捜神三国志・燭龍本紀

第十話 長星橋商店街の夜



店の戸口に、影が立った。
もしや、と晴嬰は盆を置き、あわてて戸口へと飛び出すと、影をむかえた。
しかし、それは目指すひとではなかった。常連の、苗族の商人であった。
 「やあ、うれしいね、貴女がそんなふうに迎えてくれるなんて」
と、気のいい商人は言った。晴嬰は、がっかりしたことをつとめて表情に出さないように気をつけながら、商人を店へと案内した。
が、商人は、一歩、店に入ろうとして、ぴたりと止まる。
 「すまないが、晴嬰さん、今日は稼ぎがいまひとつで、路銀が足りないのを思い出した。もうしわけないが、またにするよ」
待って、と晴嬰が声をかけるより早く、商人は一目散に背中を向けて逃げ出した。
 雑踏に飲み込まれていくその背中を見送りつつ、晴嬰は、その日、何度目かのため息をつく。
こうして、常連が逃げていったのは、今日はこれがはじめてではない。
 「あんたたち、一体、いつまでそうしているの?」
晴嬰が、店のいちばん奥の卓で、ちびりちびりと酒を飲む、ヤクザ者三人組に声をかける。野太い腕から刺青やら、刀傷やらを見せるこの男たちは、董和が九門古城に潜った頃合を見計らって、晴嬰の店にあらわれ、ずうっとそこで、目をぎらぎらさせながら、飲んでいるのだった。締まり屋の張大人の雇った者らしく、安い酒を何時間もかけて、ちびちびと飲むさまは、豪快さに著しく欠け、むしろみすぼらしい。よほど安い賃金で雇われているのだろう。
 「家鴨の干し肉でも注文したらどう?」
と、晴嬰が問いかけても、ヤクザ者は目をぎらりとさせるだけで、返事はしなかった。
 「お金がないのね。しけていること」
 ヤクザ者のひとりが、うー、と唸ったが、鎖につながれた犬に威嚇されている程度にしかおそろしくなかった。お客だって、こんな風体の三人組が、しみったれた酒を飲んでいるのを見たら、それは逃げ出すだろうね、と晴嬰は胸のうちで毒づく。
 張大人の思惑は単純だ。
張大人は、晴嬰に気がある。何度も妻にならないかと声をかけてきた。そのたび、晴嬰は董和の名前を出して、張大人を振った。
 晴嬰は、こういう商売をしているから、自分の容姿にだって自信がないわけではない。しかし張大人の場合、自分を口説こうとするのは、自分にほれているからではなく、董和に対する対抗意識がはたらいているからだと、晴嬰は見ぬいていた。張大人が、おのれのその心のはたらきに、気づいているかどうかはわからない。
 晴嬰は、当て馬にされるのはごめんだ。なにより、董和の名前を出しているのは予防線というだけではなく、ほんとうに、董和の後妻の座を…後妻が無理だというのなら、妾でもかまわない…狙っている。
 それはともかく、張大人は、董和が太守の地位であるうちは、あからさまに晴嬰に手を出してこなかった。
しかし、益州の主が劉璋から劉備に代わり、董和が免官になってから、そうして九門古城に潜るようになってからは、董和がすぐに駆けつけられないことをいいことに、店にヤクザ者を寄越すようにした。こうして、ヤクザ者を店にやることで、店の売り上げを減らし、是が非でもおのれを頼らせよう、という張大人のこすっからい策謀なのである。
 やることが小さい、そしてせこい、と晴嬰は思う。力づくで来られても困るが、こういう陰湿な手回しをする男に、本気で女がなびくと思っているのか。
 とはいえ、店はヤクザ者のおかげで閑古鳥。かれらのほかにいる客といえば、ちょうど真隣の卓で、長星橋商店街有志の肉屋のおやじさんと、竹細工のおやじさん、そして今日は飾り職人のおやじさんがやってきて、ヤクザ者を威嚇しながら、こちらは晴嬰が、差し入れ代わりに用意した料理を食べている。
 長星橋商店街有志は、自分たちのために九門古城へ潜ってくれている董和のために、晴嬰を守ることを決めたのだ。
晴嬰は、その気持ちはほんとうにありがたい、と思う。
 だが、ヤクザ者と、酒も入っていないのに、目の据わった商店街のおやじさんたちが、だまってじっとしている様子は、常連客をすくませるのに十分であった。
