説教将軍シリーズ(?)
反抗したがる子供たち
※このお話は、『説教将軍シリーズ(?)にげろ! たいやきくん』の続編であります。時代考証はブラックホールの深淵のなかに吸い込まれてしまいました。あらかじめご了承くださいm(__)m)
偉度が、河原の薄のキツネの尾のような白い穂先が風に揺れるのを愛でながら、ゆっくりと馬を走らせていると、前方より、子供たちのにぎやかな声がする。
夕暮れ時の子供の声は、ふしぎと郷愁をかきたてる。
とはいえ、偉度にとっての子供時代は、ひとよりずっと短かったから、郷愁は、つねに苦い痛みとともに訪れるものであった。
どこのわらべであろうかと目を向ければ、なにやら様子がおかしい。
道をゆくひとりの少女を、後ろから、男の子たちが、道すがら、石を拾っては投げつけているのである。
背中を丸めた少女に当たる石つぶてが地面に落ちると、それをまた拾い、囃子たてているのだ。
子供は純真無垢で、残酷で無知。
だから嫌いなのだ、と思いつつ、馬で蹴飛ばしてやろうかと、すこしずつ近づいていくと、茜空の下、石つぶてを我慢している少女の背中に、なにやら見覚えが。
そして、少年たちは、石を投げながら言うのであった。
「やーい銀の親父の成り上がり! 俸禄どろぼう!」
「おまえの父ちゃん、仕事しないんだってな!」
「俸禄どろぼう、成り上がり!」
蜀の家臣で、成り上がりではない人間のほうを数えるほうがむずかしい。
偉度は、石に投げるのに夢中になっている少年たちの後ろで、しずかに馬を降り、自身も石を拾うと、ひとつも外さず、少年たちの頭に投げつけた。
とたん、子供たちは振り返る。
同時に、石を投げられていた少女も、おどろいて振り返り、夕暮れを背景に、すっくと立っている偉度の姿を見て、ぱっと顔を輝かせた。
「偉度っち!」
「偉度っちと呼ぶな、って言っただろうが。威厳もへったくれもありゃしない」
文句を言う偉度に向かって、少年たちは、たじろぐどころか、根性の悪そうな顔をならべて、風を切って迫ってくる。
「なんだよ、おまえ! 俺たちに石なんて投げて!」
「すまないな。おまえたちがそうしているのを真似てみたのだ。当世では、そういう挨拶が流行っているのかと」
なんだかあのひとっぽい台詞だが、と自分で自分のことばに照れつつ、偉度が言うと、少年たちは、やくざ者のように凄んできた。
「あのさぁ、俺たちがだれか知ってるの? 俺たちの親父は、天下の典軍を率いる将軍なのだぜ?」
と、少年たちは、口々に、父親だの親戚だのの名前を名乗るが、そのどれも、偉度とは面識のない名ばかりであった。
つまりは、孔明に近しくなく、なおかつ荊州人士とも遠い連中、というわけだ。
「ぜんぜん知らない。聞いたこともない」
「へん、田舎者! 俺たちの親父は、荊州にいるときから、主公にお仕えしていたのだぞ!」
「本当かあ?」
おおいに怪しんで尋ねると、少年たちは、顔を膨らませて反駁した。
「そうだ! 知らないなんて、モグリだぞ! 俺たちの親父の大将は、張飛さまなんだからな!」
「嗚呼、なるほどな。どうりで柄が悪いと」
「あっ! 言ったな! 主公の義弟の悪口を言ったな! 親父に言いつけてやる! おまえ、名を名乗れ!」
「是非に言いつけてくれ。わたしの名は胡偉度。軍師将軍諸葛孔明の主簿だ」
それまで、数が多いということもあり、なおかつ子供なので、偉度が本気を出していないせいで、やたらと威勢のよかった子供たちが、ぴたりと止まった。
「へ?」
「親父たちに言いつけるのだろう? 好きにすればいい。その代わり、わたしも、おまえが陳叔至さまのご息女に、みなで石を投げていじめていたことを軍師将軍に申し上げる」
「えっ」
「軍師はいじめとか、大嫌いだからなー、被害者の経験があるだけに。怒るだろうなー、洒落にならないほど怒るだろうなー。いまから目に浮かぶなー。連座でおまえたちが白い衣を纏って、刑場に連れて行かれる姿が」
「刑場!」
「そうとも。でもおまえたちも、言いつけるのだろう? 張将軍に、胡偉度に石を投げられたと言いつければよい。決めた処罰はかならず実行する諸葛孔明の主簿が、女の子に石を投げているところを、邪魔したと」
「そんなこと」
「おお、そうだ。親父殿にもお伝えせよ。戦場では、矢が前から飛んでくるとは限らない。後ろから飛んできた矢で命を落とした将も、ふしぎと多いそうな。せいぜい背後に気をつけられよと、孔明の主簿の偉度が、言っていた、とな」
