捜神三国志・燭龍本紀

第十ニ話 異変

 胡偉度に刃をつきたてる祝融を見て、董和はまずいことになったものだと思った。
黒イの姫になにかあれば、誇り高いイ族と漢族のあいだは決定的に決裂するだろうし、そうかといって第三の門の所在をおしえて、祝融にそこに自由に出入りをさせるようにして、万が一、『得れば天下を取れる宝』がイ族の手に渡ってしまったら…それがいちばん頭の痛いことに、イ族は宝を得れば、すぐさま漢族制圧にかかるだろう。ふたたび中原に殺戮の風が吹き荒れる、というわけだ。
 イ族やほかの民族が、漢族を恨む理由もわかる。
董和が成都の令を勤めるまでは、豪族は異民族を人と見なしていなかった。思うままになぶり、殺し、打ち捨てた。董和は命を危険にさらしてまで、なんとかそれを阻止しようとがんばったものの、ときおり、火事場にわずかばかりの水を与えていただけだったのかもしれない、と思う。
 さて、どうしたものか…
「なんか、外の様子がおかしいですぜ」
と、肉屋のおやじさんが窓から外を覗き込んで、言った。
すぐさま張嶷が窓辺に寄り、つづいて董和がともに外を覗き込む。
 たしか肉屋のおやじさんの言うとおりであった。さきほどまで、しんと静かであったものが、闇夜に鬼火のような篝火が、いくつも浮かんでただよっている。
 月明かりに浮かび上がるその影を見て、張嶷は軽くうめいた。
 「いかんな、荊州兵だ」
董和もそれを受けて、目を細める。
「あの兵卒どもの羽飾りは…軍師将軍の兵か」
 劉備とともに、荊州より益州へとやってきた兵士のなかでも、あとから軍師将軍・諸葛孔明が応援として集めた兵士たちは、みな一様に、武冠に真っ白な鵞鳥の羽根を差している。荊州において、孔明みずから調練したという精鋭のあつまりらしく、ほかの有象無象の部隊とはちがい、統制がきっちりとれている。彼らの誇りの高さもはんぱではなく、ふつうは武冠に鸚鵡の羽根を飾るものだが、ほかと区別のつくように、孔明の手にしている白羽扇を真似て、あえて白い鵞鳥の羽根を飾っているのだった。
 「さっきまでだれもいなかったのに…なんかあったんでしょうかね」
 ふと、みなの頭をよぎったのは、栄耀飯店の盗賊たちが、けっきょく張大人のやりくちに反発し、騒ぎを起こしたのでは、ということであった。
 「なにをごちゃごちゃしているのだい!」
祝融が苛立って声をあげたので、あわてて張嶷が決め付ける。
 「黙っていろ! 荊州兵に踏み込まれたらどうなるか、わからないのか!」
 「あんな奴らの一人やふたり、怖がっていてどうするのさ」
鼻で笑う祝融に、窓の外をじっと見つめている晴嬰が言った。
 「とても一人やふたりなんて数じゃないわ。夜回りなんてものじゃない、一部隊全部が動いているみたい」
 「これでは、出て行くこともままならぬな」
董和がつぶやくと、祝融に羽交い絞めされ、咽喉元に刃を突きつけられている胡偉度がなさけない声をあげた。
 「そんな、それではわたくしはどうなるのです!」
 「黙っていろというのだ。しかし、幼宰どの、どうするつもりだ」
 「どうするもこうするも、なぜ荊州兵がこの夜中に動き出したのか、それを探らねばなるまい」
と、董和はそっと音を立てずに、戸口のほうから栄耀飯店の方向をのぞき見た。闇夜にぽつりと赤く燃えるそれは蛍のようであった。それが、栄耀飯店の周囲にもうろうろしているのが見える。
 「偉度、飯店には帰れそうにもないな」
 「まさか、盗賊どものだれかが、腹いせに密告でもしたのでしょうか」
震える声でたずねる偉度に、董和が答える。
「そうではなさそうだが、兵士どもに捕らえられ、詮議されたら面倒だ」
祝融が割り込んで、言う。
 「ちょうどいいじゃないか。この男を囮にして、兵士を引き寄せて、あたしたちはその隙に第三の門へ行けばよいのだ」
