● こうせいニッキ●
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2006年3月8日(水)
はさみの、一人お勉強会 「ROPE」観覧記 ※ネタバレたくさんあり!

こちらは、アルフレッド・ヒッチコック映画「ロープ」を細かーく分析し、自分の役に立てようという、とても主観の入りまくったページとなります。
ロープ」は見たことがないが、これから見ようと思っている、あるいは見るつもりは当面ないが、スリラーのネタバレはいかんでしょう、という向きにはお勧めできないほどネタバレ満載になっています。ご容赦くださいませ(>_<)

「ロープ」とは…
ご存知ヒッチコックの作品のなかでも珍しいスタイルの実験映画。なにが珍しいかといえば、TMTという手法をとっている、ということ。つまり、カメラを回しっぱなしにして撮影しているのだ。舞台をリアルタイムで撮影しているのに似ている。
さて、ここからがすごいのだが、当時の技術ではカメラを回し続けられる限界は10分だった。つまり、ヒッチコックは、10分間の映像を、見事に繋ぎ合わせて、夕刻から夜にかけての緊張感溢れるドラマを、一気に撮ったかのようにうまく見せているのだ。
とある映画監督が、何回見ても、どこをどう繋げたのかわからない、と絶賛している映画である。
この映画の単純な筋はこうだ。
舞台はアメリカ、NY。とあるマンハッタンをのぞむ高層マンションの一室にて、青年二人が、一人の青年を絞殺する。その動機は、驚くべきことに、「優れた人間には、殺人を犯す権利がある」という論理を実践した結果であった。
かれらは、この犯罪を完璧なものに仕上げるため、被害者の両親や婚約者、友人たちを招いて、ほかならぬ被害者の遺体の入った箱をテーブル代わりにし、奇妙なパーティーを開催する。しかし、そこへ、かれらの学生時代の寮長が訪れる…

登場人物は、被害者も含めて九人。画面に映し出されるのは、冒頭に通りの様子が写る以外は、犯行現場であるマンションのみ。BGMはない。
殺人が行われてから、映画のラストまで、回想シーンが入ることもなく、リアルタイムで物語は進む。
別のこうせいニッキにも書いたが、この映画、1924年に発生した、有名大卒のエリートで、同性愛者のカップル、レオポルドとロープによる、アメリカ最初の「理由なき殺人」がベースになっている。
それを念頭に入れて見ると、また違った印象がある、いろいろ味わい深いスルメのような映画である。

登場人物
ブランドン…デイビット殺害の実行犯。
フィリップ…デイビット殺害の共犯。ピアニスト。
デイビット…被害者。台詞なし。冒頭で絞殺されて以降、人々の会話以外には登場しなくなる。
ケネス…上記三人の学友。ジャネットの元恋人。
ルーパート…四人のハーバード時代の寮長。これがジェームズ・スチュワート。
ジャネット…ブランドン、ケネスと付き合い、現在デイビットと婚約中の女性記者。
ケントリー氏…デイビットの父。
アトウォーター夫人…デイビットの伯母。
ウィルソン夫人…ブランドン宅のハウスキーパー。

○タイトルロール 
ヒッチコック監督を探してみよう! はさみのは、わかりませんでした…

○デイビット殺害
カーテンの向こうで聞こえる悲鳴。ブランドンとフィリップが、デイビットを絞殺しているのである。
死体の状況が、リアルでないところが古き良き映画のよいところ。デイビットの心臓が停止していることを確認し、二人してアンティークの収納箱に遺体を入れる。
箱が貴重な品だというブランドンの台詞で、かれらが裕福な家庭の青年だということがわかる。
うろたえるフィリップを励ますように、ともかく、これは正当な行為なのだとしゃべりまくるブランドン。
デイビットは生きている価値もなかったが、完全な犯罪の被害者として、ようやく意味のあるものになったのだと切り捨てるブランドンに、反発するフィリップ。死ぬべきは君であったのだ、と言い切るが、しかしすぐに「それが君の魅力なのだ」と撤回。
この二人のやりとり、レオポルド&ロープ事件のことは、はさみのは最近まで実は知らなかった。特に性的な印象を与えるものはなにもないのに、なにやら二人のあいだには、尋常ではない空気があるなと感じ取ってはいたものの、ヒッチコック映画でそういうのあるのかなあ、などと知ったかぶって否定していた。オロカモノ。

