● こうせいニッキ●
本文へジャンプ XX月XX日 

 

2006年5月27日(土)
現代変・序章
とある会議室。
楕円形のテーブルと、長時間座っても疲れない、ということが売りの青いオフィス用の椅子が四つ。椅子の前には、それぞれA4サイズの企画書が載せられていた。
やってきた四人のうち、一人が企画書を見て眉をひそめる。
文偉「『新企画・現代変提案会議』? いまでさえいっぱいいっぱいのくせに、また新連載をつくるつもりか、はさみののやつ」
蒋琬「現代変? というか、誤字だろう。編じゃないのか」
休昭「どちらでもいいよ。どうせなにが始まろうと、わたしはいじめられる役に決まっている」
蒋琬「おお、椒聊でろくな目に遭ってない休昭。元気をだせ」
文偉「そうさ、ドンマイ」
休昭「ドンマイって、死語だよ文偉」
蒋琬「ところで、ドンマイって何の略だ?」
文偉「ドン・マイケルの略じゃないのか」
休昭「だれさ、ドン・マイケルって」
文偉「知らんのか、ドン・マイケルは、歌舞伎町一帯を治めた伝説の男なのだ。カスカスの下っ端から身を起こして風雪を耐え忍び、他勢力との数々の抗争をもくぐりぬけ、ついにはだれからも尊敬されるボスに成り上がった。本名は浜中伝之輔」
休昭「だから、だれなの、浜中伝之輔! それがなんでドン・マイケル? マイケル関係ないじゃん!」
文偉「浜中伝之輔さんはマイケル・ジャクソンの大ファンだったのだ」
休昭「え?そんな最近の話なの?」
文偉「この伝之輔さんにあやかって、きみもがんばれ、という意味で、ドンマイは使われるようになったのだ。そういうわけで、ドンマイだ、休昭!」
休昭「そ、そうなのか」
偉度「そこの莫迦ぼっちゃん、大ぼら吹いて休昭をいじめるな。ドンマイはドント・マインドの略だ。ふつうに辞書に載ってるぞ。休昭も信じるな」
文偉「え? ちがうのか? まーた馬岱どのに騙された!」
休昭「………人間不信になりそうだよ」
偉度「それでも主役だろう、贅沢をいうな。さて、企画書に目は通したな。さっそく会議をはじめるぞ」
蒋琬「ずいぶんいきなりはじまった、不思議企画だな。小説なのか?」
偉度「いーや、三国時代の英雄たちが、現代に生まれていたら、どんなふうだっただろうかと勝手に考える大きなお世話企画。本日は序章ということで、明日から少しずつ、このメンバーで、いろいろつべこべぬかしてみる。
かまえずに、気楽にいけ、気楽に。ただしこの企画のあとに人間関係に微妙な影が差しても、当方はいっさい責任を負わないのでそのつもりで」
休昭「
………趙将軍のときは欠席しよう……
というわけで(?)いきなりはじまりました新企画・現代変。実に適当な企画でありまして、毎日ではなく、ところどころ出没予定であります。みなさまのご意見・ご感想もお待ちしておりますm(__)m
※昨日にひきつづき、みなさま拍手をありがとうございます!(^^)! アンケートも楽しいことになっておりますねー。孔明と趙雲が並んだ、と思ったら、孔明がまた引き離し、つよいなあと思っていたら、また趙雲が追いかける、という具合。どれだけ趙雲が孔明に追いつけるかな~。明日はアップがあります。みなさま、あそびにいらしてくださいませね(^o^)丿
2006年5月26日(金)
光と影
光と影と、いうと、なにやら抽象的すぎる表現で、なおかつ妙に格好つけた雰囲気がありますが、はさみのが創作するときに、この概念がいつも頭にあります。
はさみのが書くお話は夕暮れや暁、あるいは夜に進行するときが多いのは、陰影のつよい光景に惹かれるからであります。ありきたりな表現にならないように注意していますけれど、どうでしょう。課題です。
物の陰影についての光と影もありますけれど、物事の裏と表、という概念も頭にあります。
お話を書くうえで気をつけなければいけないなと思うのは、どちらか一方に過度に傾いたらいけないな、ということ。
これは日常でもそうだと思うのですが、プラス面とマイナス面の両方に足をかけているくらいが、いちばんバランスがいい。不思議と楽なほうに流れていくと、人間、行きづまるためか、なぜだか心が苛立ってくる。
これは楽な環境にいると、いままで気にならなかったことが見えてきてしまうためで、本来なら腹を立てなくてよいものが、我慢ならなくなってくる。いままで気にならなかったことというのは、たいがいにおいて、気にするだけ無駄なことだったりします。そういった無駄なイライラに捕らわれて、自分を客観視できなくなる。
お話も一緒で、影、つまりは人間の陰の部分ばかりを書いていると、非現実的なほどに人間のマイナス面ばかりが並んでしまう結果となり、本来のテーマがぼやけて『人間なんてこんなものさ』といった、偏狭でシニカルな印象しか残らなくなってしまう。
現実に『救われない状況』はあるじゃないか、というご指摘はごもっとも。
しかし、ひとがひとのために語る物語は、その『救われない状況』を暴き立てるだけで終わってよいものか。
ちがうと思います。世代を超えて読み継がれているものの共通項、それは『人間賛歌』というところでして、悲劇であれ喜劇であれ人間性を高らかに訴えているものしかあとには残らない。
どちらか一方に傾くのではなく、雲の上から世を見下ろす、山のように泰然とした視線をえたとき、はじめてそんなお話が書けるようになるのかな。文章の技術や語彙云々よりも、何事にも動じず公平にモノを見れる力強さがほしいものです。
なになに、エラソーなことを言って、おまえは出来ているのか? 出来ておりませんよう。あいかわらず、考えるのだけは、いっちょまえなはさみの。
結局、すべては日常の中にあり。日々コレ修行。あと一日で休みだ! 今日もしっかり頑張ってまいります(^^ゞ

