● こうせいニッキ●
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2006年5月10日(水)
なっとう
非常時の対処、というところなのですが、やはり、日ごろの知識と意識がとても問題になってくるわけであります。
話は変わりますが、はさみのの実家の自治体が、『市民大学』を開いてくれたことがありまして、はさみのもそれに参加したことがあります。
何回目かの講義のうち、阪神淡路大震災の被災者の方の講演会があったのですが、そのなかで、男性の方が、おもしろいことをおっしゃっていました。
「正直、普通の人だったら、避難生活で、水をどうしようとか、寝る所はどうしようとか、困ると思います。僕がすぐに動けたのは、実を言うと、いま流行っている(当時は大流行でした)仮想戦記モノとかを読むのが好きで、サバイバル生活をあれこれ頭で空想するのが好きだったのです。おかげでその知識を使って、ご近所のリーダーみたいなものをさせてもらって、ほかのグループより、すこしだけマシに動けたと思います。ご近所にも感謝されました」
やはり読書は必要だと思ったお話でした。
とはいえ、ただ読むだけじゃダメで、やはり受け止める側も、想像力をはたらかせて読まなくてはいけない。
だから、まったく同じ本を同じ量だけ読んでいても、この男性のように想像力を使わないで読んでいた人は、同じように動けなかったのではと思います。
この講演会、とってもタメになりました。
ほかの講師の女性の方が
「忘れがちですけど、女性のいる家庭は、万一に備えて、生理用品も防災グッズにいれておいてあげてください。本当に大変ですから」
とおっしゃっていました。なるぺそ。考えてなかった。はさみのの家の防災グッズには、簡易トイレと生理用品はかならず入れております。

※拍手やアンケートのご協力どうもありがとうございます。作品別にうれしいことにオリジナルのご感想が(^^♪ こちらも近々アップいたします。でもって、趙雲にあらたに2票はいりました。つよいなあ。さて、アップ、明日となります。どうぞ遊びにいらしてくださいませー(^^ゞ
2006年5月9日(火)
ちょっぴり昨日のつづき
さてはて、地下鉄サリン事件の衝撃がさめやらぬはさみの宅。
帰宅すると、なぜだか、母がぷりぷりと怒っている。
聞けば、
「さっき、ニュースで流れていたんだけどさ、サリンを吸って苦しんでいる人が真となりにいるのに、急いでるんだか、なんだか知らないけど、サラリーマン風の男の人が、ちらっと見ただけで無視してすたすた行っちゃうの! それもね、そういう態度を取るヒト、一人や二人じゃなかったんだよ!」
ということ。
特に母は、はさみのを産む直前まで、医療関係者として働いていたので、苦しんでいる人を無視できる感覚がわからなかったらしい。
ちなみに、この母を怒らせた、おそらくは、混乱のなかで、ともかく映せ、そして報せろという状況のなか、もっともリアルに惨状を報道した映像は、時間が経つにつれ、さっぱり放映されなくなりました。
モザイクもなにもなく報道されていたので、知っている人が見たら、すぐに「○○さんだ!」とわかったからではないか、あるいは、正直、怒りと人間不信を生む映像でしかないので、ニュースを受け止める側を煽りすぎることを、マスコミが自制したのかもしれないと思います。
とはいえ、苦しんでいる人を見たときに、すぐに行動に移せるか、というところが、正直、はさみのにも自信がありません。
うーん。無視はしないだろうなと思います。対処はわからないけれど、声をかけたり、ポケットティッシュを差し出したり、代わりにその方の家族に電話してあげるくらいはします。
というか、しよう、自分。と言い聞かせる五月晴れの仙台よりはさみのでありました。
※みなさま、アンケートへのご協力ありがとうございます。アップは何時でもいい、という声が多い様子。意外だったのですが、金曜、土曜がいまのところ多いんですね。なぜ意外かといえば、金曜と土曜はアクセス数にバラつきがある曜日だったからです。ほほー。でーもって、すごいなぁ、休昭と趙雲が数が並んでおります。休昭にこれだけコメントをいただけるのも初めてです。みなさまありがとうございます。さて、アップですが、うーん、明日の深夜か明後日にできたらいいなあと思っています。ぜひぜひ遊びにいらしてくださいませー(^^ゞ
2006年5月8日(月)
気がつけば…
はさみのが、まだ千葉でのんびりと暮らしていた頃のこと。
「てーれーびー! てれびっ! 起きなさい!」
という、母のナゾの呼び声に起こされたことが二回だけあります。
一回目は、幼女連続殺人事件の犯人、宮崎勤が逮捕されたとき。
二回目は、忘れもしない1995年3月25日の朝でございました。
なんじゃらほいと階下にむかい、おたまをもったまま、
「はあ? はあ?」
と、いったいだれに対してなのか、疑問をぶつける母を横目に、画面を見ると、朝ぼらけの富士の裾野にずらーっとならぶカーキー色の行列。防護マスクをかぶり、行軍するそのさまは、しらじらと明け染めた空を背景に、緊迫感あふれたものに映りました。
そして、その手には、なぜだか黄色いカナリヤ入りの鳥かご。
「な、なにコレ」
「戦争だよ、戦争が起こったんだよ!」
興奮する母。
フジサンロクオウムナク。地下鉄サリン事件を受け、とうとうオウム真理教への強制捜査がはじまったのでした。ちなみに、警察による強制捜査の作戦を、本当に『ルートファイブ』(フジサンロクオウムナク)と呼んでいたそうであります。