最後の言葉が強烈に利いたらしく、子供たちは、「鬼が出たー!」と叫びながら夕暮れの向こう側へと駆け去って行った。
とたん、銀輪が無邪気に、ぱちぱちと手を叩く。
「すごーい、偉度っち。子供にも容赦なーい!」
「ああいう輩は、早いうちから挫折ってものを教えとかないといけないのさ。これで上には上がいる、ということが判っただろう」」
「偉度っちの、普通の大人なら理性が邪魔してやらないようなこと、平気でやっちゃうところ、すごく好きー。大人は子供に石を投げないよねー」
「誉めてるか、それ?」
「もー、チョー助かっちゃったー。あいつら、しつこくってー」
と、銀輪は、石が当たったために汚れた衣の部分を、ぱんぱんとはたいた。
「おまえが黙って耐えているなんて珍しいな」
「銀は男の子と喧嘩しないよ。だって、可哀相じゃん」
「可哀相? なぜ?」
「だってさ、あの子たち、銀のこと、好きなんだよ」
「は?」
「暇さえあればこっちチラチラ見て、そのくせ顔をあわせれば、パパの悪口を言って、こっちの気を引こうとかして、感情表現、ガキ過ぎー、チョー、うざーいって思って、困ってたの。これでもう近づいてこないよね。助かっちゃった」
「………………そう」
「あ、そうだ。これから偉度っちの家に行こうと思ってたんだよ。このあいだ、軍師がうちに来たんだけど」
それを聞いて、偉度はぎくりと身構える。
孔明が、なにやら良からぬ思い込みでもって、自分の主簿である偉度と、陳到の長女・銀輪を縁付けようと動いているのは知っていた。
知ってから、相手はまだ小学生なのだし、頼むから止めてくれと頭を下げたにもかかわらず、孔明はいつもの『まあまあ、任せておけ』と、偉度にとっては、いちばん不安をあおる言葉を残し、さっそく陳到の家に行ってしまったのであった。
陳到は、前々から偉度を敬遠しているので、自ら足を向けて、軍師の話はなかったことに、と切り出すのも難しく、かといって、堂々と出向けば、孔明の顔を潰してしまうしで、偉度は行動を取りかねていたのであった。
偉度が身構えたのを、瞬時に悟ったのか、銀輪は、この少女独特の、哲学者のように気難しく、眉根をきつくしかめる表情をつくると、偉度の真正面にまでに近づいて、顎を上げられるだけ上げて、尋ねた。
「ねえ、偉度っち。ドキドキする?」
「は? ドキドキ? するわけないだろう。小学生相手に」
照れでもなんでもなく、本気でそう答えると、銀輪は満足そうに笑って、ぽんぽんといたわるように偉度の腕を叩いた。
「よっし! 合格。友情続行だよ」
「そりゃどうも」
「もっと感動してよー。もし偉度っちが、ドキドキする、なーんて答えたら、絶交するつもりだったんだよー」
「厳しいな。なんでだよ」
「何でってー、だあって、銀は小学生じゃん。よくー、見た目は大人っぽいとか言われるし、頭もいいから、小学生じゃないみたい、って言われるけど、小学生じゃないみたいなだけであって、真実、小学生だし、小学生にドキドキするのなんてロリコンじゃん! そういう怖い勘違いするヒトとはお友達になれないもん。
銀はね、まだ子供でいたいから、軍師のお話も、ちゃんと断ったよ。ぜんぜんそんなつもりもないし、勝手に話を決めてもらっても困ります、って」
「自分でそう言ったのか?」
「パパ、当てにならないよ。銀と偉度っちの結婚の話が出たら、蟹みたいに泡吹いちゃってるんだもん。だめだーと思って、銀、ちゃんと自分で言ったんだよ。そしたら、軍師は『すみませんでした』って」
「軍師に頭を下げさせたのか…」
「しょうがないじゃん。銀ね、結婚する人はちゃんと大人になって、ブンベツもきちんとつくようになってから選ぶよ。世間もなーんも知らないで、周りに勧められるまま結婚なんて、イヤだもん」
「そういうこと言ってると、行かず後家になるぞ」
「それはそれでいいよぉ。相手がいなければいないで、一人で楽しく暮らせるように知恵をつけるもん。銀は、自分をよく見せるために勉強しているんじゃないもん。しっかり自立するために勉強してるんだよ。
相手にイゾンして、幸せにしてもらう、って考えってキライ。幸せにしてもらうんじゃなくて、幸せになるんだよ。自分がいい暮らしをするために、いい男を捕まえるなんてヘンだと思わない?
