リクエスト企画第二弾

歳華春の思い出

ぽつんとひとり、残されているわけにもいかず、馬良は、馬良たるゆえんで、古木の下ですやすやと心地良さそうに寝息をたてる徐庶と、客間にてさんさんとおだやかな陽光をあびながら、鱗をかがやかせて寝そべっているようにもみえる孔明の姿を横目に、なんとなく竹簡の整理や、徐庶の家の蔵書の目録をつくってみたり、あるいはちかくの竹林の散策などをしたりして時間をつぶしていた。

さわさわと風に揺れる青竹の、すがすがしくも潔い姿にみとれつつ、自分に詩文を練り上げる才能があったら、どれだけよかっただろうと馬良は考える。
感受性のつよい馬良は、たしなみとして、ほかの士大夫のように詩文づくりにはげんだことはあったけれど、納得ができるものを作れたことは、一度もなかった。
噂では、許都にてぶいぶいいわせている曹操は、たいそうな文才をもっているとかで、大胆でありながらも人の心にひびく詩作を得意とするという。
孔明が詩文をつくっているところは見たことは無いが、文章をかかせれば、これの右に出るものはないと太鼓判が押せるほどに、技巧云々をとおりこおして、なにやら心に訴える文章を書けるし、あの馬謖でさえ、詩作が得意なのである。
徐庶には、徐庶の強烈な個性があり、馬謖は、あれはあれで、性格はともかくとして才能があることはたしかであるし、孔明のことは、口にするまでもない。

さてはて。

と、すれば、自分にはなにがあろうと考えて、馬良は、なにもないことに気づき、がっかりしてしまう。
あるのは、白いまゆげだけである。こんなもの、まゆずみで隠してしまえば、ただのまゆげ。
なんの役にも立ちやしない。

思わず、ためいきをつき、竹林のうえにぺたりと座り込み、ぼんやりとしていると、そこへ、いつの間に起きだしたのやら、孔明が近づいてきた。
ぐっすり眠っていたようだから、その顔つやも、ばつぐんである。
若々しい、ぴかぴかした顔をした孔明は、落ち込む馬良には、ありとあらゆる可能性のかたまりのように見えた。
ずばぬけた美貌、一度聞いたら忘れられないふしぎな印象をのこす家名、叔父や父の残した莫大な遺産、本人に、ほんとうにある才能、才能を生かしきれるだけの、ありとあらゆるものに対する高い感受性(これがあるかないかで、人生はだいぶ変わってくる。馬謖は、これが低いので駄目なのだと、馬良は判断していた)、それから、自身がそれを知り抜いて、堂々としていること。

いいなあ、と胡乱な目で見ていると、孔明が、苦笑いをしながら、となりにやってきた。
「なんだってそんな目でわたしを見るんだい。わたしの寝相は、そんなにひどかったのかな」
「そうではないよ。これから数日のあいだに龐士元と勝負をしなければならないというのに、ずいぶんきみは、度胸がいいなと思って」
と、言ってから、はっと気づいた馬良は、あわてて付け加えた。
「嫌味で言ったのではないよ。きみの度胸を誉めたのだ。わたしがきみの立場であったなら、きっと眠ってなんぞいられない。あれやこれやと、考えなくてよいことまで考えて、きっといまごろ、気狂いのようになっていたと思う」
馬良が言うと、孔明は、ほがらかに声をたてて笑った。
「それはちがうよ、良くん。もし良くんが、龐士元の出方を調べてきてくれなかったら、きっとわたしも、右往左往して、いまごろ途方に暮れていただろうね」
「旅の一座のことかい」

馬良がたずねると、孔明は、惚れ惚れするほどに鼻梁のとおった横顔を、こくりとうなずかせた。
そうして、目をぱちくりとさせている馬良のとなりに座って、青竹に背をもたせかける。
「わたしは、いままで龐士元を、あえて見ないようにしてきたんだよ」
と、孔明は意外なことを口にしはじめた。
「なんでまた。たしかに君と士元が、仲よく話をしているところは見たことがないけれど」
「なぜだと思う」
「なぜって」