※みなさま昨日に引き続き、拍手をありがとうございますm(__)mそしてアンケート、おどろいたことに孔明と趙雲の数がぴったり並びました。おおー。椒聊効果か? ブラックでもOKということなのか? だとしたらうれしい限りであります(^.^) 本日ジャンヌ分をアップ。次回アップは日曜となります(^^ゞ みなさま、またお会いしましょう(^o^)丿 
2006年5月25日(木)
てそう。
オカルトに関してはすっかり懐疑派なはさみのでありますが、手相にはすこしばかり信用を置いていたりします。
占いというよりも、人間がいちばんつかう部分である手は、そのひとの仕草を表現する部分でもありますから、てのひらに刻まれるシワも、ある程度、その人の性格を現しているのではないかと思います。観相学とおなじですね…すっかり信用するわけにはいきませんが、けっこういろんなことが見えておもしろいです。
ちなみに、はさみのの手相は、成人病の気があり、親のすねかじりで前半生はよいが、晩年は努力しないと寂しいものになる、という結果。当たっている気がします(-_-;)
当たる、当たらないはともかく、不思議なことに、手相、群発頭痛が起こってから、形が変わってきました。生命線が伸び(注・長ければ長生きする、ということではない)、職業をあらわす頭脳線が、ようやく伸びてきました。カーブをえがいて月丘に向かっています。線もむかしは、どこに線があるのと聞かれるほどに薄かったのに(つまり手を殆ど動かしていなかったということなのか…)、いまではくっきりはっきりになりました。
つまり、頭痛のおかげで人生について、すこし真面目に考えるようになったから、その結果が手相にあらわれている、ということでしょうか。やっと人並みになった気がします(^.^) 
手相を良くするには、掌をよく見せるようにすればいいってなにかの本にありましたが、本当かなあ。いまは「よくなれー、よくなれー」と念じながら、爪でうすーい部分をなぞっています。

