説教将軍シリーズ(?)
うつせみ
1
※このお話は、『説教将軍シリーズ(?)からふる。』の続編であります。時代考証は筆者宅のそうじきに誤まって吸い込まれてしまい、そのまま燃えるゴミの日に出されてしまったようです。あらかじめご了承くださいm(__)m)
庭木の色づきが見事であるから、身内の酒宴を開くので、ぜひいらせられたし、という話ではあったが、本当に張飛が見せたいものとは、庭の木なんぞではなく、家族であろうということは、たやすく想像がついた。
荒くれもの、乱暴者という印象のつよい張飛であるが、家庭ではよい父親で、実際のところ、かなりの愛妻家なのである。
この妻、というのが夏侯家の娘で、十三になったとき、外で遊んでいたところを張飛に見初められ、美しい言葉で表現しようもないのだが、要するに拉致された。
そして少女が夏侯氏の娘だと知ると(知らなかったのであるから、一切を勘で動かす男の、強烈な一目惚れだったのだろう。劉備と義兄弟となったときも、そうであった)、名家の名に弱い張飛が、そのまま妻にしたのである。
なれそめはともかく、張飛は妾も作らずに、この幼い妻を大切にし、二人の間には三男二女が生まれていた。
張飛は、ことあるごとに、妻と子供を人に自慢したがる。
今回の酒宴もまさにそれで、宴とはいえ、子供たちの成長を見せるのが目的であるから、招かれた客は、誉めるしかない歌を聞き、演武を鑑賞し、愛想笑いを精一杯浮かべるしかない。
特に独身者には、つらい宴である。
それでも、張飛は劉備の義弟であるから、顔を出さないわけにはいかない。
孔明は、外出するのが億劫でたまらなかったが、仕方なく、重い腰を上げることにした。
行きたくなくて仕方ないのであるが、もしもここで行かなければ、張飛はムクレてしまうことであろう。ただでさえ、最近、張飛は孔明のことを面白く思っていない、という話が聞こえてきている。
原因は劉巴である。
蜀に入ったばかりのころ、張飛は張り切っていた。
関羽のように勉強をして、文官とも仲良くしようと考えた張飛は、まずは名士の家に回ろうと考えた。
劉備の義弟であり、しかし素行の評判が悪い男というので、たいがいでは恐れられ、かえって待遇がよかったのであるが、劉巴のところに泊まりに行ったところで、問題が起こった。
張飛を迎えた劉巴の態度は、けんもほろろで、まともに顔をあわせようとすらしなかった。ひとつ同じ屋根で一晩を過ごしながらも、まったく無視された形となった張飛は怒り狂って帰宅した。当然ではある。
これを聞いた劉備も、我が弟になんたる無礼なと腹を立てた。
実はこの劉巴、劉備が入蜀する際に反対をしていた家臣の中心人物であった。劉備の周囲の過激な者のなかには、劉巴を殺してしまえという声もあったのだが、荊州でその名を知らぬほどの有名人を殺すに偲び難く、わざわざ劉巴とその一族には手を出してはならぬとお触れをだして助けてやったのである。
その恩を忘れて、仇で返した、と劉備は怒ったのだ。
孔明は、以前より劉巴と親交があったから、これはいかんと、劉巴をたしなめに向かった。
すると、劉巴はこんなことを言ったのである。
「たとえ相手が誰であれ、わたしは主公にお仕えするに当たり、だれの味方でもなく、主公のみにお仕えすることと決めたのだ。わたしがかつて曹公の家臣であったことで、みなは、わたしが裏切るのではと、疑っていることも知っている。
だからこそ、名を上げる為に名士である自分を利用しようとする者には、容赦をすることはできないのだ。まして、すこし仲良くしたというだけで、張将軍とわたしが、まるで友のように喧伝されるであろうことは想像が付く。だから、あえて無視をしたのである」
