うしろにきつね。
4
「憑いてる?」
思わず聞き返し、そして、オレの頭上で、くるくると、またもや自分で自分のしっぽを追いかけて遊んでいる、きつねのほうを見た。
きつねは遊ぶのをやめると、言った。「津島じゃないなー」
きつねの言葉を受けて、オレは羽柴に言う。
「いや、憑いているって、どんなふうに?」
「黒いなにか、もやもやしているものが、古賀村さんにぴったりくっついているんです」
「それが津島さんなの?」
「だって、古賀村さんって、津島さんの友だちみたいな顔をしておきながら、津島さんが死んだら、ひどいことばっかり言っているじゃないですか。だから、それを恨んで、古賀村さんに取り付いているんです!」
「そうなのかなあ」
「そうです! 津島さんがかわいそうだから、成仏してくださいって、あたし葬式にも行ったのに、効き目がなかったみたいで…」
なるほど、それで羽柴は、津島の葬式に一緒に行きたいといったのか。津島の霊を鎮めるために。
でもなあ。きつねが『津島じゃない』っていっているし、またこの子の目の錯覚じゃないのかな。
「それを理由にクビってのは無理だよ。オレら、わからないし」
「でも、あのひとにがまんできないのは、みんな同じなんです!」
と、羽柴は激昂して、机のうえに、一枚の色紙を取り出した。
転校する生徒や、卒業する時に寄せ書きをする、あの色紙である。
見れば、色紙の中心に、
『古賀村さんをクビにしてください!』
と丸っこい文字で書いてあり、その文字を中心に、コールセンターのスタッフの名前が、ほとんどすべて綴られているのだった。
色紙で血判状。
これはこれで、怖い。
話が進んでいくうちに、羽柴だけではなく、ほかのスタッフまでが、古賀村をやめさせてくれと口々に言い出した。
こうなるともう悪口大会になってしまって、収集がつかない。
そこで、ともかく高森センター長(ご家老)に相談してくると言って場をおさめ、オレはすぐにご家老のところへ向かった。
オレはいままで、古賀村をやめさせたほうがいいと何度も進言してきた。
けど、ご家老はそれを拒んできたから、今回もそうだろうと思っていたら、そうではなかった。
「そんなに騒がれてるの」
ご家老は、いつになく真剣に言って、仕事に励んでいるスタッフのなかで、あいかわらずお年寄りの顧客につかまって、長電話に入っている古賀村のほうを見た。
「黒い影って、面白いよね」
「いや、面白くないですよ。このままじゃ、古賀村さんのために、ほかのスタッフも辞めかねませんよ」
「うん、じゃあ、切ろう」
ご家老はあっさり言うと、席を立って、仕事とはまったく関係ない会話をつづけて、ひとりだけほのぼのとしている古賀村の肩を、ぽんと叩いた。
ほとんど強制的に通話を終わらせると、ご家老は古賀村を別室に連れて行き、そして、解雇通達をした。
古賀村は、クビを通達されたとき、まだ契約が残っているはずだと、ゴネにゴネたそうだ。
が、ご家老は、契約時にかわした規定にある、
『勤務態度の不良等が起因とするばあい、契約期間前に解雇することができる』
を、持ち出して、古賀村を説得した。
とはいえ、納得はしなかったのだろう。
ご家老との話合いが、どんなものであったかは不明だが、別室から出てきたとき、古賀村は笑っていた。
その笑いが、彼女の意地からきたものか、それとも、ご家老が彼女になにか調子のいいことを言ったのか、そのあたりはわからない。
古賀村は、自席にもどると、すぐさま仕事を切り上げて、私物をまとめると、
「お世話になりました」
と頭を下げて出て行った。
それが最後だった。
「やっぱ、クビになるのに慣れてるって感じだったよねー。みなよ、机、きれいに片付いてるよ」
と、きつねは、くるくると空中でまわりながら、元・古賀村のデスクのきれいさに、感心している。
文房具はきちんとそろえておいてあり、資料のコピーなどは、すべてシュレッダーされて、残っておらず、私物のたぐいも一切残っていない。
古賀村は、仕事の点では問題があったが、整理整頓はうまかった。
