七夕フェスタ企画 コバ様よりリクエスト作品

砂漠のエデン



すくい上げれば、砂漠の砂の感触はやわらかく、たやすく風にさらわられてしまう。
足音が響くこともなく、しんとした夜に、銀の盆のような月が冴え冴えとした姿を見せている。
孔明は背後につづくおのれの足音と、となりに一定の歩幅でつづいている友の足音をふり返り、それから、清い砂のうえに仰向けに倒れ、赤黒い血を撒き散らす、場違いな薔薇のように横たわる、青年の身体を見下ろした。
忸怩たる思いとは、このことであろう。
アトラ・ハシースになってより、こんな失敗をしたのは初めてである。相手の力量をはかることができなかった己の所為なのか。やるだけのことはやった。だが、結果は結果である。どれほど努力をしたといっても、結局、結果が伴っていないのであるから、意味のないことであった。
灰燼。まさにそんな言葉がぴったりであろう。
それでいて、さきほどから、これでよかったのであると肯定する声が止まらないのも奇妙な話である。
なにがよかったのだというのだ。一人の世界を変え得る青年が死に、これから世界は、思いもかけない方向へと転がりだす。だれの予想も付かない方向へ。
うつぶせになる青年の横顔は、月光を浴びてなお青白く、月影の加減であろうか、微笑んでいるようにもみえ、見る者の不快感をかきたてるものである。

青年はメダルのような、大きな飾りのたくさんついたアラビアの金メッキの首飾りに、同じように派手な腕輪をして、ご丁寧にアンクレットも同じデザインで統一していた。
アングロサクソンにしては足が短く、その両足には、エメラルドグリーンに銀の刺繍が施された靴、やはりアラビア風の、金の刺繍のほどこされた黒いだぶだぶのズボンに、絹の安っぽいリボンふうのベルト、真紅のチョッキに、薄手の、白い肌の透けて見える、ある意味挑発的なシャツを身にまとっていた。
そこかしこに施された刺繍が、月光に鈍くまたたき、彼をいっそう哀れな道化師のように見せている。
フェズ(トルコ帽子)はすこし離れたところに砂に埋もれてあり、これにも赤黒い染みがついていた。

趙雲はそれを拾い、
「頭部を一撃、即死」
とだけ言った。
楽に死ねたのだから、という、この男なりの慰めの言葉なのである。
「月は処女なのだよ」
「なんだって?」
「知らないか。オスカー・ワイルドの「サロメ」の台詞だよ。『この時代』の、イギリスの作家のね。今宵の月はまるで銀の盆のようではないか…だったかな、まさにそんなふうだ」
孔明のことばに、趙雲は天空を見上げ、ああ、とだけ言った。孔明の言葉を計りかねている様子である。
さもありなん、孔明でさえ、自分がこの失敗をどう捕らえるべきか、迷っているのだから。
二人はドイツ帝国軍のカーキ色の軍服を着ていたが、おそらく人に見つかれば、即刻尋問を受けたことであろう。
この青年の横たわるすぐそばには、イギリスの大英博物館の中東遺跡発掘チームの宿舎があり、その側には、オスマントルコ軍の兵舎がある。
オスマントルコ帝国、ドイツ帝国、ならびオーストリア=ハンガリー帝国は同盟を組んでおり、特にドイツ帝国は、その軍隊に突出した技術を教授すべく、オスマントルコのために何名も将校を派遣していたので、ドイツ帝国軍の将校がオスマントルコにいる、という状況自体に不自然さはなかったが、なんにせよ、いまは中身が中国人である。
当時のオスマントルコの兵士たちの横暴さ、凶悪さは『獣のよう』と評価を受けるほどに散々なもので、アラブ人たちにひどく恐れられていた。
アトラ・ハシースであり、アストラルである彼らがオスマントルコ兵に捕まろうと、相手が只人である以上、ひるむことなどなかったが、これ以上、やっかいな状態にはまるのは避けたかった。

孔明は月光に静かに浮かぶ宿舎を振り返り、そこに、悲劇も知らずに眠っている、C・レナード・ウーリー教授のことを思った。
彼は大英帝国の考古学の雄として、エジプトのテル・エル・アルマナの発掘、メソポタミアのウルの発掘および、黄金の出土品の発掘など、つぎつぎと人類に貢献する大発見をする男なのであるが、この優秀かつ派手すぎる生徒の死が、その業績に影を落とさないとよいのだが。

