しろくま事件

※このおはなしは「ずんだGAME」の番外編「とら・とら・とら」「うさぎ」のつづきとなります。


事件の名は、あとから「しろくま事件」と名づけられたが、その概要は以下のとおりである。
事件は、とあるうららかな秋の午後、奇妙なうさぎからはじまるのであった。
                     ※            ※


右足を前に、同じく右前足をまっすぐ伸ばして、背筋を伸ばし、耳まで力をゆるめず、そのままポーズ。
深呼吸を繰り返したあと、ゆっくりもとの位置にもどる。
両前足をゆっくり前で重ね合わせて、瞑目し、祈りの言葉。
「ナマステ」
「なんなのですか、それは」

カフェである。
と言っても、アトラ・ハシースとアストラルの住まう『下宿先』における、『中央都市』の中心の広場に面した、供給所のとなりにあるカフェだ。
その構造は、『中央都市』の真ん中に高く聳える『塔』と同じで、いかなる魔法か神秘か、その姿は日々変わる。昨日がフランス風のカフェテリアであったのが、今日はなぜだか日本の茶屋になっていたり、ダイナー風になっているときもある。
そのたびにメニューもこまめに違うので、毎日通っても飽きないのである。
しかし、もともと『下宿先』という名のつく世界だけあって、ほとんどの住民たちは、汎世界のどこかに仕事にでかけており、せっかくのカフェも人影がまばらである。

今日のカフェはファーストフード風。
手作りハンバーガーを器用に箸で取り分けて、なおかつフォークのようにふたたび具を重ね合わせて串刺しにし、それから口に運ぶという、面倒な食べ方をしている青年がひとり。
どこかあどけなさの残る、白い珠のように肌のきめこまやかな、ぱっと花の咲いたような雰囲気を持つ青年である。
その前に、なぜだか茶色のウサギが一匹、テーブルのハンバーグと紅茶の並んだトレイの前で、さきほどから、どうぶつらしからぬ、変わった動きを披露していた。

