うしろにきつね。
12

両親が死んだとき、その男は、焼香をさせてほしいと言って、オレの家に上がりこんできた。
オレも疑いなく、そいつが父か母の知り合いだろうと思って、家に上げたのだ。
ところが、家にオレしかいないと知ると、男は急に襲いかかってきた。
あのときの、殺意に満ち満ちた、鬼のような形相は、いまでも覚えている。
人は、あれほど顔を醜く歪ませることができるのだと、そのとき、はじめて実感した。

オレを殺そうとした男、そして、オレの両親を殺した男だ。
そいつが、高橋光行と、ご家老こと高森主税のあいだに座って、こちらを見つめている。
ご家老の兄貴だったのか。

すべてが偶然ではないのだと、その結婚式の集合写真は告げていた。
オレに憑いているきつね。
このきつねを最初に呼び出した男・高橋は、戌年だったからきつねに嫌われ、その場に居合わせた部下(オレの先祖)にきつねを取られてしまう。
きつね憑きになったオレの先祖に逃げられてから、男の家運は傾く。
そこへ、むかしから親交のあった家が、縁談を持ちかけてくる。
縁談はまとまり、家はなんとか残った。
しかし、きつねを奪われたという恨みは、消えなかったのだ。

そして、自分の零落した家を復活させるには、きつねさえいれば、とも思ったにちがいない。

消えたオレの先祖を、高橋家は探し続けていたのではないだろうか。
一方で、きつねをふたたびこの世に呼び出す術も探していた。
見つかったのは、オレの家のほうが先だった。
きつねの姿は、きつねに取り憑かれた人間にしか見えない。
だから、ご家老の兄貴は、『家長を殺せば、きつねを取り戻せる』と思い込み、オレの親父を殺した。
たまたま、その場に居合わせたおふくろも一緒に。
けれど、きつねは親父に憑いていたわけじゃない。
失敗したとわかったご家老の兄貴は、今度はオレを殺そうとしたのだ。


なんてこった。何年も経って、やっと真実が見えてくるなんて。
オレは、あのときだけじゃなくて、ずーっと狙われつづけていた。
あのコールセンターに派遣されたことだって、偶然じゃないかもしれない。
殺人犯の弟と、被害者の息子であるオレ。
二人が顔を合わせて、また事件が起こる。
こんな偶然が、あるはずがない。
ご家老。あいつ、やっぱりなにか知っているんだ。
いや、知っているなんてもんじゃないぞ、これ。

オレの脳裏には、ご家老が、『菓匠・みちのく燦然』の玄関で、壁に向かってぶつぶつ言っている姿が浮かんだ。
きつねを召喚するための卵。四体の犠牲。
オレは、記憶のなかにある四人の女たちの顔を思い浮かべた。

四体の犠牲。まさか、そんな理由なのか?

そして、井田てまりの遺した『てーそー』ということば。

てーそー……
「わかった」
オレは立ち上がった。

親切な郷土史家の武田は、オレの顔色が悪くなったので心配してくれた。
病院に行ったほうがいい、とまで言ったので、よほど血の気の失せた顔をしていたのだろう。
オレはいろいろと教えてくれた武田に礼を言うと、その足で、『菓匠・みちのく燦然』のビルへと向かった。

『呪われたコールセンター』
いかにもB級で陳腐なあおり文句が世間で一人歩きをしているせいで、ビルの周辺には、記者らしき人物がうろうろしていたが、思ったほどの数ではなかった。
オレは、ビルを包囲するようにして報道陣がいるのではと構えていたので、拍子抜けである。
裏口にまわると、ビルの一部は営業状態らしい。

それはそうだ。

井田てまりが経営者一族に深くかかわる人物だということは、オレですぐに調べがついたのであれば、調査のプロにかかれば、あっというまにわかることだろう。
と、同時に、このビルに、警察がいる可能性もあるわけだ。
こんな危険な場所に、あいつは戻ってくるだろうか。
ためしにオートロックを解除する暗証番号を入力すると、びっくりするくらいにあっさりと扉がひらいた。
警備員が常駐しているはずなので、警備室を覗いてみるのだが、だれもいない。

