桟雲たなびくふもとにて

さやさやと竹林の葉の、風に揺れあう音がして目が覚めた。
黒檀の格子のすき間から見える、にじむ光のその濃さで、朝もだいぶ遅い時間だということがわかる。
居心地のよさに、ついつい瞼が重くなるわけだが、霧の帳を開くようにして、理性の声が聞こえてくる。
いいかげんに起きろ、あまりみっともない真似をするな、と。

のんびりした生活に慣れると、自然と余裕が出てくる。
が、そこに慣れすぎてしまうと、今度は怠惰になって、それが身体にあらわれてくる。
眠気を払い、気持ちをととのえるために息をつくと、それから勢いを借りて身体を起こした。
と、同時に、体からはらりと絹の衣がすべり落ちる。
掛けてもらったものなのか、それともだれかがやってきて、掛けてくれたものか、記憶が定かでない。
それほどに、熟睡していたということか。

やれやれ、これでは主公ではないが、こんなことが毎日つづいたら、脾肉どころか、体中に肉がついてしまうな、と苦りながら、立ち上がり、扉を開ける。
すると、風を巻き込むような、竹の揺れる音が、いっせいに押し寄せてきた。

よい朝である。
目にもあざやかな濃いみどりいろの葉を茂らせた木々の、無造作ではあるが見苦しさのない姿を楽しめる庭を、しばらく立ち尽くして楽しむ。どこかに潜んでいる名も知らぬ鳥の、笛のようなうつくしい呼び声が聞こえてきた。

しばらく、なにも思うことなく、庭をながめていたところ、ふと、こんもりときれいに丸く刈り取られた庭木が、不自然にがさごそと揺れている。
さて、夜のうちに忍び込んできたきつねかたぬきかな、と思って見つめていると、突如として、庭木の中から、黒くて大きいものが飛び出してきた。
一瞬、いのししかと身構えたが、それがなにか、ということが、すぐにわかった。
みすぼらしいなりをした、初老の女であった。
見つからないようにするためか、それとも恐ろしさが、姿勢にあらわれているのか、身を飛蝗のように縮めて、真っすぐ向かってくる。
これで、廊下に向かって飛び込んでくる気配があったなら、容赦はしなかっただろう。
しかし、女は、ちょうど渡り廊下の手前で足を止めると、そのまま地べたに転がり込むようにして、平伏してみせた。
そして言う。

「お願いでございます、軍師さま、あたくしの息子を、どうぞ探してくださいまし!」
「は」

思わず、聞き返すと、女は、雷にでも打たれたようにびくりと身をふるわせて、言った。
「ご無礼をおゆるしください、もうあなたさまにおすがりするほか、なかったのでございます。屋敷に忍び込んだことはお詫び申し上げます。
けれど、郡のお役人さまたちも、尚書令さまも、どなたも耳を貸してくださらないもので、思い余ってこちらに押しかけたのでございます! 
どうか、お願いでございます、軍師将軍さま」
と、女はくりかえした。
近くで見ると、かなり田舎のほうから出てきた女だとわかる。
長旅でくたびれた格好はしているけれど、『軍師将軍』のまえに顔をだすからと、けんめいによそおってきたらしく、地味な色合いの粗末な服に似合わぬ派手な化粧を、素朴な顔にほどこしていて、それが哀れをさそった。

誤解をただそうと口を開きかけたとき、必死の形相になっている女と目があった。
とたん、女は叱られるものと勘ちがいしたのか、ふたたび顔を伏せた。
「お気にさわったのなら、おゆるしください。あたくしはどうなろうとかまいません。けど、どうか息子だけは探してやってください、お願いいたします」
「息子がいなくなったのか」
「はい、もうひと月になりましょうか。親孝行な子で、あたくしと二人だけで暮らしてきたのでございますが、裏山へ山菜を採りに行く、と言ったきり、戻ってこなくなってしまったのでございます。
年は十六でございます。名前を方旬、と申します」
当然ながら聞き覚えはない。
「どこの村の者なのだ」
そう尋ねると、母親は、これは脈がある、と期待したのか、おそれて伏していた顔を、ふたたび上げた。
「はい、成都より南西にございます蒙鳩村の者でございます」

