七夕フェスタ リクエスト企画 第五弾 結城さまからのリクエスト
寒蝉の恋
リニューアル版 二十一回目
「もっと木材をもってきて! そっちにもう一人! 掛け声と一緒に引き上げて! 奥方を引き出す準備はよいだろうね?」
問うと、泣きじゃくりながらも、懸命に糜夫人の手を取ってはげましている侍女と、そのお付きの武官はうなずいた。
かつて紅霞と呼ばれていた女は、ふたりにこくりとうなずくと、横倒しになった馬車の下敷きになった糜夫人をたすけるため、隙間に木材を差し入れて、馬車を動かそうと準備をととのえた男たちに、合図する。
「よし、いまだ! 力を入れて!」
男たちがそれに応じて力をぐっと籠めると、馬車と瓦礫のあいだにわずかな隙間が生まれた。
侍女と、武官たちが、その隙に糜夫人を引き上げる。
が、下敷きになった馬車から救い出された夫人の姿に、その場の者も紅霞も、息を呑んだ。
いかなる力がはたらいたものか、糜夫人に倒れ掛かった馬車は、容赦なくその下半身を、彼女が逃れようとした姿勢のまま、潰してしまっていた。
見えない巨大な力で持って、糜夫人の体は、左右に絞られてしまったようになっている。
『助からない』
あまりの惨状に、紅霞はことばをなくした。
しかも悪いことに……残念だが悪いことに……糜夫人の意識は、はっきりとあるのである。
下半身の神経が完全に切断されてしまっており、痛みを感じなくなっているようである。
それが幸いといえば幸いであったが、周囲に気遣って笑顔を作ろうとするさまが、また痛々しい。
泣きじゃくる若い侍女の声だけが、周囲にひびく。
あまりのことに、口を開くことができるものは、だれもいなかった。
襲撃は突然であった。
樊城は頼りにならないことは、もうわかっていたし、ほかの都市も、樊城に同調し、あてにならないこともわかっていた。
だから一行は、迷うことなく、一路、江夏をめざしたのである。
江夏は、もともと劉琦を推す勢力の拠点であった。
あらかじめ、有事にそなえて、伊籍を中心とした側近たちが、物資と人馬、そして船を、劉琮や蔡瑁たちに気づかれないように、ひそかにあつめていたのである。
伊籍が想定していた『有事』というのは、お家騒動が過熱し、内紛となった場合のことである。
樊城が危地になった場合、そこから脱出し、支持者の多い江夏で、劉琦をかくまう拠点にするという構想であったのだ。
しかし、実際には、皮肉なことに、伊籍の備えは、劉備勢力にとっての希望となった。
もともと、劉備は劉琦の後見として、後継争いのなかでも、一貫して劉琦をかばってきた。
劉琦の側近たちはこのことに恩義を感じており、江夏にて共同し陣を立て直して、劉備たちとともに曹操を迎撃することになっていた。
曹操は荊州の要たる樊城を抑えるために、足を止めざるを得なくなるなずだ。
その隙に、一気に江夏に逃げ込む。
荊州は広い。
いかな曹操とて、揚州にちかい江夏にまで、一気にくだってくることはできない。あまりに深入りしすぎると、樊城の中心が手薄となり、そこを狙って荊州の豪族たちが反攻に出て、曹操を後方より襲ってくる可能性があるからだ。
そこを見切っての、江夏への全面撤退なのである。
この撤退の全権をまかされた関羽は、部隊をふたつに分けた。
このところ体の具合がわるく、安車から出ることがむずかしい甘夫人には、劉封を中心とした部隊をつけ、甘夫人の生んだ阿斗は、甘夫人が面倒を見ることができない状態だという理由から、糜夫人がみることになり、それには糜竺たちをつけた。
そうして一行は、ひたすら江夏を目指したのである。
ところが、行程を半分もすぎたところで、突如として、子どもばかりの部隊におそわれた。
関羽の弱いところで、相手が、まだいとけない顔をした子どもばかりであったということが、いけなかった。
攻撃をためらっているうちに、乱戦となり、混乱のなかで、糜竺とその部隊だけが、本隊からはぐれてしまったのだった。
糜竺、そして、劉備の嫡子と第二夫人の行方不明である。
関羽は部隊をなんとか退け、体勢を整えることはできたけれど、かれらを探し出すことはできなかった。
いや、むしろ、さがそうとはしなかった。あきらめた。
というのも、かれらをさがすことで、本隊の足が止まってしまうからである。
