捜神三国志・燭龍本紀

第八話 闇を数える

「地上に出られたのは喜ぶべきだが、さて、問題が山積みだ。これからどうするか、だな」
と、あたりがすっかり静まると、董和は張嶷と胡偉度にたずねた。三人とも、しばし月光に浮かぶおたがいの顔を見合って、沈黙する。
問題は、張大人への報告であった。
第一の門は、何者かが仕掛けを作動させてしまったおかげで、ふさがってしまった。
董和たちは仕掛けの向こうに閉じ込められていると、張大人は思っているはずである。そこへ董和がひょっこり帰ってきたら、当然、第二の門、第三の門のことを話さなくてはいけなくなる。そうなれば、自然、張大人に反発を持つ盗賊たちが、われ先にとあらそって、この土地へやってくるのはまちがいない。
「想像するまでもないが、張大人はいまごろ、やっきになって仕掛けの取り壊しをしていると思う。この夜闇にまぎれて様子を見に行ってから、対策をたてるのが利巧だろう。もしかしたら、仕掛けが解除されているかもしれない」
そのまえに、と董和たちは奇岩の森を抜け、ここが成都のどのあたりになるのか、それを探った。
木々は鬱蒼と奇岩を隠し、まるでひとつの壁のようになっている。
木々から顔を出し、月明かりをたよりに周囲をみまわすと、そこは宮城からほど近い、神政門のそばの、民家の中にぽつりと残されたような緑地であった。さきほどの扉を開閉するための轟音が、民家に届かなかったのは、幸いであった。木々が壁の役割を果たし、外へ轟音を漏らさないようになっているのか。
「おや、小屋がある」
と、胡偉度が、目ざとく森のなかの古びた小屋を指した。
たしかにそこには、まるで隠れるようにしてぽつりと小屋があり、膝まである雑草の生い茂る森のなかで、その周囲だけが、人の手が入っているらしく、雑草は刈り取られ、きちんと森から抜ける道が作られている。董和は小屋を覗いたが、中にだれかいる気配はない。
「樵の小屋であろうか。不在であったのは、むしろ幸運だな」
と、張嶷が漏らした。董和も大きくうなずく。胡偉度は、ぞくりと身体を震わせて、言った。
「しかし、成都のあちこちに、こんな仕掛けがある、というのはぞっとしますな。いままでも、ほんとうはそうと知らずに入り込み、出られずに死んでしまった者もいたかもしれない」
「これほどの大掛かりな古城が、いままで噂にすらならなかった、というのも不思議な話だ。伝説のような形を借りてでも、普通は話が残るものだろう」
と、頭脳の明晰なところをみせて、張嶷が言う。
董和は、というと、あの洞窟の天井に描かれていた六本の腕の化け者の絵と、湧天剣に触れたときに見た、あの炎の幻影を思い出していた。あれはなんだったのか。あれほどの見事な剣が、なぜ、門の入り口のほど近いところに突き刺さったままなのか。まるで、なにか…誰かを待っているかのようではないか。
ふと、視線を感じ、顔をあげると、張嶷が、じっ、と首をかしげて、うかがうように董和を見ている。董和はたずねた。
 「どうした?」
 「貴殿、宮城には行かぬのか」
 「わたしはもう免官になった身ぞ。いまさら何の用で宮城に行かねばならぬ」
答えてから、董和は張嶷の言わんとしていることが判った。そうして苦笑する。
 「錦馬超のことか」
 「そうだ。平西将軍に謀反の疑いあり…そう上奏すれば、劉左将軍もよろこび、貴殿を復官させるのではないか」
 「たしかにそうかもしれぬが、わたしにそうするつもりはない」
 「なぜだ」
