言葉巧みにともに潜らせて、羌族を安心させて、さらに死地に送り込んだのだ」
「本当か? 本当なのか!」
馬超は沈黙をつづける彭恙の胸倉をきつく締め上げるが、それでもなお、彭恙は、言葉を発しようとしない。

すかさず、趙雲は決め付ける。
「おまえは、雇い主の命令のまま、栄耀飯店に死体を投げ込み、この店に、指輪の付いた指を投げ込むなどの嫌がらせをした。
それは、この店が栄耀飯店の主と繋がっており、黄色い輝石の指輪の仲間を捉えていたからだ。これ以上、古城に関わるなという警告のためにそうした。
しかし、栄耀飯店の主もまた、ただ者ではなかったのだ。
おまえが大金ですぐ動くような男だと言うことを見抜き、高額の報酬でもって、馬孟起ごと、寝返らせた。
おまえは得をしたと思ったかもしれぬが、その金はすべて法尚書令から流れたものだ。栄耀飯店は、びた一文損をしていない、というカラクリだ」
「裏でどのような動きがあろうと、どうでもよい。だからなんだというのだ、忠義面した犬め!」
はじめて、彭恙が吠えた。
いまにも牙をむき出しにしそうな恐ろしげな表情に、裏で様子を見守る晴嬰は、思わず身をすくませる。
「牢に繋がれたことのないおまえにはわかるまい! ちょっと劉璋を批判したというだけで牢にぶちこまれ、俺は毎日腐ったものを食べて生きながらえてきた。
要領のいいヤツが、小銭を賄賂代わりに役人に渡して、いい思いをしているのを横目で見ながらな!
力とは、兵力でも権力でもない。より金を得た者がいちばんつよいのだ!」
そうして、馬超のほうを見て、にたり、と不気味な笑みを見せる。
「なにをそんなに怒っているのだ、孟起。おまえだって、同じようなことをしているではないか。
父を見殺しにし、妻子を見捨て、張魯の元でも、妾と我が子を見捨てて、劉備に走った。
おまえの家族は、みんなおまえのせいで死んだのだ! そんなおまえが、俺を責めるのか!」
声にならない声をあげて、馬超は拳でもって、彭恙の髯面を殴り倒した。

「いけねぇや」
と、劉備が飛び出した。
趙雲もまた、席を立って、二撃目を浴びせかけようとする馬超を抑えにかかる。
「よせ! 武将同士の私闘は禁じられている! これが公になれば、貴殿もただではすまぬぞ!」
「放っておけ、これは名誉の問題だ!」
馬超は言うと、二撃目を容赦なく、彭恙の尖り気味の顎にあびせかけた。
ごき、と骨の軋む不気味な音がして、晴嬰はひやりとした。
「よせと言っているのがわからぬか! このような薄汚い男と、心中するつもりか!」
趙雲が、背後から抑えようとすると、馬超は肘をつかって、趙雲の腹を攻撃する。
趙雲の衣の下には鎖帷子があったようで、内蔵が痛めつけられることはなかったようだが、痛みだけはあったらしい。
力が弱くなったのを幸い、馬超はふたたび彭恙に向き直り、三撃目、こんどは脳天めがけて拳を振り下ろそうとする。

と、劉備が店の奥から持ち出した、木の桶でもって、背後から、馬超の頭に、すっぽりとそれをかぶせた。
「と」
との、と言いかけた趙雲を制し、劉備は、晴嬰が護身用にと厨に立てかけておいた金棒でもって、桶の上から、馬超の頭をなぐりつけた。

馬超はふらふら、と揺らめくと、そのままバタリ、と床に倒れた。
趙雲がなにか言おうとするのを、素早く手で制すると、劉備は命じた。
「彭永年が気絶しているあいだに、身動きとれねぇように、ふん縛れ。晴嬰さん、頑丈な綱をもってきてくんな。それと、水だな。
若大将、すっかり目を回してやがる。暴れださないように、こいつも縛るか」
晴嬰から綱を受け取りつつ、趙雲は答えた。
「それは必要ないかと思われます。この男、抵抗できぬ者を痛めつけることのできる性分ではありませぬ」
「惜しいね、雲長と組ませたら、きっといい仕事をしてくれるだろうに。それにしても子龍よ」
「は」
「ずいぶんと、おまえらしくない仕事をしているじゃねぇか。こういうのは、孔明のほうが得手だろう。なんだっておまえが動いている?」
それは、と歯切れ悪く口ごもると、劉備は、真っ赤な頭巾から覗かせる双眸を、にっ、と笑わせて、言った。
「おまえは、会ったときから、変わらねぇな。嘘のつけない男だよ」
そうして、ばんばんと、親しげに趙雲の肩を叩いたあと、ふと手を止めて、その顔をのぞきこむようにして、尋ねた。
「孔明に、なにが起こっている?」
「主公に、お気遣いいただく内容ではございませぬ」
「なんだ、儂はまた仲間はずれか。だったら、仲間はずれにされた者同士、こっちの西涼の若大将をさそって、古城に潜ってナゾを突き止めるぞ。おーい、孟起さんよ、起きておくれな」
「お戯れを!」
「戯れなものかい。幼宰さんが屋敷に戻ってから、どうもみんなそわそわしていやがる。
孔明のやつ、にぎやかなのが嫌いなくせに、幼宰さんの屋敷に居候すると言い出すし、おまえはおまえで、本当の仕事そっちのけで、怪しげな飲み屋で孔明の草と情報収集。果ては法正と組んでいる武将と仲良く、宴会ときたものだ。
これは、なにかあると思うだろう。それとな、子龍。サボりはいかんぞ、サボりは」
「だれがそのようなことを主公のお耳に…」
「讒言じゃねぇよ。いっつも真面目なおまえさんが、何にもいわずに姿を見せなかったので、びっくりした部将たちが、相談しに来たのだよ。
まあ、いつもの噂好きが中心になって、だが」
それを聞くと、趙雲は目を伏せ、低くうなった。
「叔至…!」
「おいおい、おまえを心配してのことだ。あとで叱ったりするなよ。風通しが悪くなるだろう。ほれ、若大将が起きるぜ」

