うしろにきつね。

「だって、いまどきS市の派遣で、コールセンターのオペレーターで時給1400円っておかしいじゃないですか。

しかも受注ノルマもないわけでしょ? あなたの経験をとくに考慮して選びました、なんて最初に言われましたけど、やっぱりうまい話には……ええと、こういうときになんて言うんでしたっけ。蜜がある?」
「いや、蜜があるなら美味いばっかりでしょ。『罠がある』だよ」
「そう、それ、罠です、罠。すごい罠がありますよね、このビル!」
と、羽柴視奈(はしばみな)は言った。

視奈は、痩せぎすで小顔、茶金色に髪を染めた、いかにもいまどきの派遣社員、というふうだ。
パステルカラーが好きらしく、今日はパールピンクの涼しげなタンクトップに、半袖のカーディガン、という出で立ちである。

会議室で、オレ、こと時葉兼成(ときばかねなり)の向かいに座る視奈は、身を乗り出して、言った。
「何でトイレに幽霊がいるんですか!」
知らないよ、と思わず言いかけて、あわてて口を閉ざした。
視奈は悪い子ではない。
仕事だってきちんとこなすし、真面目で、ほかのスタッフともうまく付き合っている。
が、欠点がコレ。
「わたし、視えるんです」
である。

視奈は、さらに身を乗り出して、会議室にスパイがいるかのように周囲を気にしながら、声を落として、いった。
「女子トイレの、いちばん奥の個室。あそこに、昨日から、だれかが連れてきたみたいで、男の人がいるんです。
トイレの照明が暗すぎるのがいけないんですよ。建ってまだ何年も経ってないビルのくせして、ちょっと全体的に暗くて汚い感じがするのは、おかしくありません? 
派遣のあいだでも、やっぱりここって、噂になっているらしいんですよ! 出るって!」
おそらく、その噂の大元は、この子だろう。
「でも、オレも、このビルのオーナーじゃないし」
「問題ですよ! 時葉さん、ご家老と仲がいいじゃないですか! ご家老って、このビルのオーナーの一族なんでしょ? 言ってください!」
「なんて?」
「ビルを改装するべきだって!」
いくらかかると思ってるんだよ。

ちなみに、オレは幽霊は、見えない。
まして女子トイレに入ることなんてないから、視奈の言うとおりなのかどうか、確かめることはできない。

すると、オレのうしろにいるやつが、けらけらと笑いながら、言った。
「カッチン、女子トイレに幽霊なんていないって。それよりも、そいつの腰にぶら下がっている赤ん坊のほうが、オレ様にはうるさいなあ。
ミルクが欲しいのかな。わあわあ泣いててさー。ちょっとかわいそうでさー、きついよ、コレ」
「おい!」
思わずツッコミを入れてしまって、あわてて、視奈のほうを見る。
視奈のほうは、自分の発言に突っ込まれたものと勘ちがいしてくれたらしく、うつむいてしょげてしまった。
「すみません、時葉さんもたいへんですよね。スーパーバイザーっていうより、コーディネーターみたいになっちゃってるのに、ごめんなさい、変なことを言って。
幽霊は、我慢します。奥の個室には入らないようにします。無視します! 失礼しました!」

オレは視奈を呼び止めようとしたが、視奈は聞かずに、会議室を出て行ってしまった。
ひとり残されたオレは、会議室にぽつりと座りながら、振り向かず、うしろにいるやつにたずねる。
「あのさ、さっきの『赤ん坊』って、つまりは、羽柴さんの赤ん坊ってこと? 水子とか、そういう話し? 
そういう過去がある子に見えないんだけど」
「オレ様だって、詳しくはわかんないけど、でも赤ん坊がいたよ。二人。
いやー、カッチン、ほんとに仕事運が悪いよなー。オレ様、同情しちゃう」

うしろにいるやつが、オレに同情する。
正直なところ、ちっともうれしくない。


オレのうしろにいるのは、百太郎とか死神ではなくて、きつねである。
きつね、といっても、北海道の原野などに住んでいる狐とはちがう。オレの背後にいるやつは、きつねによく似た、きつねっぽい『なにか』だ。

便宜上、きつね、と呼んでいる。

白金色のふさふさの毛をしており、手足の先だけがほんのりと黒い。
顔はきつねそのものだが、目の色は青い。尻尾は三本あるが、これが増えたりして、九本になったらもしかしたら、那須あたりに閉じ込めないといけないかもしれない。
大きさはけっこうあって、つんと尖った鼻の先から尻尾の最後の毛まで、だいたい1メートル50センチほど。