蒙鳩村。
そう聞いて、ああ、これは家出だな、と見当をつけた。母親は息子を取り戻したくて、『親孝行だ』というが、十六ともなれば成人。女親には言えないようなことも、いろいろと抱えていただろう。
まして、蒙鳩村。
あの曰くつきの村の者ならば、話は半分だ。
そう思ったのが顔に出たのか、こちらをすがるようにして見つめている女の顔に、失望の色が浮かび上がった。
なんであれ、女が絶望するときの顔というものは、好きではない。

なんとかこの女を納得する言葉をかけてやろうとしているとき、迎えにきたのか、それとも、こちらが昨夜、眠ってしまってから、この屋敷にやってきて、そのまま泊まっていったのか、わからないが、胡偉度が廊下の向こう側から、何事か、という顔をしてやってくるのが見えた。

人間には、人によい印象を与える表情と、わるい印象を与える顔、大きく二種類の表情があると思う。
偉度の損なところは、内面は悪いばかりではなく、むしろ美点のほうが多いというのに、それが、ふだんは浮かべている表情と結びつかないことだろう。
そして、つねづね思っているのだが、人間の表情というものは、ふしぎなことに、意識しないとよい印象を与える表情はなかなか浮かばないというのに、わるい表情は、まったく努力しなくても、簡単におもてにあらわれる。
よい印象を与える顔、たとえば笑顔がそうだが、思い出してみるに、野生の虎や狼が、林のなかから顔を出して、にこにこと笑っているところは、たしかにあまり見たことがないから、笑顔というものは、もしかしたら人間が天より与えられた才能のひとつなのかもしれない。

とはいえ、こちらも、あまり笑顔を浮かべないほうだ。
偉度が、仏頂面であらわれたからといって、そこをあげつらうのは、おかしかろう。
「なにやら騒ぎが聞こえたので来てみたのでございますが、いったい、なにごとでございますか、趙将軍」
と、偉度は、こちらにやってくると、ますます縮こまって、地面にだんご虫のように丸くなってしまっている女のほうに目をやりつつ、言った。
「軍師がおどろいておられましたよ、趙将軍がなかなか起きてこない、昨日はめずらしく屋敷に顔を出したと思ったら、すぐに疲れた、眠りたいなどとわがままを言い出して、ほんとうはなにかあったのに、隠しているのではなかろうかと心配していたなかで、騒ぎが聞こえてきた。いったいどうしたのだろう、と」
「軍師は起きているか」
まあ、起きているだろうなと、甍の上にひろがる空を見てつぶやく。
曇天のおおい成都であるが、この日は雲も少なく、青空が見えていた。
「いま軍師は手が離せないとのことで、わたくしが代わりにやってきたのです」
「おまえは泊まったのか」
聞くと、偉度はなぜだか鼻息を荒くして、言った。
「泊まるはずがありません。なぜに軍師の屋敷に、わたしが泊まらねばならぬのですか」

よくわからぬ理屈であるが、なぜだか偉度は、軍師の主簿をつとめ、毎日のように私邸のほうに顔を出しながらも、よほどでないかぎり、泊まろうとすることはないのだ。
偉度なりのけじめなのかもしれない。

「ところで、そちらの女人は」
と、偉度がちらりと目だけを動かして、平伏している女を見る。
かくかくしかじかだ、と説明してやると、思わぬことに、偉度の、いつもはつんとすました顔が、同情によって曇っていった。
女に気づかれないように、蒙鳩村の話だ、と強調したのであるが、偉度は村のことを知らなかったらしい。

「頭をおあげなさい。こちらにいらっしゃるのは、軍師将軍さまではありません。翊軍将軍の趙子龍さまです」
偉度が呼びかけると、女は顔を上げたが、俺の名前は知らなかったようである。しかし、知らないながらも、将軍という肩書きにうろたえて、申し訳ありません、と詫びのことばをくりかえしている。
それにしてもおどろきなのは、偉度が、この哀れな女に向ける優しい態度であった。
なんと、廊下からそのまま地面に降り立って、わざわざ女のまえに屈むと、言ったのである。
「軍師将軍さまは、あいにくとこのところ忙しい。けれど、用件は、わたしと、翊軍将軍さまが代わりに承りましょう。ご安心なさい」

