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山に入ると馬が通れるくらいの道はひらけていて、鬱蒼としていたが、さかんに往来がある場所であることはわかった。
湿った土のうえに、無数の足跡がある。
たまにけものが横切った痕があり、山の豊かさを物語っていた。
山に入ると、趙雲の口数はぐっと減った。
孔明も黙っていると、たまに、思い出したように趙雲が、想定している『ひみつ』とはまったく違う話題を振ってくる。
新野にきて不自由はないか、襄陽ではどんなふうに暮らしていたのか、友人たちとはどのように過ごしていたのか、旅をしたことあはるか、どこへ行ったことがあるのか、等々。
孔明は、聞くのも好きだが、喋るのも好きである。
問われればすべてに答えた。
ちょうど縦列になって山を登る格好となったが、趙雲は孔明の語る言葉を、ひとことも漏らさず、丁寧に聞いているようで、うなずいたり、相槌をうったり、みじかい感想などもはさみつつ、返してくる。
途中、有名な甘露の水があるというので足を止めて、沢から染み出ている水を汲みに行くこととなった。
触れると、指先の感覚がなくなりそうなほど冷えている水が、苔むした岩の隙間から水が流れているのを、だれがそうしたものか、竹の樋で水を誘導し、だれでもすぐに飲めるように工夫してある。
竹筒でそれを汲み、また、自らも手ですくって水を口にふくむ。
甘い、清らかな味がした。
咽喉に冷たい水がとおったそのあとに、ようやく孔明も頭が冴えてきた。
というよりも、それまで新野のなかで揉まれ、傷つけられてきたためにひねた自分の心が、ここにきて、ようやくすっきりしてきたように思えた。
そして、隣で、おそらく旅人か里の者かが置いたのであろう、休むための石に座って、木漏れ日をまぶしそうに見あげている男が、なにを考えているかを理解した。
『ひみつ』を打ち明けるためだとか、そういった大層な動機ではなく、ごく単純に、孔明が『腐る』といけないために、外に連れ出そうとしたらしい。
それはそれで、うれしい気遣いだ。
まして、そのような気遣いをする男だと思っていなかっただけに、意外であり、やはりうれしい。
うれしいと同時に、つぎに浮かんだ疑問は『なんでまた』ということであった。
※昨日は「こうせいニッキ」と「ブラック関係」を読み返し、ひとり反省会をしておりました。寝たの3時。それもどうかと思いますが、しかし、咽喉元過ぎればなんとやら、頭痛のときにどれだけ苦しんだか、恐ろしい目に遭ったかを思い出し、健康というもののありがたさを、またも忘れている自分に愕然(そして寝てるの3時って……)。
そして、ブラック状態に至るまでの伏線が、日記のそこかしこに散見できることに、われながら「わかってたんじゃん」と呆れた次第。入社して一週間で、休み時間にすでに胸のモヤモヤとした嫌悪感のようなものをおぼえていた、とはっきり書いてあり、それを『霊の仕業』とは申しませんが(そういって辞めたひと、やっぱりすごい理由だなあ)、やはり、なにか不自然さを感じ取っていた様子。
マズイと思った時点で、黙って辞めるべきだったなあ、自分でものすごいストレスを負って、敵を増やしただけだったかなあと、さすがにうんざりいたしました。分かっていて、どうしてそうなる、自分(-_-;) やはりニッキは大切ですね。これからもつづけようと思います。
ところで、昨日はカウンタ回転数が最高記録をマーク。みなさま、ありがとうございましたm(__)m ただ、ずんだ関係のみだったので、「なーんだ」だった方が多かったらどうしよう、とびくびくしているワタクシ。明日のアップはどうしようかな。思案中です(^^♪
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