きつねは、オレが物心ついたときからうしろにいて、特に何をするでもなく、オレの人生に茶々を入れている。
こいつが何者か、ということは、わからない。
わかるのは、オレの家がきつね憑きの家系だということと、どういうわけか、きつねは代々の長男に取り憑く、ということだ。
しかもきつねの説明によれば、代々、同じきつねが憑いている、というわけではないらしい。

きつねがどこから来て、ほんとうは何者なのか、それもわからないし、呆れたことに、本人にもわからないらしい。
こいつを取り外すことは不可能だ。

時葉の家の長男には、きつねは標準装備となっており、それが当たりまえ、という状況で落ち着いている。
とはいえ、時葉の家の人間と、ごくごく一部の人間以外には、このきつねは見えない。
声を聞くことも、気配を感じることすらもできないはずだ。
だからオレがきつねと会話をするときは、他人から見たら、オレが独り言をぶつぶつつぶやいているように見える。


「きつね、オレがこの職場に来て、どれくらになるっけ?」
「オレ様、おまえのマネージャーかよ。たしか二月からだろ。えーと、研修期間もふくめてそろそろ半年」
「半年のあいだで、何人辞めたっけ」
「忘れちゃったよ。そういや、気が付けば、おまえってば、この会議室で、毎日のようにスタッフの愚痴を聞いてるよな」
「スーパーバイザーの仕事の一環、っていったらそれまでだけどさ、羽柴さんじゃないけど、ここの職場、問題じゃないか?」

と、オレは、ガラス張りになっている会議室から、ずらりと仕切りがなく机のならぶコールセンターのほうを見る。

視奈は真面目なところを見せて、さっそく仕事を再開させている。
腰に赤ん坊? ほんとかな。
でも、きつねのやつ、嘘はつかないからな。
……いい子なんだけどなあ。

「今年のアタマにこのコールセンターが立ち上がって、スタッフがもう20人近く辞めてる。
これじゃあ、羽柴さんじゃなくったって、幽霊だのなんだのって、信じたくなるよな」
「ご家老に相談してみれば? ほら、カッチン。またトラブルが発生したみたいだぜ。見ろよ、血相かえて、ご家老がこっちに来るぞ」

オレがいま派遣されているコールセンターは、S市に本拠を置く、贈呈用の和菓子の通販の受託をするコールセンターだ。
かつてM県にあったという、ちいさな藩の藩主の子孫が、維新のあとに和菓子屋をはじめて、それが全国にまで名前が聞こえる企業になった。
名前を『菓匠 みちのく燦然』。
S市の土産といえば、だいたいが、この燦然の洋風まんじゅう『牡蠣の月』と決まっている。
牡蠣エキス配合の、からだによいまんじゅうである。

コールセンターは、みちのく燦然の自社ビルの中にあり、スタッフは全部で40名ほど。
朝シフトと夜シフトがあり、それぞれ9時から18時までと、12時から21時までに分かれている。
時給は1400円。
地方の派遣で、しかも受電中心の仕事のわりには、高い設定である。

みちのく燦然は、このセンターのために、独自に派遣業務セクションを設けていて、スーパーバイザー(要するに、スタッフのまとめ役である)をしているオレも、ここで働くスタッフも、全員がそこに登録している。
幽霊ビルだという噂が、S市の派遣スタッフのあいだで広まっているにもかかわらず、辞める人間がすくないのは、時給の高さがものを言っているのだと思う。


そのなかで、コールセンターを束ねるセンター長が、『ご家老』こと、高森主税(たかもりちから)だ。武士のような名前だが、ご先祖がほんとうに武士で、どころか、経営者の先祖の藩の、家老職をつとめていたという。
だから『ご家老』である。
まだまだ若く、三十にもなってない。
いかにも『デキル男』というふうな、眼鏡のシャープな印象の容姿をしている。
コールセンターのスタッフが、オレ以外ではすべて女性ということもあって、物腰もやわらかで、愛想はいいが、じつは、オレは苦手だったりする。


「ご家老ってさ、いっつもいいスーツ着てるよなー。あれってオーダーメードだぜ。おまえのコ○カと照かりがちがうよ」
「オレの今日のスーツは青○だ。このあいだ、一緒に買いにいっただろ」
彼女と選んだ、というわけではないのが、ちょっぴり悲しい。
オレは今年で二十四になるのだが、いまだに彼女がいないのだ。
きつねのせいである。