「知らぬのか」
青年の問いに、ウサギは答える(どうぶつが喋る、ということで驚いてはいけない。カフェのカウンターを覗き見れば、そこに従業員として働いているのは、鬼である。桃太郎さんに退治されたり、あるいは、瘤になやむお爺さんの瘤を治してあげたりと、ときには役に立つ、あの鬼である。恐ろしげな風貌とはうらはらに、彼らはたいそうな働き者なのだ。最高府メンバーの一人の弟子だ、という噂であるが、彼らは、自分たちの境遇と素性については語りたがらないため、一切は謎である)。
「うさぎヨガだ」
「うさぎ、ヨガ?」
うさぎがヨガをしている状態を言い表しただけではないのか、と青年は思ったが、あまりにうさぎが得意そうであったから、口にするのはやめておいた。
「つぎはシャクル・アサナだな」
ほっ、と、掛け声をして、器用にうさぎはブリッジを披露する。
白いふさふさの毛を持つ腹がアーチ状になり、青年は、思わず、うさぎの腹の上に、手にしていたえんぴつを載せてみる。
とたん、うさぎは起き上がって抗議の声をあげた。
「物を載せるな! こそばゆいであろうが!」
「ああ、申し訳ありません、なんだか載せたくなる腹でありましたから。見事なブリッジでありましたな、馬将軍」
諸事情(番外編・とらとらとら参照のこと)により、うさぎをしている馬超は、青年の声に、ちっち、と指を振った。
「ブリッジではないぞ、姜維。シャクル・アサナだ。うさぎヨガを舐めてはならぬ。なにせ、わが苦境を見かねたクリシュナ・ドヴァイパーヤナ師が、わたしのために創生してくれた、貴重な運動なのだからして。この運動は、わたしの完全オリジナルなのだ」
得意そうに言ううさぎに、姜維、字は伯約は、冷ややかとも取れるほど冷静に言う。
「そりゃあ、汎世界のどこを見渡しても、ヨガなんかするうさぎはおりませぬ」
「好きでうさぎになったのではない!」
ぴん、と両の長い耳を跳ねさせて、うさぎの姿の馬超は、テーブルで足をどんと踏んだ。抗議のしるしである。
三白眼のうさぎにじろりと睨まれても、さほど動じず、肩をすくめただけの姜維であるが、うさぎは丸いテーブルの上を三歩あるいて、もう気が済んだのか、肩をまわして、言った。
「うむ、そろそろ身体も柔らかくなってきたようだな」
「さきほどから、なんなのです、落ち着きのない。ベーコンレタスバーガーのレタスだけでは足りませんでしたか」
「いやしき暇人よ。姜維、蜀でも一、ニを争う仕事の虫のくせに、今回は休みが長すぎるのではないか」
「ここにいるのも、仕事なのです」
と、馬超の挑発にも応じず、たんたんとパソコンのキーボードを打つ姜維。
なにをしているのやらと、馬超がひょいと覗こうとすると、姜維はすぐに画面を閉じた。
「けち」
「親しき仲にも礼儀あり。で、貴方はなにをされているのですか」
「ダンスの練習だ」
「ダンス? なぜ? このあいだ、人間に戻った時、召喚先でおぼえたパラパラを皆様の前で披露したら、『派手な盆踊り』と酷評されて、落ち込んだばかりでしょうに」
「やつらに芸術が理解できぬということを忘れていた、わたしが愚かであったのだ。別方面では大ウケだったのだぞ」
「別方面ねぇ。貴方ほど、仕事をしないくせに、妙に人脈を持っているアストラルというのも、珍しいでしょうな」
「これも人徳の賜物なるぞ」
「の、割りに、だーあれもあなたの呪詛を、解いてくれないのはなぜですか」
「この姿のほうが、なにかと有利なのだ。このあいだ、召喚された先でも」
と、馬超の言葉を、姜維が遮った。
「召喚? そんな状態の貴方を召喚する、鬼のようなアトラ・ハシースがいるのですか」
おどろき呆れる姜維に、うさぎは、耳をぴんと張って、ふふん、と鼻で笑った。
「なにを言う。この姿であれば、召喚先で現地人と接触する際に、相手に恐怖感を与えずに済む、あるいは、愛らしい姿を見ているだけで心が和むというので、最近は休む間もなく引っ張りだこなのだぞ。特に女のアトラ・ハシースを中心に」
「ほーお、現地人に食べられるような危険はありませんか」
「翊軍将軍のようなやつは稀だ。喋るうさぎを食そう、などというツワモノとは、お目にかかったことはないな。むしろそいつとは、タイマン勝負といきたいところだ。
呪詛が失敗したので、かえって理性を失わないでいられるのは、ありがたい」
「それでも、うさぎから人間、人間からうさぎになる時が、いつになるかが判らないのでしょう。やっぱり、不便ですよ。わたしはご免です」
「おまえも獣化の呪詛を一度受けてみれば、わたしの気持ちがわかるであろうよ。うさぎもなかなか良いものだ。女に『可愛いー』、とか言われて、ぎゅーっとされる、あの瞬間がたまらぬ」
「というか、それがすべてなのでは…」
「ふん、ちゃんと仕事もしておるわ。さて、練習を開始するか。おおい、そこの鬼! 供給所からもらってきた蓄音機を用意してくれ」
「蓄音機? 供給所に、蓄音機?」
「なにを驚く。最近、供給所に『お宝鑑定団in下宿先』と称して、アンティークが展示されているのを知らぬのか。鑑定家も係員として常駐しているのだ」
「自分たち自身がアンティークなのに、なんだってまた」
「昔を思い出して嬉しいのだと。さーて、鬼の兄さんら、用意はよいか! ミュージック、スタート!」
そして蓄音機から流れてきた、ノイズだらけではあるが、どこか温かみのある音楽とともに、馬超はテーブルの上で、軽やかにステップを踏み出した。