いささか頑なな態度ではあるが、孔明は、劉巴の態度を、むしろ立派だと思った。
張飛は劉備の義弟である。
蜀に入ってからの劉備の勢いは目覚しいものがあり、時勢に乗ろうとする者は、劉備とその義弟たちに取り入ろうと必死である。
みなが張飛に阿るなか、劉巴は、己を卑しめて取り入ろうとはしないし、己を利用しようとする者とは付き合わないと、はっきり筋を通したのだ。
後のことを考えれば、なかなか出来ることではない。
劉備を怒らせるであろうことを判っていて、あえてそうしたのだ。そして劉備に嫌われてもなお、劉備のみに仕えると言い切る、その態度は潔い。
孔明は、荊州にて劉備に仕える以前、劉巴に助けられたことがあり、以来、劉巴という男を尊敬しているのである。
だから、劉備が劉巴をきらっていることを知っていながら、孔明が何度も劉巴を高い地位にと推薦するので、今度は張飛が、軍師は、俺を無視した野郎の肩をもつのか、と怒っている、というわけである。
このようなややこしい状況の中にあって、さらに孔明の気を重たくしていることがひとつ。
張飛の屋敷には、おそらく呼ばれているだろうな、と思うと、孔明は思わず重いため息をつく。
たったひとつの冗談で、あんなに怒ることないではないか。
そして屋敷に出かけてみれば、予想通り、趙雲はいた。
気が重いままでは、酒も馳走も咽喉を通りはしないのだから、さっさと謝ってしまおうかと声をかけようとした孔明の前に、張飛がぬっと出迎えにあらわれた。
めずらしくこざっぱりした、それでいて上品な衣裳をまとった張飛であるが、なぜだか、笑顔がない。
うそをつけない男なので、はっきりと孔明が現われたことに、迷惑そうな、困ったような表情を浮かべているのがわかった。さらにそれがまちがいないことには、張家の家令と、ひそひそと、手違いがあった、と話し合っている
ここで常ならば、孔明はそれを笑いながら、では、わたくしはここで辞去いたしましょう、と言って、なるべく張飛たちに気を使わせないように出て行くこともできたのだが、趙雲のほうに気を取られていたので、とっさに口を出す機会を逸し、仕方ないという空気の中、宴席に通されることとなった。
張飛ばかりではなく、ほかの顔見知りたち、とくに劉備の古参の家臣たちが、なにやらこちらを見て、同じように、なぜ来たのだろう、とひそひそ言葉を交わしているのがわかった。
にぎやかで華やかな宴の中にあり、自分だけが場違いな闖入者のようである。
これは、江東に、同盟を結ぶために向かったときと、空気が似ている。
落ち着かないなか、なにより孔明を傷つけたことには、趙雲と、ふと目が合うが、不機嫌そうに目を逸らされ、無視されてしまったことである。
まるで、はじめて軍師として新野に招聘されたときに、逆戻りしたようではないか。
自分がなにかをしたのであろうかと考えるが、趙雲のことはわかるとしても、ほかの者たちが、困った顔をして、ちらちらと視線をこちらに向けてくる理由がわからない。
思い当たることはいくつかあるのだが、これは、孔明があちこちに口だの手だのを出しているからで、それのどれが誤解を受け、あるいは自分が思い違いをして、みなを怒らせているのかがわからないのである。
通された席も、座席からいえば、あまり上等ではないところで、さすがにこれには家人たちも恐縮したようであるが、見るからに招かれざる客というのがはっきりわかる場所で、孔明は気まずい時間をすごすこととなった。
孔明は、いまや、賑やかな宴のなかにあって、ひとりだけ通夜の弔問客のような顔をしている、辛気臭い客である。
