雲と為り雨と為り
龐統救済編

その13

龐夫人の話。
「わたしたち姉妹は幼いころに両親と離れ、流民として各地を放浪しておりました。荊州にたどり着いたとき、『村』に連れて行かれたのでございます。
どうして『村』へ行ったのか、そこでどんな生活をしていたのかは、あなたがたには興味のない話でしょうから省きましょう。
『村』でわたしたちはさまざまな教養を習得し、大人になるころには、それぞれが大家の令嬢といってもおかしくないほどの手弱女になっていたのでございます。
もちろん、手弱女などではございませんでしたけれど。

姉が龐家に呼ばれたのは、政略結婚の駒となるためでした。
そのころの龐家には、趙家の当主につりあうだけの娘がいなかったからでございます。姉はこの話に大喜びして、里へ降りていきました。
喜んだ理由? それはもちろん、『村』でしなければならないような汚い仕事を二度としなくてよくなるからです。龐家には、姉のほか、ひとりの老婆がついていきました。わたしたちは彼女をきらって、蟇蛙、と呼んでおりました。
龐家にいた姉がどんな暮らしをしていたのかは、人づてにしか聞いていません。陽気で明るい姉でしたから、きっとみんなをとりこにしたことでしょう。でもそのあいだにまちがいが起こって、姉は龐統さまと関係を持ちました。姉が悪いのです。あけっぴろげで、よくも悪くも自分の欲望に忠実にならねば気のすまないひとでした。
龐統様の寝所からの帰りでした。姉は前からつきまとわれていた男に待ち伏せされて、夜歩きをとがめられたのです。姉も勝気な性分でしたから、すぐに口論になったのだと思います。しかし相手は異様なほど暴力的な男でした。姉を滅多打ちにしたうえに気絶をしてもなお打ち据えたと聞いております。姉は仮死となりました。男はそれを見て怖くなったのでしょう。姉を置いて逃げました。
姉はなんとか目を覚まし、半死半生で蟇蛙のばあさんのところへ行きました。そのときの様子を、龐思さまが見ていたことには気づかなかったようです。しかし傷があまりにもひどく、このままではとても婚礼どころではないということになりました。しかし趙家との約束の日は迫っています。姉は龐統さまの名前をいっさい口にしませんでした。
とはいえ、やはり不倫に近いことをしてしまったのですから、龐家の旦那様のお怒りようはすさまじいものでした。そして姉を追放し、姉にそっくりだったわたしに白羽の矢を立てたのです。
突然の話だったので、わたしは泣いて嫌がりました。しかし『村』のおきてでは、わたしたちは主人である豪族に逆らえません。そこで泣く泣く花嫁になることを承知しました。
でも龐家は冷たくいやなところでした。龐思様はわたしのことを姉と勘ちがいして、黄泉から戻った悪霊だと思い込んだ様子ですし、一刻も早く家をでたい、でも嫁にはなりたくない、そんな心境でした。
趙家の夫はとてもやさしくてよい人でした。その点ではわたしは恵まれていたと思います。ただ残念だったのは、夫はわたしによくしてくれたけれど、子供が出来なかったことと、夫が早死にしてしまったことです。
そうです。香雪はわたしどもの実の子ではありませぬ。追放され、『村』に戻った姉が産んだ子をわたしが引き取ったのでございます。
もちろん父親は、お察しのとおり、龐統さまでございます。姉は産後の肥立ちがわるく、亡くなりました」






