七夕フェスタ リクエスト企画 第十一弾 だだちゃ豆様からのリクエスト

貴人たちの情景

※このお話は「ずんだGAME」の番外編となります。

背中から腰にかけての筋がひどく痛む。
背中の痛みを抑えつつ、趙雲は冷蔵庫を開いた。
アストラルは、召喚先においては半透明の、五感から解放された姿をとる。
解放、といっても、すべてがなくなるわけではない。
生前と同様に五感は存在するが、生理現象に左右されなくくなる。霊力さえ十分であれば、食事は必要ないし、排泄も不要である。
そして、受肉しており、肉体的攻撃に弱いアトラ・ハシースを補助する役目を担うが、召喚される前の『基本世界』のコピーである、『下宿先』と呼ばれる世界に戻ると、受肉し、五感とともに生理現象も完全に戻ってくる。

『下宿先』。
天国、ヴァルハラ、須弥山と表現したほうがわかりよいかもしれない。
先人がイメージした、『特別な人間だけが行くことの許される楽園』である。

どういう肉体組成になっているのかは、本人もよくわからないのであるが、召喚先においては五感を意志の支配下に置くことが可能なため、どんな苦痛を受けようと、それこそ根性の問題で解決できてしまう。
ところが、『下宿先』に戻ってきた途端、反動か、肉体にひずみがくるときがある。
いまの背中の痛みは、まさにそれで、まったくもって、前回の召喚はきつかったと、趙雲はため息をつく。
痛みを紛らせるためにも、そして、はやく肉体を回復させるためにも、霊力を補給しようと冷蔵庫を探っているのであるが、まずもって、中にはケチャップやオイスターソースなどの調味料しか入っていなかった。
趙雲は、召還者たるアトラ・ハシースと、揉め事を起こさないことで有名で、さまざまなアトラ・ハシースに召喚されることの多い人気者であるから、『下宿先』の自宅の冷蔵庫に、保存の利かないものは置かないようにしていた。
貰いにいくか、と趙雲は外出する支度をする。
最高府によって、人口に見合った食料、ならびに衣服やそのほかもろもろの物は、『供給所』に常に補給されているた。
だから、買出しにいくのではなく、『貰いに行く』。
最高府の支給する食料には、霊力がふんだんに封じ込められており、アストラルの肉体回復の役に立つ。

『下宿先』において、アトラ・ハシースとアストラルの人口は常に変動し、住民は留守がちなため、社会制度はない。
自治会程度のものは存在するが、それとて、選ばれた人々である彼らのあいだに、『生前』の社会にてたびたび起こるような深刻な諍いは、めったに起こらない。
社会制度もなく、政府もない。
ひたすら、休養するための世界。
それが『下宿先』である。

趙雲の家は、彼が中国人であることを示すものがひとつもない、実に簡素な洋風の一軒家である。
あえて洋式にしている理由は、自国の建築様式だと、なかなか孤独を楽しむことができないことがひとつ、もうひとつは、なんだかんだと楽なのである。
『基本世界』においても、各国で洋式の生活が急速に浸透しているのは、結局、楽という一点に尽きるのでは、と趙雲は考えている。
したがって、身に纏うものも、ほとんど洋服である。
寝巻きだけは生前のものであるが、やはりこれも、動き回るに楽だからであり、『下宿先』において、犯罪に巻き込まれることもないから、武装することはほとんどない。
犯罪なんぞ起こすアストラル、あるいはアトラ・ハシースは、理由の如何を問わず、即『堕落』するものと決まっている。
趙雲が知る限り、犯罪という愚行に走った者は、千八百年の長きにわたり、数えるほどしかなかった。
したがって、空き巣の心配も無いので、家に鍵をかけることはない。
適当につっかけを選んで表に出ようとして、ふと思い出す。
そうだ、ついでに花も貰ってこよう。
振り返ると、『生前』とほぼ同じく、殺風景な部屋には、召喚される前に隣人に貰った薔薇が、すっかり枯れきって、花瓶の中で、しょんぼりうなだれていた。
花を生けることを好むアストラルは多い。
選ばれし者の世界であるヴァルハラ、アトラ・ハシースとアストラルの住まう、通称『下宿先』においても、永遠不滅なものはなく、死や汚濁はある、ということを、教えてくれるからだ。
だから、ほとんどのアストラルは、その居住区において、一戸建てを購入し、庭の世話を丹精にしている。
植物に触れていると、生命のはかなさ、もろさ、力強さを思い出させてくれるからだ。


