うしろにきつね。
5
わるい評判というものはすぐに広がっていくもので、『菓匠 みちのく燦然』のコールセンターは呪われている、という噂がひろまり、フリーの求人誌から、地元の有名求人誌、インターネットの派遣求人サイトなどに、新規スタッフの募集をかけたのだが、これがまったく人があつまらない。
どころか、なんとか耐えて残っていてくれたスタッフも、人の少なさによる労働過多が原因で、身体をこわしたり、長期休暇に入ってしまったりする者が増えてきた。
この『菓匠 みちのく燦然』のスーパーバイザーは、ふつうはスタッフの管理が中心で、むずかしい顧客以外の電話はとらないものなのだが、スタッフの数が少ないことから、オレもふつうに顧客の対応をするようになった。
仕事は、簡単に言ってしまえば、お客の注文をとって、それを専用端末に入力するだけ、なのであるが、人がすくなくなった寂しいコールセンターのなかで、対応しても対応しても、さばききれない電話をひたすら受けつづける、というのは、さすがに精神的に参ってくる。
「カッチン、なんだか最近、やつれてきたよ」
と、きつねが心配そうに言った。
心配ならば、なんとかしてくれればいいのだが、このきつねはドラえもんではないから、オレがどんなに困っていようと、人知の及ばぬ力でもって助けてくれるということはない。
見ているだけの、役立たずなきつねなのである。
「おまえも電話に出れたらいいのにな」
その日、五十件目の注文を受けたあと、さすがに顎が痛くなってきて、思わずこぼすと、きつねは言った。
「腕がちいさいので、キーボードが打てません」
「しっぽで打て」
「ムリ」
「というか、おまえ、金はいいから、人を集めてきてくれよ」
「うわ、贅沢な要望。それじゃあ、いつもみたいにお金をどっさりあげるから、それでカッチンが人を集めればいいんだよ」
「オレは経営者じゃないし」
「オレ様の力は、生物には通用しないって知ってるだろー。集められるのは金とか、ああいう命のないものだけなんだよ」
「使えないなー。やっぱ金より人なんだよ、人。マジで新規スタッフ、あと十人はほしい。
男女経験問わず。年齢も不問。国籍も不問だ。日本語が喋れればいいや。このままじゃ、スタッフ全員が病気になる」
「それでも生き残りそうなのは、ご家老と羽柴視奈だよなー」
きつねの言うとおりで、羽柴視奈は、お疲れ気味の顔がならぶなか、一人、やたらと元気である。
というのも、羽柴は、古賀村の死は津島の霊によるものだと信じており、それをみなに納得させるためにも、あえて毎日出勤して、みなに『羽柴のオカルトな言いがかりのために古賀村が死ぬことになった』という噂が、いかにいい加減なものかを示そうとしているのである。
そんな羽柴に、このところ急接近をしているのが、ご家老だ。
いつもはスタッフの席にやってくることはなかったのに、このところ、羽柴の席にやってきては、ニ、三声をかけていく。
羽柴もまんざらではないらしく、ときには、一緒にランチに行くこともあるようだ。
それを、面白くないという面持ちでながめている者が、約一名。
井田てまりである。
井田てまりが、予告もなしに長期休暇に入ったのが、津島の自殺騒動があった日から。
そして、おなじく予告もなしに長期休暇を切り上げて、職場復帰したのが、古賀村が変死した翌日である。
無断で長期欠席しても、クビにならないのは、この騒ぎで、猫の手も借りたいほどの状況であることもあるが、どうやら井田てまりが、『菓匠 みちのく燦然』の経営者の縁故だから、ということもあるそうだ。
チェーンと数字錠で守られた、あのナゾの引き出しの中身については、いまだにわからない。
というのも、オレのうしろにいる、この金を招くが不幸も招くきつねは、どういうわけだか井田てまりを怖がっていて、そのそばに近づくこともできないでいるのだ。
理由はわからないが、
「そばに近づいただけで、全身の毛が逆立つんだよ。静電気とかじゃなく!」
ということである。