凄風のはなし
「そうとも、おれのむかしの名は龐安。統のやつはさっぱり気づかなかったようだがな、いつだって加害者は被害者のことをすぐに忘れる。やつも同じだ。おれから家族をうばいながら、それをすっかり忘れていやがった。でも龐思のほうはおぼえていたようだぜ。
家を追放されたおれは、各地を転々としていた。生きるために汚れ仕事をやっているうちに、凄風という別名がついた。それはそれは、悲惨な毎日だったぜ。
まあ、われながら頭はわるくないほうだったから、うまくたちまわって、劉表に取り入った。そこで『村』の仕事をまかされたのさ。いい思いをすることもあったが、たいがいがくそみたいな仕事だった。ガキどもはいうことをきかないし、ちょっと力加減をまちがえるとすぐ死んじまうし、死なせりゃ死なせたで文句はくるし。
鶉火に会ったのもそのころだ。こいつはめそめそしたやつでな。焼きを入れてやったことが何度もある。おっと、そんな目で見ても意味はないぜ、過ぎたことだからな(ここで打ち据えられる)。

だが『村』での仕事も急に終わりになっちまった。当然だろう。主の劉表が死んじまったんだから。
そこでおれは頭をはたらかせて、劉琦とともに曹操に降った。曹操はおれたちを手に入れても最初はあまりよろこばなかった。薄汚い手を使わなくても、天下をとれる自信があったんだろう。
ところが赤壁でコテンパンに負けた。こうなるとどんな汚い手でも使わざるをえなくなってくるわけだ。そこでおれの出番がまわってきた。想像通り、桂陽の治安をみだして、劉備の評判をひっくりかえしてやることが目的だ。
そのために目をつけたのが香雪だった。最初はおれが半殺しにしてやったのに生き返った龐夫人のほうをと考えたんだが、人気があるのは香雪のほうだったからな。もちろん、ただ殺すだけじゃだめだ。おれも命がおしいから、下手人の身代わりになってくれそうなやつもさがさなくちゃならない。思いついたのが龐思だった。
あいつは狂っているが、なぜかおれを冥途の使いとしてあがめていた。近づくのはかんたんだったよ。鶉火のほうはたっぷり脅して香雪を読み出す日におなじく城市に引き入れた。
香雪には『父親に会わせる』と書いたのさ。十中八九、ひとりでやってくるだろうとおもっていたが、案の定だった。
かわいそうだとはおもわなかったな。この娘が死ななくちゃおれが死ぬ。戦と一緒だよ。娘を殺したあと身ぐるみをはいで衣を龐思に持たせた。そのほうがいかにも下手人ぽいだろう。
ところがいまいましいことに、東門の犬がわんわんうるさく吠え立てやがった。龐思はおびえて逃げちまったのであとを追って殺そうとしたが、鶉火に止められちまった。二人とも殺そうとしたが、その前に誰かがくる気配があって、気をとられているうちに二人に逃げられちまった。
でもともかく目的は達したんだ。あとは龐思のことを密告して、桂陽からおさらばすればいい。ところが裸になれといわれて香雪の爪あとが見つかって、おれはほんとうについてない。
ほかの三人の女はどうして殺したか? ふん、練習だよ、練習。沼のばばあに引導してもらって、腕が鈍っていないかたしかめたのさ。そういうわけでおれの話はおしまいだ。あとは好きに殺してくれ」






沼地のばあさんの話
「こんなに割りのあわない話はない。あたしはどこまでついていないんだろうねえ。
『村』にいたことはほんとうですよ。それがわるいっていうんですか。
わたしは飢えた子、親からはぐれた子を守ってたらふく食べさせてやっていたんですからね。

間違いの始まりは霜華だ。
あの身持ちの悪いむすめは趙家という立派な嫁ぎ先が決まっていながら龐家の若旦那を誘惑したんですよ。
そしてこともあろうか情事のかえりがけに大怪我をしてね、これじゃあ道具としてさえ使えやしない。
そこで仕方なく『村』から妹のほうをつれてきて身代わりにしたんですよ。
ずいぶん泣いたけど、なんだかんだと玉の輿ですからね。段々とおとなしくなって。
でもなにを逆恨みしたのかあの子は趙家の奥様の椅子におさまったとたん、あたしを追放したんですよ。
『帰るところ』は『村』しかありませんでしたからね、仕方なく『村』に帰って霜華の産んだ二人の子の面倒をみてね。