たいがいの住人が、召喚中で留守か、ゆっくり休んでいる、という町である。
生活行動もわずかなため、空気はいつも澄み、町はいつも静かであった。
きれいに整備された石畳の歩道をあるくと、足音が響いてしまうのが、悪い気がするほどである。
趙雲は、アストラル居住区のなかでも、郊外に住んでいた。
アストラルになった者というのは、百人中百人が傑出した人物ばかりであるが、人類に貢献したことと、自宅の管理とは別であるらしく、そのたたずまいも百人百様である。
『下宿先』には、ちゃんと四季があり、悪天候も存在する。
自然は、この世界においても、手に負えない、神秘的なものでありつづけているので、自宅の手入れも、ほうっておくと、どんどん荒れていく。
世界中のありとあらゆる形式の建物が、一同に介している不思議な町を、趙雲はゆっくりと歩き、目を楽しませた。
たまに道で行き会う者がいるが、ほとんどの場合、人口の少ない町であるから、互いに名前も顔も、生前の功績も知っている。
ああ、こいつはこんな風貌をしていたのか、と書物で得た知識と照らし合わせて、驚くこともあれば、逆に、向こうに驚かれることもあった。

食糧を貰いに行くついでに、塔によっていくか、と趙雲は思った。
塔、とは『中央都市』の中心部に聳えるバベルの塔のことである。
アトラ・ハシースとアストラルの居住区は厳密に分けられており、選ばれし者のなかでも、さらに稀少なアトラ・ハシースの全員は、『中央都市』の中心にそびえる、頂上知らずのバベルの塔にて、一階層をまるごと与えられて、そこに下宿している。
バベルの塔は最高府によって掛けられた魔法によって、つねに工事が行われている奇妙な塔である。
塔は常に一定の形を定めてはおらず、ときに時計台となったり、明日の天気を電光にて伝えるシンボルとなったり、あるいは広告塔の勤めを果たしたり、さまざまだ。
ゴシック建築ふうになったこともあれば、巨大なカリフラワーが伸びたような形になったこともあるし、アントニオ・ガウディのサグラダ・ファミリアのような、奇怪な(しかしいちばんふさわしい姿にも思えたのだが)姿になったこともある。
頂上付近には、ぼんやりと、七色の光を帯びた霞がかかっており、天頂が見えないようになっている。

アトラ・ハシースが一人増えるごとに、塔は変幻し、さらに高さを増していく。稀少とはいえ、アトラ・ハシースの人数=階数とすると、高さと合わないところが不思議なのであるが、バベルの塔内部の時空が捻れている、という噂もあり、そのために、見た目の高さと、実際の階数が合わないのだろう。
とはいえ、その変容は唐突で、人夫たちによる工事が行われるのではなく、一晩で変わっているのである。
夜更けの窓越しに、きらきらと、月光を受けるビーズのように輝く塔の姿を見たのであるが、翌朝、ふたたび窓越しに眺めてみれば、砂漠に聳え立つ、優美で峻厳たる、石造りのミナレットに変貌していたこともある。

「内部になんら変化はないのだが」
と、アトラ・ハシースたる、孔明は言っていた。
『なぜ』と『どうして』を追求していくと、頭がおかしくなるので、程よいところで思考を止めなければ、バベルの塔には住めないのだと言う。
階層によってアトラ・ハシースの霊格の高さがわかり、一種のステータスともなる。
だが、このステータス争いが、『堕落』を呼び起こす傾向にある、ということで、最近は、アトラ・ハシース同士であっても、自分が何階層目に住んでいるかは教えないのが、暗黙のルールになりつつあるらしい。
孔明のひそかな自慢は、自分がかなり高い階層に住んでいる、ということだ。
「あなたの家の屋根が、小指の爪くらいの大きさでみえるよ」
というのが孔明の弁である。

