きつねのリハウス
5
「聞くが、それでは、軍師将軍が趙将軍の屋敷の離れで、ぐうぐう眠りこけておったのは」
それを聞くと、董和はろこつに、その意志のつよそうな太い眉をきつく寄せた。
「やはり実験と称してさぼっておられたか」
「さぼり!」
「趙将軍は、あのとおり、軍師将軍にはやたらと甘いところがあるゆえ、軍師がたまに実験施設に入り込み、仮眠をとっているのを、放置しておられる」
「左様か……」
要するに、あの奇妙なかたつむりのような構造物は、趙雲の私室ではなくて、『ぬくぬく君』の実験のためにつくられたものであったのだ。
廊下がずっとつづいていたのは、長い一直線の廊下をもつ建物だと、どうしても場所をとる、そこでやむをえず、ああいう建物になった、ということであったらしい。
そうであれば、あの殺風景にすぎる部屋の理由もわかる。
いくら趙子龍が私生活の読めない男だとはいえ、あのなにもなさは、異様にすぎる。
あれは趙雲の私室ではなく、べつに私室があるというのだ……
いや待て。
それはそれで妙だな。ほかに建物があっただろうか。
趙子龍は、いったい、どこで寝泊りをしているのだ。
やはりナゾな男である。
そんなことを考えている法正の横で、董和はダンボールを見つめて、ため息をついた。
「まったく、『ぬくぬく君』とて、まことに売れるかどうか怪しい商品。それをこんなに大量に発注したうえ、おんぶ紐を取り付けるのは手作業、しかもそれは左将軍府の人間が内職でこなさねばならぬ。
売れなかったなら、どうするつもりなのだ」
ぶちぶちという董和。
法正は、地面におちた、『ぬくぬく君』を背負った休昭の影を見て、ひらめいたことがあった。
ひと目を気にして、恥ずかしそうに『ぬくぬく君』を背負う休昭のシルエットは、まさに蛹を思わせる……
もしや。
法正はたずねてみた。
「聞くが、左将軍府の人間が、これの試作品をつかってみているとのことであったな。もしや、劉曹掾もそれを使っておらぬか」
法正がたずねると、董和はおどろいて顔をあげて、答えた。
「よくご存知ですな」
やっぱり。
法正は確信し、ひとり、うなずいた。
董和の家では内職の手が足りないということで、本来なら客としてもてなされるはずの法正一家もその作業に借り出され、結果、ほとんど休む間もなく、せっせと布団におんぶ紐を縫い付ける作業に追われることになった。
それでも、もともと働き者の妻は、娘といっしょになってよろこんで内職を手伝い、そのあいだ、法邈はさっそく子供になつかれやすい休昭になついて、一緒にあそんでもらい、ようやく一家は、普段どおりのぬくもりのある生活を取り戻した。
法正だけは、董和に対する引け目がぬぐえず、そのうえ、世話になっている身であるから、ほかにそうしているように尊大になることもできず、小さくなっている。
そこで、気をまぎらせるために、自分の屋敷を見に行ってみたところ、すでに家はほとんど完成しており、庭さえできあがれば、あとはいつでも入居できるようになっていた。
これならば、予定をきりあげて、董和の屋敷から、こちらに移ってもよいだろう。
法正はよろこび、そしてついでに、その足で劉巴の屋敷へと向かった。
ふたたび劉巴邸
劉巴の屋敷に向かったのは、そこで見た怪異の原因を、はっきりさせるためである。
劉巴は、法正のとつぜんの訪問にも、すこしも驚くことなく、慇懃に応対した。
そして、法正が、夜に見た奇妙な影について、ずばりたずねると、劉巴は、じつにあっさりと答えた。
「左様。あれは『ぬくぬく君』でございますよ」
やはり、と法正はうなずいた。
あれが怪物でもなんでもないことがわかった以上、法正は劉巴に対し、怖じる気持ちはなくなったのであるが、しかし、まだわからないことがのこっている。
「貴殿には、いろいろと尋ねたいことがある。まずは、酒だ。
ずばり尋ねるが、なにゆえ、わたしと妻の杯に眠り薬を混ぜたのか」
すると、劉巴は、悪びれるふうもなく、しれっと答えた。
「『ぬくぬく君』は、機密扱いでございましたからな。貴殿らが夜中に目をさましたとき、あれを利用しているわたしの姿を見られたら、機密が漏れてしまうと思ったのでございますよ」
「機密を守るため、睡眠薬を盛るか、ふつう?」
あきれて法正がいうと、劉巴はキッパリと答えた。
「機密を守るためならば、どんなことでもいたします」
