こうせいニッキ 2
本文へジャンプ 平成17年9月27日より 

 

こちらは、はさみのの日記だったり、音楽や映画、本の感想文、あるいはちょっとしたあとがきを発表する場となります。
お時間のあるかた、ちょっとばかり覗いてやってください。
2005年10月30日(日)
劉巴について

最近、よく劉巴を登場させております。
実を言うと、はさみの、このHPを立ち上げてより、ここ一年近く、ほかの三国志関係の小説・漫画を読まないようにしております。
ですので、ほかの小説で、劉巴という人物がどれだけ登場するのか、よく知らなかったりします。
ちなみに、なんで読まないかと申しますと、良くも悪くも影響されてしまうからです。単純なので「ああ、ちがうなあ」と思ったら、反証するような形の話を作ってみたり、それだ! と思ったら、「あ、もう商業誌でやってるならやめよう」と思ってしまったり…
ですので、オイオイ、被ってるよ、というのがもしあったら、それは本当に偶然です。参考にしているのは、陳寿の三国志と、ずっとちまちま集めてきた資料だけです(学研のとか)。三国志演義も読まないようにしています。やはりアレは超絶技巧で書かれた小説。引きずられたら、本当に何千匹目かの泥鰌になってしまうので…
しかしやっぱり一番参考になるし、ネタの宝庫なのは陳寿の三国志だと思いますが、如何でしょう。

それはさておき、劉巴ですが、一貫して頑固な態度を取ったがゆえに、劉表に殺されかけ、蛮族に狙われ、張飛を怒らせ、劉備に嫌われているという人です。
が、孔明はかなり高く買っており、劉備に何度も何度も推薦して、左将軍府に配置してもらっております。
劉巴の伝を読んでいると、お父さんが劉璋の父を孝廉に推薦しており、はっきりとは書かれていないのですが、劉備よりも正当な劉氏一門の可能性があります。
だからこそ、劉表や劉備に煙たがられてしまったのか。とくに劉備の、劉巴に対する冷たさは、最初は戸惑うほどです(といっても注の部分ですが)。
孔明は、劉巴が荊州人士の中でも有名で力があると判っていたからこそ、庇ったのかも知れませんが、あえて劉備が嫌っている人間を推薦したところに、孔明が劉備のイエスマンではなかった、というところがはっきり判ると思います。
『風の終わる場所』のあとがきにて書きましたが、孔明と劉備の関係を説明するのに、劉巴は、今後必要になってくる人でして、最近ちょこちょこ顔を出しているのはその所為です。
ちゃんと本編に組み込む形で、エピソードも考えているのですが、ちゃんとそこまで行けるのだろうか…
ちなみに本人自体は登場しませんが、近々アップの『説教将軍シリーズ?』のつづきに出てきますので、どうぞよしなに。(予告かい)
それでは本日はこのあたりで(^^ゞ

2005年10月29日(土)
ジャンヌ・ダルク③ はさみの、まちがえる。

いきなりですがお詫び。下記ニッキのジャンヌの村にある木、『仙女の木』と書いておりましたが、『妖精の木』の間違いでした…恥ずかしー(ーー;)
さてはて、アマゾンのよいところは、近所の本屋にない本を、レビューを参考に手に入れることが出来る、というところだと思います。
今日はジャンヌの本が2冊届く日でありました。ジャンヌ関連は本当に多いのですが、やたらとレビュアーが誉めている本がありまして、これはきっと、メロドラマ風ジャンヌだな、最近の小説でメロドラマ風ジャンヌは珍しいから買っちゃおう、と購入してみました。
が、やってきた本の帯を見て、ギクリ。『コナン・ドイル絶賛!』。
みなさまご存知でしょうが、コナン・ドイルはシャーロック・ホームズシリーズの作者です。つまりは一世紀以上前のヒトでありますが、『昔の本を買ってしまった!』というギクリではなく、トンデモ本読者ならご存知でしょうが、ドイル先生、かなり変な人です。
コティングリーの妖精事件でも、あからさまに怪しい妖精の写真を『本物!』と太鼓判を押してしまうほどバリバリの神秘家。最近では実際の殺人事件の犯人疑惑があるそうな…
中身ですが、いろんな資料を基に、当時の神秘家の目からジャンヌの生涯を追ったものなのですが、読みにくいことには、ところどころ霊や、高次の存在について語っており、もー、なにがなにやら。
しかも執筆中に、ジャンヌ、かなりマメな様子で、隣の家に遊びに来る感覚なのか、著者のところに何度も声をかけてきたそうです。
いいなあ、なんではさみのの家には来てくれないんだろう。家もちゃんと掃除したし、お菓子もお茶もあるよー。ずんだじゃ駄目なのかしらん。あ、庭の雑草抜いてない。原因、それか?
…というか、全然わからなくなってしまっているジャンヌの風貌を本人から聞いて欲しいです。
(②で書いた、はさみののジャンヌ観も反省しましたよ。いわゆる神智学的ジャンヌの解釈。目新しさ0。これじゃいけませんがな。いつ影響されていたんだろう…)