足元に転がった馬超は、木桶をかぶったまま、うめき声をあげている。
晴嬰は、金棒を劉備から受け取ると、厨に隠して、木桶から馬超を解放した。
そうして、水差しで水を飲ませる。
「頭が割れそうだ」
「けれど、冷静になっただろう」
馬超は、まだ視界がぼんやりとしているようであったが、目の前に立っているのが、ほかならぬ、処刑場でさんざん自分を愚弄して、逃げていった赤頭巾だとわかるや、がばりと起き上がった。
「貴様! よくも、のこのこと俺の前に!」
「いろいろ事情があったものでな。あのときのことは謝るよ。すまなかったな」
しかし馬超は猛然と掴みかかろうとする。
彭恙にぶつけるべき怒りは、いまや目の前の赤頭巾に集中していた。
「頭巾をしたままの男の謝罪など、受け入れられるとでも思うたか、無礼もの!」
あー、といいつつ、赤頭巾こと劉備は、赤頭巾の上から、ぽりぽりと頬を掻きつつ、言った。
「頭巾を取りたいのはやまやまなのだが、実は儂は、ひどい病を得ておって、人前に顔を晒すことができないのだよ。すまないが、これで許してはもらえぬか」
「む」
とたん、馬超の勢いが、嘘のようにおさまった。
「そういう事情があるのならば、止むを得まい。謝罪を受け入れよう」
思わず、晴嬰と趙雲と劉備は顔を見合わせる。
羌族というのは、みんなこんなに素直なのか?
馬超は、そこいらに散乱した椅子や机を直しつつ、寂しそうに笑った。
「わが一族の小母に、やはりひどい皮膚病をわずらっている者がいて、いつも身体をおまえのように隠していた。
あの戦で死んでしまったが、肌の醜いのを気にやんで、気の毒であった。いつか、皮膚病に聞くという薬湯に浸からせてやりたいと思っていたのだがな。
従弟から聞いたのだが、ここから西へ五十里もいったところに、皮膚病によいという温泉があるそうだぞ。一度、そこへ湯治に行ってみたらどうだ」
「う、うむ」
劉備は思わず言葉をなくし、趙雲も晴嬰も、気まずくなって、なんとなくだれとも目をあわせられないでいる。
馬超は後頭部をさすりつつ、そのことを思い出したら、毒気が抜かれた、などとつぶやいている。
ぐるぐるに縛られた彭恙は、床に転がったまま呻いていたが、だれも頓着する者はいない。

