七夕リクエストフェスタ さんちん様からのリクエスト

白の時代

雑多な色彩のなかに、ぽつりと白い点がある。
劉備が最初に気を引かれたのは、その真白い姿が、頼りなげにあちらこちらをうろうろしていたからであった。白というのは、喪服の色であるから、ふつうでは嫌われて、あまり纏うことのない色である。
それを敢えて、全身に纏っている。これは、公孫瓚の白馬義従にちがいない。

白馬義従とは、公孫瓚が、若者のなかから、とくに精鋭をあつめて、選りすぐりの白馬をあたえ、最前線にあたらせている部隊のことである。
この全身真っ白の騎馬隊は、ことのほか異民族の宗教観に訴えるものがあるらしく、その姿が見えただけで、敵が逃げていくほどだとか。そればかりではなく、見た目の煌びやかさに加えて、実力もあるから、いまや公孫瓚の軍のなかでも、自慢の部隊なのであった。

白馬義従のひとりなのだから、若いだろうなと思いつつ近づいてみれば、やはり少年であった。
がやがやと賑わいの収まることのない劉備の陣のなかにあり、ひとり、ぽつんと、きょろきょろとあたりを見回しているため、目立つこと、このうえない。
白い衣に白く塗装した鎧に白い毛皮の靴。
本人も色白で、おどろくほど顔立ちが整った少年である。公孫瓚自身も、かつては当代一の美少年なんぞと呼ばれて、ちやほやされたものである。
当時のことを、劉備もよく覚えていたが、こちらは、あの破天荒な雰囲気や、華やかさはないものの、代わりに重々しい品格があった。
「おい、そこの。辛気臭い顔をしているな。そんな顔をしていると、運が逃げてしまうぜ。笑え、笑え。こうだ」
と、劉備は少年の前にたつと、口端をにっ、と動かして、満面の笑みを作って見せた。
少年はとまどって、首をかしげ、笑おうとはしなかった。失敗。
「儂らに、なにか用かい?」
気まずさを誤魔化すために、咳払いをひとつして、尋ねると、少年は、怖じる気配もなく、すこしばかり劉備より低い目線から、まっすぐ眼差しを上げた。
度胸が良さそうだな、というのが、その、己を真っ直ぐ見返す瞳を見て、劉備が最初に思ったことであった。
顔立ちのよさが、かえって仇となって、周囲に軽んじられる者もいるなかで、この少年には、表面に出ている以上のなにかが、胸の底にありそうな気配を感じさせる。そこいらの、名を轟かせようと躍起になっている若いのとは、どうも様子がちがうようだ。
「勝手に入り込んでは、いけなかったでしょうか」
「いけねぇってことはねぇよ。だいたい、ここにいる連中は、なんとなーく、集ってきた連中ばっかりだからな」
劉備が答えると、少年は、半歩、前に出て、尋ねてきた。
「それでは、わたしの兄をご存知ではないでしょうか。趙叔斉と申しますが、年のころは三十くらいで、わたしによく似ているはずです」
「おまえさんの兄さん? さて、おまえさんみたいに目立つ顔がもう一人いれば、すぐにそれと気づくと思うが」
「いないのですか」
少年は、がっかりして、ふと、目線を逸らす。
「なんだか事情がありそうだな。気休めにしかならないかも知れねぇが、ちと話してみねぇか。そんな重苦しい顔をされたまんま、兄ィのところに戻られたら、儂がおまえさんをいじめたと誤解されてしまうからなぁ」
と、劉備がからからと笑うと、少年は目線をふたたび劉備の顔に戻して、不思議そうにまじまじと見つめてきた。
「兄ィとは、主公のことでございましょうか。失礼ではございますが、貴方様は、主公のご同窓であられた、劉玄徳さまでは?」
「そうだよ」
と、答えると、少年は、あわてて威儀を正し、ご無礼を、と言いながら礼を取ろうとするが、劉備はそれを止めさせた。
「堅苦しいのはナシだぜ。ここには、やかましく礼儀をたしなめてくるような、舅みたいなのはいないからな。で、兄さんをなぜ探しているのだ」

はい、と答えて、少年は、自分が常山真定の趙家の末子で、子龍という字であること、探しているのは、自分に字をつけてくれた次兄であること、次兄とは、生まれて此の方、一度しか会ったことがないのだが、家族のなかでは、いちばん優しくしてくれたこと、義勇軍に入るといって家を出て行ったので、どこかの義勇軍に所属しているはずだと思って、探していた、ということを語った。

