虚舟の埋葬
あとがき
ながいながーいお話となりましたが、ご読了どうもありがとうございました。お時間をいただきまして恐縮です。多謝ですm(__)m
わたしは、正史三国志のなかでは、孔明、董和の伝につづいて、費文偉の伝がすきです。
孔明や董和は、立派な人だったんだな、と感心してしまうのですが、文偉の場合は、人柄がにじみでている。
「いいひと」だったんだな、という印象を受けます。
が、このサイトを開設してから、ほかの人物の伝と平行して見ていると、ひっかかる部分が。
それは、孔明の死後に発生した、魏延の謀反と、楊儀のその後の悲惨な死。
この両者の死に深くかかわっているのが、費文偉なのです。
魏延と楊儀の最後については、演義がもっともオーソドックスな流れだと思います。
儂を討てるものがおるか、と呼ばわると、馬岱が、ここにおるぞ! と答えて魏延の首を刎ねる…
しかし、正史を読むと、魏延は、けっして謀反を起こしたのではない、という陳寿の言葉と、さらに魏延の伝についている『魏略』の『なぜこうまで違うのか』と疑問符をつけられて紹介されている、『魏延こそが孔明の棺を守っていたが、身の危険をおぼえた楊儀に殺された』という注釈のせいで、印象が微妙なものになってきます。
とりあえず、陳寿や季漢補臣賛の作者のコメントは横においておき、じつは、魏延と楊儀の死が、謀殺であったなら?
ミステリーのセオリーに当てはめると、この二人が死ぬことで、当時、いちばん得する人間は……費文偉?
ちがいます。蒋琬です。
蒋琬と文偉、そして休昭が、ずっと共闘体制をとっていたのは、蒋琬が尚書令と益州刺史を兼任した際に、文偉と休昭に、自分の地位を譲りたいと劉禅に言っていることからわかります。
差し引いて考えても、よい関係を築いていたはず。
孔明の死後は、後継と指名された蒋琬ですが、不安材料が。
蒋琬は無名で、経歴もあまりよろしくない。
対する楊儀のほうがベテラン。
しかし、性格に問題があった。
魏延もまた同様。
かれらが新しい体制に障害になるのは、目に見えている。
そこで、孔明の後継を速やかに引き継ぐため、問題を起こしそうな二人を、費文偉と共謀して殺してしまったとしたら…
二人の死後、いちばん得したのは蒋琬・文偉・休昭の一派である。
特に文偉は、自分の息子の嫁に劉禅の娘、自分の長女は皇太子妃にと、後宮政治にも乗り出しており、それだけ見ると、なかなか権勢欲が強かった…ようにも見える。
わたしは、これをブラック・ヒイ説と名づけ、いつか小説にしようと構想を練っておりました。
しかし、たびたび費文偉の伝を見ていると、なんだか違和感がある。
それは、わたしが文偉に思い入れを強くしてしまったからではなく、ブラック・ヒイ説を採ると、文偉の性格に整合性がなくなってしまうからなのです。
費文偉というのは、公務中に博打を打ったり酒を飲んだりと、なかなか豪快な人物なのですが、反面、慎重なところも持ち合わせていて、呉へ使者として赴いたさい、孫権に矢継ぎ早に質問されて困ってしまい、わざと座を外すと、ひそかに答えのアンチョコを作って、座に戻り、答えた、ということをしております。
孔明のように、打てば響く、といったタイプではなかったようです。
妙な答えをして、孫権を怒らせたらマズイ、と思ったのもあるのでしょうが、そこには責任感や真面目とともに、、誠実な人柄がうかがえます。
さて、こういう人物が、孔明の死後、一転して、魏延を騙し、楊儀を庶民に落とす。
これはまちがいないところなわけですが、伝を読むかぎりでは、そこだけが、文偉が大きく動いた、黒い部分で、ほかのエピソードに、陰湿さは感じられません。
姜維に兵を一万しか預けていなかったということも、そこに暗い思惑は感じられない。
姜維が文偉に不満を持っていた、ということを臭わせるようなものはない……史料から引き出した憶測のみになってしまうのですが、姜維は、文偉が死ぬまで、何十年と言うことを聞いていたわけですから、悪い関係ではなかったと思います。
とはいえ、人間の感情には波があるわけで、文偉が、一時、覚悟を決めて、あえて策謀を張り巡らせたことがあったのかもしれない。
私利私欲のためではなく、だれかのために、あえて策謀を使ったとしたら?
そうなると、また視点がちがってきます。
楊儀と魏延、どちらかが生きていると、困ってしまう人物はだれか?
やはり蒋琬か。
盟友である蒋琬を守るために、文偉はあえて前線で動いたのか?
とはいえ、魏延や楊儀にまったく味方がいなかった、というわけではないでしょうし、文偉、共犯として姜維、この二人が動いたとして、ほかの、馬岱や王平といった人たちが、黙っていたでしょうか?
魏延は優秀な男で、馬鹿ではなかったから、自分の力を強めるために、賛同者を増やしていたはずです。
魏延の動きを制し、孤立させることが可能な人物、そして、ほかの家臣たちをも黙らせることが出来、魏延や楊儀の死が、みなから必然として迎えられる状況を作れるのは?
ただ一人。孔明です。
つまり、深読みしてぐるぐる考えていたら、あら不思議、結局、元に戻ってきていたのでした。
細かく説明すると、以下の通り。
孔明は、自分の後継としては、楊儀も魏延もふさわしくなく、自分がいたからこそ、ふたりは活用できたと思っていた。文官の楊儀より、魏延のほうが、孔明には危険な存在に映った。
とはいえ、楊儀も危ういことにはちがいない。
そこで、孔明は、楊儀には内緒で、文偉に、二人を消すようにと別の指示を出していたのではないか?