晴嬰は、注文されたわけではないが、厨にいって、今度はちゃんとした料理をつくって、三人の前に出した。
さきほどまでの殺伐とした空気が消え、なごやかな雰囲気である。
口元を出せない赤頭巾の劉備は、惜しそうに料理を見ながらも、せっせと馬超に酒を勧めている。馬超も、親戚と同じ病の者、という共通項を見つけたためか、さきほどより表情がやわらかい。
趙雲は、良心の呵責に耐えかねているらしく、場にあわせて笑みをうかべているものの、顔の一部が、不自然に強ばっていた。
「さて、子龍、おまえさんの番だが」
「? 貴殿は、翊軍将軍とお知り合いなのか?」
「うん? まあ、そんなもんだ。儂はこいつの親父代わりのようなものでな」
すると馬超は、遠い目をして悲しげに笑う。
「父、か。うらやましいな。そう呼べる者が地上にまだいるのだから、貴殿は幸せ者だな」
馬超は、機嫌よく趙雲に酒瓶をかたむけるのであるが、一方の趙雲は、さらに顔を蒼くするばかりである。
劉備は身を乗り出して、趙雲をうながした。
「おまえの隠している事情を教えてくれ。いや、孔明の隠している事情、かな」
「しかし、それがしの口から話すのは、抵抗がございます。やはり、軍師自らにお話いただくのが一番かと」
すると劉備は大げさなほど、のけぞって見せた。
「おまえ、そりゃ無理だって。あいつの口を割るのは、帆立貝の口を千個割るより大変なのだぞ、知らないだろう」
「そうでしょうか。注意をして聞いていると、意外に、ぽろぽろ喋っておりますが」
「そりゃあ、おまえだから気づくのだ。儂には無理、できない。だからおまえに聞くのだ」
「? 赤頭巾殿は、軍師将軍ともお知り合いか」
「ええ? ああ、まあな。こいつの親父代わりのついでに、軍師将軍の親父代わりもやっているのだ」
「いろいろ手広くやっているのだな」
馬超が素直に感心する一方で、趙雲は深い深いため息をついて劉備に尋ねた。
「聞いてどうなされる」
「決まっているだろう。どうせ古城絡みなのだ。ならば、古城で解決しようじゃねぇか」
「なりませぬ!」
「怒鳴るなよ。反対してもダメだぞ。決めたから」
「と…いや、赤頭巾殿、御身に何事かあれば、ただでは済みませぬぞ」
「それは、孔明が古城に潜っても同じことだろうが。孔明がよくて、俺がダメだというのなら、子龍、俺にも考えがあったりするぞ」
「どのような?」
「おまえたちの職を解く」
ざっと趙雲の血の気が引いた音が、次の注文を待っている晴嬰にも、聞こえたような気がした。
「それは」
「いや、ずっとではないぞ。しかし新野からこのかた、おまえたちはずうっと働きづめだったろう。すこし休んでもよいかなと思うのだよ」
「いまは休むべきときではありませぬ!」
「? 赤頭巾殿は、劉左将軍にも面識がおありか?」
馬超が不思議そうな顔を向けるので、劉備はてきとうに流した。
「ああ、まあ、かなり親しい間柄なのだ。もうほとんど同一人物というか。儂の決定は劉左将軍の決定、とでもいおうかな。というわけで、子龍、話せ」
趙雲は観念し、しぶしぶと口を開き始めた。


董和は、孔明と共に連れ立って帰宅した。
そうして、わずか数日のあいだに、ぐっと人口密度のたかまったわが屋敷にもどってきたのであるが、ぐるりと出迎えの顔ぶれを見回し、おや、と思った。
出迎えに飛んできた家人たちは、じいや以外はすべて諸葛家の者たちばかりであったが、かなり徹底して躾けられている者ばかりらしく、まるで長旅から帰ってきた者を出迎えるような、丁寧な応対であった。
董和は、ほんのすこし、自分が偉くなったような錯覚をおぼえたが、あわてて気を引締めた。
彼らが本当に出迎えているのは、孔明のほうなのだ。
孔明のほうは、家に帰ると、あきらかにほっと緊張の抜けた顔をして、いささか相好をくずして、家人たちの応対にこたえている。
妻女がいない、という状態で、家の切り盛りはどうしているのだろう、と怪訝に思うところであるが、家人たちがこれほど立派に躾けられているとなると、よほど優秀な家令がいるのだろう。

「よっぽど優秀な家令がいるのだろう、と思わなかったかい」

揶揄するような声に、董和は首を向ける。
もはや、出会ったときの、おどおどした書生という印象が、すっかり消えた胡偉度であった。
見るたびに顔色がよくなっているようだ。孔明の言いつけを守って、ちゃんと養生していたのだろう。
胡偉度は、見るに、なかなか癖のある性質を持つ青年のようなので、これを御すのは苦労するだろうな、と董和は思う。
悪い男ではないのだが、頭の回転が速いのと、自負心がつよいのとで、相対する者を圧倒してしまうのだ。
気弱な人間では、胡偉度の前に立つことはできまい。そして、胡偉度も我慢ができないだろう。
そんな気質の胡偉度ですら、孔明の帰宅に、わざわざ顔を出すのだから、これはよほど孔明に心服しているのだろう。