「趙子龍。へぇ、おまえさんの兄さん、なかなかいい字を選んでくれたじゃねぇか。儂も、自分の字は気に入っているのだけどな。うちには親父が早くからいなかったので、叔父貴がつけてくれたのよ。心配性で口うるさい叔父貴だったけれど、優しいひとでな、儂の母親代わりでもあった」
「叔父君が、母上代わりだったのですか」
叔父君に母上か。こいつ、肌が野良仕事で痛めつけられてない様子だから、育ちがいいだろうなあとは思っていたが、本当によさそうだな、と思いつつ、劉備は頷いた。
「うちは、おっかあが、男みたいだったからな。逞しくってよ。だから、代わりに叔父貴が母親代わりだ。マメにいろいろ気づいて世話してくれるのは叔父貴のほうだったし、おっかあは、とりあえず毎日をすこやかで過ごせればそれでよし、というふうで、あんまり小言はいわねぇんだ」
「お二人は、ご健在なのですか」
「おかげさまで、村のほうでぴんぴんしているよ。儂らが活躍してくれているので、黄巾賊もあんまり暴れなくなったと、喜んでくれているようだ。そういってもらえると、名誉からも勲からも縁遠い義勇軍の身だけれどよ、うれしくなるじゃねぇか」
劉備が、カカカと、笑うと、少年もつられて、わずかに口端を動かして、笑ったようだった。
それは、無理に上位者に従って笑っている、というふうではなく、笑うこと自体に慣れていないようだった。
内気な性質らしいな、と劉備は思いつつ、それでもなぜか、こいつは人から話を引き出すのがうまいのだな、と思った。
劉備はもともと人懐っこいが、それでも初対面の人間に、ここまでぺらぺらとしゃべったことはない。込み入った話をしてしまっても、この少年ならば、ヘタな噂にはしないだろうという安心感があるからか。
「趙子龍、うん、子龍と呼ぼう。さて、おまえさんの兄さんの話に戻るが、あいにくと儂はその名を知らぬが、もしかしたら、ほかの連中が、兄さんのことを知っているかもしれねぇ。儂がみなに声をかけておくから、またあらためて来てくれな。次に来る時までに、調べておいてやるから」
そう答えると、趙子龍は、ありがとうございます、といって、丁寧に礼を取った。無表情で、仮面のようによくできた面貌のしたで、どんな感情が起こっているのかが、読み取れない。
常山真定とやらの家では、よほど雛のように大切に傅かれて育てられたのかな、まわりに合わせることをしなくてよい環境にいたから、表情が固いのだろうかと想像しつつ、劉備は、去っていく少年の、白い後姿を見送った。



公孫瓚は、劉備を兄弟分として遇していたものの、その扱いは、丁寧ではあるが、決して劉備たちを満足させるものではなかった。
もし、劉備が公孫瓚の器量を認めていたならば、そのまま家臣にさえなっていたにちがいない。
兄ィは、見た目からはいるなぁ、というのが劉備の、その人物評のすべてである。

公孫瓚自身が、その立派な容姿を買われて、太守の婿に選ばれた男だ。
その後、とんとん拍子に英雄街道まっしぐら、というわけであるが、悲しいかな、中央への憧憬が強すぎるのか、はたまた、盧植先生のところで学んだ学問が、かえって邪魔をしてしまっているのか、まず、中央風の仕組みを最優先に取り入れようとしてしまい、いまの自分がどこに置かれているのか、それを見極めるのが下手である。
見た目と言動は立派だ。だが、実際の結果が、本体から、十歩くらいあとのところにいる。つまりはちぐはぐなのである。
たしかに異民族への対策や、黄巾賊討伐に関しての功労はあるが、それ以上ではない。戦功はあったとしても、その後の治世が、いまひとつパッとしないので、どうも盛り上がりに欠けてしまう。
原因は、公孫瓚の派手好みや、器量の狭さなどに求められるかもしれないが、結局のところ、劉備が思うことは、公孫瓚は、時代に呼ばれていない男なのだ。
乱世の英雄に必要な、臨機応変さが足りない。
公孫瓚の頭のなかには、盧植のところで懸命に学んだ知識が、ガッチリと組まれており、その通りにしか動けない。
それを責めるのは酷、というものであろう。
もしも乱世でなければ、公孫瓚は世の男たちがうらやむような、幸福な人生を歩めたはずである。
どこがこうだ、とはっきり指摘するのがむずかしい難点を抱えているがゆえに、公孫瓚の行く末は暗い。
劉備は、兄弟子に世話になりながらも、時を見て、ここから離れねばならないだろうと考えていた。
公孫瓚もまた、自分とは対局にある、臨機応変さの塊のような弟弟子を食客として遇していたが、ともに手を携えて、中央へ乗り出そうとは思っていないようである。
それなりに役目も果たしたし、もういいだろう、というのが、劉備の見解であった。



