七夕フェスタ リクエスト企画 第五弾 結城さまからのリクエスト
寒蝉の恋
リニューアル版 十五回目
劉備が仲裁に出たことで、とりあえず、場はおさまったが、その場の者が、すべて収まったとは言い切れなかった。
逃亡中であるということで心身ともにまいっているなかで、突然の災禍に見舞われて、みな苛立っているのだ。
こういうときに、ふとした瞬間に、鬱積したものが暴力につながりやすくなる。
劉備が出てきてくれたからよかったものの、もしあのままであったなら、陳到も趙雲も、今度は味方を相手に戦わねばならなくなっていたかもしれない。
糜夫人の指導のもと、みなが、それぞれ傷ついた者の手当てをしたり、あるいは死んだ者を葬ったりしているあいだ、劉備は、趙雲と陳到をともなって、自分の幕屋に呼び寄せた。
急ごしらえの幕屋には、劉備のほかには、使者として南へ向かっている糜竺の代行として、簡雍がいた。
この簡雍は、字を憲和といい、劉備とは同郷の、いわば幼なじみといってもいい男だ。
特になにができる、というわけでもないのだが、独特の話術を持っており、人を惹きつけるコツを知っている。
見栄えは冴えないし、弁舌も洒落たものではないが、そうかといって、これを侮る者はない。
ひと癖もふた癖もある男たちのそろった劉備の陣営のなかでも、劉備に直言を吐くことをゆるされている、不思議な立場にいる男であった。
「さて、みんなの前じゃ聞きづらかったことを、ここで聞かせてもらうぜ。連中の狙いはなんだ? 奥か?」
ずばりたずねてきた劉備に、陳到もまた、ずばりと答えた。
「いいえ。連中は、銀兎を探しておりました」
「ふむ、旅芸人一座を殺したのも、銀兎が目的だったというわけか。袁譚が頭を踏んづけられたことを恨みに思って追いかけてきたのかと、儂は考えていたのだが、子龍の話だと、やっぱりちがうようだな」
「はい。おかしなことがございまして、連中は、銀兎の名すら知らなかったようなのです」
その話に、簡雍は、苦笑を浮かべつつ、話に入ってきた。
「待て、待て。そりゃ、おかしかろう。目当ては娘だってのに、肝心の娘の名前を知らないってのは、どういうことなのだ? よっぽどのまぬけだぜ、そいつら」
簡雍の言葉に、陳到は軽くうなずいた。
「わたくしもそう思いました。まぬけに過ぎます。しかし、連中の目的は、銀兎そのものではなく、銀兎のもつ何かなのではないかと考えたら、いかがでしょうか?」
「へえ? 銀兎がなにか持っているって?」
興味をしめしたのは劉備であった。顎をさすりながら、たずねてくる。
「はい。わたくしは、本人にも、刺客に襲われる理由に心当たりがないかをたずねたのですが、銀兎にも、自分がなぜ狙われるのか、わからないというのです。
わたくしはご存知のとおり、以前は細作でありましたが、連中と似たような状況になったことがございます。それは、目当てのものが、人ではなく物であった場合です」
「物?」
「左様、物は、勝手にひとりで動いたりすることはございませぬ。人の手を借りて物は移動します。探さねばならぬものが、物であった場合、物の名はわかっていても、所有者の判らない場合がよくございました。
連中も、同じく、所有者の名がわからないまま、『なにか』を探しているのではないでしょうか。
だから、物のありかはなんとなくわかっていても、その所有者がだれなのかまでは判らなかったのです」
「そうか」
と、横で、趙雲が一人合点する。
それを、劉備が、首をまげてたずねた。
「どうしたい」
「いえ、矛盾していると思っていたのですが、それで説明がつきます。蘭は、それがしと袁公子の幕屋で目が合ったので、それがしに正体を見破られたと思い、襲ってきたのだと申しました。
しかし、仕えているのは袁家ではないという。