○パーティーとシャンパン
ブランドンは完全な犯罪の記念にと、シャンパンを持ちに台所へ移動する。カメラもそれを追うのであるが、ダイニングルームの豪勢な飾りつけたのテーブルが映り、はじめてかれらがパーティーを計画していることが判明する。
とうとうと、犯罪についての論理をしゃべるブランドンであるが、しかし、手が震えてしまって、シャンパンをなかなか開けることができない。
それを見かねたフィリップが、シャンパンの蓋を開けてやる。意外にフィリップが冷静なところを見せる、唯一のシーン。
ブランドンは悪乗りし、遺体を隠した収納箱をテーブル代わりにして、パーティーをしようと言い出す。
収納箱のうえに、テーブルクロスと、銀の立派な燭台が置かれていく。収納箱ごしに、「こちら側」から画面を見る観客は、まるで棺の上に料理を並べているようにしか見えず、なんともいえない悪趣味に、嫌悪感を覚える仕組み。
抗えないフィリップであるが、収納箱から、ほかならぬデイビットを殺害したときのロープがはみ出ているのをみつけてしまう。
ブランドンにロープを取れ、といわれるが、できないと拒むフィリップ。そこへ、ハウスキーパーのウィルソン夫人が帰ってくる。狼狽するフィリップをよそに、パーティーの部屋を変えることにしたと、巧みに嘘をつくブランドン。
夫人に説明するあいだ、ブランドンの手には、凶器のロープが。ロープは不自然だとたしなめるフィリップに、どこにでもあるものだとブランドンは愉快そうに、台所の引き出しにロープをしまう(このショットがすばらしい。台所の扉が前後に大きく揺れるなか、ロープが引き出しの中に滑り込んでいくのが、まるでカラクリ絵のように見える)

○パーティーはじまる
夫人が戻ると、招待客が集ってくる。最初は、二人の学友のケネス。つづいて、女性記者のジャネット。
じつは、ジャネットはケネスと別れたあと、ケネスの親友であるデイビットと婚約を決めていた。それを知りながら、二人のよりを、ほかならぬデイビットの死体の前で戻させてやろうという、ブランドンの悪趣味な思いつきゆえの招待。
ジャネットは、ケネスがいることでブランドンに怒りをぶつけるが、ブランドンはしらばっくれる。そして、以前は自分とも付き合っていたことと、ジャネットが金のためにデイビットを選んだのだことを皮肉る(ブランドンがそう思い込んでいるだけなのだ。論理の完成だけが動機ではなかったのではないかと、、ここで想像が膨らむ)。
ジャネットは当然、怒るが、立ち去る彼女を見送るブランドンの目つきが、とんでもなくいやらしいのが必見である^^;
その後、デイビットの父・ケントリー氏と、風邪でこられなくなったケントリー氏の妻・アリスの代理で、デイビットの伯母・アトウォーター夫人がやってくる。
アトウォーター夫人はデイビットを久しく見ていなかったため、ケネスをデイビットと思い込み、部屋に入るなり叫ぶ。「まあ、デイビット!」(うまい!)。
それを聞いて仰天したフィリップは、思わず手の中のグラスを握りつぶして怪我をする。

○ルーパート・カデル
フィリップは、堂々としたブランドンを横目に、びくびくと過ごしている。
人々はそれぞれ、現われないデイビットを心配しながらもパーティーを楽しむ。
アトウォーター夫人は占星術ができるといって、ピアニストであるフィリップのコンサートが成功するかどうかを占うが、夫人が彼に与えた答えは、「あなたはきっと大きなことを成し遂げる」という皮肉なものであった。愕然とするフィリップ。
不安を跳ね除けようとでもいうのか、ピアノを弾き始めるフィリップであるが、突然、カメラが引いて、ピアノの横に、背の高い痩せぎすの男が立っていることがわかる。
ジェームズ・スチュワート登場。ここで拍手、というシーンである。
「うまくなった」とフィリップに声をかけつつ、ホストであるブランドンに挨拶をするルーパート。フィリップもブランドンも、哲学者であるルーパートを尊敬し、かつ恐れていた。
もともと、殺人は優秀な人間の特権だという論理は、ルーパートのものであったのだ。
ルーパートを迎え、それまでの余裕をなくし、どもるブランドン。かれらの力関係が、ここではっきりと示される。

