うしろにきつね。
3
コールセンターが閉まる午後9時。
オレは、例の個人情報の棚や、スタッフの机に忘れ物がなにもないかをチェックする。
「きつね、井田の引き出しなんだけど、いまもヤバイ感じがしているか?」
言いつつ、オレはだれもいなくなったフロアにて、井田てまりの机の前に立つ。
あんまり嗅ぎたくないが、なにかの臭いがもれていないか、注意してみたが、特に変わった臭いはしない。
「うん、なんだかわからないけど、ヤバイ感じはしているよ」
ダメでもともとで、もう一度、鍵とチェーンでがっちりと守られた引き出しを、がたがたと揺さぶってみる。
開かない。
きつねが『ヤバイ』というものだ。
ろくでもないものが入っているにはちがいない。
明日は井田の出勤日だ。問い詰めて、ちゃんと答えるだろうか。
でもなあ、引き出しのひとつが開かないってだけで、犯罪じゃないんだよなあ。
ことを荒げることもないんじゃないかと、すこし気弱になるオレ。
『菓匠 みちのく燦然』の自社ビルは、夜7時になると表のシャッターが下りて、裏口から出るようになっている。
裏口には警備室があって、夜の10時まで、警備員が裏口を見張っている。
それ以降は、ビルへの出入りはできない。
つまり、コールセンターだけではなく、ほかの部署も、夜の10時を目安に仕事を切り上げなくてはいけない。
エレベーターから降りて、一階のフロアに足を出したとたん、むわっと生暖かい空気が襲ってきた。
どうやら、一階のフロアのクーラーは切ったらしい。
九月に入っても、まだまだ夏の余韻は残っている。
「お、ご家老じゃん」
きつねが言うほうを見れば、閉まったシャッターの前で、ご家老がひとり、なぜだかロビーの壁をじっと見詰めていた。
たいがいが、おちゃらけた男だが、いまは、なにやら気むずかしそうな顔をしている。
黒の大理石の敷き詰められたロビーの、壁をじっと見つめているが、なにやってるんだ?
だれかを待っている、というふうではない。
「声を掛けてみたら?」
きつねはいうが、オレは首を振った。
「いや、声をかけたら、また飲みに誘われそうだし、今日は疲れたからなー」
「まあな、ご家老が働かないぶん、カッチン、がんばったしな」
「そうだよ、わがCCのファンタスティック4プラスご家老だぞ。疲れるよな、こりゃ」
「そういうことなら、見つからないうちに、裏から出ようぜ」
そうして、裏から外に出たオレたちだが、一階のロビーより、外のほうが、風が強いぶん、涼しく感じられた。
扇風機のまえに立っているみたいだ。
S市の夜は、空に星が見えないかわりに、駅を中心としたネオンがさまざまな色を見せて輝いている。
「ネオンの輝きって金の輝きだよな。あのネオンがひときわ輝いている名前が、きっと儲かっている企業の名前なんだ」
「そっかねー」
「金に不自由してないでしょ、かあ」
なんとなく津島のことばをくりかえしながら、オレは帰宅した。
夜中の電話はきらいだ。
両親のことで、電話がかかってきたのも、真夜中だった。
りんりんと、廊下に置いてある電話機が鳴りつづける。
オレは眠い目をこすりながら、スリッパを引きずって、電話機のところまで歩いていく。
冷蔵庫のぶーんと稼動する音が、妙に家の中に響いていたことをおぼえている。
受話器を取り上げると、がやがやと、賑やかな物音のなかにまぎれた、聞き覚えのない中年男の声が聞こえてきた。
『時葉さんですか。時葉兼成さんですね。こちらI署の千葉と申します。お一人ですか。ほかに家族の方はいらっしゃいませんか。親戚の方は、近くに住んでいませんか?
そうですか……それでは、落ち着いて聞いてください。あなたのご両親が』
なぜそんなことを思い出して、夢に見てしまったのかといえば、枕元において充電していた携帯電話がブーブーと、バイブレータ状態で鳴っていたからだった。時計はまだ2時を指している。
うしみつどきだな。
そんなことを思い出した。
両親が旅先で死んだことを報せた電話も、同じように2時に鳴った。
うしみつどきに。
もう五年も前のことになる。
電話の着信は、なんと羽柴視奈からだった。
いつ携帯の番号を教えたのだっけ?
そんなことを考えながら、寝ぼけたあたまのまま電話に出ると、いきなり、耳に、パニックに陥っている視奈の泣き声が聞こえてきた。
なんだ、どうした、また幽霊でも見たのかな?