孔明というのは、たしかに雰囲気は華やかなのであるが、それも本人が意識してそうなっている、ということであり、こうして打ち沈んでしまえば、もともとの容姿が整いすぎているのもあり、どうも他者から見れば、声を掛けづらい雰囲気を醸し出してしまう。
それゆえ、張飛の家の庭木の見事な枝ぶりや、その絶妙の色づきなどをながめながらも、親睦をたがいに深めている人々のなかにあり、孔明だけは、つくねんとしていた。
とりあえず、宴に顔を出したのだから、張飛の顔は立てたことになるだろう。
いたたまれない席に、長居は無用ではないか。
そう判断した孔明は、席を立つ頃合を計っていのたであるが、一方の張飛は、さすがに自分の態度がまずいと思ったのか、気遣いのあるところを見せて、孔明が一人でいるところへ、自分の次男坊を向かわせた。
この次男坊、名を紹といい、父親に似た、愛嬌のある素直な子供である。
紹は、人懐っこいところを見せ、孔明に酒瓶を持っていって、大人のように酌をしてびっくりさせてやろうと考えた。
だが、途中で、それではおもしろくない。もっと驚かせてやろうと思った。
以前にも、孔明にいたずらを仕掛けたことがあったが、孔明は怒らず、元気があってよいと、逆に笑って誉めてくれた。
孔明は、分別のついていない子供のいたずらには、優しいのである。
そこで、紹は、孔明が立ち上がったのを見計らって、物陰から、不意に現われて、その足元に抱きついて、驚かせてやろうとしたのだ。
紹の予想では、孔明は驚くものの、そのまま笑って、抱き上げてくれるだろう、というものだった(これまた、以前にほかの小父さんに試したらそうだったので)。
さて、孔明が立ち上がったので、紹は物陰から、ぴょんと飛び出した。
飛び出してきたものが子供だということは、目では理解していたが、その理解が感覚に追いつかなかった。
いや、感覚だけが先走って、暴走したのだ。
飛び出してきた子供が、そのまま自分に向かってきて、不意にその身体に触れようとしたのを理解したとき、孔明は咄嗟に子供を払いのけた。
そして、さらに激しい感情に突き動かされるようにして、そのまま手を挙げた。
払いのけられた子供が、唖然と孔明を見上げ、つぎに、孔明の顔に怒りを見て、顔をくしゃくしゃにして泣きかけた。
それを見ても、孔明は己を抑えることが出来なかった。
一瞬間、遅かったなら、孔明は、紹の頬を打つか、あるいはその頭に拳を落としていたにちがいない。
長く思われたが、ほんとうに一瞬のことであったろう。
孔明が、幼い子供に狼藉を働くその直前に、手が伸びてきて、地にぺたんと座り込んでいた子供を抱き上げた。
趙雲であった。
趙雲は、紹を抱き上げると、あやすように揺すって、あまり日ごろは浮かべない笑顔でもって、
「ずいぶん重くなったのだな、だいぶ背も伸びただろう」
などと話しかけ、子供が泣きそうになるのを止めた。
そして、孔明のほうをちらりと見ると、目で、ここはよいから、行け、と合図をしてくる。
孔明は、やはりこれも目で頷くと、二人に背を向ける形で、その場を去った。
張飛は、ほかの客の応対をしており、こちらを見ていない。
広大な庭につくられた舞台にて、招かれた舞姫が、舞を披露しはじめたのもあり、うまい具合に、だれも孔明と紹のほうを、よく見ていなかったようだ。
庭のほうから聞こえてくる、典雅な楽の音と、ひとびとの談笑から逃れるように、孔明は、張飛の屋敷の、だれもいない片隅の、木の下に蹲った。
ちょうど、低木が柵のようになっており、孔明の蹲る姿を隠してくれる。
鼓動が激しい。吐き気もする。
孔明は、深呼吸をくりかえしながら、冷や汗でじっとりと濡れている己の額を拭いた。
子供を殴るところだった。
樊城にて、叔父が刺客の手によって、剣で腹をえぐられて命を落とすのを目撃して以来、孔明は人に触れられるのが恐ろしい。