月から落ちた男のように砂漠のうえに横たわる青年から、なんとも離れがたく孔明がじっとしていると、趙雲もそれに倣ってか、黙ってとなりに立っている。
それぞれの思いはちがったが、失敗の二文字が、脳裏から離れないことだけは確かであった。




世界はさまざまな可能性によって、常に変革し、増大する、巨大な細胞をもつ人間のようなものなのである。想像力から生み出される可能性が、またひとつ、世界を作り出していくがために、その世界の数は、那由多、不可思、無量大数などという単位ですら計れないほどの膨大なものなのである。
スウェーデンボルグの幻視した世界は、決してあやまりではなく、膨大な世界のつながりを俯瞰すると、一人の人間の形となり、それこそが、原初に『神』が創生した人間だという。
ただし、真偽のほどは定かではない。

それの全体を、いかなるシステムによってか管理しているのが『最高府』であり、最高府のメンバー、および正確な最高府庁の位置、規模はまったく不明である。
ただし、彼らのために働く直属のアトラ・ハシースが何名かおり、彼らと『最高府』が混同されていることもあるようだ。
孔明のようにまだ二千年を経ていない『新米』アトラ・ハシースなぞは及びもつかないのであるが、『最高府』の意向を受けたアトラ・ハシースと、おのおのの汎世界を管理する『ヴァルキューレ』(アプサラス、モイライ、などとも呼ばれているが)が連動し、世界を動かしているのである。
が、そも、その基本政策すらわからないので、最高府と関わりのないアトラ・ハシースは、その意向を受け、ひたすら命題をこなしていくだけだ。
命題をこなせばこなすほど、霊格がどんどん上がり、保有し、動員できる霊力が増えるため、命題は与えられたほうがよいし、召喚される数が多いアトラ・ハシースというのは、それだけ『使える』と評価されているということであり、『真の英雄』であるともいえ、たいへんな名誉なのだ。
アトラ・ハシースに使役されるアストラルも同様である。
その名誉あるアトラ・ハシースに召喚されるアストラルは、経験を積んで霊格を上げさせ、アトラ・ハシースに近づくことができる、というわけであるから、なお一層、命題にはげむ。
世界はアトラ・ハシースやアストラルといった『善き魂』…天使とも天人とも精霊、ときには神とさえ呼ばれるが…によって守られているわけである。

かくて、呼び出された孔明であるが、行って見れば、そこは砂漠のど真ん中。
タクラマカンやゴビなど、中国にいくらか近い地域というふうでもない。
これはまた、眩暈がくるほど青い空だ。逆にこちらが天空で、飛び込めば向こうに入り込めることができるのではないか知らん、などと思いつつ、だれもいない砂漠をぼう然としていると、まるでモーセがシナイ山で神から啓示を受けたがごとく、砂漠にぽつりと、石版があるのを見つけた。
そこにはこうあった。

『召喚されしアトラ・ハシースへ。この注意書きをよく読むこと。
ただし、この注意書きは、読み終わったら自然に消滅するため、あらかじめ証人として、先にアストラルを召喚しておくことをすすめる。人数は好きなように。ただし大掛かりな仕事ではないので、大人数はいらない』