※みなさまあたたかい拍手をありがとうございましたー(^o^)丿 そしてあいかわらずキツネに熱い愛を注いでくださるとくささま、感謝であります!(^^)! アンケートの数も動いており、ホクホクしているはさみの。さて、ジャンヌのつづきですが、金曜日のアップになる予定です。あそびにいらしてくださいませね(^^ゞ 
2006年5月23日(火)
なんだかイライラする日
というものがあるかと思います。女性ならば周期的に訪れるのではないでしょうか。いまの会社に入ってそろそろ二ヶ月になりますが、不思議とみんなが似たような時期にイライラしている様子。こういうのも連鎖するのでしょうか。
いやはや、隣の席のヒトが、ずーっと貧乏ゆすりをしておりまして、気になること、気になること。よほど親しい人が相手でないかぎり、止めてくれとはなかなか言えませんよね。困ったものです。なにをそんなにイライラしているんだろう…ナゾは身近なところに(-_-;)
ちなみに貧乏ゆすりの癖がある人は、内気なわりに、自己主張の強い人に多いという分析があるそうです。なるほど、うなずけるかも。
さて、はさみのは先週が不調だったのですが、その反動か、いまは元気であります(^^ゞ
いまの会社のシフトというのは、週代わりで早番と遅番とございまして、同じ時間を拘束されているのに、遅番のほうが不思議と体調がよいのです。
すっかり夜型に慣れてしまっている証拠でしょうね。身体のことを考えると、あまりいいことじゃないなあ、とは思うのですが…どうしても早起きが出来ないでいます。あこがれの朝型人間。
遅番のときのほうがゆっくり時間を過ごせることを利用して、今週はいろいろ書き溜めておこうかなあと予定しております。早番って、どうしてあんなに何にもできないのかなあ。不思議だ…
というわけで、今週のアップ予定は水曜日となります。どうぞ遊びにいらしてくださいませねー(^o^)丿
※おお、アンケートに動きが! 法正にさりげなく加えられた一票がまぶしい。ご協力くださった方、ありがとうございます。アップは明日行いますので、あそびにいらしてくださいねー(^^♪
2006年5月22日(月)
はさみの、はやりものに乗っかってみる・2
さて、ダヴィンチ・コードふうに見ると、こんなふうに解釈することもできます。

シオン修道会の総長であったルネ・ダンジューは、神の声を聞いたといって現われた少女に、自分たちの崇拝するマグダラのマリアにも似た『女神』の力強さや美徳を見い出し、これを擁護し、フランスの国土回復、つまりはそこにある『聖杯』を守ることを画策します。

つまり、ジャンヌは神の声にしがたって村をでたあと、ルネ・ダンジューと会い、ルネ・ダンジューよりシオン修道会の存在を知らされ、『聖杯』(原作を読んだ人ならわかりますよね。しかし当時の『聖杯』はだれだったのかなー)を守る騎士の役目を引き受けたのではないか。その義務感からこそ、過酷な裁判にも耐え切って、最後には死んでいったのかもしれない。
ジャンヌが捕らえられたときは、アンジュー公家はあいにくとジャンヌを助けることができませんでした。
ジャンヌの処刑後は、ルネ・ダンジューはフランスの国土回復に向けて、精力的に戦いをつづけます。
それだけではなく、ルネ・ダンジューは荒廃した国土に、イタリアで起こり始めていたルネサンスの息吹を吹き込み、のちのフランスの栄光を築く立役者のひとりとなったわけであります。ですから、たしかにシオン修道会の総長の座にふさわしい人物といえましょう。

あくまでシオン修道会が存在していたら、という話で、これはジャンヌ傀儡説の新パターンといえなくもない。いままでの傀儡説だと、ジャンヌがまるで思い込みが激しいだけの可哀想な娘だったので、まだすこし、救われる部分があるかなあ(^_^;) どうよ、ダンちゃん(注・ダン・ブラウン)。百年戦争や中世の歴史に詳しい人なら、ルネ・ダンジューと聞いて、このあたりのことはすぐに連想するのではないでしょうか。
書きません。書きませんですよ、これは。あくまでシオン修道会なるものが実在していたら、のお話ですしね。真剣に主張する陰謀説をからめた小説ほど、あとになって色あせるものはありませんし。
ダヴィンチ・コードはたしかに面白いけれど、しかしモナ・リザ=『追放された女神(あえて名前を挙げませんが)』とするにしても、その前に、なんで眉がないのか、という疑問はどうなるのでしょう。
眉がない→モナ・リザは年配→モナ・リザはダ・ヴィンチのお母さんの肖像画、という説は成り立ちませんでしょうか。駄目ですか、そうですか…スミマセン、出直して参ります(-_-;)
ちなみに、ダヴィンチの晩年のパトロンになったフランソワ一世は、ジャンヌが解放したオルレアンを治めていたシャルル・ドルレアンの弟であるアングレーム伯ジャンの孫にあたります。

