うしろにきつね。
2
きつねは嘘をつかない。
そして、きつねの『イヤな感じ』は、ほんとうに当たる。
いつだったか、気分転換にドライブして、あまり人気のない山林公園へ行ったことがあった。
山中の砂利道を歩いていると、ふと、脇道に、古くて汚い公衆トイレがあるのが見えた。
入ろうと思ったわけではない。
変なところにトイレがあるな、と思っただけだ。
すると、そのとき、きつねが言った。
「カッチン、まちがっても、あそこに近づくなよ。あそこ、イヤな感じがする」
後日、新聞の一面を見ておどろいた。
きつねがイヤな感じがする、と言ったそのトイレの貯水タンクから、バラバラ死体の一部が発見されたという。
犯人はすぐに捕まったのだが、きつねは言った。
「いやー、びっくりしたよ。林のなかにさ、白いものがぼーっと浮かんでいて、なにかな、と思ったら、人間の胴体でやんの。カッチン、見えないって、しあわせだね」
見えないことはしあわせだが、見えるやつに、聞きたくもない話を聞かせられるのは不幸だと思う。
その晩は、トイレに行くことができなかった。
オレは古賀村とご家老が、井田について、いろいろと話しいて、オレのほうを見ていないのを確認してから、きつねに、そばに寄るようにと指で示した。
きつねは、長細い身体を、鮎のようにするすると動かして、オレに近づいてくる。
「イヤって、なんだよ」
「文字通りだよー」
「まさか、またバラバラ死体がある、とかいう話じゃないだろうな」
「それがさ、見えないんだよね。ヤバイ、マズイ、って感じはするんだけど、なにが入っているのか、わからない」
「おまえが? めずらしいな」
「うーん、たしかにねー。なんで見えないのかな? 物体じゃない、とか」
「この引き出しのなかに、幽霊が詰まっているとかいうんじゃないだろうな」
腕だって折らないと入らない狭さの引き出しに、ちいさい老婆(なんとなく)の霊が縮こまって入っている様子を想像し、オレはぞっとした。
「きつねのばか。変なこというから、おかしな想像しちゃったじゃないか」
「オレ様のせい? カッチンってさ、想像力豊かすぎて、いろいろ迷っちゃって、チャンスを逃すタイプだよね」
「うるさいよ。けどなあ、いくつあるんだ、この数字錠。引き出しの中からは、臭いはしないし…いくらクーラーをつけていても、この時期、生ものが入ってたら、臭うよな?」
「キムコの力かも」
「いくらキムコでも無理だろ。っと、古賀村が来た」
ご家老と、井田について話をしていた古賀村が、オレのほうに顔を向けた。
「あ、いま思い出しました。昨日、津島さんも井田さんと一緒にいました。もしかしたら、津島さんがクリアファイルの中身を預かっているかもしれませんよ」
妙なもので、問題児四人は、それぞれに交友関係があるのである。
津島瞳子は、これまた、このコールセンターの問題児のひとりだ。
まわりのスタッフのだれとも馴染まず、体調がわるいのか、早退と遅刻を何度も繰り返している。
なにがどう、問題児なのかというと、津島は、自分の知っていること以外を聞かれると、いきなり電話を切ってしまう。
パニックになったのかと最初は心配して、商品知識や受け答えの仕方などをまなぶ特別研修を、何度も受けてもらったのだが、やはり、津島は、むずかしい(あるいはめんどうくさい)話が出てくると、了承もなにもなく、電話を切ってしまうのである。
当然、クレームだ。
これでどうしてクビにならないのか?
ここもまた、ご家老の独断専行に拠るものだ。
「いやあ、ああも思い切りのよい行動を見ていると、かえって心が晴れ晴れするよね。ああいうふうに、電話を切ってみたいなー」
と、ご家老。
この人の頭のなかに、愛社精神とか、売り上げとか、そういうものはないらしい。
そもそも、センター長にも向いていないのに、その席に座っていることが謎だ。
噂だと、社長一族の強い推薦によるものらしい。
さて、津島瞳子である。
もともと孤立していた津島であるが、最近は古賀村とよく一緒にいる。
が、これは古賀村のほうが、ほかのスタッフから嫌われて孤立するようになったので、同じく孤立している津島瞳子に近づいたに過ぎない。
今日は顔を出しているかな、と津村瞳子の机を見れば、『休憩中』の札が机のうえに上がっていた。
トイレ休憩なら待ったほうがいいが、津島のシフトから考えると、どうも遅い昼休みのようだ。
井田てまりの書類が見つからず、時間がかかりすぎてしまうので、顧客のほうには、ご家老が如才ないところを見せて、上手に謝罪をして、最優先で品物を発送することにしたそうだ。
だったら急ぐ必要は、もうないわけだ。
井田てまりが出社してきたら、こういうことがあったから、その数字錠はやめてくれ、錠前破りみたいなこともしないでね、と注意すればいい。
津島の机はきれいに片付いていて、当然のことながら、数字錠もかかってない。
「人の机って、開けるときって、ドキドキするよね。覗き見みたいな感じ」
と、よくわからぬことを、さわやかに言いながら、ご家老は、あきれたことに、もう用事がないはずの、津島の引き出しを開けた。
が、その中を見て、オレはぎょっとする。
引き出しの中には、未使用の文房具が、山のように入っていた。
あんまりたくさん入っていたので、引き出しを開けたとたん、中に詰められていた付箋だの、修正テープだの、はさみだのが飛び出して、床にこぼれたほどだった。
社全体の文房具の在庫を管理している総務部に問い合わせたところ、なんと、ここ半年で、異常な数の文房具の在庫が合わなくなっていることがわかった。
合わない在庫と、津島瞳子の机に隠されていた文房具の数を合わせてみたら、これがぴったり合致した。
これは、逆にいえば、津島瞳子は、文房具を横流しするでもなく、ひたすら引き出しのなかにしまいこんでいたということである。
いったい、なにが目的なんだ?
