うしろにきつね。

オレが疑われる理由。
羽柴と最後に会う予定だったこと。
それがすっぽかされていること。
それだけだろ。

「どうしてオレが疑われなくちゃいけないんだ? オレと羽柴が付き合っていたんじゃないかとでも疑われているのかな?」
「んー、それもあるかもしれないけど、内部の人間だから、とか?」
三本ある尻尾を、絡ませることなく、上手にぐるぐる回しながら、きつねは答えた。
「アリバイはあるだろ。ドトールで羽柴を待っていたのは、店の人間に確認できるだろうしさ、古賀村のときだって、オレはコールセンターにいたんだし」
「共犯がいるとか思われているのかもよ。でなくちゃ、容疑者っていうんじゃなくって」
「じゃなくて?」
「ともかく怪しいから、つい見ちゃうとか」
「なんだよそれ」
「だってさ、胸に手を当てて考えてみなよ。カッチンってば、子供の頃からやたらと警察のお世話になる子供だったじゃん。とくに拾得物に関連することで」
「おまえ、おれが不良だったみたいに言うなよ。物をやたらと拾うのは、おまえが憑いているからだろ。

昨日もなぜだか未使用印紙が大量に入ったポーチを拾ったしな」
数えてみたら、なんと合計で5万円あった。
もちろん交番に届けた。
「でもそんなこと、フツーわからないし、想像すらできないでしょ。警察のおじさんからすればさ、『またあの時葉の貯金箱小僧かー。あいつ、なんだか、そこはかとなく怪しいよな。見張っとくか』とならないかな」
「なんだよ、その軽いノリ。そこはかとなく怪しいって、怪しさの深度でいったら、どのくらい? 

っていうか、その程度で、フツー尾行はつけないだろ」
「それだけ手詰まりなんじゃないの? 目撃情報も、いまのところないって報道されてたじゃん。おかしいよな。

羽柴が死んだとき、正面玄関をオレ様見てきたけど、血の海だったよ。

つーことは、犯人も、相当に血を浴びているはずなのに、目撃情報がないなんて、おかしいよ。何かあるとしか思えないよね」
「うちのビルの出入り口は二箇所だけだ。警備員室の前をとおる駐車場につながっている裏口と、正面玄関。でもその裏口にしたって、駐車場の管理人がいるわけだから、見られないですむはずがない」
「もう一箇所、じつは出入り口があったりして」
「おまえ、それじゃどっかのベタな冒険小説だろ。通風孔から小人が出てきて刺したとか、あのレベルじゃないか」
と言いつつも、オレは想像する。

きつねがいるくらいだ。
羽柴を殺したものが、似たように怪しいものである可能性は、十分にあるのじゃないか。
たとえば、そうだ。
井田てまりの引き出しの中身、とか。
あそこに、なにが入っていたんだろう。

オレは起き上がると、机の引き出しにしまっていた、きつねが拾ってきた鍵を取り出した。
羽柴の死の衝撃のあまり、もち主を探しそびれてしまったものだ。


「おっはよー、おまわりさん。今日も秋晴れでいい気持ちだね! さー、今日も張り切って見張っていこー!」
と、きつねが、からかい半分で、オレのうしろを歩いているサラリーマン風の男の頭上で叫ぶ。
この数日間、きつねは、警察を見つけると、その頭上で挨拶をするのが習慣になっていた。
もちろん、警察はそのことに気づくはずもない。
このところの忙しさと騒動にまぎれて忘れていたが、考えてみれば、オレは怪しい人間だ。

毎日のようになにか金目のもの(換金性の高いもの)を拾っては、警察に届ける男だ。
すべてきつねの力だ。
いつか、きつねが言っていたとおり、きつねがこの世に出現するための場として、オレという人間が必要で、その見返りとしてのこの力なのだとしても、ちょっと悪目立ちしすぎだよな。
警察が、なんなんだ、こいつは、しかも事件が起こったぞ、と不気味がって、見張る気持ちになるのは、わかる気がする。親のこともあるしな。オレの回りは、たしかに奇妙で不幸な事件が多すぎるんだ。

でも、オレじゃないよ。
津島はわからないけれど、古賀村や羽柴を、オレが殺さなくちゃならない理由なんて、どこにもないんだ。
癖のある女たちだったけど、でも、殺したいと思うほどに憎くなかった。
津島にも古賀村にも奇癖があったけど、どうしてそうなってしまうのか、その理由はちゃんと存在した。
羽柴にしたって、幽霊が見えるって、本気で思い込んでいたみたいだけれど、そのことを除けば、とてもいい子だったじゃないか。