俺は了承していない。
が、偉度は勝手に話をすすめて、女に手を差し伸べると、立ち上がらせて、安心するようにと、仲間たちにさえ滅多にみせない、慈愛に満ちた笑みを浮かべて見せた。
この偉度が、他者に、これほど豊かな笑みを見せることができるまでに成長したのだと思うと、感慨深いものがある。
驚いている俺をよそに、偉度は奥にいる屋敷の家人たちを呼びつけると、女を厨のほうへと連れて行き、朝餉を食べさせてやるようにと伝えた。

ふと、思った。
女は貧しさゆえの苦労に痛めつけられて、ずいぶんとやつれ疲れた顔をしていたが、年齢はもしかしたら、俺より下かもしれない。
偉度の母親がもし生きていたら、同じ年頃ではないのか。

そんなことを考えていると、女を見届けた偉度が、こちらを振り返った。
そのときにはもう、優しげな笑みはすっかり消え、いつもの小生意気な主簿の顔になっている。
いや、訂正だ。
小生意気どころか、なぜだか怒っているようだ。
骨を取り上げられた子犬のような顔になっている。

「まだ寝ぼけておいでなのですか、趙将軍ともあろうお方が、あのように女人をいつまでも地べたに平伏させて、しかも息子探しをすぐに請け負わないとは」
ときどき、偉度のなかの俺は何者なのかと尋ねたくなるが、おそろしい答えが出てきそうなので、あえて我慢している。
「おまえは受けたようだが、寒村の家出息子を、どうやって探す。それに蒙鳩村の者のいうことだぞ。おまえは蒙鳩村がどういうところか、知らないだろう」
「蒙鳩村がどうしたというのです。出自で差別なさるとは、ますます趙将軍らしくありませぬな」
と、偉度がきつく眉を寄せる。朝から喧嘩をしたい気分ではないのだが。
「蒙鳩村というのは、俺の軍の行軍演習の道ぞいにある、谷あいの小さな村だ。山の陰になっていて土地は痩せていて、村はとても貧しい。
そればかりではない。村の連中は、その近辺では知らぬ者のないほど有名な嘘つきの村なのだ。空をとぶ蛇を見たことがあるだの、毛むくじゃらの九尺以上ある男を見たというような、悪夢にうなされたようなことを口にする者もいる。
あまりに連中が夢のようなことばかりを話しているために、近くの村のものたちは、蒙鳩村と交流したがらない。
貧しいうえに閉ざされた谷あいの土地だ。若い者は、これに耐えられなくなって、すこし力がついてくると、我先にとばかり村を逃げ出す。
そのため蒙鳩村には年寄りしかいない、とさえ言われているのだ」
「で、あの女人の息子も、ほかの若者と同じように、きっと逃げ出したにちがいないと、将軍はそう思ってらっしゃるのか」
「まずまちがいはなかろう。それに、偉度、おまえは勝手に俺の名もあの女に伝えてしまったが、俺はすまないが家出息子の捜索には協力せぬぞ」
「蒙鳩村の出自だから?」
「いまごろ息子の方旬とやらは、きっと成都の場末で、仕事を探していることだろうさ。郡の役人や尚書令がまったく取り合わなかったのも、蒙鳩村の噂を知っていたからだ」
「蒙鳩村の若者の全員が、村がいやになって家出するというものでもございますまい。
もし、あの女人の息子が、かどわかしに遭っていたら、どうなさいます」
「どうするもこうするも、なぜ寒村の若者を攫う必要がある」

俺が反駁すると、偉度は、なにか言おうと口を開いたが、一旦閉ざすと、息を大きく吸って吐いて、それから眦をきりりと引締めて、言った。
「勝負いたしませぬか、趙将軍」
真剣そのものの顔をして、いったい何を言い出したのか、とあきれたが、偉度のつりあがり気味の目を見て、笑うのはやめた。
「わたしが息子を探し出して見せます。これが見つかれば、わたしの勝ち、見つからねば、将軍の勝ち」
「なぜに勝負をする必要がある」
「趙将軍は、このところ、たるんでおられる。身も心も、全体的にでございます。
いまもそのように、偏見にとらわれて、動こうともなさらない。まったく嘆かわしいことでございます」
「そうか?」
尋ねると、偉度はからかわれたと思ったのか、顔を熟れたすももの実のように真っ赤にして、うなずいた。
「ええ、そういう、開き直られているところが、特に! わたしは、老い崩れる趙将軍など見たくありません。ですから、勝負をと申し上げております。
いかに趙将軍が、このところ怠惰に過ごされておられるか、それを証明してさしあげましょう」