文房具入れの棚は、総務部のすぐうしろにあり、持ち出す際は、ノートに、何をどれだけ持って行ったか、記入しなくてはならない。
しかし総務部は、女子社員のひとりが突然に入院してしまい、ここ数ヶ月、異常な忙しさで、文房具の棚の管理が、とても甘くなっていたのだ。
「あんびりばぼー。カラスみたいだな」
と、棚に詰まっている文房具を見て、きつねが言った。
まったくだ。
文房具が好きで好きでたまらない、文房具フェチ?
けどなあ。
文房具のほとんどが、地元の文具店で購入したものか、あるいは通販で届けられる文房具で、とくべつに高級なものはない。
机のなかにしまわれていたほとんどが、未使用のままだ。
しかもきれいに揃えられているわけでもなく、無造作に机のなかに入れられてて、文房具に過剰な愛情があるようには見えない。
総務の女性社員にも、津島の引き出しを見てもらった。
「これ、このコールセンターが立ち上がってすぐのときに購入したホッチキス。でも、この型って、もう売ってないから、津島さんだっけ? そのひと、入ってすぐから、文房具をこうやって溜め込んでいたんじゃない?」
総務の未使用文房具の棚と、ほぼ同等の数の文房具が詰まっている津島の机。
それを覗き込んで、古賀村が他人事のように楽しそうに言った。
「うわー、これってアレですか、窃盗とか、そういう罪になりません?」
古賀村、おまえ、一緒にランチしてた友達のピンチなのに、なぜうれしそう?
「これを盗んで売ったとかいうのなら窃盗かもしれないけど、溜め込んでいただけだから、なんとも言えないんじゃない?」
そういって古賀村を牽制して、オレは、遅い昼休みから帰ってきた津島を、会議室に呼んだ。
本来、オレの椅子に座っているのは、ご家老だ。
だが、ご家老は、こういうときに役に立たない。
というより、逃げる。
で、オレの登録している派遣会社は、トラブル時に仲介に立ってくれるコーディネータがいない。
正しくは、いても、いないのと同じ。
コーディネーターと営業と、それぞれ一名しかいないので、連絡がつかないという、すばらしい零細企業なのだ。
となると、オレが津島に事情聴取だ。
呼び出された津島は、最初はずっと黙っていた。
五分ほど黙っていただろうか。
うつむき加減にテーブルをじっと見つめていた津島が、ようやく口にした。
「安心するんです」
「はい?」
オレは思わず聞き返した。
津島の声が、低くて小さかったので、聞き取りづらかったこともあるし、意味もつかめなかった。
津島は、びっくりするほど痩せている。
スタイルはわるくないのだが、痩せているうえに、顔色が悪いので、病気なのではないかと思うほどだ。
色がもともと白いこともあるせいか、濃い目の色の服を好んで着ていることから、よけいに不健康な白さが際立っている。
貧血でも起こしているかのような様子で、うつむきつづける津島に相対していると、なんだか、こちらがいじめているみたいな気分になってくる。
「使ってない文房具が、引き出しのなかにいっぱいあると、大丈夫、まだあるんだ、って安心するんです。使い切っても、まだまだある、心配しなくていいんだ、大丈夫だって」
わかるような、わからないような。
「どうして、いっぱいあると、安心するの?」
オレがたずねると、津島は、ゆっくりと、確認するように言った。
「時葉さんって、一人暮らしじゃないですよね」
津島は、テーブルに目線を落としたまま、たずねてくる。
「兄夫婦と住んでるけど」
「むかし、砂場で遊んでいたら、埋まっていた一千万円を掘り当てた幼稚園児って、時葉さんのことなんでしょ?」
「は?」
思わずオレは尋ね返した。
たしかにそうだ。
だけど、なんだって、そんな昔のことが漏れているんだ?
オレはうしろのきつねに目を走らせるが、きつねは、
「知らないよー」
と、首を振っている。
そうだな、こいつが、ほかの人間としゃべることはできないし、そうぺらぺらと人様に金のことを口にするとは思えない。
「拾った宝くじが、たまたま一等が当たってた高校生っていうのも、時葉さんなんですってね」
そうだよ、たしかにそうだ。
あのときは高校にまでマスコミが来て困ったものさ。
って、だから、なんだって漏れてるんだ?