なにが正義で、なにが悪かなんて、簡単に判断もつかない。
それほどに、いろんな人間がいて、いろんな価値観があって、それがぶつかり合って、収拾がつかなくなっているんだ。
それが悪いとか良いとかじゃなくて、それが世の中なんだと、オレは思っている。
収拾なんて、無理してつける必要もないんじゃないかと、最近は考えているくらいだ。
だって、人を変えることなんて、そうそう簡単にできるものじゃない。
変えてやろうなんて発想からして、思い上がりなんじゃないのか。
さまざまな人がいる。

その人間を、好きか嫌いかという話と、排除するしないという話をごっちゃにするから、揉め事が起こるんだ。
オレだって、なるべくなら、嫌なやつとは顔をあわせたくないし、気に入っているやつばかりと一緒に仕事ができたら、楽だと思う。
でも、そんなふうにはできやしない。仕事だからな。
遊びじゃないから、揉め事や意見の衝突が起こるのは、当たりまえのことなんだ。

再開されたコールセンターは、行って見ると、だいぶ人が少なかった。
辞めると申告しないまま、いなくなってしまったスタッフが、だいぶいるらしい。
羽柴のことなどまるでなかったように、よそよそしく振る舞うスタッフだが、オレだって似たようなものだ。

羽柴のことを忘れなければ、とてもじゃないが仕事なんてできやしない。
戻ってきたスタッフは15名ほどだったが、ご家老は、朝礼で、スタッフを集めて、今後の方針について言った。
それは、待遇に関することで、今後、時給はさらにアップして2000円にするとのことだった。
八時間働けば、16000円の収入だ。

さすがにスタッフのあいだから、驚嘆の声があがった。
そうして、互いに顔を見合わせたり、話をするスタッフの中に、井田てまりの姿はなかった。


「井田さん? そういえば、いないねぇ」
と、ご家老は、井田の無断欠勤を、なんでもないことを口にする調子で、軽く言った。
ご家老のスーツは、相変わらずの高級品で、たぶんいろんな男性向け雑誌を読んで勉強したのだろうが、ネクタイピンからカフス釦まで、きっちり高級品で固めている。
腕時計だって、何十万もするブランド物だ。
働かないくせして、高給どりのご家老。
世の中の理不尽さを、つい感じる。
カフス釦は特徴的なもので、ご家老の家門だろうか。
なんて呼ぶのか、みっつの稲穂が放射線状に並んでいるものだ。

「彼女、もともと身体の具合でも悪いんですか」
オレが尋ねると、ご家老は、さてねぇ、というふうに首をひねった。
「わからないけど、たしかに休みは多いよね」
「多すぎるなんてものじゃないですよ。一ヶ月のうち、出勤している日数を数えたほうが、早いくらいじゃないですか」
「いまのコールセンターの状況じゃ、来てくれるだけでもありがたいよね」
などと、ご家老は、見当違いなことを口にする。

逆だ。
派遣社員というと、どうせパートに毛が生えた程度の、意識の低い人間のなるものだろうと思ったら、大間違い。
むしろ真面目に職務に取り組んでいる人間のほうが多い。
男性よりも、女性のほうが、職務にたいして妥協しないのではないかと、思うことすらある。(融通がきかない、という悪い面もあるけれども)
だから、こういういい加減なスタッフを放置していると、真面目に勤務しているスタッフが怒り出し、羽柴のときのように、内部分裂が起こる可能性があるのだ。
これを放置していると、大きなトラブル(たとえば全員がタッグを組んで、辞めたいと言い出すなど)に発展しかねない。

「井田さんは、一人暮らしなんでしたっけ」
「たしか、M区の国立病院のそばのアパート暮らしだよ」
「スタジアムのほうですか」
「そうそう。S線のM駅を降りて、たしか10分ほどのところかな」

詳しすぎるなと、そのときに思った。
と、同時に、羽柴とご家老が急接近をはじめたころ、井田がじっとりと、二人の様子を観察していたのを思い出す。
思えば、以前から休みがちだった井田が、めずらしく休まず出勤をつづけていたのは、羽柴とご家老が親密だった期間だった。
そのあと、羽柴がご家老と距離を置くようになってから、井田は何日か休んでいる。
今日、オレのシフトは、早出で、五時には仕事は終わる。
このビルから、井田の家までは、歩いてもたどりつける距離だ。
行ってみるか。拾った鍵を口実にして。

井田てまりの家は、線路沿いの、なだらかな平地の一角にあった。
ごくごく平凡な住宅地のなかにある、よくあるブロックみたいなつくりのアパートである。
近くには国立病院と、スタジアムと、公園と、そしてコンビニエンスストアがある。
生鮮食品や生活必需品を買うためには、自転車で移動しないと、大きいスーパーに行き当たらない。
車を持っている家ならいいけれど、一人暮らしでは、不便な立地だ。