いやはや、もう一つの本、高山一彦先生の『ジャンヌ・ダルク』がなければ、今日は泣いていたかもしれません。
こちらは、ジャンヌ・ダルクを知りたいのであれば、『処刑裁判』と『復権裁判』を読むべし、とする正統派の学者の本です。
ジャンヌの生涯を、さまざまな資料から検証する本ではなく、裁判の証言からジャンヌを浮き上がらせることを意図した本で、かつ、ジャンヌの死後、現在に至るまで、どんなジャンヌ像が描かれてきたかを解説しております。
時代と共に変貌するジャンヌ像と、時代の要請にしたがって脚色されたジャンヌ像というものがよくわかるので、実に参考になります。これを読まないと、ある意味、トンデモなジャンヌ像に振り回されるハメになるかも…
そもそもの裁判記録すら、完全にジャンヌの言葉を伝えていない、という事実は結構ショックでした。そう、処刑裁判の記録は、彼女が異端であることを残す意味で書かれており、実際の彼女の言葉が変えられてしまっているのです。ひどいや…
面白かったのは、ジャンヌに関する傀儡説・生存説・王女説・精神病質者説に対する反証。
小説ならばともかく、ちゃんとした学術書の形をとっているのに、上記の説をいかにもそれっぽく挙げている本がたまにありまして、なんだかモヤモヤしておりましたが、お陰で気持ちが晴れました。
やはり超有名人だけあって、それにまつわる説もキワモノが多いのですが、それでも、ジャンヌを真面目に研究している人の本を読むと、なんというか、彼女に対する愛情が感じられて、ほのぼのします。
キワモノ説があればこそ、反証するべく多くの人がジャンヌのことを真剣に学ぼうとする、とフランスの学者の言葉を引いており、まさにそのとおり。ジャンヌほど研究者に愛されている人はいないのではないかしらん。
いやしかし、愛されているからこそ、一見冷静に見える学術書も、たまーにメランコリックに流れているため、要注意であったりします。でもわたしとしては、ジャンヌを傀儡だと言ってみたり、生きていたと言ってみたりする人よりも、ついつい感情的にラブレターみたいな文章を書いてしまう人のほうが好きです。
語りだしたら止まらないので、今回はこのあたりで。それではまた…

2005年10月24日(月)
ジャンヌ・ダルク②

予告編でも大風呂敷を広げて宣言しましたとおり、ジャンヌの連載をしよう、と決めたのですが、いやはや、資料とか、大変な量ですね、改めて…ちゃんと勉強していないから、本屋に売っている本と、記憶力だけが頼り。さて、どうなることやら…
百年戦争とタイトルのある本だけでもかなりの数。ましてジャンヌ・ダルクともなると、まー、あるわあるわ。どれ読めばいいのさ。
どうもアーサー王伝説あたりから遡って、フランス側だけではなく、イギリス側のほうもカバーしないといけない雰囲気。
いえ、ジャンヌがエクスカリバーを持っていた、とかいう話ではなく(彼女は彼女にだけ与えられた剣を持っています)、ジャンヌ自ら、アーサー王伝説の物語の中に登場する予言『ひとりの邪悪な婦人によってフランスは滅ぼされるが、ひとりの処女によってふたたび救われる』を挙げて、それが自分だと、堂々と宣言しているからなのです。
ジャンヌは、現代の日本人から想像する、純粋にキリストを信じる娘というのではなく、どうもケルトの伝説とキリスト教の中間あたりに精神を置いてたフシがあります。
ジャンヌの故郷には『妖精の木』という有名な霊木がありまして、ジャンヌもここで遊ぶことがあったとか。そこでは妖精を見ることができたり、仙女が現れたりなど、数々の妖しい奇跡が起こったそうで…
キリスト教会からすれば、それは異教の者、過去に滅ぼしたはずの異端の神々なわけですが、ジャンヌにとっては、すべて『聖なるもの』としてひとつに括られていたのかな、と。
しかし教会の論理からすれば、そんなものをも信じてしまうのは、魔女だ、というわけで、異端審問のときに問題となってしまいます。
ジャンヌが魔女だった、という説も、いまだに根強ーく残っておりますが、『異教』の香りが彼女に纏わり付いているのも、その一因。
ジャンヌ・ダルク以前は、聖女といえば、ひたすら迫害に耐える女、いかなる拷問にも耐えて、教えを守って、そして死んでいく女なわけでして、耐えるどころか鎧を着て戦ってしまった、しかも勝ってしまったのは彼女が初。
鎧を着た女神(ギリシャ神話のアテナとかケルトのモルガンとか)、キリスト教会が駆逐したはずの古い女神のイメージが、彼女で再び蘇ってしまった。そういった危うさも、彼女にはあったので、結局、彼女は『存在していてはいけない』存在として抹消されてしまった…のかなぁ、とか。
考え出すと、止まらなくなります。