問われて、そういえば、龐士元を孔明が避ける理由が、馬良から見るかぎり、ないということに気がついた。
すくなくとも、龐士元は、その周囲にいる連中とはちがって、孔明のことをあからさまに侮ったり、仲間ハズレにしたりしたことはないのだ。

なんでだろうと首をひねる馬良に、孔明は苦笑いを浮かべたまま、言った。
「わたしはね、龐士元がうらやましいのだよ。だって、かれは、なんだって持っているじゃないか。わたしはかれを見ていると、自分のなかにある醜いものに気づかされてしまうので、だからあえて距離を置いているのだ。
かれもわたしのほうに近づいてこないが、きっと聡い男だから、わたしのこういう心に気づいているのかもしれないな」
おどろいて、馬良は、ぽかんと口をあけたまま、孔明の横顔を見た。
この孔明が、だれかをうらやましがっている。
こんなに、なにもかもに恵まれた、『龍』とさえいわれている人物が。
なにかの嫌味か、でなければ冗談だとしか思えない。
「君まで、見た目だけで、わたしがそんなことを考えないだろうだなんて、俗な見方をしているのではないだろうね」

からかうように、ちらりと切れ長の目を、孔明は動かしてきた。
馬良は、あわてて、ぶんぶんと首を横に振る。
馬良は、孔明が自身の容姿を嫌っていることを知っているから、その美貌を鼻にかけて、龐統を見下しているようなことはないとわかっている。

「ついでに質問だけれどね、良くん、わたしと龐士元との差をいって見てくれないか。遠慮しなくていい」
孔明にうながされるまま、竹に背をあずけて、馬良はひとつひとつ、かんがえて、述べていった。
「そうだねぇ、年齢と、出身と、豪族であることと」
「それも差だけれど、遠慮しないでいいよ。わたしから言い出したことなのだから、怒ったりしない」
孔明がそういうのなら、ほんとうに怒ったりしないだろう。
馬良は、それこそ、身近なものだけが比較できることがらを、口にしていった。
「友達の数、それから友達というものに対する態度のちがいと、それから、目上にも目下にもそうだけれど、すこし生意気な態度と、ちょっぴり率直すぎる口の利き方と、細かいようで、じつはかなり大雑把なところかな」
怒ったりしない、といったけれど、ほんとうかな、と心配になってちらりと孔明を見れば、孔明はおもしろそうに、口に笑みをはいている。
「うん、だいたいそうだと思うよ。それでもまだ、控えめなほうではないかな。遠慮したね、良くん。まあ、それも友情を長続きさせるための、君の知恵だとおもって、我慢してあげよう」
「知恵だなんて、いつも思っているけれど、きみ、すこし、自分をわるく取りすぎているよ」
「そうかな。わたしをわるく言うやつの八割がたは当たっていると思うよ。わたしはたしかに傲慢で生意気で、礼節を知らないやつだと思う。
それにくらべると、龐士元はどうだい。ああいうのを、士大夫の鏡というのじゃないかな。
だれからも慕われて、自分から号令をかけるでもないのに、自然とひとがまわりに集まっている。ひとは、なにごとかあれば、かれに相談事をたずねにいって、励ましてもらって帰ってくる。
龐徳公が言っていたけれどね、龐士元ほど、ひとをはげますことに才能のある男は、なかなかいないのではないかってさ。
わたしはだめだな。だめなものはだめだというし、砂粒ほどの美点を岩ほどの大きさのもののように讃えて、励ますなんて芸当はできない」
「それが、いいこととはかぎらないよ。それって、自分を過大評価してしまうことにもならないかい。つまり、うちの莫迦な弟みたいになってしまう、ということだよ」