孔明は実に素直に、最後の文言に従った。すなわち、『大人数は呼ばない』。
かくして、いつものごとく、特に異常事態ではない限り、かならず召喚することにしているアストラルにして朋友の、趙子龍を砂漠に召喚したのであった。
趙雲は、察しのよいところで、
「またおまえか」
などとは言わず、やはり岩と砂と太陽と青空の世界を見回し、怪訝そうにしている。
アストラルは受肉しないので、灼熱であろうが極寒であろうがへっちゃらであるが、受肉しているアトラ・ハシースたる孔明はさきほどから脱水寸前である。
説明の前にと、トン、と足元を一度だけ鳴らし、それから、地下数百メートルにある水脈から、噴水のごとく水を吹き上がらせた。
遠くからみれば、砂漠のど真ん中でクジラが潮を吹いているかのように見えたにちがいない。
「ああ、涼しい。水とはありがたいものだな。ところで、ここは、どこだと思う?」
趙雲は、あきれて言った。
「知らずに人を呼んだのか。ヴァルキューレは?」
その質問には、孔明は石版を指した。
おそらくこの世界の住人に見つかってもかまわぬように、古びた石版に文字が刻まれているのであるが、その文字は、アトラ・ハシース専用の文字であり、たとえこの世界の暗号解読の天才が、いかなる技術を駆使しても、読めることはない。
「アストラルを召喚したところで、つづきを読むとするか」
まだ命題すら読んでいなかったのか、と、ぶつぶついう趙雲を横目に、孔明は砂を払って、石版のつづきを読んだ。

『今回の命題。明日の夜、バクダット鉄道爆破を行うT・E・ロレンスを狙う刺客が列車に乗り込む。ただし刺客がアトラ・ハシースであること以外、いつの時代の英霊か、その能力、性別、国籍は一切不明のこと。この刺客を阻止し、T・E・ロレンスを保護せよ』

「T・E・ロレンス?」
首を傾げる趙雲の横で、孔明が愁眉をひらいた。
「なんだ、知らないのか、トーマス・エドワード・ロレンス。アラビアのロレンスのことさ。デビット・リーンの映画は? 観てない? たしか彼もアトラ・ハシースになっているはずなのに。どうやらここはシリア砂漠で、この世界は、基本世界より、時間が百年ほどずれているらしいな。つまりは、第一次世界大戦の真っ最中ということだ。1916年前後だな」

繰り返しになるが、汎世界、つまりパラレルワールドは、ちょっとした事象が微妙にずれている世界が延々と連なっている世界のことである。世界同士が遠ければ遠いほど、差異は広がる。
このように、時代の進み方が遅れている世界も、当然のことながら存在するわけである。

相変わらずの見事な甲冑姿のまま、砂漠の上に立つ趙雲は、そのいかにも男らしい凛々しい風貌をしかめて、忍耐づよく言った。
「ここが世界大戦の最中で、シリアというのはわかった。しかし、ロレンスという男がアトラ・ハシースになったなら、そいつが自分で自分を救えばよかろう。それに、シリアに、俺たち中国人が召喚される理由がある? たしか、この時代は、中国のほうが、よっぽど俺たちを必要としていないか」
ちなみに中国では辛亥革命にて清朝が倒れ、中華民国の建国がはじまった時代である。
趙雲の問いに答えるかのように、石版にあらたな字が浮かび上がった。

『それはさておき』

「これ、双方向なのか?」
「ものぐさなヴァルキューレが、どこかで書いているものを、この石版に送信しているらしいな」

『おだまり。中国は、ほかのアトラ・ハシースが派遣されているので問題はない。それに、本人に関する事項の召喚の禁止法を忘れたか。アトラ・ハシースは、いかなる汎世界においても『自分』を救うことは絶対に禁止されている。破れば煉獄行きどころではない。『完全消滅』だ』

「そうだった」
完全消滅とは、読んで字の如く、『基本世界』から存在を抹消されるということであり、その存在は二度と再生されず、永遠の混沌の闇に意識あるままもどされる、という最悪の罰のことである。

『なぜここに中国人のアトラ・ハシースが召喚されたのかといえば、中東という宗教的に複雑すぎる地において、中国人は宗教観から解放されているからである』

「それをいうなら、日本人のほうがもっと解放されているではないか」
孔明が言うと、石版はまた文字を浮かび上がらせた。

『今回の人選は、『風』を操れる、ということで特選したものである。日本人に貴殿ほど『風を操る』術に長けたアトラ・ハシースがいなかった』

「まあたしかに、あの国は神風、神風とよく言うが、別に術者が起こしたものではないからな」

『繰り返すが、明日の昼に通過するバクダット鉄道に、アトラ・ハシースのアサシンが乗車することだけはわかっている。必ずこれを阻止し、世界より消滅させよ。追加情報として、このアトラ・ハシースは、単独行動を好み、アストラルは連れていない。成功を祈る。なお、この石版は貴殿らが読了後、自然消滅する』