○鶏を絞め殺す
パーティーは進むが、ブランドンはいよいよツメとして、自分の論理を展開しはじめる。そして、かつて学生時代、みんなで遊びに行った農場にて、フィリップが鶏を絞め殺したという話を始める。
当然のことながら、フィリップの頭の中にはデイビットのことで一杯。まるで、鶏にかこつけて自分がデイビットを殺したかのような発言をするブランドンに、フィリップは怒りをあらわにし、ちがう、と反論する。
そのやり取りを聞いていたルーパート。突如として、ルーパートが、単独でアップになる。それまでは、ブランドン宅をすこし離れた距離からながめているような画面であったが、ぐっとルーパートに寄ることで、かれが何かに気づいたことを観客に報せているのである。
眉根を寄せるでもなし、笑みを引っ込めるでもなし、ただ、異様に興奮しているフィリップを見て、奇妙な感覚をもったらしいルーパート。

○殺人は芸術
その後、会話はルーパートを中心に、知的に優れた人間の殺人についてのブラック・ユーモアが披露される。
しかし年配の良識者・ケントリー氏はその意見に反論。あくまで冗談で「本気の意見」と言うルーパートの代理のように、ブランドンが、劣った者は死なねばならない、殺人は芸術であるという意見を述べ、ケントリー氏はそれはヒトラーと一緒だ、と反駁する。
ブランドンはヒトラーも劣っている者で、彼らも、われわれが殺すのだ、という意見を言うが、ケントリー氏は怒ってしまう。
気まずくなった場をルーパートが取り繕う。もともと、ケントリー氏は、ブランドンの本のコレクションを見にやってきたのだ。それを見に行こうということになり、ケントリー氏らはダイニングルームへ移動する。

○深まる疑惑
本を見るために集っている一行をヨソに、ルーパートはウィルソン夫人から、今朝から二人の様子がおかしかったということを聞く。
午前中はパーティーの準備を急かしていたくせに、午後はまるまる出かけてきていい、と言われた、帰ってきてみたら、収納箱をテーブル代わりにすると言って、自分たちで準備をしたという。
ウィルソン夫人と話をするルーパートに気づき、焦るフィリップ。
画面では、フィリップがうろたえ、ブランドンのほうを振り返る(フィリップの様子のみが映し出される。これまたうまい)が、ブランドンは気づかないらしい。

○ピアノとメトロノーム
フィリップはルーパートを夫人から離し、そしてピアノに向かうのだが、ルーパートは、先刻の、農場での鶏を殺した話をフィリップにぶつける。
ここから、観客は、ブランドンたちではなく、ルーパート側に感情移入して話をながめていくことになる。
ピアノを弾きながら、ルーパートの挑発的な言葉に答えるフィリップ。さらに気持ちを煽るかのように、そばにあったメトロノームを動かすルーパート。
感情のままに乱れるピアノの音色と、規則正しいメトロノームの音、そして鳥を絞め殺したときに自分もいたのに、どうしてフィリップはブランドンの言葉を否定したのかと尋ねる。
感情的なピアノの音色と、カチカチと規則正しく揺れるメトロノームが、音でもって、フィリップとルーパートの代理で戦っているような、緊迫感あふれる尋問シーンである。

○ロープ
ルーパートと対峙するフィリップであるが、不意に、画面の左側から、滑り込むようにして、ケントリー氏が借りてくことに決めた本の束が、ブランドンに抱えられてあらわれる。
が、仰天することには、その本をまとめているのは、デイビットを絞殺した凶器のロープだったのだ。
息を呑むフィリップの様子に、ルーパートも気づく。台詞はない。アップも、大げさな表情も、BGMもない。しかし、観客も、ルーパートがどんな連想を浮かべたかを察する。
ロープ、鶏の絞殺、殺人は芸術だという論理、あらわれないデイビット。偶然なのか、と。
そこへ、ケントリー氏の妻より、デイビットが帰宅せず、連絡もまったく取れないという電話がかかってくる。