バベルの塔を中心に、アストラル居住区が放射線状に広がっており、アトラ・ハシースより、アストラルのほうが人口は多いので、これは常に、外に向かって広がっていく。
孤独を好むアストラルは、『中央都市』以外の郊外にも多く住んでいる。
なにせ、人口に見合わず、土地は果てしなく広い。
山中に住もうが、森の中に住もうが、サバンナに住もうが、アストラルの自由である。
その点、バベルの塔以外に住むことを許されないアトラ・ハシースは、アストラルたちをうらやんでいる。
自分たちは、まるで最高府の虜囚のようだ、と冗談混じりに言うが、これはやはり、アトラ・ハシースの霊力が、ずばぬけて高すぎるための措置なのだ。

バベルの塔の入り口には、最高府が作ったゴーレムの門衛がおり、これはエレベータの階数を押す係を兼ねている。
全住人の顔をおぼえているので、ゴーレムはアトラ・ハシースが階数を告げるまでもなく、エレベータの釦を押す。
このエレベータ、待たされることもなく、すぐに自邸にたどり着ける瞬間移動式である。

趙雲がバベルの門の前に立つと、ゆっくりとした動きで、ゴーレムが見張り塔からのっそりと姿をあらわした。
ゴーレムは土からできた怪物だと、ユダヤの神話にあるが、最高府のつくったゴーレムは、水晶でつくりあげた特別製だ。
透き通った体に、双眸の変わりに、七色に輝く大きな液晶体が填められている。これで見たものを読み込み、空けた頭部に、地球儀のような形状をした、青みがかった銀色の水晶でできた、絶えず回転している頭脳に、データを蓄えているのだ。
このゴーレム、自治会の役員に決まったアトラ・ハシースたちと同じく、軍服とも修道服ともつかぬ、ハイカラー、ハイウエストの、きっちりと肌を隠した服を着ている。
アトラ・ハシースは自治会を運営しているが、役員になると、『下宿先』においては、制服であることを義務付けられる。
着こなしはそれぞれであるが、基本は膝丈のコートスーツにズボン、帽子である。
色は各自で選べるらしい。
洒落っ気のない者は、支給されたそれを、そのまま工夫もせずに着ているが、拘るものは、さまざまな改造を加え、ほとんど原型を留めないまでになっている。
それでお咎めがくるわけではなく、単に自治会役員がどこにるか、いつでもどこでもわかりやすいように、という最高府の取り決めなのだ。

十尺は優にあるであろう巨人は、趙雲がやってくると、脳の結晶体をくるくると回転させながら近づいてきた。
『ドチラサマ』
「ああそうか、来訪を事前に言っておくのを忘れていた。アストラルの趙子龍だが」
『アア、当山孔真君ノオトモダチ』
ゴーレムに、忘れる、ということはない。
趙雲の名と顔を照合し、過去の履歴を思い出しているらしく、またもくるくると頭脳が回った。
『昨日モ、オトモダチガ、キマシタヨ』
めずらしいな、と思いつつ、趙雲は、内線をかけようとしているゴーレムの背中に聞いた。
巨体ゆえか、タッチパネルを操作する動作は、非常に緩慢である。
「誰が来ていた?」
『個人情報デスノデ、オ教エデキマセン。アシカラズ』
そうだったな、とひとりごちつつ、趙雲は、内線にて、孔明に、来訪者を教えているゴーレムを、ゆっくり待っていた。
だれか来ているというのであれば、手土産に、なにか持ってくるべきだったかな、と考えながら。

バベルの塔に、訪問者が入るのはむずかしく、事前に、アトラ・ハシースに、中に入ってよいかの許可をもらわないと、ゴーレムによって門前払いである。
このゴーレムは、それなりに感情もそなえているので、無碍に追い返すことはせず、だれかが姿を見せれば、訪問先に、案内してよいかどうかを内線で聞いてくれる。
もし、だめ、といわれたら、そのまま引き下がって帰るしかない。
趙雲は、これほどアトラ・ハシースとアストラルの住み分けがはっきり為されているのは、バベルの塔の構成素材自体が、アトラ・ハシースの霊力の補給を補助するものだからなのではないか、と推理している。
『下宿先』においては、アストラルも受肉するために、『生前』同様に、食事をして霊力をためることができる。
食糧といっても、見た目は『生前』のものと代わりのない野菜であったり、肉であったり魚であったりするのだが、最高府の支給するものの中には、豊富な霊力が封じ込められている。
アトラ・ハシースは、受肉をしていようと、食事でのエネルギー供給をする必要が無く、自力で補給する霊力によって、身体を保つことが可能だ。
地上にさまざまにある霊力を引き寄せ、アトラ・ハシースに、スムースに集めるのを助けるため、この塔は、あるのではないだろうか。
つまり、だれが最初にはじめたかは知らないが、このアトラ・ハシースとアストラルのシステムは、まず、アトラ・ハシースありきだったのだ。
これにさまざまな改良を加えた結果、つまりオプション的存在がアストラルであったり、いま目の前にいるゴーレムであったりするのではないか。