事実、孔明と趙雲がすべて読み終わったタイミングを見計らって、石版は強い砂嵐にぴゅうと吹かれると、まるで砂糖のかたまりのように脆くさらりと削れて、跡形もなくなってしまった。
「……なにが大掛かりな仕事ではない、だ。名乗らずに失礼なヴァルキューレめ」
「相手の性別も名前もわからぬ、というのであれば、霊査するしかなかろうが、ふつう、アトラ・ハシースは互いの霊査を警戒し、気配を隠すものだからな」
趙雲がつぶやくと、孔明はうん? と首を捻った。
「わたしは隠さぬぞ。数百万人のうちの一人がなれるかなれないか、という確率の、名誉あるアトラ・ハシースなのだ。堂々としていればよいではないか」
趙雲は、砂漠であろうが北極であろうが、とんとかわらぬ、倣岸な態度ですましている、出会った頃の美貌をとどめている友人の姿に、ため息をついた。
アトラ・ハシースは受肉してのち、好きなふうに年齢を変えることができるのであるが、孔明は好んで二十七歳の、ちょうど社会人として歩き始めたころの風貌を好んで形を取った。
「おまえ、その図々しいの、直さないと霊格が上がらぬぞ。相手はアサシンというくらいなのだから、当然、こちらの気配を探知したら、ますます隠れてしまうであろう。そういうわけで、いまからでも、その妙に馬鹿でかい霊力の気配を隠せ」
「判ったよ。しかし妙だな。この世界では、アトラ・ハシース同士で内紛でも起こったのだろうか。しかもロレンスというところが、きな臭い。あまり深く関わらないほうがよいかもしれぬな」
「なぜだ?」
趙雲の問いに、孔明は意外そうな顔をした。

「アラビアのロレンスという人物を押さえておかねば、基本世界における、あのどうしようもない中東問題は理解できぬぞ。
アラビアのロレンスというのは、かなり簡単に説明すると、トーマス・エドワード・ロレンスは、イギリス人将校として、3C政策の邪魔者でもあり、連合国側の敵でもあったオスマントルコ帝国を内側から切り崩すべく、イギリスからアラブ社会に潜入させられたスパイだったのだ。
ところで、われらは細作を身分低き者として扱っていたがが、西欧では、スパイはエリート中のエリートの職業だということを忘れないように。
それはともかく、オスマントルコ帝国というのは、当時は領土が肥大過ぎる上に中央が腐敗しまくっており、中東半島でもアラブ民族が不満を多く抱えていた。そこに目をつけたロレンスは、アラブ民族に入り込み、ファイサル王子という人物を見出し、これを担ぎ上げ、ゲリラ戦法を駆使して、アラブ独立運動を支援するのだ。
その戦術の中心が、オスマントルコ帝国の補給線であったバクダット鉄道をダイナマイトで破壊する、というものだ。この単純な戦術は大当たりして、オスマン帝国は敗戦へと向かっていくのだよ。そしてこの運動を指揮したアラビアのロレンスは英雄として担ぎ上げられていく。
ところがだ、ここからがややこしいのだが、実はイギリスはそのころ資金不足で、ユダヤ人財閥に対し、もし戦争のためにお金を貸してくれるならば、アラブ人がトルコより奪った土地、つまりはユダヤの『失われし約束の地』パレスチナに、国を建国しても良い、と契約した。これが現在のイスラエルだ。
しかし、アラブ人は、その契約のことを知らされていなかった。アラブ人は、世界大戦終了後は、完全な独立をイギリスより約束されていた。
しかもだ、イギリスの大嘘突きめは、この両方の当事者には黙って、同盟国のフランスとロシアに、終戦後はオスマントルコを三分割し、アラブには独立を、ユダヤには国家建設を約束していたほかならぬパレスチナを、『国際管理地域』つまりは誰のものでもない土地にする、と約束したのだ。
現在の、イスラエル(パレスチナ)を巡る悲劇的な国際問題は、原因のほとんどがイギリスにある。そして、イギリスの思惑を成功させた『アラビアのロレンス』に原因がある、ということなのだ。テストに出るぞ」(はさみののテストには出ました)