もしかしたら、羽柴視奈を中心とするスタッフたちの動きを察して、事前に片付けていたのだろうか。
問題は、どちらかというと、これからだ。
こんなふうに、誰かを追い出すためにまとまったスタッフというのは、そのリーダーの性格如何によっては、そのまま派閥となって、新人いびりをするのが常になったり、あるいは、上の命令を聞かなくなって、自分たちのやり方で仕事を通そうとしたりと、悪いかたちで、そのまま固まってしまいがちだ。
いまのところの、スタッフのリーダーは羽柴である。
霊が見えると自称しているほかは、性格は悪くないから、そうそう悪い方向には動かないだろうと信じたい。
羽柴は、古賀村に津島が憑いていると言って、仕事中にも、ちらちらと古賀村のほうを気にしていた。
その様子は、まるで蛇のキライなひとが、うっかり庭にいる蛇を見つけてしまい、家のなかから、蛇がどこかへ行ってくれないかと、なんども気にして、うかがっているのに似ていた。
羽柴には、ほんとうになにが見えているというのだろう。
ふと、思い出す。
きつねのやつ、羽柴が古賀村になにかが憑いていると言ったとき、こう言ったのだ。
『津島じゃない』。
ということは、待てよ、津島じゃないが、なにか憑いてるのは、まちがいないというわけか?
だれもいなくなったコールセンターで、スタッフの片づけがきちんとできているか、点検していたオレは、手を止めて、きつねにたずねようとする。
古賀村になにか憑いていたのか、と。
そうしてきつねを探せば、黄金色の長細いけものは、横から見ると、ひらがなの『つ』の字のようになって、なぜだかじっと、井田てまりの机を見つめているのだった。
津島のことがあったから、井田てまりのことは、ほったらかしになっていた。
机に掛けてある鍵は、外すように言ったのだが、きつねと一緒に井田の机を見れば、また以前のように、いくつも鍵が取り付けられている。
「仕方ないなー、なにを怖がって、こんなに鍵をかけたがるんだよ」
オレがぶつぶつ言いながら、開かないとわかっていても、引き出しをガタガタ揺すっていると、きつねはとなりで言った。
「怖いんだろ。この中のモノが」
「はい?」
なんのことだと聞こうとした、そのとき、上着のなかに入れていた携帯電話が鳴った。
着信履歴を見れば、警察からだった。
女性の変死体、見つかる。
9月○日S市M区の国道沿いの川原で、夕方4時ごろ、犬の散歩をしていた近隣住人が、主婦の古賀村五月さん(36・S市M区)が倒れているのを発見した。
外傷や着衣の乱れ等はなく、現在、死因を調査している。
古賀村さんは、使用していた自転車とともに川原に捨てられた状態で、会社を退職したあとに、自宅へ自転車へ向かう途中、何者かによって襲われ、川原に捨てられたらしい。
所持していたバックから、貴重品は盗られていなかった。
その短いベタ記事の、たった四行が、古賀村の人生が終わったことを告げる文章だった。
すぐさま警察がやってきて、古賀村が解雇されたときの事情聴取をした。
職場でのトラブルが原因で、事件に巻き込まれたのだろうと、警察は考えていたらしい。
こうなると、古賀村を解雇してくれと騒いでいたスタッフも、当然ながら、いい気はしない。
古賀村の死亡時刻は、まだ日の明るい15時ごろということで、目撃者がありそうなものだが、いまのところ、有力な証言というものは得られていないらしい。
古賀村が、競輪選手のような猛スピードで街を走っていた姿を見たものは多くいたが、だれかと接触しているのを見た、という者もいないそうだ。
そも、死因がよくわからない、というところが不気味だ。
ふつうに見れば心臓麻痺らしいのだが、派遣会社が負担しておこなう八月の身体検査にて、古賀村はすこぶる健康だった。
死に顔が印象的で、目と口を大きく見開いて、なにかに狼狽している表情のまま、事切れていたという。
