● こうせいニッキ●
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2006年11月7日(火)
実験連載 塔 61

「やれやれ、大変な目に遭った。阿維といったな、忘れぬぞ。
まったく、天水の者たちも感じのわるい。われらを行きずりの盗賊と勘違いするとは」
「あんたが子どもの挑発を真に受けて、大人気なくも、喧嘩をはじめたからであろう。あんたいくつだ。あの子はまだ十にもなってないそうだぞ」
「だからこそ、世間の厳しさというものだな」
「ぜんぜん教育になっておらん。あんた、子沢山だというわりには、ダメだな」
「大きなお世話だ」
「あの子どもの母親が出てこなかったなら、どういうことになっていたやらだ。話の判る女でたすかった。でなければ、警吏に引き渡されていたぞ。
でもまあ、子供としては、さんざん悪態はついていたが、最後には『また来てね』などと言って手を振っていた。あんたのことを、図体のでかい遊び友達と認識したものらしい」
「また来るときがあるとしたら、敵の軍師としてだろうな。薬師の女の埋葬を手伝ってくれたのは感謝しているさ。それに、思いもかけず石も五つあつまった。これで迷わず西へ向かえる」
「だが、そのまえに陳倉というのだろう」
「そうだ。この分ならば、明後日にはつくかな」
「陳倉で、趙子龍としての俺はいなくなるわけか。あんたとも会えなくなるな。こういっちゃなんだが、寂しくなる。
あんたは楽しい道連れだったよ。わがままに振り回されっぱなしだったが、それが楽しかった」
「変わり者」
「その憎まれ口も、ひとりになったら、思い出すのだろうな」
「呆れたものだな。記憶を取り払った趙子龍という男は、こんなに感傷屋だったとは」
「感情が豊かなのだと言い換えてくれ」
「似たようなものだろう。武将としては、あまりよいことではないぞ。まあ、これからのあなたのことは、あなたが自分で決めるのだ。
あなたならば、きっとなんでもこなせるよ。その気になれば文官とて務まろう。あなたほどに、すべてにおいて過不足なくこなせる人は滅多にいない」
「それはまた、怖いくらいの誉め言葉だな」
「事実を述べたのだよ、子龍。そうか、この名も、ほかに人のない道中だからこそ呼べるが、陳倉に入ったなら、もう、そういうわけにはいかないか」
「自分で言うのもなんだが、よい字だと思う」
「うん、そのとおりだ。それは素直に認める」
「あんたの号は臥龍というのだったよな。自分の字を捨てることで、あんたのことまで捨ててしまうような気がしてならぬ。これも感傷だろうか」
「そうだな、感傷だよ。気にしてはならない」