その冷徹さが、孔明に好まれる理由なのである。
「では、重ねてたずねるが、貴殿の屋敷の奥のほうから、赤子の泣き声が聞こえてきた。
それも毎晩だ。あれはいったい、なんだったのだ」
それを問うと、とたん、劉巴の表情は、険しいものとなった。
法正は、気持ちが逸るあまり、単身にて劉巴の屋敷に来てしまったことを悔やんだ。
護身用の剣は持っているが、文官であるから、扱いは不得手である。
妻の、劉巴は南蛮にて得た秘儀を心得ているという話が脳裏をかすめた。
もしや、その秘密に触れることであったのか。
劉巴は、しばらく法正と目線を戦わせていたが、やがて、仕方がない、というふうに目を閉じ、奥のほうへと入っていった。
さて、これは逃げ出すよい機会ではないかと法正が腰を浮かしかけると、部屋の入り口にて、例の陰気な蝦蟇のような家令が、じっとこちらをみつめている。
うかつな真似をしたら、なにか危害を加えられそうだ。
その不穏な気配を察し、法正はふたたび腰を下ろすしかなかった。
『新築のわが家で暮らすことができずに、こんなところで終わるのか』
法正が焦っていると、やがて、奥のほうから劉巴がもどってきた。
その手には、なにやら見慣れぬ獣が抱えられている。
熊の子にしては小さく、狼の子にしては顔が丸っこい。そして目が大きい。
そして、その尾っぽは長い。
虎の子によく似ているが、それより、まだ小さいのである。
「鳴き声の主は、こやつらでございます。猫というものでございまして」
「猫?」
聞きなれないことばに、法正は首をかしげた。
「左様、南蛮渡来の、ネズミを獲る、貴重な動物にございます。中原では、一部の上流の家庭において、蔵の番をさせているところもあるとか」
「ネズミを獲るとは、それはたいしたものだな」
どの家でも、ネズミには悩まされている。
ましてや、大きな蔵を抱えている屋敷では、ネズミ問題は大きな課題なのだ。
「わたしが南蛮の地に、一時期退避していたことはご存知でしょう。そのおり、南蛮の王は、わたしを気に入り、この猫を秘密の宝として贈ってくれたのです。
南蛮の王は、ネズミを獲る猫を貴重な神の使いと信じて崇めておりましたが、わたしのほうは、これを繁殖させて売れば、たいした財を築くことができるのではと思ったのです。
その考えを王に打ち明けましたところ、けしからんとなりましてな、命をねらわれるようになったのですが、こいつと、その連れ添いをつれて、なんとか漢の地へ戻ってきた次第」
「なんと」
「この猫は、発情期をむかえますと、まさに人間の赤子そっくりの、ぶきみな声で仲間を呼びます。揚武将軍が耳にされたのも、その声でございましょう。なるべく声が漏れないようにはしていたのですが」
劉巴のことばを応援するように、その腕のなかにいる、虎縞の、玉石のような大きな瞳をもつどうぶつは、にゃあ、と鳴いた。
なんだ、そんなことであったのかと、法正は脱力した。
なにもかもわかってみれば、すべてくだらない話ではないか……
エピローグ
法正は、劉巴の好意により、猫を一匹わけてもらい、あたらしい家独特の木の香をよろこびつつ、新居に入って、ようやく一家団欒を取り戻した。
あたらしい家ができるまでは、妙なことばかり起こった。
とりあえず、そのすべてに回答があったわけである。
これもおのれの常日頃の行いのよさゆえと、法正は自己満足にひたるのであった。
が。
劉巴の屋敷で勤めたことがあるという飯炊きの娘から、法正の妻は、またもふしぎな話を聞いたと言う。
「とうとう奥方様と三人の娘さんを見ることはかないませんでしたでしょう。なぜだと思われます?」
「知らぬ。もしや、漢族ではなかったとか」
「いえ、そうではなく、似ているのだそうです」
「だれに」
「軍師将軍に」
「だれが」
「奥方さまと、三人の娘さんが」
「なぜ」
「知りません。劉曹掾は、そのことが、よその方に知られないようにするために、必死に隠しておられるとか」
「なぜ隠す」
「わかりませんわ。噂ですもの」
法正はしばらく考えた。
考えた。
でもわからなかったので、妻にたずねた。
「その噂、どう解釈すべき?」
「ああ、左様か、と聞き流すだけで、よろしいんじゃございません?」
妻のことばはもっともであったので、法正は、そのことについては、あまり深く考えないことにするようにした。