そうです双子だったんですよ。そのうちひとりは趙家にもらわれて、妹のほうは、やっぱり龐夫人が手配して九折村の村長の家にもらわれて、わたしも九折村についていったんですけどそこの奥さんとそりが合わなくてね。
ケチなんですよ、ものすごく。そうこうしているあいだに『村』がなくなっちまって帰る場所もなくて。
それでやはり仕方なく沼の小屋に住み着いたんです。
三人の女たち? あれはみんな身持ちの悪い女でしたよ。
はやばやと敵だったはずの曹操の兵どもに身を任せて、曹操の兵が追い散らされてしまうと、今度は子供の始末をしたいっていってきて。そ
うです。子供を殺した母親なんですよ、みーんな。
悪い女を退治したんですなのになぜあたしが責められなくちゃいけないんですか」






鶉火と五娘の婚儀は、梨の花が咲いたころにおこなわれた。
龐統は、うつくしく着飾った幸福そうなふたりを見て、こころからの満足をおぼえた。
あたらしい父親として、これからは若いふたりを見守っていかねばならない。
当然、恥をかかせない生き方をしないようにしなければならない。
あたらしいしあわせをまえに、はにかんで笑う五娘の笑顔を見ておもう。
雲と為り雨と為り。
いちばんたいへんなときに、たしかに身を変えて霜華はもどってきていたのだ。
愛しい女。
それはこれからも変わらない。
彼女こそ、永遠の妻なのだ。

そして香雪。
実の父を慕って死んだ、かわいそうな娘。
その無念さをおもうと、龐統の血はたぎる。
はらわたが煮えくりかえり、どす黒い力が内側からこみあげてくる。
香雪は、曹操によって謀殺されたのだ。
会うことのかなわなかった娘。
この血を引いていた、じぶんと、霜華の大切な娘。
最後の瞬間、彼女は父の名を呼んで絶えたにちがいない。
その無念さ、あわれさをおもうと、自然、龐統の目に涙があふれる。

そしてひとつ、変わったことがある。
龐統が天下を遊戯盤として見立てた天下。
その駒として使われた兵卒ひとりひとりにも、おなじ思いをした肉親・愛する者がいたのだ。
その罪深さを、いままであまりに感じてこないでいた。
鈍感であった。
思いやりがまったくなかった。
以前の自分の傲慢な鈍感さに、龐統は慄然とする。
そして、津波のような後悔に全身をおそわれる。
もしかしたら、その傲慢さへの罰で、おれは愛する女の死に目にもあえず、そして、実の娘の無残な死という現実を見なければならなかったのではないか。
おれはもういちど、自分の人生のかたちを頭にしっかりおさめねばならぬ。
そして、おのれの罪業をなんとしても払拭せねばならぬ。

五娘という姉さんをとられてしょげている望春をつれ、若いふたりに龐思をまかせ、龐統はふたたび旅に出ることにした。
見送りにきた孔明に言う。
「おれとおまえの道は、いずれ交わるかもしれんが、いまは好きにさせてもらう。そのうちおれは、長いことあやまってまとっていた自分の殻を捨てて、大きくなってもどってくる。おまえへの恩返しはそれからだ。待っているがいい」
孔明はその玉のような顔に苦い笑いを浮かべた。
「さいごまで頭をさげないのが龐兄だな」
「そうとも、おれが頭をさげるのは、おれが君主と決めた者だけだ」
そういって、龐統は、旅のはじめのすがすがしい空気を胸に吸い込むと、はじめの一歩を踏み出した。

行く手にはたなびく雲。
雲と為り雨と為り。
あなたのそばにいると、彼女はいった。
妻よ、そして娘よ、おれをいつまでも見守っていてくれ。
そして願わくば、おれの命のつきるとき、おまえたちのかいなでおれの魂を抱きしめてくれ。
鳳の雛は、いま、真に飛び立つ瞬間をむかえていた。

劇終

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(C)Hasamino Nakama
2011-10-24 10:05:27