兎(うさぎ)のダンス
作詞:野口 雨情
作曲:中山 晋平
♪ 1.ソソラ ソラ ソラ 兎のダンス
  タラッタ ラッタ ラッタ
  ラッタ ラッタ ラッタラ
  脚(あし)で 蹴り(けり)蹴り
  ピョッコ ピョッコ 踊(おど)る
  耳に鉢巻(はちまき)
  ラッタ ラッタ ラッタラ

2.ソソラ ソラ ソラ 可愛いダンス
  タラッタ ラッタ ラッタ
  ラッタ ラッタ ラッタラ
  とんで 跳ね(はね)跳ね
  ピョッコ ピョッコ 踊(おど)る
  脚に赤靴(あかぐつ)
  ラッタ ラッタ ラッタラ

(どうでもいいですが、はさみのは ♪タラッタ ラッタ ラッタ 兎のダンス、とまちがえて覚えていました。そして作詞家が野口雨情先生だと初めて知りました。證誠寺の狸囃子といい、擬音がスバラシすぎます)

※いま、うさぎ馬超がとっても愉快なダンスを披露しました。実写でお見せできないのが、残念でなりません※

曲が終わると、馬超は、まるで一幕を踊り終えたバレリーノのように激しい息遣いをして、テーブルの上に茶色の両前足をつく。
カウンターでは赤鬼と青鬼たちが、ブラボーと拍手喝さいである。
馬超は、それに西洋式の丁寧なお辞儀で応え、それから、パソコンの黒いモニターごしに見える姜維の冷めた目に、白い胸元をむっ、と見せて、挑戦するように問うた。
「どうだ? 召喚先の、現地の子供たちを和ませるための芸だ!」
しかし姜維は、つれなく答える。
「ニジンスキーには遠く及びませんが、女子供が目を輝かせて喜びそうな踊りではありますな。『ぎゅー』が期待できますよ」
「それは、誉め言葉として受け取ってよいものであろうな?」
馬超が尋ねると、姜維はパソコンのモニターを見ながら、ため息をつく。
「ご自由に。やれやれ、みんな外にいるのですかねぇ。掲示板の書き込みがまったく増えやしない」
言いつつ、姜維は珈琲を飲むのであるが、ちらりと馬超を見て言った。
「うさぎって、水を飲んだら死ぬのですっけ?」
「愚かなり、姜伯約。それは俗信だ。人間と同じで、きれいな水ならば死にはせぬ」
「ふぅん、なにか追加で頼みますか」
「いや、よい」
と、断った先から、野太い赤い腕がにゅっと突き出された。
見れば、赤鬼が、木のサラダボールに、新鮮な菜っ葉をいっぱいに入れて持ってきて、それを、どん、とテーブルのうさぎの前に置いてみせる。
「ええもん、見せてもらいました、これ、つまらんもんですが!」
「おう、すまぬな。ありがたく頂戴しよう」
答えつつ、馬超は、日に透けるあざやかな緑の葉を、むしゃむしゃと美味しそうに平らげた。
「すっかりベジタリアンですね」
「おかげで胃腸の調子がよい。ところで真面目な話だがな」
と、うさぎ馬超は、ごくりと葉を咀嚼して、端整すぎるあまり、冷たく見える姜維の顔を見上げた。
「おまえとは、いままでこうして差し向かいで話をする機会が、いままで不思議となかったが、なんとなく判ってきたぞ」
「なにがです」
ちろりと目を上げる姜維の眼差しに、いささかうろたえつつ、馬超は言った。
「いきなり本題になるが、おまえ、感じ悪いぞ」
「そうですか」
あっさり肯定する姜維に、馬超はたじろぐ。
それというのも、姜維の表情に、我を張っている様子が見受けられないからである。戦術を変えねばなるまい。

