日和~日、なごやかなり~

前編

※このお話は、「説教将軍シリーズ(?)」の続きでありますが、独立した中篇としてもお楽しみいただけます。そして、「椒聊よ、遠き条よ」のプロローグ的作品でもあります。
久しぶりの成都である。
市場を行きかうひとびとは、それぞれの故郷の風を、品物と一緒に運んできており、言葉も装束も肌の色、目の色、まとう香りもちがう。
埃のたつ市場の、漢語を中心に、さまざまな言葉が入り混じって流れているのに耳を傾けると、まるで音楽のように思えて、得意の笛を吹いてみたくなってくる。
とはいえ、士大夫の身で、物乞いでもあるまいし、いきなり往来で笛を吹く者もあるまい。
そこは我慢して、しばし立ち止まったままで、どこにいるよりも、もっともふるさとらしさを感じさせてくれる、大陸の東に向けてひらけた、いつもの長星橋の市を眺めた。

董和の一人息子、董休昭は、ひとめぼれをした女人の、元夫を探す旅に出て、蒋公琰とともに、長らく山深い田舎ばかりまわっていた。
ようやく、目的を果たし、帰ってきたばかりである。
漢の高祖は、山深い土地に住み飽いて、太陽が恋しくなったから中原をめざしたにちがいない、という冗談を、だれかが口にしたことがあった。
休昭は、もしそうだとしたら、わたしには漢の高祖がわからないな、と思う。
生まれてこのかた、益州から出たことがなかった。
中原から見れば、巴蜀は、妖怪の住まう神秘の地のように思われているそうだが、たしかに険阻な山に四方を囲まれているとはいえ、人の気風までもが閉塞的で、陰鬱なものではない。
交易は、どの都市にもひけをとらぬほどに盛んだ。
国外に向けての門戸が、これほど開かれている街もめずらしかろう。
西からの旅人は、中原に向かう前に、かならず益州で憩う。
すなわち、益州のほうが、中原よりもさきに、西からもたらされる交易品を手にとれる。
だからというわけもなかろうが、成都には、中原にはない独自の文化がある。
民の気質は迷信深く、保守的。しかし性質は穏やかで従順、そして文を好む。
休昭は、その典型的な例といえよう。
性格は穏やかで、従順で、保守的。大きな冒険を好まない。古雅を尊び、あらそいを避ける。
はじめての長旅は、楽しいことも多かったけれど、離れてみれば、成都が恋しかった。
遠い異邦の地において、根拠もないのに、このままふるさとに帰れなくなるのではという不安におそわれ、連れの蒋琬に気づかれないよう、こっそり涙したこともある。
振りかえれば、なぜそんなことを考えたりしたのか、不思議なほどである。
帰ってくることができたのだ。それがなにより嬉しかった。


そして、さまざまな思いにふけっていると、ふと、袖の違和感に気づいた。
なんであろうかと探ってみれば、いつのまに入っていたのやら、紙片がある。
見れば、なにかの書付の一部の空いた部分を利用して、書いたものであるらしく、千切れた紙に、みじかく、こんな言葉が書かれていた。

『旅をしていたそうだな。無事に帰ってこられてなによりだ。ところで、某は、貴殿のいぬ間に縁談が調い、晴れて一家を構えることになったので、報告させていただく。とりあえず祝賀の品なんぞをよろしく。あと、出世したくなったら、いつでも行ってくれ。多少の口ぞえはできるぞ。 楊賢俊』

「えーと」
休昭は、短い文面に綴られた情報を、うまく現実にはめ込むことができず、しばし思考を止めた。
楊賢俊というのは、休昭とほぼ同時期に出仕するようになった、ひとつ年上の男である。
休昭の家もびんぼうであったが、楊賢俊の家も似たようなものであった。
だから、気兼ねなく付き合えたのである。
しかし変わった男で、このように筆まめで、文字を綴る分には饒舌なのであるが、じっさいに顔をあわせると、ほとんどなにも喋らない。
あまりに口を開かないために、なにか思惑があるのではないかと、人を不安にさせるほどである。
もちろん、本人は、むずかしいことは考えていない、善良な男だ。
しかし掴み難い性格ゆえに、生来、お人よしで気遣い上手な休昭くらいしか、友人と呼べる者がいなかった。
それは休昭も知っていて、いつも一人でいる楊を気の毒に思って、付き合っていた節がある。
同期ということもあり、仲よくしていたのであるが、ここ最近は、職場もちがったこともあり、音信も絶えていた。
縁談、という文字を見て、最初に休昭が思ったのは、果たして、彼は、職場の同輩にすら口が重いものを、妻となる女人に、きちんと挨拶できたのであろうか、ということである。