だが、その仇討ちも済み、自分の考えもさまざまに変わった。
信頼できる者も得て、すっかり克服したと思っていた。
だが、違っていた。まったく変わっていなかった。
自発的に人に触れることには問題がない。だが、人から触れられることに恐怖をおぼえる。触れようとされただけで、殴りつけてしまったことも何度かある。
それを知られるのが嫌で、突っ張った態度を取っていたこともあった。
紹に悪気はなかったにちがいない。
あの子にはあとでちゃんと謝るとして、紹を突き飛ばしたところを、誰かに見咎められていなかっただろうか。
子龍ならばいい、ちゃんとこちらの事情を把握しているから。
だれかに見られていて、それが張飛の耳に入ったら厄介なことになる。
そこまで考えて、孔明はため息をついた。
なんだ、保身のことが一番心配なのか、わたしは。
今日はきっと厄日にちがいない。
なにかの手違いで宴に招かれたうえ、自分の克服できたと思っていた弱点が、そうではなかったと知らされる。
それも、子供に手を挙げようとした、そうまでして己の身を守ろうとした浅ましさに、唖然とする。
頭痛がひどくなってきたので、額を押さえつつ、木陰で膝を抱えていると、がさりと小枝をかきわける音がして、足音が近づいてきた。
そして、孔明のそばでぴたりと止まる。
「落ち着いたか」
その声に険が含まれていないことに安堵しつつ、孔明は、まずは、謝らねばなるまいな、と思った。
「おい、大丈夫か」
孔明の反応が、珍しくにぶいのを見て、趙雲が屈んで、そばに立つのがわかった。
そして、顔を上げかけた孔明の顔を、ちょうど首筋に手を添えるような形で、自分のほうに向かせた。
久しぶりに至近距離で顔を見て、苛立ちや侮蔑はなく、本当に心配してくれていることを見て、孔明はほっとする。
同時に、自分の都合のいい誤解は、おそらくここから発せられたのだろうと思うと、身勝手ではあるが、複雑な気持ちにもなってくる。
「まだ怒っているのか」
と、孔明の顔色が渋いことと、黙ったままなのを見て、趙雲は、逆に不安そうに顔をしかめた。
あわてて孔明は答えた。
「そうではないよ。すまないな、口を利くのがむずかしい」
笑顔を作って見せるのであるが、頬が完全に固まって、まったく言うことをきかなかった。
声も不様に震えている。さすがにこんな姿は、ほかの誰にも見せられない。
自分が情けなくなって、思わず深いため息をつくと、趙雲が、熱はないかと言いながら、額に触れてきた。
その手は、酒をいくらか飲んでいたようなのに、ずいぶんひんやりと冷たくて、気持ちがよい。
その日の趙雲は、孔明からすれば、似合わない、妙に晴れやかな色彩の服を身にまとっていた。
主催の張飛が派手なのはわかるが、趙雲が、これほど気を遣ったとわかる衣裳を身につけているのは珍しい。
趙雲は、孔明の横で立ち膝になるが、庭土でせっかくの衣裳が汚れてしまう。
「子龍、わたしはもう大事無い。あなたは宴席に戻ったほうがいいだろう」
二人でいなくなったのだから、周りが気づくのが早くなるのではという計算からのことであったが、趙雲は、楽の音が流れてくるほうをちらりと見て、それから不思議と不機嫌に言った。
「戻る必要なんぞない」
「張将軍と喧嘩でもしたのか」
「違うが、そもそも呼ばれたのが間違いだし、のこのこ出かけてきた俺も、莫迦だ」
「どうもおかしいな。今日は、わたしの知らぬところで、なにかあったのか?」
「知らなくてよいことだ」
趙雲はきっぱりと言ってのける。
つまりは、なにかあった、というわけである。
張飛ら古参の家臣が、孔明には知らせたくなかった『なにか』?