 幼宰さまが『お宝』を持ってお戻りになる前に、店がつぶれてしまうかも。
気弱になる晴嬰であったが、すぐに頭をつよく振り、気持ちを奮い立たせた。
 あたしたちのために、幼宰さまは、おそろしい悪党の巣に潜っておられるのだ。それなのに、あたしたちが気弱になって、張大人なんかに屈しちゃいけない。
 「せっかく珍しく星のきれいな夜だっていうのにねぇ」
と、飾り職人のおやじさんが、ちいさな花窓から見える夜空を見てつぶやいた。
 長星橋商店街は、この晴れ間のおかげで、今日は大繁盛である。
もともと、東と西を行き来する商人たちの出入り口であり、彼らを当て込んだ、酒家や妓楼の多い街である。夜になっても、にぎわいは止まらない。街のあちこちにともされた篝火の下、さまざまな風俗の者たちが行きかうさまは、ながめているだけで面白い。残念ながら、そのにぎわいは、晴嬰の店を通り過ぎているが。
 「でも、普段はいそがしくて、あまりよく外をながめていないから、あらためて見ると、面白いわね。蜀は、中華の出入り口だと思わない?」
 「中原の人間から、江東の人間、イ族もいれば、苗族、羌族、ナシ、白、水…ああ、なんだかわかんなくなってきた。ともかく、いろんな連中が出入りしているってことだ。おれなんかは、成都から出たことないから他所はよくわからんが、ときおり、あいつらと一緒についていって、海とか砂漠とかいうものを見てみたいと思うよ。とんでもなくだだっぴろいのだって? あのでっかさは見てみないとわからぬと言うが、どのようなものだろうな」
 「旅に出るのは、古女房がゆるすまい」
「そのとおり。しかしあれこれ想像をはたらかせるのは自由であろうが。羌族の男が言っておったが、涼州には、西の果てにつづく長―い道があり、そのなかには幻のように消えてしまう都や、一本足の人間の国、犬の頭をした人間の国などがあるらしい」
「一本足の人間か。走るのが不便そうだな」
「それがよく出来たもので、おれたちより早く移動できるらしいぞ」
おやじさんたちの話を聞くともなしに聞いていたやくざ者の一人が、ふん、と小ばかにしたように鼻を鳴らした。
 「くだらねぇ、一本足の人間の国なんざ、あるわけねぇじゃねぇか。戦で足を失った、というならともかく、国中みんな、一本足なのか?」
 「そうだとも。そいつらの足は里芋の葉よりもでかくて、日傘の代わりにもなるらしいぞ」
飾り職人のおやじが反論すると、げらげらとヤクザ者が笑い飛ばした。
「ますますホラ話じゃねぇか。じぶんの足を日傘の代わりにして、それじゃあ、動くときはどうするんだ」
「それもちゃんと聞いたとも。日が陰るまで、そうしてじっとしているのだ」
「これはとんだ馬鹿がいたものだ。そんな間抜けな話があるものか!」
「なんだと、おれはたしかに羌族の男から聞いたのだ。おまえは、ない、と証明できるのか」
 「かつがれたんだよ、だいたい、一本足で小便はどうする…いや、小便は立ったままでも大丈夫だな。大便だ。これは困るぞ。二本足がそろっていればこそ、踏ん張ることも出来るだろうが」
 「杖を使うのではないか。つまりだな、もよおすと、便所に杖が置いてあって…」
 「ちょっと、あんたたち、ここが酒家だっていうことを忘れているんじゃないでしょうね!」
 晴嬰が注意すると、やくざ者がむっとして、怒鳴り返してきた。
 「いいじゃねぇか、ほかに客なんざ、いやしねぇ。せっかく高尚な問答をしているところだ。女は引っ込んでろい!」
 「どこが高尚なのよ!」
 晴嬰は毒づきながらも、ばかばかしくなって、開いた椅子に座る。
晴嬰はもともと真面目で商売熱心だったから、たとえ店に客が来なくても、空いた席に座って、客を待つような真似はせず、いつでも客が来てもいいように、ずっと立って待っていた。だが、今日は客が来る望みは薄い。おとといから、まともに眠っていないから、疲れてしまったせいもある。
 ヤクザ者三人組と、商店街有志のおやじ三人組は、大だ、小だと『高尚な』話をまじめに議論している。
ばかばかしい。男って、どうしてこう、下品な話題で盛り上がれるのだろう。