○収納箱
デイビットの行方を気にする人々。そして、デイビットがテニスのクラブに顔を出して以来、行方がわからなくなっていることが、会話をしていくうちにわかってくる。
会話は、次第に、デイビットが、テニスクラブで誰かに会い、そのままどこかへ消えてしまったのだという結論に向かっていく。
しかし、この会話をしているあいだ、会話をしている登場人物は画面に登場しない。
画面には、会話をよそに、パーティーの片づけをしているウィルソン夫人の様子が淡々と映されている。
まずは料理の皿を片づけ、グラスを片づけ、燭台を消し、テーブルクロスを片づけ、かわりにダイニングテーブルの上の本を持ってきて……収納箱に手をかけて開けようとする瞬間、ブランドンが横から登場し、それを止める。
「明日、一緒に片づけておいてくれ」

○D.K
収納箱を開かせまいとしたブランドンの様子を、ルーパートは見ていた。
今朝からおかしかったという二人の様子、フィリップの落ち着きのなさ、本をまとめたロープを見ての異常な狼狽ぶり、そして収納箱と、消えたデイビットの行動が、不気味に二人の行動にリンクする。
ケントリー氏とジャネットたちは、デイビットを探しに行くことになり、パーティーはお開きになる。ルーパートは、いまや明らかに疑惑にうろたえる顔をして、マンションをあとにしようとする。
そして、ウィルソン夫人から、あずけていた帽子を渡されるのだが、ふと見れば、客間でブランドンとフィリップが、ロープをめぐって口論をしている。
それを見つめつつ、帽子をかぶるルーパート。しかし、ウィルソン夫人が笑い出す。帽子が小さかったのだ。
それはあなたの帽子じゃないわ、と言われて、帽子の裏側に刺繍された持ち主のイニシャルを見れば、そこにはこうあった。
D.K……デイビット・ケントリー

○コネチカットへ
パーティーの客はすべて去った。ご満悦のブランドンであるが、フィリップは、ルーパートに疑われたことで、すっかりパニックを起こしている。
そして、一人でどこかへ行きたいと言い出し、それまで強気であったブランドンが、はじめて大きく動揺する。そして、フィリップに、どうしたいのかと尋ねるのだ。フィリップよりも、ブランドンのほうが、二人の関係に依存していることが、ここで明確になる。
フィリップは、すべてを元に戻したい、と言い出し、ブランドンも手が付けられない。
かれらは、夜のうちに遺体とともに、コネチカットの農場へ行って、そこの湖にデイビットを沈めるつもりである。
農場に行けば落ち着くだろうと、ブランドンは、車を回すようにマンションの車庫係に伝える。
片づけを終えたウィルソン夫人が去り、二人になる。さて、農場へ行く準備をせねばならない。死体を箱から取り出すわけであるが、収納箱に手をかけたブランドン、急に手を止めて、フィリップに言う。
「カーテンを閉めよう」
そこは高層マンションの一室。だれにも見咎められることはないのだが…

○シガレットケース
デイビットの遺体を取り出そうとするブランドンであるが、そのとき、電話が架かってくる。激しく動揺するフィリップ、車庫係だろうとブランドンに言われ、電話に出るが、相手は、ルーパートだった。
ルーパートは、シガレットケースを忘れてしまったので、いまから取りに行かせてほしいという。ここで断ったらかえって怪しまれる。ふたりはふたたびルーパートをマンションに招き入れる。
しかし、ブランドンはぬかりない。短銃を用意し、そっとポケットに忍ばせ、ルーパートを迎え入れる(ここで玄関の扉の向こうにいるルーパートに離しかけながら、短銃を用意し、ポケットにしまう一連の手の動作だけが画面に映し出される。こうなると、その後もブランドンのポケットにイヤでも目線が向かう…ナイス演出)。
ここからが緊迫してくる。
ルーパートは、シガレットケースを置いた場所を覚えていないといい、わざと部屋をきょろきょろしながら入ってくる。
そして、二人に背を向けた状態(観客からは真正面を向いた状態)で、ポケットからこっそりと、ほかならぬシガレットケースを取り出して、あの収納箱の上に隠す。
そして、すぐさまそれを二人にみせて、「こんなところにあった!」と言う。
もちろん、ブランドンは、さきほどまで死体を取り出す作業をしていたから、収納箱のうえに、そんなものがなかったことは知っている。ルーパートがなんのために戻ってきたのかを、ここで悟るのだ。

