くっきき。
うさ・ルート 番外編
第五回
「これは俺の考えだが、桑の木の精には、孔明のような低姿勢では、かえって逆効果であろうな。あれは、人間というものをすっかり舐めきっておる。多少は高圧的になってもよいのではと思う」
仲達はサラダを食べるのをやめて顔をあげた。
趙雲は、さらに器用さを発揮し、仲達のためにほどよい熱さのにんじんスープをつくってテーブルの上にのせた。
どうやら、いまだにうさぎ用の料理のレシピは増え続けているようである。
孔明がまたうさぎに戻ってしまったときの用心だとしたら、まさに天晴れというほかない。
「ほう、会ったことがあるのか」
「会ったというか、遭遇したというか。言葉はかわしていないが、俺がたまたまつりをしていて、舟の舵取りに失敗して、桑の木の精のそばに寄ってしまったのだ。そうしたら問答無用で舟を沈められた」
「ひどいではないか!」
「どうやらネットを駆使して、孔明とその周辺の交友関係をしらべていて、俺のことも知っていたらしい」
「むむ、となると、わたしも知られている?」
「最高府と煉獄をめぐる騒動は、なるべく表には出ないように抑えたらしいから、知らないかもしれぬぞ」
「気が重くなってきたのう。せっかく真新しい自転車に乗ってきたのに、壊されてしまったら申し訳ないし、自転車はここに置いて、ここからは使い魔を召喚して移動するか」
「それも勧められぬ。自転車をめぐって桑の木の精は怒っているわけだから、そこはちゃんと現物も見せたほうがよいだろう」
「うーぬ」
どちらにしろ自転車で向かうしかなさそうだと覚悟を決めた仲達は、気分をかえるべく、にんじんスープとサラダをむしゃむしゃと食べながら、たずねた。
「貴殿は料理をするからくわしいかな。タバコや酒をやめると、料理がうまくなるというのはほんとうであろうか。わたしはタバコは嗜まぬので、わからぬのだよ」
すると、台所で、自分の昼食の準備をしていた趙雲は、首だけ振り返らせて、言った。
「おれもタバコは吸わないが、たしかに味が変わるという話は聞いたことがある。なぜだ。アトラ・ハシースでタバコを嗜む者は少なかろう」
そこで仲達は、さきほど、曹丕とばったり顔をあわせたことを趙雲に説明した。
「俺が鬼子母神に召喚されたときに会ったが、あのときもたしかに薬を身体に入れていたようであった。よくないな。このままでは堕天してしまう」
「どうしたものかのう」
相談する仲達に、趙雲は、ふしぎそうな顔を向けてきた。
「たしかおまえと文帝は仲違いをしたと聞いていたのだが」
「仲違いというよりは、すれちがいが重なったというほうが正しい。忠心というものはないのだよ。しかし、友情というか、それに近いものは十分に残っておる。とはいえ、向こうにしてみたら、わが家は己の子孫をことごとく滅ぼした、憎い相手、ということになるのかのう」
仲達が言うと、趙雲はしばらく思案したそぶりをみせて、それから答えた。
「そうした感情もあるだろうが、それだけではないだろうな。今朝の曹子桓は、裏切った、ではなくて、見捨てた、とおまえをなじったのだろう。しかも酔っていたのなら、それが本音とみてよいのではないかな」
「ふむ?」
「曹家と司馬家の派手な囲碁対決のてんまつは知っているが、そのとき、おまえが曹子桓をいやがったから、そうした騒動になったのか」
「ちがうな。炎ちゃんがほとんど仕切ってしまって、わたしは陛下とほとんど話ができなかったのだ」
「ならば、俺のいうことも間違っていないかもしれんぞ」
「わたしは陛下を見捨てたつもりはないのだ。ただ、わたしが陛下のそばにいると、陛下はわたしを頼ってばかりになってしまい、ますます荒れてしまうようで、それがすまなくてのう」
「そのことは本人は知らないで恨んでいる可能性があるではないか。おまえの孫の言うことももっともだが、やはりなにか引っかかることがあるのなら、そう我慢することなく、思うとおりに動いてみたらどうだ。意外に事態が好転するかもしれないぞ」
「だとよいな。うむ、考えてみよう」
趙雲のことばを頭のなかで咀嚼しつつ、仲達は、卓のうえの、サラダのなくなった皿のうえを見るともなしに見つつ、つぶやいた。
「人の心はむずかしいものだ。わたしは幼い頃から友達をつくるということが不得手な、内気な子供であったが、大人になったらば、こんな悩みはちっぽけに思うのだろうと信じていたよ。
ところが大人になっても変わらず悩んでおる。むしろ、悩みは大きくなっているほどだ」
「友達がいないという点では、俺は共感できるな。しかしおまえのように、積極的に欲しいと思ったことはない」
「そこはそれ、諸葛亮の面倒をみるのが大変だからであろう」
仲達がいうと、趙雲は、さてどうだろうなとつぶやいた。
趙雲も自分と似た人間であると、仲達は思っている。
孔明なぞは、趙雲が、自分よりも顔がひろいと思っているようだが、顔がひろいのと友達が多いのとは微妙にちがう。
友達がそう多くないからこそ、だれの訪問を受けるでもなく、この辺鄙だが景観のすばらしい家で、ひとりで勉強したり、読書をしたり、うさぎのための家具やあれやこれやを集中してつくれるのだ。
