桟雲たなびくふもとにて

「あ、偉度さんだ」
と、すこし間延びした陳銀輪の声が聞こえてきた。
その声に、馬車から降りて、村人たちと話をしていた董休昭が、おなじく顔を向けてきて、驚きの表情を浮かべる。
「偉度じゃないか、なぜここに」
偉度からすれば、銀輪や休昭こそ、なぜここにいるのだ、というところである。
二人のほかには、従者を連れてきてはいるものの、だれか引率役の大人(休昭は成人しているのだが)が同行している様子ではない。

銀輪は、趙雲の副将である陳叔至の長女で、董和の息子である董休昭には、笛を習っているのである。
しかしだからといって、男女が連れ立って遠出するなど、許されることではない。
が、のんびりと偉度のまえにやってきた二人からは、そうした後ろめたさやいやらしさが、まったく感じられなかった。
理由は、銀輪がまだ十三で、世間の十三歳よりずっと幼い部分がある(見た目は十七くらいに見えるほど成長してしまっているが)ためと、休昭のほうも実年齢より幼く、色気がさっぱりないことによる。
銀輪に関しては得なところであるが、休昭に関しては問題だ。

御者台から降りて、偉度は、ふたりにたずねた。
「おまえたち、なんだってこんなところにいるのだ」
「竹を探しに来たのだよ」
と、休昭が答えつつ、腰に下げていた袋から、奇妙なかたちの青竹を取り出して見せた。
それはごつごつと、いくつも体に瘤をもった竹で、どちらかというと、表面を病におかされた竹にしか見えない。
とても美しいとはいえない、不気味なかたちをしている。
「こんな病気の竹を探しに来たのか」
偉度が呆れて言うと、気弱な休昭は、困ったように笑いながら、答えた。
「いやだな、これは病気ではないのだよ。このあたりでしか取れない、特別な竹なのだ」
「この竹でつくった笛は、特別にいい音がでるの」
と、銀輪がことばを添えた。
「いままでの笛を、妹たちが遊んでいるときに壊しちゃったの。それを話したら、休昭さんが、新しい笛を作ろうって言ってくれたの。
で、職人さんのところに行ったら、ここの村の竹が欲しいって言ったのね」
「なるほど、で、二人してここに来たのか」

無防備なやつらだな、と偉度は呆れる。
どちらも父親が要職についているということ、そして、世間の目が厳しい立場にいるという自覚がなさすぎる。
いかに世が乱れていようと、蜀はもともと保守的な土地だ。
おかしな噂が立ったら、ふたりとも将来はなくなる。
それほどに、男女の関係については厳しいものなのだ。

「やましいことは、なにもないよ」
と、偉度の顔色が変わったのを見てとって、休昭は言うのであるが、偉度はますます呆れる。
休昭はおかしな方向に気を回している。
つまり、銀輪と休昭が連れ立ってこの村にきたことを、偉度が怒っていると勘ちがいしているのだ。
「やましかろうと、そうでなかろうと、どうでもよろしい」
突き放したように偉度が言うと、休昭は困ったように、顔をゆがめた。
「だから、やましくなんかないというのに。これだったら、最初から偉度を誘えばよかったな。忙しいだろうと思ったから、遠慮したのに」
遠慮してくれて、大いにけっこうだ、と、偉度は思った。

「偉度さんは、お仕事なの?」
と、銀輪は、偉度の肩越しに見える、小さな馬車を覗き込む。
幌付きのその馬車には、方旬の母親が乗っている。
方旬の母親は、いったい何事だろうというふうに顔を出して、おそるおそる、というふうに外をうかがっている。
そして銀輪と目が合うと、ぺこりと頭をさげた。
それに合わせて、銀輪も頭を下げる。
「仕事といえば仕事だが、どうした、騒ぎが起こっているようだが」

偉度がふたたび休昭たちの馬車のほうに向けると、野良仕事の途中に集ってきたのか、やせ細った農夫たちが、がやがやと話をしている。
といっても、剣呑な空気はないから、どうやら休昭たちがなにか揉め事を起こした、というものではなさそうだ。
「うん、どうもおかしな話なのだよ。竹も手に入ったことだし、そろそろ成都に帰ろうと思っていたのだが、このあたりを通りがかったとたん、村人が寄ってきてね」
と、休昭が話したことは、以下のとおりである。