趙子龍という、年に似合わず落ち着いた少年の兄のことを知るものは、結局だれもいなかった。
子龍は、どこかで諦めていたようで、劉備がすまないが、と結果をつたえると、意外にあっさりと、そうですか、と答え、特に落胆した様子を見せなかった。

いや、読み取れなかっただけなのかもしれない。
それから、話を弾ませることもなかったのだが、子龍は、劉備の陣営の、あっけらかんとした空気が気に入ったらしく、たびたび一人で顔を出すようになった。
気が付くと、白いのが、食事の席の端に、いつのまにやら紛れている、というふうである。
目立つのではあるが、不思議と劉備とほかの荒くれたちの中にあって、浮くこともなく、馴染んでしまっている。
とはいえ、だれかと歓談する、というふうでもなく、ただ、そこにいて、たまに話しかけられては、相変わらずの無表情で答えている、というふうだ。
面白くなった劉備は、公孫瓚に、子龍を自分の主騎につけてくれ、と申し出た。
公孫瓚も、子龍の行動に気づいており、なにかと変な噂になるのも面倒だからというので、子龍を劉備の主騎に任命することを了承した。

「あれは面白いやつだな」
と、劉備が言うと、気を良くしたのか、公孫瓚はうなずいた。
「そうだろう。だれもが袁紹につくなかで、この儂を選んでやってきた男であるからな。まだ若いが、白馬義従のなかでも随一の武芸の才を持っておる。あれは、将来よい家臣となってくれよう」
取っていくなよ、と公孫瓚は、笑った。

さて、以上なやりとりがあったので、ますます子龍は、自然に劉備のそばにいることになったのであるが、かといって打ち解ける、というのでもない。
ともかく無口で無表情、なにを考えているのか、わからない。
考えがない、というのではない。
考えを、読ませないようにしているのか。
わからないからこそ気になるので、劉備は子龍をしばらく観察していたのであるが、おもしろいことに気づいた。
この少年、頭は悪くないほうだ。
いや、かなりよいほうであると思う。
一度言ったことはまちがえないし、命令の本質を掴んでいるので、言葉以上のことも視野にいれて行動するから、失敗がないどころか、元の要求を、倍にして返すことすらある。
ところが、ふつうに人の中にあって、たとえば誰かが冗談を言ったとする。
みながいっせいに笑う。
だが、子龍は笑わない。
笑わないで、周りが笑ったことを確認してから、ようやく笑みらしいものを浮かべて、周囲に合わせている。
とりあえず笑顔なのではあるが、笑っているというよりは、笑顔という名の仮面を、咄嗟にかぶっている、というふうだ。
あれはすこしも心から面白がってはいない。
だれかと話をしているときもそうで、相手の表情によって、自分の反応を決めている節がある。
そんなふうであるから、あいつは鈍いのではないか、頭が悪いのではないかと、不当な評価をしている者もあるようである。

子龍が、なにもかも一人で抱えているように見えて、劉備は尋ねた。
「おまえさん、いつも仏頂面でいるが、悲しくないか」
悲しい、といわれて、子龍は意味が取れなかったらしく、柳眉をしかめた。
「お尋ねの意味が、わかりかねますが」
「つまりさ、おまえさんは、儂のみたところ、誰とも打ち解けないでいるだろう。つまりは、本音で語り合える相手がいない、っていうことじゃねぇのかい。
それじゃあ、悲しいときは誰にも相談できないし、嬉しい時も、一緒に喜んでくれる人間がいない。それは悲しくはないかねぇ」
子龍は、思慮深い性質であったから、問われても、即答することはない。
じっと考えたのち、答えた。
「玄徳さまのおっしゃる意味が、やはり、わかりません」
その言葉を聞いたとき、劉備は、この少年が、そもそも自分という物すら、まだ持っていないのだということに気づいた。
公孫瓚の着せた白い衣裳は、単に異民族対策であったのかもしれないが、趙子龍という少年にとっては、ほかにない、というくらいに、ぴったりな衣装であったのだ。
己という形すら掴めていない、無垢な少年が、死出の衣裳である白を纏っている。
ひどい皮肉である。
生きているのに死んでいる、そうとも取れないだろうか。