「おや、董家の坊ちゃま、お帰りになっていたのでございますね」
と、声をかけてきたのは、顔見知りの市場の商人であった。
休昭の父の幼宰は、よくこの市場を利用するので、商人たちにもなじみがあった。
幼宰の息子だというので、休昭も、みなから顔をおぼえられている。
旅は如何でございましたか、お疲れになったでしょう、危のうございませんでしたか、などと尋ねてきたあと、商人は、休昭が持っている紙片に目をやった。
「そちらの紙きれなら、さっき、身なりの派手な方が、どこかの坊主に、急いでいるから、あそこの立っている若者に渡してくれと、駄賃をつけて頼んでいたものですよ。
宿無しの坊主なんてものは、いい加減なものですから、面倒になって、坊ちゃまの袖に、てきとうに突っ込んで行ってしまったのでしょうね」
言いつつ、商人は、休昭が持つ紙をめずらしそうに見た。
「紙の切れ端だけを渡すとは、なにやら秘密めいておりますな。坊ちゃま、じつはご出世されて、お上の、大事なお仕事をまかされていらっしゃるのでは?」
「冗談ではないよ。わたしなんぞは、まだ書生の身だ。ところで、派手な身なりの男だったというが、どんな風貌だった?」
というのも、楊は、家がさほど裕福ではない、ということもあり、身なりはいつも地味であったのだ。
派手な身なり、というのは不思議である。
「そうですな、宮城の屋根のようにぴかぴかと派手な錦を纏った、坊ちゃまと同じくらいの年の男でしたよ。
男ぶりは、まあまあでしたね。早口なヤツだなと思ったので、よく憶えております」
派手な衣裳、というところは違うけれど、早口だというところと、面貌はそう悪くない、というところから見て、やはり楊賢俊でまちがいないらしい。
急いでいるからといって、この紙切れを、投げるように寄越すこともあるまいにと、休昭は思った。
しかし、一家を構えることになったというのは、目出度い話である。
ふと視線をおぼえて横を向けば、商人は、気になるらしく、首を伸ばして、紙片を読もうとしている。
お祝い事であるし、隠すこともあるまいと、休昭は、その文面を、商人に読んで聞かせた。
「へええ。それはお目出度いことでございます。坊ちゃまは、まだなのでございますか」
「なぜわたしの話に飛ぶのだい。ところで結婚の祝い品というものは、なにがよいのだろうか」
「さあて、この頃じゃあ、昔みたいな紋切り型の祝いの品物よりも、実用品のほうが喜ばれるという話を聞いたことがございます。
しかし、坊ちゃま、風の噂で、坊ちゃまがしばらく成都を空けていなさったのは、嫁取りのためだという噂を耳にしたのですが」
休昭は、ぎょっとして商人を見た。
「だれがそんな噂を流しているのだ」
「おや、ちがうのですか。もしご結婚なさるのでしたら、わたくしどももなにか、お祝いの真似事をさせていただこうと思っておりましたのに」
「それは嬉しいけれどね、残念ながら、祝ってもらうようなことは、まだまだないよ」
休昭が言うと、商人は、大げさに眉をしかめた。
「それは本当に残念でございます。宋の旦那のところのお嬢さまは、それほどに手ごわいのでございますか」
ますます休昭は仰天し、声をひっくり返した。
「なぜ、そんなことまで知っているのだい?」
「そりゃあ、はあ、まあ、費家の若旦那が、休昭が戻らない、休昭が戻らないと、坊ちゃまを心配してあちこちで話をしておりまして、わたくしどもとしては、なぜ戻らないかと気になるじゃありませんか。
で、尋ねますと、じつは、かくかくしかじか、と若旦那がいろいろ教えてくださいまして」
「あのおしゃべり!」