※明日はアップの日であります。どうぞ遊びにきてやってくださいませ(^^ゞ

2006年11月7日(火)
実験連載 塔 62
「よい馬を選んでもらったな。それに道中の用度品もこんなにたくさん。路銀を使い果たしていなかろうな。あんたのほうが、はっきりどことも知れぬ土地へいくのだ。俺よりも厳しい旅になるだろうに」
「安心するといい。わたしは石に選ばれた者。何百年かの年月を経て、ようやく石は五つそろったのだ。いざとなれば、石がわたしを守るであろう。
あなたはもうなにも煩うことなく、ひたすら東へ向かうのだ」
「思い煩うなというのはむずかしいな。どうしたって、しばらくはあんたのことを思い出すだろう。くりかえしになるが」
「だめだ。何度言わせる。もう決まったことだぞ。あなたは、いずれは願いの代償として反動を受ける身。わたしの旅の妨げとなるであろう」
「わかった。最後の最後で、みにくい言い争いはよそう。けれど、ほっとしたぞ。陳倉に入ってから、あんたはまるで口を利いてくれなくなった。最後まで、だんまりかと思ったよ」
「最後だからな。挨拶くらいはするさ」
「それでもいい。ところで、最後だと言うことで、もうひとつ尋ねたい」
「なんだ」
「正直に答えてはくれぬか。あんたにとって、俺はほんとうはどんな人間だったのだ。なぜ、二人で旅をしていた」
「それをいまさら聞いてなんとする。もはやなにも変わらぬ。あなたは願い、そして叶った。なにも聞かず、東へ行け。こんどこそ、なにものにも縛られず、平穏な日々を手に入れるといい」
「あんたが俺のまわりからいなくなったら、きっと静かになるだろうな。それが平穏なのだろうか」
「わたしのことは考えるな。薄々は気づいているだろう。あなたの故郷は、いままでのあなたの敵地の中にある。これからが大変だ。
いままでの名をいっさい捨てよ。わずかに覚えている記憶は封じてしまうのだ。わたしの名も、二度と口にしてはならぬ。
本当にどうしようもなくなったなら、徐元直という男がいる。手紙はもったな? かれを頼りにするといい。手紙にすべて事情はしたためた。おそらくは、力になってくれるであろう」
「なにからなにまで、すまない」
「礼は不要だ。達者でな」
「ああ。最後、最後とくりかえしてすまぬが、もうひとつだけ。これで気が済んだなら、俺はもうゆく」
「なんだ」
「あんたの手を貸してくれないか」
「手? どうして」
「いいから……ありがとう。あんたのことを、これで忘れないだろう」
「忘れろと言っているのに。わたしの手の感触なんぞ覚えていて、なにが楽しい。さして面白くもない手だと思うが」
「さてね。自分でもよくわからない。ただ、どうしても、あんたのことを忘れたくないのだ。なぜだろうな」
「さあ。変わっているのだよ、あなたは。もう気が済んだであろう」
「ああ、そうだな。もう行こう。短いあいだだったが、孔明、俺はあんたがとても気に入っていたよ」
「そうか、ありがとう。よく言われる」
「そうだろうな。では、元気で」
「さようなら」
2006年11月9日(木)
実験連載 塔 63
「いいのか、本当に行ってしまった。これでおまえは一人というわけだ」
「またか、赤毛」
「涙も出ぬか。おまえは、心を閉じこめるのがうまい。しかし、こういう悲しみはあとでじわじわと来るぞ。癒えぬ火傷のあとのように、ふとした瞬間に痛んでたまらなくなる。そんな苦しみにおまえは耐えられるか? 
いまからでも遅くない。戻ってこいといえばいい。あの男は、おまえの言葉に喜んで従うであろう」
「そうであろうな」
「わかっていて突き放したか、物好きな」
「子龍はわたしを忘れて、心安らかになりたいと願い、そしてその願いは叶えられた。それなのに、また逆行するような真似をしてどうする。同じ苦しみをどうしてくりかえす必要が?」
「では、おまえの心はどうなるのだ」
「わたしの心はどうとでもなる。もともと、わたしは一人だった。だれのものにもならぬ者。それが、元に戻っただけだ」
「やせ我慢でないといい。石は五つもある。途中で挫けて、石を使ったら、おまえは、あの薬師の女のように道半ばで倒れることになろう」
「石を塔に届けたらどうなる。本当になにも起こらないのだろうな。ふたたび人に発見されて、おなじ災禍をまき散らさないか?」
「塔で待っている者こそが、本来の持ち主なのさ。おまえを待っている。おまえは声を聞き、そして答えた。
おまえがいま言ったとおり、これは、本来ならば、おまえ一人の旅だったのさ。しかし、おまえはあの男を巻き込んだ。みずからの手で、あの男と手を切ったようなものだ」
「………」
「どこかで、安堵していないか。これでもう、思い煩うことはなくなる。あの男の存在が悩みになったことが多々あったはずだ。
困惑していた、足手まといに思っていた、そうだろう。有能な男だが、道ならぬ思いをなぜだか抱いている男だった。あんたはそれに答えることができないというのに、いつまでもいつまでも変わらなかった。
あんたは、あいつのそんな気持ちをなかば利用していた。絶対的な忠誠を捧げてくれると信じていた。実際にそうだった。決して裏切らない男。便利だよな。
けれど、そうして利用している自分にも、嫌気がさしていたのもほんとうだろう。あいつがいなければ、おまえの悩みも、ひとつ片付く。
なに、簡単なことだ。死んでしまったと思えばいいのさ。あんたが、あんたの飼い主にそういうふうに言い訳するつもりならば、いっそ自分でも本気でそうだと信じてしまったほうが楽だぜ」
「おまえは本当に容赦がない。だが、語る言葉はほんとうだ」
「そうだろうさ」
「わたしはおまえが何者か、わかった気がする。おまえはわたしだ。わたしが石のなかに見い出した、わたしの心の欠片なのだ。消えるがいい、おまえはわたしにとって、無用の者だ。道はわたしが決める。迷いはもうない」
「おまえは石を使うつもりだな。まず、「すぐに塔につけますように」。つぎに、塔についたなら、「趙子龍の身に起こるであろうすべての反動を、この身に受けますように」。そうすれば、塔に石を返すことができるうえに、あの男を守ることができる。
おまえが自信たっぷりに、あいつを送り出すことができたのも、前からそうしようと決めていたからだ」
「そこまでわかっているのなら、もう消えろ。わたしの心をいたずらにかき乱したところで、もはや決意はかわらぬ。おまえはわたしの心の『未練』や『悲しみ』からできている。
だがな、どんなに悲しもうと、もう元には戻らぬのだよ。消えるといい。そして、わたしに戻れ。嘆くなら、ともに嘆けばよい。わかっているのだ。もう、嘆くことのほかに、わたしには、できることが、もうなにもない」
2006年11月10日(金)
実験連載 塔 64
「わたしにとって、あなたが何者であったかと最後に問うたな。あなたはきっと、わたしにとってのもうひとつの人生だった。わたしであって、わたしではない者。それがあなただった。
だから切り捨てることなぞ、どうしたってできやしなかったのだ。
その心が邪魔だと言って、切り捨ててしまったなら、わたしの心も同じように死んでしまう。
わたしは、あなたを通して世界を見た。それまでは、どこか狭いところから、わずかな隙間を通して、外の世界を見た気になっていたにすぎなかった。
どんなに悲しいもの、恐ろしいもの、おぞましいものを目にしようと、なぜだろう、あなたとともに見たものは、すべて美しかったように思える。
あなたの心が邪魔だったわけではないのだよ。わたしたちはずっと一緒だった。
ふしぎだな、年も違えば、生まれも育ちもまったくちがうのに、わたしたちは言葉で多くを語らずとも、つねにともにあることができた。
あなたを恐れたことはないし、疑ったことも一度もない。うぬぼれではなく、わたしはあなたをそこまで理解できていたのだと思う。
これだけ大地がつづいていて、そのなかに街があり、そしてさまざまな人々がすんでいる。ちまたにあふれるだれもが、みなわたしとちがうものであり、たまに気が合う者がいたとしても、それとて一瞬の縁であって、ともに人生を歩むことにはならないのだ。
なぜだったのかはわからないが、あなただけがわたしと一緒に歩こうとしてくれたのだ。迷えば道を示してくれたし、歩けなくなったなら、手を差し伸べてくれた。
おそらくは、もうほかのだれも、あなたとおなじ役目はできまい。似たような者がいたとしても、所詮は似たものでしかないのだ。
どうして共に旅にでたかと問うたな。決まっているではないか。世界を見たかったのだよ。いつもならば見落としてしまうもの、空や、大地や、風の色、星の姿、すべてを共に見たかった。
これからはきっと、わたしはなにを見ても、ひとしくあなたのことを思い出す。そうしてきっと、あなたがここにいたなら、なんと言っただろうかと考えるだろう。
わたしのこの心がなんなのか、知りたくないし、名づけたいとも思わない。
ただ、はっきりいえることは、たとえ忘れられたとしても、それでもずっと一緒だということだ。この身が朽ちて、心が天に還る日まで、それは変わらない。

