覚書ノート ボヤッキー IN O.K.P

こちらは、全創作物に関するこぼれ話・裏話・あとがき等を掲載するページとなります。

ネタバレも一部含まれますので、その場合、タイトルに!ネタバレ有り!と記載いたします。

どうぞご活用くださいませ(^^ゞ

ぼやき1・西暦208

孤月的陣」には孔明の初陣となる、10万の兵を寡兵にて撃退するエピソードはありません。

あれはあくまで羅貫中の創作した孔明のデビュー戦でして、実際には、孔明は曹操がやってくると、ひたすら逃げの一手だったわけです。とはいえ、赤壁後に荊州三郡を奪取、その後の治世がスムースであったり、荊州人士が多数、劉備の配下に加わったりしていることから、逃げは逃げでも、内容のある逃げ方だったのではないかと思います。三十六計逃げるにしかず、というわけで…それは別のお話で書けたらいいなあと思います。

しかし、その前に終わるのでしょうか、コレ。謎を数えたら26…というか、「出したら、勘のいい人だとすぐ判るな」というものについては、わざと挙げてないものもあります。

あとの章が、ただ孔明がつらつらと謎解きを語るだけのような話にならないように、がんばります…

 

ぼやき2・命名法

 三国志だけではなく、創作に携わったことのある方なら一度は覚えがあるのでは、と思いますが、外国を舞台にした物語にオリキャラを作る場合、名前に苦労したりしませんでしょうか…

おそらく日本でもそうであるように、海外においても、その地方独特の姓名があると思います。孔明の『諸葛』なんかは、かなり特殊らしいですが、そういう苗字が、知識不足なために、使ってよいものかどうかワカラナイ。張・陳などは比較的どこにでもあるもので(劉巴が逃亡時に名乗っているくらいなので)気兼ねなく使うことができるわけですが、ほかは、いいのかなあ、とドキドキしつつ使っています。

たとえば、外国人が、日本を舞台に小説を書いたとします。登場人物に対し、「将軍の時代からつづく生粋の江戸っ子」という解説がついているのに、苗字が「与那嶺」だったら、かなり違和感をおぼえるのではないでしょうか。

「孤月的陣」は、やたらオリキャラの出張っている作品ですが、名前の付け方は、かなりいい加減です。というよりは開き直りました。

それぞれのエピソードにはそれぞれ元ネタがあります。オリキャラについては、元ネタに登場する人物の名前の一部にまんま漢字をあてはめたり、あるいは訓読みと音読みを混ぜて呼んでみると、ネタが割れるようにしてあったり、その人物の役割に応じてつけてあります。唯一、音の響きだけでつけた人物がいますが、その人物がキーパーソンだったりします。謎が解明された後、ちょっとネタ晴らしをしてみたいと思いますのでおたのしみに(?)。

 

ぼやき3・徐庶について

 徐庶については、演義では曹操がやってくるまえに、老母を人質にとられ、已む無く…ということになっておりますが、正史ですと、長阪においてもまだ劉備のもとにおり、混乱のなかで老母を人質に取られてしまい、そうして曹操の元に下った、ということになっています。順序としては「蒼天航路」の描写がもっとも史実に近いのです。とはいえ、徐庶がいると、孔明はおそらく徐庶ばかり頼りそうな気配濃厚なため、早々に曹操のもとへ去っていただくことにしました。ラ・貫中の演出は、やはり冴えていますね。とはいえ、正史に完全に準拠した形での徐庶との別れも書いてみたかったり…しかしいつになることやら。

 

ぼやき4・呼び方について

 日本語ってぱ多彩ですので、二人称がいっぱいございます。「あなた、きみ、おまえ…等々」これが時代物になると、「貴公・貴殿・貴様(昔は目上の者に対する呼び方だったそうです)御辺、そなた、御前様…等々」。この数々ある二人称の中から、キャラクターに合うもの、その関係性が一目でわかるものを選ぶわけですが、創作に携わったことのある人ならたいがいそうだと思われますが、著者もかなりこだわります。

「孤月」のメインは孔明と趙雲なのですが、孔明が趙雲を呼ぶときは、なるべく字で呼ぶように考えています。

著者の脳内では、彼らは身分に多少の上下があろうと精神的には頼り頼られの同等であったと設定されておりますので、当初は孔明の趙雲に対する二人称は「きみ」で考えておりました。