「わたしが本音で語り合えるのは、紆余曲折あったとはいえ、やはり蜀の人間だと思う」
「へえ」
言葉とはうらはらに、姜維はさして感心するふうでもない。
「しかしおまえは、見ていると、むしろ蜀の人間には本音を隠しているような。なのに、わたしには剣呑な言葉を吐き続ける。
言うが、わたしは、人の言葉や動作には素早く反応するので、短気な男だと誤解を受けているようだが、それはちがう。わたしは反発はしても、なまじのことでは、それを怒りには発展させぬ」
と、うさぎは、耳を細かく、ぴっ、ぴっ、と動かしながらつづける。
「おまえは、おそらく、それを判っているのだろう。だが、わたしの許容範囲にも限界があるのでな、なぜにわたしにそう辛く当たるのか、その理由を聞かせてはくれぬか」
「辛く当たったつもりはないのですが」
「では、なんだ。わたしを客将と侮るか」
「ほかの方々はどうかは知りませぬが、わたしは貴方に対して、そんな見方はしておりませぬ。貴方はまるで、御伽噺に出てくる王のようだと、丞相が仰っておりました。わたしもそう思う」
と、姜維は、赤い唇に、笑みを浮かべながら、言う。
「貴方は信頼できる人なのです。その内面にあるものが複雑だけれど、つまらないことで人に害を為そうなどとは考えないし、秘密を守れと言われたら、それを守ろうとするし、裏切るなといわれたら裏切らない」
姜維の言葉を聞き、うさぎは、ひくひくと鼻をうごめかせた。
「ふむ、美しき言葉を並べてはくれているようだが、そのような単純なものは、信用ならぬと?」
「いいえ」
「ならば何故だ。おまえは天水の出身であったな。生前、わたしは、おまえの一族に、なにか不都合なことをしたのだろうか」
「それも違います。貴方によく似た友がおりました。あなたは、その男にすこし似ている。だから、こちらもつい本音が出てしまうのでしょう。つまり、甘えてしまっているのです。度が過ぎたようですね。ご不快になった分に関しては、謝罪いたします」
「素直なのは助かる。そうしてくれ」
もともと、馬超は内側に問題を抱え込むということができない、我慢ならない性格である。
満足して頷くと、姜維は、わずかに目を細めて、こちらを見ているのがわかった。
こいつ、時々意味ありげな顔をするな、とうろたえつつ、馬超は尋ねる。
「いまのは嘘か?」
「嘘ではありませぬ。では、本当にお詫びをしたという証のため、もうすこし、わたしの本音を教えて差し上げましょう」
「む。ありがたい申し出なのかもしれぬが、なんだか怖いな」
「怖がる話でもありますまい。わたしはアトラ・ハシースになりたいのです」
しばしうさぎは、飲み込みのわるい言葉を、大きすぎて咽喉を通らない食べ物のようにしばらく物体として扱ってから、それからゆっくり、その言葉に、姜維が籠めた意味を咀嚼した。
「アトラ・ハシースに、なりたい?」
鸚鵡返しすると、姜維は深く頷いた。
そこには、冗談を飛ばした雰囲気はどこにもない。
「そうですよ。アストラルなら、一度は考えたことがあるのでは?」
「あいにくと、わたしはないぞ。連中の言いなりになるのはつまらぬが、かといって、あの大きすぎる責任を負うのも、重すぎる。性に合わない」
「謙虚なのですね。思うに、貴方は死に際が良かったのだ。だから、過去に捕らわれていないのでしょう」
「おまえとて、完全燃焼な人生だろう」
「いいえ、そうではありませぬ。わたしは、自分がよくアストラルになれたものだと思っていますよ。死ぬ間際のわたしという男は、人の不幸でしか笑うことができなくなっておりましたから」
「それは、おまえ一人に責があることではなかろう」
「そうでしょうか。もし丞相がご存命であったなら、あのように無残な落日はなかったはずだ」
「丞相が存命であったなら、もっと情勢自体が変わっていたであろうよ。しかし、おまえとて、よくやったほうだと思うぞ。身辺も清く、奢侈に耽らず、宦官どもに惑わされなかった」
すると、姜維は、自嘲めいた笑みを浮かべてみせる。
「それとて、そうしなければならないと、頑なに思い込んでいたからだ」
「良いことを思い込む? おかしいぞ、それ」
ますます首をひねる馬超に、姜維は口はしに笑みを浮かべたまま、言った。