○奇妙なパーティー
忘れ物を見つけたルーパートであるが、コネチカットの農場のことなどを持ち出して、居座る。フィリップは追い出したがるが、ブランドンは、余裕のあるところを見せようと、ルーパートとの会話に応じる。
ルーパートは、かれらが農場へ逃げようとしていることをここで知る。
ここで逃してはならないと思ったはずである。小説ではなく、視点がマンションから動かないため、一旦外にでたルーパートが、どういう心境を経て戻ってきたのかは、推測するしかない。
この映画には、自分が人ではなく、なにか建物にでもなったかのような奇妙な感じがある。マンション、あるいは壁として、じっと住人を観察しているような感覚だ。なかなかこういう気分は味わえないので面白い。
ルーパートは、「奇妙なパーティーだった」とパーティーのことを評し、デイビットがどこに消えたのかを話し出す。
そのとき、ソファに座るルーパートは、ブランドンがポケットにずっと片手を突っ込んでいるのに気づく。銃がある。ますます緊迫する空気。
しかしルーパートは怯まない。なにも気づかないふりをして、冷静沈着に話を進める。
そして、「ジャネットが、ブランドンがデイビットを誘拐したのだ」と言っている、と言う。
あくまで「ジャネットが」と人の意見として語るところが交渉上手である。

○軌跡
ルーパートは、いままで見たこと、聞いたことを元に、デイビットがどうなったのかの推理を披露しはじめる。
ルーパートは、デイビットがテニスクラブにて知り合いに会う。この知り合いとは、殺人犯である。人目につかない場所、このマンションに誘い出し、殺してしまったのだ、と。
この推理にしたがって、ルーパートの語るとおり、玄関、客間、ソファ、床…と、デイビットがまさに移動したであろう順番どおりに家の中が映し出される。
この映画の主役が家だ、という批評を読んだことがあるが、そうかもしれない。このシーンはかなりゾクゾクくる。
画面は、登場人物をいっさい映さずに、家の中をデイビットが移動したとおりに移していくのだが、最後、収納箱がふと映る。
もちろん、ルーパートはほとんど完全に状況を読みこしているのであるが、ブランドンのポケットを気にして、不意に推理を逸らす。緊張と緩和のタイミングがなんともはや。

○短銃
この緊張感に、突如としてフィリップが耐えられなくなり、手にしていたグラスを床に叩きつける。
彼は酔っているのだととりつくろうブランドン。ルーパートは、ここでさりげないふうを装いながら、ブランドンのポケットの中の短銃の存在を、ずばり指摘する。
こうなると、ブランドンは、すぐさまルーパートを撃ち殺すしかないだろう。しかし、ブランドンはそうしない。かれの虚栄心がそうさせないのである。
「近頃物騒なので、母から、農場に持って行けと言われたものさ」
…そう語って誤魔化すが、もちろん、すでに、お互いに、腹の内はわかっているのであるが。
ルーパートはブランドンから銃を取り上げて、小棚の上に放り出す。

○ロープ・2
完全に飽和状態である。お互いに終局に気づいているのだが、ここで動きが止まってしまう。
そんな中でもルーパートは冷徹だ。ブランドンから武器を取り上げたルーパートは、かれらに背を向ける(ルーパートが、かれらの性格をほぼ正確に読んでいるからこそできる大胆な行動である。二人が背後から襲ってくることはない、とわかっているのだ。この時点で、ふたりはルーパートにまったく敵わない)。
ルーパートはポケットから、ほかならぬ、デイビットを殺したロープ、そして、デイビットの父に貸す本をまとめていたロープを取り出してみせる。
取り出されたロープを見て、愕然とするフィリップ。
かれには、何もかもわかっているのだ、と口走る。