こちらとしては、すぐに、よろしい、受けて立とうとは言えない。
偉度がそれほど言うように、自分が怠惰に過ごしているとは思われないからだ。

こいつは、どうも自分の理想を他者に押し付けたがるところがあるからな、と思っていると、ふと、廊下のほうから、なじみの姿がやってきて、訳知りがおで、いきなり言った。
「よいのではないか、人の不幸を勝負事にする、ということは気に入らぬが、おまえが見知らぬ者に親切にすることには賛成だし」
と、これは偉度に。
「あなたにとっても、なかなか刺激的なことになると思うが」
と、これは俺に。
なぜに刺激的、などという言葉が出るのか。怪訝に思っていると、偉度は、割って入ってきた軍師の了承を得たことで、意を強くしたか、拱手すると、そのまま勇んで、女がいるはずの厨のほうへ向かっていく。


「なんだ、刺激的とは。おまえも、俺が、このところ怠惰にしていると思っているのか。
今朝、寝過ごしたことについては、たしかに言いわけはできないが」
すると、軍師は、自身の結い上げた髪の後れ毛を、指先でもてあそびながら、厨のほうへ消えていく偉度の背中を目で追いつつ、答えた。
「あなたの外見はまったく変わらない、寝過ごした理由とて、職務権限が高くなって忙しくなったというものではないか。
それに、いくら偉度でも、そこまで細かいことは、いちいち指摘せぬよ」
だったらなんだと思っていると、軍師は細い毛の束から手をはなし、こちらのほうに向いた。
「怠惰、というわけではなくて、固くなっているな、というところが気になるな」
「固い? なにが」
すると、言いたいときに言えることを言う、というのが信条の軍師にしてはめずらしく、歯切れわるく答えた。
「まあな、いろいろとな」
「なんなのだ」
「偉度の勝負は受けてやるといい。あの子のことだから、きっと今日にも蒙鳩村に行くだろうな。あなたはどうする」
「どうするもこうするも、俺は成都にいるさ。昨日の仕事もまだ残っているし、それを片付けなければならぬ」
すると、軍師は、いつもの癖で、すこしだけ首を傾けて、俺にたずねてきた。
「さきほどあなたの言っていた、蒙鳩村が貧乏で、しかも嘘つきが多いという噂は、ほんとうなのか」
「中傷ではないぞ、あそこの村の人間は、ともかくわけのわからぬことを口にする。羽根の生えた蛇だの、巨人だの小人だのが、ほんとうにいると思うか」
「広い世の中、どこかにいるかも」

いたらおもしろいなと、軍師は自分の冗談に、自分でからからと笑うと、それから俺を見て、言った。

「まあ、あなたと偉度の勝負というのなら、わたしは公平であらねばならないかな」
「普通にしてろ。だいたい、どうして勝手に勝負なんてことになったのだ」
「あの子も、あれでなかなか情熱家だから、しかたあるまいよ」
そう言って軍師は、またも愉快そうに笑うのであるが、偉度の成長ぶりがうれしいのだろう。
今日の青空のように、見ていて心地よい笑顔を浮かべていた。




偉度は趙雲に挑戦すると、すぐさま左将軍府に行き、ともに孔明の主簿となっている若者たちに向けて、抱えている仕事の引継ぎをすませてしまうと、自邸にもどって簡単に旅支度をして、すぐさま蒙鳩村に向かった。

方旬の母親もいっしょについてきたので、馬ではなく、小さな馬車を用意して、みずから御者をつとめての旅である。
方旬の母親は、最初は恐縮していたが、時間が経つと慣れてきて、馬車に揺られながら、あれこれと話をするようになった。
ほとんどが、息子の自慢話で、母親は、息子が可愛くて可愛くて、だれかに伝えずにはおられない、というふうであった。