「十人が士元のところに相談にいったとして、励ましてもらったとする。そのうち、かん違いをおこすのは、いったいどれだけだと思う?」
「そりゃあ、数で答えるのはむずかしいな。でも、そうだね、あんまりいないだろうな。おおくてもニ、三人だろう」
「とすると、残りの七、八人は、士元のことばを励みに、世の中を、あかるくたのしく生きていくことができるというわけだ。残ったばか者は、これはどこへ相談に言ってもおなじだろう、ばか者だから。だから放っておくとして……わたしはこういうことを言うから嫌われるのだろうけれど……世の中をたのしく生きる七、八人は、自分がたのしく生きているから、まわりの人のことも楽しくすることができる。
さて、それではしあわせになれた七人が、最低、ひとりにつき、二人を幸せにしたとしよう。するとどうだい、たった七、八人をはげました士元は、実は十四人以上の人間をはげまし、しあわせにしたことになるのだ。これはすごいことだと思わないか」
「たしかにすごいが、あくまで仮定の話だろう。それに、その話には、重大な欠陥があるよ。うちの弟があんなふうだからわかるのだけれど、自分自身をかん違いしているやつほど、手に負えない者はない。
かん違いしているやつを量産したら、世の中めちゃくちゃだ。龐士元の態度は、あれはやはり、ひとつの手段にすぎなくて、きみのように、ずばりはっきり、相手のいいところ、わるいところを、嫌われようと恨まれようと、かまわずに指摘して、ひっぱっていく人間も大事なのだ。
というか、いまのこの混乱した世の中で、あいまいに自分を誤解させることが、よいことだろうかと、わたしは思うよ。士元の力を否定するわけではないが、わたしは、きみのほうが好きだな」

馬良が素直なところを、素直に言うと、孔明は、わずかに目線を地面に落として、すこしだけ声を震わせて言った。
「わたしは、友達選びの才能だけはあると思う」
「ほかにもいろいろあるよ。龐徳公は、『眠れる龍』だなんて、まさにきみにぴったりのあだ名をつけたものだと思っているよ。出る釘は打たれるというじゃないか。
いまは、きみは若すぎるから、どこへ言っても舐められて、だれもまともに相手にしようとしないのだ。
けれど、あと数年もして、そうだね、もうすこし落ち着いた雰囲気が身についてきたら、だれもきみを莫迦にしたりしなくなるだろう。
たしかに龐士元のまわりには、自然とひとがあつまっているけれど、あれは蛍が甘い水をもとめてくるのとおなじなのではないかと、わたしは思っているよ。耳に優しいことばは、いつだって歓迎されるものだからね。
けれど、良薬は口に苦しのたとえどおり、いつかきみの、苦いけれども事実どおりのことばが必要だと、たくさんの人が気がついて、自然ときみのまわりにやってくる。
だから、そんなふうに、自分のどこかに欠陥があるからだめなのだとか、そんなふうにいじけちゃいけないよ」
馬良が言うと、孔明はおどろいて言った。
「なぜそう思ったのだい」
「見ていれば、気づくさ。きみは、たしかに人に触れられることができないという、奇妙な癖を持っているけれど、それだって、だいぶ良くなっているじゃないか。
奇妙な癖が、どこかで振る舞いをぎこちなくして、自分を変人に見せているのだとか、そんなふうに思っているのじゃないだろうね。そうではないよ、亮くん。
わたしも、自分のまゆげがこんなふうだから、一時はおなじように考えたこともあったのだ。けれど、実際はそうじゃない。自分が孤独な理由は、自分の癖や風貌に原因があるのではなくて、時季なのだと思う。
きみには、単にその時季が来ていないだけなのさ」
「そうだろうか」
「そうさ」

その意見に関しては、つよい自信があったので、馬良がつよくうなずくと、意外にもとなりには、ひどく悲しそうな顔をした、孔明の顔があった。
「この癖は、叔父上が殺されたのを目のまえで見てからはじまった癖なのだ。ほんとうに、忌々しくおもう。叔父上が殺されなければならなかった理由もわからないし、どうしてこんな癖がついてしまったのか、自分の心の弱さにイライラするのだ。
この癖さえなければ、しなくていい喧嘩もたくさんあったし、こじれなくてすんだ人間関係もあった。それがおまえの宿命だと、崔州平はいうし」
崔州平の、四角い、ときに、なぜだかひどく孔明にいじわるを言う顔を思い出し、馬良は、本気で腹を立てた。
「崔州平のことばなんて聞き流してしまえ。あいつのことば、天の言葉ではないじゃないか」
「そうだけれどね、ときどき思うのだよ。士元のように、龐徳公のような叔父上がいたなら、どれだけよかっただろうとか、徐州が曹操に襲われることもなく、荊州のように平和であったら、龐家に負けないくらいの権勢家であれたのにとか。
贅沢な悩みだとは思っているが、士元をみていると、どうしてもそんなことを考えてしまう。
だから、そう、わたしは、はっきり言ってしまえば、かれが嫌いなのだろう」