二人で仲良く竹取にやってきた休昭と銀輪であるが、じつは、この近辺の宿に、叔至たちが泊まっているのである。
その宿に戻ろうと馬車をのんびり歩かせていたところ、村人たちがやってきて、たずねてきた。
「わしらの仲間を見なかったでしょうか。どうも山に入ったきり、姿が見えないのです」
山に囲まれたこの土地であるが、住んでいる者にとっては、自邸の庭くらいによく知る場所であるはずだ。
ところが、村人たちは不安そうに言う。
「山菜を採りにいったきり、戻ってこんのです。たまにこういうことがあるのですが、今日は四人がいなくなってしまいまして、いまみなで手分けをして探しているのですが、どこへ行ったのやら、さっぱりわからないのです」
村人総出で、野良仕事を中断して仲間たちを探しているところへ、休昭たちが通りがかった、というわけだ。

偉度は、なにやら嫌な予感をおぼえて、集ってがやがやと騒いでいる村人たちのほうを見た。
素朴、といったら抽象的にすぎるかもしれない。
はっきり言ってしまえば、かれらの顔つきのどれを眺めても、とても利巧そうにはみえなかった。
そも、こんなところでおおぜいで集っていないで、早く手分けして仲間を探してやればいい。
いくら慣れた山といっても、自然とはおそろしいもので、ふとした瞬間に、日々とちがう凶悪な顔を向けて、人間を飲み込むことだって、ままあるのである。

「しかし四人とは多いな。子供か」
偉度がたずねると、休昭も戸惑っているのか、まるで自分が悪いかのように、困惑したように答えた。
「それがね、みないい年をした大人だというのだよ」
「大人? 年寄りか、それとも女か」
「いや、男ばかり四人。わたしたちよりすこし年上くらいの、若者ばかりなのだって」

思わず、偉度は、いっしょに連れてきた方旬の母親のほうを振り返った。
消えてしまったという息子と、そして日を置かずして、消えた四人の若者。
なにかつながりがあるのではと考えるのが普通だろう。

方旬の母親は、集っている村人たちのほうへ向かっていき、詳しい話を聞いている。
偉度が近づいて聞き耳を立てたところによれば、かれらの話は、休昭が偉度にした話と、そう差はない。
若者たちが山菜取りに出かけ、そして失踪した。
方旬とまったく同じである。
しかし聞いていると、村人たちの会話の端々に、『首吊り岩』という、なんとも禍々しい名称をもつ岩の名があらわれる。
どういう意味なのだろうかと考えていると、どうやらその岩のある場所で、方旬をはじめとして、若者たちが失踪しているらしかった。
その場所に、大人たちが知らない、若者たちだけが知る抜け道のようなものがあり、みな、そこから村を逃げ出しているのではないか。

そんなことを思いつくと同時に、いやな予感にとらわれる。
趙雲が言っていた、貧しさゆえに逃げ出す若者が多いという話が、どうしても頭をよぎる。
やはり言っていたとおり、家出なのか?

「どうしたらよいかな、探すのを、手伝ったほうがいいと思う?」
と、お人よしの休昭は、ここぞとばかりに偉度に甘えて、こっそり尋ねてくる。休昭という少年は、基本的に甘ったれなのだ。
年下の銀輪と二人だったので、大人を演じなくてはいけなかったが、年上の偉度がきたので、よろこんでその役をゆずる、ということらしい。
仕切り屋の偉度としては、付き合いやすい相手ではある。
「おまえたち、宿に帰らなくていいのか」
「そりゃ、帰らなくちゃいけないけれど、このまま、それじゃあ、探すのを頑張ってくださいとは言いづらいじゃないか」
「お人よしだな。だいたい、わたしたちは、消えた村人とやらの顔を知らないのだぞ」
「そうだけどさ」
口を尖らせながら、休昭は反駁する。
「そういう偉度は、どうしてこの村に来たの」
「聞きたいなあ。仕事って、どんな仕事?」

