説教将軍シリーズ(?)
うつせみ
2
※このお話は、『説教将軍シリーズ(?)うつせみ1』の続編であります。時代考証は筆者宅のそうじきに誤まって吸い込まれてしまい、そのまま燃えるゴミの日に出されてしまったようです。あらかじめご了承くださいm(__)m)
彼らを見たとき、ああ、なんだか面倒なことになりそうだな、と思ったのだ。
こういったときの嫌な予感は当たる。
司馬水鏡先生の知り合いだ、というその男たちは、遠路はるばる中原から(詳しい地名はもう忘れた。顔だって覚えていないのだから、仕方あるまい)、荊州の学問というものが、どれほどのものなのかを確かめにきたという。大きなお世話である。
彼らは、最初は普通に、もてなされる客として振る舞っていた。
先生の代わりになって、ありがたい最新の学問についての講義をしてくれるというので、わたしたちは、先生に一堂に集められたのだ。
最初は彼らも、『進んだ』中原からやってきた偉い学者然として、大人しくしていたと思う。
しかし、先生の門弟たちのなかに、毛色の変わったのが混ざっているのを見つけ、とたん、態度を変えたのだ。
「そいつを知っているぞ」
と、男のひとりが指したのは、徐庶であった。
「俺は穎川(えいせん)の出だ。その男のことならば、よく知っている。なぜこいつがそんなよい身なりをして、俺の前に座っているのは解せぬ。おまえはこの家の奴婢なのか」
司馬水鏡先生というのは、なにをそんなに苦労されたのだか、年のわりにとても老けてらっしゃるが、こういう不穏な空気には弱い。
だれのどんな争いにも泰然としているというので、まるで仙人のようだとか、さすがあまたの門弟を引き受けてらっしゃるだけに、器量が大きい、などと評されているが、そうではない。
先生の場合は、おかしいときに浮かべる顔と、ひきつったときに浮かべる顔が一緒なだけである。
先生は気が弱い。だから、だれのどんな喧嘩にも、口を出さずに、ただ見ているだけ。このときもそうで、男の口調の中に、あきらかな敵意があるのを見つけ、すばやく空気に溶け込まれてしまわれた。
先生の言われるところの『中立』。見事な身の処し方といえよう。
老子の教えを身を以て体現されていると、評することもできなくないが、わたしから言わせれば、先生が、だまらっしゃいと一言おっしゃれば収まった話であるから、あえて否定的に語らせてもらおう。
先生が、すっかり石に変じてしまわれたので、わたしが変わりに口を開いた。
「徐元直は奴婢などではない。われらの学友である。客人とはいえ、いきなり無礼であろう」
なに? おまえも、それは年上に対する態度ではない、だと?
では、あなたであれば、どうした。似たようなことを口にしたと思うぞ。
ともかくだ、わたしの言葉に、男は顔を柿のように赤くして、いきなり立ち上がるや、怒鳴ったのだ。
「貴様、年長者に対し、その無礼な態度はなにごとぞ、名乗れ!」
予想できたであろう。この手合いが口にする台詞は、いつもだいたいこんなものだ。
わたしは徐庶をいきなり奴婢だと決め付けられたことで、すっかりこの男をとっちめるつもりでいたから、売り言葉に買い言葉、堂々と立ち上がって名乗ってやった。
「わたしの名は諸葛孔明。徐州の琅邪の出自である。貴兄がいかなる貴門のご出自かはあいにくと存ぜぬ。招かれた身でありながら、満座の前で、堂々とよその門弟を奴婢呼ばわりして、卑しめるなどという、ご立派な礼儀を躾けられたようであるから、おそらくたいした名はあるまい」
とたん、その場がしん、と静まり返った。
まさに、夜の墓場だってこれほど静かではあるまいという具合だ。
あーあ、って、たしかにわたしもあーあ、と思ったとも。だが、あとには引けぬ。
男はぶるぶると震えて、わたしに怒鳴った。
「諸葛孔明と言ったな、前に出て来い!」