関羽には、どうしても、曹操に捕虜にされたときの、屈辱と恐怖が、毒のように身に沁みており、これが抜けないでいた。
またおなじ轍を踏むわけにはいかない。
冷酷かもしれないが、ここは決断が必要であった。
劉封の、取り残された糜竺たちは、後発の部隊と合流できるかもしれないという進言もあり、関羽は、糜夫人たちの探索をあきらめ、江夏に向かうこととなった。
もちろん、劉封の発言の裏には、自分の立場を有利にしようという思惑があろうことは、とっくの昔にお見通しである。
お見通しではあるが、従わざるをえなかった。
関羽の部将のなかには、冷たすぎると涙ながらに抗議する者も複数いたが、関羽は歯をくいしばり、その言葉を無視した。
曹操の実力を、そして恐ろしさを、劉備軍のなかでもっとも知っているのが関羽である。
だからこそ、ひたすら江夏に進むしかないと、判断したのであった。
「かあさま、だれもいません」
意気込んで、少年のような身なりをした少女は、あたりをまるで獣のように飛びまわって、周囲を探ってきたあとに、息をきらせながらも、力強く報告した。
『銀兎』。夏侯蘭の再襲撃をおそれた陳到の配慮により、公的な場では、そう名乗るように気をつけていた紅霞は、幼いながらも、だれに似たのか、聡明で観察力にすぐれた娘の眼力を信じていた。
あの、突如として襲ってきた子どもの部隊。いやでも七年前を思い出させる、あの子どもばかりの部隊は、自分たちをあきらめたのだ。
なぜ襲ってきたのか。
ちらりと、糜夫人と、あまりのことにことばを失い、ぼう然として、ここ数日で、一気に八十の老人のように老け込んでしまったように見える、阿斗を抱きかかえた糜竺を見て、想像をしてみる。
わたしが敵であったなら、なにを考える。
あの者たちは、どこから来たのか?
順当に考えれば、曹操の手の者だろう。
いまさら、この混乱に乗じて、夏侯蘭たちが、銀兎を襲いにやってきたとは思われない。
とすれば、曹操の思惑は単純だ。
夫人と嫡子を人質にとって、降伏を迫るためである。
とはいえ、劉備は、妻子と義弟を一度は見捨てたという『前科』がある。
曹操が、そういう劉備に対し、人質をとる、という手段をまたもとるだろうか。
そこが疑問である。
もうひとつの可能性としては、曹操は関羽に執心だったというから、そのために襲ってきたのかもしれない。
関羽を虜にするために。
しかし逃げられてしまったので、あきらめたのだとしたら。
だとしたら、こちらに用はないはずだ。
しばらくでも、時間が稼げるといい。
けんめいに自分を奮い立たせつつ、紅霞は、自分を気遣わしげに見あげる、気丈な娘の頭を撫でた。
「だいじょうぶですよ。わたしたちは、きっと助かります。お父さまが、きっと助けにきてくださいますからね」
とはいえ、その根拠は、なにもない。
はぐれた部隊のありさまは、惨憺たるものであった。
まず、兵がほとんどいなくなってしまった。
もともと、輜重隊に毛が生えた程度のものであり、戦闘員の数が少なかった。
それが、この混乱によって、四散してしまい、残されたのは、非戦闘員たる、糜家の者や部将の家族たちだけなのである。
戦闘員として見てよいのは、糜竺と、その養子からなる、近衛くらいのものであった。
危険を押してまで、周囲を駆けまわって、みなのために敵影をさぐってきた、紅霞と陳到のあいだに生まれた、この気丈な娘は、かなしいまでに聡いところをみせて、敵もいないが、それと同時に、味方がやってくる気配もないことに気づいているようだった。
気づいていながら、母を心配させまいと、泣きごとひとつ言わない。
自分の娘とは思われないほどに、よく育ってくれたと思う。
こんなときであるからこそ、紅霞は、娘をなによりいとしく思った。
娘の銀はというと、両手で、可愛がっている雀のはいった駕篭をだきしめるようにして、恐怖に負けまいと、ぐっと唇をかみしめて、泣くのをけんめいにこらえて、
「はい。父さまをお待ちします」
とうなずいた。
まだ七つの娘に、こんな思いをさせてしまう自分の不甲斐なさに、紅霞は暗い気持ちにとらわれる。
この子を授かったときに、まっ先に思ったのは、決して、自分のような目に、この娘をあわせまいということであった。
銀につづいて、すぐにまた娘に恵まれた。