「天才というものをどう思われますか」
「天才! 好きな言葉ぞ。わたしのことだな。うむ、天才はカッコイイ。張飛めもそうだな。あいつ、元肉屋のくせして矛に関しては右に出るものがおらぬし。ほかには、丞相なんかは典型だと思うが」
「天才が、なぜカッコイイのです? 万能のように見えるからですか」
「うん、まあ、そうだな」
「考えがちがうようですね。わたしは、天才は災いだと思っております。天才は、既存を破壊し、そこに真新しい完成体を打ち立てる。破壊と創造を、一代でしてのけてしまう。
丞相は、大殿の死後、瀕死にあえいでいた蜀を見事に立ち直らせ、そのうえ、五回もの大遠征をしてのけることが可能なまでに、短期間に国をまとめあげた。いえ、あの方は、大殿の死後、自分の国をあらためて作り直したのだ。それも、粛清を一度たりとも行わず、国内の反対勢力の掃討は、最低限の犠牲に止めてね。
天才は、あまりにあざやかに偉業をしてのける。軽々と。そのために、天才の周囲の人々は、やっかいな錯覚を起こすのです。これが『普通』なのだ、と。
冗談ではない。後に続くものは、えんえんと天才と比較されつづけるのだ。その生き様に反することを行うことは許されないし、その行いを批判することすら許されない」
「息苦しいな。窒息してしまう」
「丞相が亡くなられたあとの蜀は、ずっとそのようだったのです」
「むー、なるほど、だから天才は災厄か。わかったぞ、おまえ、天才を超えたいと思っているのだな」
うさぎが深く頷くと、はじめて姜維は顔を上げて、真正面から真摯なまなざしを向けてきた。
「天才とは、生まれ持っての才能と、運と、時勢に恵まれた、ごくごくわずかな人間のことを言うのだ。わたしはもはや、『天才』には為り得ない。ならば、天才をも超える力を手に入れるほかは、あの偶像を壊すことはできないのだ」
「偶像とは、丞相のことか?」
「いけないことでしょうか。あの方は、わたしにとって理想であると同時に、破壊すべき偶像でもある。わたしという意識が残り続ける限り、わたしは、あの方からは解放されることはない。
ならば、諦めるか、諦めないかの二つに一つでしょう。わたしは、往生際の悪い性格をしておりますので、後者を選んだのです」
「難しいことを考えるものだな。単純に、偉大な先人を超えるのだ! と決意するだけでよいではないか。天才だとか偶像だとか、小難しい言葉を持ってくると、問題が複雑になりすぎて、処理しきれなくなるぞ」
「きわめて単純だと思いますが。目の前に壁があるのならば、越えるまでのこと」
「おまえは越えることが難しそうなので、壊そうとしているのだろう。そも、アトラ・ハシースとは、汎世界を守るための存在。力を得たいというだけの理由ではなれまい」
「ところが、そうでもないようなのですよ。いかなる道にも抜け道があるそうです。汎世界には、時間を遡らせることができる魔女たちも存在するとか。その活動は、すべて最高府が握っているそうです」
思わず、うさぎは足を引いて、姜維を見上げる。
「滅多なことを。最高府の人間に聞かれたら、なんとする?」
「ですから、秘密ですよ?」
と、姜維は、それまでの強ばった顔から一転し、華のある笑顔を馬超に向けてみせる。
こいつ、丞相に似ていると思ったけれど、中身はまるで似ていないな、と馬超は思った。
「さりげなく約束を押し付けるな」
「守っていただけませぬか」
「守って欲しいのであれば、守ろう。しかし、おまえが、翊軍将軍以上に仕事に励んでいるのは知っていたが、なぜか丞相の召喚にはあまり応じないと聞いて不思議に思っていた。そういう事情があったのだな。話してみないとわからぬものだ」
「わたしにも、いろいろございますので」
と姜維は笑ったが、その笑みは、さきほどの張り付いた仮面のような笑みとはちがって、だいぶ和らいだ、打ち解けたものになっていた。
「おまえがアトラ・ハシースになったなら、まずはわたしのこの呪詛を解いてくれ」
「アトラ・ハシースの膨大な霊力を消費せねば解除できないとは、厄介な呪詛ですね。最初の呪詛をかけたアトラ・ハシースは、なんと?」
問われて、馬超はそのときのことを思い出し、腹立ち紛れに、テーブルを、どん、と叩いてみせる。
「ふざけておるぞ。『ごっめーん、戻らないみたい。でも可愛いから許してねー。つーか、お陰で仕事が増えてるんだって? 怪我の功名じゃん! なーんて、本当は最初からこうなると思ってたんだよね。偉大でしょ?』といって、それっきりだ! どこにあるのだ、最高府! 知っていれば、押しかけてやるのに!」
「まあまあ、それこそ最高府に聞かれたら大変ですよ」
「最高府、なにするものぞだ!」
「そういう割には、ダンスの練習までして、熱心なことで。以前の貴方からは想像のできないお姿です」
「今度の召喚先は、難民キャンプの子供たちに夢と希望を与える、という、なんとも漠然とした任務なのだ。
普通ならば、現地集合現地解散なのだが、今回のアトラ・ハシースやたらと慎重でな、事前ミーティングを行ってアストラル同士の顔合わせをしたうえで、一人一芸でもって、子供たちに笑顔を取り戻させよう、というのだ」
「つまり、アストラルとアトラ・ハシースによる、演芸大会ということですか」
「そんなものだ。まあ、今回の中心になっているアトラ・ハシースも、仕事をはじめて間もないから、余計に細々と計画を立てたくなるのだろう」
「だれです」
「ケチャップみたいな名前のイギリス人だ」
「ああ、チャップリン」
「多くの人に笑顔を与えた功績が認められて、アトラ・ハシースになったのだと。コメディアンを目指すのも一つの道かもしれぬぞ。おや」