 「九門古城の規則を忘れたのか。『堅気の人間には、けして『九門古城』の話を漏らしてはならない。まして官吏には絶対にしゃべらない』。これを破る気はない」
 張嶷は怪訝そうな顔をして眉根をしかめた。
 「義理堅いのはけっこうだが、張大人に遠慮しているのか。あれは、そんな配慮のいらぬ男だぞ」
 今度は、董和は声を立てて笑った。
 「まさか。そうではない。張大人のこの規則、おのれの利益を守るための動機で作られたものであろうが、言っていることは正しい。仮に、わたしが馬超に離反の意志あり、と告げたところで、かならず細かく詮議を受けるであろう。そうなって、九門古城のことを官に知られて見ろ。たちまち門はすべて塞がれ、兵士たちは九門古城へ借り出される。そうなれば、諸国とて黙っておるまい。『得れば必ず天下を取れる宝』をめぐって、さらに血が流れることになる。宝の正体が、なにもわからない、というのに、だ」
 「なるほど、たしかにな」
そう言う張嶷の顔には、どこか安堵の色がある。しかしむしろ、その顔をみて、董和は危うさをおぼえた。
馬超らと対峙したあとに、男泣きしていた張嶷の姿を思い出たのだ。
 今度、馬超たちと対峙したときは、張嶷は死ぬ気で向っていくのではないか。おのれの誇りのためだけに…気持ちは痛いほどよくわかるが、それはけしてよい考えではない。
 馬超は、彭恙とともに、劉備から離反するつもりなのだ。
 『得れば必ず天下を取れる』宝。それを得たら、蜀を出て、曹操のいる洛陽へ向うだろう。そうしておのが宿願を果たしに行くのだ。
 だが、その前に、この蜀を足がかりにしよう、などと考えないと、どうして言い切れるだろう。
その行動は破天荒だが、馬超という男には、駆け抜ける清風のような、なんともいえない魅力があるのも確かだ。本人が言っていたとおり、騙りや策略を嫌う正直な性格、というのも好ましいものだ。
 しかし、思いつめやすさと恐ろしいまでの行動力は、つねに周囲に破滅をもたらしてきたことも事実である。おそらく、あの男の器には、他人というものがまったくないのである。空っぽなのだ。その空白を埋める部分には、董和など想像もつかないほどの、巨大な信念と怨念がある。あの男は、たとえ地上すべてが敵になったとしても、たった一人で戦い続けるだろう。そういう類の危険な男だ。誇り高い、野生の駿馬。いま、おとなしく体制に組み込まれている、というのが、むしろ不自然なのだ。
 あの類には、勝てない。守るべきものがないために、全力で障害に立ち向かってくるからだ。
 『伯岐が古城に潜る目的を、早々に探らねばならぬな』
と、董和は思った。
 それは、成都の令、そして益州太守をつとめ、現場の第一線にみずから立ち、部下たちを指導してきた董和だからこそおぼえる不吉な予感であった。
 長年の宿敵として、張大人と対峙してきた董和なので、張大人の人となり、取り巻く人間は熟知している。張嶷のような清清しい若武者は、いままで張大人のそばに侍っていたことはなかった。だからこそ、董和は栄耀飯店から張嶷を連れ出したのだが…
 張大人、というのは得体の知れない、貪欲な男だ。物腰こそ柔らかであるが、あの男ににらまれたら、それこそ蜘蛛の巣に絡め取られたように、二度とまともな生活に戻れなくなってしまう。たとえ血族であろうと、だれも信じたりしない。宿敵の董和に、たやすく血族の張嶷をつけてやったのも、思えば、らしくない、大盤振る舞いである。
 なんらかの意図がある?