「具合はどうだ」
「おかげさまで、ほとんど傷は癒えましたよ。軍師は心配性だから、もうすこし休めというのでしょうがね、明日には、左将軍府に行くつもりですよ。
わたしがいないあいだ、きっととんでもないことになっているだろうから」
「おまえの同僚は凄まじいな。仕事の早さは、たいしたものだ」
すると、偉度は、自分のことを誉められたように、不敵な顔を、にっ、と笑わせた。
「そうでしょう。わたしの訓練がよかったからね」
その含みのある言葉に、勘のよい董和は気がついた。
「ふむ、もしかして、家人の躾けも、おまえがしたのか」
「そうですよ。軍師将軍ときたら、家の中じゃ、まったくの薄ぼんやりですので」
と軽口を叩きつつ、偉度はからからと笑ってみせる。
なるほど、こんな青年が家を取り仕切っているのであれば、なにもわざわざ不在がちの妻を当てにすることもなければ、妾をつくって、家に入れる必要もない。
「ところで、あなたの可愛い人は、自分の店に帰りましたよ」
董和は、思わず顔を赤らめ、顔をしかめる。
「なぜ」
すると偉度は、くすくすと、人の悪い笑いをしつつ、答えた。
「なんでも、あのひとの店の偽者があらわれたそうで、蒼い顔をしてすっ飛んで行きましたよ。
大丈夫、あとで様子を見に行ったけれど、ガセではなかったから」
「そうか、手間をかけたな」
「暇つぶしになったので、かまいません。それにしても幼宰殿、あの女人のこと、否定なさらないのですね。
早いところ、後添えとして迎えればよいでしょうに」
「年が離れすぎているだろう」
「それは関係ないでしょう」
「わたしのことより、自分のことだ。聞けば、おまえも独り身というではないか」
とたん、偉度は興ざめした、とでもいうように、笑みをひっこめて、とっつきの悪い無表情になった。
「その話は、したくありません」
なぜだ、と董和が問いかけるより先に、更衣を終えた孔明が、首をひねりつつ、庭から屋敷に戻るところに行きあった。

孔明は、董和と偉度に気づき、声をかけてくる。
「偉度、子龍はどこだ?」
「今朝から出かけて、まだ戻られておりませぬが」
「今朝から?」
孔明は怪訝そうに眉をしかめると、趙雲のために作られた、急ごしらえの小屋を振り返る。
「おかしいな。今日は兵舎のほうにも顔を出していないというのだ。何も言わずに休む男ではないのだが」
「またあなたは、子龍、子龍と、雛のようにあの方ばかり追いかけているのだから。たまには、他の士人ともお付き合いなされませ。
今日も、山のように付け届けがやって参りましたよ」
それを聞くと孔明は、ぎゅっと柳眉をしかめた。
「それで、すべて突っ返したのであろうな」
「それはもちろん。しかし、陳情そのほか、男から女まで、軍師将軍に直にお話をしたいという者たちが詰め掛けまして、ひとりひとり追い返すのに苦労いたしました」
「それはすまなかったな」
と、言葉とはうらはらに、孔明は不機嫌そうに言って、顔をそむけてしまう。
「子龍が戻ったら、わたしに伝えよ。夕餉はいらぬ」
「食べないと、倒れてしまいますよ」
まったくだ、と同意して董和はうなずいたが、孔明はまるで頓着せず、絹の衣の音をさらさらと心地よくさせながら、去ってしまった。