『ゼヒ上ガッテクダサイ、トノコトデス。ゴ案内イタシマス』
ゴーレムは、どしん、どしんと足音を響かせて、バベルの塔の中央にあるエントランスへ趙雲を導いた。
エントランスは、十尺あるゴーレムが入ってもなお、天井に余裕がある巨大なホールとなっており、ところどころで、アトラ・ハシースが置かれたソファに座って、読書をしたり、歓談をしたりしている。
趙雲は、中に入った途端、全身の毛穴が開くような、つよい緊張を覚える。
おそらく、アトラ・ハシースの霊力が、内部に満ち満ちているのが感じ取れるからだろう。一人一人が、すさまじい力を持っているのだ。

趙雲はエレベータに案内され、ゴーレムが、ここだけは異常な速さでタッチパネルを操作した。
おそらく部屋番号を入力する際は、他者にその番号が漏れないように、ハチドリのように敏捷になるように改良されたのだ。
『ソレデハ、マタ帰リニ、オ声ヲカケテクダサイ』
わかった、と趙雲が答える途中で、もうすでに、目の前の景色は変わっていた。
孔明の部屋である。
「よいところへ」
趙雲がやってくるなり、孔明は寄ってきた。
孔明は、自治会役員の制服を、もっとも改造している一人である。
ハイウエストのコートの裾は、ドレスのようにゆるくドレープをきかせて、くるぶしまで伸ばしている。服の色は黒で、歩くたびにカツコツと靴音が高らかにするのは、足に革のブーツを履いているからだ。
そもそも、コートに、さらに二枚重ねにして、風になびけば羽根のようにも見える、飾りのちいさなマントを肩章の金具でくっつけている。
『生前』の姿を知っている者が見ると、あまりの変わりのように唖然とするのであるが、見慣れてくると、これが孔明だな、と、ほかに無いように思えてくるのが不思議な姿であった。
そして、孔明の髪は、直毛ではなく、すこし癖がある。
ゆるくウェーブがかったぬばたまの髪を、肩先まで垂らしているのであるが、遠目から見れば、ドレスのように見える服装とあいまって、アトラ・ハシースとなった孔明は、ますます男女の境目がぼやけた存在になっていた。

禁欲的な印象の強い孔明の姿と、あまりに軽装すぎる己のすがた…そのとき、趙雲は適当にひっかけてきたシャツとズボン、髪は下ろしている、という地味な姿であった…が不釣合いなので、もうすこし気を使って来ればよかったかな、と趙雲は思った。
が、これはいつものことで、その場になると、いつもしまった、と思うのに、実際に着替える段になると、忘れてしまうのである。