○フィリップ
パニックに陥ったフィリップは、小棚の上から銃を奪い、ルーパートに向ける。
これを制止するのはブランドンだ。ブランドンは、「完全な犯罪」を求めているのであり、自分を上回る智者であるルーパートは、その対象ではないと考えている。だから、ルーパートは殺してはいけないのだ。
しかし感情的になっているフィリップは、ブランドンにさえも憎悪をむき出しにする。
ルーパートを殺したあとに、君も殺してやる、君がぼくにデイビットを殺させたのだ、と言って。
ルーパートはフィリップと揉み合いになり、銃を取り上げることに成功する。

○箱
ルーパートは、それまでの冷静さをここで捨て、一気に、心に描く推理を披露する。それはほとんど真実に近いものだ。
そうして、デイビットはここにいるのだろうと、収納箱を開く。
死体が映し出されることはない。画面には、上がった蓋の後姿が映り、一旦真っ暗になる。そして、ふたたび蓋が下ろされると同時に、蓋の向こうの、打ちのめされたルーパートの顔があらわれる。
デイビットの死体を前に、愕然とするルーパートに、ブランドンは言う。
「あなたなら判ってくれるでしょう。劣者の殺害は、われわれにとって正当な権利なのだ」

○僕の心のなかには
すっかり打ちのめされ、混乱と恐怖のなかで、茫然自失とするルーパート。箱を閉じ、ソファの上で身を崩す。
そうして本音を語りだす。
「僕にとっては、人も世も、あいまいで理解できないものだった」
「君は、僕の論理を汚した」
「君の心の中には、実際に人を殺してしまうなにかがあった。僕の心のなかには、殺人を犯させないなにかがある」
つまり、論理と実際を混濁し、都合のよいふうに解釈し、人を殺してしまったおまえたちと、僕とはちがうのだ、とルーパートは切り捨てる。
そして次第に怒りを爆発させる。劣者は死ぬべきだというが、では、だれが劣者で、だれが優れているということを、だれが決められるものなのか。
きみたちは、この「少年」から未来を奪ってしまったのだ、君たちには死が贈られるだろう…と。

○終幕
ルーパートは、やおらマンションの窓を開け放つと、ずっと手にしていた銃でもって、空中を撃つ。
夕暮れの街の喧騒が、高層マンションの一室に入ってくる。そこに、銃声を聞きつけた人々のざわめきに変わっていく。
終幕である。
ソファにふたたび銃を片手に座り込むルーパートがつぶやく。
「すぐにやってくる」
開け放たれた窓よりサイレンが聞こえてくる。それはじきに近くなり、薄暗い室内を、地上にあつまったパトカーのランプが赤く照らす。
パーティーの残りものであるシャンパンを注いで、飲んでいるブランドン、呆然とした表情で、ピアノを弾くフィリップ。
床に転がるロープ。
そこで幕は下りる。


●まとめ●
この映画の良いところはたくさんありますが、やはり最後の最後に犯人が、嘘っぽく泣き喚いたり暴れたりしないところが効いていると思います。
そうすることが出来ないのが、かれらなのであります。
ルーパートとブランドンはいささか危険な思想オタク(軽いなあ…)なのです。しかし、こういうあまり感心できない領域を好んで遊び場にしているオタクのなかでも、一部が犯罪に走ることは稀にあるけれど、大半はふつうに遊んでいるだけ。
オタクに限らず、人間はみんな、どこかしら暗い部分は持っている。が、それが普通であって、その暗い部分を曝け出してしまい、なおも恥じない精神を、ルーパートは糾弾したのだと、はさみのは思いました。最後の怒りは、近親憎悪と言うことばがぴったりくるものだと思うのですが…。
そして、ラストで急にルーパートはデイビットのことを「少年」と言っておりますが、これはどう見ても「青年の」デイビットを表現しての言葉対してではなく、モデルとなったレオポルド&ローブたちに対しての批判の言葉かな、と思うのは深読みし過ぎでしょうか。