蜀の実権は孔明が握っており、その力は絶大なものだった。
そのため、孔明の死後しばらくは、力がまだ諸将に及んでおり、孔明の遺言どおりに動く文偉に、異議を挟むものもなく、策は成り、二人は死ぬこととなった…
政権交代のために家門が凋落し、貧乏のきわみにいた文偉を引き上げたのは、孔明です。とてもとても恩を感じていたにちがいない。
孔明の死には本当に動揺したことでしょう。
そして、孔明の遺言を忠実に実行した。
そこに気づいたとき、ブラック・ヒイ説は、はさみのの中で破棄されました。
魏略の記載がなかなか邪魔者で、ほかにも、もっと暗い可能性を探すことはできます。
しかし、文偉の性格、魏延や楊儀の性格と、馬謖でさえ斬るのにためらわなかった孔明の厳しさをあわせて、わたしなりに考え、こうじゃなかったのかしらん、と結論しました。
今回、このお話を書くにあたり、文偉を主役に据えたのは、きっかけが『ブラック・ヒイ説』であったからです。
はさみのは認識不足でよく知らないのですが、五丈原というと、だいたい孔明や姜維、仲達に目線を集めたものが多く、文偉や楊儀たちに焦点を当てたものは、少ないのではないでしょうか。
書きながら気づいたこともずいぶんありました。
同国人の、魏延への同情の声が、これほどないのは、帰国するために必要な橋を焼き落とし、敵地に多くの仲間を孤立させる状態を、一時的にでも作ったことが原因だったのでは、とか、ともかく、ネタがつぎつぎ浮かんできて、重い内容ではありますが、とても楽しく書くことができました。
文偉の目線で見た五丈原なので、通常だと山場になりそうな、魏延の最期も、説明だけで終わらせております。
魏延の死は必然だったのか?
その問いに、いまのところ出しうる力ぜんぶを使って書いたつもりです。
もちろん、舌足らずな部分があるかと思いますが、そこはご容赦を。
本当にかわいそうなのは楊儀でして、ずいぶん歪んだ人になってしまいました。
ただ、心の病になっていたのは間違いなさそうでしたので、そのあたり、今後、知識を得るか、あるいは実体験(いやだなー)で楊儀の気持ちはちがうだろう、と思うときがきましたら、また書き換える予定です。
さて、このお話の続編を書く予定は、いまのところありません。
ありませんので、どういう流れを想定して書いたかをすこしだけ。
劉禅の静かなる暴走は、だんだんひどくなっていき、かれは、自分の意のままになりそうな、家臣の子弟(孔明の子など)を寵愛し、かれらを側近として重用するようになります。
この動きを止めるため、文偉は休昭と相談し、自分の子らを後宮に入れることで、その発言力を高めようとします。
しかし、懸命の努力も、蒋琬と休昭が、相次いではやり病で死ぬことによって、崩れていきます。
文偉は、二人を失ったことで、対外政策を一部切り捨てることにして、国内の引締めに専念せざるを得なくなり、それが、逆に劉禅や宦官たちの力を強めてしまうのです。
そして決定打となるのが、文偉が魏の降将に暗殺されてしまったこと。
強力な味方を失った姜維は、孤立を深めていき、最後は、劉禅から見捨てられ、死に至ることになってしまうのでした。
あらすじ書いただけで、しょんぼりしてきます。
劉禅については、また別の見方をすることもできます。
かねてより、魏延と楊儀の確執を快く思っていなかった劉禅が、『孔明の遺志を守るために』蒋琬の出兵をゆるしたのかもしれません。
最初にこの物語をつくった当初は、孔明の霊廟を建て渋ったというエピソードに引っかかりをおぼえたので、こういう造形にいたしました。
この霊廟に関しても、すっかり怠惰な生活に慣れていた劉禅が、孔明の祭祀を公的に許すことで、姜維を始めとするタカ派が勢いづくのを恐れたというだけのことかもしれない。
まだ調べきっていないのですが、姜維と共に死んだ人たちに、文偉の娘婿(皇太子)や蒋琬の子などが含まれているのですが、それは、姜維と、文偉や蒋琬たちとの関係の強さの証明にならないかしらん、とも思います。
さてはて、今回のお話ですが、タイトルをつけるのに、とても迷いました。
仮タイトルの『最初で最後の策謀』は、文偉の動きから名づけたものです。が、政治家として、これが最後の策謀というのはありえない、ということに気づき、変更することにしました。
つづいてつけたタイトルは『龍の葬列』。
あ、孔明の葬式か、とイメージしやすいかしらん、と思ったのですが(楊儀の死のしめくくりの一文は、ここから取っています)、なんだかありきたり。
ほかにも、『介士、愁眠にあり』『虚妄の儀礼』『斗の虚礼』など考えたのですが、どうもぴったりこない。
で、『虚舟の埋葬』に決定。
すぐに五丈原とわからないところがミソ(と、いうか、わかりにくいだろう…)
虚舟とは、からの舟、あるいは虚心のたとえの意味。
からの舟、というのが孔明の棺のことなのか、それとも虚心のことで、むなしい心、つまりは文偉や姜維の心のことか、孔明の絶望を指すのか、あるいは『虚心坦懐』のほうの虚心、公平無私な心、つまり孔明そのものを指すのか、文偉の中にあった、わだかまりのない心が失われたことを示すのか、そこは読んでくださった方にご想像をお任せします。
そして、文偉が最後に許されないと覚悟した『罪』がなんであるかも。
さて、最後に、今回のお話を楽しんでくださったみなさまに、あらためて感謝でございます。
これからも、このお話を超えるものを書けたらいいなと思っています。
おわり
(C)Hasamino Nakama 2009 08 21