殴られるな、とわかったがね、前に出なければ出ないで、口ばかりの臆病者と嘲られるだろうことは予想がついたから、言うことに従ったさ。
若気の至りというのかね。それとも、蛮勇とは、こういうことを言うのかな。
ともかく、わたしはうなだれ気味の学友たちの間を縫って、男の前に出ようとした。
が、足が進まなかった。
足が竦んだのではない。
肩を強くつかまれて、先に進めなかったのだ。
振り返れば、徐庶であった。
徐庶は、わたしが言葉を失くしているのを見て、頷いて、それから無理に座らせると、その場の全員の視線を集めつつ、明るく笑いながら、こう言ったのだ。
「たしかに、わたくしは故郷では、札付きのお尋ね者として名を知らしめた男でございます。わたくしの存在が、貴方様にご不快を与えたのであれば、謝罪いたしましょう。せっかくの貴方様のご高説を、学友たちが聞き漏らしてしまうのは、あまりに申し訳ない。
わたくしが目ざわりとおっしゃるのであれば、すみやかにこの場より立ち去らせていただきます。わたくしのことは、どうぞお忘れくださいますように」
そういって、相手に反論させる間も与えず、綺麗に礼を取ると(覚えていると思うが、徐庶は実に挙搓に無駄がなく、見ていて惚れ惚れとするほどであった)呆気にとられるわたしたちをあとに、学舎から出て行った。
本来なら、わたしもすぐそのあとを追うところなのだがね、なにせ、不意に徐庶に肩をつかまれたことでびっくりしてしまって、すぐに平常心に立ち戻ることができなかったのだ。
徐庶は、わたしが人に触れられると、固まってしまうことは知っていたから、その場を納め、わたしをなだめるために、わざとああしたのだと思う。
そのとき、ほかの連中こそ、席を立つべきだったと思っているのだが、みなの言い訳がひどい。
石広元と孟公然は、
「孔明が立たなかったから、それでよいかと」
と人に責任を押し付けるし、崔州平は、
「元直はすごい、孔明の短慮を見事におさめた」
とか嫌味を言うし。
ともかく、わたしの所為で、徐庶に卑屈な態度をとらせてしまったのだから、ちゃんとあとで謝りに言った。
すると徐庶は、意外にもからからと笑って、言うのだ。
「別に、ああいう差別を受けるのは、いまにはじまったことではなかろう。言われた言葉とて、これまで投げられた言葉のなかでは、平凡きわまりないものであったぞ」
徐庶はさらりとそんなことを言う。
「あいつが向こうを知っているなら、俺もあいつを知っているのだ。穎川では、青白い顔をして、いまにも倒れそうな貧乏学士であったのだが、出世をしたらしい。
一度、妓女を買おうとして、手ひどくふられてな、やっこさん、頭にきて、その妓女を殴ろうとしたのだ。そうしたら、女衒があらわれて、返り討ちになったのだよ」
「なぜ知っているのだい?」
「俺が助けてやったからだ。なあに、ヤツが俺の顔を見つけて、あれほど声を荒げたのは、助けてもらった恩よりも、つまらん過去を知っているごろつきが、なぜだか殊勝な顔をして、目の前にいる事実に、混乱しちまったからにちがいない。そう考えれば、ちと気の毒なことをしたな」
「なぜ、そんなヤツに同情する必要がある。恩を忘れて仇で返すなんて、道義に反しているよ。散儒というのは、ああいうのを言うのだ」
「きつい言葉で人を貶めたつもりでいると、貶めたのは自分の品性だった、ということはままあるぞ。注意するがいい」
笑顔でさらりと徐庶は言う。徐庶は、万事、その調子なのだ。
「すまない。気をつける」
「おまえは素直なのだがな、素直すぎて、危なっかしい。ところで、あいつの講義はどうであった」
「つまらなかった」
「頭に血が上って、内容を聞き取れなかったのではないか」
「ちがう。本当につまらなかったと思う。でも、記憶力はいいみたいだ。このあいだ、親戚がまとめて送ってくれた本のなかに、あいつが話したのと、まったくおなじ文句がごっそりあったから」