 それに比べると、やはり幼宰さまは品格がちがう。あたしがまだ子どもだった頃から、幼宰さまが乱暴な言葉や下品な言葉をつかったところを見たことがない。ああ見えて、結構短気なのだけれど、自分勝手な理由ではけして怒らない。あのひとがはげしく怒るときは、いつも、そう、ひとが虐げられているときなのだ。
 晴嬰の脳裏に、栄耀飯店の地下で、九門古城へつづく階段を下りていく董和のうしろ姿が浮かんだ。
 九門古城というのは、とても広いと聞いたけれど、いったいどれだけ広いというのだろう。幼宰さまは、今日はすこし様子を見るだけだから、心配するなとおっしゃったけど、ほんとうに大丈夫なのだろうか。あのなかには、盗賊どもがいっぱいいる。きっと、以前に幼宰さまが捕らえた者だっているにちがいない。もしそんなやつと鉢合わせしてしまったら…
 大丈夫。
晴嬰は不安な気持ちに泣きそうになり、自分に言い聞かせる。
 大丈夫、幼宰さまは、ちゃんとあたしと約束をしたではないか。あの方が、いままであたしとの約束を破ったことはない。だから、あたしもあの方を信じなければ…
 
 いつのまにか、うとうとしていたらしい。
気づくと、店の表はだいぶ静かになっていて、店のなかは、妙になごやかな空気が流れていた。
 ひとが二人分通れるほどの通路に隔てられていた卓は、ぴたりとくっつけられ、わずかな酒をちびちび飲み交わし、すっかり冷めた料理を肴にして、やくざ者三人組と、商店街有志三人組は、身の上話をはじめている。
 「おれだってよ、なにも好き好んで博徒になったわけじゃねぇ。ことのきっかけは、貧乏よ。いなごが大発生した年に、おれは口減らしのために奉公に出されたんだ。ところが、その奉公先ってのがまあ、鬼の集会場みてぇなひでぇところでなあ。たまりかねて逃げ出したものの、行く宛てなんざありゃしねぇ。そうして、あちこちうろうろしているうちに、自然と盗みをおぼえちまった。一度、悪事をおぼえちまえば、あとは転がるだけの話だぜ。てめえらみてぇな、堅気にゃ、わからねぇだろうけどよ」
 「わからぬということはない。おれとて、もとは田舎の村育ち。税の取立てにいつも追われて、家にまともにたくわえがあったことがない。茣蓙を煮て食ったことさえある」
 「おれは甲虫を食ったことがあるぜ。固いばっかりでちっとも美味くなかったな」
 「蛇はいけるぞ。骨が面倒だが」
今度はゲテモノ食いの話で盛り上がっているようだ。
 長星橋の住人の、底なしの包容力には感服する。晴嬰も、はじめてこの街に店を開いたときは、よそ者であったので、いじわるされやしないかと、びくびくしたものだが、予想に反し、住人は、晴嬰をあたたかく迎えてくれた。旅人や行商人を多く迎え入れる街だから、新しいものを受け入れることに寛容なのだろうか。この街の自由な気風が、晴嬰は好きである。
 「そんな気味の悪い食べ物の話なんかしていないで、なにか用意してあげましょうか?」
 晴嬰が声をかけると、商店街有志のおやじさんたちが振り返った。
 「なんだ、晴嬰さん、起きてしまったのかい」
 「あなたたちが気味の悪い話をしているものだから、目が覚めてしまったのよ。そろそろ店じまいだし、もうお客も来ないでしょう。最後に一品、作ってあげる。なにがいい?」
 そうさなあ、と男たちは顔を見合わせる。
 そのときである。
 花窓から、なにかが飛び込んできた。
 店に灯された明かりに引き寄せられた、蛾であろうかと、店にいた全員が思った。
 だが、蛾と思われたものは、引き寄せられた卓に落ちたまま、ぴくりとも動かない…いや、わずかにゆっくりと、翅を拡げるように白いものが展開する。翅ではない。花が開くように、ゆっくりとねじられた白い布が、ほどけていっているのだ。
 布が自然とほどけたとき、その中にあるものを見て、さすがのヤクザ者も、おやじさんたちも、思わず声をあげていた。
 それは、ひとの指であった。血にまみれた、斬ったばかりのひとの指。
 晴嬰は、気丈にも、半開きになった布を広げ、中のものを見た。
 大人の男の太さをもつ、三本の指であった。
まさか、幼宰さまの?