なんでいまさらこんなことを書いているかと思いますと、なんだか私事で立て込んでいたため失念していたのですが、あの事件から十年以上もの月日が経っていたということに、急に気づいたからであります。
最近になって、残党が分裂をしている、という報道もされておりますが、あの事件ほど、つよい衝撃を受けた事件はほかにありませんでした。
職場では、いつもはクラシックCDをかけておくのに、サリン事件発生時は、ずっとラジオをつけっぱなし。家に帰れば帰ったで、ほかのニュースはどこへいったという勢いで、ずーっと、このナゾの事件の報道がなされておりました。
被害列車に乗っていた方に対し、ニュースキャスターが、着ていた服を処分するようにと要請していたこと、聴いたことのない化学物質の名がぽんぽん飛び交っていたこと、いまでもはっきりおぼえています。
そして夜になってくると、報道のトーンに変化があらわれてきました。
地下鉄テロ事件は、どうやら霞ヶ関を狙ったものであるらしいことがわかってきたと。
そして、いっさいほかのニュースが報道されないなか、たったひとつだけ、オウム真理教による『自分たちは関係ない』といった声明文がマスコミ各社に送られている、という報道が、不気味なほど静かに付け加えられたのでした。
(TBSだったと思うのですが、急に無音になり、暗い背景に、ぽつんと一枚のFAXがあり、『オウム真理教より、自分たちはサリン事件とは関わりがないという声明文が届いた』とひとことだけ付け加えられた映像が、非常に印象的でした)

そして、個人レベルで聞こえてくるサリン被害。近所のおじさんが病院に運び込まれたらしい、同級生のお父さんが亡くなった、職場のちかくの薬局の娘が、オウムに入信したのだが、音信不通になっている等々。
あんなに身近で犯罪というものを体感した事件は、それまでありませんでした。

なのに、ですよ。
咽喉元を過ぎればなんとやら。
一時は、村山政権の閣僚の名は知らないが、オウムの大臣の名前は知っている、というくらいニュースにかじりついていたのに、いつのまにか十年経った、ということも忘れていた……イカンです。
この事件が風化しないことを、本当に祈ります。

※アコのご近所さまが一票投じてくださった様子。え、えへへ。五橋界隈周辺の方にはご迷惑をおかけしておりますm(__)mでもって、休昭への票が、なかなか楽しい勢いですねー(^.^)みなさまありがとうございます。そして拍手もいただけまして、ありがたい限りであります。椒聊だけでも、少し早めにアップしたいところ。どうぞお楽しみに(^^ゞ
2006年5月7日(日)
アタチュルク・あれこれ4

ずーっと探していた新潮選書の「ケマル・パシャ伝」を、とても綺麗な状態で古本屋さんで購入。この本の筆者である大島直政さんの文体が好きなのです。なによりわかりやすい。
どこかなじみがない印象のあるトルコですが、アタチュルクは明治維新をとても意識しておりました。よその国のお話を読んだあとに、自国のことを考えると、日本も捨てたものじゃないな、と思えます。やっぱり日本以外の国には、よほどでないかぎり住みたいとは思わないなあ。やっぱり日本が大好きですねぇ。
それはともかく、明日からお仕事再開、ということで、今日はアタチュルク関係のお話のなかでも、好きなエピソードを、ちょっぴり小説ふうにご紹介。