かれらの表情からして、あまりよいものではないことは、察しがつくのだが。
趙雲が、それ以上の追及を拒んでいる空気を全身から醸し出しているため、孔明は黙るしかほかなかった。
そのうちに、もしかしたらわかるかもしれない。
「顔がまだ蒼いな」
血の気のない頬を、手の甲で軽く触れられるのを、されるがままになりながら、孔明は小さくため息をついた。
「こんなふうに触れられる限りは、特に恐ろしさはないのに」
「叔父君のことか」
「治ったと思っていたよ。だが、思っていただけだったのだな。自分から触れることは問題ないのだが、人から不意に触れられると駄目だ」
「みな酔っていたし、ちょうど木が隠していた。だれも見ていない」
「そうか」
それは良かった、と素直に思うものの、口に出すのは憚られた。
とはいえ、趙雲のことだから、こちらが何をいちばんに気にしたか、すぐに読み取ったことだろう。
取ってつけたような形になることを恥じながら、孔明はつづけた。
「あの子に、あとで謝らねば」
しかし、意外にも、趙雲は反論をゆるさぬ口調で、はっきりと言った。
「いいや、なにも言うな。謝ったところで、子供にはなんのことだか判らなかったであろうし、わけのわからぬなかで謝られても、かえって怪訝に思って、そのつもりはなくても、大人に言いふらす格好になってしまう危険がある。
子供には、ほかの形で謝罪をするがいい。人には迂闊に弱点などさらすな。特におまえは敵が多いからな。なにを利用されるかわからぬ」
その言葉に、孔明は悲しさと嬉しさとが入り混じった、複雑な感情に襲われた。
気難しく顔をしかめた孔明をどう思ったか、趙雲は、いくぶん口調をやわらげて、付け加えた。
「冷たいことをと思うかもしれぬが、守れ」
「冷たいとは思わないよ。むしろ、すまないな。わたしのために、いやな気を遣わせてしまう」
「いやだとは思わない。おまえは思うのか」
「思う」
すると、趙雲は、気弱そうな顔を一瞬見せて、それから、ふいと顔をそらすと、宴席のほうに向いた。孔明は、膝を抱えつつ、趙雲を見る。
「今日は、みなおかしいが、あなたが特におかしいかもしれない」
「否定はしない」
それから互いに言葉が途切れ、しばらくは、庭のほうから聞こえてくる楽の音と、空気に響く拍子の心地よい音、それから、客をもてなすために、屋敷で忙しく働いている家人たちが、廊下をせわしなく行きかう廊下の足音などを耳にしながら、ただ、漫然と時を過ごした。
「ありがとう」
不意に孔明が口を開いたので、趙雲はおどろいたようだった。
むしろ怪訝そうに、こちらを見てくる。
ようやく頬のこわばりが解け、笑顔を浮かべることができた孔明は、その顔を眺めつつ、言った。
「例の見合いの朝に、どちらが冷たいか、という話をしただろう。あれは、やはりわたしのほうが冷たいよ」
「なぜ」
「わたしはみなに優しくできる人間だと思われているが、結局は、人に優しくされたいからそう振る舞っているのであって、要するに見返りを求めているのだ。それは優しいと言えるだろうか。だが、あなたはわたしに見返りはまったく求めてないのに、優しいからな」
「おまえは時々奇妙な論理を開発するな。俺が見返りを求めてないなど、どうして言い切れる」
「わたしに怒っていたくせに、いざとなると助けてくれたからだ」
「おまえが逆の立場だったら、やはり同じことをしないか? 少なくとも、俺の知っている諸葛亮というのは、そもそも見返りなんてものを、誰に対しても求めていない人間だ。
本当に、自分が見返りだか、評判だかを気にして動いているか、ちゃんと考えてみろ。でないと、自分が気の毒だろうに」
「ほら、それだ」
「どれだ」
「わたしを励ますのが天才的にうまい。誉めるのは、意外に技術でなんとかなるが、励ます場合は、言葉をまちがえると相手をかえって落ち込ませる。つまり、相手をよく見ていなければできない。本当の気遣いと優しさがなければ、励ますなんて、できないのだよ。
あなたはね、わたしという人間を良く見てくれていて、困っていると、それはもう、呆然とするくらいに的確な言葉をくれるのだ。それが、単なる技術による反覆作業ではない、というのがわかるから、わたしも嬉しくなってしまうのだけれどね、わたしにはそういうことはできない。誉めるのはうまいが、励ますのはうまくない」
