椒聊よ、遠き条よ
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三話 沈哀 日にすでに深し・5
董和の息子である休昭のことは、だれも問題にしなかった。
まず、その軟弱な気質から考えれば、ほんのすこし脅かすだけで、あとは容易に思いのままになるだろうと想像できたからだ。
李巌にしても、休昭が、言葉の裏に真意を隠していることなど、まるで気づいていない。
世間でも有名な孝行息子である。
そのうえ、職場における立場のこともある。
李巌は、休昭の直接の上役にあたる嘉斉に、休昭の心を揺さぶるべく、自分との面談が終わったなら、すぐさまこれに対しての態度をもとのとおりに改めよと指示をしていた。
いまごろ、休昭の頭のなかには、こういう考えが生じているはずである。
『李巌に逆らわなければ、つらい目に合うことはない』
と。
すくなくとも、李巌はそう思っていた。
ほかにどんなことを思うという。世間知らずの、まだまだ子供といってもいい少年だ。たいした知恵も持っていないはずだから。
問題は、費文偉のほうであった。
いくらその権勢は凋落したとはいえ、名家の次期当主であることにちがいはない。
これにうかつに強引な方法で揺さぶりをかければ、荊州の劉璋側から文句が来る。
たとえ益州を失った君主とはいえ、世間的には、まだまだ劉璋の影響力は残されている。
そこを理解しての、かぎりなく拒否にちかい「保留」なのであろう。
「呉の細作のことなど持ち出すから、かえって頑なになってしまったのではないか」
と、ひとりが口火を切り、ほかの者たちがそれに賛同した。
「脅すばかりが方法ではない。費家は、貧困のきわみにあるということだから、まず四の五の言わせないためにも、物品や金を大量に送りつけ、懐柔するべきではないか」
「たしか、いまの当主の費伯仁も、甥の文偉も、独り身であったはず。てきとうに良い女をえらんで、あてがってやればよいのではないか」
会合には、李巌のほか、五人の男たちがいる。
広大な敷地のなかで、建て増しのつづいている李家の、その母屋の奥に、会合につかわれている部屋はあった。
扉はすべて閉ざされ、雨戸も閉め切られている。
まだ外は十分に明るいのであるが、室内には燭が灯されて、それぞれの六人の表情を闇の中に浮かび上がらせている。
かれらは、李巌の裏の側近、ともいうべき人物たちである。
公的な役職についている者はなく、主に、うしろぐらい作業を担当する。
孔明の暗殺の手配をしたのもかれらであるし、王連や法正などといった、李巌側の人間との連絡役をつとめているのも、かれらである。
本来は、七人いた。
ところが、二人欠けた。
殺されたのである。
李巌には、だれが手を下したのか見当がついていた。
趙雲である。
当初、王連との連絡役をつとめていた男が斬られたとき、李巌は、この下手人は孔明の身辺を守る細作集団のうちのだれかだと思っていた。
だからこそ、李巌は、王連の屋敷を見張っていた、その仲間を捕らえ、これを拷問にかけて、最後は殺した。
人質につかわなかったのは、この細作が、どれだけ痛めつけられようと、なにもしゃべろうとしなかったからだ。
見せしめの意味をこめて、この体から腕を切り取り、孔明の屋敷のまえに置いた。
だが、この一連の作業のさなかに、尚書の呉が殺された。
呉は慎重な男だった。
急速に出世したことで、同僚たちから妬まれていることも知っていたし、李巌の考え方や、その手法も飲み込んでいて、だからこそ、反撃はやってくるだろうと理解もしていた。
それだけ慎重だった男が、何者かに呼び出され、単身でかけて行った。
細作の仕業でもあるまい。
もし細作だけが呉のまえに現れたのであれば、警戒して、単身で出かけるなど、しなかったはずだ。