冗談ではなく、井田てまりが、なにかの加減でオレのところに質問にやってくることがあると、きつねは、それこそ脱兎のごとくコールセンターの隅にまで走って逃げる。
そして、丸く固まって、井田てまりがいなくなってしまうまで、ぶるぶる震えているのだ。
人間を怖がるなんて、めったにないことだ。
あんまりおびえているから、オレもかわいそうになって、きつねに井田てまりのことは聞かないようにした。
さて、例の引き出しであるが、オレは、井田に、その引き出しを、早くなんとかしてくれと、毎日のように言っているのだが、井田はまるで聞く耳を持たない。
井田が、勝手に会社の引き出しの錠をやぶってしまうこと、そのくせ、自分の引き出しは厳重に管理して、だれにも中身を見せないでいることは説明したとおりである。
その井田の様子が、なにかおかしいと気がついたのは、ここ最近のことだ。
仕事中に、井田が手を止めて、なにかをじっと凝視しているときがある。
なにを見ているのだろうと、その視線をたどっていけば、羽柴視奈なのだ。
そして、井田がとくに羽柴を見つめているのは、ご家老が羽柴に話しかけているときなのである。
ご家老、性格はアレだが、見た目はいいからな。
井田はご家老のファンなのだろうか。
だから、羽柴とご家老が仲良く話をしているのが、許せないのか?
井田と羽柴は、だいたいおなじ年だと思うが、タイプは対照的だ。
いかにもいまどきの、派手目の派遣社員である羽柴に対し、井田は、ピンクハウスなどのフリルや花柄の生地やリボンなどを多用した服を好んで着る。
ぱっと見て、かわいい羽柴に対し、井田の第一印象は『暗い』というものである。無表情にすぎるのだ。
行動も行動なので、何を考えているのか、さっぱりわからない。
ご家老をはさんでの、井田と羽柴。
これ以上のトラブルはゴメンだと思いながらも二人を観察していて、オレは気がついた。
羽柴もまた、井田のほうを、じっと凝視していることがある。
いや、正確には、井田の机の引き出しのほうを、である。
一向に増えない新規スタッフ、そして一向に減らない仕事量。
この状況に業を煮やしたスタッフの一部が、集団で、とうとう辞めると言い出した。
どうやらお互いに相談して、示し合わせたものらしい。
彼女たちの言い分は、
「仕事の量がハンパじゃないのに、時給が安すぎる」
というところが中心である。
ほんとうに、呪われているよな、ここ。
うんざりしながらも、オレは、辞めたいと言い出したスタッフを説得することにまわった。
最初、彼女たちは、辞めたい理由を、
「不幸がつづきすぎで気味が悪いし、幽霊が見えるとかいう人のせいで、スタッフの仲も悪くなったし、仕事量は減らないし、いいことがないので、辞めたい」
と言っていたのだが、話をどんどん詰めていくうちに、ちがう理由が見えてきた。
「羽柴さん、あのひとって、なにを考えているんでしょうね」
と、辞めたいと言い出したスタッフの一人が、鼻息を荒くして、言った。
「亡くなった方をあまり悪くいいたくありませんけれど、古賀村さんはたしかに問題の多い人でした。
けれど、あのひとを辞めさせてくれって言い出したのは、羽柴さんでしょう。
あたしたちは、古賀村さんの言動や、勤務態度がいやで、辞めさせてほしいって言ったわけですけれど、あのひとは、古賀村さんに津島さんの霊が憑いているっていって、大騒ぎしたわけでしょう。
そのとき騒ぎすぎたせいで、このコールセンターに霊がいるっていう噂が、外にも漏れているんですよ」
それは初耳だったので、オレがおどろいていると、そのスタッフは、なんたる不勉強、といわんばかりに冷たいまなざしを向けてきた。
すみません、勉強します。
「派遣スタッフ、特にコールセンターは、おなじ技能を持った人間が、似たようなところに移動しやすいから、横のネットワークができているんですよ」
「そうなんだ」
「時葉さんて、派遣は長くないんですか」
「まだ一年ちょいだし、こういうところの男の派遣って、あんまりいないでしょう」
「友だちいないんですね」
いやな切り替えしだなあとオレが思っていると、そのスタッフは、まだつづけた。