どういうことなのかと考えていたのですが、おそらく、主君の命令で、探している『物』をもとめて、鄴まで流れてきたのでしょう。そして、情報を集めるために、袁公子に近づいたのではないでしょうか」
「ああ、なるほどな。しかし、となると不思議なのは、連中が、なにを探しているかっていうことだが、あの娘は、一体何者なのだ? そもそも、偽帝の仇を討つっていう目的で、袁公子を殺そうとしていたわけだろう?」
「あの娘の父は、偽帝の宮殿にて侍中を勤めていたそうでございます。荒地にて、非業の死を遂げた偽帝のために仇を討て、というのが父親の遺言であったとか」
「ふうん」
あまり手入れの行き届いていない無精ひげの生えた顎をさすりつつ、簡雍が言った。
「なんというか、ふと思ったのだが、言っていいかね。まあ、いつもの戯言と思って、聞き流してくれりゃあ嬉しいのだが」
劉備は、首を簡雍のほうに向けて、うなずいた。
「おう、言ってくれ」
「よく講談なんかであるじゃねぇか。じつはその娘っていうのが、偽帝のご落胤とかいう話じゃねぇよな? そしてそれを、あの娘も知らないとしたらどうだ」
大きすぎる話に、劉備をはじめ、陳到も趙雲も、一瞬、あぜんとして、言葉を失った。
なんと荒唐無稽なと、陳到は思う。
あの蓮っ葉な銀兎が、偽帝の娘だとは、とうてい思えない。
簡雍は、その空気を察して、あわてて手をふる。
「ああ、冗談、冗談だ。ちょいと言ってみたかっただけだよ」
「いや、いい読みかもしれねぇな。それに近いところなんじゃねぇのか」
と、身を乗り出すようにして答えたのは、劉備である。
一堂の視線を集めつつ、劉備は答えた。
「だってよ、もしあの娘が、なんだかとびきりのお宝を持っているとしても、本人がそれと知らずに身につけている、っていうのも不自然だぜ。
もし持っていたとして、いまさらおまえらに、持っていませんと嘘をつく理由もねぇわけだし。
それに、だれだかわからねぇが、蘭の雇い主ってのが、刺客を使ってまで得ようとするお宝ってのは、なんだ? むしろ、あの娘自身がお宝だ、っていう話のほうが自然だろう」
劉備のことばに、陳到は反駁した。
「しかし、それでもひとつ問題がございます。偽帝が袁術のご落胤だったとしても、なぜ、いま命を狙われるのでしょうか。
偽帝はとっくの昔に死んだのです。いまさら、その血を引く娘を殺したところで、なんの利益があるというのでしょうか?」
陳到のことばを横で聞いていた、趙雲が、なにかに思い当たったらしく、自分の口を手でふさいだ。
その仕草にきづいた劉備は、ちいさく眉をしかめる。
「子龍、どうしたい」
「はい、蘭がおかしなことを口にしておりました。それがしを襲うのは、それがしが蘭たちの正体を見破った恐れがあるからというだけではなく、『やんごとなきお方』を見殺しにしたからだと」
「なんだそりゃあ。やんごとなきお方ってのは、だれだ? 話の流れで行けば偽帝だろうが、おまえと偽帝は、まったく繋がりがねぇんだろう?」
「はい。面識もありませぬし、仕えたこともございませぬ」
「なんか変だな。もやもやして気味が悪い。とりあえず、判りやすいところから解決していこうか。銀兎が、偽帝の娘だったとして、ある連中が、袁家を根絶やしにしようと狙っているとする。
偽帝をそこまで憎んでいるヤツっていうのは、だれだ?」
劉備が、うーむと腕を組み考え込む横で、簡雍が思いつく名前を挙げていった。
「いま残っている勢力のなかだと、袁紹、曹操、うちの殿様、江東の孫家、黄巾賊の残党、くらいなものかね」
「曹操はねぇだろうよ。自分が死ぬかも知れねぇってときに、お宝もとめて人を雇うほどの余裕があるとは思えねぇ。江東の連中は、たしかに偽帝とはいろいろあったわけだが、蘭の雇い主っていうには、ちょいとばかり突拍子ねぇな」
「うちの殿様でもないとなると、ほかに劉姓の劉表、劉璋か。ああ、劉虞の一族がいたら、どうかと思ったのだが」