その背中を見送りつつ、董和は偉度に尋ねた。
「軍師将軍は、翊軍将軍と義兄弟の契りでも結んでおられるのか?」
「いいえ。そんな話は聞いたことがありません。あの方たちは、そういったことは好まれないでしょう」
「よくわからぬ関係だな。軍師将軍が、それほど翊軍将軍を信頼しておられるなら、もっと高位に上げて差し上げればよいものを」
と、董和がつぶやくと、横からちくちくと、偉度の冷たい視線が飛んでくる。
「なんだ。わたしは間違ったことを言ったかね」
「いや、あんたも、わかってないな、と思って」
その口ぶりに、さも、自分だけは理解しているのだ、という意味が込められているように感じられ、董和は反発して尋ねる。
「なにをどう、わかっていないというのだ。わたしは今日、左将軍府で思ったのだが、軍師将軍は、狭量というわけでもなかろうが、なんでもすべて己で解決してしまう。
あの方の能力が高いせいもあるが、それは逆に、あの方が問題のほとんどに関与し、抱えている、ということだ。
これは危ういことだぞ。あの方が倒れたとき、左将軍府は機能が止まる。
つまり国の要の一部が停止する、ということだ。
あの方はまだお若いので、周囲は万が一にもその可能性を考えておらぬが、あのような働きぶり、そしていまの暮らしぶりでは、自分から寿命を縮めているようなものではないか」
「まあ、そうかもしれませんね」
と、偉度は、わずかに視線をやわらげて、董和を見た。
「だけれど、それと趙将軍の位を上げることが、どう繋がるのです?」
「軍師将軍には、意外に味方がすくない」
「へえ?」
「いましがた、おまえが軍師将軍に申し上げたとおりだ。
あの方は、もともと内気な気質らしいな。だから、自ら交友関係を広げようとなさらない。
個人としての諸葛孔明ならば、そのように世間と関わるのも悪いことではない。
しかし、軍師将軍としての諸葛孔明は、それではいけないのだ。みずから泥に飛び込むつもりで、さまざまな類いの人間に接しなければならなぬ。
それは、軍師将軍としての職務のひとつだ。
荊州時代とおなじように振る舞っていては、軍師将軍自身の幅も広がらぬし、いま巴蜀が抱えている、荊州と益州の人士の対立も解決すまい」
「なるほど。それで?」
偉度は、ほつれた髪をいじりつつ、今度は完全に董和に向き直って、たずねてきた。
「軍師将軍は、その役職のわりに、武人との付き合いが足らぬ。
とはいえ、あまり仲良くしすぎても馴れ合いの問題があろう。
もしも、翊軍将軍をだれより信頼なさっているというのであれば、翊軍将軍をいまより高い地位につけ、公的に、自身の片腕としてお使いになればよろしい。
翊軍将軍という低い地位では、趙将軍も、思うままに動けまい」
「なるほど、客観的にみると、そうなのか」
と、偉度は妙な感心をしつつ、自身のほつれた前髪をひっぱっている。
その仕草は、孔明のものとそっくりだ。
「趙将軍は、もっと高い地位につけるべきだ、という声は、じつは他からも挙がったことがあるのですよ」
「ほう」
「でも、そうはならなかった。なぜかというと、趙将軍がそう望まれなかったからです」
「変わっておるな」
といいつつも、董和は、なんとなく、あの御仁ならばそういうことを言いそうだ、と好感をもって考えた。
「翊軍将軍という地位は、たしかに低いものかもしれない。けれど、そのほうが、公的な責任は軽く、軍師将軍の私的な面を、補佐することができる。
あの人は、軍師将軍の主騎である以上のことをのぞんでおられないのです。
軍師将軍もそれをご存知なので、無理に趙将軍を高位につけないでいる。まあ、甘えているといえなくもありませんが。
しかし目ざとい者はいる。軍師将軍の右腕になろうと狙っている者は多くてね。
左将軍府にも来ませんでしたか、あの厚かましい男」
「厚かましい?」
偉度はうんざり、というふうに大げさに首を左右に振ってみせる。
「魏文長という、荊州時代には、単なる部隊長だったのが、益州攻略のさいに、斬り込み隊長としてたいそうな戦功をたてまして、主公に気に入られて、一気に出世した男がいるのです」
「ああ、あの颯爽とした男であろう」

董和は、職務中に、陣中見舞いだといって、手土産をもって、孔明のもとにあらわれた、やたらと愛想の良い男を思い浮かべていた。
手土産といっても、小腹がすいたらちょうどよさそうな饅頭のたぐいであったが、文官たちは喜んでいたようである。
がさつ者の多い武人のなかにも、気の利く男がいるものだな、と董和は感心したものであるが…

「あれのどこが、颯爽としているのです? あんたも見た目に騙されたクチか。冗談じゃない。あんないやらしい男は、この世に二人とおりませぬよ」
「ひどい言われようだな。魏文長という御仁は、なにをした」
「捕虜はなぶり殺しにするし、掠奪・強奪も好き勝手にする。賄賂は公然と受け取るし、部下のえこひいきもひどく、不平不満を少しでも漏らしたなら、調練と称して、いじめ殺してしまう。
けれど、自分より高位の者には媚へつらって、良い顔ばかりするのです」
「偉度よ、たしかにそう並べるとひどい男であるが、それが武将というものではないかね」
すると、偉度は眉をつりあげて、反駁した。
「とんでもない。巴蜀の武将がどれだけひどいか知らないけれど、すくなくとも、荊州では、あんなメチャクチャな男は例外ですよ。
だから軍師将軍もひどく嫌って、避けておられるのだけれど、魏文長は、しつこく付きまとっているんだ」
ううむ、と唸りつつ、董和は尋ねた。
「おまえの武将としての基準は、だれに置かれているのだ?」
「それは、趙将軍や、荊州におられる関将軍とか…」
「偉度、悪いことはいわぬ。基準を別の者に定めよ。
わたしから言わせてもらえば、趙将軍のような人物は例外中の例外だぞ。広い世間からみれば、変わり者の範疇に入るであろう」
「そんなの、世間がまちがっているんだ」
「そうかもしれぬがな、残念なことに、魏将軍は普通だ」
偉度は、ぎゅっと眉をしかめて、董和を睨みつける。
怒った顔が、妙に艶めいているのはふしぎである。
この青年の前身は、いったい何なのだろう。単なる書生とは思えないのだが…
「たまに、あんたと話をしていると、苛々することがあるよ。世間を知っているのだか、なんだか知らないけれど、なんでそう、諦めたようなことを言うんだい? 
間違っていることは間違っているし、それを認めちゃいけないんだ。でなくちゃ、悪はそのまま、はこびるだけじゃないか!」
「魏将軍が悪かね? まあ、悪だとして、そのように糾弾してどうする。いまは、共に国づくりをする仲間なのだぞ。
おまえの基準に見合わないといって、嫌って、糾弾して、そしてどうするのだ? のけ者にすれば気が済むのか? 
それとも、尚書令のように、気に入らぬという理由で、微細な罪で捕らえて、処刑するのか?」
「そうは言ってない! 極論だろう!」
「極論だろうか。おまえの考えの根底に眠っているのは、いまわたしが言ったことと変わらぬはずだ。
広い心をもて、偉度。でなければ、おまえの目の前には、嫌いな人間と好きな人間の二種類しかいなくなってしまう。
そんな狭い世界で、おまえは生涯を過ごしたいのか?」
「でも、わたしの言うことも間違っていないはずだ。芥子粒ほどの悪も許しちゃいけない。そうでなければいけないんだ!」
叫ぶように言うと、偉度はぱたぱたと廊下を駆けて去ってしまった。