「孤月」の前作「古鏡」では、孔明のせりふは「きみ」で作っていたのですが、どうも違和感が。趙雲が孔明と同年輩であった、というのはちょっと考えられないので、五つか七つほど離れていたと設定しているのですが、にしても、慇懃無礼とはいえ言葉を武器にしている孔明が、年長者に対し、「きみ」と呼びかけるのは、なんか、どーも。漢字一文字の「君」だと据わりが悪い。「御辺」でもよいのですが、濁音がイヤ。それに立派すぎて、親しみがない。ひらがなを多く使いたい、というわけで、「あなた」にしました。「貴方」と表記して「あなた」も考えたのですが、HPだとルビを触れないので、台詞が固くなってしまう。で、却下。

趙雲の場合は「貴殿」。「貴公」だと偉そうなのでやめました。で、素になったときは「あんた」だったり「おまえ」だったり。

だからなんだ、というわけでもない話ですが、こだわり、というコトで…

 

ぼやき5・年齢について

陳寿はどーして年齢をきっちり記述してくれなかったのやら。

孔明と姜維、馬超は細かく追えるのですが、趙雲・董親子・費褘はわからない。仕方なく、自分で設定するわけですが、どうしても孔明を中心に考えますので、趙雲は孔明より5つから7つ年上で「孤月」の現在は、孔明が28なので33歳から35歳のあいだくらい。陳到は趙雲と同年輩と設定。

董和は、「燭龍」の時点で45歳くらい(平均寿命50歳も行かなかったんじゃないか、という時代なので四十過ぎると年寄り扱い。だから盗賊たちにじじい、などと呼ばれているという設定デス)。息子の董允は17歳。お友だちの費褘は18歳。ちなみに張嶷24歳くらい。胡偉度は27歳くらい、孔明が34歳(若いなあ)なので趙雲が39歳から41歳(って、董和とあんまり変わらないなあ。いま気付きました)、ちなみに馬超は39歳です。

董允が病没したのが246年で、「燭龍」が西暦214年、と考えておりますので、享年49歳となり、だいたいこんなふうで間違いないのでは、と。

ところで関係ありませんが、董允と蒋琬は同年に死亡しているのですが、西暦246年はインフルエンザでも流行したのでしょうかね? 蒋琬に関しては、以前からいろんな持病を抱えていたようなので(喘息とかリューマチとかかしらん。水虫だったらガッカリ)インフルエンザが止めを刺したのかも…ほかに西暦246年に没した人を探してみると、面白いかもなあと思いつつ、ぼやき5は終わります。

 

ぼやき6・いいわけ〜諸葛瑾編

「燭龍本紀」の各登場人物の、九門古城に潜る動機が徐々に明かされる、という展開に差し掛かってまいりました。

「燭龍」を構想したときは、孔明は悪役にするつもりでしたが、どんなに人間関係をこじらせても、最後は史実どおりに収めよう、というのが頭にありましたので、そうなるとやはり『悪役』というのも不自然かな、と思い、やめました。

そういうわけで、実は、当初の構成より、「燭龍」の孔明は変更が加えられています。

董和や張嶷、胡偉度に関しては比較的すぐに九門古城へ潜る理由をつくることができましたが、孔明は、成都の治安を守るため、というのがどうもこじつけのように感じられ…で、出てきたのが、喬、ならびに諸葛瑾との関係というわけです。もとは、別のお話として、ぼんやり考えていたものでした。設定も、これほど陰惨なものではなかったのですが…。

さて、諸葛瑾の人物像についてですが、「燭龍」の中では、裏表の激しい、好感の持てない人間として設定されています。

徐州から避難をしてきた人間で、よそ者ばかりの土地で、家族を守るために必死で、そのストレスが歪んで噴出している、気の毒な面を持っております(←フォローのつもり)。金の卵を生んでくれる息子に過剰なまでの期待をかけているのも、自分が贅沢したいとか名誉がほしいとかではなく、徐州で失った家門の復興を願う、その一心からなのであります(←ここもフォローです)。

長男は苦しいのであります。でも表現できてないのはひとえに鋏野の筆不足でございます…

諸葛瑾と恪親子に関しては、実在の親子を参考に設定しました。諸葛瑾と孔明の確執に関しては、いつか別のお話で、伝奇要素を一切取り払ったお話として発表できたら、と思います。