徐庶はそれを聞くと、痛快そうにまた笑って、
「それじゃあ、俺はその本をおまえから貸してもらおう。ときに孔明、俺こそすまなかったな」
と、不意に真面目な顔になって言った。
「なにが」
気恥ずかしくなって、わたしがつっけんどんに言うと、徐庶は、すこしだけ表情を和らげて、それでもしっかり頭を下げた。
「おまえが、急に人に触れられると、口も利けなくなるということを知っていて、わざとああした。許してくれ」
「許すも何も、州平の言うとおり、わたしが短慮だったのだ。徐兄が止めてくれなかったら、たぶん、いまごろあいつとわたしは、顔を腫らして寝込んでいた」
わたしが言うと、徐庶は、おまえは判りにくいけれど、いいヤツだよな、と言ってくれた。
たぶん、そのときから、少しずつ、人に触れられることに慣れてきたのだと思う。
それまでは、人に手を伸ばされただけで硬直していたのだ。
だから闇雲に喧嘩になっていた、というのもあるのだがな。
「で、その男たちはどうなったのだ」
「帰ったよ。徐庶と同郷の男は、病になってね、予定を切り上げて、早々に帰って行った」
「ふうん」
趙雲と孔明は、いつも足を運ぶ街とはちがって、ひときわ雑多で、狭い路地にやってきていた。
路地では市が立っており、狭い道に人がごった返している。
最初、ここに案内された時、孔明は顔を強ばらせたが、趙雲の、
「ここならば、どうしても人と肩が触れ合う。避けようとすると、先に進めなくなる。最初は回りに注意しながら歩け。徐々に、人に不意に触れられることに慣らしていけばよいだろう。動けなくなったら、引っ張ってやるから、安心しろ」
との提案をうけ、おとなしく従うことにした。
しかし、普通に人の中にいると、緊張が先に立ってしまう。
そこで、昔話をして、気を紛らせることにしたのだ。
「おまえ、なにかしただろう」
「なにかしたか、とは、含みのある言葉だな。わたしはそれほど腹黒か?」
「いいや、腹黒とは思わぬが、しかし、そこで講師を名残惜しく見送るような性質でもあるまい」
「確かにそうだが、わたしのしたことなんぞ、大したことではないぞ。徐庶の剣を借りてだな、衣裳もそっくりなものを用意して、例の男の宿の前で、笠を目深にかぶって立っていただけだ」
「病気の原因は、それだ」
「なぜだ。心に疚しさがなければ、誰が宿の前に立っていようと、関係ないではないか
。わたしはあくまで、立っていただけだからな」
「ひたすら立っていた、おまえの根気にも呆れるが、しかし徐元直殿は、聞けば聞くほどに惜しい方であったな。我らの元に留まっておられたなら、どれだけ心強い味方であっただろう」
「まったくだよ。いまでも手紙のやりとりをするが、徐兄の魏での地位を知っているか。下士と変わらぬ扱いだという。徐兄とともに曹操のもとに降った石広元のほうが、位が上だというのだ」
そのことに及ぶと、孔明の足は早くなり、人ごみを、まるで弾き飛ばすような勢いになった。
元気ではないかと呆れつつ、それを抑えるようにして、隣に並びながら、趙雲は尋ねる。
「徐元直殿の扱いが悪いのは、原因は、わが主公にお仕えしていたからか」
その言葉に、孔明は、顔の険をとき、趙雲をちらりと見た。
「今日はずいぶん気を遣ってくれるのだな、うれしいけれど。徐兄が不遇をかこっているのは、わたしといまだに手紙のやりとりを止めないからだ。わたしの手紙は、ときに横から奪われて、検閲にかけられているときもあるようだ。だから、互いにしかわからないような文言を含めて書いているのだが、それが曹操の気に入らないらしい。
以前に、しばらく手紙のやりとりは止めるべきではないかと書いたのだが、徐兄は、気にせずよこせ、俺を、退屈なあまり悶死させるつもりか、と書いて寄越してきた」