 「姫、ここから見れば、それが容易ではないとわかりますぞ。その物騒なものをしまって、こちらへ見にいらっしゃい」
董和が声をかけると、祝融は眦をつよくして、決め付けた。
 「その手には乗らないよ。表に出られないというのなら、その理由を調べて、連中の裏をかけばいいことじゃないか。栄耀飯店でなにがあったのか、いますぐ調べてくるのだ!」
 しかし、と董和が言葉をにごすと、祝融は胡偉度を羽交い絞めにしている手をさらにつよくして、刃を胡偉度の首筋につきつけた。そうして、すうっと、刃を横に走らせる。静脈はかわしたようであるが、首筋に切った筋ができて、じわりと血がにじんだ。痛みはさほどないようであるが、自由が利かないために自分に何が起こったのかわからず、それが一層、胡偉度をあせらせている。
 「な、何が起こっているのですか!」
 「さあ、ぼやぼやしないで、外へお行き! だれでもいい。さあ、早く! 早くしないと、この男がどうなるかわかっているね? あたしはね、漢族が何人死のうが、どうだっていいのだ」
 祝融のことばに嘘はないだろう。燃え盛る火のような目で祝融から睨まれ、そうして腕の中にがっちりつかまれている胡偉度からは懇願されるように見つめられ、董和はため息をついた。
 そうして、袍を脱ぎ、下に来ていた鎖帷子を脱いで、武冠をはずす。そうして、かたわらで、董和がなにをはじめたのかわからず、うろたえている晴嬰たちに脱いだものを渡し、そうして最後に下着だけになると、胸元を大きくはだけさせ、それから結っていた髪も手でくしゃくしゃにかきまぜた。
 唖然とする一同に、
 「しばらく待っていてくれ」
と、董和は告げると、屋外へと出た。
 
 いかにも慣れた風に、ふらり、と表に出る。
せまい室内に大人が七人もいたものだから、気温が上がっていたのだろう。外にでると、おもいのほか風が冷たかった。
 成都にはめずらしい星月夜の下、荊州兵たちの手にする篝火は、星に競っているようにも見える。
聞いた話によれば、軍師将軍というのは、最近の若い者の例に漏れず、洒落者だという話だから、すこしはそういった雅心もあるのかもしれない、などと董和は考える。でなければ、こんな気持ちのよい夜に、なにを好き好んで、兵士たちをあつめて騒ぎを起こそうとするのか。
 そんなことを考えるのは、『得れば必ず天下を取れる宝』に目がくらんだおろかものか、でなければ、おのが狭量もかえりみず、復讐心に取り付かれているおろかものか…
わたしも、立派におろかものの一人だな、と自嘲しつつ、董和は、伸びをして、夜気を吸い込んだ。
すると、さすが精鋭を自負する荊州兵たちは、めざとく董和を見つけ、駆け寄ってくる。
「おい、おまえ、なにをしている!」
兵士たちは、荊州なまりの言葉で声をかけてきた。
「そういう、あなた方こそ、何をしておられるのです、さわがしい。おかげで目が覚めてしまいました」
董和はおおきくあくびをしてみせた。
益州の兵士たちには利く手ではないが、董和の顔を知らない荊州兵には、うまく行くはずである。兵卒たちは、董和の出てきた家…実際には空き家で、いまは六人もの大人が息をひそめているのであるが…をちらりと見る。董和は、なにくわぬかおで、身体をぼりぼりと掻きながら、いかにも商店のおやじさんふうに、兵士たちに尋ねる。
「こんな静かな夜に、めいわくでございますよ。いったい、荊州の皆さんはなにを騒いでらっしゃるのです」
「うるさい、おまえの知ったことではない」
「おや、冷たいことをおっしゃる。邪険にされると、余計に気になる、というもの。そうだ、みなさん、こんな夜更けにお仕事では、お疲れになっているでしょう。どうです、わが家で酒でも。身体が温まりますよ、お安くしておきましょう」
無造作に、董和は兵卒の袖をひっぱってみせる。空き家の中では、董和のそんな行動に、仰天していることだろう。