 そう思った晴嬰であるが、よく見ると、指のほかに、なにか光るものが一緒に入っている。
 取り出すと、それは黄色の輝石のついた指輪であった。
 「こりゃあ、おれたちの追っている連中の指輪じゃねぇのか?」
 「どういうことだろう? まさか、連中に、だれかが捕まって、指を切り取られてしまったのじゃないでしょうね?」
 「それはないよ、今日は、みんなは家で、幼宰さまのお帰りを待つ、と決めたじゃないか。家で待機して、幼宰さまの身になにかあったら、みんなで栄耀飯店に押しかけようって」
 肉屋のおやじさんの話に、ヤクザ者が眉をしかめる。
 「なに? そんな話になっていたのか。まったく、長星橋の連中は、なんだって、あの老いぼれをこうも慕っているんだが、わからねぇな」
 その言葉に、今度は晴嬰が鋭く反応する。
 「こんど、その口から、老いぼれなんて言葉を出したら、あんたの顔に、碁盤みたいな蚯蚓腫れを作ってやるから、そう思いな!」
 「わ、わかったよ」
さすがのヤクザ者も、晴嬰の剣幕に気おされて、口をつぐむ。
 「まさか、これ、幼宰さまのものじゃ?」
 「落ち着きなさい、晴嬰さん、たとえ幼宰さまのものだったとしても、どうしてここに放り込む道理があるかね? もしわたしが『連中』だとしたら、ここじゃなくて、幼宰さまのお屋敷のほうに投げると思うね。あちらには若旦那もいらっしゃることだし。それに、指だけ、ということは、まだ殺していないのではないかね。もし殺したのだとすれば、首を投げてくるだろう」
 世事に長けた竹細工屋のおやじさんの、淡々とした話しぶりに、晴嬰は、ぞくりと身を震わせた。
たとえ、死んでいないにしても、指を切り取られるなどという苦痛を、幼宰さまが味わっている? あたしたちなんかのために?
 指を胸にしっかりと抱え、店を飛び出した晴嬰に、おどろいて、商店街有志のおやじさんたちがあとを追う。それにつづき、ヤクザ者も追いかけてきた。
 「待ちなさい、晴嬰さん、どこへ行くんだい?」
 「栄耀飯店よ! 幼宰さまがご無事か、確かめに行かなくては!」
 「九門古城に潜るつもりかね、待ちなさい!」
栄耀飯店に向かって走る晴嬰を、商店街有志のおやじさんたちが追いかける。晴嬰の足はかもしかのように速く、すでに中年太りの兆候を見せているおやじさんたちは、きつそうに追いかける。そのあとを、さらによろよろと追いかけてくる三人組がいる。どうやら安い酒だけに、利いてきたようだ。
 肉屋のおやじさんが、ヤクザ者を振り返って、言った。
 「あんたたち、店番してくれていたほうがいいんだが」
 「ばかやろう、おれたちは、飯店へ帰るんだよ!」
そうして、どたばたと、晴嬰を先頭にして、六人の男たちは、栄耀飯店へと走っていった。

 栄耀飯店の、いつもの隠し扉を開き、芙蓉の間へとくぐると、そこはいつもとちがう空気に包まれていた。
殺気だ。
 闘技場でいかさまが起こったとか、酒が出てくるのが遅いとか、そういったちいさな理由での殺気ではない。
芙蓉の間の全体を揺さぶるような、はげしい怒り、殺気。
 たいがいにおいて、肝の据わっている晴嬰であったが、その肌に針が刺さるようなぴりぴりした空気には、おもわず身をすくませた。
 いつもはひっきりなしに、なにかが戦っている闘技場も、犬も鶏も人もなく、客たちはある一点を、だまって見ている。赤面するほどの薄物しか身にまとっていない妓女たちも、矯声ひとつあげずにひっそりしている。盗賊たちも同様で、だれひとり声をたてずに、しんとしている。
 「このあたしが言っているのだよ! 扉は開いたのだ。さっさとあたしをもう一度、九門古城へ下ろしておくれ!」
すこし訛りのある、だが凛とした、激しい口調の女の声だけが芙蓉の間に響き渡っている。
 見ると、張大人の前に、炎をかたどった赤い鎧と、黒い外套に身を包んだ、背の高い女が立って、激しくまくし立てているのであった。
その女の周囲には、疲れた顔をしながらも、怒りをかくさずにやり取りを聞いている盗賊たちが、ずらりと並んでいる。