それまでの人生こそが悪夢だったかのような、しあわせで、平穏な七年間であった。
二人の子宝に恵まれて、毎日、何が起こるということでもなく、夫となった叔至とともに、平凡な日々をくりかえしていた。
七年のあいだに、まったくなにもなかったといったら嘘になるが、いまの、この状況から比較すれば、取るに足らない、むしろ、笑い話にできてしまうものばかりであった。
泣くのをこらえて、笑顔さえ浮かべようとしている銀は、声を震わせながら、紅霞にたずねてきた。
「母さま、父さまは、きっと助けにきてくださるのよね」
「ええ、いつでもそうでしたよ。母さまが、むかし狼の群れに食べられそうになったときも、父さまは迎えにきてくださいました。いまだってきっと、迎えにきてくださいますよ」
しかし、銀は、いま追ってきているのは、狼の群れなどではなく、それ以上におそろしい、曹操の軍勢だということに気づいている。
「きっと、間に合うといいな。関羽さまたちは、どこへ行ってしまったの」
関羽たち本隊は、先に江夏に進んでしまったのだ。
いや、武人としては、正しい判断だろう。
ここで糜竺の部隊をたすけるために戻ってきて、やってきた曹操の軍勢と鉢合わせにでもなったら、もうおしまいだ。
本隊はなんとしても生き残り、一刻も早く江夏にたどり着かねばならない。
江夏にさえ行けば、劉琦と伊籍が待っている。
これは信頼できる味方であるから、関羽が来た時点で、第三陣として新野を出発するであろう、孔明と劉備を迎えるための、船を出してくれる手筈となっている。
そうすれば、城と領土をまるまる失うことにはなるが、人は生き残ることができる。
わたしたちも、その犠牲のひとつになるかもしれない。
しかしそれは、武将の妻として、そして、かつては袁譚のもと、細作の長としてはたらいていた紅霞であるから、恨みに思うことなく、事実として、理性的に状況を受け止めていた。
とはいえ、あきらめてはならぬと、自分に言いきかせる。
せめて、この娘だけでも、助けてやらなければ。
そのためには、これから、どうすればよいであろうか。
糜竺と侍女たちは、すでに虫の息となっている糜夫人を前に、どうすることもできず、混乱のきわみにあるばかりだ。
指揮者をうしなってしまっているからこその、いまの混乱があるのも事実である。
だが、それは責められまい。糜竺は、妹想いの男であった。
糜竺と、その部隊は、弓に長けた者たちがあつめられていたが、中心となる糜竺がそのようなありさまのため、動くに動けない状態である。
このままでは、いずれは曹操に追いつかれ、みな、死ぬ。
徐州でも名高い人望家である糜竺とその一族は助かるかもしれないが、ほかの者はどうだろう。
期待はできまいな、と紅霞は考えた。
「母さま、正直に言って。もしかしたら、あたしたち、助からないのかもしれないのでしょう?」
娘のことばに、紅霞はぎくりとした。
そうして、すぐさま、否定する。
「いいえ、母は、かならずおまえを助けてあげます。お父さまも同じですよ。だから、そんなに怯えることはないのです」
「でも」
反駁しかけて、目に涙の珠をとどめた娘は、ことばを切ると、抱えていた鳥籠の扉をひらいた。
「なにをするの、銀」
「欣欣だけでも助けてあげるの。欣欣だったら、空を飛べるから、曹操に捕まらないでしょう?」
娘のことばに、紅霞は返す言葉がない。
何代目かの欣欣は、不意に鳥籠の扉が開かれたので、怪訝そうに首をひねっていたが、やがて、なにも邪魔をされるものがないと気づくと、ぱっと扉から、上空へと羽ばたいていってしまった。
またたくまに、雀のちいさな姿は、青い空に吸い込まれていくように、小さな点になって高く飛んでいってしまった。
「銀に翼があったらいいのに。そうしたら、母さまと一緒に、空を飛んで逃げられるのに」
銀は、蒼い空に高く飛んでいく欣欣の姿を見て、かなしそうにつぶやいた。
紅霞としては、娘をだまって抱きしめてやるしかできなかった。
陳到の武術の腕が趙雲に勝るとも劣らない、ということは知っていたが、それは馬術のうえでも、おなじであったようだ。
孔明は、やはり傷が響くのか、遅れ気味になっている趙雲を気にしつつ、まさに矢のごとく大地をゆく陳到の背中を必死に追いかける。