費家の若旦那といえば、親友で二つ年上の費文偉のことで、まちがいない。
明朗な性格の好漢であるが、お調子者すぎて、口が軽い。
とはいえ、人の迷惑を考えない性格だからではなく、人を楽しませたいという心が強すぎるために、口が軽くなってしまうのだが。
そして、宋家のお嬢さま、というのは、休昭が一目ぼれした相手である、宋珪麗のことである。
しかし残念ながら、さまざまな事情があって、宋珪麗のほうは、休昭を求婚相手とは見做していない。
珪麗は、休昭を、まめに家にやってくる、孔明の使者としか思っていないようなのだ。
どうにも暗い海に漕ぎ出したように、行く手の見えない状態になっているときだけに、文偉の軽はずみさがうらめしい。
完全に袖にされてしまったときは、立ち直れるだろうか。
みんなの同情を買うなど、まっぴらだ。
それに、楊賢俊の報告も、休昭を焦らせた。
『賢俊か、たしかわたしよりひとつ上だったはずだが、あんな無口な男が、妻を貰ったというのか。うむ、この手紙にもあるように、たしかに祝いの品を用意せねばなるまい。
わたし一人で選んでも良いが、だれかと連名にすれば、互いに金を出し合えて、高い物を贈れるかもしれぬ。そうだ、文偉に声をかけてみよう。
妙な話を流してくれたわけだし、断らせぬぞ』


思い立った休昭は、さっそく、翌日、費文偉に声をかけた。
費文偉は、もともと荊州は江夏出身の若者である。
幼少のころに父母を失い、伯父に育てられた。
しかし、荊州に戦火がおよぶと、戦乱を避け、伯父とともに、伯母の住む蜀にやってきた。
この伯母が、巴蜀の支配者であった劉璋の生母であったから、移住後の生活は楽になるはずであった…………はずであったのだが、肝心の劉璋が、劉備に攻められ、あっさりとその領土を明け渡してしまい、伯母ともども荊州に引っ込んでしまった。
そのあおりをまともに喰らい、落ち着く間もなく、費家は一転、びんぼうになってしまったのだ。
とはいえ、費文偉自身は、そのことを恨むようなことを、一度も口にしたことはない。
世間を恨んだところで、腹は満たされぬと笑いながら、毎日をほがらかに、おもしろおかしく暮らしている。
文偉は、休昭の親友であるが、おなじ職場につとめる仲間でもある。
当然のことながら、文偉も、楊賢俊の同期であるわけだから、引き出物を共同で買うという話が決まるのは早かろうと、休昭は思っていた。

文偉は、役所の裏手の、人気のない小路にて、見知らぬ、風体のよろしくない若い男と談笑していた。
薄暗いところで、薄汚れた衣を、だらしなく着崩した、いかにもヤクザ者といった男の存在に、休昭はしばし声をかけるのを躊躇った。
その男は、カマキリのような鋭い雰囲気を持つ男であった。
なにより、目つきが、とんでもなく悪い。
休昭が躊躇っていると、その、すでに二、三人は殺してドブ川に沈めたことがありそうな雰囲気をもつ男のほうが、休昭に気が付いた。
そして、文偉に注意をうながす。
「おお、だれかと思えば休昭。こんなところに来るなんて珍しいな。なにか急ぎの用か?」
と、文偉は、変わらぬ明るさで尋ねてきた。
休昭は、自分が成都を離れているあいだ、友が、ろくでもない連中と付き合いをはじめたのではないかと、いやな想像を働かせた。
しかし、屈託ない明るい表情を見て、とりあえず安堵する。
文偉は、変調が顔にでやすいのだ。
それにしても何者か?
ちらりと男のほうに目線を送ると、文偉は言った。
「む? ああ、こいつのことなら気にするな。仕事が引けたあとのことについて、話し合っていただけだからな。紹介するよ、秦だ」
秦という、襟元を大きくはだけてだらしのない着こなしをした、かまきりの目をした男は、逆三角形の顔に、にやりと陰惨な笑みを浮かべてみせた。
正直、怖い。
「よ、よろしく。董休昭と申す」
休昭がおずおずと言うと、男は、頭のてっぺんからつま先まで、休昭を舐めるようにしてみて、言った。
「へん、やっぱ、文偉どんの友達だけあって、品があらぁな。俺とはだいぶちがうね。さあて、二人ならともかく、男三人で立ち話ってのは目立つ。俺は退散するよ。じゃあ、文偉どん、今夜な」
「ああ、いつものところで会おう」
それじゃあ、ごめんくださいよ、と言って、秦は、頭を前に突き出すような格好で、走り去っていった。