「劉虞か。ひさしぶりに聞いた名だな」
と、劉備は嘆息した。
劉虞とは、袁術が、自分が帝位に就くよりも先に、帝位に据えようとした人物である。
清廉の士で、袁術のつよい勧めにもかかわらず、結局、その話には乗ることはなかった。
しかし、袁術の策謀は、世に大きな影響を与えたことも事実である。
袁術の提唱により、漢王室の価値が、諸侯の良いようにできてしまう軽いものだという印象を、世に与えてしまったのだ。
光録勲にまでなったことのある劉虞は、たとえ世が乱れているとはいえ、正式な帝は存在しているのだから、劉氏の末のひとりである自分がそれをくつがえすなど、恐れ多いことだといって、袁術の誘いに、頑として乗らなかった。
しかし、劉虞にとっての悲劇は、すでに始まっていたのである。
自分でなにやら、うんうんと納得しつつ、簡雍が言う。
「劉虞。幽州の州牧だった劉伯安殿。なつかしい名前だな。うちの殿様とは段違いの血統のよさ。加えて教養もあれば地位もある。
しかし、残念なことに、実体と期待がすれちがっているお方であった。
あれだけの人気者は、この先、出ることはあるまいよ。このお方なら、なんとかしてくれるだろうという期待感を抱かせる半面、こいつなら、言うことをきかせやすいだろうと思わせるところもあった。
傀儡にはちょうどよい人物に見られて、本人はまったくそのつもりはないのに、帝位をにおわせた出世に何度も誘われた。董卓や袁紹、袁術。みんなが利用しようと声をかけてきた。
殿様だったら、ほいほいと誘いを受けただろうに、この人は、志が立派過ぎたのだろうな。そんなものいらねぇと全部突っぱねた」
「わしのことは余計だよ」
「すまないな。でも、そうだろう」
けらけらと笑う簡雍に、むずかしい顔をした劉備は、まあ、そうだけれどよ、とつぶやいた。
「劉虞は性格がよすぎたのだよ。本人はあくまで立派に漢王朝に忠実な家臣として身をまっとうしようとしていたのに、とうとう最後は伯珪の兄貴に、帝位を狙う悪人だっていいがかりつけられて、処刑されちまった。
血統のよさがわざわいした、よい例だ。その代わり、雑草はつよい。だれにも見向きをされないからな。お陰で長生きだ。なあ、殿様」
簡雍の言葉に、劉備は心底おもしろくないらしく、むっつりと答えた。
「劉虞」
それまで、えんえんとつづく陳到の話に、漫然と耳をかたむけていただけの孔明であるが、その名を聞いて、ひっかかりをおぼえた。
孔明の、それまでとちがう顔つきに、火の勢いを調整していた陳到が、怪訝そうに顔をあげる。
「如何なされました。もしや、劉虞とご面識がおありなのですか」
「いいや、面識なぞないが……」
思いもかけない名前の登場に、孔明の頭のなかにあった、どうしても釈然としなかった部分に、急に光が当たったようになった。
夏侯蘭の一波。作られた子どもたち。刺客の集団。
劉表の一派。作られた子どもたち。刺客の集団。
その歴史はちがうが、手法はとても似ている。一方の正体はあきらかではないが、どちらも、北からやってきた男によってもたらされた手法で、作られたものだ。
人を人とも思わぬ冷酷さもまた、よく似ている。
そして、もうひとつの見逃せない共通点。
頭(かしら)となる人物は、みな劉姓である、ということ。
これは偶然だろうか。
「叔至、すこし混乱してしまったのだが、おまえの上役の紅霞から、袁譚を奪ったという妖童の一団、これは夏侯蘭たちとは別の者たちなのだろうか?」
「ここが混乱することろでして、話すほうとしても苦労するところなのですが、思うに、あれは暗殺の実働隊として動く夏侯蘭たちを中心にした組織だったのだと思います。軍師は壷中を思い出されたのでしょう」
「そうだな。よく似ている」
「壷中は、妖童たちが主体の組織でありましたが、蘭たちの組織は、あくまで妖童たちは、敵を油断させる役目でありました。