たまに振り返れば、あきらかに怪我にひびいているらしく、趙雲が、馬上で顔をしかめているのが目に入る。
とはいえ、足を止めるわけにはいかない。
いつであったか、孔明は、それまでほとんど顔をあわせたことのない糜夫人より、豪華な帯飾りを贈られていた。
それは、いまも腰に下げられている。
翡翠の見事なつくりのそれが、どうして自分が贈られたのか、戸惑い、丁重に返品しようとしたところ、甘夫人にとめられた。
そして、甘夫人より、贈り物の理由を聞いた。
かつて、糜夫人も見もごったことがあったという。
しかし、運悪く、そのときに呂布の捕虜となってしまい、心労のために流産してしまったというのだ。
年齢に多少のずれはあるものの、糜夫人は、同じ徐州の出身で、立派に成人している孔明を見て、自分の子が無事であったなら、こんなふうであったかもしれないと、自分の心残りを孔明に重ねていると言った。
それから、御礼の文を届けたきり、結局、間近で顔をあわせたり、言葉をかわしたりする機会にめぐまれなかった。
孔明は舌打ちした。
自分はどこまでも甘い。
この乱世において、別れが突然におとずれるのは、常のことであるのだ。
いやな予感がした。とてつもなくいやな予感である。
自分の、こうした予感は、よくあたる。
あたってほしくないと思うものほど、ぴったりと当たるのだ。
「おい、軍師さんよ」
と、青竜と名乗った、傭兵の頭が、孔明の馬の横に轡をならべて、器用に馬上から怒鳴ってきた。
「あんたの主騎の、趙子龍。怪我をしているんだろう。こんな強行軍に同行させたら、怪我をもっとひどくさせているようなもんだぜ。置いていったほうがいい!」
孔明も、薄々とそれは感じていた。
趙雲は、怪我を負っているうえに、昨夜もほとんど眠っていないのだ。
眠っていないのは、孔明も同じであったが、孔明の場合は、気分が高揚して眠れないのである。
「子龍」
あなたは戻れ、と言おうとしたとたん、勘のよい趙雲は、言った。
「俺にはかまうな! ともかく急げ!」
「かまうなといわれて、ああそうですかと納得できる顔色ではないぞ!」
「いいから急げ! こうしているあいだにも、曹操が着々と南下していることを忘れるな!」
「忘れるものか! だからこそ、心配しているのだ。いいか、ここが決戦の場ではないのだぞ! 曹操をやりすごし、江夏で地盤を再度、固めなおして、これに対抗する。
まだまだ戦いは始まってすらいないというのに、ここであなたが倒れては意味がない!」
「だからといって、主騎である俺が、おまえに同行しなくてどうする!」
「変なところで律儀になるな! 主騎であろうと思うなら、ここで待っていろ!」
「大丈夫だと言っているだろう!」
怒鳴りあっていると、そのとなりで、青竜が、呆れたように口をはさんできた。
「説得は無理みたいだな。余計なことを言ったよ、悪かった。しかし江夏には、それほどの兵や物資があるのか」
問われて、趙雲とのやりとりで頭に血をのぼらせていた孔明は、すぐさま冷静さを取り戻し、目だけを動かして青竜を見た。
「なぜ、そのようなことを気にする」
「とりあえず、雇われたからには、多少なりとも勝機のあるほうがいいからな。俺だって、部下の命を預かっている人間なのだぜ」
「貴殿の言うことはもっともだ。物資は十分だ。一年はもつであろう。ただし、主公が連れている民の分を除いて、であるがな」
「計算が、狂いまくったというわけか」
孔明がぎろりとここで睨みつけてきたので、青竜は、器用に、すまない、というふうに手をあげた。
「俺はどうも、正直すぎていけないな。あんたを馬鹿にしたつもりはない。もしも、俺があんたの立場に置かれていたら、やはりどうしようもなかっただろうよ。
いま、この国は一気に崩れようとしているのだ。そうして、崩れていたものは、真実をも白日のもとにさらしている。
だが闇に棲みなれたその連中は、白光を嫌って、また闇に逃げ込もうとしている。
ところが、あんたはそれを許さずに、容赦なく光を当てようと追いかける。
そのために、闇は、あんたに向かって牙を剥いているのだろう。
俺としては、なんだってあんたが、そうまでして闇を追及したがるのか、いまひとつぴんとこないのだがね」
「なんだと? 貴殿、なにを知っている?」