となれば、呉は、知っている人物、そして、まさか人をいきなり斬るような真似はしないだろうと思っていた人物に、殺されてしまった、ということである。
孔明側の人間で、しかも殺す手際がよい人物、さらには呉が油断した人物となれば、趙子龍にほかならない。
趙雲は、武将ではあるが、その素行に対する世間の評判は、すこぶる高い。
そのため、呉も油断した可能性というのは、おおいにある。
「いちばん最初に、趙子龍から消すべきであったな」
李巌のつぶやきに、それまで文偉をめぐって、ああでもない、こうでもないと話をしていた五人の男は、ぴたりと口を閉ざした。
「いまは手が出せぬ」
李巌は、うめくようにつぶやく。
趙雲は、李巌からしてみれば、武将のわりには聡明すぎた。
政治的な動きには疎いが、身辺の危険においては、獣なみの勘が働く。
終風村の一件以来、李巌は、全貌を知る孔明や趙雲の命を狙い続けていたのだが、趙雲に向けた刺客は、全員が消息を絶った。
おそらくは、消されてしまったのだろう。
孔明側の刺客にしてもおなじことで、これもまた、趙雲によって消されている。
刺客と自分を結びつける証拠は残さないように気をつけていたから、そのことで糾弾される心配はない。
しかし逆にいえば、裏の手段をつかうのは、表立って李巌が孔明や趙雲を攻撃できないから、ということでもある。
終風村での出来事は、劉備はすべて知っている。
知っているうえで、見逃してくれたのは、自分の影響力が、巴蜀のなかで強いということを見越してのことだ。
寵臣を守ることよりも先に、国家の権力の均整を守ることを優先させたのであろう。
『主公はわたしを信頼しているのではない。あくまで、わたしが影響力のある男で、これを潰すことで反発が起こることを警戒しているのだ。
つまりは、わたしが影響力を失えば、もはや、主公にわたしを庇う理由がなくなる。表立って、後ろ暗いところはひとつも見せてはならない』
趙雲は、そんな李巌の心までも見越しているのだ。
だからこそ、大胆にも、腹心たちをみずから殺して回っているのだ。
あざやかに、なんの証拠も残すことなく。
これで、李巌側が趙雲こそが下手人だと騒いでも、証拠がない。
趙雲は劉備にとっても古参の家臣であるし、その長男の命の恩人でもある。
証拠もなく罪を訴えれば、いらざる反感をまねくことはまちがいない。劉備を敵にまわすことになったら、たとえ法正をはじめとするもともとの益州の家臣たちや、豪族たちが庇ってくれても、これには敵うまい。
張飛や魏延など、いまはこちら側寄りになっている者たちも、劉備が李巌に対して敵になったら、あっさりと反旗を翻す。
第一、 孔明が黙っていない。
もともと、策謀に向いていない人物であるが、自分の側近のなかで、ほとんど唯一といってもいい武人である。
ありとあらゆる手段を以て、これを守ろうとするにちがいない。
孔明は、清流を気取っているからこそ、やりやすいのだ。
汚い手段は絶対につかってこないとわかっている。
しかし、これを下手に刺激し、追いつめて、予想もつかない相手に変えてしまうことは避けなければ。
龍をわざわざ目覚めさせてやることはないのだ。
そうした理由から、趙雲と孔明のあいだに、なにやら妖しい絆が生じているということも、はっきりとした証拠がない以上、攻撃の材料にできない。
証拠がなければ、作るくらいのことはするのが李巌であるが、そうしないのは、孔明も趙雲も、終風村の事件以来、慎重に行動していて、なかなか糾弾するのに十分な材料を得られないからだ。
防御が高い孔明の、その足元を切り崩すことを李巌は考えた。
諸葛亮が成都に早くなじめたのは、董幼宰を部下にもてたこと、劉子初を左将軍府に迎え入れたこと、そして登用さいの仲立ちで、費家と誼を通じたこと、この三つがある。