つまり、妖童たちは、補佐として、その若さとうつくしさを武器に、敵にちかづき、夏侯蘭たちがうまく動けるように、情報収集にあたっていたのです」
「では、主公の陣で、おまえが下る直前に、子どもが子龍を襲ってきたのは、隙を突くためか」
「いまとなっては推測に過ぎませぬが、おそらくは、その子どもたちは、死ぬことを前提に、趙将軍のもとへ送られたものでしょう。趙将軍にとらえられたとたん、ろくに抵抗もせずに自害しましたからな。刺客としては、諦めがよすぎる。そもそも、戦う方法を知らなかったのではないでしょうか」
陳到は淡々と口にするが、孔明はぞっとした。
死んでこいと命令されて、その先に得るものはなにもないとわかっているのに、武器を隠し持って出かけるその思考が、まったく理解できなかったからである。
壷中の子供たちのように、命を挺しても守らねばならないものがあったというのだろうか。
それとも、また別の、切羽詰った事情があったのだろうか。
「狂っているな」
孔明がつぶやくと、陳到もまたうなずいた。
「まったく、狂っております」
だれからも守ってもらえずに、狂気のなかに放り込まれた子供は、どうすれば生き残れるのだろう。
「叔至、子龍には、劉虞に、なにか関わりがあるのではないか」
孔明が問うと、陳到は、おや、と不思議そうな顔をして、孔明を見た。
「なぜお分かりなのです。これからお話をしようとしていたのですが」
「では、関わりがあるのだな?」
それだけ確かめると、孔明はすっくと立ち上がり、趙雲が眠っている兵舎の一室のほうに身体を向ける。陳到もまた、同じように立ち上がったが、孔明のしようとしていることの意味がわからないためか、その動きはにぶい。
唖然とする陳到に、孔明は顔を向けると、言った。
「ありがとう、叔至。話のつづきは、またあとで聞かせてもらおう。すまぬが、子龍に確かめねばならぬことができた」
それだけ言うと、孔明は、趙雲の眠る兵舎へと、風を切って歩いていった。
趙雲は、実のところ、眠ってはいなかった。
横になってはいたけれど、やはり目が冴えて眠れなかったのだ。
曹操がやってくる、ということに怖じているのではない。
劉備が樊城から戻ってくるのが遅いと焦れているのでもない。
異常な数日間の余韻が残っていた。
趙雲としては、嵐のような数日のあいだ、なにをするにしても、孔明の身ばかりを案じていたので、その姿が目の届くところにいないと、安心できないようになっていたのである。
ろくでもない癖がついたものだと悪態をつきつつ、すこし瞑目して、うつらうつらとしては、目を覚まし、窓から、ちょうど兵舎のそばで陳到と一緒にいる孔明の姿を見ては安心して、また横になり、しばらくすると起き上がる、ということを、繰り返している。
いくら主騎とはいえ、いささか強迫めいてはいないか。
このままでは、俺のほうがおかしくなるな、と寝台に横になり、そして、自分に眠れと言い聞かせるかのように、深くため息をついた。
樊城に孔明が捕らわれたとき、趙雲は、孔明を救えなかった場合は、劉備にことの次第を説明したあと、いさぎよく死を選ぶ覚悟を決めていた。
そうならなくて幸いであったが、さまざまな危機にあって、己の心が研磨されたような、ふしぎな感覚がある。
同時に、自分が自分でなくなっていくような、危険な予兆がする。
胸の奥にある物が、どんどん削られて、明確になっていくのは、よいことなのだろうか。
石を磨けば玉になる可能性もあるが、残酷なものが潜んでいたら、あるいはおぞましいものが潜んでいたら、どうすればよいのだろう。
ふたたび寝返りをうち、考えることを止めようとするが、泉が湧き出るように、さまざまな思考が浮き上がってきて、趙雲を不安にさせる。
疲れているのだ。眠り薬でも煎じてもらおうか?