うさぎが横を向くと、しょんぼりとした風情で、孔明がカフェの扉をくぐってくるところであった。
すかさず、赤鬼、青鬼のコンビが威勢のいい声をかける。
「ヘイ、らっせい!」※カフェです。
「うむ、邪魔をするぞ。伯約や、第500-14世界の情報は掴めたか」
孔明は、相変わらず清雅な空気をたたえて近づいてくる。
アトラ・ハシースの中には、生きて動いているのが信じられないくらいの美貌の持ち主がいるが、孔明もまた、日常とは乖離した、神秘的な空気を纏っている。
それは実際に、日を追うごとに、人ではなくなっている証左でもあった。
これを超えようというのか、と、馬超は、ちらりと姜維のほうを見る。
馬超としては、先刻まで孔明についての話をしていたので、すこしばかり気まずいのであるが、姜維はまったくそんな素振りも見せず、答えた。
「いまのところは、なにもございませぬ。そも、第500-14世界は、汎世界のなかでも安定した場所ですから、あのあたりを往来する者も少ないのです。掲示板にも、ほとんど情報の書き込みがございませぬ」
「そうか、困ったな。おや、うさぎの馬将軍。お久しゅう」
と、言いながら、孔明は、ため息をつきつつも、馬超の両の耳の先を、煽るようにして揺らして遊んだ。
「人の耳であーそーぶーな! なんだ、その第500-14世界って」
馬超の問いに、姜維が答える。
「基本世界から500番目に位置する世界の、さらに14番目に分離した世界のことです。将軍のご勘気は、いまだ薄れぬようですな」
「人のことで、あんなに怒ることなかろうに」
「翊軍将軍のことか」
「そう。この間、第500-14世界に召喚されて、仕事を済ませてきたのだよ。そのときに、現地の商人が『珍しいどうぶつの絵葉書』を売っているのを見つけてね、記念にと思って、みんなで一セットづつ購入したのだ」
「呑気なものよ。で、それでなぜ翊軍将軍が怒る」
「現地の商人が言うには、絵葉書は『黒い部分の模様のない、めずらしいパンダの絵葉書だ』ということであった。我らもそれは珍しいと喜んで買ったのだがな、その場で中身を確認しなかったのがいけなかった。こちらに帰ってきて、中身を見たらば、だ」
「パンダに黒い模様がない? それはつまり」
「パンダどころか、ただの白くまの絵葉書だった、と……」※蛇足・パンダは熊の仲間じゃありません。それでも騙されたこの人たちって…
姜維が付け加えたオチに、うさぎは心の底から呆れて言った。
「絵葉書を買った者は、アトラ・ハシース(最高の賢者)の称号を返上し、なりたがっているやつに譲ってやれ」
「わたしだって、譲れるものなら譲って、のんびり暮らしたいよ(と、ここで姜維の頬がぴくりと動いたが、あえて馬超はそしらぬフリをした。武士の情けである)。たしかに揃って詐欺に引っかかった我らに非があるが」
「が?」
孔明は、形のよい顎をつんと逸らせて、精一杯虚勢を張って、言った。
「白くまも結構かわいい。毎日、寝る前に眺めて、元を取っているのだ」
「あいかわらず前向きな…ならば、問題は解決しているだろう」
馬超が言うと、孔明は、ふたたび暗い顔にもどり、大きくため息をついた。
「それが子龍は、その詐欺師をどうしても捕まえて、返金させるのだと息巻いているのだ。
とはいえ、我らは好き勝手に汎世界を移動できないからな、第500-14世界で召喚されるのを待っているのだが、わたしも、当時の仲間も、半端なことはなにひとつしなかったから、召喚されることは暫らくない。が」
「が?」
「子龍をなだめるには、詐欺師を捕まえねばならぬし。だから困ったというのだよ。なにか子龍の気を鎮めるよい手はないだろうか。いやしかし、面白い耳だ。どうしてこんなに長いのか」
「耳を勝手になでるな、引っ張るな、ねじるな! 痛かったぞいまの! くらえ!」
と、馬超は、ぴょんと飛ぶと、孔明の指にがぶりと噛みついた。
孔明はちいさく悲鳴をあげて、馬超に抗議する。
「噛むとは、ひどいではないか!」
「ねじるほうがひどい! 呪詛の解除呪文を唱えてくれぬ丞相なんぞ、知らぬ! 貴殿もうさぎになってしまえ!」
「嫌なことをいうものだ。まったく、あちらもこちらも気が立っているようだな。世相の悪さがここにまで反映しているのだろうか。わたしは塔に帰るよ。伯約、もしなにか動きがあったら教えてくれ」
「掲示板じゃ、白くまの絵葉書の使用法で盛り上がっているようですよ。いちばん支持を集めているのが、「絵葉書を活用して紙芝居」。へえー、お話を公募する計画まで立ったようです。みなさん、意地になっているようですね。ついでに参加されたらどうですか」
「考えておく。それでは、わたしはこれで失礼する」
そう言って、孔明は、来た時と同じく、どこか猫背になって、カフェを去って行った。
「姜維、アトラ・ハシースってあんなやつばっかりだぞ。それでもなりたいか?」
「…すこし考えます」