劉巴のほうは、かつて交州から逃亡してきた身を助けてやった恩があるので、いざとなればこちら側につくことはわかっているから、これは問題ない。
しかし董和は頑固で、孔明とおなじく清流の士である。直接にこれに当たれば、たやすく跳ね返されることは目に見えている。
だからこそ、息子を狙った。
おなじ理由で、文偉である。
いかに董和といえど、おのれの一人息子と、世話をしている費家の次の当主が李巌になびいたとなれば、考えを変えざるを得なくなる。
左将軍府の中心人物のほとんどを味方にできれば、怖いものはない。
「趙子龍は、われらのことをどこまで知っているのでしょう」
と、不安げな顔をして、顔に疱瘡のあとを残す男が言った。
この男は、名を史という。李巌の屋敷に出入りする商人たちを取り仕切っている男で、商人から毎日のように寄せられる賄賂の数々をうまくさばいている。
「われらの顔と名前は、知られていると言ってよいであろう。そうでなければ、なにゆえ高が殺された」
皮肉げに顔をゆがめていうのは、李巌の片腕で、その家令をつとめる藩季元である。
逆三角形の、細面の男で、どこかは虫類を思わせる顔立ちの男だ。
高、というのは、王連との連絡係をつとめていた男である。
死んだ呉をふくめ、李巌の裏の側近たちのなかでも、もっとも役割が小さく、そして顔もあまり外部に知られていない男であった。
殺されたのが、藩季元のように、李巌の行動の裏側のすべてを知っている人間ではなく、高であった、というところが、かれらから余裕をなくしていた。
かれらはそれぞれ、顔と名前を含め、住まいなども、あまり外に知られないようにと気をつけていた。
尚書の呉は、出世を焦るあまり、急ぎすぎた。
だから目立った。
が、高のほうは、どうして身元がわかったのか、そこがかれらにとって、ふしぎなのである。
「趙子龍は、諸葛亮のもつ細作集団のようなものを持っているのではありませぬか。そうでなければ、どうして高のことを知れたのか」
苦りきって言うのは、昭という男である。
この男は、李巌の身辺を守る部曲の長である。
高と呉の死について、責任を感じているのか、ここ最近の表情は、固いことが多い。
もともと実直な男で、李巌に恩があって、本来なら、将になれる実力がありながらも、あえて部曲になった男だ。
裏の仕事に手を染めながらも、その四角い顔には、まだ誠実さが残されている。
「趙子龍の動きはどうだ。目を離しておらぬだろうな」
「あちらも警戒しておりまして、兵舎のなかに入り込むことはできませぬが、出入りするであろう門のすべてに、人を配しております。
それこそ、壁を突き破ることなどをしないかぎり、趙子龍がわれらの目をかいくぐって行動することはできませぬ」
「壁を突き破ってもおかしくない男だぞ。知恵もあれば、肝も据わっている。
なにせ、あの主公のそばに長くあり、いまのいままで生き残ってきた男だからな」
皮肉をきかせて李巌が言うと、昭は、亀のように首をすくませながらも、答えた。
「見張りを増やすことにいたします」
「いますぐにせよ。まったく、おまえのような男が相手では、趙子龍も、さぞかし手ごたえがなく感じているであろうな」
「返す言葉もございませぬ」
「それに趙子龍は聡いし鋭敏な男だ。おまえの部下たちが門を見張っていることに気がついているかもしれぬ。それはどうだ」
「それは、なんとも。おそらく、大丈夫だとしか」
しどろもどろに答える昭に、李巌は冷たく目を細め、指を蜘蛛の足のように曲げて、かつかつと、床を叩いてみせた。
「たわけめ。おまえやおまえの部下は、趙子龍を眺めているだけなのか。観察し、想像するのだ。やつの行動の意味を考えろ!