「じつはあたし、ほかのコールセンターの友だちから、古賀村さんの家のこと、聞いたんです」
「へ?」
古賀村のことは、マスコミの報道で知っていた。
結婚して二年目であること、子供はないこと、夫は転勤が多いということ、以前は社宅住まいであったこと。
「お姑さんが、精神病院にいるそうですよ」
「え? この事件のショックとかで?」
「いえ、だいぶ前からだそうです。老人性被害妄想っていうのかな、よく詳しくないんですけれど、ずっと村で一人暮らしをしていたそうなんです。
もともと、ほとんど人づき合いをしない人だったんですって。
それが、だんだんと、だれもいない家の中に、だれかが忍び込んでいると言い出して、よその家に突然、貴重品をもって『泊めてくれ』って押しかけてくるんだそうです。
最初のうちは、こういうご時世だから、もしかしたらって村の人も思っていたらしいんですけれど、あんまりつづくんで、村の民生委員さんが、精神病院に連れて行ったら、即入院が決まったそうですよ」
「そうだったんだ」
「古賀村さん、このお姑さんのこと、ちょっと変わっている程度で、病気になっているとは思っていなかったみたいで、だから病状が悪化してた、ふつうは気づく、って、お医者さんに、ずいぶん怒られたみたいです」
そのあたりが、古賀村らしい。
「それでも、時間ができれば、お姑さんの世話のために病院に行っていたようですよ。
古賀村さんは、もともと、父子家庭なんで、母親の顔がわからないから、せめて夫の母親の世話はきちんとしたいって言ってたそうです。
この話をしてくれた人も、古賀村さんのこと嫌ってたんですけど、そこだけはえらいって誉めていました」
古賀村にそんな背景があるなんて、初耳だった。
そのスタッフの古賀村の話はつづく。
「古賀村さんも苦労したみたいです。お母さんっていう人は、小さいころに離婚して家を出て行ったきりで、写真も家に残っていないそうで、生きているかどうかも、わからないとか言ってたそうです。
これはわたしが本人から聞いたんですけれど、むかしは父子家庭はめずらしかったし、ああいう、勘がわるいというか、周りのことが見えない人でしょう。
学校でずいぶんいじめられて、転校をくりかえしていたみたいです。
だからあの人、いじめている相手のことを、よく『ともかくムカついてたまらない』って言ってました。
もしかしたら、むかし自分をいじめていた子に似たタイプを見ると、いじめていたのかもしれませんね」
いじめていた本人ではないのに、いじめられる側にとっては、迷惑な話ではある。
ただ、なんとなく理解できる。
オレも『きつね』のせいで、いままで、男女問わず、だれとも深い人間関係を結ぶことができないできた。
古賀村とちがうところは、うわべだけの人間関係のなかにあって、観察力だけは高くなったところだろうか。
それでも、たまに、無性に『ムカついてたまらない』状況になる。
何も悪いことをしていないのに、どうしてこんなふうに、隠し事を抱えて生きていかなくてはならないのか、どう見てもオレよりろくでもない生き方をしているやつが、彼女がいたり、いい会社で正社員として働いている。
この差はなんなのだ、とか。
古賀村が、その鬱積を、職場で晴らしていたというのなら、それはまちがいだ。
だが、そのまちがいの果てに、無惨な死が待っていたとでもいうか。
それもちがうだろう。
「羽柴さんの話に戻りますけど、霊がいるだなんて、非常識でしょう。
憑いているだなんて、津島さんにも悪いじゃないですか。そういう倫理観とか、あんまりないみたいですね。
そのくせ、高森センター長にはうまく取り入って、可愛い子は得ですよねー。あからさまに贔屓する高森センター長も、どうかと思いますけど」
オレは納得した。
なるほど、過剰な労働には耐えられても、おなじ業務をこなしながらも、なぜだか一人だけ贔屓されているスタッフを見ていなければならない、というのが耐えられない、ということか。
女性特有の理由だなー。
というか、女ばかりの職場で、たしかに『あからさまに贔屓』する態度をみせた、ご家老がいけないんだ。