警備用のモニターは、どういうわけだか消えてしまっている。
けれど、明かりはついているのだ。

いまは席を外しているのだろうか。

「カッチン、なんか変なカンジ」
と、オレの頭上にいるきつねが、薄暗いビルのなかをきょろきょろと風見鶏のように見回しながら、つぶやいた。
こころなしか、いつもふざけてばかりのきつねの声色も、こわばって聞こえてくる。
正面玄関のシャッターは閉まっていた。
そのため、中を見ることができなかったが、もし、やつが戻ってきているなら、そこにいるはずだ。

怖いくらいに静かだ。外界の音も、シャッター一枚の効果か、遮断されていて、聞こえない。
じじじ、という、なにかの機械が作動している音が聞こえる。
天井の、火災警報器のちいさなランプ、非常口のランプが、いつもはまったく気にならないのに、異様に明るく感じる。
警備室の前を、足音を殺して過ぎると、すぐにエレベーターホールにつきあたる。
エレベーターホールを左に曲がると、正面玄関だ。
遮るものはなにもなく、見通しはよい。

もしだれかがそこに立っていたら、すぐにわかる。

やっぱり。
確信していたが、その姿を見つけると、喜びにも似た高揚した感情がこみあげてきた。
といっても、嬉しくはない。
『呪われたコールセンター』のセンター長、高森主税は、コート姿のまま、ポケットに手をつっこんで、正面玄関の壁に向かって立っていた。
オレの気配に気づいているだろうに、顔をあげることはない。
その横顔の見つめる先を追っていくと、正面玄関の壁にある『定礎』にいきあたる。
定礎、すなわち、井田てまりの言った、『てーそー』である。

「いつかさ、気づくだろうなと思ってたわけ」
と、オレのほうに顔を向けることなく、正面玄関の大理石に埋め込まれた『定礎』を凝視しながら、ご家老は言った。
こいつの声は、こんなによく響く声だったろうか。
だれもいない正面玄関の全体に、わんわんと声が反響しているようだった。
このビルは、一階に警備室があるほかは、立体駐車場に面した倉庫があるだけだ。

エレベーターの動きがないかどうかを目で追うと、エレベーターのすべてが、総務部のある階数で止まっていた。動き出す気配はない。
もし、ここでご家老が襲い掛かってきた場合、だれかが助けに来る可能性は、どれくらいあるだろうか。

その逆はどうだろうかと、オレは考える。

上着のポケットのなかで携帯電話を握り締め、そして頭上で、オレの代わりのようにして、ご家老をにらみつけているきつねを見た。
外にいる人間が、内部の声を聞く可能性も、どれくらいあるだろうか。
いろいろ考えているうち、きつねがぼそっと、低く、低くつぶやいた。
「おなかが空いたなー」
じきに満腹になる。


「ていうか、初対面で気づかれるかもしれないなと、ひやひやしていたんだけれどね。

オレはそんなに兄貴に似てないかな。顎のあたりは似てるって言われるんだけどさ」
よくある世間話をするように、ほがらかな口調でご家老はいう。
そしてようやく、オレのほうに顔を向けた。
微笑さえたたえたその表情からは、負の感情を読み取ることがむずかしい。
精緻をきわめたつくりの仮面。
そんなことばが脳裏をかすめる。