さて、第一次大戦終了直後。
イギリス海軍からの攻撃を、ダーダネルス海峡で守った英雄ケマル・パシャ、のちのアタチュルクの名は、首都イスタンブールでも一躍有名となりました。
しかし、国は敗戦国となり、首都にはイギリス兵が駐屯するようになります。
そんな、トルコ人にとっては面白くない、鬱鬱とした1918年11月のある夜のこと。
豪奢な内装をそなえた近代的なホテル、ペラ・パレス・ホテルは、いまや占領者として幅をきかせるイギリスの高級将校たちと、かれらを目当てにあつまった、西欧系の娘たちで、夜な夜なにぎわっておりました。
そんな華やかなバーに、将校マントをひるがえし、怖じることなく軍靴を大理石のうえにひびかせて、ひとりのトルコ軍人がやってきます。
洗練されたイギリス人将校たちとはちがい、前線帰りとひと目でわかる、異様なまでの存在感。絢爛豪華なバーになじまない、戦場にただよう、噴煙の残滓をただよわせる男です。
いかにも場違いなその男の登場に、周囲はしんと静まり返り、つめたい批難もこめられた、ひそひそ声ばかりが、バーに漂いました。
しかし、やがて、それも驚きに取って代わります。
イギリス人将校たちが、男が何者かを思い出したのでありました。
特長のある、雄牛のように力強い碧の双眸と、濃い金髪、長い手足をもつこの男、モールバラ公爵(ちなみに『モールバラ』の綴りは、タバコのマルボロとまったくいっしょです。読みだけがちがうのです。面白いですね)ウィンストン・チャーチル率いるイギリス海軍を打ち破り、チャーチルを失脚にさえ追い込んだガリポリの英雄、たしかムスタファ・ケマル・パシャとかいう男ではなかろうか。
イギリス人将校は、そこでフェア精神を発揮し、どっかりと、ひとり、バーの片隅に座ったガリポリの英雄に、どうか、自分たちのところへやってきて、一緒に酒を飲みかわさないかと誘います。
するとケマルは、あくまで丁重に、しかしきっぱりと、毅然とした眼差しを向けて、こう答えたのでありました。
「ご招待ありがとう、しかし、ここ(トルコ)ではわれらが主人であり、貴公らは客人であろう。共に飲もうというのなら、貴公らがわたしの席にくるといい」
もちろん、これに誇り高きイギリス人将校たちが従うはずもなく、さらに誇り高いケマルも、折れて席を立つようなことはありませんでした。

なんだ、このかっこよさ!
実話であります。

さて、ケマルのもとへ、あとから副官や、志をおなじくする同僚たちがやってきて、かれらはイギリス人将校たちの真正面で、堂々と『いかにしてイギリス人をトルコより追っ払うべきか』を熱く議論しはじめます。
この議論は何日もつづき、やがて、ケマルの頭の中に、イギリスの言いなりとなっているスルタンの支配下にあるイスタンブールを出て、東方のアナトリアにて行動を起こすべしという構想ができあがっていくのであります。
それは、トルコ革命の筋書きでもありました。

敵の将校がたくさんいる中で、堂々と語り合ったかれらは大胆なのか、それともなーんにも考えていなかったのか、あるいはイギリス人がすっかりトルコ人を舐めきって注意をはらっていなかったのか、はたまた言語の問題か。
なんだか全部のような気がしますが、ケマル・パシャ、三十八歳の革命前夜のお話でありましたm(__)m
ペラ・パレス・ホテルのバーは現在も営業中。もし旅行で行く方があれば、ぜひお立ち寄りくださいませ。頭痛の発症がこわくて飛行機に乗れないはさみのは、みなさまの土産話を楽しみにしておりますです(^^ゞ

※いよいよ本日にて連続アップ最終日であります。連日お付き合いくださった方、本当にどうもありがとうございました。本日のもニッキ先行アップとなりまして、小説のアップは夜ごろになると思います。どうぞお越しくださいませm(__)m