「お金にぜんぜん不自由してないんでしょ? だから、いい年した男の人が、派遣社員をやっているんでしょ?」
「……」
そういわれると、けっこう、ぐっさりくるのだが。
「そういう人に、一人暮らしのわたしの気持ち、わかりませんよ。お金を稼いでも、月収のほとんどは税金と生活費にとられちゃって、遊ぶお金も貯金も残りません。家の家具のほとんどは、100円ショップで買いました。
いつも、なにかが足らないんです。買わなくちゃ、でも買ったら、ほかのものが買えなくなる、どうしようって、毎日悩む生活なんです。出口がないんです。
身体が弱いから、責任の重すぎる正社員には向いていないし、いまさら実家にも戻れない。そういう毎日なんです」
「だから、会社の文房具を溜め込んで、机の中にしまっておくわけ? 文房具だけはいっぱいあるから、心配しなくっていいって?
でも、たかが文房具って思うかもしれないけれど、これはちゃんと会社のものであって、あなたのものじゃないでしょう。総務のひと、困っていたよ?」
オレがいうと、津島はふたたび黙り込み、もうなにも言わなくなってしまった。
なんだか疲れる一日だった。
スタッフが帰ったあとの消灯まで、オレの仕事だったりするのだが、なんだかいつもの倍、疲れた気がする。
書類のシュレッダー忘れがないかどうかを点検していると、ふと床に、百二十円が落ちているのを拾った。
天井のそばを、鮎のようにするすると泳いでいたきつねが、金のにおいに引き寄せられてやってくる。
「おー、カッチン、また儲け。これで午後に買ったジュース代を取り返したじゃん」
「まあな」
いつものことなので、感動がない。
オレは拾った百二十円を、近くのつくえの上においた。
「あれー、拾わないの? もしかして、津島瞳子の言ったことを気にしているとか?」
「すこしあるわな」
「仕方ないって、カッチンにはオレが居るんだしさ」
きつね。
豊穣の神。お稲荷さん。
正体がよくわからない。生まれたときから、オレにくっついているやつ。
こいつは、ただオレにくっついているだけじゃない。
こいつがくっついていると、どういうわけだか金を拾う。
金を拾うのは日常茶飯事。拾わない日がないほどだ。
みんな金を捨ててるんじゃないか、というほどに金を拾う。
きつねが引き寄せているのか、それとも、世の中にウッカリ者が多いのか。
津島の言ったことは本当で、オレは子供の頃から、金にだけは不自由したことがないのだ。
だからといって、不安がないかというと、また別な話しなのだが、津島には、うまく話せなかったな。
「しっかしさー、派遣って、たいへんなんだね、カッチン」
天井で、自分の尻尾を追いかけながら、きつねがつぶやく。
たしかに、派遣社員は金が貯まらない働き方だ。一見すると安定しているが、実際はそうでないことが多い。
いくらいい企業に派遣されても、よほどでないかぎり社員登用はないし、会社の方針で、成績云々は関係なく、あっさり切られることもありうる。
ふつうのバイトより時給はいいが、交通費が出なかったりする職場もザラだし、なによりボーナスというものがない。
親と同居しているというのならともかく、一人暮らしになると、とたんに生活は苦しくなる。
「オレなんかは一人暮らしじゃないぶん、家賃のことは考えなくていいからな。S市の家賃は、ピンキリだけど、女の人の一人暮らしなら、だいたい5万円くらいかな。
週五日で実働8時間で働いたとして、手取りでだいたい16万円。
うち、家賃が五万として残り11万……ん? けっこう残らないか?」
オレがいうと、いつも空から人のことを見下ろしているせいか、物知りなきつねが口を尖らせた。
「女は服や化粧に金がかかるだろー」
「あ、そうか、化粧品とか、聞くと高いもんなー。なんであんなに高いんだ?」
「高いものを買ったほうが、もつんだってさ。ファンデーションとか、やっぱ高級品だと、すこしの分量でも肌に伸びるから、一年以上はもつんだってー」
「よく知ってるな、きつね」
「カッチンが仕事しているあいだ、暇だから、あちこちの会話に耳をすませているのさ。役に立った?」
「役に立ったかは微妙だが、しかし一年以上もつファンデーションって、途中で成分とか変わっちゃいそうだよな」
「そこまでは知らないよー。ともかくお金がかかるってことだよね」
「だよな。生活費だって莫迦にならないだろうし、まして一人暮らしだと、メンタル的にもいろいろあるんだろうな。でなくちゃ、こんなに世の中に『癒し』が流行するはずないもん」
言いつつ、オレはオレのうしろについている、黄金色のきつねを見る。
オレがさまざまな不安に押しつぶされないでいるのは、この奇妙な幼なじみがいてくれるからかもしれない。
ほんとうは、ちょっと感謝してたりする。口にしたことはない。
こいつ、お調子者だからな。