自分でいい暮らしをしようと努力をしなくちゃ、たとえいい男を捕まえても、ながーい人生の途中でお荷物扱いされて捨てられるか、でなくちゃ愛情もないまんま、惰性で共同生活、なんてなっちゃうもん。そんなの、ちっとも楽しくないよ。
だからね、偉度っちは、たぶん『いい男』なんだろうけど、銀はまだ結婚なんて考えてないから、友達なの」
「ああ、そうかい」
「だけどさぁ、偉度っちも、しっかりしなくちゃ」
と、銀は路傍の石を、ぽんと蹴って言った。
「偉度っちだって、ちゃんと自分で、相手を選ばないとだめだよ。とくに偉度っち、性格に問題があるんだからさー。見た目の大人しそうなところを信じて入っていくと、いきなり棘に刺されてびっくりする。それが偉度っちだよね。
お見合いなんかじゃ、きっと相手に、どんな性格かなんて伝わらないよ。偉度っち、基本的にええ格好しぃだから、そのつもりでなくても、猫かぶるでしょ?」
「それはあるかな」
「あるよぉ。だからね、偉度っちは、お見合いに向いてないんだよ。ちゃんと、そこんところ、自分で把握して、軍師に言わなくっちゃダメ。自分のキャラはしっかり掴んでおかないとね」
「…キャラか…わたしのキャラって、大人しそうな見た目とはちがって刺々しいのがそうか?」
疲れないか、と言われたことがあったな、と偉度は遠い昔のことを思い出していた。
茜色の空を眺めるとはなしに眺めて、思い浮かぶ顔をつぎつぎと手繰っていく。だれがそう言ったのだったか…
ああ、彼か。
『おまえは、見た目は可憐で大人しそうなのに、ひとたび手に触れるものには毒を与える毒草のようなヤツだ。どちらが本当なのかはわからぬが、本性を隠して生きるということは辛かろう。疲れないのか』
疲れないわけないだろう、と、心の中では思っていたが、そのときは、役目を与えられ、気が張っていたこともあり、
『うるさいよ、生き延びるためならなんだってやらなくちゃいけないのが、わたしたちの身上だろう? そんなふうにヒトを批判して、あんたはなにをしているのさ。なにもしてやしないじゃないか』
と、答えた。
返す刀で切り返したようなやり取りだった。
その後、くだらぬ過去のあれこれを持ち出して、男女のように激しく口論し、顔も見たくないだの、野垂れ死にしてしまえだの、その後の運命を知っていれば、けっして口に出さなかっただろう言葉を羅列した記憶がある。
どうしてそこまで激昂したのかといえば、素直に生きることなど許されないということを承知しているくせに、批判を投げてくるなんて、どういうつもりだ、と思ったからだ。
だれと比べているのか…判っている。書生の諸葛亮だ。
そんな事も口にした記憶がある。
似ているといわれることはたびたびだったが、実際に手に入れている自分の向こう側に、手に入れることのかなわぬ相手を見ていることも知っていた。
要するに、孔明に嫉妬をしていたのだ。
いまならば冷静に分析できるが、当時は、まったくそんな余裕はなかった。
「どうしたの?」
銀輪が、不安そうな顔をして、偉度の顔を覗きこんでくる。
「昔のことを思い出してた。やっぱり、わたしのことを、おまえと同じように言ったヤツがいたんだ」
「ふうん? ねえ、その人って、もしかして、偉度っちの、むかしの恋人?」
偉度は今度こそ、本当にぎくりと身をすくませたが、自制心を働かせ、この聡い子供(いや、子供であるから聡いのか)に気づかれないように注意しつつ、顔を向けた。
「何故そう思う?」
「だって、偉度っちって、よっぽどでないと、ヒトの前で、よそゆきの顔、崩さないでしょ? 分析してもらえるほど、気を許していたってことじゃないの?」
「気を許していたというのは、そうかな。だが、分析してもらったとは、到底思えない。寄ると触ると喧嘩ばかりで、あら捜しをお互いにしていた状態だったからな」
「あら捜しなのかなー? 本当のことを言われると、グサッと来るときってあるじゃない。でもさ、相手がそれだけ自分のことを、長い間、真剣に考えてくれたと思うと、ちょっと嬉しくなーい?」