よいか、すでに二人も殺されているのだ。やつの思惑がどこにあるのかはわからぬが、まただれか殺されるかもしれぬ。
それを防ぐためのおまえであるのに、この役立たずめが!」
「申し訳ございません!」
「謝ることなら、子供でもできる! いますぐ見張りを増やせ、たわけ!」
「ご命令のままに!」
昭はそういって平伏すると、その場の一同にも丁寧に頭をさげて、滑るように、部屋から出ていった。
「あやつ、切ったほうがよいのではございますまいか」
昭が言ってしまうと、その去った扉をじっと見つめつつ、藩季元が言う。
この場合の切る、とは、解雇の意味である。
しかし、李巌の裏側を知りすぎた男を世に放逐するわけあるから、まともな解雇ではない。
藩季元のことばに、しかし李巌は首を横に振った。
「いいや、いま、守りはなるべく厚くしておきたい。趙子龍がどんな方法をつかってわれらのことを知ったのか、それがわからぬ以上は、特にな。
それよりも、あらためてみなに申し伝える。身辺のことは警戒をつづけよ。しかしだからといって、本来の作業がおろそかになってはならぬ。
呉の後任を至急選び、尚書令の心変わりが起こらぬようにせよ」
「いま、人選をはかっております。しかし、法尚書令も気むずかしいお方ですので、これに気に入られる人物となると、なかなか」
「急げ。尚書令の娘を娶り、わが屋敷に迎えることができるまでは、尚書令のことであるから、わたしの味方には成りきらぬであろう。
ほんの少しでもこちらの動きに不審な点があれば、あの男のことだから、容易に話を白紙にする」
「それでございますが、お屋敷の女人方から、すでに側室も多くいるなかで、どうして、またあらためて年若い娘を正夫人として迎えようとするのかと、抗議が起こっておりますよ」
と、言葉の内容とはうらはらに、どこか楽しそうに口にするのは、呂という男である。
もともと劉璋に仕える宦官であった。
李巌が益州にやってきたばかりのとき、劉璋に賄賂をおくる手づるとなった男である。
劉璋が追放されたあとは、うまく立ち回って、李巌の家にもぐりこんだのだ。
前身が前身だけに、豪族の内情にも詳しく、李巌が重宝している人材でもある。
「おまえたちが尚書令の娘ではないからだと、そう答えてやれ」
李巌が言い放つと、呂は、ますます楽しそうに顔をゆがめて、声を立てずに笑った。
「ではそうしてやりましょう。しかし、こうなりますと、尚書令のご息女がわが屋敷にやってきたときは、文字通り、針の筵になるでしょうな。
すぐに実家に帰ると泣き出したら、厄介でございますぞ」
「そこは問題なかろう。女なんぞは単純なものだ。おまえがいちばん大事なのだと、言葉と態度で見せてやれば、すぐに有頂天になって、どんな苦しみも勝手に耐えてくれる」
「宋家のほうは、どうなさいます」
「どうもこうも、まだ話が進まぬのか。妾腹で、本妻とその息子に疎まれているうえに、親に内緒で結婚までして、さらにすぐに捨てられたという女であるから、問題なく家に入れられると言ったのは、おまえだぞ」
李巌が顔をしかめると、呂は、やはりなにが楽しいのか、同じように笑いながら答える。
「申し訳ございませぬ。思った以上に父親が強情でございましてな。奥方やご子息がうるさいだろうに、がんとして、娘を妾として出したくない、とこう申しておるのです。
耳が遠くて耄碌しているという噂は、あまり当てにならぬようですな」
「なれば、本妻とその息子に、さらに賄賂を送れ。もともと厄介払いがしたくてたまらない連中だろう。父親がなんと言おうと、娘を差し出させろ」
「心象を悪くして、よろしいのでございますか。宋家は成都でも指折りの財産家。この娘を妾というかたちで娶り、人質として手に入れれば、父親は、娘かわいさのあまり、ご主人さまに財産を差し出すであろうと、そういう話ではございませぬか」