銀輪も休昭の横に並んでたずねてきたので、こうなると、偉度としては、話さずにおれなくなる。
仕方ない、と思いつつ、方旬の母親のこと、趙雲との勝負のことを話した。

話を聞き終わったふたりは、案の定、呆れ顔である。
「無謀だよ、偉度。趙将軍と勝負?」
「趙将軍のほうが勝つよね」
そのとおりだ、と、休昭と銀輪は、仲の良いところを見せて、うなずきあっている。
「でもその話を聞いたあとで、こういう場に居合わせると、たしかに見方がちがってくるね。家出じゃないのかな」
と、休昭が言う。

まだ集って、わあわあと騒いでいる村人たちの背後では、南のほうから、水牛の群れのように、暗雲が徐々に垂れ込めていくのが見えた。
それらを見ながら、銀輪がぽつりとつぶやいた。
「いま気づいたけれど、ここの村の人たちって、顔が似ているね」
銀輪の指摘に、あらためて村人たちを眺めてみれば、なるほど、その面差しは、みなが親戚ではないかというほどに、よく似ていた。
消えた若者たちを探すのは、案外に容易かもしれぬと思う一方で、またまた、趙雲の話が頭をよぎる。
この村の人々は、みな嘘つきで有名だ。
だから、この近在の村からも忌諱された存在になっており、縁をつくろうとする者もすくないとか。
となれば、村の中で婚姻をくりかえすしかない。
同族同士の結婚ということになると、いろいろと禁忌があるのだが、山深い、大昔の因習さえ残っていてもおかしくない土地においては、そのあたりの考えは、だいぶズレがあるのかもしれない。

「探すのを手伝うのもいいけれど、雨になりそうだよ」
銀輪が、黒く垂れ込めてきた空を見上げて言う。
それでは、やはり宿に帰るしかないかな、と休昭が言いかけたとたん、村全体に生暖かい空気がただよい、暗い空に、ごろごろと、身を震わせるような雷の音が響いた。
これはいかんと、雨宿りできそうなところを探す暇もなく、桶をひっくりかえしたように、一気に雨が降り注ぐ。
粒の大きい、素肌に当たると、痛いほどの雨である。
どこへ馬車を寄せようかと迷っていると、方旬の母親が、はやくもずぶぬれになりながらも、言った。
「この村で、いちばん大きい屋敷は、村長の屋敷です。あそこでしたら、偉度さまや、お友だちも十分に雨宿りができます。あそこへお行きなさい」

偉度が休昭と銀輪、そしてそれぞれの従者に命じて馬車を走らせていくと、方旬の母親が言ったとおり、このあたりではまともそうな、石造りの屋敷があった。
仙人のような風貌をした村長は、このめずらしい遠来の若い客たちをよろこんで迎え入れてくれた。
ざあざあと、地上のすべてをぶつかのような、強い雨である。雨はなかなか止みそうにない。
「消えちゃった人たちが、山で遭難していたら気の毒だね。早く止むといいのに」
と、銀輪が、雨に打たれる村の光景をながめながら、窓辺でつぶやいた。



一方、成都の空は曇ってはいたものの、雨が降る気配はなかった。
いつもどおりの、湿った空気をはらむ、重さの感じられる風の吹く町である。
趙雲は、兵卒の調練や、ひととおりの事務仕事を終えて、なんとか一日の仕事を終えた。
仕事が終わっても、かつて、慣れた職務のときにおぼえていた、爽快感のある疲労とはちがう種類の、ひたすら気が重くなるような疲れが身体に残る。
なぜかといえば、あたらしい職務を覚えきれずに、無駄が多かったために時間が費えたことを自覚しているからであり、どちらかといえば完ぺき主義の趙雲は、理想どおりに仕事を進められなかったことで、自分自身を責めている。
だから、つかれてしまっているのだった。

帰路につこうとして、執務室を出たとたん、足が止まる。
このまま家に帰ったとしても、しょげるばかりで気が滅入りそうである。
かといって、憂さ晴らしに飲む、というのも、逃避するようで、気が乗らない。
余裕がなくなっているな、と思うのだが、これを解消するには、やはり職務に慣れるしかないのだ。
頭が固くなってきているのかな、と趙雲は、自嘲気味に思う。
と、同時に、いまの趙雲はだめだと怒って、勝負を挑んできた偉度のことが思い出された。
あれは、いまごろ、村にたどりついただろうか。