「どれだけ前向きなんだ、その考え。でも、真剣にか」
あの男が、一度でも人のことを真剣に考えたことがあっただろうか。
もしも、そんなことがあったというのなら。
「…だったらいいな」
何の気もなしにつぶやいた言葉であったが、偉度は、これこそが、本音だったのだと知って、暗澹たる気持ちに包まれた。
なぜ当時に、深い愛情や執着、そして孤独を憂い、必死に縋る相手を探していた己の心に気づけなかったのか。
いちばんに謝らねばならぬ相手こそが、もうこの世にいない。
辛くないかと、そう尋ねたのだ。
そちらの言葉をこそ、あの不器用な男はいいたかったはずなのに、こちらも言葉を歪曲して、嫌味を言われたのだと怒ったから、本音を隠してしまった。
もしも、素直に、己の心情を吐露していたら、あの男は、自分を代用として扱わなかっただろうか。
もう、胸に住まう者と比較することはなかっただろうか。
死に急ぐこともなかっただろうか…
「偉度っち、大丈夫?」
と、銀輪が、着物の袖を引いてくる。
「泣きたかったら、泣いていいよー」
「泣くものか。大人は、子供の前では泣かない」
「銀、知ってるよ。偉度っち、ときどき泣いてるの。初めて会ったときも、泣いてたよね」
それを聞いて、おまえなぁ、と、ぼやきながら、偉度はその場に屈み、夕暮れの河原を見た。
偉度が屈むと、銀輪もそれにならって、隣に屈んだ。
そんなことも、あったかな。
「誰にも言うなよ」
「言わないよ。友達だもん」
「昔の友達も、おまえくらいに気遣いが出来たら、また違ってたかな。嫌味と本音を織り交ぜるしゃべり方をするやつで、嫌味のほうが、どうしても大きく聞こえるから、そいつが本当に言いたいことは、まともに胸に響いたことがない。
そんなふうなのに、ずっとまとわりついて、離れまいとしたのは、やはりどこかで愛されていたのか、それとも、愛されているのだと信じたくて、自分を騙していたのか…昔過ぎて、もうわからなくなってしまった」
偉度のことばを、銀輪は黙って聞いていた。
たとえ名を伏せ、事情を伏せて語ったとはいえ、偉度のなかでもっとも大きな傷となっている『彼』のことを、こんなふうに冷静に、思い出話として語れたのは初めてであった。
思わずため息をついて、ふと、さらに冷静になる。
「………わたしは、なんだってこんな飲み屋の親父にも語らないような愚痴を、小学生相手に語っているのだろう…」
「それは、銀が、偉度っちのココロの港だからだよー」
「どちらかというと、ココロのバミューダトライアングルだけれどな」
「銀の心は四次元に繋がってないよ」
「近いものはある。さあて、もう一番星も出てきたし、家まで送ってやるよ」
「うわー、偉度っち、やさしー。ついでに、うちでプリン食べていきなよ。今日のは抹茶だよ」
「叔至さまが、また泡を吹くから、今日は止す」
銀輪を馬に乗せ、自分はその轡を持って、ぽくぽく、てくてくと陳到の屋敷へと偉度が向かい始めると、馬上の銀輪は、冷たい夕方の風にほつれ毛をなぶらせつつ、言った。
「もしねぇ、銀が大人になって、ブンベツがきっちりつくようになって、それで偉度っちを友達じゃなくて、ほんとうに好きになったら、銀はちゃんと、自分の口で、偉度っちに、『恋人になってください』って言いに行くからね。
もし銀が行ったら、振ってもいいけれど、でも、すこし優しくしてくれるといいなあ」
「まあ、そんな時がきたらな」
「そんなときは、絶対だよ」
「わかった、わかった」
銀輪は、なにがおかしいのか、声をたてて笑い、偉度の馬もまた、乗り手の声にさそわれたか、尾っぽを揺らして、笑った、ように見えた。
「と、いうわけでだ」
「なにが、『と、いうわけ』なのだ」
休昭は、このところ具合が悪い、というので出仕を休んでいる。
見舞いに来てみれば、本人はいたって元気で、なんと真面目がとりえのくせして出仕をさぼり、どこぞへちょこちょこと出かけていたという。