 その中に、董和たちの姿はない。
 「この祝融の命令が、聞けない、とでもいうのかい!」
 祝融といえば、古代の炎の神の名前である。なるほど、その名にふさわしい、激しさと美貌を持つ女だ。これほど艶やかな女は、一流の妓楼にだってそうはいない。
 「お怒りはごもっとも。しかし、何度もご説明させていただいたように、何者かが仕掛けを作動させ、数刻にわたり、入り口を閉じさせ、われらが兄弟たちを、おそろしい九門古城に閉じ込めたのは事実。しかも、その間になにがあったのやら、兄弟たちは何者かによって、多数が惨殺されていた。いま古城は、たいへん危険な状態にあるといえるでしょう」
 「だから、敵討ちをしなければならぬ!」
 と、祝融の背後にいた盗賊のひとりが声を荒げた。
 「仲間を討たれて、このままおめおめと引き下がれるわけがない。ここにいる全員が、おなじ思いでいるぞ! それなのに、貴様は、調査のためとかぬかして、九門古城へ潜ってはならぬと言うのか!」
 「張大人、あんたがそういう態度ならば、噂を裏づけていることになるぞ」
と、別の盗賊が口を開いた。張大人は、うんざりした顔を、わずかに起こして、たずねる。
 「ほう? 噂、とは?」
 「あんたが、劉備と繋がっていて、九門古城に宝があると嘘の情報をながし、おれたちを地下に閉じ込めて、殺し合いをさせているのではないか、とな」
 「ああ、くだらない!」
張大人は、青白い顔を、すこしも変えずに、芝居じみた仕草で手を大きく振った。
 「あなた方に殺し合いをさせて、わたしになんの得がある、というのです? わたしは表の地位にはまったく興味はありませんよ」
 「だが、董幼宰のことはどう説明する! あの堅物が、そもそも目の仇にしていた貴様を頼って、九門古城に潜っていることがおかしいではないか!」
すると、とたんに芙蓉の間はざわめきはじめた。
 「なんと、やはりヤツは、劉備の間者か!」
 「免官になったという話も、怪しいぞ!」
 「あのじじい、今度、ここに現われたなら、その首をかき切ってやろうぞ!」
 ちがう、そうじゃない、董和は、劉備なんかのために九門古城へ潜ったのではない。
みなに弁解しようと、輪の中に飛び込もうとしたとき、晴嬰は、つよく肩をつかまれた。見ると、胡偉度である。
 「胡偉度さん、戻っていたの? それじゃあ、幼宰さまは…」
「しいっ! お静かに。晴嬰さん、連中への説明は、このわたしが…」
 「その董ナントカが裏で手を引いているのじゃない! おまえたちの仲間を殺めたのは、錦馬超と、彭永年とかいう狂人さ!」
ざわめきを割るように、祝融の、張りのある声が響き渡った。
ふたたび、浪のようなどよめきが、芙蓉の間をつつんだ。晴嬰のうしろでは、胡偉度が、先を越された、と、ちいさくこぼした。
 「錦馬超に彭永年だと! 冗談だろう、なぜあの男たちが九門古城に? 張大人、あんた、馬超を入れたのか? 蜀を劉備に売った裏切り者だぞ!」
 しかし、やはり張大人は、すこしも動揺を見せずに、仮面のような冷たい矜持で、つまらなさそうに答えた。
 「蜀を売った、とは片腹痛い。そもそも、劉璋とて、蜀の生まれではないでしょうに。まあ、それはどうでもよいことだ。錦馬超と彭永年のことは知りませんよ。天地神明に誓ってもいい。さあて、連中め、どこから潜ってきたのやら。やはりそれも調べなくてはなりますまい。そういうわけで、みなさま、古城はしばらく休業ということで」
 「ふざけるな! それじゃあ、まだ中にいるゾトアオが、馬超に殺されてもいいっていうのかい!」
 烈火のごとく怒る祝融に、張大人は冷めた目を向ける。
 「馬超とて、古城に住み込んでいるわけではないでしょう。彼奴らは董幼宰とちがい、官職を持っている身なのです。日が昇れば、地上へ帰らざるを得ない。その間にわれらが古城を調査して、ゾトアオとやらを助けて差し上げましょう。貴女は、地上で朗報を待っておられるがいい」