なによりこの映画で際立っているのが、ジェームズ・スチュワート。
この映画をきっかけに、ヒッチコック映画の常連になっていきます。
ヒッチコック映画でのジミーは、常に不安を抱えた役(裏窓…どうでもいいですが、この映画のグレース・ケリーの登場シーン、あまりの美しさに呆然としました…では足を怪我をしていて、動けないカメラマン、めまいでは、極度の高所恐怖症の男)でありますが、このロープでは、知的に洗練されてはいるけれど、非常に神経質で危うい内省的な人物像が見事に表現されていて、素晴らしかったと思います。
犯人の二人を追いつめる役がジミーでなかったら、意外に平凡な話になっちゃったんじゃないのかなあ、とさえ思います。
背の高すぎるかれが、首を鶴のように曲げて、会話をするところとか、本筋に関係ないところが大好き…というのは、さておいて。

ところで、この映画は、もともと舞台であったものを、映画化したものだ、ということを付け加えておきます。
そうすると、ああ、なるほど、だからマンションの外に舞台が移動しないのか、ということに合点がいくわけですが、舞台にはない映画ならではの良さがぐっと凝縮されています。アップの使い方やルーパートの推理にしたがって次々にデイビットが通ったであろう軌跡を映すシーンなどは、その象徴。
この映画、まるで2時間をそのまま映したようにしか見えないのに、本当に10分区切りだったのかなあ…裏話なんかを読むと、いろいろトラブルがあったみたいですが、むしろ、それが信じられないくらいです。
派手な撃ち合いもなく、やたらと盛り上がる音楽もない。なのに、細部まで覚えていても、何度も見てしまう。
はさみののヒッチコック映画NO.1であります。


●おまけのおまけの超蛇足・妄想劇場●
※読んでもまったくタメにならない度が、さらにここより加速しますm(__)m
これをリメイクしたらどうなるかなあと考えたことがありました。
今日、これだけ映画技術が進歩しておりますので、まったく似たようなふうに撮っても、ただ役者が変わっただけになってしまうでしょうね。
当時は、犯人たちがゲイであることは明確にできなかったそうなので、いまならドーンといけるでしょう(なにが)。
選民意識とホモセクシャルとは密接に結びついている…とはレオポルド&ローブ事件を真正面から描いた「恍惚」で表現されておりましたけれど、それを前面に出すのも、いささか古いかな。
むしろ、かれらの学生時代に戻って、非常に狭い世界で思想ばかりを先鋭化させてしまった青年の悲劇っぽく書くのもアリかな、と思います。
けれど、それだとただの「オタクとはなにか・犯罪編」になってしまうので、回想シーンはいれず、台詞と画面の映し方、役者の表情だけで表現する。
直接的な性に関する台詞やシーンは、なるべく入れないで(というか、切り札的に使用)、象徴的なシーンのみで表現。それも耽美に偏らず、ヒッチコック映画に敬意を表し、あくまで「オシャレ」に!
(なんでかというと、明確に表現しないほうが、観客も想像力が刺激されて、おもしろいかなあ、と思います)
音楽は規律正しい旋律の印象的なバッハ…だと、レクター博士=ゴルトベルグ変奏曲ってなもので二番煎じになってしまうかな。
でなければ、フィリップのピアノだけが妥当かしらん。ううむ、ヒッチコック映画から脱け出せませんな。
でもって、登場人物の人種をいろいろと換えるのもいいかも。
ただし、かれらは全員、あくまで富裕層。生まれながらのエリートでハーバード卒というところは動かさない。
日本を舞台に…? 舞台は六本木ヒルズあたりで、全員東大卒。みんな大学のサークル仲間だった…ダメです、いきなり陳腐です。却下です。
本家本元のハリウッドでリメイクしないかなー。
さてはて、妄想はここまで。おそまつさまでしたm(__)m

つらつらと、一人お勉強会を綴ってみました。ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございましたm(__)m
本当に時間が潰れてしまったかもしれない……ご、ごめんなさい……