董和は、やれやれと息をつく。
あれはいつだったか。密告により盗賊の頭を捕らえたことがあった。
しかし、その男は、巧みに言い逃れをして、証拠を董和につかませなかった。
かねてより、その盗賊は、豪族に盗品を献上していたこともあり、男を解放せよという圧力もつよく、董和はねばったが、結局、証拠を掴みきることができず、男は放免されることとなった。
それを聞いた休昭が、なぜ悪人だとわかっているのに、そのまま市井に解放してやるのかと詰め寄ってきたことがあった。
そのときに、さっきの偉度とまったく同じことを言った。

なぜ、法をおかした悪人が、ほかならぬ法に守られて、大手を振って市井を歩くことがゆるされて、法を守ってつつましく生活していた弱い者たちが、泣きを見なければならないのか。

父上ならば、あの悪党をもう一度捕まえることができるでしょう、と休昭は言った。
捕まえても、証拠がなにもない。また同じことだ、と諭したが、休昭は引っ込まなかった。
ならば、あの男を、一生涯、牢に閉じ込めておくか、でなければ、牢で病死したことにして、処刑してしまえばよい、と休昭は言った。
さすがにそれを聞いたとき、董和は息子に手を上げた。
放免された盗賊の頭は、休昭の知り合いの家族を殺していた。
休昭からすれば、悪とあきらかにわかっているものが、なぜ証拠がないというだけで、無罪にされるかが、どうしても分からなかったのだろう。
董和は、なんとか言葉を尽くして、息子に理解をしてもらおうと努力したが、その努力が実を結んだかどうか、いまもって自信がない。
結局、放免された盗賊の頭は、数日もたたないうちに、成都の郊外で、撲殺体となって発見された。
盗賊たちが襲った家族の遺族が、復讐したのだ、という噂がながれたが、董和は、深追いせずに、仲間割れで死んだと処理をした。
累の及ぶことを恐れた豪族に消されたのかもしれない。
復讐のために殺されたのかもしれない。
ほんとうに仲間割れをしたのかもしれない。
やはり、証拠がなかった。
真実を追いようがないし、知りたくない、とさえ思った。
法などといっても、小さな人間が定めた小さな決まりごとに過ぎない。
善と悪は、人智を超えたところで常にせめぎあっている。
この白黒をつけられる者が、はたしてこの世にいるのだろうか。


無性に晴嬰の明るい笑顔に会いたくなり、もう夜も更けていたが、董和は長星橋商店街へとむかった。
長星橋は、まだまだ宵の口であったが、しかし、晴嬰の店は明かりが落ちており、しんと静まりかえっている。
眠ってしまった様子でもない。
商店街の親父さんたちに尋ねたが、どれも口を濁してはっきりしたことを言わない。
ふと、酔客が、千鳥足でふらふらと向かってきたかと思うと、董和にむかって、にたにたと、いやらしく笑いかけている。
その生臭い息に顔をしかめていると、酔客は言った。
「旦那さん、せっかくだが、ここの店の別嬪は、さっき男と連れ立って、どこかへ行っちまいましたぜ」
「なんだと?」
「俺も狙っていたんだがなぁ、残念だよ、ホント」
「どんな男だ?」
「相手の男かい? なんて言ったかなぁ、荊州から来た、やたら男ぶりのいい将軍さまだよ」
「趙子龍か?」
酔客は、ああ、それそれ、と無邪気に、ぽん、と手を打った。
「普通の男ならさ、おれだって、ちょいと待ちな、その姐さんとどこへ行くのだい、と呼び止めたもんだが、なにせ相手が相手だろ? ぼこぼこにされるのは分かっていたからよ、今回は涙を呑んでお見送りってわけで。
旦那さん、残念だねぇ、あんたもそのクチじゃないのかい。
どうだろう、俺と一緒に、自棄酒を煽るっていうのは。もちろん、お代はアンタ持ちだよ。おれは情報提供したんだからね」
と、馴れ馴れしくしなだれかかってくる酔客を振り払い、董和はふらふらと歩き出した。
状況が把握できない。
趙子龍と晴嬰が、どうして一緒にいるのだ?