「どういう友達なのだい?」
休昭が尋ねると、文偉は、少々、周囲を気にしつつ、顔を寄せて言った。
「ま、おまえがいない間の、大事な相方というところかな」
「よくわからぬ。あのひとと、今夜、どこかへ行くの?」
「うむ、それは内緒だ。ところで、わたしに何の用事があった?」
そこで休昭は、楊賢俊のことを切り出した。
文偉は、きっと快諾してくれるであろうと休昭は踏んでいたのであるが、意外にも、文偉は渋い返事をかえしてきた。
「楊賢俊か……すまぬ、休昭。祝賀の品は、ほかの者と一緒に買ってくれ」
「なぜ。賢俊は、おまえにも同期ではないか」
「たしかに同期ではあるが」
「が?」
文偉は、しばし考え込み、どうしたら休昭にうまく心を伝えられるかと、思案しているようすだ。
やがて、顔をあげると、気まずそうに言った。
「理由はいくつかあるのだが、まず、率直に、わたしの正直な気持ちから言おう。楊賢俊は、わたしの同期でありながら、同期という気がせぬ。おまえには、奴も、重い口を開いていたようだが、わたしにはさっぱりであった。もっと正直に言うが、楊賢俊が、わたしにまともに口を開いてくれたことは、一度もないぞ。挨拶すらだ」
「ええ? そうであったかな? いや、そんなことはないぞ」
「ああ、おまえと一緒であれば、挨拶もしてくれるのだが、おまえと一緒でないと、てんで無視されてしまうのだ。わたしはおそらく、嫌われていたのだと思う」
「そんなことはないぞ。楊賢俊は、おまえのことを誉めていた」
「それは初耳だな。事実ならば、嬉しいが」
と言いつつ、文偉は自分の形の良い顎を撫でつつ、やはり渋い顔を崩さぬまま、言った。
「理由の二番目であるが、礼儀として、祝賀の品を贈るべきなのはわかるが、今月はうちも苦しいのだよ。
実は、伯父の旧知に不幸があって、葬式を出すために、無いところから搾り出して金を貸してやったのだ。おかげで、毎日の食事も怪しい状態だ」
「昼は、普通に用意して食べていたじゃないか」
休昭が口を尖らすと、文偉は、人影のない、影の多い小路をきょろきょろ見回してから、真面目な顔をしてにじり寄ってきた。
「だれにも言うなよ、休昭。昼は、賭けでせしめた戦利品だ」
「賭け? 職場で賭博は禁止なのに!」
とたん、文偉はあわてて休昭の口を塞いだ。
「莫迦、そんなでかい声で! 上役に知れたら、ただでは済まぬ! おまえにだから話したのだからな。だいたい、今日の昼飯の一部は、おまえも一緒に食べたじゃないか」
事実、文偉の持ってきたという昼飯はじつにうまそうなもので、休昭も食欲に負けて、味見と称して、すこし分けてもらっていたのである。
「あれは、許家の三男からせしめたのだ。というわけで、コトがばれたなら、おまえも連座で罪に問われるぞ」
「どうりでご馳走だったはずだ! 黙っているなんて、文偉、ひどい!」
「ひどくない! いいか、わたしは、食うか食われるかの毎日を過ごしているのだ。自慢したがりの成金に割く金はない!」
「あ、本音が出た! 成金って? やっぱりなにか楊賢俊とあったのだな?」
休昭が問うと、文偉は、おっと、などと言いながら、おのれの口を、片手で塞いだ。
「いかんな、つい口がすべった。いや、おまえはヤツと友達だから、黙っていようと思っていたのだが、仕方ない、話すが、怒るなよ? 
あいつ、このあいだ、結婚したからといって、わたしのところへ挨拶にきたのだ」
「へえ、珍しいな。あの内気な男が」