 「あたしは、いますぐ、と言っているのだよ!」
 「ほかの皆様方も、仇の名前がはっきりしたのです。ここでわたしなんぞを相手に、管を巻いていてよいのですかな。よろしいか、相手は官位持ち。おそらく地上へ出れば、兵卒がおのれを守ってくれると奢っておりましょう。しかし、そこは頭の使いよう。奴らが九門古城に潜っていると、劉備が知ったら、どうなりますか。『得れば必ず天下を取れる宝』を狙っていると知ったら!」
 「なるほど、逆賊として捕らえられる、というわけか」
 「しかし、それでは面白くない。おれは、この手で仲間を殺めた男を八つ裂きにしてやりたいのだ」
 息を巻く盗賊たちに、張大人は、鼻を鳴らす。
 「手段はいくらでもありますよ。引っ立てられるところを襲う、牢に入れられたところを襲う。刑吏にまぎれて、屋敷を襲う…頭を働かせなさい、頭を。さあ、先の見通しが立ったところで、みなさんお疲れでしょう。今宵のおもてなしは、すべてわたくしからの謝意として受け取ってください」
 さきほどまで剣呑な顔をして、張大人の首を叩き斬ってやろうという勢いであったのに、盗賊たちは、ころりと態度をかえて、張大人のことばに、うれしそうな声をあげる。張大人が、ぱん、と大きく拍子を打つと、すでに用意して会ったのだろう。芙蓉の間の別室から、大皿に載せた料理が、つぎつぎと運ばれてきた。
 おそらく疲労困憊であったろう盗賊たちは、その馥郁たる香りにほだされて、みな締まりのない顔をしている。
 ただひとり、祝融だけが、怒りを隠さず、張大人に言った。
 「おまえは、相当な策士だね。攻撃の矛先を自分から馬超にそらし、そしてみんなの腹を満たしてやって恩を売る。九門古城への門を閉ざして、自分だけで、なにをこそこそするつもりだい?」
 「こそこそ、などと人聞きの悪い。九門古城の入り口を守る者の勤め、と言っていただきたい。より皆様に安心して地下へ潜っていただくための策を講じるだけのこと。さて、どうなさいますかな、祝融どの」
 「また潜るさ。ひとりだけでもね」
 「お好きに。ただし、わたしの入り口は使えませんよ。九門古城の九つの門のうち、残り八つをお探しなさい。それならば、わたしも止める権利がない」
 「…下衆め!」
そう言い捨てて、祝融は黒いが外套を華麗にひるがえし、つめたい薄笑いを浮かべる張大人へ背を向けた。

 「偉度さん、幼宰さまはご無事なのでしょうね? 指は?」
 「は? 指?」
 ぽかんとする胡偉度に、晴嬰が白い布に包まれた指を見せると、胡偉度はぎゃあ、と尻尾を踏まれた犬のような情けない声をあげた。
 「情けねえな、女より肝が小さいやつ」
と、それを見ていたやくざ者たちが揶揄する。胡偉度は、うろたえながらも、晴嬰と一緒にいる男たち…とくに商店街有志でない男のほうに顔を向けた。
 「どちらさまです、あなた方」
 「あ、ほんとうだ。おれたちは、もうここでいいんだった」
それじゃ、あばよと律儀に挨拶をして、ヤクザ者たちは去って行った。
 「ねえ、偉度さん、教えてくださいな。幼宰さまはご無事なのでしょうね?」
 「もちろん、五体満足でいらっしゃいますとも。晴嬰さん、そんなもの、どこから?」
うろたえ、後ずさる胡偉度に、肉屋のおやじさんが答えた。
 「晴嬰さんの店に、こいつが投げ込まれたんだよ。指だけじゃなく、黄色の輝石の嵌った指輪も一緒にな」
 「あなたがたが追いかけている、九門古城の噂を流している謎の連中の指輪、ですな?」
 「その話はあとでいいわ。ねえ、偉度さん、幼宰さまはどちらなの? あたしと約束したじゃありませんか。無事に戻ったら、きっとあたしに報せてくれるって」
 胡偉度は、きょろきょろしつつ、晴嬰に、声を落とすように言う。
 「幼宰さまは、栄耀飯店の外にいらっしゃいます。ここにいる連中に話を聞かれてはまずい。さあ、気づかれないように、外へ」
 

十一話へつづく…
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