「初日さえクリアすれば、九割はイケると思ったわけ。ま、とりあえずは、うまく行ったわな」
「どこがうまく行ってるんだよ。ボロボロじゃないか」
オレがいうと、ご家老は鼻で笑ってみせる。
「なにがボロボロ? もしかして、コールセンターで四人も死人が出たとか、てまりの家のミイラのこととか、そういう話? 
あれ、全部織り込みずみの話だし。というか、死人はどうしても四人、欲しかったんだよね」
「その定礎に埋め込んだ、きつねの『卵』のためか」
オレがたずねると、ご家老は一瞬、眉をひそめた。
ずばり確信を突いたからかと思ったが、そうではなかった。
「きつね? ああ、君は、自分に憑いているものを『きつね』って呼んでるの。
ふうん、いまは見えないけど、そいつ、やっぱりきつねにそっくりなんだ。
俺たちは『稲荷さま』って呼んでたけど。やっぱ、油揚げとか好物なのかな」
「まあまあ好き」
と、きつねが変に真面目に答えた。
「どんな方法をおまえが知っているのか知らないけど、『卵』を孵化させようとしたって無駄だぞ。
きつねは、単体でしか存在しない」
「知ってるよ。君が死なないかぎり、稲荷さまの恩恵に預かることができる人間は、この世で君だけ」
そう言って、ご家老は、にやりと笑ってみせた。

ご家老は、上着のポケットに、ずっと手を入れていた。
なにやら大きな膨らみ。まさかタオルチーフが詰っている、というのではないだろう。
ふと、ドラマや小説なんかの、こういうときのパターンが浮かんだ。
こういうとき、だいたいポケットから出てくるのは、銃だったりする。
固唾をのんで、ご家老の動きを見つめていると、ご家老のほうもご家老のほうで、オレの予想を読んでいたらしい。
まるでマジシャンのような、余裕綽々の動作でもって、ポケットから、予想通り、短銃を取り出した。
あいにくと、銃にはくわしくないので、それが何製なのかはわからない。

おもちゃだったとしても、照明が暗いために、判別ができない。
いくら世の中乱れまくっているからって、本物の銃なんて、そう簡単に手に入るはずがないよな。

きっと、ご家老のハッタリだ。

これはおもちゃにちがいない。

あれはおもちゃだ、恐れるなと、自分に言いきかせていると、頭上より、きつねの無情な声がした。
「うわー、カッチン、あれ本物だよ。飛び道具なんて卑怯だなー」
感心するだけで、こっそり奪い取る、という、気の利いた行動をとらないのが、きつねなのである。
「言っておくけど、偽者じゃないよ。ついでに、ライターとかでもないから。試しに撃ってみる?」
銃口を天井のほうに向けて、ご家老は趣味の悪いことに、笑ってみせる。
こいつってば、ドSだな。
「撃ったら、音で、外にいるマスコミが気づいて入ってくるぞ」
「そうかな。案外、わからないんじゃない。このシャッター、けっこう優秀だよ」
と、ご家老は、なにやら物騒な話題に似合わぬ、妙にさわやかな笑みを浮かべてみせる。
「シャッターがなくったって、羽柴視奈の声は、だれも聞いてないんだ。

まして、いまビルの上には総務にしかヒトがいないうえに、その総務のなかでも電話がりんりん鳴りまくっている状態だし、マスコミはマスコミで、ヘリコプターの音や車の音で、耳が塞がっているよ」
「羽柴視奈を殺したのは、あんたなのか?」
「いや」
「だれが」
「てまりだろ」
だろ、という突き放した、他人事のようなことばが、ご家老が、井田てまりをどういうふうに位置づけていたかの、すべてを説明していた。
「残念だけど、その場にいなかったから、本当のことはわからないんだけどね、てまりが言うには、羽柴がてまりを呼び出したんだってさ。正面玄関に来い、ってさ。
てまりは定礎に埋めた卵のことが嗅ぎつけられたと思ったらしい。羽柴は霊感女だったから」
「それで殺したのか?」
羽柴は、霊感なんてなかったのに。
そう口にしようとするより先に、ご家老はつづけた。
「いいや、てまりが言うには、羽柴のほうから襲い掛かってきたらしい。悪霊退散、とかなんとか言ってね。
羽柴は、てまりこそが、連続怪死事件の、すべての元凶だと思い込んでいたようだよ。
女って、何事も自分中心に考えるでしょ。あの子、とくにその傾向が強かったみたいで、この怪異は、自分がトイレで霊を見てからはじまったんだ、って思い込んだらしい」
「え?」
「トイレに本当に霊がいたかなんて、わからないけど、羽柴は、この事件は、自分が見たトイレの霊が元凶だと思い込んだ。
そして、その霊を連れてきたのは、てまりだと思い込んだ」
「なんで」
「自分を睨んでいたからだろう。いままで仲良くやってきたのに、急に態度が変わった。
理由はもしかして、トイレの霊が、てまりに取り憑いたせいじゃないか、ってさ」