「俺に、そんなことを言うのも、おまえだけだな。ほかの連中は、俺が優しいなんぞ思ったりしない。それに、いまの言葉だって、立派な励ましではないのか」
趙雲の言葉に、孔明は小首をかしげて尋ねてきた。
「なんだ、落ち込んでいたのか」
「ちょっとな」
ここで、なにが、と聞くような孔明ではない。
趙雲が言葉をぼかしているのを察して、ただ相槌を打つだけにとどめた。
それを見て、趙雲は目を細める。
「おまえは俺を過大評価しすぎている。どちらのほうが冷たいかと問えば、やはり俺のほうだろう」
そんなことはないのに、と孔明が首を傾げ続けていると、趙雲はやれやれといった顔をして、中腰になって、孔明に手を差し伸べてきた。
「宴席に戻るのか」
「俺の言葉がいくらかでも励ましになったのなら、礼の代わりにすこし付き合ってくれ」
「構わぬが、ここを出るのか」
「お互いに義理は果たしただろう」
「行くにしても、どこへ」
それには答えず、趙雲は、孔明を起き上がらせると、盛り上がる宴席のなかのどさくさに紛れる形で、すっかり酔って前後不覚になっている張飛をつかまえた。
さらに、あとは年季で磨かれた技術でもって、だれにも引き止められないよう、すばやく挨拶すると、屋敷を出た。
イライラする。
仕事が手に付かないほどであったから、偉度が、気晴らしに、左将軍府の外に出て、空に浮かぶ雲なんぞを眺めていると、門の向こうから、陳到の娘の銀輪が、いつもながら元気よく、大きく手を振っているのが見えた。
左将軍府の人間は、たいがいが孔明寄りの人間で、当然のことながら、孔明と親しい武将とも親交がある。
ゆえに、趙雲の部下である陳到の娘の銀輪を知る者は多い。
とはいえ、規律厳守な左将軍府においては、いくら顔見知りの娘であろうと、簡単に中には入れない。
そこで、偉度のほうが銀輪のもとへ行く形となった。
偉度が近づいてくるなり、銀輪は意気込んで尋ねてきた。
「ねえねえ、キューちゃんがお嫁さん探しに行ったっていう話、ほんとう?」
「キューちゃんって、キュウリの? それともお化けの? でなければアレか、マラソンの」
「ちがうよぉ、キューちゃんって言ったら、董休昭でキューちゃんだよ」
「おまえ、あいつとも知り合いなのか?」
偉度がおどろいて尋ねると、かえって銀輪は驚いたようだった。
「偉度っち知らないの? キューちゃん、笛がとっても上手だから、たまに吹奏楽部の指導で顔を出しに来ているんだよ。優しいから、人気者なんだから」
「知らなかったな。でも、おかしくはないか。あいつ、結構社交性あるからな」
「でね、学校で、ちょー噂になっていて、たしかめてきて、って頼まれたの。本当にお嫁さんを探しに行ったのかな?」
好奇心に目をきらきらと輝かせ、自分を見上げる銀輪を見て、ああ、やはりこれも陳叔至の娘だなと思いつつ、偉度は答えた。
「お嫁さんを探しに行ったんじゃない。正確には、お嫁さんのお婿さんを探しに行ったんだ」
「どゆこと?」
「いいか、これから話すことは、学校で言うんじゃないぞ。つまりだ」
と、偉度は、『目黒の雅叙園』で行われた、見合いの一部始終を銀輪に話して聞かせた。
「えー? 軍師と趙将軍、喧嘩したの? 大人げなーい」
「いや、注目するのはそこじゃない…というか、もちろんそれも気になるが、というか、わたしのイライラの原因はそれだが、ともかく、ここでの話題は、まずは休昭だろ」
すると、銀輪は、ランドセルから、可愛らしいセロファンに包まれている不恰好な飴を取り出した。
「たららたったたー! イライラのおさまらないあなたに、生薬入り・銀輪特製 やすらぎドロップ!」
みれば、水あめの固まったキャンディーのなかには、なにかの植物を砕いたものが混ぜられている。
食えるのか、といつもの如く悪態とつきながらキャンディーを受け取った偉度であるが、口にしてみれば、ほどよく甘く、不思議と気持ちが落ち着いてくる。
このFカップ小学生、たしかに菓子作りの腕にかけては天才的なものがある。