兵卒は、董和の思惑どおり、董和の手をふりほどくと、あらあらしく怒鳴った。
「ええ、うるさい奴め。よいか、われらは軍師将軍の命令により、人殺しを探しておるのだ。おまえもそいつに殺されたくなければ、おとなしく家に帰って寝ておれ!」
「人殺し? ほう、これは面妖な。人殺しならば、毎日出ているではありませぬか。ほれ、益州太守の法孝直さまのことでございますよ」
董和が皮肉を言うと、む、と兵卒はことばを詰まらせた。
これが益州の兵士であれば、太守の悪口を言うなどけしからん、と言って、下手をすれば牢屋入りであるが、荊州兵は、軍師将軍直属の兵、という立場上、法正をよく思っていないようだ。董和の皮肉に、おもわず弛みそうになる頬を引き締め、言う。
「これ、めったなことを口にするでない。おれたちであるから見逃してやるが、ほかの兵ではこうはいかぬぞ」
「へえ、口が過ぎました。お許しを」
ということは、法正がらみではない、ということか。
栄耀飯店に集まったのではなく、追っているのが人殺し、と聞いて、董和の脳裏を過ったのは、法正のことであった。
法正が、またも、かつての政敵を捕らえ、処刑をしたのではないか。
劉備の蜀入りに多大な貢献をした法正は、手に入れた太守の地位を悪用し、かつておのれを冷遇した益州人士を、微細な罪で捕らえ、ことごとく処刑していた。
法正の功績が大きいのと、劉備が何も言わないこともあり、法正の蛮行を止める者は、いまの成都にはだれひとりとしていない。
今夜も、粛清の犠牲者が出たのではないか。その哀れな犠牲者がだれかはわからないが、いままで沈黙を守ってきた荊州側も黙っていられなくなり、とうとう出兵する騒ぎになったのではないか。軍師将軍がどのような人物かわからないが、荊州側の総大将というべき立場の男が、みずから出てくるとは、なにか相当なことがあったに違いないのだ…そう思ったのである。
 しかし、兵卒の口ぶりでは、そうではないようである。
 「して、人殺しとは、どんな輩なのです」
 「ほんとうにしつこい奴だな。なぜ聞きたがるのだ」
 「だって、わしらの気持ちになってくださいましよ、おそろしい人殺しがうろうろしているのに、呑気に寝てなんて入られません。もし捕まっていないのであれば、扉を釘づけにして、だれも入ってこられないようにしなくては」
 「心配は無用ぞ。不届きな輩は、おれたちがすぐに捕らえてやる。だから、ほれ、さっさと家に戻れ」
と、兵卒は槍の柄のほうを向けて、家に戻るように示した。
 聞きだせるのはここまでか…董和が仕方なく家に帰ろうとしたときである。
 「おい、なにを騒いでいるのだ」
 高いところから声が降ってきた。
その男は、馬上において、月を背にそこにいた。
振り返ると、見事な鎧装束に身をつつんだ、大柄の男が白馬に乗っていた。白馬に合わせたものか、白銀の鎧を身にまとい、それが月光ににぶく輝いている。
 男の背後には数騎が控えていて、やはり似たようないでたちをしており、彼らもまた、武冠や飾り玉など、目立つものに白をつかっている。
 しまった、と董和は内心で舌打ちした。
 公の場で、言葉をかわしたことはないが、目立つ男であったので、おぼえていた。劉備の腹心の武将のひとり、そして軍師将軍の片腕とも目されている、翊軍将軍趙子龍である。
 錦馬超の場合、羌族と漢族の血が交じり合った派手な容姿と、強烈な自尊心のせいで、物を言わない端から、否が応でも目を引くのであるが、この男の場合、そこにいる、というだけで妙に忘れがたい印象を残す。万人に好まれる、得な容姿をしているが、ふしぎと心を引かれるのはそれだけではあるまい。
 もし、こんな夜でなければ、機知になれるよい機会であると、董和は喜んだかもしれない。