さらに皮肉なことには、この少年、めっぽう腕が立つ。
己を知らないものが、教えられた作業をただこなすように、人を殺めていく。
周囲がこのことに気づいていないとはいえ、悲しいことだと思った。
このまま成長して行けば、子龍は公孫瓚の家臣として、出世をしていくだろう。
だが、いずれ己を知ったとき、自分のいままでしてきたことに、愕然としやしないだろうか。
そばにいて、じっくりと観察してきたから、劉備は、この少年が、情動面にまったく欠ける少年ではないことも知っている。
むしろ、自分を殺して相手のために動くことのできる、優しさをもっていることも知っていた。
この優しさがあるがゆえに、覚悟なく命を奪ってきたその恐ろしさに、いつしか潰されてしまうのではと、劉備はそれを危ぶんだ。
優秀な武人は、物事をきっちりと割り切って考えることができるが、それとて、己という者をきちんと量っているからこそ、できることである。
子龍の性質が単純か、あるいは情緒に欠けているのであれば、劉備はこんな心配はしなかったであろう。
なにより心配なのは、本人が、自分の性質に気付いていない、ということである。
たしかに類い稀な武芸の才能を持っているようだが、もしかしたらば、この少年、本当は武人には向いていないのかもしれない、とさえ劉備は思う。
いままで、まわりの誰もが、この少年に、自分という形がどんなものかを教えてこなかったのだ。
常山真定の、わりとよい家の出自だというが、その家で、賢いから手がかからないことをいいことに、誰からも可愛がられずに、なんとなくほったらかしで育てられたのではないか。

「おまえは、だから笑わねぇのだな」
「やはり意味がわかりませぬ」
うーむ、と劉備はしばらく考えた。
だれかが、この少年に、おまえはこうなのだ、と教えてやらねばならないわけだ。
ふと、こいつは兄ィの部下だぞ、という声が過ったが、すぐに消えてなくなった。
劉備の中にあっては、だれがどこの人間であろうと、目の前にいれば、大切な知己なのである。
「悲しけりゃ、泣くし、嬉しけりゃ、笑う。そもそもの嬉しいだの、悲しいだのという気持ちがわからなくちゃ、泣くことも笑うこともできねぇってことさ」
「笑うことも泣くこともございます」
「どんなときに?」
「戦に勝った時に笑いますし、戦友が死ねば泣きます」
「儂が言っているのは、普通にな、こうして日々を過ごしているときの話だよ。それ以外では?」
それ以外、と言われ、案の定、子龍は、答えに詰まり、考え込んでしまう。
こいつは重症だな、と思いながら、劉備は尋ねた。
「なあ、子龍よ、おまえ、兄さんを探していたのだったな。なぜだ?」
「兄でございますから」
「まあ、そりゃあそうだろうけどよ、他にも理由があっただろう。兄さんを探して、それでどうするつもりだったのだ?」
「話をいたします」
「どんな?」
「わたしも義勇軍に入ったという話をいたします」
「もしそういう話をしたら、兄さんはどう答えるだろうなと思っている?」
すると、それまで無表情で考えのつかめなかった子龍の表情に、はじめて柔らかな、しかしひどく寂しげな笑みが浮かんだ。
「おまえも愚かだと言って笑うでしょう」
「笑われるために、兄さんを探しているのか」
劉備の問いに、子龍は首を振った。
だが、それ以上でもなく、言葉はつづかない。
語りたくないのだろう。
どうやら、たった一度しか会ったことのない、探している兄というのは、この少年の心の中では、格別なところに位置している人間のようである。