「そこまで可愛がっている娘であるなら、かえってよいではないか。父親の機嫌を取る必要もない。攫ってもよいくらいだ。
本妻と息子のほうは、あとで始末するゆえ、その算段もうまく立てておけ」
「ぬかりなく」
「ところで、例の取引の件でございますが」
と、切り出したのは、李岩という男である。そのとなりにいるのは李円という男で、このふたりは李巌の血筋である。
やはり特徴的な、うつくしく整えられた髭を、口許にたくわている。
李岩と、李円は兄弟で、身体的特徴もほとんどおなじことから、なかなか見分けをつけることがむずかしい。
円のほうが、弱冠、若い。
「魏のほうで、取締りがあるという話を掴みました。道を変えるべきかと存じます」
「左様か。ふん、魏は地方の役人にも人材が揃っていると見える。よろしい、道を変えよ。
なるべくなら、威張ることだけしか能のない小物か、さもなくば、鼻薬のよく効く役人のいる土地を選べ。そのほうが面倒にならなくてすむ」
「早急に手配をいたします」
「うむ、いそげ。そなたらの管理する取引は、わが李家にとっては命綱なのだ。そこから得る報酬こそが、われらのいまの地位を築きあげたのだからな」
そこまで言って、李巌は、苦笑いをこぼした。
「荊州で、わたしは誠心誠意をこめて官に尽くした。ところが、天下はあっさりと覆り、われらは益州に逃げるほかはなくなった。
劉璋の治下において、益州は腐り果てていた。いかに有能で心栄えが立派であろうと、金がなければ、なにひとつ認められることはない。
どれほどの屈辱を、このわたしが味あわなければならなかったか。
いつか、わたしを虐げるすべての者たちを目の前で屈服させてやると、それだけを励みに、いままで生きてきた。
あと一歩のところで、わたしは権勢の頂点に立てたはずだったのだ。
ところが、またもや天下は覆り、わたしの手にするはずであったものを、よそ者である諸葛孔明が、ほとんど苦労もなく横取りをしようとしている。これを黙ってみておられるはずがない。
よいか、一同にあらためて申し付ける。いかなる手段を用いても、けっして諸葛亮に負けてはならぬ。全力でこれを排除することに努めよ。
よいか、諸葛亮を倒せれば、趙子龍も倒れる。われらに恐れるものはなくなるのだ!」
李巌のことばに、四人は深々と頭を下げて、恭順の意をしめした。
趙雲の見張りを増やすために外へ出た昭は、まずは急がねばならぬと、ひとり、厩へと橋っていった。
李巌が財にまかせてそろえた、立派な体躯の馬がつながれている、広大な厩である。
いつもの厩番がいないことに、昭は、おや、と思ったが、それよりも、まずは急がねばならないと思った。
昭は、かつて劉璋のもとで働いていた衛士長であったが、ひょんなことから女官のひとりに懸想され、贈り物をされたことを見咎められ、処罰されようとしていた。
これを庇ってくれたのが李巌である。
だからこそ、昭の、李巌に対する恩はつよい。
強引な男ではあるが、優しい面もある。ほとんど見ず知らずの昭を助けてくれたのは、その証左だ。
いまこそお役に立たねばと、意気込んで、おのれの馬に鞍をつける。
そして、馬具を結わえているそのとき、虫に刺されたような痛みが背中を走った。
つづいて、体が揺れる。
なにが起こったのかわからない。隣につないでいた馬が、たわむれにかじってきたのかと、その程度に昭は思った。
そして、叱るために振り向いて、そこに、馬ではなく、おのれが監視している男の姿を見つける。
どうしてこんなところに。
わけのわからぬまま、咄嗟に剣を抜こうとするが、かなわなかった。
趙雲の手にしている、血のしたたった刃は、容赦なく、おのれの腹を抉った。
ぽたぽたと地面に落ちていく赤い雫こそ、おのれの血なのだと、そんなことを考えながら、悲鳴をあげることも、助けを呼ぶこともできず、昭は、あおむけのまま、馬の足元にしかれている藁の上に倒れた。
最後に見上げた男の顔は、びっくりするほど、表情というものに欠けていた。