とはいえ、スーパーバイザーの肩書きがあろうと、オレも派遣にすぎない。
さて、ご家老になんと意見したものか。
オレが悩んでいると、そのスタッフは、まだ言った。
「高森センター長って、変な人ですよね」
いろいろ変だが。
「このあいだ、遅出のシフトだったとき、たまたまセンターを出るのが、一番最後になったんです。
で、ビルの一階に降りてきたら、正面玄関の横の壁に、センター長がいるんですよ。
一人で、携帯電話を架けているわけでもないのに、壁に向かって、ぶつぶつ独り言を言っていて、気持ち悪かったですよ。
あたしだけじゃなくて、ほかにも見た人がいるんです。ストレスですかね?」
オレは、津島が死んだ日のことを思い出していた。
たしかに、ご家老は、正面玄関の横がお気に入りだ。どういうわけか、そこに話しかけているのである。
「センター長にとっての、嘆きの壁なんじゃないかな」
かなり適当な嘘を言って、オレは話を切り上げた。
『菓匠 みちのく燦然』のHP経由で、本社に届いた『コールセンターが繋がりにくすぎる』という苦情メールが百件を越えた。
さすがにこのままじゃまずいと思った経営陣と、ご家老が相談をして、ベテラン勢をともかく引き止めるため、時給をさらに引き上げることで話が決まった。
いままでは時給が1400円であったが、これにプラス200円と決まったのである。
この破格の値段に、あれほど荒れ狂っていたコールセンターはぴたりと静かになり、どころか、、まったく反響のなかった求人にも、ぽつぽつと応募者がやってくるようになった。
そりゃそうだ。
このS市におけるバイトの時給は、だいたい700円ちょい。
時給1600円といったら、バイトを二時間こなさなくては得られない金額を、一時間で悠々と稼げてしまうのだから。
さらには経営陣は、ベテラン勢に対して、有給休暇を3日、追加で支給した。
これは大歓迎されて、羽柴視奈がいやだから辞めると言っていたスタッフも、ころりと方針をかえて、センターに残ってくれることになった。
羽柴は、一部のスタッフが、自分に対して風当たりがつよくなった、その原因がわかっているらしい。
ご家老は、あいかわらず、暇があると、羽柴のつくえにいって、なにやら話しかけているのだが、羽柴のほうは、以前とはちがって、あまり丁寧には応じていない。
そして、以前は羽柴と仲のよかった井田のほうはといえば、例のナゾの引き出しはあのままだが、普段どおりに仕事をこなしてくれている。
しかし、きつねが井田を怖がるのは、直らない。
井田は、羽柴と喧嘩でもしたのか、まったく口をきかなくなり、一人でいることが多くなった。
そのためだろうか、井田の顔色は、日に日に悪くなっていくようだ。
古賀村の事件も、まったく進展をみせないまま、日数だけが過ぎていった。
古賀村のことがあって以来、オレは羽柴から避けられているように感じていた。
だからこそ、羽柴とご家老が急接近しているのを、すこし嫌な気分で見ていたのかもしれない。
ところが、それこそ何の前触れもなしに、羽柴からオレあてに、ひさしぶりにメールが届いた。
そこには、こうあった。
『高森センター長には内緒で、たいせつなお話があります。
今日は時葉さんは、早シフトですよね?
18時に、向かいのドトールで待っています』
「おーっ、カッチン、待てば海路の日和あり、ってやつ? これってデートじゃん、デート」
うひょうひょ言いながら、オレの頭上でぐるぐる回るきつね。
ええい、そのままバターになってしまえ。
女の子のことで、こいつがはしゃいでいるときは、たいがいろくな結果にならないんだ。
なんでかというと、きつねのやつ、オレが知らない情報をあれこれと握っていて、だれとだれが付き合っているとか、だれはだれが好きだとか、そういうのにとても詳しい。
それなのに、オレには教えないやつなのだ。
はしゃいでいる=羽柴には彼氏あり。
そういえば、羽柴の腰に、赤子の霊がいるとか言ってたよな、きつね。
なんだか急にムナシクなってきた。