「おまえ、ここにいないで、兄さんを探しに行ったらどうだ」
つい、そんなことを口にしてしまい、言った後に、しまった、と劉備は思ったが、あとのまつり。
公孫瓚の部下に、出奔を促してしまうというきわどいことをしてしまったわけであるが、子龍のほうは、それと気づかなかったのか、驚いたような顔をしたが、意外にもこういった。
「やはり、そう思われますのか」
「なに、ここを出ることを考えていたのか」
思わず声を潜めて顔を近づけると、子龍は、やはり劉備の反応がよくわからない様子で、ごくごくふつうに答えた。
「はい」
「はい、ってな。なぜだよ。兄ィも、おまえのことは買っているようだったのに」
「本当に、そう思われますか」
端的に尋ねられて、劉備はうろたえつつ、答える。
「そうじゃねぇかな、としか、判らねぇな。あいにくと、儂はおまえと兄ィのあいだで、どんな話をしているのかもしらねぇし」
「おそらく、わたしなどは良くして戴いているほうなのでしょう。不満を口にすることすら、本来ならば許されないことなのかもしれませぬ。ですが、ここで、わたしが本当に必要とされているのかが、よくわからないのです」
「つまり?」
「主公は、わたしを側に置くことを好まれますが、それは、わたしが居れば、箔がつくとか、そういう意味のようでして、それならば、わたしによく似た人形でも置いておけばよいと思います。それに、主公は、あまりわたしの意見を聞いてくださいませぬ」
「へえ、おまえ、兄ィに意見を述べたりするわけか」
「若輩の身で僭越とは思うのですが、主公は人から具申されることをあまり聞き入れず、むしろ五月蠅く思われます。
みな、主公のご勘気をこうむるのが恐ろしくて、具申をしなくなっておりますが、だから現状は良くならないままなのです。成長しようとしないものが、このまま全体を大きく引っ張っていくことが出来るのでしょうか」
「おまえ、ずいぶん難しいことを考えているのだな」
劉備が子龍を見直していると、子龍のほうは、真摯な眼差しを向けて、言った。
「玄徳様も、いずれここを離れるおつもりなのでしょう。そのときには、この子龍も共にお連れ下さい」
「だめだ」
劉備は即答していた。自分でも、ありゃ、なんでだよ、と思ったが、勘が、これで良いのだ、と告げてくる。
劉備に断られた子龍は、がっかりして言った。
「なぜでございますか。あっさり主人を変える者は信用できないと?」
「いや、そうじゃねぇ。おまえ、なぜ儂について来ようと考えている? 兄ィのところよりは、こちらのほうが、居心地が良さそうだという程度の話じゃねぇのか」
「いいえ、玄徳さまは、わたしを気にかけてくださる。だからでございます」
「待て。それじゃあ、おかしな話だぜ。おまえは、そもそも心の中が、だれかに仕える、という状態にすらなってねぇのだ。
じゃあ、儂以上に、おまえに気を配る人間が現われたなら、おまえはあっさりと、そいつになびくってことか? 
だれかに仕えるっていうのは、そうじゃねぇだろう。おまえは、儂がおまえを気にかけているからだという。つまりは儂がおまえの心に叶うことをしているからだろう。
それじゃあ、おまえは、儂のために、何をしてくれるのだよ。自分が気持ちよく生きたいためだけに主人を変えようと考えているのであれば、儂はこれを受け入れることはできねぇ」
子龍は、不満げな顔をして、うつむいている。
言葉は、おそらく半分も届いてはいまい。
それでも、劉備はできうる限り言葉を選んで、つづけた。
「いいか、おれは儂のためだけに働いてくれる、そんな男を部下にしたいとか言っているのじゃない。いまの儂の部下の中には、儂の下にいれば、おいしい思いができると思って付いてきているのも沢山いる。
だが、儂は、おまえには敢えて言うのだ。おまえは、そこいらのごろつきと、心持が同じじゃいけねぇよ。おまえは、もっと上にいける人間だ。でなくちゃ、その中に眠っている美質が、泣いちまうだろうよ。
自分をたくさん、いいふうに使ってやれ。どうせ生きるのだから、死ぬときに、ああ、もう十分だと言って死ねるような、そういう男になってほしいわけだよ、儂は。自分が何者かをしっかり見極めて、それから、まだ儂を忘れていなかったなら、儂のところへ来てくれ」
と、言ってから、劉備はぼりぼりと頭を掻いた。
「などと説教を口にしておきながら、莫迦だな、『是(はい)』と言っちまえばよいものを、と思っている儂もいるわけだ。儂は自分になーんにも持っていない男だが、人を見る目だけはあると思う。おまえは、きっとよい男になるよ」
「そう思われるのでしたら、なぜ連れて行ってくださいませぬのか。自分を見極めることは、玄徳様の元でならば、できると思います」
「いいや、無理だな。儂は、つい『だめだ』と言って後悔したが、いま、どうして駄目だと思ったのか、理由がわかったぜ。
おまえは、いまのまま儂について来たなら、そのまま状況に流されて、深く考えねぇ男になっちまうだろう。
おまえは、すこしだけれども、自分が何者かを掴み始めているのだ。だからこそ、兄ィに不満を持ったり、自分を認めて欲しいと思ったりしているのだ。だが、もっと自分を固めろ」
「やはり、おっしゃる意味がわかりませぬ」
うつむきつつ、強い不満を顔ににじませ、憮然として言う子龍であるが、その顔を見て、劉備は逆にうれしくなった。
「そのうち判ってくれることを祈っているぜ。儂は、おまえが好きだからな、おまえを連れて行ったら、きっとどうしても甘やかしてしまう。それじゃあ、おまえのためにちっともよくない。だから、こんなことを言うわけだ。
まあ、何年後になるかわからねぇけれども、おまえがそのうち、ひょっこりと儂の前に顔を出してくれたなら、嬉しいなあと思うわけだが、いまのところ、それじゃあいけないだろうか」
驚いたことに、子龍は、顔を真っ赤にして、泣いていのやら、笑っていいのやら、どちらとも付かない顔をして、ふたたびうつむいてしまった。
なんだか初々しいものだな、師匠が弟子にもつような心持ちは、なんだか初めてじゃねぇのかな、と思いつつ、劉備はうれしくなって、声をたてて笑った。