それからしばらくのち。
ふたたびカフェに、見知った顔があらわれた。
趙雲である。
相変わらず地味な洋装を纏った趙雲であるが、元がよいので、みすぼらしくはならない。
なめされかけた記憶のあたらしい馬超は警戒して、テーブルを足で踏み鳴らすが、当の趙雲のほうは頓着せず、姜維に尋ねる。
「さきほど、丞相が来なかったか」
「いらっしゃいましたが、何事でございますか」
「そうか、どこぞで知り合いに捕まったか。まだ帰らぬのだ」
「将軍のご機嫌が治らぬと、気にしておられましたよ。帰るのを渋って、どこかで暇を潰されているのではないでしょうか」
「うむ、考えたのだが、あれほど怒ることもなかったと反省してな。ちかごろ、注意力が散漫のようだったので、つい声を荒げてしまった」
「おまえらのようなのを、なんというのかな。しつこいほど一緒にいて、飽きぬのか」
馬超が言うと、趙雲は、ようやく顔をそちらに向ける。
あわてて馬超は姜維のパソコンの陰に身を隠すが、趙雲の顔に険しいものは兆さず、そのかわり、そうだ、と言いながら、ふところから丸い毛玉を取り出した。
「近頃は、うさぎを飼うのが流行っているのだろうか。さっきそこで、気絶したうさぎを拾ったのだ」
見れば、丸い毛玉だと思ったそれは兎であった。
その丸いふにゃふにゃの、グレーと白のぶちのうさぎは、ぐったりと趙雲の手に納まっている。
「供給所の食材かもしれませぬぞ」
姜維が言うのを、馬超はぶーぶー抗議したが、趙雲は首を振った。
「いや、この種類のうさぎは食用にはならぬだろう。迷ったのか、仲間にいじめられて逃げ出したのか、手に噛み傷があるようだ。そこの穴うさぎとちがって、ずいぶんと柔らかくて小さいし」
「悪かったな、ごわごわな上に大きくて」
「だれかが飼っていたものならば、帰してやらねばならぬが」
と、趙雲は、気絶したままのうさぎを両手で持ち上げ、しげしげと眺めていたが………不意に、にやりと笑った。
笑ったことに、馬超と姜維はぎょっとして顔を強ばらせたが、趙雲は、自分が笑ったことにしばらく気づかなかったようである。
うさぎを眺めるのをやめて、はじめて、自分がどんな顔をしていたか、二人の反応で気づくと、気まずそうに、すぐにいつもの強面に戻り、咳払いをひとつした。
そして、
「これは、俺が持ち帰って保護する」
といって、カフェから出て行った。