長い睫毛をしきりに瞬かせ、孔明は、奥のほうを合図する。
見れば、壁も仕切りもない、ひたすらだだっぴろいリビングに、中央につくねんとソファがあり、そこに、人影がひとつ。
その向こう側には、中央都市を一望できる、大パノラマが広がっているのだが、男の感心は、壮観な眺めではなく、己の内側にあるらしい。
ちょうど覗き込んだ趙雲を背中にして、肩を落としてうなだれている。
「供給所に行く途中で、帰ってきたと挨拶するつもりで寄ったのだが、だれだ?」
趙雲が尋ねると、孔明は、うんざりしたように、髪をかきあげつつ、答えた。
「馬超だよ。前の召喚で、嫌なことがあったらしい」
そういう孔明の双眸の下にも、黒ずんだ隈が出来ていた。
思わず手を伸ばして、その荒れた目下の皮膚に触れると、孔明は、顔をしかめて、わずかに身じろぎをする。
「いつ帰ってきた」
趙雲が尋ねると、孔明は、一瞬、なにやらためらいを見せたが、ちらりと趙雲を観察し、それから、つんと顎を逸らすようにして、答えた。
「任務ではない。アトラ・ハシースの自治会議だ。今年は役員が回ってきたから、出席せねばならなかったのだよ。まあ、ただそこに座っていれば良いだけの会議であったが」
「嘘をつくな、嘘を。霊力を使う会議というのは、どんな会議だ? 霊力の補充も十分でない状態ならば、来客は断り、眠っていろ」
「アトラ・ハシースには、自然回復能力がある。大事無い。それに、馬超が死にそうな顔をして表に立ってます、とイーさんが言うからな、放置してはおけぬ。昨日から、ああして愚痴三昧なのだが、止めようがない」
「イーさん?」
「外のゴーレムだよ。いつまでも名なしじゃ可哀相なので、一号、ということで「一(いー)さん」にしようと、決定した。ただし、ほかの議員が「1(アインス)さん」のほうが、据わりがいい、というのでごねて、決戦投票が何回も行われたんだ。おかげで三日三晩徹夜だ。食事なし。各自おのれを保つのは自然回復能力に頼るしかない。そういうわけで、霊力を消費した」
「会議というより、我慢比べだな。ともかく、馬超の愚痴は俺が聞いておくから、そのあいだに寝ていろ」
「その台詞、そのままそっくり返すぞ。そちらこそ、いまさっき帰ってきたような顔色ではないか」
まるで自分が触れられたことのお返しのように、孔明は趙雲の頬に手を触れる。触れるついでに、軽く抓ってきた。
どうやらご機嫌斜めの様子である。
「体が冷たいな。どこか痛むところがあるのではないか」
「召喚先で、野良作業を手伝ったから、腰が痛い」
「野良作業? なんでまた」
「なにかの事故で、その世界にあってはならない植物が繁殖して、生態系を破壊しかけていたのだ。おそらく、前回にその世界で任務をこなしたアトラ・ハシース、あるいはアストラルの誰かにくっついていた植物の種子だと思うのだが、このままではいけないというので、呼び出せるアストラルは全部呼び出されて、総出で草刈だ。繁殖力がつよい種類だったから、刈り出すのに苦労した」
趙雲の顔をじっと、わずかに怒りの含んだ表情で見つめていた孔明は、それを聞いて、ふっと力を抜いた。
「そういうことならば、仕方あるまい」
「なにがだ」
「いや…あなたがしばらく留守にしていたは、なぜだろうと思っていた。そういうことならば、許す」

趙雲は孔明の専属、というわけではない。
召喚されたら、よほどでない限り、だれのところにでも行く。
それが判っていながらも、孔明は、趙雲がしばらく留守だったので、すねていたようだ。
難しいヤツだな、誰のためだと思っている、と趙雲は胸のうちでつぶやく。
孔明もまた、召喚されることの多いアトラ・ハシースで、年々、霊格が高くなっていく。そのため、与えられる任務も難しい物が多い。
となると、孔明に付いていくには、自分も霊格を上げなければならない。そのために、趙雲はせっせと任務を受けているのだ。