ちなみに、左将軍府が総出で出荷した新製品『寒い夜でもぬくぬく君』は、必死のPR作戦にもかかわらず、売り上げにおいては、ユン様グッズに負けて、さんざんな結果を招いたらしい。
その責任をとって孔明が辞職すると言い出したのを、もちろん周囲は止めた。
孔明の能力を惜しんでというよりも、これだけめちゃくちゃな状況をほったらかしにしてどこへ行く! という気持ちのほうが、周囲では強かったということである。
法正はというと、左将軍府の人間は、おかしな連中が多いという認識をあらたにして、やはり仲良くするのはやめようと決意したのであった。
おまけ
目をさますと、すぐに人の気配を身近に感じたのであるが、孔明にはすぐにそれがだれであるかわかったので、あわてなかった。
気になることといえば、ひとつ。
さて、この忠実なる主騎は、いったいいつごろから、そうしていたのだろうかということだ。
布団から顔をあげて見れば、ほのかな明かりの中、趙雲はいつものように胡坐をかいて、剣の手入れをしているようである。
「いまは何時ごろだろう」
「さて、ここにいると音が聞こえないからな、たぶん夜にはなっていると思うが」
と、趙雲は、赤子のように大事にかかえている剣から顔をあげずに言った。
ぴかぴかの鏡のように磨き上げられた剣には、おそらくおのれの顔が映っているのだろう。
この人は、自分の顔をどんなふうに見ているのかなと考えなら、孔明はしばらく趙雲の姿を見つめた。
「なんだ」
趙雲が、やはり顔をあげないままたずねてくる。
「いや、なぜこんなところにいるのだとか、仕事はどうしたとか言われないのはなぜなのかなと」
「俺が言わなくても、あとでさんざん、ほかの連中が言うだろう」
「たしかにそうだけれど」
と、孔明はうつぶせになると、布団にくるまったまま、頬杖をついた。
「最近、どうもよく眠れないのだ」
「そのようだな」
「どうしてわかる」
「顔色がよくない」
「いろいろと考えなければならないことがあって、夜更かしをするのだが、そのせいか、眠る時間になっても頭が冴えてしまって、疲れているのに眠れないのだ」
「身体を動かせばいい」
「動かしているのだけれどねえ。疲労は溜まっているのだ。なのに、眠くない。その代わり、変な時間に眠くなる」
「身体にあまり悪い癖をつけるな。いちど、夜更かしの癖がつくと、なかなか治らなくなるぞ」
「もう手遅れかも知れぬ」
「困ったやつだな」
「うん、困っている」
いいつつ、孔明はふたたび布団のうえに仰向けになると、そのまま目を閉じた。
それを見て、趙雲が声をかける。
「おい、また寝るのか」
「どうせもう夜なのだろう。ひさしぶりに眠気がおそってきたから、このまま寝る」
「自分の家に帰れ」
「そのあいだに眠気が逃げてしまうよ。子龍、すまないが人をやって、わたしがここにいると家人に伝えてくれないか」
「仕方のないやつだな」
「うん。それと、あなたはここに戻ってくるように」
「なぜ」
「ものの本にあったが、人は自分で目を覚ますよりも、人に起こしてもらったほうが、十分に眠ったと感じられるらしい」
「ふうん?」
「と、いうわけで、わたしを起こしてくれたまえ」
「待て。となると、俺はずっとここでひと晩過ごさねばならぬのか」
「そういうことになるな。一緒の布団で寝るか?」
「おい」
「冗談だ。でもそうしたければ、そうしてもいいけれど」
「怖いことを言うな。そうしたくない」
「そうか。ならば夜具を持ってきて、ここで眠ればいいよ。おやすみ、子龍。また明日」
「ここは俺の家だぞ」
「眠くてなにも聞こえません」
「聞こえているではないか。起きろ。勝手に俺に約束を押し付けて寝るな」
「それでも約束を守るのが、あなただ。わがままを言うことのできる贅沢と、わがままを聞いてもらえる贅沢、このふたつを味合わせてくれるのはあなただけだ」
「誉めているつもりか」
「そうだよ。それではお休み。よい夢を」
趙雲は、まだなにか言ったようだが、孔明の耳には、もうなにも届かなかった。
明日の朝は、願いどおりになるだろう。
そうしてくれるのが、趙子龍なのである。
わたしはここにいれさえすれば、幸福な人間でいられるなと思いながら、孔明は深い眠りに落ちていった。
おしまい
(C)Hasamino Nakama 2007 03 31