「なんのテストだ。略の割には長かったな。それはともかくとして、そんなやつ、暗殺させるに任せておいたが良かろう」
「ふむ?」
「つまり、そいつがアラブの独立を成功させていなかったら、その後の歴史は大いに変わる、というわけではないか。基本世界で毎日のように続く、イスラエルのテロも起こらない。帰ろう、孔明。俺たちの仕事じゃない。断ったところで、特に罰はないはずだぞ」
踵を返し、元の世界に戻るべく、陽炎のようにその姿を消そうとする趙雲に孔明は言った。
「イギリスの最悪の三枚舌外交を、ロレンスは知らなかった。ロレンス自体は、非常に優秀で真面目な軍人であったのだ。本国が、自分をも騙していたことを知り、彼は精神的に引き裂かれ、戦争終結前に失意のうちにアラブを去っている。
しかも、独立戦争の最中に、アデラという土地で捕虜にされ、ひどい拷問を受けて、さらに精神バランスが崩れてしまったのだ。それすらも、基本世界における悲劇の代償というのかね」
趙雲は、姿を消すことを途中でやめて、孔明を振り返った。
「おまえ、そのイギリス人に、なんとなく自分の姿を重ねていないか」
「おかげさまで、わたしは誰かさんに守られ続けていたので、一度たりとも拷問されたことがない。だが、夢がすべて費えたあとも、生きていなければならなかった、すべてを見ていなければならなかった、というのは、どういう思いなのだろうな。自分では戦うこともできず、見ているしかできないのだよ」
趙雲は、やれやれ、とつぶやきつつ、さくさくと砂の音をさせ、孔明の元へと戻ってきた。
「おそらく、ここでさっさと消えることができる俺と、残って生真面目に命題をこなそうとするお前との差が、アトラ・ハシースと・アストラル、ということなのだろうな」
「子龍、無理強いはしないよ。本当に勘だが、なにやら、今回はきな臭さが過ぎる」
「では、ひとりでやるつもりか」
「馬超を呼ぼうかと思う。ほら、羌族も一神教であるし、この地について、なにか通じるところがあるのではないか、と思うのだ」
「馬超!」
それを聞いたとたん、趙雲の身体は見事にくっきりと、只人の目にさえはっきりと映るくらいになった。
そして、シリアの砂漠に、古代中国そのままの黒衣の衣装、という孔明の細肩を、がっしりと掴む。
「俺がやる。俺にしておけ。ああ、それがいい。で、列車の切符はどうする」
「? どうしてそこまで馬超を嫌がる」
「あいつ自体に悪いところはない。だが、あいつはうまく行っていることもぶち壊す天才だから、もっと悲惨なことになりかねん。それどころか、アラブ人に同情し、ロレンスと一緒に独立運動をする、と言い出す可能性もあるぞ」

なるほど、と孔明は考え込んだ。たしかに、ロレンスの生涯(どちらかというと、ロレンスの担いだファイサル王子の人生)と、民族の自立のために戦った男、という観点からすれば馬超には似たところがあるかもしれない。

「わかった、では、そこまで言ってくれるのであれば、二人でやろう。で、切符なのであるが、考えたのだが、ただの観光客がウロウロしている時代ではない。となると商人だが、自国もめちゃくちゃな時期に、こんな砂漠に華僑がいる、という設定もおかしいと思わないか」
「たしかにな。憲兵に見つかって時間を消費するのが惜しい」
「そこでだ。霊査を避ける、という意味も籠めて、わたしは今回、姿を消そうと思う。つまり、肉体を消して、透明化して過ごす。そのかわり、霊査されにくいアストラルである、あなたが受肉して、アサシンを探してくれぬか。まさか向こうも、アストラルが受肉して自分を探しに来るとは夢にも思うまい。もちろん、あなたが危機になったら、すぐさま受肉して、戦闘態勢に入るので安心してくれ」
「相当な霊力が必要だぞ」
趙雲が言うと、孔明は不敵に笑って、仰ぐようにして砂漠の砂に両手を広げた。
「あなたにはわからないかな、この土地は、たしかに灼熱でどうしようもない場所ではあるが、太古の息吹に満ち満ちている。何十億年という年月の霊力が、たっぷりあふれている土地なのだよ。
この土地でなら、霊力の補給はまったく問題ないし、ありとあらゆる行動が可能だ。壊せといわれれば、この世界を丸ごと壊すことすら、可能なほどだぞ。唄って踊れる核爆弾百発分と呼んでくれたまえ」
「それは止めてくれ。わかった、おれが受肉し、おまえが消える、と」
「了解したところで」
と、孔明は『かたちあるもの』の呪文を唱えると、アストラルである趙雲をいとも容易く受肉させてみせた。