趙雲は、新野にいたときの徐庶のことを思い返していたが、そんなにいろいろ愉快な男だったかな、と考えていた。
徐庶には好感をもっていたし、向こうも、趙雲を使い勝手の良い武将ととらえて、いろいろ仕事を与えていてくれたが、軍師と武将という以上に、親交を深める暇がなかった。
龐統もそういうところがあったが、司馬徳操の門下生は、こぞって人見知りがはげしい性質なのかもしれない。
もうすこし時間があれば、徐庶もまた、趙雲にとって、良き友になったのかもしれなかった。
「おまえは、どんな手紙を送っているんだ?」
「蜀の内情なんてものは書けないし、いまさら天下の趨勢を語っても仕方ないだろう。敵味方に分かれているから、かえって互いの国情はよく見えている。
だから、かつての新野の面々の出来事かな。張飛にまた子供が増えたとか、関羽の馬を殖やそうと、主公が自分の馬とのお見合いを申し込んだら、手ひどく断られたとか」
「俺のことは?」
「糜家の孫が結婚したとか、孫乾殿が、ぎっくり腰を鍼で治そうとしているとか」
「俺のことは、おまえ、なにかろくでもないことを書いているだろう?」
「何を言う、いちばん贔屓にして書いているのに、ひどい疑いようだな」
「曹操を怒らせる手紙だぞ。疑うのも当たり前だ」
「曹操が何に対して怒ったのかは知らぬよ。気難しい男だから、わたしたちが想像するのとは、まったく違うところで、腹を立てたのかも知れないしね。ともかく、徐兄は、曹操が死ぬまで駄目だ。魏では芽が出ない」
「張飛は、元直殿は、主公に忠節を尽くして、魏では働かないと決めた男だ、と褒めちぎっていたが」
すると、孔明は声を立てて笑った。
「それはちがうよ。徐兄は、そんなふうに力を封じ込める人ではない。すくなくとも、官位を拝領しているのだ。官僚とは、民のために働く者だろう。官僚が働かなかったら、困るのは上役でも同僚でもなく、民だ。徐兄は民を見捨てる真似はせぬ」
「そうか、そういうものかな」
「なるほど、さすが軍師が兄事されるお方。奥が深い方なのでございますね」
「そうそう、彼のお陰で、わたしの人に対する考えはずいぶん広がったのだ、って、いつから一緒に横に並んでいた、文偉」
問われて、文偉は、はもはもと、屋台で買った家鴨の足の照り焼きを、噛みくだしながら答えた。
「軍師が、宿屋の門に立っていたあたりから。いやはや、軍師が友情に厚いお方であったとは、費文偉、感動いたしました」
うんうん、と一人合点する文偉に、孔明はむっとし、趙雲は迷惑そうな顔を隠さないが、文偉はそしらぬ顔で、手にしてた家鴨の足を、ふたりに一本づつ分けた。
「わたくしのことは気にせず、お話のつづきをどうぞ」
「どうぞ、って、聞き耳をたてている者がいると判っているのに、ぺらぺらと喋る気にはなれぬよ」
「面白い話でしたのに。それでは、最初からもう一度」
「繰り返す気にもならぬ」
「文偉、おまえは仕事はどうした」
と、趙雲がしばし歩調をゆるめて尋ねると、あわてて文偉は、孔明より一歩うしろに性って、声をひそめる。
「いけませぬ、趙将軍。八尺の上背をもつ貴方様二人が並んで歩いてこその人の盾。どちらかがずれてしまったら、向こうから、わたくしの姿が見えてしまいましょう。
ささ、気にせず、家鴨の足の照り焼きを召し上がれ。ここの屋台は皮がおいしい。ぱりぱりしておりますぞ」
文偉の言う屋台を、孔明が振り返ると、跳ねたタレで袖を黒く汚している、髯面の職人が、せっせと家鴨の足を焼いている。
客足も絶えないようであるが、孔明が眉をひそめたことには、家鴨肉に、ぶんぶんと蠅がたかっていたことである。
衛生面におおいに不安アリ。食べられるものなのか。
てかてかと黒光りする家鴨の足を前にして、孔明がためらっていると、すでに一本目をぺろりとたいらげていた趙雲が、いらないのならよこせ、といって、孔明の分まで食べてしまった。