しかし諸葛瑾が、幼い孔明たちを置いて、義母だけを連れて江東へ避難した、というのは何故なのでしょうね? 親孝行のため、とはいえ、孔明たちだけが叔父さんの元へいった、というのは意味ありげ(「孤月」ではいくらなんでも子供だけ取り残された、というのは悲惨すぎるし、そうであれば孔明はもっと人に対して悲観的で、暗い人間になっていたのでは、と思えたので、『史書においては、存在して当然なのでわざわざ書く必要のなかった、子供たちを守る大人』がいた…つまり信頼できる家人や、もしかすると少数ながらも私兵がついていたかもしれない、ということで、子供たちだけではなかった、と設定しました)

というわけで諸葛瑾に関するいいわけでした。

 

ぼやき7・陳到について

陳寿犬のコーナーでも紹介した陳到ですが、詳しくはご確認いただくとしてナゾの人物なわけであります。

しかし、趙雲と並ぶ名声を持っていたにもかかわらず、その活躍が後世に伝わらなかったのは、趙雲の立場の特異性があるのかもしれませんが、やはり、本人があまり世に出たがらない人だったのではないか…ということで、「孤月」における陳到は、家族大好きな昼行灯という設定にしました。

昼行灯、しかし実は非常に腕が立つ…と聞けば、時代劇ファンならば、必殺シリーズの『中村主水』を思い出されるのではないでしょうか。

管理人は、「必殺仕事人」が大好きで、陳到は主水にしよう! と当初は目論んでおりました。家に帰ると、とうぜん『せん』と『りつ』がいて、「婿どの!」といびられる日々。主水の上司はなんだかオカマっぽい青木様で、なんだか嫌味なお小言を毎日聞かされている、同僚たちも莫迦にしきっている、というふうにしよう! と…

しかしこれだと(管理人が)面白すぎるし(管理人の傾向として)書き込んでしまう可能性があったので、現在の、仕事に情熱をまったく注がない陳到、という人物が生まれました。ナゾの人物だけに、設定に自由がきくのがよいところ。

に、しても、諸葛瑾タイプのお父さんと陳到タイプのお父さん、どっちがいいかといえば、当然、陳到タイプのお父さんを選びます。

 

ぼやき8・いいわけ2〜ぴんぽんぱんの正体?(注・ネタバレ)

おくればせながら、「婦女子の祭典」、ご読了ありがとうございました。

最後はなんだか奇妙なところでオチがつく話になりましたが、これはけして付け焼刃的にそうなったのではなく、当初からそういう構成でした。

とはいえ、前編・中篇と後宮の祭典のほうがクローズアップされてしまい、ぴんぽんぱんの存在が薄くなってしまったところは失敗だったかなあ、と反省しております。

ちなみに、比翻還ことピー・ポーンカーンは、タイの神話に登場する血を吸う、猿の精霊です。ぴんぽんぱんの劇団の名前が『黒猿団』なのも、この伝説から取ったものです。

タイ王国の起源が、じつは三国時代である、というのは事実です。漢に支配される蛮族のひとつであったタイ族ですが、漢の支配力が弱くなったので、南下して、現在のタイのあたりに王国を建設しました。

これにより、ぴんぽんぱんは、タイ族より以前に居住していた精霊のひとりで、タイ族が攻めてきたので故郷を追われ、仕方なく北上してきた…という設定にしました。最後、こうもりの羽でもって空を飛ぶ、というおなじみの吸血鬼スタイルにしたのは、このまま人に狩られて滅亡していくのではぴんぽんぱんたちがかわいそうだなあと思ったからで、羽根があれば、容易に人に狩られることもあるまい、そうだ、このままシルクロードを通ってペンシルバニアあたりに落ち着いた、とかいうのなら、夢があるなあ、と思い、董允に、西へ行け、と言わせて見ました。管理人もぴんぽんぱんを気に入っていたわけであります。

ちなみにぴんぽんぱんは特殊なラフ族、というふうにしてありますが、これはインド神話の悪神ラーフを信仰する特殊な一派であった、という意味です。現実に存在するラフ族とはまったく関係ありませんし、そういう伝承もない…ハズ(すみません、不勉強)。