沈痛な面持ちで、そんな告白をする孔明を、馬良は気の毒に思った。
孔明は高潔にすぎる。
人にたいして好悪の情を持つのはあたりまえだが、孔明は、つねに人に対して公平でなければならないという思いがつよすぎるのだ。
思えば、孔明の口調はたしかに辛辣ではあるけれど、それはあくまで『批判』であって『悪口』ではない。
そのあたりが、ほかの士大夫と決定的にちがうところなのである。

「嫌いでいいじゃないか。仕方ないよ」
「向こうはそうでもないみたいなのに、わたしばかりこんな悪い気持ちを持っていて、自分の小ささにうんざりする。やっぱり、『臥龍』なんて号はまちがっている。龐徳公がかえられたら、勝負に勝とうが負けようが、返上しようと思うよ」
「まだ時間はゆっくりあるさ。じっくり考えなよ」

そうして語り合うふたりのところへ、古木のふもとにいた徐庶が、大あくびをしながら、顔をだしてきた。
「おおい、そろそろ日も暮れる。孔明、出発せねば、門が閉まってしまうぞ」
うながされ、孔明は、そうだった、といいながら、腰を浮かした。
馬良は、そんな孔明と徐庶にたずねる。
「どこへ行くのだい」
「襄陽の王家だ。確かめたいことがあってね。あまりひと目につかないほうがいいので、夕方になるのを待っていたのだ。良くん、きみはずっと起きていたのだから、ここで留守番をしてくれたまえ。わたしたちは行ってくる」

留守番をしていて、そうします、いってらっしゃいと答えられる馬良ではない。
疲れは多少あったけれど、孔明たちがなにを考えているのか、そちらのほうが気になって、連れ立って襄陽への道を、戻っていくこととなった。



襄陽の王家は、町中にある立派な屋敷で、三人が連れ立っていくと、裏口に、ふたりの娘が、燭台をもって、そわそわとあたりを見回していた。
みなりのよさや華やいだ雰囲気から言って、王家の仕女で、それも、嘉音に仕えている少女たちにちがいないということは知れた。
ふたりは、すでに徐庶と孔明とは、認識があるらしい。
ふたりと、馬良があらわれると、ホッとした顔を浮かべ、早くひと目につかないうちに、こちらへ、と手招いてきた。
「いいですか、お約束のものを用意しましたけれど、絶対に絶対に、若旦那さまに、あたしたちが、貴方がたに協力したなんておっしゃらないでくださいね。どんなきついお咎めがあるか、わかったものじゃありませんもの」
「大丈夫だ。きっとだれにもいわないと約束する。で、例のものは」
孔明が問うと、娘の一人が、手にしていた紐をぐっとひっぱって、背後に隠れていたものを孔明たちの前に出す。
それは、どこにでもいるような、すこし大きめの、白と灰色がまざった色合いをしたむく犬であった。緊迫した場に似合わず、赤い舌をぺろりと出して、呑気にはあはあと息を吐いている。
「名前はあるのかい」
「小さかった頃は、真っ白だったので、『白白』と呼んでおりました。大人になってから、灰色がまざってきてしまったのですけれど」
「そうかい、『白白』かい。おとなしくて、賢そうな顔をしているじゃないか。もちろん、嘉音さんになついていたのだろうね」
「そりゃあもう。夜、眠るときだって、足元で寝そべっているくらいなんですからね。あたしたちがついていけないところでも、『白白』なら、まあ、犬ですし、ついてきてもいいということで、ずいぶん贔屓にされていたのですよ」
「ならば、王家のなかで、嘉音さんのことをいちばん知っているのは、こいつというわけだ。ありがとう、一晩、借りるよ。明日の朝のいちばんに、また返しにくるから、安心してくれ」

孔明が、おそらく約束していたのだろう、ふところから、娘にそれぞれ衣につつまれたものを渡すと、娘たちは、すこし恥じ入ったような顔をして、答えた。
「こんなものを貰っちゃ、だめなんていえないわ。きっと約束をまもってくださいね」
どうやら、絹の布の中身は、孔明が市場で仕入れてきた娘たちのための装飾品であるらしい。