目の下に隈をつくりながらも、ようやくわずかに笑みを見せた孔明にほっとして、趙雲は馬超の元へと行った。
「おい」
趙雲が声をかけると、馬超は、顔をあげて、おお、と言った。
「久しいな、翊軍将軍。あいかわらず貧乏くさい格好だが」
こいつが、どうしてアストラルになれたのかな、と思いつつ、趙雲は向かいのソファに腰かけた。
「あんたが、ここに来る、というのは珍しいな。どうした」
「どうしたもこうしたも…丞相はどこへ」
「丞相は」
寝ている、と答えようとしたところへ、孔明が茶を淹れて持ってきた。
「丞相、その制服、いいな。おそらく、わたしのほうがよく似合う」
「そうかい。あなたがアトラ・ハシースになったら、いつでも譲るが」
「嫌味を言うな、嫌味を。翊軍将軍は忍耐強い。よくこんなヤツと付き合っていられるな」
「そういうおまえは、なんだってここにきた。主公のところに行けばよかろうに」
「例の三人はいつも不在だ。そこで、ほかに誰かおらぬかなと思ったのだが、姜維めも留守だし、ほかのものは居留守を使っているのか、出てこない。で、ダメでもともとでここにきたら、丞相がいたので、ちょうどよい、と」
孔明は、淹れたてのお茶を味わいつつ、柳眉をしかめる。
「わたしは、いちばん最後か。で、まだ愚痴があるのか」
「愚痴ではない。これは真剣な話なのだ。どうしてアストラルには、アトラ・ハシースとヴァルキューレに従わねばならぬ、という規則があるのだろう? わたしは束縛されるのは嫌なのだ」
「そうは言ってもな」
「霊力の補充が問題なのであれば、思うに、あらかじめ、アストラルには石に籠めた霊力を、見合う分だけ渡しておいて、あとは自由にする、というのはどうだろう。そのほうが、アストラルも自由に動けるし、アトラ・ハシースも楽ではないか。
それに、危機に際しては、アストラルは常に危険な目に遭わされ、霊力の補給を絶たれて放置されてしまうこともたびたびだ。霊力の塊を多目に渡しておけば、こんな問題は起こらないはずだ。なぜにそうしないのか、どこかに訴えたいのであるが、おまえたち、方法はしらぬか」

今更詮の無いことを、とあきれつつ、趙雲は、馬超のえんえんとつづく訴えを、聞くとはなしに聞いていた。
馬超は、どうしても誰かに話を聞いて欲しいようだ。
孤高を気取っているが、寂しがりや。
それが馬超という男であり、愛嬌でもあるのだが。
孔明はといえば、いつしか、趙雲のとなりで、うつらうつらと舟を漕いでいる。
客の前で、こんな姿を滅多に見せないのが孔明である。やはり相当疲れているのだろう。
孔明が眠そうにしているのを見たら、背中の痛みもあいまって、趙雲も疲れて眠たくなってきた。
この若大将、声が良いので、聞いていると、ほどよい音楽を聴いているようになり、なんだか眠気に誘われるのだ…………………

「と、いうわけだ」
不意に、馬超の声が大きく響いたように感じられた。
いま、俺は眠っていなかったか? 
趙雲は頭を振って、まだ襲ってくる眠気を振り払った。
馬超がなにを話していたのか、頭になにひとつ残っていない。
孔明はというと、やはり似たようなものらしく、ぼんやりした顔をしていた。
馬超は、一気に、出されたお茶を飲み干した。
かなり喋っていた様子である。
窓の外のパノラマを見れば、日が暮れかけているではないか。
何時間経ったのだろう。

馬超の言いたいことは、趙雲もよくわかる。
それこそ、その内容は、アストラルがここ千年以上もずっと訴え続けてきたことだからである。
最近になってだいぶ改善されたのだが、アストラルを使い捨てのように扱うアトラ・ハシースも多いことは確かなのだ。
終りかな、とほっとした趙雲であるが、お茶を飲み干した馬超は、こういった。
「で、いまのはまだ、わたしの言わんとするところの、半分にも過ぎぬ。これからが山場なのだが」

冗談だろう。
『供給所』の閉店時間は八時なのである。
食糧を確保できなければ、孔明から霊力を分けてもらう、という方法があるが、目の下に隈を作っているようなアトラ・ハシースに、そんな不憫な真似はできない。
事情を説明して中座するか? 
しかし、そうなると孔明ひとりが残されてしまい、三日徹夜の会議に加えて、二日も馬超の愚痴、ということになる。
なんとかせねば、と頭をひねっていると、孔明が言った。
「馬将軍、実は、わたしも子龍も、それぞれ、帰宅したばかりだったのだよ。つまり、霊力が大いに不足した状態なのだ」
馬超は気づかなかった様子で(もともと、場の空気を読むことと、人間観察力においては、疎い男である)そうか、と目を開いた。
「ならば、遠慮なしに、なにかここで食すといい」
「わたしも子龍も、買い置きの習慣がないのでね、なにも食べるものがないのだ。知っているだろうか。こういう場合に、どうするか」
「? ほかのアトラ・ハシースのところに行くか、食糧を買えばよかろう」
「もっと手っ取り早い方法があるのだ。とはいえ、これはあまり表に出してはならぬ話なので、ひみつを守っていただきたいのだが」
なんだ? と好奇心と戸惑いの半ばする表情で尋ねてくる馬超に、孔明はそっと近づくと、ぼそぼそと耳打ちをする。