けれど、きつねは、視奈の『見える』はほとんど思い込みだと指摘していた。
視奈の腰に赤ん坊がくっついている、というきつねのことばを思い出したが、そうではなかった。
「津島さんが」
と、視奈は泣きじゃくりながら言った。
「さっき、警察から電話があって、どうしよう」
警察。その言葉だけで、眠気が一気に吹っ飛んだ。
「津島さんが、自殺したんです。飛び降りて。遺書がなくて、財布とかにも住所のわかるものが入ってなくって、だから携帯の履歴をみて、あたしのところに電話してきたんだって言ってました」
自殺。飛び降り自殺。
「なんで?」
「わかりません!」
苛立ちと悲しみの両方を爆発させるように、視奈は電話口で叫んだ。
「津島さん、なんで死んじゃったんですか!」
その言葉は、そのまま、オレが視奈に聞きたいことだった。
津島瞳子は、仙台駅のそばにあるマンションから飛び降りた。
マンションはオートロック方式だったが、一階の塀の高さが、女性でも、台があれば簡単に飛び越えて中に侵入できるほどのもので、津島はそこを利用して、マンションの最上階から駐車場へ飛び降りたそうである。
遺書の類いはなにもなかった。
あとで警察が津島のアパートをしらべたところ、そこから、一冊の手帖が見つかった。
部屋には100円ショップで万引きしたと思われる商品が、ほとんど未使用のまま積まれており、手帖には、いつ、どこで、なにとなにを盗んだか、几帳面に記してあったという。
しかし、未使用の商品に関しては、せっかく盗んだものの、ほとんど使用されていなかった。
転売を目的にしていたわけでもなく、ただ部屋の片隅に、まるで粗大ゴミのように重ねて積まれてあったという。
よほど熟練した盗みの腕を持っていたらしく、盗んだもののなかには、ハンカチーフや化粧品などといったもの以外にも、風呂桶やハタキ、植木鉢など、かさばるものまであったそうだ。
さらにあとになって、津島瞳子は、過去にも何度か万引きで捕まっていたことがあったと知った。
逮捕されるたびに職場を変えていたそうだ。
一種の精神病だったのだろうと、コールセンターに事情を聞きにきた警察は、淡々と言った。
そうだったのかもしれない。
津島瞳子の友人といえば、コールセンターでは古賀村五月のほかいないだろうと思っていたが、実家にて、ひっそりと行われた津島の葬儀に参列したのは、古賀村ではなく、羽柴視奈のほうだった。
羽柴と津島がいっしょにいるところを見たことがない。
知らないところで、つながりがあったのだろうか。
津島の実家は地下鉄の終着駅から、バスでさらに一時間行ったところにある、田んぼとバイパス道路が並行してひろがっている場所であった。
バイパス沿いには、パチンコ屋や、ファミリーレストランをはじめとする郊外型の有名店が並んでいるが、小さな商店の類いはほとんどない、典型的な郊外の街である。
警察が言うに、どうやらオレが最後に津島と話をした人間になるらしい。
会社の文房具を、自分の引き出しに溜め込んでいた津島の、その理由を聞いていたオレは、津島がどうして万引きをくりかえしていたのか、その理由もわかる気がした。
安心するから、だろう。
不要なものでも、盗めるものは盗んで、手元に置いていた。
それを部屋の片隅に並べて、会社の引き出しを開けるようにして、こう思っていたにちがいない。
『まだ大丈夫、すくなくとも、この品物を買うことで、悩まなくていいんだ』
そうして、必死になって一人暮らしを維持していたのだ。
その津島の実家が、市内にあったということが、オレには意外だった。
一人暮らしをしていた理由はなんだったのか。
すくなくとも、葬式というものは、湿っぽいものだ。
いや、そうでなくては、死者が浮かばれないと思う。
同じように思って、昔の人間は、『泣き女』なんて職業の人間を雇いさえしたのだろう。
死者の魂に嘆き声を聞かせることで、あなたは悼まれているのだと慰めるためと、そして、同時に、あなたは死んだのだから、迷わないでくださいと、教えるために。
すくなくとも、オレはそう思っていた。
津島の葬式は、行って見ると、愕然とするほどに白けていた。
みなが喪服を着ていなければ、葬式だと思えなかったにちがいない。
参列者のほとんどは、実家の親戚か、あるいは近所の者たちばかりで、津島の友人はいない。
というより、津島と同年輩なのは、家族をのぞいては、オレと羽柴視奈、そして、責任者としてやってきた、ご家老の三人しかいなかった。
ほどよい賑わいがあるものの、その会話は、無視している、といっていいくらいに、死者のことに触れないものばかりだ。
黒枠のなかにおさめられた津島の写真は、短大を卒業したときのものらしく、オレたちの知る津島の風貌とは、だいぶちがっていた。
だが、目だけが一緒だ。
たった一人でどうしたらよいのか、途方に暮れて、だれかに声を掛けてもらうのをじっと待っている、けれど、その声がなかなかかからないで困っている、そんな暗い目をしている。
最後に津島と会話した人間として、オレが式場に顔を出すことで、家族に問い詰められるのではないかと、ある程度覚悟をきめていたのだが、拍子抜けすることに、津島の家族は、そうですか、で終わりだった。