しかし、いまは都合がわるすぎる。こちらは免官になった身で、しかも、空き家には、どんな言い訳もとおらないほどに珍妙な組み合わせの男女六名。とはいえ、趙雲とは、文武百官にまじって顔をあわせた程度であるから、こちらをおぼえていることはないと思う。
そう自らをはげまし、兵卒たちが、うやうやしく趙雲に拱手したのにまぎれ、董和もそれにならい、袖で顔を隠した。
 「なにか問題でも起こったのか?」
深みのある低い声が頭上からする。
 「いえ、この親父が、おれた…われわれがやかましいので目が覚めてしまった、と申すものですから」
 ほう、と趙雲は軽く相槌をうち、かしこまっている董和のほうを見た…ようである。董和は月夜であることをいまさら恨んだ。
 「それはすまなかったな。われらはもう神政門のほうへ引き上げるゆえ、安心するがよい」
 神政門。第三の門がある場所ではないか。思わず顔をあげ、董和はたずねる。
 「趙将軍、いったい何事があったのでございますか?」
 すると、馬首をめぐらせかけていた趙雲は、怪訝そうな顔をして、ふたたび顔を董和のほうに向けた。
 「それがしの名を知っておるのか」
 「それはもう…長阪の英雄でございますれば」
言いつつ、董和はあわてて顔を伏せる。すると、馬上で趙雲が苦笑したのが聞こえた。
 「英雄か。それはおれが志をまっとうして、天寿もまっとうして、おれが死んでもだれも惜しまないくらいに世が平和になってから、そう呼ばれたいものだな。いまは、英雄のなりたてだ」
 「ほお」
思わず、董和は素で感心していた。人は英雄だと持ち上げられると、威張り散らすことはふつうにできるが、趙雲のような言葉はなかなか口にできないものだ。
 「親父、どうせ明日になれば皆に知れようから、教えてやろう。今宵は、何者の仕業か、羌族の男の死体がみつかったのだ。それも、あきらかに拷問をうけ、指を切られたものであった。その下手人が、どうやらこの長星橋から、神政門へ逃げたらしいと知らせが入った。もうここには用事がないゆえ、安心するがよい。ただ、戸締りはしっかりいたせよ」
「はい、お心遣いありがとうございます」
「もう家に入れ」
そう言い残し、趙雲は悠然と、月下の成都を、神政門の方向へ去っていった。

「第三の門は駄目だ。いま出向けば、まちがいなく荊州兵に見つかる」
「しかし驚いたな。翊軍将軍みずから出向いて夜回り、とは」
張嶷の横で、晴嬰は蒼い顔をして董和に言う。
「幼宰さま、もしかして、この指…それに、羌族の男といったら、もしかしたら、いつかあたしたちが捕まえた、古城の噂を流している連中の仲間なのでは?」
董和は、紙包みの中にある、切り取られた指をみた。晴嬰の言うとおり、この指が、例の羌族の男のものだとすれば、指輪の意味もわかる。しかし、男は、張大人が捕らえていたはずである。この指は、張大人が、思うようにならない晴嬰に向けて、警告の意味で贈りつけてきたものなのか?
「早合点はできない。しかし、古城のことが表にしれて困るのは張大人であろう。盗賊どもから得る上前がなくなってしまうのだからな。それにやつのことはわたしもよく知っているが、死体の始末に関しては、熟練の技術をもっている。警告の意味でないかぎり、殺した人間の遺体を放置することはない。死体の隠し方がうまいので、やつはいままでずっと、縄を打たれずにのうのうと暮らしてこられたようなものなのだから。まさかいまさら、わたしに対する警告などではあるまい」
「それじゃあ、だれが? それに、神政門に第三の門があるのでしょう? 下手人は、そちらに逃げたのではないでしょうか?」
「第三の門をくぐって、か?」
董和の脳裏に、門のすぐそばにあった小屋が脳裏に浮かんだ。董和たちが門を出たときは、小屋は無人であったが、あそこには、やはり門のことを知る人間が暮らしていたのだろうか?