「………おどろいた。趙将軍のにやけた顔、はじめて見ました」
「なんだかよくわからぬが、あのうさぎの何かが、翊軍将軍の心にクリティカルヒットを放ったらしい」
「きっといまごろ、供給所で、うさぎのケージやら餌やらをもらってきていますよ。ところでですね」
「うむ」
「人狼に噛まれた者は人狼になる、というのはご存知ですか」
「常識ではないか」
「人兎に噛まれたら、どうなるのでしょうね?」
「…………む?」
「あのぶちのうさぎ、手に噛み傷がある、ということでしたね」
「………」
「馬将軍、丞相の手に噛み付きませんでしたっけ?」
「………」
「いますぐお逃げになることをお奨めします」
「………」

これが俗に言う「しろくま事件」のあらましである。
事件は、いまだ解決をみていない。
※あとがき※
番外編とはいえ、ずんだとは別の動きになってきておりますが、時間的には、「ずんだGAME」より前のお話となります。Q・はさみのはうさぎ好きですか? A・いままではそうでもありませんでしたが、書いているうちに飼いたくなりました。これを自己暗示という。
史実ですと、馬超と姜維は面識がないため、こういう無茶な設定で会話をさせてみました。そして、『死後』の姜維の本音をかたらせてみたかったのであります。無双でやれって? せっかくずんだで作った設定があるので、それを使ってみた次第です。つづく…かなぁ?

つづく
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