「おや、くたびれた顔をしているな。まだまだこれからだというのに」
なじみの声が身近でして、趙雲はおどろいて声の主のほうに振り返った。
いつの間にいたのやら、孔明が、執務室の扉の横で、壁にもたれて立っていたのである。
孔明は、だいたいにおいて派手であるが、自分でもそれをわかっていて、今日は隠密のつもりか、いつもよりずっと地味な色合いの衣を纏っている。
正直なところ、その地味な色は、孔明の肌の色に、まるで似合っていない。
泥に泳ぐ鯉。
そんな奇妙な連想が、趙雲の頭に浮かんだ。

「なにをしにきた」
趙雲がたずねると、孔明は、柳眉をしかめて、すこし悲しげな顔をした。
趙雲としては、どきりとする顔である。というのも、孔明がすねる、ということは、その性格からして、そうそうないことだからだ。
「やつれているうえに、余裕がないな」
ずばり言ってのけて、孔明は、趙雲の顔をのぞきこむような素振りをする。
ときどき、ひどく子供じみた仕草をしてのけるのが孔明だ。
「だから、なんだ」
「なんだもかんだもあるか。一度、顔を洗ったほうがよいな。それでは市井の者たちに舐められる」
「顔を洗う? なんのために」
趙雲がたずねると、孔明は、何をかいわんや、などと言いながら、肩を小さくすくめて、答えた。
「いまから出かけるからだ」
「どこへ」
「町へ」
「町の、どこ」
「いわゆる、ドヤと呼ばれているところだな。その大剣はしまって、もうすこし小ぶりな剣を佩いていけ。みなが怖がってしまうからな。
それから、その、獲物を捜し求めて、結局果たせず、とぼとぼと巣穴に帰る虎のような顔はやめて、もうすこし、にこやかに」
「おまえは、とぼとぼと巣穴に帰る虎を見たことがあるのか」
「いま目の前に見ている。やれやれ、これでは、戦う前から負けているぞ、偉度のあの溌剌とした旅立ちの姿を見たあと、こちらを見ると、不安だけが頭をもたげてくる。そんなふうに余裕をなくしている状態では、早くに老けるぞ、子龍。老けた子龍なんぞ、見たくない。あなたは、老けてはいけない人なのだ」
「だれしも老ける。それが自然だ」
「肉体はそうだが、問題は気持ちだよ。黄漢升をみろ、いつまでも気持ちが若い。あなたもそうでなくてはならぬ。早くに頭が凝り固まって、柔軟な姿勢を忘れてしまったら、せせこましい、つまらない人間になってしまう。
あなたの場合、外貌がよいから、そのぶん、悲惨だ」
「どう悲惨だ」
「外貌のよさに惹かれて近づくと、しかし実態は、頭の固い中年男。これはガッカリする。まるで芙蓉の花のようではないか」
芙蓉の花は美しいが、それは遠くから眺めたばあいで、近づいてみると案外そうではない。
女性を形容するときに『芙蓉の花』というときは、たいがいが悪口であることが多い。
俺は女か、とふて腐りながらも、趙雲は、となりの孔明を見る。
孔明は、また趙雲の顔をのぞきこみ、そして言った。
「さあ、早く顔を洗ってくるがいい。あなたが言った、ほんとうに方旬が家出かどうかを、確かめにいくのだよ」
「そのために、いまから?」
おどろく趙雲に、孔明はこくりとうなずいた。
「うむ、いまからだ。このわたしが同行するのだから、きっと収穫はあるだろう」
「どういう自信だ」
「いいから、早く、支度をするのだ。でなければ、降られるぞ」
と、孔明は南の空のほうを見て言った。

なるほど、雲の色合いが、南のほうが濃くなっている。
夕闇が迫っているのではなく、雨雲だろう。
趙雲は、孔明に言われるまま、顔を洗いに行ったのだが、冷たい水を顔に浸しながら、なんだかんだと、どうして俺は軍師に逆らえないのかなと、いまさらながらに考えた。

つづく…
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