楊賢俊の内気さからすれば、結婚のあいさつは、自分にくらいしかしていないだろうと休昭は思っていたので、驚いたのだ。

「それにしても、なにを怒るなというのだ?」
「ただの挨拶であったなら、まあよいさ。問題はこれからだ。あいつ、成金の娘をもらったらしく、ずいぶん派手になっていたぞ。
そして、おまえが貰ったという手紙と、同じようなことを言ってきた」
「ふうん?」
「ふうん、ではない。休昭、おまえ、呑気だな。腹が立たなかったのか?」
「腹を立てるって、なぜ? もう結婚か。うらやましいなあ、とか、そういうことだろうか?」
「ちがう、ちがう。呆れたやつだな、心配になってきたぞ。おい、おまえ、楊賢俊とは、ふつうに友達なのだろうな?」
「ふつうに友達だよ。ふつうじゃない友達って、どんなのさ」
「うーむ、いっぺん、おまえと楊賢俊が会話をしているところを、どこかで隠れて聞いてみたいものだな。
よし、わたしが腹を立てた理由その一。手紙の内容から行くか。『出世したくなったら、いつでも言ってくれ。多少の口ぞえはできるぞ』。
おかしいだろう、いままで肩を並べていた男が、嫁を貰ったからといって、出世したければ頼ってこい、などと無礼なことを言ってきたのだ」
「そうなのかな。親切に言ってくれたのだと思ったけれど」
「あのな、たしかにヤツは、嫁と一緒にいい生活を手に入れたかもしれぬが、だからといって、ヤツが、功績を上げた、というわけではないのだ。
地位が上がったやつから言われるならば、いまにみておれと笑い飛ばしてやるが、これはそうはいかぬ。
要するに、ヤツは、出世したければ、嫁の金で裕福になった俺を頼れ、金の力でなんとかしてやろうと言っているのも同然なのだ。正直、かなり腹が立ったぞ」
「それは、楊の言葉が、足りなかっただけではないのかな」
「そう見てやれるおまえは心が広い。手紙だったからなのかな。わたしなぞ、面と向かって言われた。金はたくさんあるから遠慮するな、と」