孔明がおどろき、青竜を追及しようとすると、先頭を走っていた陳到が、悲鳴にも似た声をあげて、上空を指さし、馬の足を止めた。
地上の修羅も知らぬ顔で、天はいつもと変わらぬ、蒼冷めた顔を見せている。
そうしてそのなかを、ちいさなちいさな鳥が、鳶のように、くるくると円を描いて飛んでいるのであった。
「欣欣でございます! 女房と娘が飼っております、雀でございます!」
「こんな遠目で、なぜわかるのだい」
青龍の冷静な指摘にも、陳到は動ぜずに、まなじりを強くして、振りかえった。
「それがしが、欣欣を見まちがえるはずがございませぬ! 趙将軍、あれは欣欣でございましょう?」
「すまぬ、叔至。俺にもよくわからぬ」
「いえ! 欣欣でございます。きっとあの律儀な雀は、わたくしに妻と子の居場所を教えようとしているにちがいありませぬ! あの空の下へ向かいましょう!」
「おいおい、まちがいないのだろうな。うっかり早々の斥候隊と鉢合わせなんてことになったら、あんたを恨むぜ。俺は、あんまり戦いたくないのだ」
傭兵のくせに、戦いたくないなど、正直にすぎるな、と孔明は呆れつつも、言った。
「わたしにも、あれが雀かすら、わからぬが、叔至の言に従おう。いまの叔至になにを言っても、聞く耳を持つまい。そうであろう」
趙雲に水を向けると、趙雲もまた、そうだな、というふうにうなずいた。
「叔至の勘は当たる。危機に陥れば陥るほどに、鋭くなる。そこに賭けよう」
「賭けかい。まあ、俺はあんたたちに雇われている身だ。従うがね」
言いながら、青竜は、部下たちに、雀の方角へ向かうと号令をかけた。
その合い間をぬって、孔明は、趙雲の横に並ぶと、青竜たちに気づかれないように、小声で言う。
「あの男、妙なことを口走った。あなたは最後尾からついてきて、青竜たちの動向に、おかしなところがないかどうか、見張ってくれないか」
「それはいいが、なにが気になるのだ。連中からは、敵意は感じられない」
「では、あなたの目から見て、傭兵として、おかしなところはないか」
「風俗が変わっている、というくらいなものか」
「そうか。ならばよいのだが、どうも青竜という男、なにかを知っているようだ。なにか目的があって、われらに近づいてきたのかもしれぬ」
「壷中の残党か? そういえば、義陽の隠し村から、すでに江東に向けて出発した一行がいると、花安英が言っていたな。
そいつらが、戻ってきて、仲間の仇討ちをしようとしているのか? あいつがここにいたら、はっきりそれとわかるのに」
「それにしては目立つし、年齢も、老けすぎていて合わないし、そのうえ妙に馴れ馴れしいのが気になる。それと、子龍。『花安英』などという少年は、もういないよ」
「ああ、そうだったな。お前の名づけ子も、江夏にいるのだったな」
言いつつ、趙雲は、深い息をついた。
額には、あぶら汗が浮き上がっている。
「さっきは怒鳴ってすまなかった。正直なところを打ち明けると、傷にひびいている」
「そうであろう。そんなに簡単に治る傷ではなかった。熱が出ているのではないか」
「おまえにもらった葛の薬で、なんとか抑えている状態だ。これで戦いとなると、自信がない。おまえひとりならば守りきれる。だが、ほかの連中はどうかというと、無理だ」
「正直に打ち明けてくれてありがとう。やせ我慢をされるより、ずっといい。殿(しんがり)について、ゆっくりでいいからついてきてくれ。
さきほども言ったが、ここを、あなたの決戦の場にしてはならない。すくなくとも、わたしは、まだまだ生きるつもりだし、まだ戦いは始まったばかりだと思っている。ともに生きのこってくれ」
「ああ、そうさせてもらおう。情けないことであるな。気分にまかせてついてきてしまったが、かえっておまえのお荷物になるとはな」
「お荷物なぞではないさ。だって、わたしのことは守ってくれるのだろう?」
孔明が言うと、趙雲は、口元に、皮肉げな笑みを浮かべた。
「そうだな。おまえは守る」
「命に賭けて、ということは言わないように。自分の命も守りつつ、わたしも守るのだ。いいな?」
趙雲は、わかったと短くいうと、孔明の指示どおり、青竜の率いる傭兵隊の最後尾についた。
陳到は、すぐにでも出発したいらしく、青竜の部隊の陣容が整うや、すぐさま馬腹を蹴り、雀の飛んでいる空のしたへと、猛然と走りはじめた。