「おまえたち! なにをごちゃごちゃ喋っているのだい!」
祝融が怒鳴り、そこで董和の沈思はやぶられた。
祝融の腕でがんじがらめにされて久しい胡偉度は、怯えるのに疲れてしまったのか、ぐったりしている。それを見て、晴嬰はきつく眉根をしかめた。
「あなた、話を聞いていなかったの? 今夜、第三の門にむかうのは無理よ。捕まってしまうわ」
「おまえたちこそ、あたしの話を聞いていなかったようだね! 仲間が古城に閉じ込められているのだよ! 早く助けなければいけないのだ!」
「事情はわかるけれど、無理なものは無理なのよ! いつまで偉度さんをそんなふうに捕まえているの? あなた、わざわざ荊州兵に捕まりに行きたいの? だったら、ぜったいに幼宰さまは同行させませんからね!」
「ふざけるな! おまえ、その男の女房かい?」
祝融の問いに、晴嬰は堂々と胸を張った。
「ええ、そうなる予定の女よ」
「晴嬰どの、われらならば同行してよいのか」
張嶷の静かなことばに、晴嬰は目を丸くして、答える。
「あら、伯岐さんだって駄目よ。伯岐さんが捕まったら、幼宰さまのことですもの、きっとご自分から名乗り出なすって、一緒に捕ろうとするにきまっているわ」
「晴嬰さん、わたくしはどうなのです」
胡偉度が弱弱しく言う。
「偉度さんだって同じことよ。わかったでしょう? 今夜は、だれもあなたの言うとおりにはならないし、だれであろうと、あなたの願いをかなえることはできないの。いいかげん、そっちだって腕がしびれてきたのじゃない? もうふつうにしたら?」
「そう言って、あたしを騙すつもりだね、この漢族の女狐!」
「なら、朝があけるまでずっとそうしてなさいよ。あたしたちは帰るわ。見なさい、みんなの顔を。くたびれ果てているでしょう? すこし休息をとらないと、古城に潜ったところで、盗賊の三下にやっつけられちまうのが落ちでしょうよ。それはあなただって同じではないの」
「あたしはおまえたちとは違う!」
「じゃあ、ここでお話はおしまい。帰りましょう、幼宰さま」
と、晴嬰は、ぽかんと祝融と晴嬰のやりとりを聞いていた董和の腕に、自分の腕をからめる。それを見て、悲鳴をあげたのは胡偉度であった。
「ひどすぎますよ、晴嬰さん! わたしはこんな恐ろしい人食い女豹とふたりきりで残されてしまうのですか!」
「栄耀飯店で、張大人に冷や汗をかきながら嘘の報告をするよりは、美女と身体をくっつけて一晩過ごすほうが楽しいのではない?」
「この刀があるかぎり、張大人のほうがマシです! お願いです、見捨てないでください!」
「しかし偉度、すまないが晴嬰どのの言うとおりだ。おれも疲れているし、幼宰どのも同じだと思う。短い付き合いであったが、いろいろ迷惑かけたな。地図は大事に使わせてもらう」
張嶷の言葉に、偉度はますます顔を歪ませた。張嶷のことばに悪乗りをして、商店街のおやじさんたちも、さようなら、おげんきで、あの世に逝ってもおれたちのことを忘れないでくだせぇ、などと声をかける。
 半泣きの胡偉度にくらべ、顔を赤唐辛子のようにしているのが祝融であった。
 「おまえたち、仲間を見捨てるというのかい?」
 「だって、仕方がないじゃない。どうしようもないのですもの。あなただって、もう体力の限界のはずでしょう? 人質がいるといっても、数のほうではあたしたちのほうが勝っているのよ。あなたが剣を落とした時点であたしたちはあなたを取り押さえるし、あなたが偉度さんを殺した時点で、あたしたちはあなたを殺す。やっぱりどちらにしろ、あなたは仲間を助けに行けなくなるのよ。そうでしょう、幼宰さま」
 うむ、と董和は生返事する。正直なところ、晴嬰がここまで弁が立つとは思っていなかったので、面食らっていた。
 「あなたが仲間を助けに行くためには、まず偉度さんを離すこと。それから、第三の門を教えて欲しいなら、ちゃんと礼を尽くして、幼宰さまにお願いしなさい。そうして、二度とあたしたちに乱暴をしないと約束して。イ族だろうと漢族だろうと、信頼できる人間にしか、秘密を打ち明けられないのは同じことよ。それが出来ないというのなら、あなたはここで死んで、仲間も助からない」
 祝融と晴嬰は、しばらく沈黙のなか、視線をはげしく戦わせていた。
折れたのは、祝融のほうであった。
 「女狐!」
吐き捨てるように言うと、偉度の背中を突き飛ばし、解放した。足元のふらつく偉度を、張嶷があわてて抱きとめる。
 「いいかい、おぼえておいで、この仮は、きっと返してやるからね! 仲間と一緒にね!」
言いざま、祝融は、来たときと同じように、素早く去っていった。
 
 

十三話へつづく…
インデックスへ戻る 
更新履歴へ戻る