※ニッキ復活でございます。あいかわらずジャンヌ関係のお話でありますが、はやりものということで許してくださいませ(^_^;) さて、次回アップですが…まだ決めておりませんが、椒聊はまちがいありません。下書き書き終わりました(*^^)vあと一本はどれにしようかな。調子に波があるのは仕方がないのかもしれませんが、それがちとわたしの場合、極端なので、調子が回復したいま、再び調子が悪くなったとき用に書き溜めておかないとなと思います。ああ、ばいおりずむ。
お陰さまでいまは快調。たいへんご迷惑をおかけしました。拍手と投票もありがとうございますー。拍手ももちろんですが、投票が入るとホッとします。緊急アンケートでは、いまのところみなさま、いつでもいいよーとおっしゃってくれている様子。しかしお言葉に甘えてばかりもいられない。次回アップをどうぞお楽しみに(^^♪
2006年5月20日(土)
はさみの、はやりものに乗っかってみる・1
ダヴィンチ・コードが全国一斉公開されましたね(^^♪ あいにくと頭痛の余韻に怯えているため、暗闇のなかで光を見ること、つまり映画館に行くことができないのですが、親が友達と観にいくそうで、パンフレットを買ってきてもらうことになりました。原作どおりに面白かったらDVD買おうかなあ。たとえナゾの全てを知っていても観たくなるお話でありますね。
流行りモノには頑固な抵抗を見せるはさみのでありますが、めずらしくこれには、はまっております。
さてはて、ダヴィンチの関連本をながめていたら、シオン修道会の名簿が。ジャンヌの時代の総長ってだれだったのかいなと探してみたら、ルネ・ダンジューという名前がありました。
どこかで見た名前だなあ…と思いましたら、それもそのはず。ジャンヌに関わりある人物だったのであります。

さて、ジャンヌが故郷のドンレミ村から出たばかりのころのおはなし。
一刻もはやく王太子のもとへ行きたいのに、単なる妄想に憑かれた家出娘扱いをされ、足止めをくっていたジャンヌでありましたが、四方八方をブルゴーニュ派に囲まれ、つねに緊張状態にいたヴォークルールの町のひとびとは、次第にジャンヌの言動に惹かれて、この娘はホンモノではないかと噂しあうようになります。
その噂を聞いたのが、なんとか自治を保っていたロレーヌ公でありました(注・ロレーヌ領は、長きにわたり自治を保っておりました)。
家庭内の不和や自身の病に悩んでいたこの老貴族は、ジャンヌを招聘し、病を治してくれるようにと依頼します。しかしジャンヌはきわめて誠実な態度で病を治すことはできないと断り、その代わりに、家庭内の不和を老公の努力によって改善するようにと、敬虔な少女らしく忠告したのでした。
そして、ジャンヌは、自分を王太子のところに送って欲しいと老公に懇願することになるのですが、このジャンヌの口ぞえをしたのが老公の義理の息子で、フランスの名門中の名門アンジュー家の当主ルネ・ダンジュー。
ルネの妹は王太子の妻・マリー。そう、つまりルネ・ダンジューはヨランド・ダラゴンの息子、つまりは王太子シャルルの義兄なのであります。
息子の口ぞえがあったからこそ、ヨランドはジャンヌを歓迎することになるのでありました。その後もヨランドはジャンヌの重要な味方になるわけですが、言い換えればジャンヌは、アンジュー公家の後ろ盾があった娘なのです。
ところで、ルネ・ダンジューの治めたロレーヌ(ロートリンゲンともいう)の紋章は、かわいらしい二匹のさかなであります。青地に背中合わせの二匹のさかな。
さかなといえば、キリスト教に深い関連をもつシンボル。ジャンヌが後ろ盾に選ぶにふさわしい家だったのかもしれません。
そして続きます…m(__)m

※ご心配をおかけしました。二日ぶりのこうせいニッキ復活であります。拍手を下さった方、メールを下さった方、ほんとうにありがとうございました(^^♪
明日はアップとなります。ただいま準備中。どうぞおたのしみに(^o^)丿