ジャンヌはまた置いておき、今日はずんだのゆべしの章4を校正。すっかり忘れていたのですが、意外なところで、伏線を入れていた、ということが判明。
アコと趙雲がエスパルをうろうろしているときに、アコが思う『霊が霊を夢想することはあるのだろうか』。おそらくその後の流れのために入れたのでしょうが、ずいぶんと残酷な文章だな、オイ、と自分で自分に突っ込んでみました。本当は自分で思っている以上に性格悪くないか、ワタクシ……

いじけてみたところで本日のニッキはおしまい。今週(10/24現在)は、本アップはもちろん、ゲリラにもご注目くださいませねー。

2005年10月22日(土)
BGMアレコレ

今日からこうせいニッキ第二弾。1は、左からお入りくださいませm(__)m
さてはて、物を書くときは、かならず音楽を掛けます。でないと、瞼が勝手にお休みモードに突入してしまうからです。
邦楽だと、歌詞に気を取られてしまうので、物を書く場合は、洋楽かクラッシック、サントラを聴くようにしています。
前にも書きましたが、三国志関係の勝手にテーマソングは、COCCOの「樹海の糸」。ほかに考えられないくらいぴったりだと思います。
ずんだを書くときはシルヴィ・バルタンとかジェーン・バーキンとか、ミーハーですな。しかしシルヴィ・バルタンは、例のお茶のCMで使われていた「あなたのとりこ」から入ったのですが、CD全部揃えたいほど素晴らしいですねー。アマゾンで検索したけれど、ベストは沢山あるのに、日本じゃ、ほかのアルバム、あんまり手に入らないのか…輸入版でコツコツ集めようかな、とかいろいろ計画しております。
しかし、普通にCD買おうとすると、どうしても失敗するのが怖くて、いつも似たようなものしか買えません。B.Bの勝手にテーマソングにしている『亡き王女のためのパヴァーヌ』なんか、いったい何枚あるんだか。
ので、最近は音楽のダウンロードサイトに行って、間口を広げることにしています。
サイトでは、アーティストが五十音づつに分かれて検索できるようになっているので、あ行から、アーティストを片っ端から見て入って、試聴して、気に入ったものを購入し、何度も聞いて、これは、と思ったら、CDを買う、と。
最近の収穫はアルガレイ。いやはや、なんて美しい声なんざましょ。何回聴いても飽きません。風の終わる場所の15は、『秘密』を聞きながら書きました。
しかし、こんな実力あるアーティストなのに、どうしてメジャーじゃないのかな。
ともかくこの歌声は凄いです。聴いているだけで気持ちいい。ミニアルバムとマキシシングルしか出てないのが勿体ない。
ほほう、はさみのがそんなに推しているのか、と興味を持たれた方、MORAでサーチ→アルガレイで試聴してみてくださいませ。でもって、もし気に入ったらぜひぜひご購入を。ちなみに一曲210円です。(あ、音楽聴くには、無料のMAGIQLIPをダウンロードする必要があります・カンタンです)
なんだか営業のようですな。如何ですか、お客様、とてもお徳だと思いません?私も毎日聞いているんですよ、絶対に損はないですよね、このお値段ですしー。
ちなみにクラシックは100円ショップで100円CD購入→気に入った音楽をチェック→有名音楽家の廉価版CDで全曲聴いてみる…としています。
100円ショップのおかげで、だいぶクラシックのCDを増やせました(^^ゞ

BGMはさておき、校正ですが、ずんだのゆべし3とずんだの3を終了。
ここまでは、まだ平気…ここからだ…うはあ、だんだん心拍数が上がってきました。自分で書いた物なのにー。なんでさ、本当に。
おと、明日は本アップの日です。ずんだアップします。はいぃ? な展開になって行きますので、お見逃しなくー(^^♪(と、ここでも営業)

   ご読了ありがとうございました(^o^)丿