文偉は呆れて、見舞い品をひっこめ(杏の干したもの)、自分で食べることにして、渋い顔をした休昭に尋ねた。
「おまえにしては大胆なことをする。で、その軍師の見合い相手のことは何か判ったのか?」
「うむ、宋氏という、中堅どころの豪族の妾腹で、齢二十四の行き遅れ。名を珪麗さん。趣味は刺繍と散歩。山菜料理が得意。琴も少々。でもあんまり上手じゃない」
「ほう、おまえにしては、ずいぶん調べられたものだな」
文偉が感心するのも道理で、大人しく内気な休昭が、知らない者のことを、知らない人々に聞きまわるなど、出来ないと思っていたのだ。
それに、どういうわけか、宋珪麗という孔明の見合い相手、ガードが固く、あの偉度でさえ、なにも調べられていないと、ぼやいていなかったか…
「最初は苦労したとも。しかし、屋敷のまわりをウロウロしていたら、親切な婆さまが声をかけてくれて、幸いにもこれが事情通でな。白湯を振る舞ってくれたばかりか、宋家のお嬢様のことならば、もうすこし時間をくれれば、もっと調べて差し上げますよ、と言ってくれたのだ」
「ほう?」
「てっきり金目当てかなと思ったら、若い人が話し相手に来てくれるだけでうれしいと言って、わずかばかりの駄賃も受け取らぬ。そこで、何日か置いて、婆さま孝行のつもりで、渋い柄の着物を市で買ってだな、また足を運んでみたらば、婆さまは、屋敷の飯炊き女と仲良くなっていて、ほんとうにいろいろ教えてくれたのだ」
「ほほう」
休昭は、男相手には弱いが、女、それも年上の女には、やけに母性本能をくすぐる存在らしい。
この、いかにも優しげで、害のなさそうな雰囲気がよいのだろう。
そして、実際に害はまったくない。害を為すことなど、考えたことすらないだろう。
どうしてこのように、真っ直ぐ育つことができたのやら。
文偉は、休昭の真っ白さが好きである。もしも妻を娶り、子を為したらば、休昭の父・幼宰に、教育方法を、教授してもらおうと思っている。
その本人は、いま別室で、囲碁を打っているようだ。
ぱちり、ぱちりと碁石が落ちる音が聞こえてきた。
「珪麗という人は、独り身をずっと通しているが、最近では、ぜひにと求婚者があらわれて、昼夜問わず、使者が贈り物を寄越しているらしい。その求婚者の素性は確かめられなかったが、父親も、本人も、これに迷惑していて、あきらめてもらうために、見合いをすることを決めたそうなのだ」
「なんだ、直前になって、見合いを蹴った偉度も無礼だと思ったが、相手の見合いの動機も、なかなかに無礼だな」
「むずかしい事情があるのだそうだ。その事情を知っているのは、屋敷に古くからいる怖ーい家人と、父親と、本人だけだとか」
「ふぅむ、秘密めいた相手だな。偉度に似合いかもしれぬ」
「なぜに偉度? 偉度は、陳叔至さまのご長女との話が出ているはずだが」
「最初、この見合いの話は、ご長女との付き合いをやめさせるため、叔至さまが持ち込んだもの、というのは知っているな?」
「うむ」
「たまたま許長史(許靖)とお会いする機会があって、お話を伺ったならば、あまたいるお見合い相手から、此の方、と決めたのは許長史だというのだ。
で、その決め手は顔相。つまりは、偉度と相性のよさそうな顔相の女人を選んだ、ということなのだよ」
「む…」
「おまえが、なぜだかこの女人に惹かれているのは黙っておいたが、偉度がダメだというので、軍師が代理、という話は如何か、と問うたところ、『まー、あの二人なら、雰囲気が似てるから、問題ないんじゃないの』と」
「なんだ、そのアバウトさ」
「軍師はしぶしぶお出かけになる、ということだが、案外、意気投合する可能性もある、ということだよ。いまから失恋の覚悟をしておけ」
「でも、軍師は、どんな絶世の美女が見合いに現われようと、婚儀に話を持っていくようなことはなさらぬと」
「だれが言った」
「偉度さ。あれはわたしたちより、ずっと軍師に近いだろう。だからそれを聞いて、そうなのかなと安心していたのだが」