晴嬰は、となりで憮然としたまま、沈黙を守る趙雲をちらりと見た。
趙雲は目立つ。しかも隣にうら若い女性を伴っているのだ。
さらに場所は、晴嬰の地元の長星橋商店街。
董和が隣というのならともかく、晴嬰のとなりに趙子龍。
いったいこれはどうしたことかと言いたげな、みなの視線を集めつつの暗夜行であった。

繁華街から離れると、とたんに闇が重さをもって迫ってくるような錯覚をおぼえる。
町並みはしんと静まりかえり、たまに、往来を警戒する兵士たちの篝火が、遠くの小路を過るのが見える。野犬の遠吠えがさびしげに響き、吹き付ける風に、晴嬰はぶるりと身をふるわせた。
「あの、やはり、別々に動いたほうが、よかったのではないでしょうか」
晴嬰が言うと、趙雲は前を見つつ、あいかわらず無愛想に言った。
「この夜道を、貴女ひとりで行かせるわけにはいかぬ」
「あたしなら大丈夫ですよ。それなりに腕に覚えはあるんです。それに、このあたりなら、目をつぶっていたって歩けますからね」
「黄色い輝石の指輪をもつ連中は、貴女を狙っているのだ。油断はならぬ」
「それを言ったら、将軍さまもではありませんか。それに、軍師将軍さまについていなくてよろしいのですか?」
「あれは平気だ。偉度がついている」
さようですか、と晴嬰が答えたのを最後に、二人のあいだに、ふつりと会話がなくなった。

どうもこの将軍、女人の扱いに慣れていない様子だ。
玄人女ならいざしらず、晴嬰のほうも、客ではない男のあしらいにはまったく長けていなかったので、こういう場合、どうしたらよいのかわからない。
そもそも、この時代、男女が夜道を並んで歩く、などということは有り得ない。非常に反道徳的なことなのだ。
もしも晴嬰が、男に慣れた女であったなら、趙雲がかなり緊張していたことが分かっただろう。
とはいえ、その緊張は、女人の母性本能に訴えるたぐいのものではなく、共にいるものに、極度の圧迫感を味あわせるものであった。
『はやく門につかないだろうか』
と、晴嬰は足を速めた。
なんとも気詰まりなうえに、長星橋の人々に、ふたりで店を出て行ったところを見られている。
妙な噂が立つ前に、さっさと『仕事』を終わらせて、クチ止めをしなければ…やましいことがなにもないのに、クチ止めもなにもあったものじゃないけれど。

やがて、第三の門のある草地に到着したときには、晴嬰はどれだけほっとしたかしれない。
しかし、それは趙雲も同じだったようで、大きく息をつくと、闇にぼおっと浮かび上がる白い巨石のほうへ歩いていく。
だれかが火を焚いている。
見ると、一足先にやってきた、馬孟起であった。
店での軽装ではなく、りっぱな鎧装束に身を包み、手には得意の槍を持っている。
石の上には、例の赤頭巾が乗って、無邪気に趙雲と晴嬰に手招きをしている。
「よく来てくれたな、これで揃ったというわけだ」
「彭永年は如何いたしましたか?」
「うん? あいつなら、ちゃんと俺の家の地下に閉じ込めてあるぜ」
劉備の家の地下。
それは俗に『宮城の地下牢』と呼ばれている。
「しかし困ったものだぜ、子龍よ、この門は、開け方がわからんのだ」
趙雲は、劉備の言葉に眉をしかめると、かたわらにいる馬超にちらりと目線を送った。
馬超は、いささか不機嫌そうに、軽く頷く。
趙雲は、劉備の乗った巨石にぺたぺたと手を触れて、周囲を探った。
劉備はというと、岩の上に胡坐をかいて、趙雲の行動を見守っている。
そうして、趙雲はちらりと、はがれたり、色あせたりしている御札の貼られた石を背に、腕を組んでなにやら考えている馬超のほうを見て、それから声を落として、劉備に尋ねた。