海を見てみたいと言っていたな。
見るがいい、小麦の穂が夕陽をうけて、風にそよいでいる。
黄金の海だよ、子龍。あなたがここにいたら、なんと言っただろう」
2006年11月10日(金)
実験連載 塔 65
「地平までつづく麦畑とは壮観だな。農夫たちは、みな帰ってしまったのか。だれもいない。
ここには魚も貝殻もないが、なんと美しい光景であろう。黄金の海、黄金の波だ。
西の空の彼方に太陽が消えていく。わたしはあれを追っていくのか。
風の音しか聞こえぬ。
ああ、わたしは本当にひとりなのだな」





「?」






「なぜだ」





「わたしは、東へ行けと言わなかったか?」
「言った」
「ならば、なぜ戻ってきた」
「海を見に来た」
「嘘をつくな。たまたまだろう」
「顔をよく見せてくれ」
「見て楽しい顔でもあるまい」
「憎まれ口も、いまは、なしだ」
「なにを考えているのだか……………!?」




「! 兇悪なやつだな。殴るか?」
「殴る! なにを考えているのだ! 変、あなたは、ほんとうに変だ! この、よいか、いまからわたしに接近することを禁ずる! 決められた距離から近づいてはならぬぞ、このおそるべき変態めが!」
「へんたい。いま、すこしばかり傷ついたぞ」
「いきなりおかしな真似をするからであろうが! ふつうはしない。絶対にしない。いいか、わかったな、近づいたら、つぎはぶん殴るどころではない」
「どうなる」
「彼方の太陽を追いかけたいと言っていなかったかな? 石に願いをかけて、その願いを叶えてくれよう。好きなだけ追いかけつづけるがよい」
「わかった。もうなにもしない。大人しくしている」
「反省しておらぬな。ということは、隙を見せたら、またおなじことをするかもしれないということではないか。
ああ、またも災厄をかかえてしまった。というよりも、これが反動ではないのか? どうして我が身にばかり苦労が耐えないのであろう」
「苦労にも、いい苦労と、わるい苦労の、二種類あって」
「だまれ。あなたの説教は、いま聞きたくない」