それから劉備は公孫瓚のもとを離れ、七年にわたる放浪をつづけることになる。
そのあいだ、公孫瓚は袁紹によって滅ぼされた。
劉備は、さて、趙子龍はどうしただろうと思ったが、どうやら、戦が起こる前に、兄の葬儀を理由に公孫瓚のもとから離れた、という話だけが聞こえてきた。じゃあ、じきに儂のところにきてくれるかな、とそこはかとなく期待したものの、趙子龍のその後の噂は、まるで聞こえてこなかった。


建安五年。
関羽と妻をともどもに曹操に捕らえられ、失意のなかにいた劉備であったが、天性の魅力がものをいい、袁紹に拾われる形で、その陣に厄介になっていた。
とはいえ、義弟として頼みにしていた関羽が、もう戻ってこないかもしれない、女房にも二度と会えないかもしれない、という中である。
もうひとりの義弟である張飛が、なにかと盛り上げようとしてくれるが、やはり劉備の気持ちは、浮き立たないままであった。

そうしてションボリと、関羽がいるであろう南西の方角を眺めてみる。
暮れていく夕陽の中、やたらと立派な体格の男が、馬にのって、ぽっくりぽっくりと蹄を響かせて、こちらに向かってくるのが見えた。
ああ、あれが関羽だったらなぁと思う劉備であるが、やがて、その騎兵が近づいてくるにつれ、とある予感に動かされ、そのまま足が動かなくなった。
向こうも、こちらが誰であるか気づいたらしい。
ゆっくりであった蹄は、やがて足を早め、劉備の元へとやってくる。
そして、その男は、ぱっと地面に降り立って、そのまま劉備の前に平伏した。
作法どおりの挨拶など、ゆっくりしている気分ではなかった。
まさか、まさかと逸る気を抑えつつ、顔を上げさせれば、それはやはり、七年前のあどけなさは払拭され、すっかり立派な風貌となった趙子龍であった。
「おまえ、ほんとうにおまえか!」
感無量の劉備が、やっとそれだけ言うと、趙子龍は、劉備の手を取り、
「おっしゃった言葉の意味が判りましたので、こうしてやって参りました」
と答えた。
そうして、劉備に笑みを向けてくるのであるが、その笑顔は、もはや仮面のように味気ないものではなく、子龍が心の底から浮かべる、喜色満面の笑みであった。
「よく戻ってきた。よく戻ってきた」
まるで、長旅から戻ってきたわが子を迎えるように、劉備は、もはや自分よりも背の高くなっていた子龍を抱えるようにした。
「ええ、儂の言ったことは当たっただろう。おまえはきっと、よい男になるだろうってな。さあ、昔の顔も、ぽつぽつとだが残っているぜ。みんなを驚かせてやろうじゃねぇか。きっと喜ぶぞ」
そうして泣き笑いをしながら、劉備は、趙雲の手を取って、仲間たちにもこの出来事を伝えるべく、幕屋へと入っていった。

※あとがき※
ものすごーくお待たせいたしましたm(__)m ようやくのアップです! で、このお話が、寒蝉に続く…というわけでございます。白馬義従云々のエピソードは孤月に入れていたのですが、今回、それに関わりのある部分は省いてあります。少年時代の趙雲を、劉備視点で書いてみました。というか、全編主公、というこの構成、はじめてだと思います。ご希望通りだといいのですが…如何でしょう?本当にお待たせして申し訳ありませんでした…(ToT)/~~~

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