「ほんとうに、今夜、潜るのでございますか」
「あたぼうよ。思い立ったが吉日だぜ。西涼の若旦那が、妙に智恵を働かせる前に、ちゃっちゃと解決して、明日から、みんなでニコニコ過ごせるようにしようや」
「そのお考え自体には賛成いたしますが、たった三人では、不安がございます」
「かといって、大人数でぞろぞろ出かけた、孔明の兵卒たちは、みんな戻ってこねぇのだろう? 
三という数字は、儂にとっては幸運の数字なのだ。きっとうまくいく」
「お言葉を挟むようでございますが、四でございますよ。あたしも行くのですから」
晴嬰のことばに、劉備と趙雲が同時に振り返る。
「なあ、考えたのだがな、晴嬰さん。あんたはやっぱり留守番をしていてくれたほうが、俺たちも助かるのだがな」
「なにを言っているのです。むざむざと…いえ、赤頭巾さまを危地に見送るだけで、自分はなにもせず家に留まっていた、などとみなに知れたら、それこそ長星橋の女の名折れでございます。
それに、あとで幼宰さまに叱られてしまいます! 今度ばかりは絶対にお供させていただきます」
「うーん、そうすると、今度は儂たちが幼宰さんに叱られるのだがな」
と、劉備は腕を組み、むずかしそうに首をひねる。
しかし、晴嬰は引っ込むつもりはなかった。
「女だからといって、足手まといになるばかりと決め付けてくださいますな。
たしかに心もとない道連れかもしれませんが、軍師将軍のお子様を助け出した際には、きっとあたしが役に立ちますよ。
これでも子供には好かれる性質なんです」
「そこまで行き着けるかどうかなんだが…」
すると、今度は趙雲が口を挟んできた。
「と…いえ、赤頭巾さま、やはり、そのように見通しの立たぬ話なのであれば、やはり、ここは出直すべきかと」
「おっと、薮蛇だ。ダメだぞ、子龍。人質の救出っていうのは、時間が経てば経つほどむずかしくなる。
相手が何者かわからない、だから様子を見ていますっていうのじゃ、ダメなのだ。
もしかしたら、孔明にもなにか策があるのかもしれねぇが、悪いが、こういうことのカンは儂のほうが働く。
子供が攫われてから、まったく連絡がない、というのは実に奇妙な話だ。
金や物品が目当てでないとしたら、そりゃあ、怨恨だよ。つまり、人質は、ハナから殺される確率が高い」
「そんな」
と抗議の声をあげたのは晴嬰である。
そんなことになったら、一人息子を溺愛している董和は、どうなってしまうだろう。
晴嬰の抗議を手で制し、劉備はつづける。
「だが、そういった場合、死体というのは目に付くところにわざと捨てるものだ。そうしなければ、見せしめの意味がないからな。
となると、孔明と幼宰さんの子供を攫ったヤツには、ほかの目的があるのだ」
「それは?」
「いや、さすがにそれは、儂にもわからねぇよ。それを探るのは、やはり古城に潜るしかねぇ。
そして、相手の出方を探るのだ。なにかが見えてくるかもしれねぇだろう」
「そのようにうまく行きますでしょうか」
「行かせるのだ。最悪の状態から、まともな状況にひっくり返すのは、おまえの得意じゃねぇか」
「恐れ入りますが…」

と、それまで大人しく沈黙を守ってきた馬超が、割って入ってきた。
「おい、いつまでそのように話し合いをつづけているのだ? 
いまさら怖じたのか? それならば、俺一人で潜るぞ」
「勝手にしろ。ただし、この門は仕掛けがあるようで、開かぬ」

孔明の使った、墳墓に通じる古城の入り口は、不死者が徘徊しているために、進むのが手間ということで、董和が最初にもぐった、この第三の門を使うことになったのだが、しかしあけ方がわからない。
孔明の地図があれば、ほかにもある門の所在がわかるはずだが、趙雲が言うには、
「地図自体が暗号のようになっている。
特殊な文字が描かれていて、それを解読して、現在の成都の地形と重ねなければならぬのだ。
いまのところ、わかっている門は五つだ。現在も使用できるものは、そのうち、三つ。
栄耀飯店の門、墳墓の門、そして幼宰殿が見つけた門だ」
ということであった。
つまり、さほど現状は変わらないのである。

「ふん、仕掛けがしてあるというのか、小ざかしい。
こういう奇妙な仕掛けには、ちょっとした智恵が必要なのだ」
「ほう、ではおまえの智恵とやらを出してみろ」
おまえら、ちょっとは仲良くしろよ、と言う劉備のつぶやきをよそに、あいかわらず剣呑な火花をちらす二人であるが、馬超は、というと、傲然と胸を張って、岩に対峙した。
「呪文を唱えるのだ! 阿武羅可侘武羅! それっ!」
と、馬超は気合とともに、地面をどん、と踏み鳴らす。
呆れ顔の趙雲をよそに、馬超は、なんの応答もしない石に向かって、ふたたび、『阿武羅可侘武羅!』と叫び、地面を踏み鳴らした。
どこかで、かちり、とちいさな音がした。
そして、突然に、折り重なるようにしてそこにあった岩全体が、はげしく揺れ始めた。
岩の上に乗っていた劉備は、あわてて地上に降りてくる。
馬超は、思ったとおりの結果に、喜びの声をあげる。
「見たか! これが俺の智恵だ!」
「呪文、必要だったか? いまおまえの足元で、カチッ、と音がしたのだが?」
「やかましいぞ、翊軍将軍! 武人の癖して細かいことを申すな! さあ、古城が我らを呼んでいる。いざ参ろうぞ!」

二十六話へつづく…
インデックスへ戻る 
更新履歴へ戻る