偉度のとなりで、銀輪は、自分のキャンディーで頬を膨らませつつ、腕を組んだ。
「うーん、キューちゃんもびっくりだなぁ。年上属性だったのかぁ」
「属性とかいうな。というわけで、本人は真実を見極める旅のつもりらしいが、実際のところは、おおいなる失恋ロードだ」
「そんなのわかんないじゃん。でも困ったなぁ」
「なにを困る必要があるのだよ」
「だってさー、吹奏楽部の子で、キューちゃんのこと好きな子がいてさー、その子になんて言おうかなぁ。銀、噂聞いた時、その子に、そんなの嘘だよ、って言い切っちゃったのね」
「ばぁか、噂を肯定するのも否定するのも、ソースをきっちり確かめるのは基本だぞ。というか、休昭、年下にはモテるのだな」
「困ったなぁ。ねえ、どうやったら年下は年上になれると思う?」
「どうもこうも、物理的に無理だろうが」
「だよねぇ。困ったなぁ」
銀輪が、しょんぼりと、困った、困ったと繰り返すので、偉度はめずらしいことに、黙っていられなくなり、言った。
「困ることもないだろう。たしかに休昭が年上の見合い相手のために、旅に出ているのは本当だが、よしんばうまく見合い相手の夫の消息を掴んできたところで、相手の気持ちが休昭に向くかどうかは疑問だぞ。
第一、見合いは、相手の女がとりあえず断った、という形にはなっているが、そもそもの見合い相手は、軍師なのだからな。
休昭が頑張ったとしても、相手の女が、年下の休昭に振り向くかどうかの可能性は低いと思う。喩えは悪いが、龍のあとに、トカゲを見るようなものだ」
「キューちゃんは、とかげかぁ。うーん、そうだね、まだ決まったわけじゃないし。ところで、いつごろ帰ってくるのかな?」
「わからんが、しばらく先だろう。いまは、かなり僻地にいることはまちがいない。今回は、旅慣れている蒋公琰が同行しているから、まず問題はないと思うが、最後に来たメールはこれだ」
といって、偉度は携帯を開くと、休昭からやってきたメールを、銀輪に見せた。
『なんだか電波が届かないようで、みんなが心配してくれているようですが、生きています。
でもこういうときのために、伝書鳩を飼っておけばよかったなぁと思いました。
明日は二合目でキャンプです』
「キューちゃん、何処に行っているの?」
「どうも、見合い相手の夫という男、ずいぶん気持ちの切り換えの早い男だったらしくてな、中原で一旗挙げるのが目的だったはずなのに、いつのまにか心が変わって、山賊に転身したのだが、その後、仙人にコテンパンにやっつけられて改心し、神仙道に魅せられて、山に籠もったらしいのだよ」
「……どういう人?」
「要するにアレだ、一昔前に流行った、自分探しの旅に出て、かえって世間という名の迷路に嵌まって抜け出せなくなったパターン」
「宋珪麗さんだっけ? お見合い相手。なんだかカワイソだね」
「龍のあとにトカゲを見ても、そのさらに次に現れたのがミジンコだったりしたら、トカゲのほうが良く見えることもありうるな」
「えー、それじゃ、やっぱり銀がウソツキになっちゃうじゃん。困ったなぁ。いまのうちに謝っちゃおうかなぁ。ねえねえ、偉度っち、偉度っちも一緒に謝ってよ」
不意に、銀輪に手を掴まれ、その柔らかくも温かい手の感触で、偉度は我に返った。
なにをしている、すっかり銀輪のパターンだ。こっちはこっちで、それどころではないというのに。
偉度は、銀輪の手を振り払うと、言った。
「やだよ」
「冷たーい。友達なのにー!」
「なんでもかんでも寄りかかりあうのが、友達じゃないだろ。それに、わたしは元から冷たいのだ。仕事中だからな、もう行くぞ」
「うわー、ホントに冷たいよ。銀がたった一人の友達の癖にー!」
銀輪の言葉は、手裏剣のごとく、偉度の心にぐさりと来た。こんなヤツ、もう知らん。
「おまえ、本当にずばりはっきり過ぎ! ともかく、わたしは関係ないからな!」
偉度っちのばかー! 若禿げになっちゃえー! との罵倒の声を背に、偉度は左将軍府へと戻って行った。
※ さて、趙雲や偉度、そして孔明を迎えた人々の様子のおかしい理由とは? まだまだ引っ張るこのシリーズ、納豆の糸のごとく、まだつづきます…
お楽しみに?