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ずーっと探していた新潮選書の「ケマル・パシャ伝」を、とても綺麗な状態で古本屋さんで購入。この本の筆者である大島直政さんの文体が好きなのです。なによりわかりやすい。
どこかなじみがない印象のあるトルコですが、アタチュルクは明治維新をとても意識しておりました。よその国のお話を読んだあとに、自国のことを考えると、日本も捨てたものじゃないな、と思えます。やっぱり日本以外の国には、よほどでないかぎり住みたいとは思わないなあ。やっぱり日本が大好きですねぇ。
それはともかく、明日からお仕事再開、ということで、今日はアタチュルク関係のお話のなかでも、好きなエピソードを、ちょっぴり小説ふうにご紹介。
さて、第一次大戦終了直後。
イギリス海軍からの攻撃を、ダーダネルス海峡で守った英雄ケマル・パシャ、のちのアタチュルクの名は、首都イスタンブールでも一躍有名となりました。
しかし、国は敗戦国となり、首都にはイギリス兵が駐屯するようになります。
そんな、トルコ人にとっては面白くない、鬱鬱とした1918年11月のある夜のこと。
豪奢な内装をそなえた近代的なホテル、ペラ・パレス・ホテルは、いまや占領者として幅をきかせるイギリスの高級将校たちと、かれらを目当てにあつまった、西欧系の娘たちで、夜な夜なにぎわっておりました。
そんな華やかなバーに、将校マントをひるがえし、怖じることなく軍靴を大理石のうえにひびかせて、ひとりのトルコ軍人がやってきます。
洗練されたイギリス人将校たちとはちがい、前線帰りとひと目でわかる、異様なまでの存在感。絢爛豪華なバーになじまない、戦場にただよう、噴煙の残滓をただよわせる男です。
いかにも場違いなその男の登場に、周囲はしんと静まり返り、つめたい批難もこめられた、ひそひそ声ばかりが、バーに漂いました。
しかし、やがて、それも驚きに取って代わります。
イギリス人将校たちが、男が何者かを思い出したのでありました。
特長のある、雄牛のように力強い碧の双眸と、濃い金髪、長い手足をもつこの男、モールバラ公爵(ちなみに『モールバラ』の綴りは、タバコのマルボロとまったくいっしょです。読みだけがちがうのです。面白いですね)ウィンストン・チャーチル率いるイギリス海軍を打ち破り、チャーチルを失脚にさえ追い込んだガリポリの英雄、たしかムスタファ・ケマル・パシャとかいう男ではなかろうか。
イギリス人将校は、そこでフェア精神を発揮し、どっかりと、ひとり、バーの片隅に座ったガリポリの英雄に、どうか、自分たちのところへやってきて、一緒に酒を飲みかわさないかと誘います。
するとケマルは、あくまで丁重に、しかしきっぱりと、毅然とした眼差しを向けて、こう答えたのでありました。
「ご招待ありがとう、しかし、ここ(トルコ)ではわれらが主人であり、貴公らは客人であろう。共に飲もうというのなら、貴公らがわたしの席にくるといい」
もちろん、これに誇り高きイギリス人将校たちが従うはずもなく、さらに誇り高いケマルも、折れて席を立つようなことはありませんでした。
なんだ、このかっこよさ!
実話であります。
さて、ケマルのもとへ、あとから副官や、志をおなじくする同僚たちがやってきて、かれらはイギリス人将校たちの真正面で、堂々と『いかにしてイギリス人をトルコより追っ払うべきか』を熱く議論しはじめます。
この議論は何日もつづき、やがて、ケマルの頭の中に、イギリスの言いなりとなっているスルタンの支配下にあるイスタンブールを出て、東方のアナトリアにて行動を起こすべしという構想ができあがっていくのであります。
それは、トルコ革命の筋書きでもありました。
敵の将校がたくさんいる中で、堂々と語り合ったかれらは大胆なのか、それともなーんにも考えていなかったのか、あるいはイギリス人がすっかりトルコ人を舐めきって注意をはらっていなかったのか、はたまた言語の問題か。
なんだか全部のような気がしますが、ケマル・パシャ、三十八歳の革命前夜のお話でありましたm(__)m
ペラ・パレス・ホテルのバーは現在も営業中。もし旅行で行く方があれば、ぜひお立ち寄りくださいませ。頭痛の発症がこわくて飛行機に乗れないはさみのは、みなさまの土産話を楽しみにしておりますです(^^ゞ
※いよいよ本日にて連続アップ最終日であります。連日お付き合いくださった方、本当にどうもありがとうございました。本日のもニッキ先行アップとなりまして、小説のアップは夜ごろになると思います。どうぞお越しくださいませm(__)m
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