津島の家族は両親と津島の姉と弟の四人で、弟のほうは不自然に太った、色の白い男で、姉のほうは、津島そっくりの痩せぎすの女だった。だが、表情が、津島よりは明るく、生気に満ちていた。
「なんか、葬式というより、集会場で自治会の会議をしてるみたいだなー」
と、きつねが言った。
もちろん、人前できつねに返事はできないから、オレはだまって聞いている。
「カッチン、情報収集してきたぞ。この家はトラブルの溜まり場だなー。まずさっきの津島の姉、最近、離婚して、出戻ってきたばかりだったんだと。
それがびっくりだぞ。親に内緒で結婚していたのが、結局うまくいかずに出戻ってきたって話だ。縁を切る、切らないで大騒ぎだったらしいが、けっきょく、親と同居することになったらしいな。
で、弟のほう、あっちは、いま流行のニート。高校を卒業して専門学校に行って、そこでなにかあったらしくて、何年も家から出ないで過ごしているんだとさー。毎日ゲームとネットばっかしているって。何が楽しいんだか、わかんない人生だよね。
津島は、ほんとうは実家で親と同居したかったらしいが、姉と弟がいるから、戻ってこられなかったらしいぜ。津島の自殺の原因は、そこじゃないかって、親戚一同は見ているらしい。昔っから、姉ばっかりかわいがられてたそうだよ。居場所がなかったんだろうなー。
でもよかったな、カッチン。カッチンがなにか言ったから、津島が自殺したんだ、って思っているやつは、だれもいないみたいだ。
津島が万引き常習犯ってのは、みんな知っていて、親戚のほうも、この家と付き合いを遠慮するくらいに距離があったらしいぞ」
金さえあれば幸せになれるだろうと、そう言った津島のことばが、いよいよ重たく胸に落ちてきた。
家族という砦のない人間が、金に救いを見ようと必死だったのだろうか。
帰り道、オレは言葉すくなに歩いた。
ご家老は、ひとりで、津島にはまったく関係のないどうでもいいことを、ぺらぺらとしゃべりつづけている。
このあたりはむかし、遠足のときに通ったとか、あの店はナントカが美味いとか。
ご家老の性格はともかくとして、話題の豊富さと、頭の回転のよさはたしかに誉められるべきところかもしれない。
きつねは、姿が見えないことをいいことに、
「へー、ほー、ご家老、すげー知ってるな、このひま人」
などと茶々を入れている。
きつねの見えるオレからすれば、妙に会話が成り立っているように見えるから、おもしろい。
羽柴視奈のほうは、ご家老の話しに適当に相槌をうちながら、折を見て、オレに言ってきた。
「あのう、時葉さん、ご相談があるんです、というか、要望というか、お願いなんですが」
「なんだろ」
視奈は、黒い喪服の袖を気にしながら、オレの顔色をちらちらと伺いながら言う。
あ、ヤな予感。
「古賀村さんをクビにするように、高森センター長に言ってもらえませんか?」
羽柴視奈の、唐突な『古賀村五月をやめさせてくれ』という話を受けて、オレはコールセンターに戻ったあと、視奈と同じことを考えているという、スタッフたちを交えて、話を聞くことになった。
こういうとき、本来ならオレの席にすわるのはご家老なのだが、ご家老は、またもや、
『めんどい』
ということを理由に、逃げてしまったのだった。
ほんとうに、使えない男である。
羽柴視奈は、津島が死んだあと、どういうわけか、それまで仕切り屋というわけでもなかったのに、スタッフみんなを率先してまとめる役目を買って出るようになった。
おかげで、こちらとしては、たいそう助かる。
津島が自殺したことで、例によって古賀村が、
「時葉さんが津島さんに何か言ったんじゃないか」
と言いふらし、オレの立場は微妙なものになっていたのだが、やはり、見る人は見ていてくれたのか、オレを自殺の原因としてみているスタッフはいない様子だ。
に、しても、古賀村だ。
津島瞳子は、職場において友だちのいないスタッフだった。
それを、ほかのスタッフから嫌われて孤立した古賀村が接近し、一緒に行動するようになっていた。
ところが、津島が死んでみると、古賀村は葬式にさえ行こうとせず、どころか、津島の盗みっぷりを、じつは前から知っていた、ということをほのめかすようになった。
友だちなら、それは止めてやればよかったじゃん、とか思う。
そのあたりの心無いふるまいが、ほかのスタッフの目に余っているのか?
というか、古賀村五月、主婦である。
こういう、仕事振り云々以前に、人としてどうなんだろう、という女を選ぶ男の感性って、どんなもの?
古賀村って、ブスってほどじゃないけど、年齢が四十近いわりに、表情がえらくガキっぽい、『女を感じない』女なんだけどなあ。
って、それはいいんだ。
「古賀村さんの最近の行動は目に余ります!」
と、やはり、羽柴視奈は、切りだした。
同席している、ほかのスタッフも、そうだ、そうだと、力強くうなずいている。
古賀村の業務態度や、津島をめぐる言動が『目に余る』のだろうと予想したオレであるが、しかし、そこは、羽柴だった。
「あのひとに津島さんが憑いていて、落ち着きません! スーパーバイザーの時葉さんからセンター長に言って、あのひとをクビにしてください!」