とすると、それは張嶷が古城へ潜る理由と関連するにちがいない。まさか腕試し、というわけでもあるまい。多額の負債をかかえる胡偉度の身の上話に、俺も似たようなものだ、とこぼしていた。
 おそらく、張大人に対し、なんらかの負い目があるのだ。
張大人に操られているままの状態で、馬超と対峙したところで、勝てるわけがない。馬超は、市井のひとびととは、真逆の生き方をしている男だ。抱えているものを空にしない限り、追いつくことすらむずかしいだろう。
 古城に潜りつづけるかぎり、馬超と再会する確率は高くなる。
むざむざ、仲間となった若者を死地においやる真似は、董和にはできなかった。
 「ところで幼宰どの、おれは不思議に思ったのだが、馬超たちは、いったいどこから九門古城へ入ってきたのだろう」
 張嶷がたずねてきた。沈思をやぶられ、董和は答える。
「そこだ。第一の門、これは張大人が抑えている栄耀飯店の門だが、連中の様子からして、あそこを通して入ってきたとは思われぬ。第二の門は、酸の海になっていて通れない。第三の門ならば、赤頭巾と顔をあわせたはずだ」
 「しかし、赤頭巾はしばらく岩陰に隠れていたというし、もしかしたらすれ違いがあったのかもしれませぬぞ」
と、胡偉度が岩に立てた蝋燭をたよりに地図に第三の門を書き入れながら、口をはさんだ。董和は反駁する。
 「あれほど派手な二人組みだぞ。そうそう見落とさぬとは思う。おそらく、われらの知らぬ第四の門から入ったのであろう。まったく、厄介なことではないか。九つの門のうち、わかっているのは三つだけ。のこりは六つもあるのだからな」
 「門にそれぞれ仕掛けがしてあって、たまたま馬超か彭恙がそれを見つけた、というのでしょうか。どうも気になりますな。赤頭巾のように、たまたま入り込んだ、というにしても、宝のことを知っていた、というのは不自然です。倒した賊から聞いたのかもしれまぬが」
「そうだな…赤頭巾の正体もわからぬままであるし」
まとめてみると、古城には、
董和・張嶷・胡偉度
盗賊たち
馬超・彭恙
赤頭巾
が、それぞれ入り込んでいる。
「いや、待て。もう一組、わすれているな。長星橋商店街の連中が追いかけている、市井に宝の噂を広めている連中のことだ」
「ああ、晴嬰さんたちが捕まえている連中ですね。そういえば、先達て捕まえた男は羌族でした。馬超とつながりがあるのかもしれません」
「なるほど、となると、こうまとめられぬか」
と、董和は地肌のむき出しになったところに、木の枝で、ろうそくを頼りに字を書き付けた。
董和・張嶷・胡偉度→第一の門
盗賊たち→第一の門
羌族の男を操る者(馬超の協力者?)→第四の門?
馬超・彭恙→第四の門?
赤頭巾→第三の門
○第二の門は使えない
 それを見て、胡偉度はぼやいた。
「謎はむしろ深まりましたなあ。
わたしたちや盗賊どもを、第一の門の使用者、としましょう。この類の人間は、盗賊の高勝から張大人が引き継いだ…奪ったに等しいのですが…門を使用し、宝を求めております。われらを統括する張大人は、『得れば必ず天下を取れる宝』を発掘したあとは、曹公か孫権に売り飛ばすつもりです。
長星橋商店街が追っている謎の一派。これはまったくの正体が不明ですが、宝の噂をひろめて、われわれの知らない門へと向こう見ずな人間を誘っている。その目的も不明。宝を目指しているならば、噂が広まれば広まるほど、宝を得られる確率は下がるからです。
馬超・彭恙たち。彼らもどこで宝の話を聞いたのかは不明です。しかも、どこから入り込んでいるのかも判らない。彼らは宝を目指し、巴蜀を足がかりにして、不遜なことに、天下を狙っております。
つぎに赤頭巾。これは偶然に門に落ちた人間です。他意はないでしょうが、宝のことを知ってしまったので、またやってくるかもしれません。正体は不明でありますが、そう気にかけることもないでしょう」
「考えても埒が明かぬな。偉度、おまえは張大人のそばにいるので判るだろう。もしわれらが第三の門を見つけた、と報告したら、どうなると思う?」
「火を見るよりもあきらかでございますよ、幼宰さま。おそらく盗賊どもに知られないようにするでしょう。この土地を買い取って、栄耀飯店のように管理する。サイアクの場合は、秘密が漏れないよう、われらの口を塞ぎにかかるかもしれませぬ」
「それは困る。どちらも困るな。やはり、沈黙を守るしかあるまい。さて、壁が塞がったはずなのに、どうやって帰ってきたと誤魔化すか…」
考察する董和に、張嶷が言った。
「もっと最悪なのは、赤頭巾が性懲りもなくここにもどってきて、また古城へ潜ることではないか。あの男、見たところおしゃべりのようだから、やつからこの門の存在が外に漏れる可能性が高い。となれば、当然、張大人も黙っておらぬ」
「うむ…どちらにしろ、血に染まるようにできているのだな、この古城は」
「まさに呪われた場所でございますよ」
夜風が、ぴゅう、と吹きすさび、三人のあいだを駆けていった。よい考えも浮かばない。三人は、とりあえずこっそりと、栄耀飯店の様子をうかがうことに決めた。

九話へつづく…
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