似ているけれど、まったく違う点をひとつ挙げるとなったら、それは孤独を楽しめるか否かであろう。
仲達は、後者である。
趙雲の家を去るとき、仲達は、炎からもらった明月珠のふたつを趙雲にあげようかと考えたが、しばし迷って、やめた。
べつにケチケチしたわけではない。
趙雲に贈れば、当然のことながら、一方の珠は孔明の手元に行くであろう。
そのことに嫉妬したわけでもない。
あきらかに結果が見えているものに贈るのもつまらなく思えたし、強固な絆でむすばれている二人に対して、あらためてたがいの消息をしらせる明月珠を送るというのも芸がないように思えたのだ。
※
仲達は趙雲の家から、また自転車をりんりんと漕いで、そうして二時ごろには、首尾よく、桑の木の精のすまう川辺に到着した。
桑の木の精とは、いったいどのようなものであろうと見れば、なんともシュールなことに、桑の木の大きな洞にすっぽりとおさまって、それこそふつうの丸テーブルほどはあろうかという大きな亀が、川に釣り糸をたれていた。
どうやらあれが桑の木の精らしい。
面構えはというと、亀らしく無愛想で、頑固そうだ。
釣り糸をたれてぼんやりとしているその姿を見て、仲達は、さて、大亀が年数を経てほんとうに万年も生きたために桑の木の精となったのか、それとも神樹の精が凝り固まってかたちとなり、おなじく長い年月をいきる亀に変化したのか、どちらなのだろうと考えた。
自転車を引いて、そおっと亀のそばに寄っていく。
「あのう」
声をかけると、川辺の大亀は、目だけをうごかして、ぎろりと仲達をにらんできた。
仲達は、おもわず身をすくませる。
ただの大亀ではなく、これはたしかに、たたりで持って一国をほろぼすことも可能なくらいおおきな霊力をもつ精霊だということがわかったからである。
「なんだ、貴様は」
低くしわがれた声で亀は言う。
亀の甲羅の横にある魚篭をちらりと見れば、まったく釣れていない。
これは、あまりよろしくないときに、やってきてしまったかもしれない。
「あのう、わたくしは、そのう、諸葛亮、いえ、当山孔真君の」
途中までいうと、とたん、亀は顔をますます険しくして、それこそ火を吹きかねない勢いで、怒鳴った。
「当山孔真君などともったいぶった名前で呼ばなくてよろしい! ありゃ、ただの諸葛孔明で十分だ!」
「はい、すみません!」
思わず直立不動になりつつ、仲達は答えた。
じっとりと嫌な汗がながれてくる……
「ふん、一応、約束は守ったというわけか。ダイムラーのやつめ、儂と諸葛亮の因縁を知っておりながら、あやつが絡んでいるとはひと言も言わずに樹液を採って行きおった。まったく最近の若い者は、これだからいかん」
ぶつぶつと、なおも釣り糸を川面に垂れながら、大亀は文句を言っている。
なるほど、愚痴っぽい性格でもあるらしい。
亀の癖に眉があって、ぽやぽやと白いのであるが、それが皺だらけの顔に特に目だって見える。
「で?」
「は?」
「は? ではない。わざわざここに来た以上は、おまえのための自転車とやらを持ってきたのであろうな。見せてみろ」
命じられるまま、仲達は『おでかけチャリンコ・りんりんくっきー号改』を大亀に見せたのであるが、大亀のほうは、ちらりと一瞥しただけで、もう自転車のほうを見ようとはしなかった。
そうして、ぼそりとつぶやいた。
「ひどい色だ」
「そうでしょうか」
「気に入っておるのか」
「はい、とても」
「悪趣味だな」
仲達は忍耐づよい性格をしていたが、このときばかりはカチンときた。
なにせ、りんりんくっきー号は、孔明がわざわざ人をあつめて作ってくれた、世界ひろしといえど、たった一台きりのたいせつな自転車なのである。
その心遣いまでもあざけられたような気がして、落ち着かない。
とはいえ、相手は祟れば一国を滅ぼすこともできる精霊である。
孫や孔明の姿を脳裏に思い浮かべ、がまん、がまん、と仲達はおのれに言いきかせる。
「それでですね、あのう、諸葛亮からお怒りの件は聞いたのでございますが」
「おまえのその垂れた耳で、人の話が聞けるのか」
耳が垂れていようと、聴覚にまったく問題はない。
またまたムカッときた仲達であるが、やはり同じように、孫や孔明や息子たちの姿を思い浮かべてがまんする。
「はい、ちゃんと。むかしに桑の樹の精さまと諸葛家とのあいだに諍いがあったのは存じておりますが、そこはひとつ、広いお心で、諸葛亮とわたしがこの自転車を利用することを許してくださいませんでしょうか」
「諍いはー」
「はい」
「あったわけだが」
と、大亀は言葉をきると、それまで水面にしずめていた釣り糸をぴんと引っ張って、釣り針を確認する。
見れば、針の先にはなんにもついていなかった。
「やっぱりとられたか。おい、うさぎ、そこに小エビがあるから、寄越せ」
「はい、ただいま」
いそいそといわれるまま小エビを用意する仲達に、大亀は、いまさらながら、おや、というふうに目をきょろりと動かして、たずねてきた。
「諸葛亮の口上はわかったが、おまえは何者だ」
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(C)Hasamino Nakama 2007 02 23