「ところで、向こうから、とは、なんのことだ」
趙雲が尋ねると、文偉は、ふたたび人ごみのなかを、きょろきょろしながら、並んで歩く。
「わたくしとて、仕事を好きでサボっているのではないのですよ。休昭がいないからつまらないとか、そういった理由でもありませぬ。実はほれ、前に歩く、深緑色の衣に臙脂色の帯をした男がおりますでしょう」
見れば、たしかに深緑と臙脂とで衣裳を揃えた、文偉よりすこし年上の男が歩いている。
「最近、われらの部署に配属されてまいりました、周憲明という物でございます」
「官僚なのか? なれば、なぜ幅巾なんぞ被っておる」
幅巾は、隠者のかぶる帽子である。
「休昭がいたならば、あの男も、こんな妙な真似をすることを、思いとどまったことでございましょうが、実は周憲明、師の仇を追っているのだとか」
「仇討ちとな?」
気づかれないように、孔明が、たまに横を向く周憲明の視線を追えば、それはたしかに市を覗いているもののそれではなく、人ごみの中に、何者かを追っている目線なのであった。
「あの男の師が、土地をめぐる争いに巻き込まれ、命を落としたとかで、その仇を探して、成都まではるばるやってきたそうです。いま、われらが宮城に納められる商品の出入庫を管理しているのはご存知でございましょう?
仇というのは、商人の用心棒を生業にする男だそうで、我らの部署は、商人とも直接やりとりをすることもございますから、男を捜すために、志願して配属してもらったのだとか」
「なるほど、かなりの怨みがあるのだな」
趙雲は合点するが、孔明は、なにやら顔を曇らせる。
「仇討ちか…して、文偉、おまえの役目はなんだ」
「思いますに、復讐は無益なことでございます。仇を討ったところで、報われるのは、周の払った努力だけ。死者が生き返ることはございませぬ。それに、軍師が法科において、私的な報復は今後、これを許さぬと規定しておられましたな。
つまり、あの男は仇討ちを果たしたところで、罪人となってしまうのです。ですから、それを止めようと、こうしてあとをつけているのでございます」
と、文偉は、家鴨の肉を、うまそうにしゃぶりながら言った。
あまり緊迫感の感じられないのは、文偉のきわめて冷静な態度と、その根本にある、合理的な発想のゆえである。
いま焦ってじたばたしたところで、男の決意は翻すことはできないと、わかっているから、あわてないのだ。
「休昭が、宋珪麗どのの夫探しから帰っていたなら、こんな面倒にはならなかったでしょう。なぜだか周は、休昭と気が合っておりましたから。休昭が目を子犬のように潤ませて、復讐なんて止めてと縋れば、あの男も考えを変えたでしょうに」
「あれは年上にかわいがられる男だな。ふむ」
と、孔明は、周の、事情を知ればなるほど、どこか緊迫感の感じられる背中を見て、趙雲に声をかけた。
「子龍、あの男をこのまま尾行しよう」
「お節介な。おまえがいますぐ出て行って、諭せば済むことだろう」
「いいや」
と、これは、文偉と孔明が、同時に首を振った。
「優れた武人であるあなたには、われら文人の粘着力のある思念というのは、理解できぬかもしれぬな。仇討ちをしても、死者は生き返らない、などという単純な論法では、あの男の決意は変わるまい」
「なぜわかる」
「わたしがもし、周と同じ立場になったなら、単純な言葉による説得では動かないと思う。おまえもそう思うから、尾行などしているのだろう、文偉」
「左様でございます。師の恨みを晴らす、ということだけではなく、周にとって、仇討ちそのものより、自分のいままでの苦労を、いかに昇華するかのほうが重くなっていると見ました。
ですから、いかに言葉を尽くして説得しても、かえって逆効果。むしろ、休昭のように、とことん情に訴えるほうが、あの男には効き目がございましょう。しかし、わたしでは、どうも説得力がないようでして」