さて、むく犬を仲間に加えた三人は、夜の襄陽の道を、のんびりと歩くはめになった。
馬良としてはわけがわからない。
なんだって、夜の夜中に、大の男三人で、犬の散歩に出かけなければならないのか。
むく犬は、しつけがよいのか、それとも、もともとの性質ゆえか、紐を引く孔明をあまりひっぱることもなく、のんびりと夜道をあるく。
その夜道を照らすのは徐庶の役目で、同時に徐庶は、犬と孔明を守る役目を担っているようだった。

「ときに、犬を飼ったことはあるかい、良くん」
と、孔明がたずねてきた。
「あるにはあるよ。子犬は可愛いからね。捨てられているのを、謖が見つけてきては、かわいそうだからといって持って帰ってくるのだ。
知ってのとおり、うちは父も母も弟に甘いから、弟のねがいをきいて、犬を飼ってやるのだけれど、ほんとうに数日もしないうちに、あいつときたら、飽きてしまうのさ。
で、だれが面倒をみるかというと、うちの二番目の兄でね。これが生きものが大好きだから、文句もいわずによく面倒を見ていたよ。二番目の兄は、家人の息子たちと仲がよかったから、よく狩りなんかに犬を連れて行っていたみたいだけれど」
馬良がいうのを、孔明は笑って答えた。
「うちも似たようなものだな。拾ってくるのはたいがい姉上で、飼うのは、結局、均なのだ。農作物の番に役に立っていたようだから、問題ないみたいだけれどね。
ところで、犬というのは、じつに利巧などうぶつなんだよ。均は四角四面なやつだから、犬といっしょに外を散策するときに、いつも決められた道を行く。
あるとき熱を出して外に出られなくなったのだが、犬はそんなことがわからないから、外に出してくれときゃんきゃんわめきまくるのだ。
仕方がないからわたしが外に連れて行ってやったのだが、おもしろいね、犬は自分が毎日たどる道をおぼえていて、わたしが別な道を行こうとすると、絶対にそっちはいやだと頑張って動かなくなったのだ。そうして、根負けしたわたしといっしょに、そのままぐるりといつもの道をまわったあとに、自分の家に戻っていったよ」
「ああ、わかった。だから嘉音さんの遠出の道筋を、こいつは正確に知っているだろうというのだね」
馬良がいうと、孔明は深くうなずいた。
「そうさ。さっきの娘たちに話を聞いたのだが、あの娘たちにも、嘉音さんが塞ぎこんでいる理由がわからないというのだ。ただし、遠出には、いつも同行していたのだが、休憩するときに、嘉音さんは、かならず一人になって、しばらくしたら戻ってきていたというのだよ。
そのときの様子に変わったことはなかったかと尋ねたら、べつにあんたたちが想像するような、やましそうな空気もなかったけれど、たしかにちょっぴり嬉しそうだった。けれど、いっておくけど逢引していたとかいう雰囲気じゃあなかったですからね、と、こうさ。
一人といっても、まるで一人じゃなくて、この犬も護衛としてお供していたらしい。つまり、嘉音さんの秘密を知っているのも、こいつなのさ」
「なんだ、君は馬で早駆けをしているのは、男に会いにいっていたのではないかと考えていたのかい」
「いや、ふつうに想像してご覧よ。ただの散歩に出かけていた若い娘が、ある日、突然に引きこもる。これは男の影が想像できるじゃないか。
しかし、娘たちの話だと、だれか決まった男が待っているかして、それに会いに行っていた様子じゃない。
では、嘉音さんが休憩していた場所そのものに、なにか意味があるのじゃないかというので、こいつの出番なのさ」
と、孔明は、むく犬を指さして言った。
「なるほどね。長い散歩になりそうだなあ」

馬良が見下ろすと、むく犬は、あちこちかぎまわりながらも、三人の男たちを引き連れて、夜の散歩を満喫している様子である。
そうして長い長い散歩のあと、嘉音たちが休憩していたとおぼしき草原に到着した。

つづく
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