しかし、有事の際に動けなくなったらことだ。
厄介な。曹操はもう迫ってきているというのに、樊城から劉備が戻ってこない。張飛が随行しているから問題はなかろう。
城の女子供は、関羽が警護して、劉琦の待つ夏口へ向かわせているのだし、蔡瑁は重症で、孔明の読みからすれば、あっさり曹操に降服を願い出るはずだ。
それが、蔡瑁が生きのこるための最良の策だ。
劉表は死んだのだし、樊城には、曹操の大軍を凌げるだけの兵力はもうない。
籠城したところで、諸侯からの救援も望めない。
降服したものを、曹操は、苛烈には当たらないだろう。
徐州での虐殺については、曹操には曹操なりの理由、すなわち父の仇討ちという理由が存在した。
だが、今回の荊州の侵略については、確たる理由はない。
荊州の民を虐殺して、よいことなどひとつもないことは、判っているはずである。
もしそんなことをすれば、荊州に住まう豪族や、優秀な学士たちの猛反発を喰らうであろうし、天下の非難をまともに浴びる。
それに、曹操は、もう年だ。今度の南下にて、一気に天下を手中に収めようと考えている。
まともな将であれば、侵略した荊州を足がかりに、江東の孫氏、巴蜀の劉璋を滅ぼそうとするはずである。
荊州をむやみに蹂躙し、荒廃させれば、それだけ、足元が弱くなる。
そんな自らの首を絞めるような、愚かな真似はすまい。
ふと、趙雲は、自室の扉の外で、かたりと物音がしたのを聞いた。
こんな時間に、見回りの兵か?
それにしては、足音がずいぶん軽い。
趙雲は、音を立てないようにして起き上がると、獣のように足音をしのばせて、扉に耳をつけて、外をうかがう。
慎重に、扉に手をかけると、その耳に、聞きまちがいようのない声が聞こえてきた。
「子龍、わたしだ。起きているか」
趙雲は、おどろきとともに、なぜ、あれほど休め、休めと言っていた孔明があらわれたのか、不思議に思いつつ、扉を開いた。
孔明はというと、なにやら興奮した様子で、ずかずかと、傍若無人にすら思われるほど乱暴な足取りでもって、中に入ってくる。
その姿を見て、趙雲は顔を曇らせた。
「おまえ一人か。叔至は」
「囲炉裏端だ」
「何をしに来た」
端的にたずねると、とたん、孔明は不機嫌そうに目をほそめた。
「戦友に対して、ずいぶんとつめたい対応だな、子龍。あなたは、逢引きに来た女人にも、そのような口をきくのか」
「おまえは逢引にきたわけではあるまい」
「あたりまえだろう。なにを期待している」
「なにも期待なんぞしておらぬ。言い出したのはおまえだぞ。重ねて問うが、何をしに来た」
「ふむ」
と、言って、孔明は、室内にかぼそくともされた燭のあかりに浮かび上がる趙雲を、ちろりとななめにみる。
「寝ていなかった様子だな。それでは、治るものも治るまい。わたしはどうしても聞きたいことがあってきたのだが、それが終わったら休むがいい。薬を処方しよう」
「薬はいらぬ。うかつに薬を飲んで、寝込んでいるあいだに主公が戻られたらコトだ」
「それはそうだが」
孔明は言葉を切り、そしてたずねた。
「あなたも、引っかかっていることがあって、それで眠れないのではないか」
「引っかかっていること?」
鸚鵡返しにすると、孔明は深くうなずいた。
「そう。たしかに我らは壷中を潰すことに成功したが、しかし、本当は、トカゲのしっぽを切っただけのような気がしてならないのだよ。
『風狗』が変わったのは、正体はわからないが、中原にいる人物と接触してからだと、花安英は言っていた。
そして、ほかならぬその『風狗』が、あたらしい荊州牧として、実父の蔡瑁とともに、樊城に居座っているわけであるし、壷中のなかでも、義陽の村からすでに各地へ分かれていった者たちも、現存しているわけだ」
「だが、播天流という頭がいなくなったのだ。組織はいずれ瓦解する。もし残ったとしても、形骸のみで、まったく別なものに変わるだろう。
良いにつけ悪いにつけ、播天流ほどに、子どもを統率することに巧みな男はそうはいないから、たとえ組織が残ったとしても、そう恐れることはないのではないか」
「そう思うか。播天流のあとを、風狗が継いだら、どうなる」
