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次回のお話で、魏延が登場する予定(変わるかも)なのですが、さて、その人物造形について。前(こうせいニッキ・1)に書いた人物像から、またすこし変化させようと考えています。が、これがむずかしい。
魏延ファンには怒られるかも、な考察は下記より↓ 怒らないです、という方のみお進みくださいませm(__)m
趙雲は、その死のすぐあとは、さほど評価されていないのは、「季漢輔臣賛」(孔明の死後七年後の241年に編纂)に名前が挙がる順番から判りますが、その後、姜維らによって諡号が贈られ、陳寿の書いた「三国志」では、一気に伝の順番が上がっております(三国志の場合は、前にくるほど偉い、とは一概に言えませんで、重要人物を前と後ろに配置する、サンドイッチのような構成です)。
これは諡号を贈られた、ということが大きな意味を持っていたわけですが、そもそも諡を贈られるだけの理由がなくてはなりません。
以前に「趙雲の逆転」というタイトルで、そのあたりの事情は、厭戦ムードを払拭するための、姜維の策だったのではないかと書いたことがありました(趙雲の字についての考察が甘かったため、現在はファイル削除しています)。
しかし、利用されるにしても、利用する価値がなくちゃ意味がないわけで、趙雲の功績は地味だけれど、みなの認めるところだったんじゃないかしらん、という、いつものご贔屓文章だったのです。
さて、魏延のほうですが……一時、いつも割りを食っている可哀想な人物、というキャラ付けもありかな、と思っていたのですが………えーと。
たとえば「三国志」の注釈で「こんな書物、いい加減で信用できん」と厳しく評価されている「魏略」なんかで悪口が書かれている、というのなら、差し引いて考えられるのですが、魏延の場合、面白いことに、蜀の内部のほうが、より評判が悪い。
そこになにか、裏事情(策謀、と言い換えてもいい)があったんじゃないかと、見ることもできるかもしれませんが、わたしは素直に、陳寿らの記述を信じるべきだと思います。
陳寿はもちろんのこと、上記の「季漢輔臣賛」の作者も、そろって「(漢中を守っていた)最初の功績は素晴らしいが、身を滅ぼしたのは、身から出たさび」ときつい評価を下しております。
趙雲への評価が変わっていることから見ても、もし魏延に非がないとしたなら(王朝が変わっているわけですし)、「三国志」が執筆される時点で、多少はよい評価も出ていいはずなのに、それがない。
あえて選ぶなら、陳寿の「叛乱の意志はなく、人事が気に食わなかったから暴れただけだ」というフォローくらいでしょうか。
とはいえ、国の実質上のトップが死んで、もっとも家臣がまとまらなくちゃいけないときに、あえて騒いだ罪は重いです。「国のために」という視点が、そこにはない。
帰国してから異議を唱えれば、蒋琬や董允も耳を貸したでしょうに。やはり、孫権が評価したように、どこか器の小ささを感じてしまう。
本当に孔明の後を継いで統帥権を独占したかったのなら、孔明の生前から、文官たちを味方につけておくべきなのに、それをしていた気配もない。
「身から出たさび」。つまり同情する余地なし、と、二人の史家が、用いているこの言葉、彼に向けられた恨みが、広い範囲で相当に強かったのではないかと想像させます。なにやったんだ、魏延…
とはいえ、生きるって難しいですねぇ。どこかでカンチガイをしてしまった人物…なのでしょうか。賢い生き方って、なんでしょう。
すこしばかり長くなりそうなので、今日はこのあたりで切って、明日に続きます。
ところで、体調のほうは、だいぶよくなって参りました! ハラショー!
こんな状態のなかで、このニッキにあるテーマ(本を出すか、どうするか)について、いろいろメールを頂いておりまして、とてもありがたいです(^.^) すごく読み応えがあります。はさみのの中で、まだ考えがまとまっていないのですが、まとまり次第、また、書かせていただこうかな、と思います。それではまた明日、お会いしましょう(^o^)丿
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