と、オレは、ご家老といっしょにこっちに来るスタッフを見て、思わずうめいた。
「げ、古賀村も一緒だ。こりゃ本当の面倒だな」

古賀村とは、古賀村五月。
三十六歳の主婦で、S市のコールセンターのほとんどで勤めた経験を持つというベテランだ。
と、説明すると、すごいなーと思いがちであるが。そうではない。
このコールセンターで退職者が多い原因のひとつが、古賀村にある。
どうも他者への配慮に欠ける女性で、発言権のつよそうな(要するにお局タイプの)他のスタッフのコバンザメになって、気に入らないほかのスタッフの悪口を言いふらし、いじめて追い出してしまうのである。
一週間前には、とうとう組んでいたお局をも追い出した、おそるべき女である。

ベテランというと聞こえはいいが、人の話を聞けない性格で、いっつも顧客を怒らせる。
で、謝罪のために時間を取られるので、なぜだか彼女の電話の受電回数は、ほかのスタッフとくらべると、異常に低い。
こんなふうで、ほかのコールセンターでやっていけたわけがない。
『S市のコールセンターのほとんどを勤めた』ということは、イコール、それだけのコールセンターでクビになった、ということなのである。
うちでも追い出すべきだとご家老に進言したのだが、ご家老は、さわやかな笑顔でこう言った。
「辞めさせることないだろう。古賀村さんって、あのバカなところが、見てて癒されるんだよね」
ご家老はなぜかオレを気に入って、何度も飲みに誘ってくるのだが、この言葉を聞いて以来、それには乗らないように注意している。
ご家老、マジで腹黒いぞ。
先祖はぜったい黄金色のまんじゅうを受け取っていたクチだ。


その問題なふたりが、タッグを組んでこっちに来る。
「きつね、おまえ、本当はノートとか隠し持ってないよな? Dのつく黒いやつ」
「は? ノート? コ○ヨでいい? オレ様、総務からもらってきてやるよ。でも黒ってあるかな」
「いや、いいんだ、ごめん。忘れて」
「カッチン、なにサボってんのさー」
と、馴れ馴れしくご家老がやってきた。
ニコニコ笑ってはいるものの、目がちっとも笑っていないところが、ご家老の特徴である。
こんなふうなのに、容姿がいいせいか、スタッフには隠れファンが多数いるとか。
みんな、見る目がなさすぎだぞ。


オレのうしろのきつねは、ご家老がやってくると、三本の尻尾をぶんぶんと犬のように振って、空中で、くるくると器用に回りながら、
「なになに? ご家老、もしかしてトラブル? オレ様、トラブルってだいすき!」
と、はしゃいでいる。
もちろん、ご家老には、きつねの姿は見えてない。

「あのさ、ちょっとマズイんだよねー、商工会議所の会長の奥さんから、注文の電話がさっきあったんだけどさ」
商工会議所の会長といえば、S市の経済界の大物の奥さん、ということである。
「どうも、コールセンターで注文を受けたらしいのに、発注がかかってないんだよ。で、品物が遅いからって、さっき電話が来てさ」
「たかが地方の金持ちのオバサンのくせに、ちょっと威張ってましたよね」
と、古賀村。
そういう君は、たかが地方の派遣社員だ。
「折衝記録は残ってないんですか?」
と、オレが聞く。

オペレーターと顧客のやりとりは、すべてパソコンの端末に記録することになっている。
あとで、言った、言わないを避けるためだ。
同じ理由で、サーバールームに、過去半年間のオペレーターの通話記録も、全部録音されている。
いざとなったときの揉め事を避けるためだ。

「残ってるんだけど、内容が微妙なんだよね。あの奥さん、前にもあったから知ってるだろうけど、世間話が長くてさ」
「注文するのに、ニ時間しゃべりますからね」
と、ご家老に合わせて古賀村がうなずく。
しかしオレは、それに同調してうなずくことはできない。
古賀村の悪いところは、もうひとつある。

コールセンターで受ける電話のなかには、たまに寂しい独居老人が暇つぶしに架けてくることがある。
目的は、話相手を得ることで、わざとなかなか注文をせずに、だらだらと世間話をして、何十分も回線をふさぐのだ。
たいがいのオペレーターは、上手にこれをかわして切り上げられるのだが、古賀村がこれを受けると最悪である。
「かわいそうだから」という理由で、何時間も話し相手になってしまうのだ。
で、注文は取れない。
これが一度や二度というのならいいが、しょっちゅうである。
注意して見ていると、古賀村は、どうも話を聞くばかりではなく、相手の話もわざわざ引き出しているところがある。
たしかに相手は喜ぶだろうが、「かわいそうだから」という理由をつける古賀村にも、どこか偽善のにおいがしなくもない。
なんてな、きつねなんかと一緒にいるから、オレもスレちゃったのかな。