孔明の問いに、趙雲は眉をひそめた。
「それはなかろう。風狗とて、曹操に狙われている状況だぞ。呑気に俺たちに構っていられるとは思えないが」
「風狗が継ぐが、実質上の指導者は、また別にいるとしたらどうだ。つまり、風狗は連絡役にすぎず、本当の指導者は、風狗に影響を与えたという人物であったら」
「なんのために、風狗をあやつるのだ」
「自分は表に出られないから。いや、表だって動くことができない人物だから、風狗をあやつるのだよ。そして、七年前には、夏侯蘭たちをあやつっていた」
その名を聞いて、趙雲は顔をけわしくした。
「叔至がしゃべったのだな」
「いろいろ興味深い話だったよ。まだ途中なのだが、聞きたいことがあって、こちらへきてしまった」
「想像力がたくましすぎるようだな。壷中と、蘭たちが同質のものだというのか」
即座に否定する趙雲に、孔明はなだめるように言った。
「まったく同じだとは思わぬ。しかし、共通点が多すぎるのだよ。おそらく、夏侯蘭たちの組織は、壷中の原型というものではなかったのかな。それを、播天流が真似て、壷中が出来上がった」
「播天流もあやつられていたのに過ぎないと?」
「それはわからないが、播天流が風狗の動きを押さえられていなかったところをみると、そうではないと思う。
播天流は、独自に夏侯蘭の組織を模倣したのだ。夏侯蘭の組織と、壷中は、それぞれ別個に存在していたのだよ。
あるとき、どういうきっかけかはわからないが、夏侯蘭たちの主人は、壷中という組織の存在を知り、風狗をとおし、これを取り込むことに成功した。
つまり、壷中は、劉表と、播天流と、風狗の、三つに分裂していたのだ」
「言いたいことはわかる。しかし、それが俺に聞きたいことか」
趙雲がたずねると、孔明は、するどくも真摯なまなざしをまっすぐ向けてきた。
「そこがどうしても聞きたいことだったのだ。劉虞と、どのような関わりがある?」
唐突な質問に、趙雲はしばし、言葉をなくした。
「劉虞? 幽州牧の劉伯安? それがどうした」
「重要なことなのだよ。思い出してくれ」
「叔至は、どこまで話したのだ」
「夏侯蘭たちが、袁紹のもとから荊州に逃げる際に、なぜか、銀兎を狙って襲ってきたという話は聞いた。その原因は、判明したのか」
「結局は判らなかった。蘭を雇っている者たちの正体も、結局、はっきりしないままだった」
「それだ。夏侯蘭という刺客は、自分たちは袁紹の手の者ではなく、『やんごとなき方』に雇われているのだと言ったのだな。そして、あなたを襲った理由は、『やんごとなきお方を見殺しにした』かだらという。それについても、わからないままだったのか」
だんだんと、孔明がなにを聞き出そうとしているのか、わかってきた趙雲は、慎重にうなずいた。
「ああ、確かめられなかった」
答えてから、趙雲は、孔明の正面にあたる、粗末な寝台の上に腰かけて、言った。
「まさか、劉虞、劉伯安を見殺しにしたことを理由に、俺は襲われたのか」
その言葉に、孔明の顔が、ぱっと火花が散ったように明るくなった。
回答を見出せたことへの、純粋なよろこびが生じたのである。
「やはり、劉虞とかかわりがあるのだな? 雇われたことがあるのか」
「ちがう。雇われたこともないし、言葉を交わしたこともない。もし、いま劉伯安が生きていたとしても、俺の顔を覚えてはいないだろう」
「では、どういうつながりがあったのだ」
趙雲の言葉こそが回答につながる。ゆえに、孔明は、私塾に通いはじめた子どものように、真摯な顔をして、言葉のつづきを待つ。
その表情に、苦笑しつつ、趙雲は答えた。
「幽州牧の劉伯安を公孫瓚が捕らえたとき、俺はその場にいたのだ」
「劉虞は、公孫瓚によって処刑されたのだったな」
孔明のことばに、すこしばかり息を吐くと、趙雲はつづけた。
「おまえは、当時はまだ子どもであったろうから、劉伯安と公孫伯珪とが犬猿の仲だったということも、よく知るまい」
「話には聞いたことがあるが、たしか、夷狄に対する外交策の対立が、争いのきっかけだったな」
「そうだ。公孫伯珪は、夷狄にたいして、執拗に強行策をとりつづけた。対する劉虞という人物は、これを宥和する策を取ったのだ」