だからだろうか。
緑も多いし、交通機関もそろっていて、大きい病院もすぐそばにあり、環境もいいのに、アパートの数がすくないのだ。
そのかわり、一軒家や、真新しいマンションが多い。
車を持っている世帯向けの土地だな、ここは。
学校も近いし、子供のいる家なら、便利なんだろう。

井田てまりのアパートは、大家が、自分の敷地内に建てたものらしく、いったん、個人の家の門をくぐるかたちで、アパートに向かわなくてはならない。
うーむ、これは痴漢も遠慮する建て方だな。
そのせいか、アパートには女性が多いようだ。
アパート脇に停められている自転車のほとんどが女性向けの、華奢なデザインのものである。

郵便受けから、井田の部屋が203号室だとすぐにわかった。
呼び鈴を鳴らしてみるが、応答はない。
「出かけているのかな。ところできつね」
「なにさ」
「いま、刑事がオレを見張っているか?」
「いるにはいるけど、中に入れないで、外の電信柱の影に立ってる。ちょうど大家さんの庭の栗の木が目隠しになってくれてるね。カッチンの姿は、向こうから見えないはずだよ」
「こういうときに、おまえってほんとうに便利だよな」
「いつも便利だよー」

いつもの軽口を叩きつつ、オレはポケットにしまっていた、例のピンクのリボンのついた鍵を取り出してみせる。
井田の引き出しから落ちたらしいものだ。この鍵が、井田の部屋のものなのかどうか。それだけ確かめて、あとは帰ろうと思った。
栗の木の向こうに待機している刑事を意識しながら、オレはすばやく鍵穴に鍵を差し込む。
うまく入った。
回してみる。
かちり、と鍵のひらく音がした。
やっぱり、この鍵は、井田の部屋のものだったのか。

ドアノブを引こうとしたとき、うしろのきつねが、ちいさく呻いた。
「なんだよ、刑事が動いたか?」
「そうじゃなくて、ヤバイ、いままでになくヤバイ。カッチン、ここまできたら中に入るだろうけど、覚悟を決めておいたほうがいいよ」

オレは、鍵がこの家のものかどうか、確かめたら帰るつもりだった。
その先、どうするということもなく、それだけを考えていた。
が、きつねの言葉で、考えが変わった。
きつねがヤバイというのだから、それなりのものがこの中にある、ということだ。

封印されていた引き出しが、いつのまにか空になっていた。
あのなかに、きつねの言う「ヤバイ」ものが入っていたのは、まちがいがない。
思えば、あの引き出しが封印されてから、羽柴がビルに幽霊がいると騒ぎ出し、津島が自殺し、古賀村が変死し、羽柴が正面玄関で殺された。
なにがどう関係があるのか、さっぱりわからないけれど、まったく関係がないわけじゃない。
いや、井田はなにか知っているはずだ。

オレはドアノブを回して、部屋を覗き込んだ。
よくある建て方の1DKだ。玄関を入ると、すぐに靴を脱ぐスペースがあって、台所があり、その脇に風呂とトイレがある。
奥に六畳ほどの部屋があって、南側にベランダ。
比較的、片付いている部屋だろう。玄関の脇には、燃えないゴミと新聞紙が、まとめて置かれている。
台所には、にんにくやたまねぎがぶら提げられていて、井田が、きちんと自炊をしている証拠になっていた。
芳香剤のにおいがきついほかは、わりと、どこにでもある部屋のように見える。
井田がいる気配はない。

オレは靴を脱いで、そっと井田の部屋に入り込む。
きつねの言葉のせいか、妙に緊張する。
まるで未踏のジャングルを進む気分だ。

六畳の部屋は、いかにも乙女趣味な井田らしく、白く華奢なデザインの家具で統一されていた。
壁には、自分で描いたのか、それとも描いてもらったのか、本屋で見たことがある漫画のキャラクターの、手書きのポスターが、何枚も飾ってあった。
井田はアキバ系だったんだな。
見れば、箪笥の脇には、漫画やPSのゲームやビデオ、DVDなども並べられていた。
休みがちだったのは、もともと引きこもり体質だったからじゃないのかな。

ふと見れば、きつねが、まるでハリセンボウのように全身の毛を逆立てて、押入れのほうを見ている。
「なんだよ」
「この中だよ。あの引き出しと、おなじ感じがする」
押入れには、当然のことながら、鍵はかかっていない。
オレは慎重に手を伸ばし、襖を横にすべらせた。
押入れの中には、上の段に布団があり、そして、下の段には、まっ黒なビニール袋があった。
その袋は、きっちりとガムテープで縛られている。
きつねでなくても、これはヤバイと思った。
ビニール袋の下の輪郭は、膝をかかえた人間に見えたのだ。

8へつづく
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