「で、折衝記録には、『世間話のあと、燦然まんじゅう36個入りをふたつ注文すると言ったが、またカタログを見て架け直す、十日後に電話がなかったら、注文どおりに発注してくれと言って、一方的に切れる』とあってね」
「曖昧な話ですね。そうなると、奥さんから受電が来るかどうか、その最後のオペレーターが記録を取ってるかもしれませんね」
あんまりないケースだが、大物の奥さんとなると、柔軟な対応というやつが必要なのだ。
「最後のオペレーターは、だれですか」
「井田てまりさんです」
やっぱりトラブルだ、これは。
オレは思わずため息をついた。

井田てまり。
このコールセンターには、問題児が四人いる。
幽霊が見えるという、自称・霊感娘 羽柴視奈。
自己中心的すぎる、古賀村五月。
あとの二人が、津島瞳子と、井田てまりだ。
津島瞳子のことはあとにするとして、井田てまり、これは理解不能な問題児である。

「井田さんって、今日のシフトはなんだっけ?」
「休みですよ。スーパーバイザーが、シフトを調整するんじゃなかったんでしたっけ?」
古賀村が言う。
ああ、そうだったな。休みだった。

きつねは、「トラブルだ♪ トラブルだ♪」と、人の気も知らないで、空中でくるくると、ネズミ花火のように回って遊んでいる。
「個人情報となると、個人情報ロッカーに入れてあるはずだよね」

このコールセンターの場合、個人情報関係の書類は、スタッフが不在の場合、クリアファイルにまとめて、鍵つきの棚で保管することになっている。
井田てまりもそうしているはずだが、棚のなかのクリアファイルは、空だった。
ちなみに、このファイルがちゃんと保管されているかを確認して、退社するのがスーパーバーザーの仕事のひとつだ。

井田てまりは、昨日は出社していた。
たしか、彼女のクリアファイルを確認して、鍵をかけたはずなのに?
だれかが、まちがえてクリアファイルを持っていってしまったのか。

オレが首をひねっていると、古賀村が言った。
「あー、そういえば、井田さん、昨日、いったん退社したんですけど、また戻ってきたんですよ。
で、個人情報ロッカーに寄って、なんか、がさごそしてました」
「は? なにその、がさごそ、って。ロッカーの鍵は、オレか高森センター長しか扱えないはずだよ?」
「あの人、どんな鍵でも開けちゃう人じゃないですか」

そうなのだ。
井田てまり。別称・鍵師。

ともかく仕事以外では、ほとんど口を利かない陰気な女性で、あんまり声に元気がないので、これもまた、顧客からのクレームを受けやすいスタッフでもある。
しかし素直なところがあって、古賀村のように、人間関係を乱すことはない。
羽柴視奈と仲が良く、シフトが重なるときは、よく一緒にランチに出かけているようだ。

問題は、彼女の奇癖にある。
古賀村が言ったとおり、どういう技術を身につけているのか、井田てまりは、たいがいの鍵を、ヘアピンひとつで開けてしまうのである。
会社の、よくあるスチール製のロッカーや机の鍵などは、井田てまりの敵ではない。

なぜそんなことをするのか? 
個人情報の管理について、厳しい昨今、そういうことでは困る、と何度か注意したのだが、井田はなにひとつ、理由を言わずに、ただ、すみません、とだけ言った。
が、口だけで、反省はしてくれなかったらしい。

なにやらいやな予感をおぼえて、井田の机に向かったオレは、さすがに絶句した。
井田の机の引き出しという引き出しには、彼女が自分で取り付けたとおぼしき、数字錠とチェーンが、いくつもいくつも巻きつけてあった。
「なんだコレ…」
井田てまり、人の引き出しは、ほいほい開けるくせに、なんで自分の引き出しは、こんなに厳重にしているんだ。
フェアじゃないだろ。
思わずつぶやいたオレに、ご家老は、声を立てて笑った。
「いやあ、すごいねコレ。完璧な個人情報管理だね」
「何言ってるんですか、ほかのスタッフと同じようにしてもらわないと、困りますよ! というか、そうじゃない、なんというか、人としてどうかというレベルのような気がしますが」

言いながら、オレが引き出しに手をかけてガタガタと揺らしていると、うしろで、るんるんと楽しそうにしていたきつねが、ぴたりと動きをとめて、言った。

「やめとけ、カッチン。なんか、その引き出し、イヤな感じがする」

2へつづく
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