すると、馬超の顔は、赤くなったり蒼くなったりし、しまいには、勢いよく立ち上がった。

「すまぬ。邪魔をした」
「おや、ゆっくりしていけばよいものを。どんなふうか、知りたくはないのか。ここで実践してさしあげてもかまわぬが」
「いやいやいやいや! 結構だ。いいや、本当に、いらぬ。見たくない。ふむ」
と、馬超は、なぜか気味の悪いものを見るような目を趙雲に向け、そして孔明を見た。
「しかし、なぜだか納得している自分がいる」
それを聞くと、孔明はうんうんと頷きつつ、
「人には、それぞれ、いろいろな事情があるものだ」
と流した。
馬超は、最後にまた、唖然としている趙雲をきつく見て、それから逃げるように去って行った。

なぜだかひどく、嫌な予感がする。
趙雲は、やれやれと息をついている孔明に尋ねた。
「おい」
「なんだね」
「俺も、それ以外の方法とやらは知らぬ」
「馬超に嘘はついておらぬぞ。実際に、緊急時はそうするのだそうだ。ま、そこまで切羽詰った状況になったことは、わたしたちにはないが」
「方法って? 馬超になにを教えた」
「知らないなら、あえて聞かぬほうが良い。供給所に行くのだろう。早く行かねば閉まってしまうぞ」
「供給所には行かぬ。その方法とやらで、解決しようではないか」
すると、孔明は毛束を掴んで、筆のように自分の頬をなぜる、という一人遊びをしていたのだが、ぴたりと手を止め、まじまじと趙雲を見て、言った。
「本気か」
「出来ぬのか」
挑発したつもりであったが、孔明は、それを見破ったらしく、にやりと不敵な笑みを浮かべ、言う。
「わたしは別に構わぬが、子龍、あえて道を踏み外す、その根拠はなんだね」
「道を踏み外す?」
「まあ、気味が悪いと言う者もいるが、おおむねは、これに溺れるという。アトラ・ハシースには、わざとこの方法をとってアストラルに霊力を与える者もいるそうな」
「気味が悪い? 溺れる?」
「ふむ、一度試してみるか」
ずい、と孔明が一歩寄ってきたとき、まさに嫌な予感に弾かれるようにして、趙雲も思わず立ち上がった。
「いや、やめておく! 今日は供給所へ行く」
「おや、そうか。つまらぬな」
「おまえは眠れ。俺は食糧を貰いに行く。それでいつもどおりだ。もう一つの方法があるなどと、俺はなにも聞かなかったし、知りたくもない」
「子龍、さっきのは冗談だ。しかし、最悪の場合は、その方法なのだよ。そうならないようにしなければな」
「代名詞ばかりで忠告されても、意味がさっぱりだ」
「嘘をつくな。判っているくせに。馬超にあったら、さっきのは本当だが、わたしたちはその方法を取っていないと、説明してやってくれ。噂になる前に」
「噂? おい、本当になにを教えた! 馬超が帰ったのは、いまさっきだったな? 俺はヤツを追う。ではな」
本当は、覚えていろ、と言いたいところであるが、孔明が、あまりに喜んで、からからと笑っているものだから、趙雲はひと睨みするだけでやめておいた。

そうして馬超を追うべく、孔明の元から飛び出した趙雲であるが、タイミングの悪いことに、直後に馬超は召還されてしまい、後を追うことができなかった。
しばらく趙雲は、最悪の場合の霊力の供給方法とは、まさかあれか、いや、これか、と悶々と考えることとなる。
孔明は、いまもってその方法を、趙雲に教えていない。


※あとがき※
さて、「方法」とは…? みなさまの想像力にお任せいたします(←オイ)。
だだちゃ豆様から頂きました、「ずんだGAME」番外編。「下宿先」の情景でした。『基本世界』=わたしたちの世界のコピーとは言っても、住む人間がちがうので、そこにある光景はまったくちがうものです。相も変わらず説明文だらけですが、前よりはすこし読み易く…なっていませんか?(オソルオソル)。だだちゃ豆さま、リクエストありがとうございました&ご読了ありがとうございました!

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