「恋ばかりは事前の調整は利かぬものぞ。それにな、此度の見合い、だれが耳に入れたのやら、主公もお知りになって、軍師が見合いの席で、わざと嫌われるような真似をせぬように、趙将軍をお供につけて、同席させるそうな」
「趙将軍を? なんでまた」
「将軍は、軍師の主騎であられるし、身内の代理ということであろう。軍師は実の兄君のごとく将軍を慕っておられるだろう? それに軍師の家も複雑だからな、兄君とは不仲で、弟君は荊州だし…ほら、事情がある、という点でも似ておる」
「複雑な家に、複雑な事情をもつ娘が嫁いだら、ますます複雑になるばかりだおろう!」
「その複雑さも、二人の試練と酔いしれることができる仕掛けになるかもしれぬぞ」
「文偉、なんだか、わたしに冷たくないか」
フグのようにふくれた休昭に、文偉は肩をすくめてみせる。
「おまえや偉度にばかり、一足飛びに春が来て、おもしろくないからな。ともかく、主公も軍師の見合いに乗り気なのだ。いまのうちに失恋の準備に励んでおけ」
「どんな準備だ」
「そうさな…ハンカチを三枚用意する、とか」
休昭は、むっつり黙り込むと、膝を抱えてじっと一点を見据える。
これは苛めすぎたかな、謝るかと文偉が口を開こうとすると、休昭のほうが言った。
「なあ、見合いの場所はどこだって?」
「目黒の雅叙園」
「………もう一度」
「目黒の雅叙園。成都にあるけど『目黒の』雅叙園なのだ。見合いの帰りに百人風呂に入ってくつろげます」
「趣味がよいのか悪いのか、よくわからぬ場所の選択だな。ふむ」
獣の勘、とでもいおうか、それとも親友の親友たる所以であろうか、文偉は、いつになく考え深そうな休昭の顔を見て、なにやらいやーな予感に襲われた。
「見合いはいつだっけ?」
「明後日だよ」
「よし」
「おい、なにが『よし』?」
立ち上がり、いきなり文庫を開けると、そこにあった履歴書を引っ張り出して、流麗な筆さばきでもって、経歴をつらつらと書いていく休昭に、文偉は尋ねる。
「目黒の雅叙園にバイトとして忍び込む。お見合いの様子がどんなものか、この
目で確かめるのさ。もしお二人の様子が仲むつまじく、互いに気に入った様子であれば、いさぎよく身を引くが、もし、そうではないけれど周囲のススメで仕方なく、という雰囲気ならば、わたしは」
「わたしは?」
「頑としてこれを阻止する!」
「はあ? 相手は軍師だぞ?」
「軍師とて、神霊というわけではあるまい。政略の点ではかなわぬかもしれぬが、こういった鞘当ならば、わたしには若さという利点と…」
「若さと?」
「ええと、探せばなんかあるかもしれない。食器洗いが早い、とか」
「まあ、細々としたところを挙げていけば、なにかあるだろう。あの方は、仕事莫迦だから、ほかのことできなさそうだし」
「そうだ。だからわたしはバイトへ行く。そういうわけで、しばらく仕事は休むのでよろしく」
「待て。よろしくされぬぞ。どう言い訳する」
「休昭は左将軍府において著しい恐怖を与えられ、そのせいで心因性ストレス症候群に悩まされており、しばらくリハビリが必要なので出仕できませぬと伝えてくれ」
「よしてくれ。わたしが心因性ストレス症候群になりそうだ…」
「なんだ、友達甲斐のない。まあ、父上に頼み込んで、そう言うことにしてもらうさ」
「幼宰さまがお許しになるまいよ」
文偉は、休昭が遅すぎる反抗期に入ったのではと、ちいさく嘆息したことであった。
意外にも、幼宰は、息子の願いをあっさり聞き届け、宮仕えをしばらく休み、バイトへ行くことを許した。
社会勉強のため、ということであったが、実際のところは、このところ孔明の意のままになりすぎる息子に、客観性を養わせるよい機会だと思ったとのことであった。
でもって、その幼宰に頭を下げられ、文偉も付き添いでバイトに出かけることとなった。
見合いの結果は、さてはて…
※ さりーげなく話のすべてが繋がっておりますが…知らなくても、そんなことがあったのかな、と読み流していただければ幸いですm(__)m でもってまだ続くらしいです…