ラーフとはつまり、阿修羅の一人であり、神々の不老不死の酒・アムリタを盗み呑んだおかげで不老不死を得た首だけ(盗み飲みがばれて首を切られたが、すでに酒を呑んでいたので、首だけが不老不死となった)の神のことです。不老不死の神さまの力…アムリタの力を借りてぴんぽんぱんは不老不死を得た、というわけですが、本編中、ここまで詳しく解説すると、くどくなる上に、前編からの流れから激しく浮き上がることが予想されたので、少ししか触れませんでした。

ただし、実際のラーフとピー・ポーンカーンの間に以上の伝説・神話がある、というわけではありません。あくまで管理人の脳内で結びつけたお話ですので、どうぞご了承くださいませ。

 

ぼやき9・猫について

小説を書いていると、小悪魔的な魅力のある人物について、どうしても「猫のような」といった表現を使いたくなるものです。

しかし! 三国志の創作では、なかなかそれがきわどかったりします。

仏教伝来とともに、貴重な経典をネズミ害から守るため、猫もインドより輸入された、という説が一般的です。

中国への仏教伝来が後漢末期から三国時代にかけてなので、猫もそのあたりに一緒にやってきたのではないかという話です。

もちろん、小説ですので、表現的には「猫のような」と使うのは、読み手に理解していただければ、時代考証から見ると駄目だけど、あくまで表現だし、いいかあ、と思いますが、台詞ではやっぱりご法度…でしょうねぇ。当時としても、まったく一般的な動物ではなかったでしょうし。

たとえば、未来において、なぜか「オカピー(キリン科・偶蹄目)」が爆発的人気を呼び、一世帯に一体オカピー、と言う世の中になったとします。

そうして、未来人が現代のわれわれの物語を著作したとしましょう。

その物語のなかに、

「あいつはまるでオカピーのようだ」

という台詞があったなら、やはり21世紀の一般的な会話ではなくなってしまいます。

「あいつは猫のようなやつ」。

猫という生き物の魅力を借りて表現のできる、このステキな台詞。やっぱり三国志の創作モノには使えないなあと思ったりします。

どうでもいいことですが、管理人は犬派です。

 

ぼやき10・いいわけ3〜梁父のギンギラギン・おまけの心情(注・ネタバレ?)

梁父のギンギラギン、本編とはまったく関係のないお話でしたが、ご読了いただきまして、ありがとうございましたm(__)m

ちなみに「おまけ」のほうのいいわけをさせていただきたいと思います。

と、書くと、馬謖か? と思われるかもしれませんが、彼はさておき(すみません、馬謖についてはまたの機会に…)ラストのほうで、趙雲が、孔明を担ぎ出して天下を狙ったらどうなるか、と空想するシーン。

おおよそ忠義のお手本のように見なされている趙雲ですので、劉備を差し置いて、天下を狙おうなどと考えなかったのでは…なんか不自然だなあと思われた向きもあったのではないでしょうか。

管理人がなぜこのシーンを書いたか、の言い訳でございます。

どんなに忠義が篤かろうと、(この小説内においてですが)当時の状況をあわせて考えると、趙雲が孔明に入れ込めば入れ込むほどに、やはり天下を視野に入れていろいろ考えさせなければ、むしろ不自然なのでは、と思いました。

当然、歴史的には、孔明の内助の功で、劉備が皇帝にまで上りつめるわけですが、それはあくまで結果です。

三国鼎立するまでの時代は、だれが出てきて天下取りに名乗りをあげてもおかしくない状況だったわけで、劉備ですら劉表の居候だったわけですから、趙雲が「もしかしたら、おれも…」と空想で考えるのは、おかしくないことかと。当小説内の趙雲は、忠義一辺倒の頑固男とは設定していないので、柔軟な発想ができる人物であればあるほど、ちょっと浮気をするような感じで、空想をしたかもなあ、と思うわけです。

まあ、趙雲の場合は、あくまで夢想、ということで片づけているようですが。

とはいえ、趙雲は、袁紹に居候する劉備のために軍を集めるのにも、兵士たちに堂々と「おれたちは劉予州の兵だ」と名乗らせているほどの人なので、陰謀めいたことを自ら企てることは、性格的に無理なタイプでしょう。

HPも、それに準拠して、夢想は夢想、ということで終わらせていただきたいと思います…(←って、ホントかな? フフフ…)

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