棺におさめるさいに、古賀村の目と口を閉じさせようとしたのだが、すっかり固まってしまっていて、どうしても直すことができず、火葬場に行くまで、結局、棺おけの蓋は閉じたままだったそうだ。
津島につづいて古賀村。
警察に、会社のなかの何かが原因なのではと疑われても仕方ないかもしれない。
自殺した津島のときとちがって、古賀村をめぐっては、かなり細かく調べられた。
古賀村を追い出そうとしていた中心である羽柴視奈はもちろん、古賀村が死んだ日に休んでいたスタッフさえも、アリバイを調べられた。
けれど、古賀村と接触したと思われる人物はあらわれなかった。
午後の三時といえば、スタッフが仕事をしている最中である。
古賀村の死んだ場所は、『菓匠 みちのく燦然』のビルから3キロ近く離れており、ちょっといって帰ってこられる距離ではないのだ。
だれが殺したのか。
なにもわからないまま、時間だけが淡々と過ぎて行った。
めったに殺人事件のおきないS市ではあったが、昨今物騒なうえに、世間を大きく騒がせるほどの特徴もない、
「ただの変死」
であったことから、最初は会社にやってきていたマスコミも、三日もすれば、それこそ咽喉元をすぎればなんとやら、ではないが、もうだれも来なくなった。
「ただの変死」。すごい言葉である。
これを口にしたのは、ご家老である。
『菓匠 みちのく燦然』の社長は、この事件をうけ、コールセンターの派遣が殺されたということで、商品のイメージダウンになることを気にしていたのだが、その社長に、ご家老はこう進言したのだ。
「全裸で見つかったとか、犯人がマスコミに脅迫状を送りつけたとか、そういう事件ではありません。
殺されたのも若い美人というわけではなくて、それなりに恨みをかいやすい主婦だった、というわけですし、殺され方が奇妙ではありますが、よくある殺人事件、ただの変死です。
すぐに騒ぎもおさまるでしょう。問題はないかと」
たしかに、対外的には問題はなかった。
古賀村五月は、言動に不用意なところがあって、そのことから、あちこちに敵がいた。
警察は、その敵のひとりひとりのアリバイを丹念に潰している最中だという。
犯人が見つからない、という不安。
自分たちが追い出した直後の、突然の悲劇。
この二つに加えて、ご家老の発言がどこからか漏れて、コールセンターのスタッフの人間関係は、これまでになく、最悪の状況に陥ることになった。
会社は、派遣スタッフを馬鹿にしている、というのがおおかたのスタッフの感想である。
オレもそのとおりだと主張し、ご家老にスーパーバイザーの立場から、苦言を呈してみたのであるが、これがまさに暖簾に腕押し。
口では「ごめん、ごめん」と言いながらも、まごころはすこしもこもっていない。
時間がたってうやむやになるのを待つ作戦であったらしく、それは当たって、ご家老の失言問題は、朝礼など、スタッフの全員の前で謝罪することもなく、なんとなく『そんなことがあった』で終わりになった。
古賀村五月の死は、津島に呼ばれたのだと羽柴視奈は主張した。
津島に呼ばれたのか、それともご先祖さまに呼ばれたのか、それはともかくとして、古賀村を追い出す中心となった羽柴がそう発言したのは、いささか軽率だった。
羽柴は、良くも悪くも正直なのである。
「責任感がなさすぎるのではないか」という、オレから見れば、『どういう責任なのか?』と不思議に思う理屈から、今度は、羽柴がほかのスタッフたちから倦厭されることになってしまった。
そうなる一方で、羽柴に完璧なアリバイ(なにせ、そのアリバイの証言者は、スタッフ全員である)があるのに、それを疑ったり、古賀村に対してのうしろめたさを彼女ひとりに押し付けるのはおかしいと主張する者があらわれて、スタッフは、真っ二つに割れてしまった。
不安感ゆえか、両派の争いは、日に日に激化していく。
この争いに耐えられなくなったスタッフが、徐々に、ひとり、またひとりと退職して行った。
おかげで、コールセンターは、古賀村の死から二週間もたたないうちに、退職者や休職中のスタッフのために、ほとんど開店休業状態になってしまった。