「なんでそんな」

「知らないよ。ともかく、羽柴は勝手につくったストーリーを真実だと思い込み、正義の味方のつもりで、てまりを『退治』しようとしたんじゃないのかな」

羽柴に霊感がなかったことは、きつねが言うのだから、まちがいない。
『自分は幽霊が見えるとくべつな人間』という妄想が、彼女のなかで、いつしか真実に摩り替わり、そしてその妄想を土台にした、妄想のストーリーのなかで、妄想の敵と戦い、そして死んだ。

羽柴が殺されたとき、警備室に、女子トイレに不審者がいる、という通報が入ったという。
思えば、その通報は、最初にオレが羽柴から受けた相談そのものじゃないか。
羽柴が、てまりを『退治』するために、警備室にウソの通報をしたのだ。

「でも待てよ、羽柴は、あんたに内緒で、って断り書きをいれて、オレに会いに来ようとしていたんだぞ。
あんたは適当なことを言っているけど、ほんとうは、やっぱり三角関係のもつれとかじゃないのか」
オレがいうと、ご家老は、オレに銃口を向けたまま、口の半分だけをゆがめて、笑った。
「それはない。たぶん、あの子のことだから、こっちに迷惑かけちゃいけないから、黙っていてね、くらいのニュアンスだったんじゃないの。
正直なところ、羽柴がこっちをどう思っていたのかは、知らないよ」
「あんたは、羽柴に気があったみたいだな」

ご家老は、ほかのスタッフより、羽柴のことを、あからさまに贔屓していた。

そのことを指摘したのだが、ご家老は、これまた鼻で笑ってみせる。
「そう見えてたわけか。だったら、作戦成功ってやつかな。

ほんとうは、てまりを焚きつけて、羽柴を殺させる作戦だったんだよね」
人殺しの計画を、まるでハイキングの計画でも口にしているかのような軽さで、ご家老は言った。
こいつはおかしい。
なにがおかしいといえば、人の命に対する感覚だ。

他人を見るときに、自分と同じ命をもつ者としての目線が、こいつには、まるまる欠けているのだ。

「順序が狂ったけど、最後はうまく死んでくれたし、とりあえず、これで準備は完了したってわけ」
と、ご家老は、大理石の壁に埋め込まれた『定礎』を見る。
その目線は、びっくりするくらいに優しいもので、まるで恋人を見ているかのようでもある。
やっぱりこいつ、ヘン。
すっごくヘンだ。

「四人の犠牲を捧げるって、どういうことだ」
オレがたずねると、ご家老は、あっさりと答えた。
「稲荷様の卵は、そのままだと、ただの石だ。石がなにか、なんて聞かないように。神社の倉庫には、『殺生石の欠片』なんて書いてあったけどね。

ともかく、石を卵にするのに、まず四人の命が必要となる」
オレの脳裏には、てまりの家の押入れにいたミイラたちの姿があった。
「押入れのミイラのことか?」
「そう。石を卵にするために、四人をあそこに閉じ込めて『孵化』させた。

大人だろうと赤ん坊だろうと、同じ空間に、ともかく生きた人間が四人いたらいいんだ。石は人の命を吸って、卵になる」
「あの押入れのミイラは、あんたの父親だろ!」
オレが言うと、とたん、ご家老の表情から笑みが消えうせ、そして、悪鬼じみた、怒りの表情に変わった。
それまで淡々と異常なことばを返していたご家老の声が、怒りで震えている。
「だからだよ」
と、ご家老は言った。

13へつづく
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