この母親の嫁になる娘は苦労するだろうなと、ちょっぴり意地悪く思いながらも、偉度は御者台のうえで、相槌を打ちながら、その話を聞いた。
息子の話のなかでは、きびしい村での暮らしのことも触れる。
たしかに、趙雲が言ったとおり、村は山の影になってしまっているために、田畑の実りがわるく、生活はきびしいようだ。
山の斜面に工夫して家をつくり、そこで暮らしているということであるが、もともと太陽の恩恵にあずかることの少ない蜀の地において、なぜ、さらに日あたりのわるい場所に集落をつくったのだろうな、と偉度は考えていた。
母親がいうに、村人は食糧が不足してくると、山に入って、そこで採れる山菜や獣などをとって、食いつないでいるという。

偉度に慣れてきた母親の話が、あたりさわりのないところから、次第に込み入った部分にまで触れるようになってくると、いくら孝行息子であろうと、蒙鳩村での生活は、若者にはつらいだろうなと思えるようになってきた。
朝は日の昇らないうちから起きて、すぐに仕事に励み、明るいあいだはずっと働き続ける。
仕事のあいまに出される食事は、ほとんどが保存食、夜になればなったで、すぐに眠ることもできず、わずかな生活費をひねり出すために、わらじや筵などをつくって、疲れてくると眠る。
毎日の生活のなかで、顔を合わせるのは、老いが目立つようになってきた母親だけ。
ほかの村の若者はというと、趙雲が言ったとおり、村での生活が嫌になってにげてしまったのだという。
そこは、この母親は隠そうとしなかった。
おそらく、村で、若い人間がいなくなる、ということが、あまりに日常茶飯事であることや、狭い社会のなかでしか生きていないこともあって、外聞が悪いのではと気にする感覚が鈍っているのだろう。

村の住人は、貧しい上に、嘘つきが多いという。
趙雲は話をわざと誇張して、おのれの主張を通そうとするような真似はしないから、それを考えても、息子が攫われたのではなく、単に家出をした可能性は、やはり高いのではないか。

偉度が趙雲に勝負を仕掛けたのは、このところの趙雲が、激務にかまけて、態度が固くなっているように見えたからである。
偉度にとっては、やはり趙子龍という人物は、孔明ほどではないにしろ、欲に走ることのない、超然とした人物である。
年齢が高くなったからとか、世間にもまれたとかいう、よくある理由で凡俗と同じような生き方をするようになってほしくない。
しかしさすがの趙雲も、このところの激務で、感覚が麻痺してきたのか、偏見で人を判断し、物事を処理する、ということをしてのけだ。
偉度としては、そこは見過ごせないところである。
ここで素早くまちがいを指摘して、早めのうちに矯正しなければならない。
凡俗になりきった趙子龍なんぞ、それこそ見たくもない。名前負けもよいところだ。
あのひとに息子がいないぶん、わたしがその役目を担わねばならぬ。うむ。

だが、村に到着したとたん、偉度は、これは負けかもしれないなと思った。
村は、いったいどういう理由で、こういう土地を選んで住みはじめたのか、村人の祖先に聞いてみたいなと思うほどに、暗くて寂しげな土地であった。
谷あいの道ぞいに何軒か家が見えるほかは、濃い緑のなかのあちこちに、いつ強風が吹いて飛ばされてもおかしくないようなボロ屋がある。
さらには、断崖絶壁にしがみつくようにして建っている家もあり、村の田畑のほとんどが、急な斜面を無理に開発したような、狭くてちいさな段々畑(田んぼ)である。
ほかにも土地がいくらでもあろうに、なぜこんなところに集落をつくったのかと不思議に思うようなところだ。

見ているだけで気持ちが塞いできて、偉度は手綱を手に、ぽっくりぽっくりと馬車を動かして母親の家に向かったのであるが、その途中、前方にて、ちょっとした騒ぎが起こっているのが見えた。
幌つきの馬車が、道の真ん中に止まって、その周囲に村人たちがあつまっているのである。
さて、なにがあったのかなと偉度が近づいてくると、まるで最初から約束していたように、幌がぱっと開いて、中から、どうも見たことがあるふたつの顔がぴょこりとあらわれた。

董休昭と、陳叔至の娘、銀輪であった。

つづく…
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