休昭は、戸惑った。
というのも、金銭面でずっと苦労している文偉の気持ちもよくわかるのだが、楊の口下手も知っているので、双方に誤解があるのではと思ったのだ。

「おまえ、わたしが誤解しているのじゃないかと思ってないか?」
「う。すこし思った」
すると、文偉は、肩から力を抜いて、息を吐いた。
「わたしがこれだけ腹を立てているのは、金の問題だけではないのだ。
腹を立てた理由その二だ。いままでろくに挨拶もしてくれなかった人間が、珍しく声を掛けてきたと思って、わたしは内心喜んでいたのだ。ところが、口をひらくなり、いきなり、一方的にいかに自分が金持ちの妻をもらえたか、そして成都の一等地に住めることになったか、なんていう自慢話ばかり聞かされたら、どう思う? 
って、おまえ、わたしが僻んでいると思っていないか?」
「それは思っていないよ。文偉はひとに嫉妬しても、それが原因で嫌いになったりする人間じゃないもの」
「よしよし、正当な評価だ。ところで聞くが、おまえ、友達というものを、どう捉える?」
「友達? そうだな。人生に欠かせないもの、かな? ともに切磋琢磨し励ましあうもの。うん」
「そうだろう。よしよし、それでこそ我が友だ。それでは、もしわたしが困っていたら、おまえはどうする?」
「もちろん助けるよ。ああ、カンパの催促だったのか?」
「おいおい、ちがう、ちがう。真顔で言うな。焦るじゃないか。友達同士で絶対にやってはいけないことのひとつは、金銭の貸し借り。ふたつめは、同じ女を好きになる。よかったな、われらはたがいに好みがちがって」
「そうだけど、話に戻ろうよ。困ったとき助けるのが友達だろう?」
「そう、わたしもそう思っている。もちろん、困っていないときでも、ふとしたときにおまえのことを思い出したりして、それで手紙を書いたり、遊びに行ったりする。
けれど、楊賢俊の考えている『友』というのは、どうもわれらと違うらしい。
くりかえすが、わたしはあいつが金持ちになったのを僻んでいるのではないぞ? 
どうにもわからぬのは、それまで、あいさつすらろくにしてくれなかったくせに、自分が、結婚したことで、急に親しげになって、力を示すようなことを言ってくる、その心情だ。
あいつはもしかしたら、なにも考えないで、わたしを友だと見做したのかもしれないが、それでは、いままでは何であったのかと思わぬか。
あいつ、自分より力が下と見做せる人間としか、付き合えないヤツではないのかとすら、思ってしまうのだよ。考えすぎだろうか?」
「うーむ。その後、楊賢俊から連絡はなかったのかい?」
「まるでない。腹が立つことのその三であるが」
「う。まだあるんだ」
「あるとも。いくら急いでいたとはいえ、友に結婚の報告という、重要なことを告げるのに、紙の切れ端に文字を綴って、どこぞの小僧に袖に突っ込ませる、非常識に腹が立つ。
言っていて、腹が立ってきたぞ。どうしておまえは怒らないのだ」
「怒るところだったのか…」

あらためて指摘されると、たいしかに楊賢俊の非常識さは目立つ。
あまり礼儀作法にはやかましくない(自分がよく破るからである)文偉がそこまで言うのだから、あらわれた楊賢俊の態度は、かなりよろしくないものであったにちがいない。

「引き出物、どうしようかなあ」
「それはおまえが考えろ。しかし、わたしがおまえだったら、贈らない」
「賢俊は、ほんとうに文偉を怒らせたのだな…」
「そうさ。もし、おまえが引き出物を贈らなかったことで、あいつがぎゃあぎゃあ言ってきたら、わたしを呼ぶがいい。最近は、喧嘩に慣れてきたからな。あんなへっぴり腰、ぜんぜん怖くない」
そうして袖をまくり、なにやら力瘤を得意げに見せる文偉であるが、休昭の顔色は悪くなる。
「へ? 喧嘩って?」
「賭場だとみんな興奮しているから、喧嘩が起こりやすいのだ」
「ちょっと待て、文偉。賭場で喧嘩? 賭場に通っているのか? ばれたら、免職になってしまうぞ!」
「そうだなあ。免職はしゃれにならぬ。というわけで、沈黙よろしく」
「莫迦。よろしくされて、はいと頷けるか!」
休昭が言うと、文偉は、眉をあげて、言う。
「おまえはわたしの友だろう。どうしても、賭場で大金を稼がねばならぬ理由があるのだよ。だれにも言わないと誓ってくれたら嬉しいのだがな」
「ずるいぞ、そういうときに友なんて言い出すのは」
「実際に友じゃないか。で、どうだ?」
休昭は考えた。
文偉は大胆なうえに、意外と芯が強く、頭の回転も早い。そこだけ見れば、なんとかするだろう思えるのだが、しかし、一方で、妙なところで大きな失敗をする癖がある。
これを、見過ごすわけにはいかない。
とはいえ、内気すぎてのんびりやの休昭には、友達の数が非常に少ないため、友達じゃないかという言葉に弱いのであった。

「わかったよ。黙っているけれど、その代わり、友だと言うのなら、なにか危ういことに巻き込まれたら、かならず言ってくれ。力になるから」
休昭が言うと、文偉はからからと、いつもの明るい声で笑った。
「そう言ってくれるから、おまえはわたしの友なのさ。心配するな、危ういことになったなら、かならず言うよ」
「きっとだぞ?」
「きっと、きっと」
と、文偉は上機嫌にうなずいた。

中篇につづく
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