が、まず両の手を見た趙雲は、自分の手が妙に白いことに眉をしかめる。
「気のせいか? いつもの俺ではないような」
見下ろすと、カーキ色の、古式ゆかしきドイツ帝国の将校服を身にまとっていることはわかる。だが、なんだろう、この手の白さ。そして髪を引っ張って抜いてみると、金色だったりするのは。
「おい、誰にした」
孔明はしれっとした顔をして言う。
「だれもなにも、ドイツ帝国将校になったのだ」
「なぜ? イギリス人として、ロレンスのそばにいたほうが良かろう」
「たわけ。アサシンは列車内にいる。ロレンスはその列車を爆破する。アサシンはどうして列車に乗る? ロレンスがダイナマイトをで列車を爆破し、停止させて襲ってくる、まさにその瞬間にあらわれてロレンスを暗殺するためだ。
よいか、まともにロレンスを巻き込んではならぬ。ダイナマイトで列車が爆破される直前に、われらはアサシンを探すのだ。
ロレンスが爆破する列車にイギリス人が乗っているはずがないだろう。よいかね、この時代の列車というのは、生意気にも白人と有色人種とに車両がわかれているのだ。白人になったほうが、両方の点検をしやすい。というわけで、結論としてはドイツ人将校。そうだ、名前を決めておこう。あなたの名前は、いまからカール・ハインツ・シュナイダーだ」
「どこかで聞いたような…」
「では、砂漠つながりでエルヴィン・ロンメル」
「それは不味すぎるだろう! わかった、カール・ハインツ・シュナイダーだな。で、俺のほうにも提案があるのだが」
「なんだね」
「透明化、と簡単に言うが、受肉したアストラルは、極端に霊査能力が落ちることは知っているだろう。肝心なときに、おまえがどこにいるのかわからなくなったら困る。透明化ではなく、物質化してほしいのであるが、どうだろう」
「物質化か。ふむ」
と、孔明は小首をかしげて見当してみせる。この小首を傾げて考える仕草は、何百年たとうが変わらぬものである。
「身に着けていて、不自然でないものにするか。よし、いまから龍の小さなペンダントになる。十字架だと宗教がらみのウルサイ問題にひっかかったら嫌だからな」
と、孔明は『かたちあるこころなきもの』の呪文を唱えると、どろり、と白煙とともに姿を消した。
その代わり、空中に、虹のような輝きを伴った環があらわれ、その中央に、銀のくさりに、中央に白い玉でできた龍のペンダントが風船のように浮いていた。
それに触れただけで、ただならぬ霊力がそこに『ある』というのがわかる。
とはいえ、そうとうに近づかねば、このペンダントに秘められた霊力の凄まじさはわかるまい。巨大な霊力を持つものは、隠すのもうまいのである。

趙雲は、それを首にかけると、手にとって、まじまじとそれを見た。
「龍というより、タツノオトシゴみたいだ」
『ウルサイ、ダマレ』
喋れるらしい。
『霊力は最小限に抑えた。あなたはなるべく列車内を動き回ってくれ。霊査はわたしがやる。この小ささならば、向こうも相当な距離に近づかねば、こちらがわかるまい』
「わかった。さて、それではバクダット鉄道の切符を買いに行くか。やはりここはドイツ語だろうな。わからなくなったら、通訳してくれよ」
タツノオトシゴが、わかった、と言ったので、趙雲は、孔明の霊力によってシリア砂漠の風に乗り、バクダット鉄道の始発駅へと向かったのであった。

※どうして短編が書けないのだろう…とくに「ずんだ」シリーズ、説明長くてすみません。次回につづきます。

つづく

更新履歴に戻る
MAPに戻る