「ではどうするのだ?」
「すこし考えがある。文偉、周の仇討ちにいたる経緯と、普段の様子を聞かせてくれ」
「承りました」
と、文偉はかしこまり、雑踏を歩きながら、孔明は、周憲明なる若者の、仇討ちの話に耳を傾けた。
とある山奥の村。
村中のひとびとの、『この二人はなんだべ』という怪訝そうな目線を一身にあつめる、若者が二人。
蒋公琰と董休昭のふたりである。
山を三つも四つも踏破し、この山深い村にやってきたのだ。
これほど不便な場所に、最初に住み着こうと思った人間の、その発想がよくわからない。
空気は薄いし、交易もほとんどできないし、娯楽もなんにもない。
だいたい、村の風俗や人種からして、もう漢族とはかけ離れている。言葉だって、まるでちがう。漢語が通じる人間が、村の中に一人いれば、万々歳、という状態だ。
「あ、あそで日向ぼっこをしている、いかにも『生き字引』っぽい空気を醸し出している、ありえない皺を身体に刻んだ、いかにも賢者ふうのご老体に話を聞いてはどうか?」
と、大きな荷物を背負った休昭が足を伸ばそうとすると、公琰がそれを止めた。
「意味のないことに体力を使うな! この村ではもう情報は引き出した。宋珪麗どのの夫という男、ここからもっと奥の村にいるとわかったのだ」
「でも、なにかの間違いで、意外と近場にいるかもしれないし」
「たわけ、これはRPGではない! 村人から、片っ端から情報を集めないとフラグが立たない進行ではないのだ、目を覚ませ! まったくA型だろう、おまえ」
「なにソレ、RPGとか、フラグとか……あ、そうか、これ、おばか企画だった」
「軍師と趙将軍のあれやこれやで、なんだか忘れられがちではあったが、おばか企画なのだよ。というか、我らがウッカリしているあいだに、なぜだかこのHPはどうぶつと、仏蘭西の小娘に占拠されており、我らの出番はどこへやら! そのうえ、我らをすっ飛ばして、姜維が活躍しているのは、なぜですか! ここは声を大にして訴えたい!」
休昭は、めずらしく激昂している公琰を、どうどうと抑える。
「お静かに、公琰殿。山間の村に木霊がひびきまくって、かなりいい塩梅に、村人に騒音被害が広がっています!」
「なにを言うか、おまえももっと気張らねばならんぞ! なぜに我らに『ずんだGAME』での出番がないのか! 姜維ばっかり、なぜなに、どうして! 羅貫中の呪詛? そういうわけなの?」
「うわあ、公琰殿が壊れている! これって高山病の一種? 文偉にSOSだ! って、なんだ、この表示! 『今シリアスモード突入中。携帯は持っていないことになってます』って! おばか企画でシリアスするほうが、どうかしていると思う!」
「休昭、こうなれば、われら二人で盛り上がるしかあるまい。さあ、あの山を越えるぞ!」
「って、なんだかチョモランマ越え決定? こんな軽装で、死にますよ」
「そこに山があるから登るのだ! いざ参らぬ!」
「やっぱり、まちがいなく高山病で幻に悩まされているよ、この人! 生きて成都に帰りたい…いやいや、珪麗どのの夫の消息をつかむまでは、帰れぬ。
ああ、なんとも健気なわが性格が、この際、とっても厄介でならぬ。どうして適当に嘘を作って、切り上げる、ということができないのかな、わたしは…」
こうして、休昭は、決意を秘めた顔に、なぜだか涙をこぼしつつ、万年雪を冠する世界最高峰の山へと挑むのであった…
※ なんだか叫んでいる蒋琬と休昭はさておき、徐庶が出世をするのは黄初元年より。つまり、曹操が死んでからで、これは彼らが孔明と繋がりがあったことや、劉備に仕えていたことが無関係ではないでしょう。
代替わりして、はじめて過去のことが無効化した、といいましょうか…
さてはて、シリアスモードとおばか状態が混然としたまま、次回につづきます…